第091話  『自由』


「お父様がお会いになって頂けるのですか?」


 ベルフラムは我が耳を疑うかのように声を出した。

 夕食時に再び現れた長男のアルベルトによって伝えられた言葉に、笑顔を装う事も忘れて身を乗り出す。

 まさか本当に3日の内に会う事が出来るとは思っていなかっただけに、拍子抜けした気持ちだ。

 逆に何か裏が有るのではとも思ってしまう。


「ああ、この後自室でお会いになると言っておられた……」


 アルベルトが微妙な表情で横を気にしながら答える。


「ところで……ナッシン卿とエルピオスはどうしたのか知っているか? 妹よ」


 同席している雄一とエルピオスの顔色が悪い。

 腹を押さえて何やら苦しそうに呻いている。


「さあ? 先程までナッシン様が秘境で手に入れたと言う、珍しい食材を使った料理の話をしておりましたが……なんでもその食材を今日の料理に使っていた様ですよ?知らない食材とは怖いものですわね……。それとも日にちが経ちすぎていたのでしょうか?」


 ベルフラムは心配そうな表情を装いながら涼しげに言いやる。

 知らない食材が怖い事は、ベルフラムも身を以って知っていただけに実感は籠っている。

 先程まで自慢げに語りながら料理を食べていた雄一達であったが、暫くしてから急に言葉数が少なくなり、今では顔を青くして一言もしゃべっていない。


「そ……そんな訳……ないじゃないかっふっ!! これはあ……の土の魔境で手に入れた珍しいキノコのスープでひょっ……滋養強壮にひひひひひひひっ!!!!」


 脂汗を流しながら雄一が反論していたが、全てを言い終わらない内に尻を押さえて蹲る。

 なにやら黄色い煙でもたち込めて来そうな様子に、思わずベルフラムは顔を顰める。


(自慢げにしてたと思ったら今度は食中り? そんなの見せられたら、毒を盛って無くても同じ食事を食べようとは思わないわね……)


「そ、それでは私は身支度を整えてまいりますね……。それではお兄様方、お先に失礼しますわ」

「あ、ああ……くれぐれも粗相の無いようにな……」


 ベルフラムはそう言いやるとそそくさと部屋を後にする。

 このまま食堂にいては、なんだか自分も臭くなってしまいそうな気がする。

 アルベルトの引きつった笑みを尻目に、廊下へと出たベルフラムは閉まって行く扉に背を向け歩き出す。

 扉の隙間から「ひあぅっっっっ!!!」と雄一の、何か取り返しのつかない事を仕出かしたような、そんな悲鳴が漏れる。


粗相・・の無いように…………ね…………)


 早くこの場から離れなければならないと、早足になりながらもベルフラムは少しだけ笑みをこぼす。

 少しだけ何だか溜飲が下がったような気がした。あれだけ無礼な振る舞いをしてきた雄一とエルピオスが、少しだけ憐れに思えるほどの醜態だ。

 その場を見たいとは思わなかったが……。


 後ろを振り返らなかったベルフラムは気付かなかった。

 後ろに続くレイアが何とも微妙で複雑な表情を浮かべていた事には――――。


☠ ☠ ☠


 レミウス城最上階。

 最も高い場所にある最も贅を凝らした部屋。

 置かれている調度品もひかれた絨毯もどれもこれもが超一級品の代物だ。

 この部屋がこの領地を治める領主の部屋、父親であるアルフラムの部屋だ。

 複雑な文様が描かれた白磁の壺。水晶を加工した煌びやかなシャンデリア。この地方では貴重な木材をふんだんに使い、さらには模様を金箔で彩られた豪華な机。

 しかしベルフラムにはそのどれもが目には映らない。

 ベルフラムの目は薄い天蓋越しに映る父親、アルフラムの影だけを見据えていた。


「体調が思わしくない中お会いになって頂いてありがとうございます……」


 ベッドの前に置かれた小さな椅子に腰かけたベルフラムが、悲しそうな表情で言いやる。

 いくらなんでも顔も見せてくれないとは思ってもみなかった。

 自分の事を只の道具だと見られていたとは思っていたが、これ程までに冷たい仕打ちを受ける事にショックを隠せずにいた。


(顔を見る気も無い……分かってはいたけれど……お父様にとって私はその程度の人間なのよね……)


 年に一度会うかどうかの娘の事など、欠片も価値を見ていない。

 そんな家庭であるからこそ、今自分がここにいるのだとベルフラムは気持ちを切り替える。

 冷たく冷え切ったこの環境から抜け出すために自分はここに来たのだ。

 この冷え切った環境に決別する為に自分はここにいるのだ。

 やっと手に入れた暖かなあの小さな屋敷かんきょうを守る為に―――。


「『大地喰いランドスウォーム』の討伐の際に少し体を痛めてな……。私もあのナッシン卿が現れなければどうなっていた事やら……。かの御仁は我が領にとって救世主よな」


 やっと口を開いたかと思えば、行方不明だった娘を気遣う言葉では無く、雄一を称える言葉。

 何か他に語る事など無い様な態度にベルフラムは再び顔を曇らせる。

 ずっと引っかかっていた事だが、雄一が自分の事を既に所有物の様に扱う様は、どうやら父親にも根回しをしていた事に関与していたようだ。


「何やら話がしたいとの事だったが……申してみよ」


 ベルフラムがどう答えようかと迷う内に、アルフラムは億劫そうに言いやる。

 抑揚の無い声色にベルフラムの顔が更に曇る。

 冷たい声――――。

 冷たい家庭に似つかわしい、感情の籠っていない声。

 一年以上顔を見ていない父親からの冷たい声に、ベルフラムの中で最後の繋がりの様な物も砕ける。


「今日はお父様に大事な話があります」


 少し震えた声でベルフラムが言葉を綴る。

 真剣な自分の声色にも父親の影は何の動揺も見せてはいない。

 目を見てくれれば、自分がどういう感情の果てに此処へと来たのかも少しは分かろう筈なのに……。

 目を見れば父親の感情の揺れも少しは分かったかもしれないのに……。

 朧気な記憶の中、自分と同じ色の目をした父の面影を思いだし、ベルフラムは拳を握る。


(分かっていた事じゃ無い! この人にとって私は単なる道具の一つ。その事をいまさら気に病む必要などないのよ! 私は自分で自分の居場所を守る為にここに来たんじゃないっ!!)


 崩れ落ちそうになる体を気力でねじ伏せる。

 自分は諦める為にこの場所に来たのでは無い。諦めない為に来たのだ。

 心安らげる場所を折角得たのに、引き離される事を拒んでいるからこそ、ここへと来ているのだ。

 自分にはもう守るべき者達も、守るべき環境もあるのだ。

 ベルフラムの髪がフワリと持ち上がる。体から漏れ出た魔力が熱となって舞い上がる。


(ちゃんと伝えるわよ……クロウ……)


 ベルフラムは胸元で両拳を握りしめて決意を秘めて前を向く。

 天蓋の布越しであろうとも、それを射抜かんばかりに目に力を込める。


「―――お父様、私はお父様に別れの挨拶を言いに参りました―――」


 静かに、それでいて力強い響きをもって、その言葉は部屋に響いた。


「どういう事だ?」


 ベルフラムの決意の言葉にもなんら心を動かされない声色でアルフラムが静かに言いやる。


「私は政治の道具として嫁ぐことを望みません。貴族にあるまじき我儘だとは分かっております。ですがこの願いが聞き届けられないのなら、家を出る事を覚悟しております。どうぞ私を放逐してください」


 拳を握りしめて言い放つベルフラムに、アルフラムは少しだけ悩む素振りをしたようだ。

 沈黙が部屋に訪れる。


「お父様っ!! 私は――――」

「分かった」


 私は本気です――そう言おうとしたベルフラムの言葉はアルフラムの簡潔な言葉で遮られる。


「え…………?」


 一瞬の間ベルフラムは呆けてしまった。

 今一体、何を言われたのか分からなかった。

 自分の耳が信じられない言葉を聞いた事を、頭が理解するのに時間がかかった。

 そんなベルフラムの耳に、信じられない言葉を補足する様にアルフラムの言葉が続く。


「次の公務が終わればお前に自由を与えよう」


 意外なほどあっさりと手の中に落ちて来た『自由』と言う言葉。

 望む事の出来ない物と頭の片隅でいつも思っていた。それだけを求めて何年も考え、それを得る為に何年も魔法の研鑽に努めていた。手の届かない物に手が届くよう必死に努力してきたつもりだ。

 諦めきれなかった自分の人生の『自由』。九郎を利用しようとしたり、自分が身分を捨ててまでして手に入れたかった『自由』。

 それが拍子抜けするほどあっさりと手に入ったのだ。


「本当……ですか……?」


 ベルフラムは思わず聞き返す。


「二度は言わぬ……」

「あ……ありがとうございます……」


 戸惑いがちに礼を述べて、ベルフラムは太股を抓る。

 抓られた痛みが、今ここで交わされた会話が夢でない事を証明している。


「ベルフラム様……どうでしたか? アルフラム様は何と?」

「え、えっと……。その……あの……許してもらえたわ……。次の公務が終わったら自由にしていいって……」


 扉の前で控えていたレイアが、部屋から出てきたベルフラムに問いかける。

 自分は今いったいどんな表情をしていたのだろうか。

 レイアの心配そうな顔に、ベルフラムは戸惑いがちに答える。

 自分で言葉にしても、まだ信じられない気持ちの方が大きい。


「レイア……夢じゃないわよね……。ちょっと抓ってみてもらっていいかしら?」


 ベルフラムがレイアの手を引き、自分の頬にいざなう。


「ぴっ?! そ、そんな……主君を害する事など……」


 面白い声を上げてレイアが誘われた手を引っ込める。


「いいからっ。お願いっ」

「わ……わかりましたっ!! し、失礼します」


 レイアが目を瞑って恐る恐る手を伸ばす。


「レイアっ! 襟を抓っていても分からないわ! ちゃんと、ここ! ほっぺ!」


 レイアの母ソーニャと同じ混乱の有様を見せたレイアに、苦笑しながらベルフラムは再度レイアの手を頬へといざなう。


「ぴゃっ!! も、申し訳ありません……。そ、それでは行きますっ……お覚悟をっ……」

「ん。覚悟したわ。どうぞっ」


 若干目が座ったレイアにベルフラムは頬を差し出す。

 レイアの細い指がベルフラムの頬に触れる。

 遠慮がちに力を込めて行ったレイアの指に、ベルフラムの瞳から流れた一筋の涙が伝う。


「レイア………痛いわっ……いたい……」

「す、すみませんっ! お許しくださいっベルフラム様っ!!」


 少しだけ赤く腫れた頬に手をやりながらベルフラムは涙顔で笑う。

 恐縮しているレイアに、痛みで泣いた訳では無いことを伝えるのは大変そうだと思う。

 やっと実感できたアルフラムの言葉を胸に、ベルフラムは扉に背を向け歩き出す。


(クロウやグリデンの言った通りね……こんなにあっさり片付いちゃうんだったら、もっと早くに言っておけば良かったわ……)


 一瞬そう思ったベルフラムは、思い浮かんだ考えを頭の外へと追い出す。

 きっと今の自分だからこそ手に入れられた言葉だ。

 自分が努力を重ね足掻いていたからこそ手に入った言葉だ。

 抗い続けたからこそ出会えた人と、出会えたからこそここまで来れたのだ。

 ベルフラムはそう思った。


☠ ☠ ☠


「んじゃあ、結局とりこし苦労って奴だったんか?」


 九郎は肩を竦めて安堵の吐息を吐き出す。


「ええ……2日後の始春祭の式典後には、ベルフラム様の身は自由となるそうです……」


 レイアが辺りを見渡しながら答える。


「それじゃあ、アレは必要無かったんか……おーい、クラヴィス!! 今潜ったばっかだけど一回戻って来てくれー」

「はーい」


 九郎が後ろの暗がりに向かって声をかけると、クラヴィスの返事が籠った音で返ってくる。


「あ、あの……何をしているんですか?」


 レイアが戸惑いがちに九郎に尋ねる。

 それを聞くなら、今自分がいる場所を尋ねた方が良かったのではと、朧気な不安がレイアの頭の中に過る。


 レイアは現在、城での九郎の隠れ場所に来ていた。

 厨房で雄一とエルピオスへの嫌がらせを仕込んだ九郎は、ベルフラムがアルフラムとの会話を終えた事をレイアから伝えられた。

 九郎が「それならアレどうすっかな……」と意味深な言葉を口にした時、レイアの心の中で芽吹いていた不安が次々と葉を広げ始めた。問い正した所、弱り顔の九郎が外を指さした。


 隠れ場所は、堂々と、それでいて目立たない場所にあった。

 高さはレイアであればぎりぎり頭が天井に着く程度の髙さしか無かったが、広さは 6畳ほどの部屋がなんと4つも作られていた。そう………作られていた・・・・・・のである。


(盲点とは言えますが……よく思いつきましたね……。そりゃあ、私も旅の途中でお世話になっていましたけど……)


 レイアは白い天井を見上げながら感嘆のため息を漏らす。

 九郎が隠れ場所に選んだ場所は――――雪の中だった……。

 城壁に積もった雪が冬の間に何度も落とされ、うず高く積み上がった残雪の中に九郎の隠れ場所は作られていた。

 雪深いレミウス城の城壁に積もった、積もれば天井さえ押しつぶす程の量の雪。

 当然雪が積もる度に兵士の手によって下に落とされ、積りに積もった雪は、春の訪れが間直に迫ったこの時期でも、膨大な量をそこに残していた。

 雪を溶かす事も、溶かした雪を再び固める事も可能な九郎は、塀の横に積み上げられた残雪に穴を掘る要領で広々とした隠れ家を作っていたのだ。

 隠れ場所を何処にするかを迷った九郎は、人様の家を無闇やたらと荒らす事を躊躇して、溶ければ無くなる雪の中に部屋を作ったのだった。


「戻りましたです。クロウ様」


 奥の方からクラヴィスが姿を現す。

 雪の中とはいえ押し固められ氷で補強された部屋の中は結構暖かであった。

 しかし姿を現したクラヴィスの格好はそれを差し引いてもとても寒々しい物だ。

 なにせ、下着姿なのだから。

 しかも顔や両手両足が黒く汚れている。


「ど、どうしたんですか? その格好は……」

「あ、レイアさん。穴掘ってたのです」


 両手足の泥を払いながらクラヴィスは答える。

 九郎の提案で危険が迫った時用に、塀の下に抜け穴を掘っていたと言う。

 クラヴィスが服が汚れるのは嫌だから下着姿なのだと説明してくる。

 それにしてもいくら風が吹かないとは言え、雪の中で裸同然の格好では風邪をひいてしまうのでは、とレイアが危惧する。


「クラヴィス、風邪ひかねえうちに風呂入っとけよ?」

「はいっ!!」

「!?!?」


 九郎の言葉にレイアが目を大きく見開く。

 部屋の奥、四つの部屋の入り口から3番目の部屋に水瓶が一つ置いてある。水を溜めておくものなので結構大きい。

 九郎は水瓶に腕を突っ込み、瞬く間に湯を沸かす。

 下着を脱ぎ去ったクラヴィスが嬉しそうにそこに飛び込む。


(なんで当然の様にお風呂作ってるんですかっ! 確かにクロウ様さえいれば何処でもお風呂ができるんですが!!!)

「ちゃんと温まっとけよー。寝る時はデンテと一緒にベルの布団に潜り込んどけ。俺はどこでも風邪ひかねえし心配スンナよ? んあ? どうしたレイア……。なんか怒ってねえか?」


 九郎が訝しんだ表情をする。


「いいえ! 怒ってません! 怒ってませんよ! 当然の様にお風呂を常備しているからとか、まるでご自宅の様に過ごしているのが羨ましいとか、全然! 全く思ってませんから!!」


 正直かなり羨ましかった。

 レイアの父グリデンの屋敷でも、レイアだけ風呂に入る事が出来なかったし、今やすっかり風呂の虜になっていたレイアが、目の前で蕩ける表情のクラヴィスを見て羨ましく思うのはしょうがないとも言えた。

 しかし大きな水瓶と言えど、クラヴィスの様な小さな子供だからこそ浸かれる大きさで、九郎が入れる大きさでは無い事からも、九郎が自分の為に作ったものでは無い事は明白で、それをやっかむのも何か違う気がした。


(分かってますよ……。クロウ様がクラヴィスさんが寒く無いようにお風呂を作った事くらい。でも……なんだか余りに自由奔放すぎて……)


 長年『自由』を追い求めてやっと手の届く場所まで来たのだと、涙を流したベルフラム。

 飄々としていて処刑の恐怖にも怯えず、自由奔放に動き回る目の前の男が、主君の想い人と思うと、なんだか居た堪れない気持ちに成って来る。


(それともクロウ様が余りにベルフラム様の追い求めていたものを持っていたから……)


 ベルフラムをベルフラムとして見てくれて、孤独からも家のしがらみからも死の淵からも救い出してくれて、地位を盾に揮われる理不尽な暴力や恥辱から体を張って守ってくれた人。そして憧れ、焦がれていた『自由』というものを体現しているかのような男。成程、考えてみれば惚れるのも仕方ないとも思える。

 それにレイア自身も自分さえ諦めた命を救われているのだから。

 全てを懸けて大事な物を守ると言う、憧れを体現しているのだから。


「レイアさんお風呂一緒にどうですか?」


 一瞬物思いに耽って俯いたレイアに、クラヴィスが声をかけてくる。


「え? いやっ……流石にちょっと大きさが……」

「そうだぞクラヴィス! レイアの背の高さだとおっぱい出ちまうだろっ! あんな凶悪なもん見ちまったら、この基地崩壊させちまう自信があんぞ! おらぁ!」

「おっぱいとか言わないでくださいっ! なんですかっ!? 凶悪とはっ!? 見た事あるんですかっ!?」

「いやっ……ちらっとだ! わざとじゃねえっ! わざとじゃねえんだっ! ほら、湖の時! ほんとに! ちらっとだけ! 先っちょだけ!!」

「それは一番見えちゃいけない所じゃないですかっ!!!」


 丁度その事を思い出していただけに、レイアも思わず顔を赤らめる。

 胸の下、自ら残した火傷の跡が熱を持つ。

 どうにも調子が狂ってしまう。

 主君の主と言う立場に居ながら、全く偉ぶらない九郎に対すると、どうにも素の自分が出てきてしまう。


「ほ、ほら! 今日の晩飯と明日の朝飯分、作っといたから! クラヴィスも体良く拭いとけよ? んじゃ、俺は明日の仕込みにいってくらぁ!!」

「クロウ様! 誤魔化さないでくださいっ! それにだんだん料理が凝ったモノになりすぎですっ! 私が作ったって思われないですよ、これじゃあ」


 レイアが渡された籠には九郎の炎で炙られて表面をパリッとさせたパンに、肉や野菜が挟まれている。

 その傍らには壺に入ったスープが白い湯気を立てている。ほんのりと玉蜀黍の匂いがレイアの鼻孔をくすぐる。


「そのへんは臨機応変に! んじゃ!!」


 逃げ出すように雪洞の基地を出て行く九郎に、レイアは一つため息を漏らす。


「臨機応変ってレイアさんの一番苦手な事ですのにね?」


 風呂から上がって体を拭きながらクラヴィスが呟く。

 レイアは苦渋の表情をクラヴィスへと向けた。


☠ ☠ ☠


「あ゛~……。おらぁどおして、ああうかつな事口走っちまうのかねぇ? おっぱいはねえよな、おっぱいは……。セクハラだっつーの。レイアの好感度が1下がった! ああ……」


 九郎は独り言ちりながら城壁の上を歩いていた。

「明日の仕込み」の為である。

 どうにも雄一やエルピオスがこのまま大人しくしている様には思えなかった。

 確証は無いが、教会の審判の時に見せたエルピオスの残虐な顔と、8人もの幼女を妻としていると聞いた雄一のロリコン具合にそこはかとなく嫌な予感がしていた。

 ベルフラムを始め、クラヴィスやデンテも子供らしい可愛さを十二分に持つ美少女達だ。

 この国の性思考がロリを超えペドへと向かっている事も合わさり、どうにかして行動を阻害しておかなければ安心できなかった。


「レイアの情報だとこの辺があの鬼畜兄貴の部屋か……」


 九郎は足元を見やりながら呟く。


「風邪でも引いて寝込んでなっ! 『冷たい手ウォームハート』!」


 九郎は足元に手を付きその手を冷気に『変質』させる。

 地味な嫌がらせである。


 九郎は部屋の上から冷気を巡らせ、部屋の温度を下げようとしていた。

 熱量を永遠と奪うことの出来る九郎だからこそできる、地味な嫌がらせである。

 隣接している部屋の人たちには申し訳ない気はしている。

 九郎の手のひらが接した御影石が白く表面に霜を纏う。

 徐々に広がる冷気。石造りのこの城なら、左程の時間も経たずに冷蔵庫へと変化するだろう。


「なんだったら扉も凍りついて出れなくなったら良いんだがな……」


 ぼやく九郎の背後から、ねっとりとした口調の男の声が聞こえた。


   「残~念! 俺は自由・・に出れるんだわぁ~」

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