第095話  たなぼた


「くそったれ! どこもかしこも兵士兵士兵士兵士! 近付く隙間もありゃしねえっ!」


 九郎は焦りを募らせていた。

 城に近付く事も儘ならず、時間だけが過ぎて行く。

 嫌な予感は留まる事を知らず、時と共に溢れ出す。


「くそっ! 下水道とかねえのかよっ! ファンタジーの基本だろうがっ!!」


 荒げた自分の声さえ苛立ちを募らせる。

 自分の頭の弱さが憎らしい。

 土壇場に強いと自覚していた筈が、今の自分はハムスターの様に城の周囲をぐるぐると回る事しかしていない。


 頭上で鳶の様な鳥が悠然と空を泳いでいるのに、翼の無い九郎は地べたを駆ける事しか出来ない。


(どうすりゃいいんだよっ! どっか高い所とかねえんかよっ! そっからシーツでも広げて……)


 城より高い建物など存在していない。

 更に言えば城が高台に建っているのだ。

 周囲を見渡しても、遠く山々が見えるだけで飛び降りる事すら出来ない。

 イカロスの様に空が飛べればと、九郎は本気で考える。


「くそっ! 砲台とか大砲とかねえんかよっ! そんなら一発じゃねえかっ!」


 大砲で飛ばされる自分の姿を想像する。

 どんなに危険な方法でも躊躇なく飛び込む自信が有る。

 九郎は『不死』だ。

 命の危険など考えるまでも無い。

 ただただ方法が欲しかった。城へと入る方法が……。


(落ち着けっ! 考えろっ! 素数を数えろ! 頭を冷やせっ! って本当に『冷たい手ウォームハート』で冷やしてんじゃねえ! 確認すんだよっ! 自分の出来る事を!)


 自分の出来る事――――。

 九郎はこれまでやってきた『神の力ギフト』の力を思い出す。


(『変質』……炎、冷気、熱、衝撃、毒……。衝撃で体を飛ばせねえか? 地上16000ハインからの衝撃なら体も吹っ飛ばせんじゃねえのか? ……いや、駄目だ……。ミミズの糞ぶっ叩いた時に俺の身体はピクリともしちゃいなかった。腕が弾けただけで、体は動かなかった。『変質』の力は体をそのモノにする能力だ。炎も冷気も衝撃も……伝えるだけで奪われないんだ……。『青天の霹靂アウトオブエアー』を使った時に、俺の身体は痛みを感じちゃいなかった。

 腕が弾けたのは、衝撃がそう言うものとして現れていただけなんだ。だから直ぐに体が再生したし、自傷の痛みも無かったんだ……。

 ならやっぱり最後の頼みのグレアモルの『不死』の『神の力ギフト』か?

 出来る事は『修復』と『再生』……。他にねえのかっ!? いや、あるっ!! 

俺は体の部位でも景色が見れたんだ! あの湖の岩亀の口に足を放り込んだ時、俺は確かに感覚も視覚も意識さえも足にあった……なら……)


 九郎は腰のナイフを引き抜く。

 思い返してみれば、このナイフは自分しか傷つけていない様な気がする。

 戦う武器としては役に立たず、自分を傷付けるだけのナイフ。

 なのにいつもこのナイフを携帯しているのは、やはりベルフラムから貰った事が大きいのだろうか。


「しっかし土壇場で一番役に立ってんだぜ? ベル……」


 自分が贈ったナイフが、九郎を傷付けてばかりなことを知ったらあの少女は悲しむだろうな……。

 九郎はそう思いながらも、躊躇うこと無くナイフを左腕に突き立てる。


「ガアアァァァッ!!」


 頭が痺れるような痛みが九郎を襲う。

 肘の内側に突き立てられたナイフが、肉を割り骨の隙間に突き刺さる。


「ガッ! い、いっつもも……傷つけんののがが……左腕おまえさんで悪わりいなっ…!! グゥッ!! ガッ!!!」


 脂汗を流しながら、九郎は左腕に突き立ったナイフをゴリゴリと動かす。

 動かす度にこの世のモノとも言えない激痛が走り、気を失いそうになる。

 肩で息を吐きながら九郎は左腕を引きちぎる。

 目尻に涙を溜め、鼻水と涎が溢れてくる。

「痛みで泣くなど男らしくない」などと言っていられない程の激痛。

 足が震え、腕が震え、歯がかみ合わない。

 その耐えられない痛みに泣きながら、九郎はどうにか左腕を切り離す。


「へ、へへっ……へへへへっ……。な、何度やっても、慣れや・・・しねえ……。グレアモルとソリストネは、な、仲悪わりいんじゃねえのか……?」


 震える口元を押さえながら、九郎は千切れた左腕を右手に持つ。

 城を囲む城壁を見上げて九郎は構える。

 これ以上近付けば兵士に見つかってしまう。そんなぎりぎりの距離だ。

 城への距離はおよそ50メートル。城壁の高さはおよそ10メートルほどであろうか。

 見上げているのでさらに高い可能性も有る。

 九郎は数歩その場から後ずさると、助走を付けて右腕で左腕を振りかぶる。


「やっぱり最後に頼れんのはグレアモル! お前の方だぜっ!! 届け! 俺の魔球『放物線』!!!」


 叫んで九郎は左腕を全力で投げる。

 左腕は九郎の力も合わさって物凄いスピードで空を舞う。

 九郎は眼を閉じ、意識を左腕に集中させる。


(あ、アカン……。目が回る…………)


 意識を向けた左腕が見る・・・・・景色は、天地が高速で交互に廻る。

 とてもじゃないが目を開けていられない。しかしそれでも九郎は左腕から意識を離さず、耐え続ける。

 薄目を開けると物凄いスピードの中、城の内部が流れ見える。


(まっじいっ!! もう塀超えてんじゃねえかっ! 頼むぜっグレアモルっ!!

    『運命の赤い糸スレッドオブフェイト』!!!)


 九郎は意識を左腕に留めたまま、『修復』の力を発動させる。

 青く晴れた空に赤い橋が架かる。



 そして九郎は賭けに勝利し――左腕・・が九郎の体を引き寄せた。

 左腕の傷口から伸びた赤い粒子は、九郎のその他の部分を引き寄せて一瞬で九郎の体が上空へと移動する。


「げあっ!? た、っけぇぇぇええ!! っぇぇぇぇぇぇええええ!!」


 体を覆う浮遊感。

 斜め下に見える城で一番高い塔を見下ろし、九郎は悲鳴を上げる。

 ここまで高く投げるつもりは無かった。

 城壁さえ飛び越えれば良かった。

 だが、城壁を越えようと投げた九郎は、もし腕が城壁を越えられなければ、また同じ痛みを味わうと恐れた。

 さらに力が強く成っていた事も合わさり、思った以上にスピードが乗った。

 結果、九郎の体は城の中央、はるか上空から落下する事になっていた。


「どうか下に誰も居ませんように! どうか下に誰も居ませんように! いても雄一でありますように!!」


 九郎は眼下に迫る、キラキラとした天井を見下ろしながら神に祈った。

 半幼半老の死神が、笑顔で手を振ってくれた様な気がした。


☠ ☠ ☠


「………く…ろ………」


 ベルフラムの顔がクシャリと歪む。

 口元から零れ出た声は震える唇を伝う。


「……どうした? ベル……。また泣いてるんか? そろそろ泣き虫も卒業しねえとな?」


 九郎が安堵の表情を浮かべ、心配そうな顔を向ける。


「………くろぉ………」


 ベルフラムの瞳に涙が溢れる。

 視界が滲み、舌に塩気が混じる。


「なんか今日はすっげー綺麗な格好じゃん。何で……ってああ、式典出てたんだっけな?」


 ベルフラムの泣き顔に困惑した様子を見せて、九郎は頭を掻きながら優しげな眼を向ける。


「クロウ!!!」


 ベルフラムは感情のままに九郎の胸に飛び込む。

 自分が動いていた事すら分からない程、感極まって九郎の胸に顔を埋める。


「おー泣くな泣くな……」


 九郎が困惑したままベルフラムの背中を優しく叩く。


「クロウっ! クロウっ!! クロウっ!!!」


 そこに居る事を確かめる様に何度も名前を呼ぶ。

 会いたかった。

 一晩いっしょに過ごせないだけで、心が掻き乱されるのだ。

 それがもう5日も会えていなかったのだ。

 涙顔で、顔をくしゃくしゃに歪めて、それでも笑顔で九郎の頬に手をやり顔を見上げる。


 信じていた。

 信じていたが不安だった。

 傍らにいない事が、触れられない事が、声が聞こえない事が不安だった。

 それが今、全て満たされる。


(触れたかった肌! 聞きたかった声! 会いたかった! 会いたかったの! 私の『英雄』!!)


 鼻が着くほどの距離で見つめ、何度も何度も名前を呼ぶ。


「んなに呼ばなくても聞こえるっつーの!」


 九郎が苦笑してベルフラムの頭に手を置く。

 その手が頬へと降りる。

 涙を拭くような素振りを見せた九郎の手を抱きすくめ、ベルフラムは頬を寄せる。


「本当に来てくれた! 生きててくれた! 負けないでいてくれた! 諦めないでいてくれた!! ――――私の『英雄』!!」


 自分の中で噛みしめるようにして、ベルフラムは九郎に輝く笑顔を見せた。


☠ ☠ ☠


「……………………………………んだよソレ」


 それまで呆けた顔でベルフラムと九郎の邂逅を見ていた雄一が押し殺したように呟く。

 雄一の声に九郎が突如顔を強張らせて、ベルフラムを背中に庇い身を起こす。

 気付いていなかった雄一がこの場にいる事を知って、九郎が緊張した面持ちで雄一を睨みつける。


 だが、雄一はそんな九郎の様子をチラリと見やると殊更苛立ちを募らせる。

 ぶつぶつと呟く声は、徐々に大きく、喚くように広がって行く。

 雄一が憎しみの籠った眼を九郎に向ける。

 頭を掻きむしり、両手を広げて意味が分からないと訴える。


「なんだよソレ! なんで生きてんだテメエ!? 殺しただろうが!? この俺が! なんで今お前がここに現れんだよ!? おかしいじゃねえか!? 狙ってたんか!? んだよその登場の仕方?! 仕込んでたんだろ!? 仕組んでたんだろぉ!?」


 遠くからでも見えるほど唾を飛ばし、がなり立てる。

 まるでおもちゃを取られて泣き叫ぶ子供の様に、足を踏み鳴らし、落ち着きなく手を動かす。


「何でこんなタイミングで来てんだよ? んだよ? イケメンはタイミングすら操るとでも言うんか!? おかしいだろっ! 絶対仕込んでたんだろっ! 卑怯じゃねぇ? お前らイケメンはこんなズリーことしてまで格好つけたいんかっ!? 人としてどうなんだよ? 恥ずかしくねえのかよっ!?」


 九郎の眉間に皺が寄る。ベルフラムも九郎の後ろで眉を顰める。

 自分がした事を忘れたのだろうかと、二人が同じ思いを抱く。


「大体何でお前が空から降って来るんだよっ! 飛行の魔法なんて存在してねえんだよっ! 精々浮遊程度なんだよっ! チートかっ!? チートつかったんか!? イケメンの癖にチーターなんて卑怯じゃねえのかよぉっ!!」

「俺だって必死だったんだよっ!!」


 九郎が顔を顰めて思わず言い返す。

 チートな訳では無い。

 タイミングを見計らった訳でも無く、ただただ必死でがむしゃらに城に入ろうとしただけだ。

 ベルフラム達の目の前に来れるとは思ってもいなかった。

 この場所に来れたのは只の偶然だ。

 九郎は左腕を押さえて顔を歪める。


「折角! 折角俺がここまでお膳立てして! 考えて! 努力して! 骨を折ったってのによぉお!? 何でお前がしゃしゃり出てくんだよぉ!? いいじゃねえか?! イケメンはあっちでたっぷり楽しんだんだろうがっ!! こっちに来てまで俺のもん盗ってくんじゃねえよっ!!」


 雄一の言葉がベルフラムの逆鱗に触れた。


「誰が誰のモノよ! もう一度言ってあげるわ! 私の身は全てこのクロウのモノ!! 私の! 私の意思で! この肉体からだも、この血も、命も全てこの人に捧げたの! 何処の誰だろうと、例え国の『英雄』だろうとこの身を自由にする権利は無いのよ!!」


 言い放った言葉と共に、ベルフラムの周囲に陽炎が立ち昇る。

 杖を掲げたベルフラムを中心に、九郎やレイア達を囲むように炎の色をした魔力の渦が、激しく吹き上がる。


 ベルフラムが覚悟を決めて戦闘態勢を取った事で、レイア達も武器を構え周囲の貴族が慄き遠ざかる。


そんな中、一人九郎だけが焦りを含んで雄一を睨んでいる。


(ベルが怒ってんのは分かった……。理由は分からねえが、雄一がまた下衆な事したのも理解した。だけど勝てんのか!? 俺が皆を守れんのか!? こいつのチートさは俺が一番知ってんだろっ!? 考えろ!! 全員を守れる手を!! 俺だけで戦える状況を!!)


『不死』の九郎に負けは無い。

 しかしそれは九郎だけに限った話だ。

 今や自分の命に価値は無く、自分の大事な人の命をかけてまで戦う意味すら浮かばない。

 しかし、雄一はベルフラムに余程の執着を見せている。

 このまま逃げても追って来る。

 それは予感では無く確信だ。

 雄一の攻撃手段が未だ不明な状況で、全てを守って戦えるのかと九郎は自問する。

 その答えは直ぐに頭をよぎる。

 無理だ。

 諦めているのでは無く、純粋に戦力を比較しても無理なのだ。

 九郎の力は自分を守るだけの盾だ。体の大きさ分しかない小さな盾なのだ。

 5人を守り切れる程の大きさも無く、また雄一の爆発の魔法への対策も分かってはいない。

 射線すら見えない雄一の攻撃を全て防ぐ事など出来ないのだ。


(まず一対一で戦える状況を作らねえとどうしょうもねえっ!!!)


 九郎は苦虫を噛み潰した表情を作る。

 一つだけ手が思い浮かんだ。

 これならば勝機もあると思えた。

 だが、躊躇わざるを得ない手段だ。


 一瞬の長い間九郎は逡巡する。


 九郎は背中に庇うベルフラムをチラリと見やる。

 再び雄一に顔を向け、後ろに向けて声かける。


「ベル……俺を信じてくれっかよ?」


 九郎の突然の言葉に、一瞬だけキョトンとしたベルフラムが即座に頷き答えを返す。


「当たり前じゃないっ!!!」


 その言葉に九郎は覚悟を決める。


「じゃあ、お前を貰っちまってもいいのか?」


 九郎が頭を掻きながら背中で語る。


「既に全部あげてるじゃない! 心も躰も全部あなたのモノよ!」


 九郎の何処か照れくさそうな仕草にベルフラムは、満面の笑みで答える。


(――いつの間に心も俺のもんになったんだよ……。って、まあ其処まで鈍感じゃねえな……)


 一点の陰りも無い好意を向けてくる少女に、どう向き合うか悩みながら九郎は左手を後ろに伸ばす。

 これから九郎がやろうとしている事は最低な行為なのは分かっている。

 九郎はこの少女の好意を蔑ろにしようとしている。

 だが、それしか九郎には思い浮かばなかったのだ。

 全てを守れる道が。

 こちらを見ずに伸ばされた九郎の手に、ベルフラムはキョトンとしながらその手に自分の小さな手を重ねる。


「じゃあ、その付けてる手袋、片方俺にくれねえか?」


 九郎の言葉にベルフラムが混乱した表情を浮かべる。

 初めて九郎が欲しがったものが、ベルフラムが式典用に付けていた衣装の、さらには片方の手袋と言う意味が分からない。

 しかし九郎が初めて欲しがったものだ。何か意味が有るのだろう。

 ベルフラムは九郎の考えが分からずとも、左手の手袋を脱いで九郎の手に置く。


「おい、雄一……」


 ベルフラムの白い手袋を左手に握り、九郎は雄一を睨みながら声をかける。


「んだぁテメエ! 余裕ぶっこいてんじゃねえぞぉ? カッコ良く現れた所でお前なんか一瞬でゴミ屑に変えてやんよ!! テメエなんか雑魚だっただろうがぁっ!! 俺に触れれもしなかったじゃねえかぁっ!! 雑魚が調子乗ってんじゃねえぞぉ?」


 雄一の言葉に九郎は内心安堵の吐息を吐き出す。

 雄一は未だに自分を侮っている事こそが、九郎の策の第一歩なのだから。


(こいつは自分の実力がチートな事で驕っている。俺の事を雑魚だと侮っている。だから雑魚な俺が挑発したら必ず乗って来るはずだっ!!)


 九郎はベルフラムの白い手袋を雄一の前に放り投げる。

 白い手袋が大きく放物線を描いて雄一の足元にパサリと落ちる。


「なんのつもりだぁ~? てめえ……」


 訝しんだ表情を見せる雄一に九郎はギラリとした笑みを見せる。


「あん? 知らねえのかよ? 決闘だよ、決闘!!!

えはベルが欲しくてたまんねえ! だが、ベルは今こいつ自身が言った通り俺のもんだ!! 欲しかったら俺から直接奪ってみやがれっ!!


 ――――ベルを懸けて俺と勝負しやがれっ!! 小鳥遊 雄一!!!」


 九郎が謁見の間が震えるほどの大声で吠えた。

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