第082話  同郷


 九郎達の窮地を救った中年の男はユーワン・ホーク・ナッシンと名乗った。

 名前を聞いて九郎は疑問を抱く。正直意外だった。

 ユーワンは容姿は日本人の中年を絵に描いた様な風貌だったからだ。

 また、言動の端々に所謂ネットスラングの様な言葉が入り込んでいた。

 この事に関しては、自分の言葉が相手にどの様に聞こえているか自信の無い九郎には、確信を裏付けるものでは無かったので九郎は取りあえず心に留め置く程度にとらえる。

 しかし細い目や平坦な顔のつくりはアジア人のそれであり、九郎がこの世界に来てから一度も見た事の無い容姿だった。


(偽名? ユーワン……ユーワン……U1? ……ユーイチ?)


 余りにも安易だと思いながらも、何故かしっくりと当てはまった気がして九郎は肩透かしを食らった気分に成る。

 だがそうは思っていても探ろうとは思わない。未だ信じられない思いもあるが、この中年の男は40人の暴漢達を一瞬で死に至らしめる力を持っているのだ。

 ユーワンは傍らに二人の少女を置きながらゆったりとクッションに凭れ掛かっている。

 その顔は今し方多くの命を奪った者とは思えない、にこやかなものだ。

 それが逆に不気味で、九郎の背中に冷たい汗が流れる。


 幾ら悪人であろうとも、あれ程無慈悲に、虫けらのように殺してしまうこの男の性根が怖い。

 この世界に来てから人の命の安さや脆さに辟易していた九郎だったが、それでも話片手間に殺される事には少し同情してしまう。それがベルフラム達を傷付けようとしていた暴漢であっても、命を奪うという事にそれなりの覚悟が必要だと思ってしまう。甘い考えだとレイアはおろか、クラヴィスにさえ言われそうな考え方だが、自分の命が保障されている今の九郎には、一人だけ偽物のチップで遊んでいる詐欺師の様な気持ちがあった。


「それじゃあ遠慮なく食っちゃって! いやぁ、ホント偶には若い子と飲みたくなんのは俺も年取ったせいかな~~」


 ユーワンに連れてこられたのは、城に近い位置に立つ高級そうな酒場だった。

 城を中心に近い程高級な、上級な身分の者達の店になっていく事は何となくだが九郎も気付いている。

 ホテルかと思う程立派な店構えに、生前からも高級店にはとんと縁の無かった九郎は、同じくこんな店に入るのは初めてであろうクラヴィスとデンテと共に小さく震えてしまったものだ。

 豪奢な絨毯が敷かれた部屋に通された九郎はその調度品の高級感に圧倒されもした。

 通された部屋は床に座って食事をするタイプなのか、大小さまざまなクッションが用意され、なんだか中東の王族にでもなった気分に成って来る。


「ユーワンさん、今日は助けてもらってありがとうございました!!!」


 乾杯の音頭を取ろうとしていたユーワンに、九郎は改めて頭を下げる。

 例えどんなに恐ろしいと思っていても、この男が九郎達の窮地を救ってくれた事は紛れも無い事実。

 九郎にはあの状況からベルフラム達を無事に逃がす算段が無かっただけに、その事に対する感謝の念は本心からのものである。例え人質であったベルフラム達を救出出来たあの時であっても、例えベルフラムが貴族相手でも魔法を使う覚悟を決めていたとしても、それでも4人を守り切れる力が九郎には無かった。


「いいよいいよ~。たまたま通りがかっただけだし~。偶然美少女ちゃん達がピンチになってたら助けるっしょ~? 男としてとーぜんの事をしただけだし~」

「いや、それでも俺らが助かったのはユーワンさんのお陰ッス! ホント―に助かりました!!」

「ん~~~~そう?そんなに言われちゃ照れちゃうねぇ~。クロウ君だっけ?キミ分かってんねぇ~。」


 ねっとりとした口調で謙遜するユーワンに九郎は再度頭を下げる。

 ユーワンは九郎の態度に気を良くしたように、バシバシと九郎の背中を叩きながらニヤリと笑う。


「まあ、俺に取っちゃ朝飯前……いや今の時間だと夕飯前ってことだし~。イロイロ話も聞きたいけど、とりあえず喰いながらでいっしょ? ほら、かんぱ~い!」


 ユーワンの音頭を皮切りに次々と料理が運ばれてくる。

 九郎は陶製のグラスに注がれた水を飲みながらそれを眺める。

 どれもが美味そうな匂いと、食欲をそそる彩りで九郎は唾を飲み込む。

 考えれば昼ごろからずっとチンピラ達に痛めつけられていたのだ。昼食はレイアの屋敷に帰ってから取ろうと思っていたので、朝から何も食べていない。デンテのお腹がクウと小さく鳴るのを九郎は苦笑しつつ聞き流す。この年頃の少女でも腹の音を聞かれるのは恥ずかしいのか、デンテが少し頬を赤くしている。


 給仕の一人が鍋からスープをよそいで九郎達の前に置いて行く。

 目の前で配膳する形を取っているようだ。

 九郎はスープを口に含む。濃厚なシチューの様な味わいで、この地方の料理にしては珍しく辛みを感じない。


「うん」


 九郎は独り頷く。それを見てベルフラム達が食事を始める。

 次々運ばれてくる料理を一口ずつ口にしては頷く九郎と、それを見てから同じものを口に運ぶベルフラム達を見て、ユーワンが首を傾げる。


「クロウ君の真似してんの? 可愛いねぇ」


 見ていると分かるように、ベルフラム達はレイアも含めて、誰も九郎が頷かなければ手を伸ばそうとしない。

 目の前にはどんどん新しい料理が運ばれていて、子供であれば目移りしながら興味を引くものを食べようとするのが普通だろうと、そう言いたいのだろう。


「え? いや、習慣なんスよ。こいつらほっとくと何でも口に入れちゃうんで……」


 九郎は苦笑しながらベルフラムの頭に手を置く。ベルフラムが顔を赤らめながら抗議の視線を向けてくる。

 なんでも食べようとしてしまう今のベルフラム達だったが、この世界には毒を含む動植物も多々存在している。一度、ベルフラムは毒に中った事が有る。何気なく庭の雑草を口に含んだベルフラムが痺れて動けなくなったことがあるのだ。

 それ以降、『風呂屋』の中では毒に強い九郎が頷くものしか口にしてはいけない、というルールが存在している。クラヴィス達は当然、今はレイアですらその事に疑問を持たないくらいに習慣化していた。

『風呂屋』の中で唯一毒に中ったのがベルフラムであることが、どうにも恥ずかしいらしい。


「まあ、ちっさい子は何でも口に入れちゃうもんねぇ~~~~………閃いた」

「通報した」


 ユーワンが軽口を叩き、九郎が思わず反応してしまう。

 今のは昔有名だった、ネットの定石ともいえるフレーズだった。

「ぬるぽ」に対する「ガッ」のような思わず返してしまう、いや、返さなければならぬと思ってしまうフレーズだった。

 条件反射で返してしまって、恐る恐るユーワンに視線を向けると、ユーワンが細い目をさらに細く窄めてニヤリと笑っていた。


「いや~~やっぱクロウ君分かってんじゃん。クロウ君お酒イケる口? 若いけど高校生って訳じゃ無いよね? アインス、シス、俺はクロウ君と男同士の話があっから、その子達よろしくねぇ~」


 ユーワンが立ち上がって後ろを指さす。

 指された場所には立派なカウンターがあり、高そうな酒が並んでいる。

 アインスとシスと呼ばれた少女達が頷くのを見て、ユーワンはさっさと奥のカウンターに行ってしまう。

 九郎は疑問を確信に変える。


(―――高校生。確かに言ったよな? そんでさっきの言葉……間違いない。ユーワンさんは――日本人だ!)


「俺こっち来てから酒ぜんぜん飲んで無いんスよ~。ゴチになりやすっ!」


 同じ日本人と分かれば、多少気を許してしまう。まだ確かに不安は残っているが、恐怖感は薄れ、それよりもこの世界であう初めての日本人に九郎はどこか郷愁の念を思い出す。

 九郎は答えるように立ち上がる。

 立ち上がる九郎の裾をそっとベルフラムが掴む。

 危機が去ったと言え、今日一日で大分怖い思いをしている事に九郎は今更ながらに気が付き、口元を下げる。


 考えてみればベルフラム達は命の危機を感じない九郎とは違う。それに、ベルフラム達は未だ子供なのだ。気丈な振りをしているだけだと気が付き、己の短慮を恥じる。鑑みればいつもは笑顔で楽しそうなクラヴィス達も何処か塞いだ表情をしている。チンピラに付けられた傷は既にレイアが治しているが、心の傷はそうはいかない。

 九郎はベルフラムの頭を撫で、続いてクラヴィスとデンテも撫でてやる。

 僅かな触れ合いでも少し不安は取り除けたのか、ベルフラム達は薄く笑顔を向けてくる。

 流れ出レイアも撫でそうになり、慌てて手を引っ込める。

 レイアが視線を向けてくる。なんとも切なそうな表情に九郎はどうしてよいのか分からず、えいやと軽く頭に手を置く。


「大丈夫だからよっ!」


 何がとも何でとも聞かず、レイア達は小さく頷いた。


☠ ☠ ☠


「改めて名前聞きたいんだが~」


 カウンターに腰かけたユーワンがグラスを渡しながら問いかけてくる。

 この世界では今まで見た事の無いガラスのグラスに驚きながらも、九郎は正直に名乗る。

 先程は名前だけを伝えていたのだ。


「富士 九郎っス」


 短く答えた九郎に、ユーワンはにやりと笑って九郎の持つグラスに琥珀色の液体を注ぐ。


小鳥遊タカナシ 雄一だ」


 グラスを合わせながらユーワン――雄一は短く返す。

 グラスを傾け、中の酒を半分ほど飲み干すと、雄一は眼を瞑って黙り込む。


「やっぱり……」


 九郎も雄一に倣ってグラスを傾ける。

 酒精の強い感触が喉を焼く。思った以上にアルコールが高かった事に驚き、僅かにむせる。


「いや~……。久しぶりだわぁ……。日本人に会うのは」

「聞いてちゃいたんスけど俺は初めて会ったっス……」


 視線をグラスに落としながら九郎はこれまでの事を思い返す。

 荒野に放り出されて2ヶ月近く彷徨い、『大地喰いランドスウォーム』に喰われて1ヶ月以上彷徨い――思い返したら彷徨ってばかりだと眉間に皺を寄せる。


「いつからこっち・・・に?」

「えっと大体四ヶ月前くらいっスかね? 雄一さんは?」

「俺はもう5年になるかな~」

「へえ……」


 雄一の答えに九郎は何と返事すればよいか分からず、グラスを傾ける。

 アクゼリートの世界に来たという事は、日本で一度死んだ……厳密に言えば死の直前まで来たという事で、雄一の5年前と考えると子供も奥さんもいたかもしれない。

 そう考えると、九郎も残された者達の事が思い出されなんだか寂しい気持ちに成って来る。


「寝てたらいきなり白い部屋にいて……お前は既に死んでいる! だもんよ……。モブの自覚はあったけどあれは無いんじゃねって思ったわぁ……」

「俺はまあ……テンプレ通りトラックっすわ……」


 どうやら雄一は死の瞬間を感じること無く、五体満足の状態で白い部屋かみのへやに居たらしい。

 九郎と言えばスプラッタ映画顔負けの有様であの場所に召喚されただけに、死をその瞬間に自覚できたが、寝ている間だと理不尽だといった思いも持つだろう。


「テンプレって今そんな事なってんの? 俺がいた頃は召喚ってのが多かったなぁ……。のわりには良く知ってたね? あんなフレーズ」

「まあ、まとめとかも見るッスから」


 ――この男もどこかで日本を懐かしんでいたのだろうか――そんな思いがする。

 言葉の端々に含まれていた日本のフレーズは、他にも来ている日本人に気付いてもらう為ではないか? ――そんな感傷を抱き、また沈黙が訪れる。


「綺麗好きなんスか?」


 何だか暗い話になりそうな気配を感じて、九郎は話題を変える。

 雄一はグラスを傾ける度に、ハンカチでグラスを拭っていた。神経質そうにも見えないが何か意味が有るのかと聞いてみる。


「ん? ああ、これ? 癖みたいなもんだな。でもクロウ君も覚えた方がいいかもな」

「どういう事です?」

「この国で偉く成って来るとな……毒とか暗殺とか一杯あんだわ。俺らって皆こっち来る前にチートな能力持ってくんじゃん。だから成り上がるのは結構簡単なんだけど、それだけに敵も大勢でな。この国じゃ特にそんなんが多くてよ……さっきも目の前で配膳してたろ? あれは皆で食べるから毒は無いですよーって意味だかんな。最初クロウ君が日本人かどうか分かんなかったから一応な。

 知らねえだろうけど、こっちに来た奴の5割は毒か病気で死んじまってんだよ。

 幾ら強くたって、魔法に毒消しの魔法がねえってのが問題だと思うわ。病気なんてそれこそ日本人の俺らにゃ耐性もねえしな」


 暗い話を避けたくて話題を変えたつもりが、さらに暗い話になって九郎は渋面する。同時に九郎はその可能性も有ったのかと、改めて『不死』の力に感謝する。

 見知らぬ世界なら未知の病原菌に侵され、早々と死を迎える可能性も確かに高そうだ。今や風邪さえひかない九郎の体は、そう考えると有り難いものなのだろう。


 しかし今日の事を考えると手放しで喜べないのも本心だ。

 大切な者達を守れない事がこれ程悔しく、無力感に苛まれるとは考えても見なかった。

 暴力の乏しい日本で育って来た九郎にとって、この世界では力が無ければどんな理不尽も撥ね退けられない、そういった残酷な世界だという事も思い知ったばかりなのだから。


「そう言えば雄一さんすっげー強かったスよね? あれ魔法なんスか?」

「ん? お前魔法使えねえの? イケメンだもんな。リア充ザマァ」

「どうゆう意味っすか~? んなの関係ないっしょ?」


 そんな事を考えていた九郎が思い出したように雄一に尋ねる。

 力の無さを痛感しただけに、今日の雄一の過剰なまでの暴力に一種の憧れの様な気持ちを持ったのだ。

 あのような無慈悲な殺戮をしようと思った訳では無いが、それでもあの力があれば、今日、ベルフラム達を泣かせる事にはならなかったはずだ。圧倒的な力はそれだけで大事な物を守る確かな楯にも成り得るのだ。


 九郎の憧憬の眼差しに、雄一は殊更機嫌を良くしたようだ。

 出会ってから数時間も経たぬうちにお前呼ばわりされた事には、思うところが無い訳では無いが、それより魔法が使えない事と、「リア充ザマァ」の繋がりが分からず九郎はおどけて聞き返す。


「俺は有ると思ってんよぉ? ほら、良く言うじゃん。童貞は三十路みそじ超えたら魔法が使えるって……」

「……んなら抜いた後だったら賢者に成れるじゃねっすか……」

「上手い事言うねぇ……」


 雄一なりの冗談なのだろうと九郎は軽口で返す。自分の魔力が欠片も無い事はベルフラムから聞いていたが、その理由が童貞で無かったと言われれば、それこそ何とも言えない気分に成って来る。

 白い部屋神の部屋でソリストネとグレアモルが言っていた、「この世界に来る人間は童貞が多い」と言ったセリフがやけに不吉に思えてくる。


「んじゃ、こっちからの質問。クロウ君の『神の力ギフト』ってどんなの?」


 質問に答えてもらった気がしなかったが、雄一の質問に正直に答えても良い物かと九郎は逡巡する。

 別段『神の力ギフト』を隠すつもりは無かったが、ベルフラムには『フロウフシ』の力を知られる訳にはいかなかった。『不死』の一端を見られてはいるが、それはもう一つの『神の力ギフト』『ヘンシツシャ』の力でも誤魔化しの聞くものだ。


「俺の力ってマジショボイっすよ? 『変質』ってんですけど……」


 出来るだけ『フロウフシ』の情報を知る者は少ない方が良い。

 ベルフラムの耳に何処から入るか分からない。そう思って九郎は『ヘンシツシャ』の力を見せようと、軽く謙遜しつつ指をグラスに入れる。『変質』と言ったのは『ヘンシツシャ』では馬鹿にされる気がしたからだ。

 九郎はとりあえず指を冷気に『変質』させる。数秒も経たずにグラスの中に霜が降りる。

 凍りついたグラスを指に付けたまま今度は指を炎に変え、グラスの中の氷を溶かす。

 その様子を見ていた雄一が目を見開いている。

 謙遜とは言いつつも自分でもショボイと思っていた能力がこれ程人を驚かせるとは思ってもみず、雄一くらい力のある人間から見たら何か重大な利点があるのかと期待してしまう。


「マジショボイな……」


 簡潔に述べられた感想に九郎はがっくりと肩を落とす。

 やはり誰がどう見てもショボイのだろう。事実ベルフラムにさえ、ショボイと言われた事の有る『神の力ギフト』だけに、言い返す事も出来ない。


「これってタフな事と関係あんの?」

「え? あ、ああ……。これ俺の身体に『耐性』つける能力なんスよ……。なんで大概の攻撃は耐えようと思えば耐えられるって言うか……」


 雄一の質問に九郎はベルフラム達に説明している事と同じように説明する。

 事実『ヘンシツシャ』の能力は耐える力、慣れる・・・能力だ。

 但し一度は喰らわないと駄目だと言う制約がある。

 炎に焼かれない事も、冷気で凍えない事も今までしてきた苦労があってこその能力だ。

 それこそ本来なら全く使えない能力と言って良い。『フロウフシ』の力で死なないからこそ使えた能力ともいえる。まあ、『フロウフシ』の『神の力ギフト』が無ければ最初の一歩で死んでいたのだが……。


「雄一さんはやっぱあの魔法なんスか?」


 若干拗ねながら九郎が言いやる。


「あれは単なる魔法だろ? あ、魔法使えなかったっけ? 俺のはこれよ」


 チートと思えたあの魔法が単なる一端だと知り、九郎は驚愕する。

 煽られている事も気にならない位驚きながら、九郎が雄一の手のひらを見やる。

 何か念じる様な素振りを見せて雄一の手の平が輝き出す。

 空間に奇妙な穴が現れ、何やら羽音が聞こえてくる。

 羽音が耳元で大きく響いた瞬間、九郎の横で泡が現れる。


「危ない危ない、刺されたらメンドクサイ事に成るとこだったわ」


 雄一は笑いながら九郎の目の前に泡を動かす。

 泡の中には、九郎が最近見た事の有る、透明な蜂『クリスタルバグ』が薄っすらと透けて見える。


「俺の『神の力ギフト』はこれ。『召喚』! 今の俺なら災害級の魔物だって呼べるぜ?」


 ドヤ顔しながら言い放つ雄一に、九郎は憧憬の眼差しを向ける。


「すっげー! マジすっげー! サイキョーじゃないっすか!!」


 思った以上に九郎が驚いた事に雄一は鼻を擦りながらご満悦だ。

 九郎は目の前の『クリスタルバグ』を見ながら「すっげー!!」を繰り返している。


「マジすげえっスね! これあったら飯に困んねえッスもん!!」

「え?」

「え?」


 驚き返す雄一に九郎は意味が分からず聞き返す。何処かで話が食い違ったのだろうか。


「は? 飯?」

「知んねえんスか? こいつマジ旨いっスよ? 食って良いっスか?」


 雄一が「何言ってんのこいつ」と言わんばかりの視線を向けて来るが、九郎は泡を見つめてテンションを上げる。蜂が好物だった九郎にとって、この『クリスタルバグ』と言う魔物はお気に入りの食材だ。

 雄一の返事も待ちきれずに九郎は泡を両手で包み込む。

 魔法なのだろうか、泡はふよんとしながらも確かな強度を持っているようで、九郎が触っても割れそうにない。


「蒸し焼きでも良いっスか?」


 言いながらも答えを待たず、九郎は両手を炎に『変質』させる。

 泡の中の『クリスタルバグ』がその身を赤く変色させていく。

 1分も経たずに泡が蒸発し、ポトリと赤くなった『クリスタルバグ』がカウンターに落ちる。

 嬉々としながら『クリスタルバグ』の羽をむしり終えると、九郎はハッと顔を上げる。


「あ、スンマセン! 最初はやっぱり雄一さんからっスよね?」

「お、俺は今あんまり腹減ってねえしー? く、喰うの? ……マジ?」


 名残惜しそうに『クリスタルバグ』を差し出す九郎に、雄一は引きつった笑みを浮かべていた。

 雄一の辞退に九郎は顔を輝かせる。


「マジっすか?! あざーっス!! ……あ、一人だけ食ったら後でベルに怒られっかな? おーい! ベル! 雄一さんが蜂くれるってよ! ジャンケンなジャンケン……」


 旨いモノを独り占めすると後でベルフラム達に拗ねられると思い、九郎が振り返ると、ベルフラム達がスヤスヤと寝息を立てていた。食事の途中だと言うのに余程疲れていたのだろうか。無理も無いかと思いながら、九郎は雄一に向き直る。


「あちゃー……。やっぱ今日はいろいろ有り過ぎたかんなぁ……。雄一さん、スンマセン! あいつら寝ちゃったみたいなんで、今日の所はこの辺で失礼しまっス!」


 再度頭を下げて礼を告げる九郎に、雄一はなにやら意外そうだ。


「え? あ、ああ。でも皆寝ちゃったんなら上の宿に部屋取ってやろうか? た、大変だろっ?」

「そこまでしてもらちゃ悪いっスよ! それにレイア……あの金髪の子の家に世話になってるんで、親御さんも心配してるだろうし……それにここから近いっすからね!」


 ここの料理屋は宿も兼ねているのかと思いながらも九郎は雄一の提案を辞退する。

 助けてもらってさらに迷惑を重ねる訳にもいかない。

 それに、言った通り、ここの料理屋からレイアの家は左程の距離では無い。同じく身分の高いレイアの父、グリデンの屋敷も近所と言って良い距離にあるのだ。それこそ、連れて来られる間にグリデンの屋敷を通り過ぎているのだから。


「そ、そうかー……。なら最後に一杯付き合ってくれよ?」


 雄一はそう言って給仕の者に酒を一杯用意させる。

 やはり日本人同士でしゃべるのは懐かしかったのだろう。名残を惜しむ様な事を言われると、九郎も断り辛くなってしまう。


「ウッス! ゴチに成ります!」


 小さなグラスに入れられた無色の酒を、グラスを合わせると同時に一気に飲み干す。

 喉を焼く感じが先程の酒よりさらに強い。しかし、飲みなれていたショットガンの様に、胸の中まで熱く成って来る感じが少し懐かしい。


「……………………。ク~! やっぱ酒って良いっすよね~」


 一瞬眩暈を覚える。久しぶりの酒が回って来たのか。

 しかし酒好きの矜持で頭を振ると、九郎はレイアを寝かせてその上にベルフラム達を乗せて行く。

 レイアには悪い気もするが、4人を運ぶにはこの方法が一番運びやすい。3人乗せてもベルフラム達は皆小さな少女だ。それ程重くは無いと思う。


「あーあーこいつらもぐっすり寝ちゃって……。勿体ね……」


 九郎は苦笑しつつ皿に残った食べ物を摘まむ。残さず食うが『風呂屋』のルールだ。それを一番言っているベルフラムが、食べてる途中に寝るなど、余程疲れていたのだろう。

 ベルフラム達の食べ残しを一気にかっ込むと九郎はレイアごと4人を抱き上げ、にこやかな笑顔を作る・・


「じゃあ今日はご馳走様でした!!!」

「あ、ああ。じゃあ気を付けてな……」


 足早に部屋を後にした九郎の耳に、確かに舌打ちが聞こえた。

 九郎は舌に残る、荒野の懐かしい味を飲み下した。

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