第092話  力の差


  「残~念! 俺は自由に出れるんだわぁ~」



 突然背後からかけられた声に、九郎はその場を飛びのき振り返る。


「いや~。あれから全然姿が見えないから、死んだとばっかり思ってたんだけどねぇ~。やっぱ、あのバーテン毒入れるの忘れてやがったな……。直ぐに死なねえからおかしいとは思ってたんだ」


 驚き目を向く九郎を気にせず、ぶつぶつと独り言を呟く中肉中背の中年の男が屋根の上に立っていた。

 夜着と思われる厚手のトレーナの様な水色の服と、同じ色のズボン。その上から漆黒のローブを纏い、頭には睡眠帽なのか三角形の帽子を被っている。


「睡姦レイプ魔が抜けぬけと犯罪告白してんじゃねえよっ! オムツはとれたんか? オッサン!」


 憎々しげに九郎が吠える。

 嫌味を口にしてはいたが、心の中は絶対的なピンチに大慌てだ。

 なにせ今九郎の目の前には同じ日本人であり、伝説の『英雄』と同一視される『来訪者』。九郎の様に『弾丸兎バレットラビット』や町のチンピラにも苦戦するような実力と違い、呼吸をするように大勢の命を奪う力を持った本物の怪物。

 ――ユーワン・ホーク・ナッシン……小鳥遊 雄一が目の前に現れたのだから。


(いつの間にバレてたんだっ!? ふっつーに毒に引っかかってたじゃねえかっ? なんで見つかっちまったんだ!? やべえっ!!)


 何処に見つかる要素があったのかと、九郎は心の中で唾を吐く。

 例え九郎の隠密能力が低くても、石で出来た天井に音が響くとは考えられないし、精一杯足音を忍ばせていた。

 独り言を呟いてはいたが、自分の耳にも聞こえるかどうかと言う小声での呟きだ。

 例え静かな夜中であったとしても、気付かれるような物音は立てていない筈だと自問する。


 九郎は知らなかった。

 雄一の引きつれている幼女達が、皆相当な実力を持っている事に。

 そこら辺の盗賊とは格の違う索敵能力と、隠密能力を持っている事に。

 夜間に突然部屋が温度を下げた事で、彼女たちの警戒レベルを引き上げる事に成ってしまったとは露と知らなかった。


「ああ……夕飯のアレはお前の仕業だったのか……。なら料理人には可哀想な事をしちゃったねえ……」

「あ? 何言ってやがんだ?」


 会話を続けながらも、九郎は状況の把握と現状の打破を目論む。

 勝てる相手だとは最初から思っていない。

 なにせ相手は本物の怪物チートだ。一瞬でチンピラの頭を吹き飛ばすことの出来る、超ど級に危険な人物だ。


(さっきのセリフからも、雄一はまだ俺が毒に強い事を知っている訳じゃねえのか? でも俺が言ったセリフで毒を盛った事は気付かれたよな? なら料理人にした可哀想な事ってなんだ? あー!! 何か話が通じる気がしねえっ!! だいたいさっきから横向いて話してんじゃねえよっ! こっち見て話しやがれってんだ! 

表情が分かんねえし、第一小声でぶつぶつ言ってんじゃねえっ! 聞こえにくいんだよっ!!)


 現状の把握をしようにも、雄一は九郎など見えていない様な素振りで顔を横に向けて、一人で納得している様子だ。話の内容もとりとめが無く、どうにも要領を得ない。


「いや~。折角腕利きを手に入れたのに、惜しい事をしたもんだ。彼に謝っとけよ?」


 雄一が横目に九郎を見下ろしながら、右手の親指と人差し指を擦り合わせる。

 夜の闇にパチンと音が鳴る。


「だから何言って……ガボッ!!!」


 彼とは誰の事だ? ――そう声に出そうとした瞬間、九郎の口から血が溢れる。


「て、テメエ何しやがった……」


 突然込み上げてきた血の味に咽ながら、九郎は痛む腹を押さえる。

 腹の中で何かが爆発したような感触。

 腹の中で砕けた内臓が瞬時に『修復』されていく。


「あ~? よくしゃべれんねぇ~。腎臓破壊されたらめっちゃ痛いんじゃねえの?」

「何処破壊されてもいてえよ、普通!!」


 口元に着いた血を拭いながら、その血が赤い粒子となって口から腹へと吸い込まれていく。


(今何しやがったんだっ!? いきなり内臓が爆発しやがった!? 今俺、アレ喰らったのか!?)


九郎の脳裏には数日前に頭を弾けさせて絶命した大勢の暴漢の姿が浮かぶ。


(どんな攻撃方法なんだっ!? 水素を集めて爆発!? って言ってやがったよな!? どうやって防ぐんだよそんなもんっ!?)


 腹の具合を確かめるようにしながら、九郎は悪態を吐く。


「それにしちゃ死にそうにないねぇ」

「あいにく頑丈に出来てっからな!!」

「そういや首折られても死ななかったもんなー。ぜってー死んだ音したってのに……」


 周りの水分すら警戒しながら九郎が強がる。

 そんな九郎の姿に、雄一は何かを思い出して惜しがるような素振りを見せる。


「ああ? 手前あん時いなかっただろっ! 見てやがったのかよっ!?」


 体の『修復』を終え、九郎は素早く靴を脱ぎ捨て両手両足を炎に『変質』させる。

 九郎に首を折られた経験は一度しか無い。

 ベルフラムを人質に取られ、いたぶり続けられた時の一度しか無い。

 暴漢達に襲われ絶体絶命の窮地に雄一は現れた。首を折られた場面を見ていた訳では無い筈なのだ。


 九郎がそう雄一に問う。


「そりゃ、当然だろぉ? タイミング良く現れねえとヒーローじゃ無いじゃん。折角用意した計画が殆んど駄目になったからなー。仕方なくお前まで助ける羽目になっちまってよぉ~」


 雄一が九郎を嘲笑いながら答える。

 今のセリフから雄一が助けるタイミング……いや、絶体絶命のピンチになるまで何処かで見ていた事に九郎は気付く。それどころかもしかして――その考えに九郎は顔を歪ませる。

 それが真実であれば、この目の前の男はエルピオスなどとは比べ物にならない程の下衆と言える。


「計画って……手前が仕組んでいやがったんか!  ベルの思い過ごしかと思ってたのに……」

「あの子賢いよねぇ~。それにすごく強情だ。目の前で好きな人が打ちのめされ、無様に命乞いをする様を見せたら流石に幻滅しちゃって、そんでもってお前が命の代わりにあの子達を差し出すって言ったら、もう絶望! この世の終わりみたくショックを受けちゃうじゃん? そんな時カッコ良く助けに来た俺にキュンとしちゃう予定だったのによぉ……」


 長々と説明を口にする雄一は、何処か陶酔したような表情を浮かべている。

 まるで壮大な計画を語るようにしゃべってはいるが、内容は頭が痛くなるような妄想だ。

 盛大な自作自演。チンピラ達を使いベルフラム達を攫って、その想い人を打ちのめす。

 それだけでなく、九郎が命惜しさに少女達を差し出すと雄一は考えていたようだ。

「心を折るのも楽じゃねえなっ!!」――九郎を痛めつけていた悪漢が言っていたセリフ。

 このセリフは雄一が悪漢を使って、九郎が自分の命惜しさにベルフラム達を差し出すよう、そうしむける事を指示されていた事に起因していたのだ。

 ――どれも自分を良く見せる為に――。

 ――そしてベルフラム達の心に絶望を与え、付け入る隙を作る為に――。


「妄想垂れ流してんじゃねえぞ! さっきまで下も垂れ流してたばっかだろうがっ!」


 九郎が怒りのままに言葉を吐き捨てる。

 ピンチを演出し、そのピンチに駆けつけて女性の心をつかもうとは、今時中学生でも計画しない様な考えの稚拙さだ。

 正に妄想――ご都合主義。自分の頭の中だけで生きていて、その妄想を現実にする為だけに人を害する。

 目の前の男は自分がその計画の協力者達の命を奪った事に、少しの痛痒も感じていない。

 まるで自身が神にでもなった気分なのか、悪事を告発している気すら無いようだ。

 だからこそ雄一がその後に見せた行動にも合点が行く。

 チンピラを雇い、衛視にまで手を回していた計画性と、初対面で食事に毒を盛った短慮。

 自分の立てた計画が上手く行かなかった事に、雄一は焦って自分で展開を滅茶苦茶にしてしまったのだ。

 まるで上手く行かない事に癇癪を起す子供の様に――。


「あ~……あれは快感だったわぁ~。思わず新たな扉を開くとこだったわぁ~。ケツの穴拭かせるって結構癖になっちまいそうだったわぁ~。この子達になぁ~?」


 九郎が侮蔑の瞳を向ける中、雄一は下衆なセリフを臆面も無く呟くと両手を開く。

 雄一の掌の下、腰ほどの高さに黒い穴が二つ現れる。

 九郎が目を瞠る中、その穴から小さな少女が二人現れる。

 どちらも白髪を肩で切りそろえた青い目をした少女達。

 美しい顔立ちながら、感情の籠っていない様な青い瞳に九郎は人形を想像する。

 透けたベビードールを身に纏い、胸も下も裸同然の格好の二人の少女。


「ペドに加えてスカトロまで手を伸ばすんじゃねえっ! どんだけ拗らしゃこんな変態が出来上がんだよっ!?」


 聞いてはいたが、目の前の少女にアレコレしている事に、九郎は盛大に忌避感を覚える。

 少女に情欲を覚える者の多いこの国の内情を知っても、いざ目の前にそれを見せられると動揺を隠せない。

 子供の裸などベルフラム達で見慣れた九郎であっても、男の欲望を体現したかのような格好の少女達に反吐がでそうだ。

 二人の白髪の少女が腰を探る素振りを見せる。

 少女達の手が再び姿を現すと、その手には匕首の様な刃物が握られている。


「この子達が俺のケツ拭く機会を与えてくれたお前にお礼がしたいってよ。トレス、カトロ、行け!!」

「「はいご主人様……」」


 雄一の言葉に、二人の少女がゆらりとその体を九郎に向かって倒す。


「幼女をけしかけて来るんじゃ……」


 九郎の言葉は最後まで紡がれる事は無かった。

 少女達の姿がぶれたと思った瞬間、九郎は喉元と脇腹を切り裂かれて膝を折る。

 九郎の体から勢いよく血が吹き出し、二人の少女の白い髪を赤黒く染める。


「幼女にられるおまゆう……な~んちゃって!?」


 瞬時にその身を翻した二人の少女は再び雄一の傍らに侍る。

 両膝を折り、天を仰ぐ形で硬直した九郎は、吹き上がる血潮の中少女達を睨む。


(はえええええ! 早すぎんだろっ!? クラヴィスどころかあの野盗のおっさんよりはええじゃねえかっ!? どうすんだよコレッ!?)


 最早目で追えるレベルでは無い。

 体が動いたと思った瞬間切り裂かれていたのだ。

 九郎の血潮で顔の半分を対照的に赤く濡らした二人の少女が、九郎の血に煩わしそうに顔を顰める。


(『運命の赤い糸スレッドオブフェイト』? いや駄目だっ! あのロリ諸共削り取っちまう! いくら敵だろうと子供は無理だっ! 俺には到底できそうにねえっ!! じゃあこのまま『再生』すっか? んなことしてもどうしょうもねえっ!!

 まず見えねえ! フッとしてヴァ―ンってなんだそれ? 意味わかんねえ! 感覚派野球コーチかっ!!)


 赤い粒子が漏れ出るのを、抑え込みながら九郎は考える。

 これだけ赤い粒子にお世話になっていると、そろそろ速度の調節位は出来るようになっている気がする。

 湖で亀の口に足を放り込んだ時以来、なんとなく出来るようになった気がしていたのだ。

 あの時は見る・・事すら出来ていた。


(そうだっ! あいつら俺の血たんまり被ってんだし、ちったあ効くかも知れん……モノは試しに……『昇天する心地セブンスヘブン――ドリーム』!!)


 九郎が念じた瞬間、少女達の顔を染めていた血が透き通った青白い液体に変わり、そのまま虚空へと消える。

 それと同時、二人の少女は糸の切れた人形の様にその場で崩れ落ちる。


「お前……今何をした……?」


 いきなり傍らにいた二人の少女が力なく倒れ伏した事に、雄一が慄く。

 今日初めて正面に向き直った雄一の顔は、何とも言えない場末の酔っ払いみたいな表情だ。


「知らねえな。手前のケツが余りに臭くて気絶したんじゃねえの? また漏れてんじゃね?」


 自分の思いついた手が、思いのほか上手く行ったことに安堵しながら九郎は立ち上がる。

昇天する心地セブンスヘブン』で自分の血を『クリスタル・バグ』の睡眠毒に『変質』させた瞬間から、既に体の『再生』は始まっていた。

 瞬く間に元通りの姿になった九郎に、雄一は訝し気な目で睨んで来る。

 しかし雄一の所作からはまだ余裕が見て取れる。逆に軽口を叩いている九郎の方は、いまだ突破策を思いつかない。

 対峙したまま九郎が頭を捻っていると、雄一が突如口元を吊り上げ歪な笑みを見せた。


「その傷……。ああ、分かったわ! お前結構頭使ってんジャ~ン? 『神の力ギフト』を隠す事が大事だって知ってんジャ~ン? あんなショボイ『神の力ギフト』なんてありえねえもんなぁ? でも俺様の観察力なめちゃいかんなぁ? いや~回復チートとはねぇ~。そりゃあなかなか死なないわなぁ~。当ててやろうか? お前の『神の力ギフト』。お前の『神の力ギフト』は『超回復』!! お? 当たりだろう? いやぁ~自分の頭の良さが怖くなっちゃうわ~。やっべ~わ~。つれえわ~」


 雄一のセリフに九郎が唇を噛む。

 雄一の予測は殆んど正解の様な物だ――最初に死神グレアモルからもらった『神の力ギフト』は正に『超回復』だった。

今の九郎の『神の力ギフト』、『フロウフシ』はその『超回復』を強力にした物だとグレアモルは言っていた。

 正に自分の切り札を知られて九郎は追い込まれる。


「余裕ぶってんけど、俺はしぶてえんだ! 手前みたいな犯罪者にやられるわきゃねえだろっ! 手前の仕出かした事、ばらまきまくってやんよ! 俺みたいに処刑台にあげられて泣きごと言うんじゃねえぞ!?」

「アホじゃ~ん。俺様がお前みたいな雑魚にやられる訳ね~ジャ~ン? じゃあ、あの世に行ったうちの元料理人によろしくね~」


 奥の手まで知られては、もう打つ手が無い。

 ならばこのまま泥仕合を繰り広げるしかないと、九郎は腹を括って雄一へと飛びかかる。

 自分は『不死』だ。どんな攻撃でも耐えられる。

 どんな怪物チートにも殺されない・・・・・

 勝ちは見えないが負けは無いのだ。

 握りしめた拳を振りかぶり、飛びかかった九郎に雄一が見下すような目を向ける。


「『超回復』なんて分かっちまえば雑魚なんだよ! 死ね!!」

「ぽんぽん、ぽんぽん人殺してんじゃねえぞっ! この下衆やろっゴバボッ!!」


 九郎の眼前が突如ぼやける。

 吐いた息が丸い泡となって立ち昇る。

 飛びかかった九郎の顔面を大きな水の塊が覆う。

 吐いた息が立ち昇り、吸ったつもりの空気が水となって肺に満ちる。

 いきなり地上で溺れた九郎が、顔に取りついた水を払おうと腕をかく。

 だが水の塊は九郎の腕を濡らすだけで、顔面から無くなる気配は全くない。


「ダメージなんて無くても人は死ぬんだよ! ば~か! ば~か! ぶぁ~か! ナナ、捨てとけ」


 もうこのまま行くかと考えて九郎が目の前を向いた瞬間、雄一は憎々しげに九郎をみやると再び黒い穴を呼び出す。

 泡で視界の歪む九郎の目の前に、長い黒髪の少女が両手に鉄扇を持って現れる。


「ガボッゴベグボッ……ガッ………!!!」


 また幼女かよっ!! ――九郎の言葉は声にはならなかった。

 黒髪の少女が鉄線を交差させると九郎の体がフワリと浮き上がる。

 そして切り離される九郎の四肢と、上空へ吹き飛ばされる九郎の体。

 髙く高く舞い上げられた九郎は、城壁の外へと落ちて行く。


「は~寒っ! 早く布団に帰りた~い。ベルフラムたんの肌は温かいんかなぁ~? 火属性キャラだしなぁ~……」


 ゆっくりと錯覚するほど大きな曲線を描いて、九郎の体が吹き飛ばされる。

 身震いして両手で自分の肩を抱いた雄一の耳に、何かの潰れる音と何かがひしゃげる音が遠く小さく届いていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る