第089話  侵入者


「マジカー……」


 天井を見上げながら九郎が呟いた。

 何とは無しに伸ばした手をボンヤリと眺める。

 一度は納得したベルフラムの登城だったが、クラヴィスの大胆な行動を知り、途端に不安になって来た。

 今や自分の身を心配する必要のない九郎には、自分の周りの人の命が何よりも大切な物だ。

 家に帰るだけで命の危険など考えたくも無いが、ベルフラムの家庭の複雑さをまざまざと見せつけられた九郎は手放しに安心する事は出来ないでいた。


(ネグレクトの親に鬼畜の兄貴だもんな……。それにクラインさんなんか『命に代えましても』って言ってた……。なんで家に帰んのに命の心配しなきゃいけねーんだよっ!? 中世か!? 中世が悪いんか?! いや、確かに世界観は中世だけどよぉ……。もっとアットホームな世界だって良いじゃねえかよぉ……)


 考えなくても分かる。

 ただ自分が平和な日本に生まれただけで、元の世界も酷いものだと分かってはいる。

 戦争は無くなる気配が無いし、日本でも親が子供を殺すニュースなどいくらでもある。

 その逆だって沢山ある。

 肉親さえ殺す人間は沢山いるのだ。命の価値の低いこの世界では、それこそよくある話・・・・・なのだろう。

 自分のいた世界の、自分の周りだけが平和だっただけだと頭では分かっていた。


(ったくっ! なんでこんな殺伐とした世界なんだよっ! アレか!? 名探偵でもそこら中にいんのか?! コ〇ン君とか金〇一少年とか一杯いやがんのか!? 神様アイツラ言ってたじゃねえかよっ! 地球まで出張して魂集めてたんじゃねえのかよっ! どう考えても死にすぎだろっ!? 俺こっち来てからもう7人も死体見てんぞ?! グロ耐性なけりゃとっくにPTSDなってんよ! 俺も勘定に入れてたらあと10人分は追加できっぞ!? チクショウッ!)


 瞼を閉じても心の靄は晴れない。

 自分が行っても何もできはしない事は、自分が一番良く分かっている。

 自分は『不死』であっても『英雄』では無い。『英雄』を目指してはいるが、強大な力を退けられるほど強大な力を持ってはいない。

 只死なないだけで、自分は街中のチンピラにすら勝てない。

 打たれ強いだけの――ただの人間だ。


「糞っ!」


 九郎の口から思わず悪態が漏れる。

 他人の家庭事情に首を突っ込むのは、間違っていると思う。

 だが元の世界で子殺しのニュースを見る度に、胸の中に遣る瀬無さが広がるのは事実だ。

 自分が傍に居れば……他人だろうと誰だろうと、体を張ってでも止められたのではないか……。

 今一人の少女が親との決別を告げようとしている。それこそ本当に命を賭けて。

 他人だって体を張るくらいの気概はあるのだ。知っている少女なら躊躇する事は無い。

 ベルフラムはもはや他人では無い。短い間だったが家族の様に寝食を共にしてきた大事な存在だ。

 九郎は伸ばした手を握りしめる。

 何が出来るかでは無く何をやろうとするか。ならば答えは決まっている。


おらぁ男だかんな……。大事なもんは体を張ってでも守んなきゃ……な!」


 呟いたつもりの決意表明は思った以上に部屋に響いた。

 傍らのシーツがもぞりと動く。


ワリい……起こしちまったか?」

「……クロウ様……」


 シーツを捲り上げてクラヴィスが上目づかいで見つめてくる。

 妹を放り込んだ姉とて、不安は尽きないのだろう。

 ずっと塞ぎ込むように考え込んでは、眠りに落ち、何かに弾かれるようにしては目覚めていた。

 クラヴィスが躊躇なく妹を送り込んだという事は、それだけ嫌な予感がしていたからだ。

 その事に気付かないまでも、この少女が不安を募らせている事くらいは九郎にだって分かる。

 そしてこの少女がこれ程気にかけている事が、九郎の焦りにも繋がっている。

 クラヴィスは屋敷の誰より聡い事は、屋敷の誰もが知っている。

 その少女がこれ程気に病んでいるなら、確かな危機が迫っている事を意味する。

 九郎はクラヴィスの頭を撫で、眠るようにと促す。

 やることも、やれることもまだ沢山ある筈だ。

 頭が悪い訳では無い筈だが、九郎は自分が短絡的だとは自覚している。

 ならばこの賢い少女にも手伝ってもらわなければならない。

 8歳の少女を、これ程頼りに思うとは思わなかった。

 二人しかいない広々としたベッドに寝そべり、九郎は自嘲の笑みを溢す。


(ったく……あんだけ窮屈だったのに勝手なもんだよな……。自由に動かせる体が逆に窮屈になっちまった……)


 胸に感じる一人分の体温が、どうにも物足りなく感じてしまっている自分に苦笑するしかない。

 大家族の父親の心境はこんな感じなのだろうか。


「明日から忙しく成っからよ? 早く寝ちまえ。城に潜り込む手段を考えねえとな?」

「………………はいっ!!」


 ニヤリと笑った九郎に、クラヴィスは元気な返事を返してくれた。


☠ ☠ ☠


(マジカー……)


 暗闇の中九郎は思う。

 城への侵入経路を探っている時、既に思いつきはしていた。

 小説の主人公たちが建物に侵入する際の常套手段。いわばテンプレとも思える方法で自分も潜入を試みるとは思っていなかったが……。


(つーかぜってーこれ常識っしょ?! 誰でも思いつくもん、相手が思いつかない訳が無いって! なんで誰も指摘しねえんだ?)


 暗闇の中感じるのは腕の中に抱かれたクラヴィスの体温と、体全体に押し付けられる芋の形。

 ガタゴトと揺れる荷馬車の振動を感じながら九郎は自問自答する。


(いや、仕方ねえよ? 他に方法無かったかんな! クラヴィスなんかほっといたら門に特攻しそうな感じだったしよ? それよかマシだとは思うぜ、俺も……)


 九郎は今、小さく体を丸めて縮こまっているクラヴィスを体全体で包み込んでいた。芋が詰め込まれたの樽の中で。


(だってしゃーねーじゃん! クラヴィスが泣いてたんだからよ! 見えてるフラグの地雷原だって爆走してやんよ!)


 誰もが思いつく方法を、誰もが成功するとは端から考えてはいない。

 現在進行している潜入方法は、九郎は出来れば避けたかった方法なのだから。

 なのにその方法をあえて取っている事にも理由はある。


 ベルフラム達が城に入ってから2日目の夜中。

 遠くで聞こえる獣の遠吠えにクラヴィスが飛び起きたのが発端だった。

 窓を開け放ち頻りに遠吠えを返すクラヴィスは涙声で訴えた。


「デンテが泣いてる! クロウ様! ベルフラム様が!」


 要領を得ない言葉で泣きじゃくるクラヴィスに、九郎も只事で無いと焦りを覚える。

 普段冷静沈着なクラヴィスがここまで狼狽するとは、嫌な予感しかしない。

 あえて見えてる地雷原に突っ込む事など、クラヴィスを伴ってはしたくない。

 九郎一人なら鼻歌交じりに実行できる手段も、小さな少女を連れて出来る事では無い。


 安全そうな侵入方法は幾つか見繕っていた。


 グリデンに頼んで3日後に行われると言う、始春祭と言う式典に紛れ込む算段も付けていた。

 基本的に爵位を持つ者しか入れないレミウス城も、祭りの式典や晩餐会の時には多くの人を招き入れる。

 それこそ豪商だったり、有名な冒険者だったりと催しにより様々だが、そう言った市井の人々との交流も貴族にとって必要だからと日を決めて招き入れていると言う。

 少し日が開いてしまうのが不満だが、確実な方法と言えなくも無い。


 しかし、クラヴィスの言葉から予測するに、事態は急を要している。

 そして直ぐに取れる手段がこの方法しか無かったのだ。

 九郎一人だったら、何の憂いも無く危険に飛び込む事は出来る。

 しかし今のクラヴィスを置いて行けば、この大胆な少女がどんな手で侵入を試みるかは分かったものでは無い。

 それでなくても、クラヴィスはベルフラムの事に成ると自己を捨てるきらいがあると、レイアが溢していた。

 本当に特攻でもしたら目も当てられない。

 それならば自分が守り抜いて侵入する他無いと、芋に埋まって揺られているのだ。


(これ考えるまでも無く黒髭じゃん? 危機じゃん? 一発じゃん? まじで賭けにもなんねーよ? ぜってー俺ぶっすり逝く自信があんよ!)


 樽に詰まった自分が飛び出ない事を祈るしかない。

 とは言っても今の九郎は芋の樽に目一杯詰まっている。

 まさに何処を刺しても当たりの自信がある。


 だが、だからこそ九郎はこの方法を取ったとも言える。

 ベルフラムよりも更に小さなクラヴィスであれば、体の大きな九郎の胸にすっぽりと収まる。

 何処を刺しても自分に当たる自信があるからこそ、何処を刺されてもクラヴィスを守れる。


(つーかこれ、前にベル守る為に『大地喰いランドスウォーム』に喰われた時にやった事じゃ駄目だよな? 『再生』だったら血付いちまうもんな? あ~! しまった~! トマトの樽にしとけば良かった~! つか何で俺も躊躇なく芋の樽選んでんだよ!? フッ、なぜならそれは俺が今や巷で有名な、芋の『英雄』だから! ムスコ共々お茶の間話題を独占……ってやかましいわっ!!)


 昨日城への侵入経路を探っている時、九郎は自分が有名になっている事を初めて知った。

 その評判はどちらかというと道化師ピエロとしての評判だったが、2度の処刑を撥ね退けた九郎は、街の人々に好奇と嘲笑を持って迎え入れられた。

 一度目は芋料理の屋台を興し、二度目は公衆の面前での息子ジュニア観賞だったのだから、それも無理は無いと思えた。

 しかし散々全裸で過ごしてきた九郎の心は強靭だった。

 なにせこの世界に来てから服を着ていた時間の方が短い位なのだ。

 甘んじて笑われる事を受け入れる。

 変な性癖に目覚めた訳では無いと思いたい。


(まあ、こっちのトマトはなんか黄色い奴が主流みたいだしな……。結局同じ………お?)


 くだらない考えでお茶を濁していると、荷馬車が止まった気配と人の話し声が聞こえてきた。

 九郎は表情を引き締め、クラヴィスを抱く手に力を込める。

 ここからはおチャラケている場合では無い。

 全方位からクラヴィスを守り抜かなければならない。

 九郎の胸の中でクラヴィスも体を強張らせる。

 クラヴィスはこの潜入方法を賭けだと思っているのだろう。

 ランダムで検査され運が無ければ死ぬ。

 明らかに部の悪い賭けだと思うが、クラヴィスは九郎が考えてる以上に焦っていたのかも知れない。

 ちなみに九郎は賭けどころか100%刺されると思っている。

 こんなお約束の侵入方法で、無事に入れるとは欠片も思ってはいない。


(おう、遠慮はいらねえ! ブスッとひと思いにやってくんな! どっからでもかかって来やがれってんだ!! あ、出来ればトラウマうしろのあなは刺激しねえでくれっ!!!)


 揺られ過ぎて天地の感覚が無い九郎は、今自分の入っている樽が横か縦かも分からない。

 何処を刺されても良い覚悟はあったが、わざわざ空いている穴に刺される事は遠慮したい気分だ。


「……い! 今………入に参りました……だ」

「ご…労。怪しい者…手引き……して……ん………な?」


 ボソボソと漏れ聞こえる会話から、荷物を調べる者が近付いて来ているようだ。


(怪しい者ならここにゃいねえよ! ここにいるのはカッコ良い『英雄』様と働き者の可愛い娘だけだっ! 他当たってくんな!)


 ばれたらこの商人にも悪い事をしたなぁ……と思いながらジッと息を潜める。

 胸元のクラヴィスの耳が小刻みに忙しなく動いている。


「へ、へいっ! そりゃあもちろん……」


 荷馬車の中へと入って来たのか、商人の声がはっきりと聞こえる。


「ふん! 商人など金で直ぐに裏切るからな。宛てにならん……」


 続いて聞こえてきた若い男の声と金属を擦る音。

 そして続く、何かが何かに突き刺さる鈍い音。


(うん、知ってた。分かってましたよ、エエ……。予想通りだコンチクショウッ!!)


 見えなくても何が起こっているのかハッキリ分かる。

 逆に一々開けて確認しない事に安堵すら浮かべる。

 近づいて来る足音と突き刺す音に九郎は身を強張らせる。


「ああっ! 折角の商品が傷んでしめえますのに……」

「知らん! それより万が一侵入者でも隠れておれば私の方が罰せられるのだ! これは必要な処置だ!」


  ドスッ!!!


 若い男の声と同時に脇腹に焼けるような痛みが走る。

 暗闇の中で体に触れた鉄の刃の感触に、九郎は眼を瞑る。

 この角度ならクラヴィスに当たる事は無い。

 そんな安堵の気持ちと共に喉の奥に血の味が込み上がってくる。

 ゆっくりとあばら骨の隙間を通って、鉄の刃が肺を貫く。


(グフッ!!!)


 気管が血で満たされ、鉄の味が喉に詰まる。

 鉄の刃は肺を貫き心臓へと延びる。


(糞っ!! やっぱ刺されるのはまだ慣れて・・・ねえ! あんなに穴だらけになってたのに、やっぱいてえ……)


 愚痴を頭の中で呟きながら、九郎は『不死』の『修復』を体の内側で行う。

『修復』を刺さった直後に発動させれば、これ程の痛みを感じる事は無かっただろう。

 しかし同時に剣に伝わる「何かの内部を通った感触」も失われてしまう。

 ただでさえ『修復』の赤い粒子によって剣を削り取るのだ。

 刺した感触も伝えずに剣が無くなれば怪しまれてしまう。

 引き抜かれる鉄の感触に顔を歪めながら、九郎はゆっくりと剣を削り取っていく。


「ぬ!? 中で引っかかったのか? 折れやすいのがこの検査刃の悪い所だな……。まあ、もういい。人の入れそうな物は粗方調べ終えたしな! おい、行って良いぞ!」


 頭上の方から聞こえてくる男の声に、九郎はやっと強張った体を緩める。

 どうやら関門は突破出来た様だ。

 後は機を見て抜け出せば城への侵入を果たしたと言える。


(ミッション80%クリアだぜ! 残念だったな! この樽にバネ・・は仕掛けられてなかったんだよ!)


 頭の中で憎まれ口を叩きながら、九郎は笑みを浮かべる。


「騎士様……。喰いモンの中に刃が入ってちゃあ、我々が怒られますだ」


 その笑みは商人の言葉で凍りつく。


(まずいっ! そこまで考えて無かったっ!! 調べられたら一発アウトだ! どうする!? 蓋が開いた瞬間飛び出して襲い掛かるか!? 上手く行くのか!? てかこれ逆さにされたら不味くね? 蓋明けた瞬間男のケツが入ってたら不味くね? ならいっそ、思い切って樽をぶち破るか? 段ボールガ〇ダムコスプレみてーに! っておわわわわわわわ!!!)


 動揺して考えが纏まらない。

 蓋を開けられたら直ぐにでもバレテしまう。

 なにせ樽の中はみっちりと九郎が詰まっているのだ。

 気持ちばかりの芋で満たされてはいるが、樽イコール九郎と言っても差し支えない。

 混乱している状態の九郎に更なる試練が襲い掛かる。

 地面に降ろされた感覚の後、横倒しにされて転がされる。


(やべえっ! こりゃやべえっ! 早く脱出しねえと………おぇっぷ………)


 暗闇の中で三半規管を揺らされ搔き混ぜられて、もはや動く事も儘ならない。

 力を込めようにも力が入らない。

 ドラム式の洗濯機に入れられたような状態の中、九郎の目が回る。


(うっぷ……や…べぇ……)


 胃から込み上げる酸っぱい匂い。

 意識を手放さないよう堪えながらも、常に揺られて前後すら分からない。

 今の自分が止まっているのか、それすら不明な九郎の耳に乾いた音が聞こえる。

 動かなければ、動け体よと思うのに、思う様に体が反応してくれない。

 九郎の顔に細い指が触れる。

 絶対絶命の窮地に九郎の体が強張る。



「ぴぅっ!!!」


 そんな九郎の耳に、聞いた事の有る奇妙な声は響いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る