第087話  自発的強制ダイエット


 広い部屋、豪奢な調度品が置かれ、大きな天蓋付きのベッドが一つ。

 レースをふんだんに使ったこれまた豪華なカーテンから光が差し込んで来る。

 朝焼けの柔らかい光が、レースの細かな模様の影を作る。

 光に目を細めながらベルフラムは瞼を擦る。

 大きなベッドに一人、ポツンと取り残された寂寥感が身を包む。

 瞼にはうっすらと隈が出来ているのが、見なくても分かる気がする。

 ずっと一人で眠っていたのに、一度人の温もりを覚えてしまったが為に今は一人きりが凄く寂しい。

 昨夜微睡む中で微かに感じた温もりが嘘の様だ。夢の中でさえ温もりを欲していたからだろうか。


(そんなんじゃ駄目よ! ベル! 私がしっかりしなきゃ!)


 涙が滲みそうになるのを堪えると、気付けとばかりに両頬をパシンと叩く。

 男物のシャツがシーツから引っ張り出されて、はらりと胸元に落ちる。

 どれだけ抱きしめていたのだろう。皺くちゃになったシャツをもう一度胸元に抱き顔を埋める。

 衣装箱にわざわざ九郎のシャツまで詰め込んだクラヴィスに、何だか見透かされている気がして気恥ずかしく成って来る。しかし、これがあったからまだ眠れているのは確かなのだ。

 このシャツが有るからこそ自分がまだ挫けないでいられるのだ。

 顔を埋めて大きく息を吸い込む。


「……クロウってホントに匂いがしないのよね……」


 どこか変態的な行為をしている気がして、少し顔を赤らめながらベルフラムは呟く。

 それに返事をするようにクゥと腹が鳴る。

 眉を下げ自分の腹に軽く手をやり、身を起こす。


「まだ2日じゃないっ! しっかりしなさい!」


 自分の腹に語りかけるのも何だか変だが、それに返事をするかのようにもう一度腹が鳴る。

 自分の身体が抗議している。食べ物を寄こせと。


「前の時よりマシでしょう? もうちょっとがんばってよぉ……」


 頼み込むようにそう言うと、もう一度抗議の声が返ってきた。


 ベルフラムが城に入って3日目。

 父親には未だに会えていない。


 何度取次ぎを願っても従者に遮られ会う事が出来ないでいた。

 3日の内にと書かれていたのに、今日も会える気配は感じられない。


 ――そしてベルフラムはこの2日間、殆んど何も口にしていなかった――――。


☠ ☠ ☠


「ベルフラム様おはようございます」


 着替える物音で察したのか、レイアが2度形ばかりのノックをして部屋へと入って来る。

 一度城の中に入ってしまえば関係ないとばかりに、レイアの姿はいつもの様なメイドに近い格好だ。ドレスの姿では動きにくいと、早々と着替えてしまっている。

 そのレイアの顔にも憔悴の色が見える。

 レイアとクラインはこの部屋の隣に詰めて、交代で部屋の番をしてくれていた。

 自分の家でもあるのに、警戒が過ぎるとは思ってはいない。

 何事にも理由があるのだ。


「おはよう、レイア。さっそくで悪いのだけど、水を貰えないかしら」


 ベルフラムの言葉にレイアは部屋に置いてあった水差しを手に取り、魔法で水を満たしていく。

 実に非効率な方法だ。魔法で水を得る方法は当然の様に魔力を消費する。魔力とは精神的な体力の様な物で、魔法を使う度にすり減って行ってしまうモノだ。野外で水の宛てがない地域ならいざ知らず、街中で水を得る魔法を使う者など居はしない。しかしこれにも理由が有るのだ。


「ベルフラム様どうぞ……」

「ありがとう、レイア。それじゃあ食事にしましょう。レイアがこっちね? 魔法を使った分食べなきゃダメよ?」


 ベルフラムはレイアが差しだして来るカップを受け取り、コクコクと喉を鳴らす。

 すきっ腹に合わせて喉もとても乾いていた。

 染みわたる様に水が体に活力を与えてくれる。

 一息つくと持って来た衣装箱を開けて、小さくなった鼠の干物を取り出し3つに分ける。

 大きい欠片を2つと小さい欠片を1つ。

 その内の小さい欠片を取ると、それをしがみながら残りをレイアへと押しやる。


「しかし……ベルフラム様……」

「私は体がちっちゃいから大丈夫よ。クラインにはこっちね? ちゃんと食べてるのかしら?」


 困った表情のレイアをあしらいながら、ベルフラムは隣の部屋でつかの間の休息を取っているであろう、老齢の従者を慮る。あの年になってから鼠を食べる事に成るとは、思ってもいなかっただろう。


「それにしてもクラヴィスの慧眼には恐れ入るわよね……」


 ベルフラムは硬い肉を咀嚼しながら、思い出したように呟く。

 ――食欲が無いので先に失礼します――そう言って何も食べずに食堂を出たのは最初の夜だった。

 同じテーブルに着いていた顔を見て、とっさにこの言葉が口に出た。

 城に来る前に感じた不安の一因が確かにそこに有った。

 何も食べなくても3日位……覚悟を決めていても腹は減る。

 出来るだけ早く今日は寝てしまおうと、着替えの為に衣装箱を開けると、九郎のシャツと共に干し肉が3日分程入れられていた。アルバトーゼの屋敷を出る前に積み込んでいた鼠の干し肉が3匹分。広げたシャツから鼠が零れ出た時は、流石のベルフラムも胆を冷やしたものだ。

 だが同時にクラヴィスが入れてくれた物だとは直ぐに分かった。

 あの賢い少女はどこまで読んでコレを入れたのだろう。

 そこまで考えて、ベルフラムはその考えを打ち消すように数度首を振る。

 流石のクラヴィスも、そんな未来を見通す目を持っている筈が無い。

 この鼠はベルフラムがひもじい思いをしないようにと、彼女のちょっとした気遣いで入れた物なのだろう。

 食べ盛りの自分がちょっと小腹が空いた時用に、齧れる程度に入れてくれた物。

クラヴィスが未来を見通す目を持っていて、自分が今置かれている状況を知っていたのなら、もっと多くの食料を詰め込んでいただろう。3人で食べるには鼠3匹では足りないのは明白なのだから。


 そこに文句など有ろう筈も無い。

 クラヴィスの優しさに救われたのは確かなのだ。


「クラヴィスさんにどんどん頭が上がらなくなってきました……」


 幸せそうに鼠を齧っているレイアの姿に少し癒される。

 レイアには普通に食事を取るようにと伝えたのだが、レイアも城で出された物を口にしようとはしなかった。

 脇の甘いレイアとて、ここでの食事の危険性は察知したのだろう。

 ベルフラムの食べる分を減らしてしまう事に気付きながらも、大人しく食べているのはそれだけ自分の責務に重きを置いているからに他ならない。

 ――自分の無力さを一番自覚しているのはレイアなのだから。


「じゃあ、そろそろ行くわよ」


 レイアが鼠の干し肉を飲み込むのを見届けると、ベルフラムは立ち上がる。

 今日も彼らと顔を合わせる事に成ると思うと、気が滅入って来る。

 レイアを伴い扉を抜けて、豪華な絨毯のひかれた廊下を進む。

 いつの間にか太陽はすっかりと姿を現している。

 冬の朝の眩しい光をガラス越しに投げかけてくる。


「おう、おはよ~さん。どうしたの、眠そうじゃない」


 突然投げつけられた言葉にベルフラムは眉を顰める。

 冴えない風貌の中年の男が進路の先で手を上げている。


「おはようございます。ナッシン様」


 心の中を悟られないよう、にこやかな笑顔を作りながらベルフラムはドレスを摘まんで優雅に一礼をする。

 ベルフラム達が、この城での食事を拒んだ理由。

 ユーワン・ホーク・ナッシン。小鳥遊 雄一がこのレミウス城に滞在している事が、ベルフラム達が出される食事を食べない理由だった。


「寝れないんだったら俺の部屋に来てもいいんだぜぇ? いや逆に寝れなくなっちまうかなー」


 朝っぱらから女性を、しかも城主の娘を寝所に呼び込むセリフにベルフラムの笑顔が引くつく。

 妻たちを伴いながら言うセリフでは無いだろう、と怒り任せに罵りたくなる。

 雄一の周りには、以前見かけた二人の少女の他に6人もの少女が侍っていた。

 どの少女も見目麗しい整った顔立ちだが、皆一様に歳若い。いや幼い。

 ベルフラムは愚かクラヴィスよりも年下かと思えるほど、少女達は幼過ぎた。

 雄一の外見からは娘、もしかしたら孫かと思える歳の開きがある。

 しかし驚く事に、この8人の少女達は皆雄一の妻だと言う。

 外見だけなら小人族や森林族、鉱山族の女性は皆幼い顔立ちをしている。

 森林族や鉱山族は総じて人族よりも長命で、見た目通りの年齢とは限らない。

 しかし中には明らかに人族と思われる少女も幾人かおり、ベルフラムの中での雄一の評価は固まっていた。

 ――恐ろしい力を持った幼女趣味ペドフィリア――

 それがベルフラムが雄一に抱いた印象だった。


「お心遣い感謝します。心配して頂いて恐縮ですが、私、人の気配がすると余り寝つきが良くないものですから……」


 心にもない言葉で返す。

 肌が泡立つ感覚を覆える。

 人肌が恋しくて眠れないのは事実だが、目の前の男と肌を合わすなど考えただけで怖気が走る。

 出会った当初から感じていた不安の一つ。

 目の前の男は、自分程の年齢の少女に情欲を覚える性質たちなのだろう。

 食事に幻覚剤を盛ってまでして、何がしたかったのかは明らかだ。

 少女に欲を覚える者達ならこの国では珍しくも無いが、初対面の女性に臆面も無く毒を盛り手籠めにしようとする自分勝手で傲慢な性格が何より気に喰わない。

 自分勝手で傲慢な性格はこの男が『来訪者』と知れば納得は出来る。

 一騎当千の実力は、数日前にベルフラムの目の前で揮われた殺戮からも明らかなのだから。

 強い男に惹かれる女は多い。

 死と隣り合わせで危険の多いこの世界では、強いという事はそれだけで大きな魅力となる。

 しかし自分はこの男に欠片の魅力も感じない。


「昨日、先日助けて頂いたお礼を贈らせて貰ったのですが……受け取って頂けましたか?」

「いやぁ~あんな高価なお礼なんて気にしなくても良かったのに~。お返しに送った服はどうだった~? フェアリーバタフライの羽で作ってるからとっても着心地がよかっただろぉ? 魔力防御も掛けてあるから、あれだけでそこらの鎧よりも防御力が高いんだぜぇ?」


 いくら気持ちの悪い男だろうと、この男は『来訪者』。異世界から来た強大な力を持つ『英雄』の一人であることは間違いない。

 表立って敵対する事は避けなければならない。

 庇護下に入れば繁栄を、敵対すれば終焉をもたらす伝説の存在なのだ。

 守るべき者達がいるのに自分の感情だけで敵対行動を取れば、大事な者達を失ってしまう恐れすらある。

 その考えから形ばかりの礼を贈ったが、この男は妙に機嫌を良くしている。

 何処の誰とも知らない貴族から送られてきた品を、そのまま横流しにしただけだと言うのに。


 お返しにと雄一から送られた品を思いだし、ベルフラムは一層肌が泡立って来る。


 確かに贈られた品は上等な物だった。見たことも無い光沢を湛え、感じる魔力は国宝と呼ばれてもなんら遜色のない強大な物だった。

 あれ程の物を贈られたのならば、貴族の娘であろうともこの男の財力の前にひれ伏すに違いない。

 ――あのような服で無ければ……。

 贈られた服は―――とにかく卑猥だった。

 虹色の光沢を持つ殆んど透明とも思えるドレス。

 しかも丈が短いのである。

 後ろは長いのに、なぜか前は膝丈どころか股下で途切れて開いている。

 まるで大きなベビードールである。

「どこの痴女がこんな服きるのよ!」と投げ捨てて、今は部屋の隅で埃を被っているだろう。

 幻覚剤を盛った男の品と言うだけでも袖を通す事などありえないのに、あれで喜ぶと思っている目の前の男が心底気味悪い。

 しかし湧き上がる嫌悪感をひた隠しにして、ベルフラムは嫋やかに笑って見せる。

 どれ程気持ち悪くても、この男が今起こっている不可思議な現状の原因の一つであることは間違いない。

 確証は何も無いが、どこか奇妙な確信が有る。

 それは偶然の一致とも思えたが、窮地を救ったその日に薬を使って勾かそうとした短絡的な所と、『大地喰いランドスウォーム』の討伐の後の不可思議さのどちらにも共通する、何というか『杜撰さ』の様なものがあったからかもしれない。


「まあ、辛く成ったら何時でも言ってよぉ? 俺、回復魔法も完ストしてっからな~」


 突如伸びてきた雄一の腕にベルフラムは身を竦める。

 ゆっくりと延びてきた手は自分の頭に向かっている。

 頭を撫でようとしてきているのは理解できるが、突然どうしてその行動に出たのか。

 混乱する頭を必死に冷静を呼びかけ、雄一の顔を睨む。

 ああ、そうか……雄一の瞳に映る物にベルフラムはこの男の心境を悟る。

 この男の頭の中では、自分は既にこの男のモノだと確定付けられている。

 その瞳に慈しみの情も、気遣う心も有りはしない。

 言葉に詰まって誤魔化す様な不器用な優しさも、言葉にしなくても支えてくれると伝わってくる力強さも感じない。

 無遠慮に伸ばされたこの手は、所有者を知らしめるためのマウンティングだ。


 ――――怖い――――

 生物の持つ本能的な身の危険を感じて、ベルフラムはギュッと目を瞑る。


 だが硬直したまま動けないでいるベルフラムの頭に、手が置かれる事は無かった。


「お、奥方のいらっしゃる前でで、ほ、他の女性に手を伸ばすと、お、お、怒られますよ?」


 いつの間にかレイアが雄一の手を嗜めるように掴んでいた。

 怯えているのは明らかだ。声だけでなく足すら小刻みに震えている。

 それでも眼だけはしっかりと雄一を見据え、後ろ手に庇う様にベルフラムの前に進み出る。

 レイアだって怖い筈だ。

 雄一の殺戮をレイアも目のあたりにしているのだから。

 同じ青の魔術を使うのだから、ベルフラムよりも更に実力の隔たりを感じているだろう。

 狼と子犬くらい実力の差が有る筈だ。

 しかしレイアは一歩も引かずに雄一を見据える。

 気力だけは負けないように。

 今は自分以外にベルフラムを守れる者がいないのだからと、怯える心を叱咤する。

 その気に成ればこの男は自分など、息をするかのように命を奪う事が出来る事は承知している。

 目の前で弾けた暴漢の頭は、今まさに自分の未来の姿の筈だ。

 逃げ出したくなる。

 それでも引くことは出来ない。

 守ると決めた少女が後ろにいる限り、自分が逃げる事はあり得ない。

 今ここには自分より賢く強靭な姉妹も、どことなく頼りなさそうなのに全ての理不尽に立ち向かう様な気概を持った青年もいないのだ。

 守れるのは自分だけ。

 その一点のみでレイアは恐怖に立ち塞がっていた。


 雄一の目がレイアを煩わしそうに見る。

 遮られて宙を彷徨っていた腕が動く。

 ――――殺される!! ――――

 死を覚悟したレイアだったが、意外な事が起こった。


「あ、ああ。うん。そ、そうだな……。た、確かに……うん」


 なんとも歯切れの悪い言葉を口にして、雄一がレイアの瞳から逃げるように視線を反らしていた。

 バツが悪そうに伸ばした手を引っ込めて、所在無気に頭を掻いてしきりに目を泳がせている。

 ――どうゆう事? いきなり態度が変わった雄一をレイアは慎重に観察する。

 自分の言葉が正論だったから雄一は反省して行動を改めたのだろうか。

 それとも大勢いる奥方達を気にしたのだろうか。

 ――――違う。


 レイアは雄一の瞳に宿る光に、信じられないものを見た。

 怯えているのだ。強大な魔法を使うこの男が、自称するだけで騎士でもない只の小娘の自分の視線に怯えている。

 そんな馬鹿なと首を振りたいが、雄一の視線は自分の目を見てはいない。

 レイアの視線を避けるように、視線を彷徨わせる雄一。


「じゃ、じゃあ、また食堂で……」


 逃げるように踵を返した雄一を見送り、レイアは力を失ったかのように弛緩する。

 崩れ落ちなかったのは、気力が残っていたからでは無い。

 腰に自分が守れた証が手を添えていてくれたからだ。


「レイア、ごめんね……。怖かったでしょう? 廊下で待ち伏せされてるなんて思わなかったものね……。助かったわ。その…………ありがと……」

「どどどどどどうってこと……なな無いですすすすす~。わわ私はべべべベルフラム様のきき騎士ですから……」


 ベルフラムはレイアを見上げてはにかむ。

 急に実感した恐怖からか滑稽なほど震えた言葉だったが、レイアの顔は少しだけ、ほんの少しだけ満足そうだった。


☠ ☠ ☠


「まったく! 何が妹も料理人を連れて来れば良かったではないか? よっ!!!」


 廊下を進むベルフラムの足音から怒りの感情が聞こえてくる。

 何度も繰り返されてきたエルピオスとのやり取りは、思い出しただけでも腹立たしい。

 朝昼晩と食堂に呼び出されては、目の前に並べられる料理を見ているだけの毎日。

 食事の時ならばもしやと毎回顔を出してはいるが、未だに父は姿を見せていない。

 眼前に並べられた料理の数々を見ないようにしながら、探るように情報を聞き出していく。

 ベルフラムはそうやってこの3日を過ごしていた。

 エルピオスと雄一さえいなければベルフラムも誘惑に負けて、食事に手を伸ばしていただろう。

 3日目ともなると、まともに食事をしていない身には匂いすら凶悪に腹を刺激する。

 腹から抗議の声が漏れ出ないよう、ひたすら押さえつけ、捻り上げ耐えている。

 年に一度か二度しか城に来ることの無かったベルフラムに、信用できる料理人など居はしない。

 延々と垂れ流されるエルピオスの雄一へのおべっかを聞きながら、食事の誘惑に耐えるのは拷問に等しいと思えた。


 それでも今朝は収穫が有った方だ。

 長兄であるアルベルトと初めて会った。

 毎年ベルフラムと入れ替わるように、他領の公務に赴いていたアルベルトは、白髪に染まった老人だった。

 年齢は確か50を超えている筈だ。

 次期領主と言えども、父アルフラムが居る限りアルベルトに領地を継ぐ資格は無い。

 ベルフラムが『大地喰いランドスウォーム』の疑惑を聞いた時、最初に疑ったのは長男のアルベルトだった。

 父アルフラムはもうすぐ70に手が届く。

 それなのに頑なに引退しようとしない父を、アルベルトも疎ましく思っているではと考えた。

 そのアルベルトが三男のエルピオスや、エルピオスが連れてきた雄一と仲良さ気に歓談している様子から『大地喰いランドスウォーム』の疑惑に、目の前の三人が関わっている気がした。

 何らかの取引がなされ、アルベルトとエルピオスが雄一に協力を求めている様にも思えた。


 その取引材料は多分自分だ。

 今朝感じた雄一からの視線は、明らかにベルフラムを自分の物だと思っている節があったが、朝食の際に目の前で語られていた内容から、それは確信に変わった。

 エルピオスは自分を雄一に差し出す事で、何らかの利益を得ようとしている。

 成人もしておらず、身長も低い自分は、幼女性愛者ペドフィリアの雄一になら旨そうな餌となる。

 そしてアルベルトもその計画に一枚噛んでいる様子だった。


「これはこれは珍しい果物ですな」

「おお、それは神官長自ら手に入れに行かれた、大森林に生えると言う幻の果実では無いですかな?」

「まあねぇ~。これの近くにはさぁ~もんのすごい魔物が生息しててさぁ~」

「おお、それを打ち倒して手に入れて来られたのですか。流石はアプサルにこの人ありと言われた英雄ですな~」


 聞いてもいないのにチラチラと此方を伺うアルベルトと雄一の視線は、如実にベルフラムの心証を上げようとしている気配があった。

 アルベルトは雄一に取り入ろうと必死になっているのが分かる。

 話の内容からアルベルトもエルピオスも、雄一の事を『来訪者』だと理解しているようにも思えた。

 そして続けられる雄一の賛美の中でベルフラムはまた一つ新たな情報を得る。


「その実力で、かの災害級の化物も退治されたのでしょうな」

「いやぁ~。あれは偶々だよたまたま~。偶然近くを通りがかっただけなんだけどなー」

「いや、それで我が父をお救いして下さったのですから、ナッシン卿は我が領の恩人と言えるでしょうな。」


 父アルフラムの『大地喰いランドスウォーム』討伐に関する疑惑。

 その答えは目の前の冴えない中年が関わっていた。

 何でもアルフラムの率いた討伐隊は『大地喰いランドスウォーム』に全滅寸前まで追い込まれたと言う。

 そこにたまたま・・・・通りがかった雄一が、強大な魔術を用いて『大地喰いランドスウォーム』を打ち倒し、アルフラムの窮地を救ったと言うものだ。

 だから帰還の際に軍隊が通った跡が残らなかったと言う訳だ。


 話を聞く限り矛盾も無く、納得できる話だ。

 ベルフラムが腑に落ちるかは別として。

 雄一がベルフラムに毒を盛る事などせず、またベルフラムがアルフラムやエルピオスと家族仲が良ければ、親子そろって命を救われた英雄と思ってしまったかもしれない。

 あまりに出来過ぎた話だった。

 窮地ピンチに駆けつける英雄ヒーロー

 叙事詩さながらの活躍をする目の前の中年が、どうにも胡散臭い。

 あまりにタイミングが良すぎる。

 何処か作為的な物を感じる。


☠ ☠ ☠


「どうにも胡散臭いのよね……。レイアはどう思う?」


 朝食時の情報収集を終え、自室の扉を開きながらベルフラムは後ろに控えるレイアに尋ねる。

 これから纏まって来た情報を元に、今度は城に勤める者達への聞き込みをしていかなければならない。

 そろそろクラインも起きて来る時間だろう。

大地喰いランドスウォーム』の件とベルフラム達へのチンピラ達の襲撃。

 またもや奇妙な一致を見せた、雄一と言う『来訪者』の救出劇。


「ええ……確かに何か都合が良すぎる気が………ってベルフラム様!? 顔色が真っ白ですよっ!?」

「大丈夫だって。ちょっとお腹が空いただけよ……。彷徨っていた時に比べればこれくらいどうってこと……」


 レイアが答えようとして目を見開く。

 そんなに顔色が悪いのだろうか。少し今日は頭に血が上ってくらくらする。

 白いと言うより赤いのではと思いながら、ベルフラムは何でも無いと手を振ろうとしてよろめく。

 一瞬視界が暗転した。

 急に振り返ったから足元がふらついた。


(――あ、あれっ? ――)


 そう思った瞬間部屋の景色が横に流れて行く。

 どうにも体が思う様に動かない。

 変に強がってしまって、自分の分の肉をレイア達に分け与えすぎたのかも知れない。


(レイアがまた自分を責めちゃうんだろうなぁ……)


 強がって逆に家臣を心配させたことを反省しながら、ベルフラムは衝撃に備えて目を瞑る。

 床は絨毯だ。それ程痛くは無いだろう。

 そんな楽観的に備えた衝撃は、思ったよりも更に軽微だった。

 ポフッとでも表現できる程柔らかい衝撃に思わず拍子抜けしてしまった。

 衝撃は胸のあたりに柔らかく包む様な感覚だった。


(え?)


 ―――おかしい――――。

 いくらベルフラムが軽かろうと体が弛緩した人間が倒れて、衝撃がこんなものの筈が無い。

 しかも胸に来ると言うのが解せない。

 自分で考えるのもアレだが、ベルフラムの胸は小さい。

 レイア程豊満な双丘であれば、胸が最初に床に落ちる事も有り得るだろう。

 しかしベルフラムであれば、どう考えても先に腕か顔が床に落ちるのではないだろうか。

 悲しい予想を振り払おうと恐る恐る瞼を開ける。

 ―――おかしい――――。

 どうも自分が浮いているのではと錯覚してしまっている。

 床に倒れ込んだはずが目線が別段低くない。

 レイアが抱きとめてくれたのだろうか。

 そこまで考えて背中に回された小さな両手に気が付く。

 支えられた胸元はいつの間にか濡れている感じがする。


「ひっ……ひぐっ……ぁ……」

「……え!? デンテ?!?」


 漏れ聞こえた泣き声でやっとベルフラムは現状に気付く。

 自分を支えていたのは、幼い獣人の少女デンテであった。


「ベルフラムしゃま死んじゃぁぁあ……」


 混乱しているベルフラムの胸に顔を埋めてデンテは泣きじゃくっている。

 突如倒れそうになったベルフラムに、デンテが飛びついた格好だったのだろう。

 いきなり力を失った様子に死を連想してしまったのか、デンテはベルフラムの体温をしきりに求めるように顔を擦りつけている。


「デンテたくしゃんお肉とってきたからぁぁぁああ……」


 ベルフラムの目の前には散らばった鼠や鳩の死骸が散乱している。


「大丈夫よ、ほら、死んだりしないわ。全然平気よ?」


 何故ここにデンテがいるのかさっぱり分からないが、とりあえずデンテを慰める。

 なんとか体勢を起こし、デンテの背中に手をまわしながら現状の整理に努める。

 後ろを見るとレイアが口を開けて硬直している。

 クラインも何事かと慌てて出てきたのだろう。目の前に広がる幼女をあやすベルフラムの姿に目を見開いている。


「ひっ……ぐぅ……ふっぐ……」

「ほら、もう泣かないで? 大丈夫よ」


 暫くの間泣きじゃくっていたデンテが、ようやく落ち着く兆しを見せてきた。

 涙の痕を優しく袖で拭っていたベルフラムは、小さく苦笑した後、真剣な顔で質問を投げかける。


「デンテ、心配かけてごめんね。ところでデンテはいつから城にいたの? クロウとクラヴィスは? 一緒に来たの?」


 大事な話である。置いてきたはずのデンテがココにいるという事は、九郎やクラヴィスも潜入しているのかもしれない。ならば急いで身の安全を確保しなければ最悪処刑も免れない。

 真剣な表情のベルフラムに、怒られると思ったのかデンテの表情が曇る。尻尾を巻いて耳を伏せていることからも言いつけを破った事は理解している様だ。

 数秒逡巡する素振りを見せたデンテだったが、消え入りそうな声でポツリポツリ語り出した。


最初しゃいしょから隠れて付いてきましゅた……」

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