第088話 潜入者
「デンテ、ベルフラム様をお願い」
短く告げられた姉の言葉にデンテは黙って頷く。
これだけの言葉でもデンテには充分に理解出来た。
生れ落ちてから6年。
誰よりも傍に居た姉は、自分に対しては余り言葉数が多くは無い。
しかしそれで十二分に伝わる絆が二人の間にはあった。
デンテの記憶の中は、殆んどが姉のクラヴィスとの生活で占められていた。
物心ついた時には姉に守られて生活していた。
理不尽な暴力を奮う怖い顔の男から必死で自分を守ってくれていた。
部屋の隅や軒下で身を寄せ合い暖を取り、腐りかけた食べ物で腹を満たす。
そんな生活が2年ほど続いた。
怖い男が姿を消したと喜ぶ姉だったが、そこからの生活も楽しいものでは無かった。
ゴミ箱を漁り、人の情けに縋って食べ物を得る生活が始まった。
怖い男が居なくなったと言うのに、別の他人に蔑まれ殴られる事が多くなった。
姉に手を引かれ足を棒にして街を彷徨い歩く生活は3年続いた。
姉のクラヴィスはとても賢い少女だった。
わざと髪をぼさぼさにして耳を隠すようにしたり、尻尾もぼろきれを巻きつけて隠して出来るだけ蔑まれないように、ただの人族の子供に見えるようにと変装していた。
お金を乞うのではなく、食べ残しを乞う事で余り疎まれないようにと立ち回っていた。
時たま盗みを働く時も、決して財布を狙うのではなく、僅かばかりの食べ物を狙う事で街の盗賊達から目を付けられないようにしていた。
人の情けに縋る時も、服装、身振り、声色などいろいろな情報を元に、出来るだけ確率の良い客に声をかけていた。
それでも殴られ、蹴り飛ばされる事は日常茶飯事ではあったのだが……。
3年目の冬はとにかく過酷だった。
人々に余り余裕が無かった。
近辺で現れた強い魔物の所為で収穫が滞り、多くの村に被害が出た事が原因だとは知らなかったが、とにかく人々の財布に余裕が無かった。
雪が積もる街を彷徨う自分達もそろそろ限界かと思われた。
姉が引いてくれていた手の力が弱まっていた。
自分と言う荷物を抱えた姉が憐れに思えて、なんだかとても悲しくなったことを覚えている。
それでも姉はやはり賢く、そして強かった。
いつもの様に蹴り出され、それでも諦めずに食料を探し求めた。
姉の賢さを殊更実感したのは最後の夜だった。
デンテが飢えと暴力と言う世界から抜け出した最後の夜。
その二人はとても質素な食事をしていた。
デンテから見ればご馳走であっても、施しをくれる人の様な羽振りの良い物を食べてはいなかった。
平たいパン……この辺で一番安いであろう玉蜀黍の粉で作ったパンを旨そうに頬張る少女と、それを眺めながら満足そうに頷く若い男。
少女は立派な服を着ていたが、男の方は寒空の下シャツ一枚と自分とそう変わらない格好に思えた。
道端に出された椅子に腰かけ、木箱のテーブルで食事をしている事からも、店を追い出され粗雑に扱われていたように思えた。
そんな普段なら決して声をかけないであろう、裕福そうで無い二人に声をかけた姉をデンテは誇りに思っていた。
姉はどうして二人に声をかけようと思ったのだろうか。
追い詰められてがむしゃらに声をかけただけだったのだろうか。
命の終焉を見据えて最後の賭けに出ただけだったのだろうか。
とにかく姉は賭けに勝ったのは確かだった。
自分たちの食べている物全てを押し出された時には、流石の姉も困惑した表情だったが……。
その日からデンテとクラヴィスの飢えと暴力の日々から解放された。
只の孤児、浮浪児であったデンテ達を家臣に迎え入れてくれた赤髪の少女ベルフラムは、貴族のようだったが決して裕福では無かった。
だが彼女はとても強く、逞しく、そして何より優しかった。
自分達を人として扱ってくれ、何より慈愛に満ちた腕で抱かれる事が何より新鮮だった。
裕福では無いベルフラム達であったが飢えから解放されたのは、ベルフラムの考えを聞いたからだった。
彼女は目の前に広がる全てを食料と見ていた。
道端に生えている雑草も、部屋の隅に蠢く小動物も、昆虫、木の実、木の根さえも彼女から見れば『食べられるかもしれない』食料だった。
それから世界が見違えたように豊かに見えた。
今迄気にも留めなかったものが、実は美味しいと知った時は衝撃だった。
そしてデンテは狩りを覚えた。
もともと有った獣人の身体能力と、潜み隠れる生活で培われた気配を消す特技は狩りをするにはうってつけの能力だった。
寒空の下震えて慈悲を乞う少女はいなくなり、自身の力で食料を得ることの出来る狩人が誕生した。
獣であれば立派に独り立ちできる成長を成し得たクラヴィスとデンテであったが、二人の元を離れる気は全く無かった。考えもしなかったと言って良い。
姉のクラヴィスは凄惨な生活から救い上げてくれた九郎とベルフラムに多大な恩を感じ、デンテは二人に、得られなかった父性や母性を見出した。
どちらも言わずとも一生付き従う気構えであった。
そして姉とは語らずとも一致するもう一つの気構えがあった。
――返せるものを何も持たない自分たちが唯一返せるもの、自分たちの命はこの二人の為に使おう――
確認しなくても分かる二人の認識は、危機ともなれば言葉を交わさなくても通じ合う。
ベルフラムの危機に、九郎の危機に、デンテは姉の一言だけで十全にすべきことを理解した。
今回もそうだった。
城へ行くと言ったベルフラムからは隠そうとする不安が見て取れた。
付いて行きたかったが、身分と言うデンテの知らない事柄で同行を許されない。
その事を悟った姉はすぐさま別の方法を考え付いた。
衣装箱に服を詰めながら姉が言った「ベルフラム様をお願い」の言葉で、デンテはそれを理解した。
衣装箱に潜り込み影ながらベルフラムを守れ。
自分が付いていけないのならお前が行くべきだと姉は言っている。
デンテは姉が薄情とは欠片も思ってはいない。
姉のクラヴィスはデンテと同じく自分の命をベルフラムの為に使うと決めている。
そして言わなくてもデンテが同じ気持ちを抱いている事も知っているだろう。
主人を守ろうと動く時の姉の言葉は殊更簡潔だ。
そこに自分の命も妹であるデンテの命も躊躇いなく投げ入れる。
自分が近ければ自分が盾になるし、妹が近ければ妹を差し出す。
そしてその事に躊躇わない姉をデンテも誇りに思っていた。
3日分の保存食と共に箱に詰められたデンテは、少し優越感をもって任務にあたる。
多くの事が出来る賢い姉は、大体の事を自分一人で片付けてしまう。
そんな姉が自分に託した任務は、自分にしかできない事だと感じて。
気付かれないよう衣装箱を抜け出たデンテはまずベッドの下へと潜り込む。
主の寝床は一番に確認しないといけない事柄だ。
怪しそうな物、嫌な臭いのする物は取りあえず壊して捨てておく。
ベッドのシーツ中で奇妙な生物も発見した。
目玉だけの蝙蝠の様な生物はじっと動かず足元の方から枕元の方を睨んでいた。
後ろから近付いて叩きのめす。
虫よりも弱かった事が幸運だった。
食べれるか確認したかったが、見た事の無い食べ物は一度九郎の許可を得ないと食べられないので、残念ながら暖炉の火にくべて燃やしてしまった。
そうこうしている内にベルフラム達が再び部屋に戻ってくる。
急いでベッドの下に身を隠す。
どうやら嫌な事があったらしい、しきりに怒りを表しながら早々と就寝の支度をしている。
衣装箱を開けたベルフラムが驚きの声を出し、床に散らばったデンテの保存食に歓喜の表情を浮かべている。
一緒に連れてきた老人の男の戸惑う声と、レイアの姉を称賛する声。ベルフラムの感嘆の言葉を、誇らしく思いながらデンテは成り行きを見つめる。
どうやら主人はお腹が空いていたらしい。
嬉しそうな顔で鼠を分けるベルフラムの顔を見れたのなら、鼠の肉も惜しくは無い。ただ老人にも分け与えた事には釈然としない思いが有ったが……。
だが自分は狩人だ。
食料は狩れば良い。
次の日ベルフラムは朝から晩まで動き通しだった。
顔を見られるわけには行かないので、残念だが昼間の警護はレイアと老人に任せる事にする。
レイアはいまいち頼りないが、それでも姉が凄いというのだから凄いのだろう。
デンテは出来る事をしなければと、行動範囲を広げる。
屋根伝いに外に出ると見たことも無い高さと景色に目が眩む。
同時に彼方まで見通せる程の高さは味わった事の無い爽快感を与えてくれた。
少し調子に乗って駆け回ってしまったが、途中で動きの遅い鳥を捕まえたので良しとした。
屋敷の周りにいた個体よりも太っていて食いでが有りそうで笑みが零れる。あと涎も。
お腹が一杯に成った事で、ちょっとだけ調子に乗り過ぎて、一人の老人に姿を見られた。
この大きな山? の天辺に住んでいるのだから多分偉い人なのだろう。
どこか
目が合ったと言うのに自分の事など気が付かない様子で外を眺めていた。
青い目が少し怖くて逃げ出した。感情の籠って無い目は怖い。
部屋に戻るとこの前の怖い男がいた。
怖いので隠れる。
男はなにやらぶつぶつ呟きながら手元に浮かんだ黒い穴から、最初の日に見た目玉だけの蝙蝠を取り出し、再びベルフラムのベッドともう一匹、部屋の壺の中に入れた。
何やら嫌な気がしたので、男が部屋を出たら直ぐに潰して捨てた。
そうこうしている内にベルフラムが部屋に戻って来た。
少しよろめいていて心配になる。
ベルフラムが寝静まった後は自分の仕事だ。ベッドの下で目を光らせて動く物が無いか見張る。
少しだけ寂しくなってシーツに潜り込みベルフラムと肌を寄せる。
やはりベルフラムは柔らかくて気持ちいい。九郎は温かいが少し硬いと思う。どちらも好きではあるが。
だがそんな安堵の時間は直ぐに終わりを告げた。
ベルフラムの体がおかしい事にデンテは直ぐに気が付いた。
微睡みの中で抱きしめてくれる腕に力が無い。
肌を寄せる事で響いてくる腹の虫にデンテはベルフラムの置かれている状況を把握する。
(ベルフラムしゃま、お腹しゅいてるっ!!!)
飢えは怖い。
デンテには一番身近な恐怖の象徴でもある。
夏の間に溢れていた孤児や浮浪児達は、冬になると飢えと寒さでバタバタと死んでいった。
獣人故に、賢い姉がいたから、なんとか生き延びる事が出来たが、死はいつも間直に迫っていた。
昨日ゴミを漁っていた浮浪児が次の日には冷たくなっている。
そんな光景は日常茶飯事だったデンテはパニックになって外に飛び出す。
―――早く食料を取って来なければ―――
その思いだけで夜の城を駆け巡る。
余りに焦ってしまったが為に、大声で泣いてしまった事も気が付かなかった。
とにかく早く食べ物を取って来なければベルフラムが死んでしまう。
その思いだけで城中を駆け巡り食料を集める。
そして夜通し掻き集めた食料を持って待ち構えていたら、ベルフラムが力を無くして倒れそうになったのだ。
隠れて見守る任務など、とうに忘れてしまっていた。
☠ ☠ ☠
「だから……デンテは叱られてもいいから……ベルフラムしゃまは死んじゃ
再び泣き出したデンテをベルフラムは優しく抱きしめる。
皆が皆自分を想って守ろうとしてくれている事に、歯がゆさと暖かな気持ちが込み上げてくる。
「叱らないわよ……。叱れる訳無いじゃない……。だって……デンテも私の事心配してくれて……うぇええ」
思わずもらい泣きしてしまったベルフラムの後ろで、レイアとクラインも自分の覚悟の無さを噛みしめていた。
覚悟が足りなかった。
死を賭す覚悟はとうに出来ていたのに、手を汚す覚悟が出来ていなかった自分を恥じる。
食料が無いのなら盗めば良かったのだ。
毒の脅威が有るなら、厨房に忍び込むなり料理人を脅すなり、食料を得る方法は幾らでもあった筈だ。
それをも警戒するのならそれこそデンテの様に、生きている物を捕まえれば良かっただけなのだ。
騎士爵に生まれ、盗みなど思いも付かなかったが、ベルフラムの為に出来る事をもっと考えなければならなかった。
「っぐ……ひっ……ベルフラムしゃまは泣かないで早くたべりゅの~……」
泣きながらもデンテは抱きつき泣くベルフラムを引きずり、取って来たばかりの食料へと誘う。
スンスンと鼻を鳴らしているベルフラムの前で、鳩の腹に咬みつき足を千切る。
羽も毟らず差し出された足に、ベルフラムは少し戸惑いがちに口を付けて小さく齧る。
「ん……美味しいわ。ありがとう、デンテ……。でも生で食べちゃ、お腹壊しちゃうわ。後は焼いて食べましょう?」
ベルフラムの小さな笑みに、デンテは慌てて残りの獲物を掻き集めて暖炉に放り込もうとする。隠された尻尾がスカートの下でわっさわっさと振られている。
慌ててレイアが声を出す。
「デ、デンテさん! 解体しましょう! 解体! お爺様! 解体お願いします! 私はもっと食料を探してきます! ベルフラム様! 先に食べててください! 私はさっき結構食べましたのでまだ大丈夫です! 本当です! では行ってきます!」
解体と言われて戸惑う祖父を尻目に、レイアは部屋を飛び出す。
自分にも出来る事を探さなければならないと、何かに突き動かされるように足が動いていた。
全ての事からベルフラムを守ると自身に誓った、もう一人の少女は足早に部屋を後にした。
☠ ☠ ☠
(クラヴィスさんもやる事が大胆過ぎますっ!)
廊下を早足で歩くレイアの表情は、傍から見たらとても奇妙な物だっただろう。
怒っている様な笑っている様な、そんな奇妙な表情はレイアの複雑な胸の心境から出ていた。
妹を躊躇なくあの短時間で荷物に紛れさせて城へと送り込んだ、レイアの尊敬する同僚の行動力に、称賛の気持ちと呆れる気持ちがあった。
(大体デンテさんもデンテさんです! 見つかったら最悪死ぬんですよ? 私達が知らない所でっ!)
その考えに思い至り今度は顔を青くする。
自分たちの目の前ならベルフラムの計らいで何とか出来るかもしれないが、もし誰も知らない場所で見咎められたらと思うと背中に嫌な汗が噴き出てくる。
幸い小さな衣装箱だった事と、ベルフラムの持ち物であった事。そして女性の下着を確認する事を躊躇されたから無事でいられたに過ぎない。
大概の荷物はちゃんと検査される。
流石のクラヴィスもそこまで計算していた訳では無いだろう。
「おーい! 今日の搬入に参りましたですだ」
「ご苦労。怪しい者の手引きなどしとらんだろうな?」
厨房を探していたのに何故だか裏門に来ていたようだ。
城に入った事の無いレイアは、城の内部を良く知らない。
勢いで飛び出して来た事を少し反省しなくてはならない。
「へ、へいっ! そりゃあもちろん……」
しかしレイアは今の自分の幸運に感謝を捧げる。
いつの間にか来ていた裏門だったが、どうやら丁度食料品の搬入を行っているようだ。
気付かれずについて行けば食料庫も厨房も分かるだろう。
上手くすれば誰も気付かぬ内に、食料を掠め取る事が出来るやもしれない。
そんな期待を胸に、レイアは商人と騎士のやり取りを眺める。
「ふん! 商人など金で直ぐに裏切るからな。宛てにならん……」
若い騎士が荷馬車に乗った荷物を見ながら忌々しげに言いやると、細く長い針の様な物を取り出す。
レイアの使う
若い騎士は荷馬車に積まれた樽や袋に遠慮なく剣を突き立てて行く。
鎧の隙間を突く為の剣である
「ああっ! 折角の商品が傷んでしめえますのに……」
「知らん! それより万が一侵入者でも隠れておれば私の方が罰せられるのだ! これは必要な処置だ!」
(ほら~! デンテさん危なかったんですよっ!? クラヴィスさんもベルフラム様から叱ってもらわないとっ!!)
無慈悲に突き立てられる刃の鋭さに、レイアの胸がキュウッと痛くなる。
もしあの中にデンテが入っていたかと思うと、居ても立っても居られない。
剣が商品に突き立てられる度に、搬入者の商人同様目を覆い瞼を閉じる。
「ぬ!? 中で引っかかったのか? 折れやすいのがこの検査刃の悪い所だな……。まあ、もういい。人の入れそうな物は粗方調べ終えたしな! おい、行って良いぞ!」
一際大きな樽に刃を突き立てた若い騎士が、眉を顰めて剣を引き抜く。
もし中身がワインだったら零れて来ただろう大きさの穴。
ワインで無いのにワインが出てきたらそれは中に人がいた証明だ。
嫌な事を想像してレイアはまたもや目を瞑る。
しかし薄目で確認すると若い騎士は剣を忌々しげに見ているだけだ。
騎士が引き抜いた
中で引っかかり折れたのだろう。
「騎士様……。喰いモンの中に刃が入ってちゃあ、我々が怒られますだ」
商人が困り顔で頭を掻く。
騎士の所為だと分かっていても、刃を食べ物の中に仕込んだと思われたら商売は立ち行かなくなる。
城に搬入するとなると大店の商人だろうし、ささいな言いがかりも付けられる訳には行かないと説明している。
「五月蠅い奴だ……。仕方ない、おい! そこのメイド!」
「ぴっ! わ、私ですか?」
必死に訴えかけられていた若い騎士が、突然レイアに声をかける。
すっかり身を乗り出して観察していたようだ。
レイアは自分がメイドに似た姿をしている事も忘れて、驚き顔で自分を指さす。
「お前以外に誰がいると言うのだ? 新人か? 見ない顔だな……。この樽を食料庫まで運んで、中の刃を取り出しておけ!」
レイアに近づき訝しんだ表情をした若い騎士は、ジロジロとレイアを眺め後ろの大きな樽を親指で指さす。
「わ、分かりましたっ! あ、あの……食料庫はどちらに……?」
どうやら今日はとても運が良いらしい。
若い騎士は自分をこの城のメイドと勘違いしているようだ。
ならばチャンスとばかりにレイアは困り顔で騎士に尋ねる。
「なんだ本当に新人だったのか。ここを出て直ぐ右の突き当りだ」
「か、畏まりましたっ! うっ、くぅ……重い……」
レイアの美貌に少し相貌を崩し、若い騎士は態度を軟化させる。
そんな男の心の機微など全く気付かず、レイアは急いで樽に駆け寄る。
一抱え以上ある大きな樽は、中に目一杯食料が詰められているのだろう。
自分の腕力では持ち上がりそうにない。デンテなら持ち運べるのではと考えると、 少々気落ちしてしまうのは止む終えない。
「持ち上げずに転がして行けばいいだろう。それとも運んでもらうか?」
「い、いえっ! 大丈夫です! 混ざってしまったら分からなくなってしまいますからっ!」
若い騎士は優しい声色で肩を竦め、手伝う素振りを見せる。
慌ててレイアは頭を振る。折角堂々と食料庫に忍び込めるチャンスなのだ。
商人と共に行っては変な邪魔が入るかもしれない。
普段の自分ならそこまで考えつかないであろうが、デンテとクラヴィスに触発された今日のレイアはとても冴えていた。
「それもそうか。おいっ! 残りを運び込んでおけっ!!」
なんとか樽を降ろし転がし始めたレイアに、若い騎士は苦笑すると商人に短い指示を出して守衛室に戻って行った。
それに手を振り見送るレイアはとてもにこやかだ。
ここまで自分の思い通りに事が進んだことは、今迄一度も無かったのではと思えるほどだ。
(んふふ~♪ 私もやれば出来るんですっ! これで食料ゲットです! ベルフラム様褒めて下さると良いんですけど……)
鼻歌でも歌い出しそうなほどご満悦の表情で、レイアは樽を転がしていく。
搬入の終えた商人とすれ違い笑顔で手を振る。
扉が開いたままの食料庫を見つけ、樽を中に転がし入れると周囲を見渡しゆっくりと扉を閉める。
(中身は何でしょうかね? 塩漬け肉や果物だと嬉しいんですが……。誰も見ていませんよね?)
薄暗い倉庫の中レイアは期待に胸を膨らませる。
一瞬蜂が詰まっている事を期待してしまって、レイアは慌てて頭を振る。
ここのところは実家で食事をしていて、やっと
屋敷での食事に抵抗が無くなって来たとは言え、レイアは立派な騎士爵の令嬢だ。
好物を思い浮かべて蜂を想像するなど、乙女としてもどうかと思う。
大体旨いから駄目なのだ。九郎の料理はどれもこれも想像するよりずっと美味しい。
味もさることながら、小さなところに食べる者への気遣いがあって、その事がより食べる者への感動を与える。
最近ちょっと虫も良いかなーと思い始めている自分が何だか負けた気がする。
レイアは小さな敗北を振り払うと、周囲をもう一度注意深く観察して、勢いよく樽の上蓋を肘で叩き割る。
「はっ!」
(なんだ……ジャガイモですか……。しかしジャガイモもベルフラム様のお好きな食べ物でしたし、これも良いでしょう! 急いで持って行きましょう!)
軽い音を立てて割られた上蓋を外すと中から大量のジャガイモが出てきた。
最近夜通し刻んだ懐かしい形。
刻むのが楽しくなって、夜が明けるのも気付かなかった懐かしの芋。
期待していたものと違って少し落胆したが、ベルフラムの言葉を思いだし気を取り直す。
大体ベルフラムは何でも美味しそうに食べてくれる。
レイアの作った
ベルフラムの笑顔を想像して相貌を崩したレイアは、その顔を求めて急いで行動を開始する。
近場に転がっていた籠にどんどん芋を放り込んで行く。
出来れば他の食材も多少はあった方が良いだろう。
鍋も何処かで拝借して来なければ――と頭を働かせながら芋を取り出す。
手を入れては取り出す作業を繰り返していたレイアの指に、柔らかい感触が伝わる。
(腐っていたものが入ってたのでしょうか? 城の御用商人もあまり大したものではありませんね……)
指の感触に眉を顰めてレイアは樽を覗き込む。
「ぴぅっ!!!」
暗がりの倉庫の中、短く奇妙な鳴き声でレイアが鳴いた。
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