第083話  力の無い手


「畜生!! 毒を警戒しろっつーた奴が毒を盛るなんて何考えやがんだ!?」


 グリデンの屋敷に駆け込み九郎は急いで部屋に入る。

 先程ベルフラム達の食べ残しを口にした時に感じた懐かしの味は荒野で見つけたサボテンの『棘』に含まれていた毒だった。

 岩を貫通するほどの威力の棘を飛ばしておきながら毒も何もあった物では無いと思ったが、あの毒にも理由があった事を知ったのは、興味本位にその棘を口にしていたからだ。

 サボテンの棘に含まれていた毒は所謂幻覚作用をもたらす毒だったのだ。

 棘で動物を仕留めて栄養を得ていた紫色のサボテンは、飛ばした棘にも判断力を奪い酒に酔った感覚を与える類の毒を持っていた。


 とは言ってもあの棘の毒に殺傷能力は無い。

 あれ程の勢いで飛び出す棘に殺傷能力が含まれていても、あのサボテンには意味が無い。

 事実、穴だらけにされていた九郎は毒の感覚を感じてはいたが、食べるまでどんな毒か分からなかった。

 棘の毒は、遠くまで飛ばされた棘を食べた動物をサボテンに近付くように仕向ける類の毒だった。判断力の低下や意識の混濁を与える程度だと思われる。


 命の危険は無いだろうが、取りあえずベルフラム達をベッドに寝かせて九郎はやっと一息吐く。


(あの野郎っ! 何考えてやがんだっ!!!)


 同郷の日本人と聞いて多少打ち解けたと思った瞬間コレである。

 温厚な九郎も憤慨を隠せない。

 自問するまでも無く、雄一は4人の少女を攫うか犯すかしようとしていたのだろう。


 九郎が最後に飲んだ酒にも毒が含まれていた。それも普通なら即死するような毒が。荒野であまりに通常的に毒を食べていた所為で、アルコールが胸を焼く感覚と誤認したがあの時確かに体の中で赤い粒子が発生していた。知らない毒だったが、多種多様な毒に対する耐性を付けていた九郎の体には、含まれていた毒の殆んどには慣れて・・・いたからこそ、軽い眩暈程度で済んだのだろう。

 なんだかレミウスの街に入ってっから人の汚い部分ばかり見せられて、若干人間不信に陥りそうだ。

 今は子供らしい感情を見せるベルフラムも、こんな環境で育てば心を閉ざしてしまうのも仕方ないのかも知れない。


「……クロウ……」


 ふと名前を呼ばれて振り向く。

 ベルフラムが朧気な瞳で見つめている。


「もうレイアの屋敷に戻って来たぞ……大丈夫っつったのにこれじゃあ、言い訳も出来ねえよな……」


 九郎は眉尻を下げながら力なく笑う。

 本当に情けない気持ちで発狂しそうだ。

 魔物相手なら自分が矢面に立てば守る事も出来るかもしれない。しかし人の悪意や謀略にはどのように対抗したら良いのかさっぱり分からない。雑草や野生動物を食べる習慣から、九郎の毒見と言う思いがけない毒殺に対する対抗手段を実践していたベルフラム達でさえ、途中で毒を混入されるとお手上げになってしまう。


「まだフラフラすんだろ? 寝てて良いぞ。俺が起きててやっから……」


 安心しろと言って何度も裏切った男の言うセリフでは無いと思いながらも、九郎は気休めの言葉を口にする。

 ベルフラムが体を起こして両手を伸ばす。ベルフラムにとってもこの街に来てから良い事など無い。

 実の兄の下衆な所業に、訳の分からない謀略、果ては助けられた者にさえ裏切られて散々な目に合っている。


「クロウ……」

「わーったよ……」


 もう一度ベルフラムが催促する様に呼んでくる。

 九郎はゆっくりベルフラムを抱き上げるとあやすように背中を叩く。

 その耳元でベルフラムが囁く。


「毒を……盛られたのね……?」


 驚いた事にベルフラムは早々と意識を覚醒させているようだ。

 余り食べなかったのか、それとも別の要因か。ベルフラムだけが早々と毒の効果から立ち直った所を見ると、サボテンの果汁には何か毒に対する免疫を付ける成分が含まれていたのかも知れない。


「クロウは……毒に強いって言ってたけど……本当に大丈夫だった? ……それに、首すごい音がしたけど……」

「俺が何のために『最初の一口』食ってっと思ってんだ。毒なんか俺に取っちゃ水と変わんねえよっ。実際水代わりだったしな。それに首は……あんときゃ、その、タイミング見て首の関節鳴らしたんだよっ!! ベル達助ける方法考えてて……死んだふりしたら油断すっかなーって。お前を泣かすつもりは無かったんだ……その……スマン」


 九郎はベルフラムの背中を優しく叩きながら謝罪する。

『不死』の力を明かせない為、首が折れた時は胆を冷やした所では無かっただろう。少々苦しい誤魔化し方だが、何とか誤魔化されてもらう他無い。

 ベルフラムは魔物の突撃をくらってもケロッとしている九郎を見ていたので、なんとか誤魔化せたようだ。

 ベルフラムは九郎の首に抱きつきながら大きく息を吐く。


「ああ……それから……あいつも……ユーワン…いやあいつの本当の名前は雄一。俺と同郷だった……」


 九郎は苦虫を噛み潰した表情で雄一の情報を伝える。

 雄一はベルフラムが求めていたであろう切り札でもあるのだ。庇護下に入れば繁栄を約束される『来訪者』。九郎の様なショボイ力しか持たない、自己満足の『英雄』等では無く、強大な武力を持つ本当の『英雄』。

 九郎の言葉にベルフラムは眼を見開く。


「そう……『来訪者』がエルピオスと……」


 ベルフラムの言葉に今度は九郎が目を見開く。

 雄一がベルフラム達に毒を持ったのは確かだが、彼は九郎達を襲った暴漢をほぼ全て殺してしまっている。

 ベルフラムは、雄一とエルピオスが繋がっていると考えているようだ。

 九郎はあの暴漢達の黒幕には未だ思い当たって無い。エルピオスしか思い当たる人物がいないので、あの暴漢達の黒幕がエルピオスと仮定すると、今度は雄一の行動がおかしくなる。

 訝しげな表情の九郎にベルフラムは眉を寄せる。


「あの時……ユーワン……ユーイチ? が言ったあの貴族と衛視を預けた相手……エルピオスの家臣よ」


 九郎はすっかり忘れていたが、雄一が暴漢の首魁を預けると言ったビアハムと言う人物は、アルバトーゼの屋敷に来たあの不遜な態度のエルピオスの部下、バムル・ビアハムの事だろうとベルフラムは言う。

 九郎の「よく覚えてたな」と言った表情にベルフラムは力なく笑う。


「敵になる者の顔と名前は覚えとかないと……その……危険だから……」


 ベルフラムが塞いだ表情で呟く。

 レミウスの街に行くと決めてから、ベルフラムは襲われる可能性も考えていた。

 特に九郎が死刑を撥ね退けてからは、エルピオスが何か企てるだろうとも思っていた。

 しかし流石のベルフラムもエルピオスが次の日早速、しかも白昼堂々刺客を放って来るとは思ってもいなかったと謝罪する。


「でもおらぁ、あの連中はなんかエルピオスの手の物って感じがしねえんだよなぁ……。いや、アイツ以外に思いあたんねぇんだけどよ……」


 首を傾げながら九郎が言う。

 どうにもあの暴漢達のセリフが気にかかるのだ。

 九郎を屈服させようとしていたのが誰なのか。また、何故屈服させようとしていたのか。


 ベルフラムを攫おうとしていたのであれば、自分など早々と殺そうとする筈だ。

 九郎の心を折る必要性が思い当たらない。

 雄一にしても単にベルフラム達を勾かそうとしていたのか、それともエルピオスと裏で繋がっていてベルフラムを攫おうとしたのか判断に迷う。

 九郎を殺そうとしていた事だけは確信できるが、ベルフラム達が盛られた毒は致死性のある毒では無く睡眠薬の様な物だ。エロいのが目的なのか、それとも誘拐するつもりだったのかが良く分からないのだ。


 エルピオスと雄一が繋がっているのならば、雄一があの場面で九郎達を助ける必要性が思い浮かばない。

 ベルフラム達を攫っていながら、九郎を『不敬罪』で裁かせようとして、なのに九郎を殺そうとはしていなかった暴漢達。

 暴漢達を殺し、九郎達を助けたにも関わらずベルフラム達に毒を盛り、九郎を殺そうとした雄一。


 しかも当初から予定していたかは分からないが、同じ日本人の九郎を即座に毒殺しようとしてきた事にも疑問が残る。日本人を見つけようと考えて日本的なスラングを使っていた雄一が、日本人と分かった時点で殺しにかかって来る理由も不明だ。

 雄一にとって日本人とは、見つかり次第殺そうとするほど憎い相手なのだろうか。

 また、毒殺と言う手を使って来たのは何故なのか。

 雄一の魔法であれば九郎など直ぐに殺せるとは思わなかったのだろうか。

 自分の『神の力ギフト』を『耐性を得る能力』と伝えていたから、それを警戒したのだろうか。

『来訪者』が毒や病気によって命を落としている事が本当なら、その方法が一番確実だと思ったのだろうか。


 とにかく誰と誰が繋がっていて、どんな手を拱いているのかが分からず、不安と恐怖を覚える。

 自分の身は守らなくても良いが、九郎にはベルフラム達を守る力が無い。

 その事を痛感させられた一日だった。


「ごめんなさい……クロウ……。私が巻きこんじゃった所為で……。本当はあなたには何の関係も無いのに……。でも……我儘だって分かってるのに……クロウと離れたくないの……。もっと私が強く成るから。皆を守れるほど強く成るから。だから一緒にいて欲しい……」


 ベルフラムも今日一日で自分の力の無さを噛みしめていた。

 力が無ければ蹂躙される世界。地位が無ければ理不尽を突き付けられる世界。

 そんな世界で生きてきたベルフラムは、その事を九郎よりも理解している。

 九郎に近付いたのも、当初は力を利用しようとして近付いたのだから。

 ベルフラムにとって九郎は寄り掛かれる存在だ。今日だって最後には自分を安堵させてくれた。

 しかし今日、目の前で項垂れる九郎を見て、気付かされた。

『来訪者』であり、『神の力ギフト』で炎に焼かれる事も毒に侵される事も無い九郎でも、人間である事に変わりは無い。頼れる存在だが『来訪者』であっても死ぬのだ。今迄、最終的にどうにかしてこれたから考えていなかった。

 せめて自分が人質に取られるようなか弱い存在になる訳には行かない。

 そんな思いを口にする。


「言ったろ? ベルみてえな可愛い女の子のお願い事は、聞いてやんのがカッコいい大人の男ってやつだって。子供の内は我儘だって多少言っても良いんだよ! しっかし……俺も強く成んねえとなぁ……。ってなんだっ!?!」


 ベルフラムを安心させようとぼやいた九郎の背中に柔らかい感触が押し付けられる。


「ちょっとっ? どうしたの?」


 ベルフラムも戸惑っているようだ。

 話している間に目が覚めたのか、二人に寄り掛かるようにレイアやクラヴィス達が抱きついてきた。


「……俺がサボテンに抱きついてたのってコレが原因じゃねえよな……」

「ちょっと!? どうゆうこと!? クラヴィス? だめよ? やだ、ひっぱらないで?!」

「ちょっと待てレイアっ! 落ち着けって!」

「デンテもっ! て、わわわわわわっ!!」


 棘を食べた時、九郎は無性に背の高い物に惹きつけられる気がした。

 毒の倦怠感から覚めた時、九郎は近くにあの『紫色のサボテン』があると思いサボテンを探した。

 なぜならあの紫色のサボテンはとても美味だからである。

 サボテンを見つけた時九郎は喜び勇んでサボテンに飛びついた。

 しかしよくよく考えてみれば、あの危険な植物に無防備に飛びつく事などありえないのだ。

 不死の九郎だからこそ無防備に飛び込んで行くが、あの荒野の生き物がサボテンに興味を示すとは限らない。

 あのサボテンに近付く事は死を意味するからだ。

 どうやら棘の毒は食べたら、背の高い物が愛しい存在に見えるような幻覚を見せているのかも知れない。

 バランスを崩し倒れ込んだ九郎は赤面しながら、そんな考えを抱いたのだった。


☠ ☠ ☠


 周囲の雪化粧に土が見え隠れした昼下がり。

 グリデンの屋敷の庭で木剣の合わさる音が響く。

 強く成らなければ何も守れない――。誰もがそう痛感したのか、『風呂屋』のメンバーは皆一様に力を求めていた。


「たあー!」

「とー!」


 年端も行かない少女達であるクラヴィスとデンテでさえ強く成る事を望んでいた。

 やや気が抜ける掛け声を出しながらも、その眼差しは真剣だ。

 木の棒と木槌を打ち鳴らしながら、姉妹でぶつかり合っている。

 人間よりも遥かに強い身体能力を持つ獣人だからか、子供とは思えない激突音が響いている。


「ちょっと! 怪我しないようにね?」


 両手を付いて本気モードに移行した獣人姉妹を見てベルフラムが気を揉んでいる。

 そんなベルフラムも右手に本を持ち何やら魔法の修行中だ。

 小さな炎の玉を空中に浮かせながらぶつぶつと呪文を唱えている。

 炎の周りを風が包み込むようにして纏わりついている所を見ると、新しい魔法を研究しているのだろうか。


「クロウ様、目線でバレバレです!!」

「あうちっ!!」


 そんな中九郎はレイアと木剣を打ち鳴らしていた。

 昨日の事で足の筋力の強化――と言うか限界値が引き伸ばされた九郎ではあったが、それでもまだ魔力を纏う事が出来ないのでレイアのスピードに対応できないでいる。

 限界以上の力が出せる九郎だったが、スピードに対応できる動体視力だけはどうにもならない。

 切り返しで足の腱が切れた音を聞きながらも、レイアの突きをもろに喰らって倒れ込む。

 強く成りたいと願っていても、魔法も剣技も魔力の無い九郎には、越えられない壁として立ち塞がっていた。


「クロウ様が打たれ強いのは知りましたが……あまり攻撃を受け続けるのは感心しませんね……」


 レイアが手を伸ばしながら苦笑してくる。

 少々顔が赤いのは昨日の夜の事を思い出しているのかも知れない。

 意識の混濁から目覚めたレイアはそれはそれは真っ赤になっていた。

 それと同時に、レイアも自分の力の無さを悔やんでいた。

 ベルフラムの騎士を自称していながら、レイアがベルフラムを守れた事など一度も無いと悔し涙さえ流していた。

 ベルフラムが慌てて「私がレイアを守ってあげるからっ!」と言ってしまったので、さらにレイアは落ち込んでしまっている。


 今朝目覚めた九郎が、レイアと同時に「強く成りたい」と口にした事で再び訓練の運びとなっていた。


 しかし、九郎はレイアに何処か申し訳ない気がしている。

 強く成る事を望んでいるレイアが、自分と訓練していて良いものかとの思いが有る。

 また、自分自身も剣や魔法では無く『神の力ギフト』を研鑽する他無いのではないかと言う思いもある。

神の力ギフト』を使うのならば自分は素手の方が良いのではないか――そんな考えが頭に浮かぶ。


「レイア、ちょっと思いついた技があるんだけど……試してみても良いかい?」


 九郎は木剣を放り投げてレイアに尋ねる。


「え、ええ。どうぞ、お相手いたします」


 レイアは真剣な眼差しで右手の剣を肩口に構える。九郎の雰囲気が変わった事に多少狼狽えている。

 九郎は半身に成りながら左手で顔を覆い、右手をだらりと下げる。


「フッ……感謝する……」


 九郎は目元を押さえながら静かに言い放つ。

 力なく下げられた右手の指先からポタポタと水が滴り落ちる。


「ど、どうしたんですか、クロウ様っ!? 何か口調が変ですよ?」


レイアは構えを維持しながらも声が上ずっている。動揺しているのが見て取れる。


「変じゃないさ……僕は冷静さ……」

「僕!?!」


 九郎の言葉遣いがいつもと違う事に殊更狼狽えるレイア。

 九郎の右手から滴り落ちる水が徐々に凍りついて行く。


「そうさ……戦いはクールに行かなきゃね……」

「何やる気? クロウ」


 ベルフラムが興味深げに視線を向ける。九郎が水を凍らす事が出来ると知っているのは、クラヴィスとデンテだけだ。しかしそのクラヴィス達も九郎が手から水を出せることは知らない為、今は訓練を中断して九郎をまじまじと見ている。

 九郎の右手から滴り落ちる水滴が徐々に長い氷柱へと姿を変える。


「僕は今……クールで冷静な氷の剣士……。行くぜっ!

 俺の新たな必殺技『冷たい手ウォームハート』っっ!!!」


 九郎は足元まで届きそうな程成長した氷柱を振りかぶる。

 冷気に『変質』させた手に九郎が貯め込んだ水を流し、氷の剣を作り出す。

 折角新たに『変質』させる物が増えたのだからと、考えついた九郎の新たな必殺技。

 例え昨日の様に武器を取られたとしても、戦えるようにと九郎が編み出した技。

冷たい手ウォームハート』でもって九郎はレイアに挑みかかる。

 口調の変化にそれ程の意味は無い。

 単にクールキャラが氷を使うイメージがあっただけだ。


 それはともかく、九郎は氷の剣をレイアに向かって振り下ろす。

 レイアが狼狽えながらも木剣で迎え撃つ。


「あべしっ!!!」


 見事に砕けた九郎の氷柱は、その勢いを持って九郎の顔面にぶち当たる。

 所詮氷柱は氷柱。

 氷の強度はたかが知れていると九郎は身を持って知る事に成った。


「…………何がしたかったのよ……」


 ベルフラムが顔を押さえて蹲る九郎を、半眼で見つめていた。

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