第090話 保護者
「クラヴィスさんは最近危険を軽視しすぎますっ!!」
眼前にレイアの怒りの表情が浮かんでいる。
無事? に城への侵入を果たした九郎とクラヴィスだったが、現在は正座してレイアの小言を聞いていた。
レイアの怒りも尤もだと思える。
別段驚きの余り、腰を抜かしたことを誤魔化している訳では無い筈だ。
万が一そうであったとしても九郎に責める気持ちは無い。
薄暗い倉庫の中、樽の中からいきなり知り合いのぐったりとした青い顔が現れたら九郎でも悲鳴を上げる。
九郎が『不死』である事を知らないレイアから見れば、九郎達がとった城への潜入方法は、尤も危険でばれ易い方法だったのだから。
デンテが出した救難信号は、取りあえず何とかなったと聞かされて胸を撫で下ろした九郎達であったが、逆に心配をかける羽目になってしまって申し訳ない気分になる。
(
取りあえず心配していたベルフラムが大丈夫な事を聞き、何処か暢気な九郎だ。
運が良いも悪いも、普通だったら刺された時点で終了だとは露も思わない。
偶然樽を開けたのがレイアであった幸運を噛みしめている。
喉元過ぎればの精神で自分に降りかかった危機など直ぐに忘れる。
「大体何で平気だったんですか? 血も出て無いようですし、偶然隙間を通ったってのは理解しましたが……全く、どんな幸運なんです?」
幸運でも何でも無く、ガッツリしっかり刺さっていたが、その傷は今の九郎には残っていない。
レイアが見ている前で刺された事を知った九郎は、苦し紛れに偶然の奇跡を装っていた。
「! そうだ! クロウ様!!」
レイアの言葉に反省し項垂れていたクラヴィスが、弾かれたように九郎に飛びかかる。
頻りに鼻を鳴らし、九郎のシャツを捲り上げ顔を引っ付けるようにして九郎の体を調べ始める。
暗闇の中で、目を瞑り体を丸めていたクラヴィスだったが、樽に衝撃が響いた瞬間、クラヴィスの鼻に濃密な血の匂いが漂った事を思い出したのだ。
獣人であるクラヴィスが血の匂いを間違える筈が無い。
九郎はレイアや自分を心配させまいと、傷を隠しているに違いない。
そう思い至ったクラヴィスは、九郎を押し倒して慎重に体を調べる。
「おいっ! どうした急に!? ちょっ! 何だっ!? 大丈夫だっ! 大丈夫だって言っただろ!? や、やめろっ! コラッ! ズボンを脱がすんじゃねえっ!」
九郎の制止を振り払い、頻りに鼻を鳴らして血の匂いを探す。
クラヴィスの大好きな二人の主人は、どちらも優しくて強情で意地っ張りだ。
辛い事、痛い事、嫌な事を隠してしまう。
だから今も痛いのを我慢しているに違いないと、目と鼻をしきりに働かす。
「ごめんなさい……私……クロウ様の危険の事に頭が回って無かったです……」
しかし何故か九郎の体には傷一つ付いてはいなかった。
見慣れた太腿も、少し日に焼けた胸も、見た目以上に力強い腕にも傷一つ無かった。
焦ってしまっていて、そう錯覚しただけなのだろうか。
肩で荒い息を吐いている九郎を見上げながら、クラヴィスは安堵の吐息と共に謝罪を口にする。
頭に血が上っていたのは確かだった。
クラヴィスの動物的な勘が、九郎の危機を毛ほども伝えなかった事もあった。
しかし自分の感情のままに、主を危険に晒してしまった事は事実である。
「お、俺の事は良いんだよっ……! どっちかって言うと、今の光景の方が危険な気がしたぜ……」
突然少女にズボンを脱がされそうになった九郎が、焦燥しきった顔でため息を吐き出す。
成人男性の股間に顔を埋め、ズボンを脱がそうとしている少女の図は思った以上に強烈だった。
焦っている時のクラヴィスは犬の様な振る舞いを良くするが、傍から見たら危ないなんてものじゃない。命の危険では無く社会的な意味で。
「と、とにかくっ! 気を付けてくださいねっ! え、えぁぅ……とりあえず目立たないようにしないと……。クラヴィスさんはそのままでも大丈夫でしょうけど……クロウ様の格好は目立ちすぎます! 着替えを持って来ますので大人しく待ってて下さいっ!! あ、後、ベルフラム様にはどう伝えれば……」
目の前で繰り広げられた光景のヤバさをレイアも想像してしまったようで、怒りとは違った意味で顔を赤らめながら早口でいろいろ言っている。
(ダヨナー……。
心の中で嘆息しつつ、九郎は頭を掻いてレイアを見上げる。
「ベルには内緒にしててくんねえか?」
「「え??」」
危険を冒してまでして侵入してきたのに、本人に会いたがらない九郎の言葉にレイアとクラヴィスの驚きの声が重なる。ならどうして侵入して来たのかと、レイアの見開かれた目が言外にそう言っているのが九郎にも分かる。
「そんな!? ベルフラム様はクロウ様に会いたいと焦がれている筈です……」
レイアが言う。
クラヴィスもレイアに同意する様に激しく頷いている。
九郎は胡坐をかいて座りなおすと、弱り顔で所在無気に頭を掻きながら語り始めた。
「レイア達がどう思っているか分かんねえケド……俺はお前らの
ベルフラムに危険が迫っていると思って慌てて駆けつけてきたが、直近の危険が過ぎ去った事を聞き、自分に何が出来るのかと考えた時、九郎は自分の立ち位置を思い出していた。
「ベルは今自分の親と決別しようとしてんだろ? あいつが危ないってなら体張って守ってやるつもりだったんだが……。腹ペコ問題は何とかなりそうなんだろ?」
ここが敵地のど真ん中だと知って飛び込んできた九郎だったが、自分が出来る事、やれる事を考えた時に、このままベルフラムと合流しても、逆にベルフラムの負担になってしまうのではと思っていた。
不法侵入の現在の状況では、ベルフラムに付いて守る事も出来ず、逆に九郎の身を案じてベルフラムが、何も解決出来ないままに城を離れる選択肢をとらせてしまう事に成るかもしれない。
「家の事情がややこしいってのは、何となくだが理解してるつもりだ。でもこういう問題は本人がまず言いたい事言わなきゃ始まんねえ……。保護者きどっちゃいるが俺は傍から見たら赤の他人だしな。いくら
ベルフラムに親と話し合う様にと言ったのは九郎だ。望まぬ婚姻を結ばされそうになっているベルフラムが、家を出る覚悟を胸に父親と話し合う為に城へ戻った筈だ。
「それに今俺がベルと合流したって、俺にやってやれることが思い浮かばねえ。ベルの部屋で蹲ってる位しか出来る事がねえじゃねえか。なんせ不法侵入者だかんな? 逆に負担になっちまわぁ」
「そ、それは……」
レイアが口ごもる。
九郎は現在大手を振って出歩ける身では無い事を、レイアも気付いた様だ。
なら、毒見の為にベルフラムの食事に付き添う事も、自分たちと同じように警護することも儘ならない。
今の九郎は完全にお荷物だ。ベルフラムの行動の幅を狭める事しかならない。
体が小さくすばしっこいデンテでも屋根を伝って行動する事しか出来ていないのに、体の大きな九郎が隠密で行動できるとは思えない。
「食事の問題は俺が何とかしといてやんよ。
「では私もクロウ様と同様裏で動く事にします」
クラヴィスがスカートの裾を握って、そう言いやる。
元々デンテを送り込んだのも、ベルフラムに気付かれずに影から守るようにとの事だ。
ベルフラムに会いたい、話したい気持ちはあるが、自分の存在が負担に成る事はクラヴィスも気付いていた。
九郎とクラヴィスが出した決定に、レイアはどうしたら良いのかと眉を下げる。
確かに九郎達には隠れて行動してもらうしか無いのはレイアも分かっている。
ただこのまま九郎に任せて良いのかと言う、漠然とした不安が残っていた。
「その……大丈夫なんですよね?」
レイアは溜息を吐きながら最終的に折れることにした。
食料の問題は毒に強いと聞いている九郎が担当してくれるのはレイアにとってもありがたい。
隠密の出来そうにない九郎をこのままベルフラムの部屋へと連れて行っても、部屋の置物と化すしかなさそうなのは、間違い無いのだから。
九郎が自信ありげに頷く。
どこからその自信が出て来るのか分からなかったが、レイアはこれまでの危機を最終的には解決して来た九郎を信じる事にした。頼りなさげな九郎だが、結構頼りに成るとはレイアも感じていたから。
「分かりました。クロウ様の判断にお任せします。でも目立たないようにだけは気を付けて下さいね?」
心に擡げてくる不安を振り払うとレイアは九郎に頭を下げ、食料の詰まった籠を片手に倉庫を後にする。
「少し遠くから見守ってやんのが保護者ってやつだ。危なそうなことは事前に取り除いてな……」
閉まる扉の向こうで手を振る九郎のニヤリとした笑みに、レイアの心にまた新たな不安の種が元気よく芽吹いていた。
☠ ☠ ☠
目の前で繰り広げられる茶番の様な話題。
まるで三流の芝居を見ている気分に成って来る。
自分で謙遜しつつも褒めて欲しいと
思い通りの答えが返ってご満悦の表情をするのならば、いっそ最初から自慢していた方が話が早いのではとすら思う。
承認欲求――それは誰しもが持っている普通の感情だと言えるが、目の前の男は少々それが大きすぎる様に思えた。
(よく悪びれもせずにそんな歯の浮くセリフに喜べるわよね……)
ベルフラムとて褒めてもらいたい気持ちはあるが、誰彼構わず褒められるとどうにも裏を疑ってしまう。
領主の姫君として生きてきた環境からか、手放しに褒められるとどうにも気持ち悪い。
心にもない事を言われると直ぐにでも逃げ出したくなる。
褒めると言う行為に対する対価を求められている様な、言いようの無い不快感が伴う。
それはすなわち、自分を称賛する言葉では無く、何かを強請るような言葉に聞こえるからだ。
それでもベルフラムも褒められたい気持ちはある。誰彼では無く彼には。
「凄い」とか「素晴らしい」とかいう称賛の言葉で無くてもいい。ただ一言「頑張ったな」と言ってもらえただけで何だか自分が報われた様な、自分がそこにいた証を確認してもらったような気分になる。
人の目に映らなかった幽鬼のような自分が、肉体を持ってそこにいた実感が持てる。
(それにしてもなかなか新しい情報を溢さなくなってきたわね……。……その話はもう3回目よ!?)
繰り返される退屈な演目にベルフラムは溜息を漏らす。
それでも今日は笑顔で聞いていられるのは、やはり腹に少しでも食べ物を入れたからだろう。
目の前で豪勢な食べ物を旨そうに頬張る姿を見ても平静でいられる。
(戻ったら鼠も鳩もあるんだし、楽しみよね)
作った笑みの後ろで、本当の笑みを浮かべる。
きっと今頃デンテが残りの獲物も捌いているだろう。そう考えると油断してた腹の虫がクゥと小さく鳴く。
「おんやぁ~? ベルフラムちゃんお腹すいたの~? なんなら俺の昼飯食う~?」
雄一が食べていた料理をこれ見よがしに差し出して来る。
どういった心境で自分の喰いかけを寄こして来たのかと、ベルフラムは呆気に取られる。
ベルフラムだって九郎達と同じ皿の物を分け合い食べる。
しかしそこには信頼と親愛があるからこそ出来る行為だと思う。
決して初対面で毒を盛った雄一と同じ皿で物を食べる気には無れない。
「これすんごく旨いんだぜ~? 俺が苦労して手に入れたアデアル海産の魚! めっちゃバリうま!」
「折角ですけど、今料理を用意しているところですから……」
執拗に進めてくる雄一に、ベルフラムは作り笑顔を引くつかせながら断りを入れる。
料理を用意しているのは本当の事だ。部屋でデンテが待っている。
「まあ、そういわずにさぁ~。こっちの肉だって―――」
「!?」
しつこいわね――と眉を顰めそうになったベルフラムは驚愕した。
突然崩れ落ちるようにして雄一がテーブルに突っ伏したのだ。
(え? 何? 何? どういう事?)
テーブルを乗り出すようにした体勢のまま突っ伏していた雄一の口からイビキににた呼吸音が漏れ聞こえる。
ベルフラムが隣に控えていたレイアに目を向けると、レイアも何事かと目を見張っている。
食堂に沈黙が流れる。
「ど……どうなさいました? ナッシン様?」
いきなりテーブルに突っ伏して寝始めた雄一にベルフラムは困惑しながら声をかける。
そして何故自分が声を出すまで誰も喋らないのかと顔を上げる。何かの策略なのだろうか。
顔を上げ辺りを見渡したベルフラムは、思わず口に手をやり唖然とした表情を浮かべた。
テーブルに突っ伏して寝こけているのは雄一だけでは無かった。
雄一の妻たちも、エルピオスまでもが食事中だと言うのに寝こけていた。
(眠り薬を盛ろうとして自爆?)
目の前の光景にベルフラムは嘆息する。
先程雄一が執拗に料理を進めてきたのは、自分に毒を盛ろうとしていたのだろうか?
それを誤って自分達も食べてしまった結果が、目の前の光景なのだろうか?
(なんともお粗末な結果ね……。こっちが毒を警戒しているのは分かっていたでしょうに……)
呆れて物も言えないとベルフラムは嘆息する。
(これじゃあ情報を得るのは無理そうね……)
ベルフラムが椅子を引いて席を立とうとレイアに目を向ける。見上げたレイアは口元を押さえて立ちすくんでいる。
レイアの表情に訝しげな表情を浮かべ、ベルフラムが再び振り返ると、その顔が苦虫を噛み潰したかのように歪む。
「うえぇ…………」
ベルフラムの口から、少女に有るまじき呻き声が漏れる。
(また同じ毒を盛ろうとするなんて、ばっかじゃないの? しかも自分で自爆するなんて……)
呆けた表情で抱擁しあう雄一とエルピオスの姿に、げんなりとした顔を向けるベルフラム。
レイアも何やら思い出したのか、目の前でくねくねと抱き合う中年男性の姿に頬を引くつかせている。
雄一の妻達も、テーブルの下で椅子や机に抱きついているようだ。
がたごとと物音をたてて椅子が動いている。
「レイア……せっかくデンテが用意してくれている料理が不味くなりそうだわ……。さっさと部屋に戻りましょっ。」
ベルフラムの言葉にレイアが激しく同意を示した。
☠ ☠ ☠
(目立たないでって言ったじゃないですかっ!!!)
レイアが目頭を押さえ眉間に皺を寄せる。
「おいっ! 新入りっ! 芋洗っとけ!!」
「うぃ~っす!!」
「さっき頼んだトマトはどうした?」
「あっちに洗って用意してるっす!」
「こっちはあのナッシン様のお食事だ! 丁寧に盛り付けろよ!!」
「らじゃー!か しこまり~!」
目の前の光景に頭が痛く成って来る。
目立つことは控えて欲しいと言っていたのに……。
あろうことか九郎は厨房に混じって、さも当然の様に下働きに精をだしていた。
「何やってるんですか!? 何故やってるんですか!? どうしてやってるんですか!?」
「おおおおお落ち着けレイアっ! これにはのっぴきならない事情があってだな……」
食料倉庫でさてこれからどうしようかと考えていた九郎だったが、直ぐにその姿が見つかってしまった。
とっさに厨房の下働きを装った所、意外な事にその嘘が通じてしまったのだと言う。
城に勤める人の数は多く、その食事を賄う者の人数も多い。
九郎を見つけた者も、その全てを把握している訳では無かったようだ。
これ幸いと厨房に潜り込んだ九郎は、その偽りの身分を以て雄一に逆に毒を仕込むことに精を出していた。
ただ、九郎は死ぬような毒を仕込むつもりは無かった。
致死毒を盛られたと言うのに、九郎には雄一を毒殺するつもりは無かったのである。
余りにも毒物に慣れ過ぎていて、毒に対する忌避感が薄れていた事と、いくら下衆な所業をを企てたとは言え、同郷の日本人を殺す事を躊躇っていたからだ。
それでなくても人殺し自体九郎には出来そうにない事柄だった。
しかし雄一がベルフラム達に毒を盛った事も事実なので、死なない程度に毒を盛り返して行動を阻害し、ベルフラムの応援をしようと企んでいた。
「昼のアレはクロウ様の仕業だったんですか!?」
「おう、笑えただろ?」
ベルフラムが大いにゲンナリしていた事を伝えると九郎は片目を瞑って答える。
レイアは半眼で九郎の持っているスープ皿を見つめる。
雄一に供する食事と言われたスープに、しっかりと九郎の親指が浸かっている。
「大体なんでそんなに自然に溶け込めてるんですか?」
小声で話しながらレイアは辺りに視線を巡らせる。
レイアもメイドに似た格好を利用して、厨房に忍び込み保存食や調味料、その他鍋などを探しに来ていたのだが、まさか九郎が混じっているとは思わず盛大にズッこけそうになった所だ。
九郎を物陰に引き込んで小声で話している今でも、内心は怪しまれないかとドキドキしている。
「ああ、
ニカッと笑顔を向ける九郎にレイアが大きく溜息を吐く。
侵入スキルなど全く無かった九郎だが、人の輪に入って行くスキルは元来高かった。
物怖じしない性格と、人に嫌味を与えない整った顔立ち。そしてなにより醸し出される明るい雰囲気のおかげで、人の輪に溶け込む能力に秀でていた。
「フジキューって『ぬらりひょん』みたいよね」とは友達の誰かが言ったセリフだ。
「おい新入り! スープの用意は出来たかっ?」
「はい、ただいまー!」
隠すようにしてレイアにチーズを手渡していた九郎が弾かれるように顔を上げる。
その手に持ったスープの色は、先程よりも少し緑がかっていた……。
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