第080話  因縁と罠


「おう兄ちゃん、綺麗所侍らして良い御身分だなぁ?」


 九郎は自分に向けられた声に気が付かなかった。

 毛織物を肩に担ぎ、ご機嫌なベルフラムに手を引かれ、クラヴィス達に笑顔を向けられている自分が女を侍らしているとは思っていない。どこからどう見ても買い物を終えた父親の気分だ。

 綺麗所と言われても九郎にとってはベルフラム達は只の子供だ。レイアは綺麗所だが一人だが、侍らしている訳でも無い。

 少し後ろを付いて来ていたレイアだけが声をかけてきた男に冷たい視線を向ける。


「ちょっと待ておいコラ! 手前素通りすんじゃねぇっ!!」


 路地を抜けてレイアの屋敷に戻ろうとしていた九郎の横を、空になった陶製のカップが飛び越して、ガシャンと音を立てる。


「てめえだよ、テメエ! 何とぼけた顔してやがんだ!? 真昼間から女侍らして良い気分だろう? お?」


 まだ日も沈んでいないのに、かなり酔った男が絡んで来た。

 何時頃から飲んでいたのか、酒臭い息を吐きながら九郎に顔を近付けてくる。

 九郎の手を握りしめるベルフラムの手に力が籠る。

 クラヴィス達の目も警戒の様相を見せている。


(どこをどう見て女侍らしてるように見えるってんだよ! どっから見ても買い物帰りのパパさんだろっ!!)


 19歳の身でそれもどうかと思うが、九郎は叫びたい気分だ。

 どうにもこうにもこの国の少女を見る目が如何わしい。

 百歩譲ってベルフラムがもうすぐ成人として見られることは、国の法律だからと納得しても、クラヴィスやデンテを女として見るのはどうやっても納得できない。

 九郎の中では既にこの国はロリの国では無くペドの国である。

 絡んで来ている男に九郎はどうしたものかと頭を悩ませる。

 ベルフラム達を連れている今、むやみやたらと危険な目には遭わせたくない。自分の強さに自信が無いし、子供連れで喧嘩などしたくは無い。


「あ、おかげ様で」


 なんとか穏便にと会釈して見る。


「馬鹿にしてんのかぁ? てめえ俺らを今馬鹿にしてんだろ? おお?」


 どうやら選択肢を間違えた様だ。

 男は九郎の胸元を掴み剣呑な視線を投げかけてくる。


「ちょっとクロウを……」


 ベルフラムが酔っ払いを睨み腰のリボンに手を入れる。

 隠し持っているスタッフを取り出そうとしているのだろう。

 良い気分だったのに水を差されて、殊更怒りが強い。

 体内で魔力を練っているのか赤い髪が重力に反して浮き上がってきている。


「クロウ様質の悪いチンピラのようですね。ここは私が……」


 レイアが九郎と男を割るように腕を入れる。

 酔っ払いの男はその手を避けるように九郎の胸元から手を離すと、からかう様に両手を挙げる。

 いつの間にか何人もの男が九郎達の周りに集まって来ていた。

 ――――不味い!――――

 囲まれた事に九郎の頭に警鐘が鳴り響く。

 ただの酔っ払いに絡まれただけだと思っていたがどうやら違うらしい。

 進路も退路も塞がれるようにして、下卑た笑いを見せながら男たちが近づいて来る。数は20人程か。

 どの男もそれなりに立派な皮鎧を着けている所を見るとただのチンピラとも思いにくい。



「おいおい男が女の陰に隠れんのかぁ? それともこいつは俺らに回してくれるってか。いいねぇ。ご期待通りに姦わしてやんぞ?」


 多勢に無勢を知らしめて気を大きくしたのか、酔っ払いが九郎を挑発する。


(いつのまに囲まれたんだ!? ってかこの国は下衆しかいねえのか!?)


 頭の中で悪態を吐きながらも九郎はどう逃げるか頭を回す。例えベルフラムが魔法を使えても、例えレイアやクラヴィスが九郎より強くても、対人戦に限っては、ものすごく強い野盗としか戦った事の無い九郎には、戦って無事に切り抜けれるビジョンが思い浮かばない。


「あなた達が因縁を付けているのは貴族のご令嬢と知っての事ですか? それもこの領地を治める」


 レイアが殺気の籠った眼でチンピラたちを見据えながら腰の剣に手をかける。

 この国では身分の差は絶対だ。ベルフラムが出奔を宣言していても未だ認められていない以上、ベルフラムは領主の娘である。今はその地位を利用するのが得策だと考えたのだろう。ベルフラムが少し眉を寄せるが、レイアははっきりとそれを告げる。


「はっ! 知ってんぜ? あの有名な『糞姫』様だろ? 本物が『大地喰いランドスウォーム』に喰われて死んだ事を良い事に領主の娘を騙ってるってなぁ?」

「後ろの男の事も知ってんぜ? 処刑人に賄賂積んで薪を減らしてもらった罪人だってなぁ? 偽物の姫さんの穴はそんなに具合がよろしかったのか?」

「昨日は油で滑りが良かったてか? 小せえ穴を裂くのがイイってのが分かってねえなぁ」


 ゲラゲラ笑う男たちの反応にレイアの方が驚きを見せる。

 この様なチンピラ風情が言って良い言葉では無い。


「あなた達も『不敬罪』で処刑されたいようですね……」


 レイアが怒りの籠った声で吐き捨てる。

 この国での上位への侮辱はそれだけで『不敬罪』が成り立つ。死刑まで行くのは相手を傷付けた場合だが、侮辱だけでも牢に繋がれる事にはなる。

 それを知らない者などこの国にはいないはずだ。現に男たちも昨日の処刑を知っている。

 生き延びた九郎はさておき、隣では2人の罪人が見るも無残な死体を晒したのだから、『不敬罪』に対して恐れていないのはおかしい。


「ぎゃはははははっ! 流石『不敬罪』の罪人の女が言う事は違うねぇ!!」


 レイアのセリフに周りの男たちが嘲笑と侮蔑の声で囃し立てる。

 間違いなくこの男たちは昨日の処刑を見ているようだ。それなのにベルフラムを侮辱し、『不敬罪』を恐れていない。

 何かが変だ―――レイアの顔にも焦りが見える。


「お? やる気かぁ? この人数相手に威勢の良いこったなぁ? 良いのかぁ? また『不敬罪』でしょっ引かれるぞぉ?」

「何を言って……」


 続けられた男の言葉にベルフラムの声も強張る。今のこの領地で、領主の娘と名乗ったベルフラムより上位の者など上の兄弟と父親、継母しか存在しない筈である。

 場末のチンピラが誰に向かって『不敬罪』を言い渡すのか。

 ベルフラムの言葉に酔っ払いの男は囲みを進み出てきた一人の男を恭しく指し示す。

 少し良い鎧を着ているが、その他のチンピラたちとそう変わらない風体の男が下卑た笑いを浮かべている。


「こう見えて此方のお方はなぁ、その『糞姫』様の婚約発表会に招かれたさる公爵様の御曹司、ビンデンハイム様だぁ。例えその『糞姫』様が本物だったとしても、なぁ?」


 芝居がかった様子で顎鬚を撫でる男をどうだとばかりに紹介してくる酔っ払いの男。

 何処をどう見てもチンピラにしか見えないが、ベルフラムはその言葉に入れられた意味に顔色を変える。

 ベルフラムの婚約発表会など、正規に予定されている物では無い。それはベルフラムの兄であるエルピオスが勝手に計画したものだ。それを知っているという事はこの男たちはエルピオスの手の物だという事。そしてそれは、この男たちが裁かれない立場を約束されていると言う事だ。

 また、この貴族に見えないこの顎鬚の男が本当に貴族である可能性も捨てきれない。九郎の罪をどうやっても払わせる気が無かったエルピオスの事だ。自分を誰に嫁がせようとしていて、それにどう言った利益が絡んでいるかは分からないが、エルピオスは未だ諦めていない。

 ならば、チンピラを装わせた貴族を利用して来ることも十分考えられる。


「う、嘘をつくのもいい加減にしなさいっ! このような場所に貴族が屯っている筈が……」

「おいおいおいおい。面しれえ事言う嬢ちゃんだなぁ? 今し方貴族を名乗ったお前らはどうなんだ?」


 激昂するレイアの言葉を逆手に取り、男たちはさらに大きな笑い声をあげて挑発してくる。

 普通は歩いて買い物をしている貴族なんていない。しかしその考えをベルフラムの存在が否定している。

 街中だから、アルバトーゼの、『風呂屋』の屋敷では馬車など使わなかったからと深く考えずに、歩いて買い物に出かけたベルフラムがレイアの言葉を滑稽にしてしまう。


「それでもやるってんならやってやっても良いぜぇ? なんならぶん殴らせてやろうかぁ?」


 レイアの顔に頬を近付け貴族を名乗る男が挑発してくる。

 間直に迫る男の顔に眉を顰めてレイアが後ずさる。臭い匂い、荒れている肌。どう見ても貴族に見えはしないが、自分の行動如何でベルフラムを窮地に追いやってしまう可能性を捨てきれない。

 これ程街中で、しかもまだ日が高いのに、他の人間がこの道を通らない事が不安に拍車をかける。

 これでは衛視が駆け付けて来ることも期待できない。


「そんで俺らもお前ら全員犯っちまって仲良く教会で申し開きをすりゃあ、どっちが正しいかなんて直ぐわかんだろう?」


 迷う素振りを見せたレイアに掴みかかろうと男が手を伸ばす。

 その手を九郎の手が遮る。男の口が僅かに歪に引きつり上がる。

 罠だ――ベルフラムは自分の考えが確かな事を、男の歪んだ笑顔から導き出す。


「駄目よっ!クロ……」

「あの~……」


 名前を呼ぼうとしたベルフラムの声を遮るように、九郎の怯えたような声が響く。

 今迄これほど情けない九郎の声など聴いたことも無かったベルフラムは、言葉に詰まっていた。


 九郎はどうやってこの場を切り抜けるかだけを考えていた。

 今の状況は不味い。九郎にはベルフラムの様に深くまで考えている訳では無い。

 どう切り抜けるかだけを頭の中で考えていた。


(どうする? 相手は貴族の御曹司って言ってんぞ!? 不味いっ!! 今でもクラヴィス達が飛びかかっちまいそうだ!! どうする!? どうする!? チンピラに絡まれただけでもこえーのに、そん中に政治家が混じってるみてーな状況だ!! シ〇キ隊かっ!? どう逃げる!? いや――どう逃がす?)


 フル回転していた脳に一筋の光明が見えた。


「なんだぁ? 女の後ろに隠れてやがった野郎が今更何の様だぁ?」


 ビンデンハイムと名乗る貴族の男が挑発的な笑みを湛えて迫る。

 意を決して九郎はすぐさま行動を開始する。


「すんませんでしたぁぁぁぁぁぁあああああ!!!!」


 ジャンピング土下座を華麗に決めて、九郎はビンデンハイムの足元に頭を擦りつける。

 女子供を連れて喧嘩をするほど、しかも強くも無いのに粋がるほど九郎の想像力は貧弱では無い。粋がって負けてしまえば待っているのは最悪の結末だ。

 先ずは相手の戦意ややる気を削ぐのが先決だと思った。

 場を白けさせ、情けない男を演じれば嫉妬を見せた男の溜飲も下がるかも知れない。


「すんません! ホンマすんません! 見逃してください! 調子コイてました!!女の子に囲まれて逆上せててホンマすんません!!」


 頭を地面に擦りつけながらじりじりとビンデンハイムにすり寄っていく。

 あまりの情けなさに周囲の男たちも引き笑いをあげる。


「知り合いの子達なんです! もう親御さんが迎えに来る時間なんです! もうすぐそこまで来てるんス!!」


 ある程度ハッタリも混ぜておく。ベルフラムの親の力がどれほどかは良く分かっていないが、レイアの父親グリデンなら近くにいるかもしれないと、淡い期待もある。


「はんっ! 情けない男だなぁ! 女が見てる前で跪いて相手に縋るたぁ本当にお前男かよ?」


 貴族を名乗った男ビンデンハイムが九郎に唾を吐きかける。九郎の後頭部に唾が飛ぶ。自分の吐いた唾を足でもみ消すように九郎の頭に足をかけぐりぐりと力を掛ける。


「スンマセン! 情けない男っス!! 自分でもそう思うっス!! 今日の所は見逃して欲しいっス!!」

「ギャハハハハハハッ! 情けねえツラだなぁおい!」


 周りの男も九郎の醜態に嘲りの笑いを浴びせる。

 九郎としてもこのままこの男たちが、溜飲を下げ、白けてくれることが一番望ましい。

 しかしそれ程上手く行くとも考えていない。そこまでこの状況で楽観できる九郎では無い。

 九郎の持っている貴族のイメージは政治家や公権力を持つ下衆だ。

 一昨日の申し開き時の、神官たちの下卑た笑いが思い出される。

 あのベルフラム達を見る残酷な笑みは、権力を奮い好き勝手する最悪なイメージしか無い。


「テメエマジで男じゃねえんじゃね? 玉ついてんのかぁ?」

「玉無しっス!! 言い返せねっス!!」

「ぺこぺこ、ぺこぺこ頭下げやがって……虫けらだってちったあマシな気概を見せるってやつだ」

「虫けら以下っス!!」


 滑稽な程情けない様相を演じる。

 相手の言葉を繰り返し、反論しない。


「もうちっと骨がねえと張り合いがねえなぁ!!」

「っぐ! スンマセン! 骨なしふにゃちん野郎っス!!」


 跪く九郎に男の足蹴が飛んでくる。痛くは無いが息が詰まってくぐもった声が漏れる。だが反撃してはならない。挑発に乗っても相手の思うつぼだ。

 とにかく情けなく相手の慈悲に縋る。


「女どもも引いてっじゃねえか。男ならやり返してみろや。ほれほれ」

「もう振られたっス! バレたっス! もう侍らす事出きえねっす!!!」


 ベルフラム達がどんな顔をしているのかは分からない。

 好意を向けてくれる少女や、惚れた女の前で醜態をさらす事など九郎もしたくは無い。

 それでも少女達を優先させるべきだと九郎は思っている。


「だから今日の所は見逃してください!!!」


 地べたを這ってでも少女達を無事に送り返す事が九郎の責務だと感じている。

 ――それは聞けねぇ相談だなぁ……――

 そんな僅かな願いを打ち砕く無慈悲な声が降ってくる。


「お前みてえな情けない男より俺らの方がイイって事を体に刻んでやるよ!!」

「……………そうかよ」


 頭から降ってきた言葉に九郎は短く返す。

 低く押し殺した声で呟くと、九郎はビンデンハイムの足を掴み立ち上がる。


「レイアッ! ベル達を連れて逃げろっ! おっと動くんじゃねえぞ? お前らの大事な貴族様がプチッと逝くぞ? ベルッ! ぼさっとしてんな! オラッ!! 手前ら道を開けろっ!!」


 片手でビンデンハイムを持ち上げ首筋に足を当てる。

 力を込めて足を踏み込めば容易く折れるだろう。


 情けなさ全開だった九郎が突然豹変して攻勢に出た事で、周りの男も微かに怯む。

 九郎はレイアに向かって怒鳴る。こうなったら一番不味いのはベルフラム達が捕まってしまう事だ。

 そうなると逆に手も足も出ない。なぜなら九郎にとってこの男ビンデンハイムよりもベルフラム達の方が大切だからだ。

 人質交換でも受け入れる他無い。

 九郎の今の心境はそれこそヤクザの親分を人質に、チンピラに囲まれた状況を切り抜けようとしているそれだ。


「てめえ貴族に対してこんな事して良いと思ってんのか!? 『不敬罪』で処刑すんぞぉ!?」

「生憎『不敬罪』は経験者でな! 俺もお前らと同じで怖かねえんだよ!!」


 九郎の考えている最悪はベルフラム達が傷つくことで、そこに自分は含まれていない。

 九郎は『不死』だ。殺される心配など無い。傷ついたとしても直ぐに治る。痛みも自傷によらなければ左程でもない。例え『不敬罪』で再度処刑されようとも問題無いのである。


「クロウっ!!」「クロウ様もっ!!」


 ベルフラムとレイアが同時に叫ぶ。少し広がった男たちの輪を見ながら九郎は足に力を込める。

 ヒッと貴族を自称した男の引きつった声が漏れる。


「ちと体勢がわりいんだわ! なんとか人を呼んで来てくれ!! んな顔すんなって……これで『不敬罪』になってもおらぁ死なねえかんな。オラッそこのデカブツっ! じりじり寄ってくんじゃねえ! ホントにこいつが死んじまうぞ? 貴族の御曹司の首ぶち折んぞコラァっ!?」


 追い詰められた様相で足に力をさらに込める。余裕なんて有る訳が無い。

 僅かな衝撃で爆発しそうな危うい緊張感を見せねば付け入る隙を与えてしまう。

 そんな事を考えている訳でも無く、九郎は本気で焦っている。


「レイアっ! ベル達を頼むっ!!」

「クロウ様必ず助けを呼んでまいります! それまで何とか御無事でっ!!」


 叫ぶ九郎を一瞬見て逡巡する素振りを見せたが、レイアはベルフラムを抱えてクラヴィス達を促し駆け出す。


「ちょっと待ちなさいレイアっ! クロウを置いてなんて行けないわっ!!」

「黙って! 嵌められてるの! ベルフラム様も分かってるでしょう! 馬鹿な私でも分かるんだから!!」

「だって……」


 レイアの怒気に気おされてベルフラムが言葉を失う。

 聞いたことも無い荒い言葉使いからもレイアの焦りが伺える。

 クラヴィス達も状況の怪しさには気が付いているのだろう。今日買ってもらったばかりの武器に手を掛けながらも、抜かずに男たちの傍を走り抜ける。賢い少女達だと九郎も胸を撫で下ろす。


(ふぃ~~~~……。何とかなったぁ……)


 いまだ自分は取り囲まれてはいるが、そこに心配などしていない。

 なにせ自分は『不死』なのだ。九郎はもはや自分の死をイメージ出来ない。


 走り去るレイア達の後姿を見ながら九郎は足に力を込める。

 蛙の鳴くような声でビンデンハイムがまたビクリと体を震わせる。


「んじゃあ俺もそろそろお暇してえんだけど……。大人しく逃がしちゃくれねえかなぁ……」


 じりじり後退しながら九郎はぼやく。

 この人質は思ったよりも大物だったのだろう。足に力を込める度に周りの男が顔を青くする事がそれを物語っている。

 とすればこの男を捕まえている限りは、手を出されないが逃げる事も出来ないだろう。

 いっそ殺すつもりで戦えばとも思うが、九郎は人殺しまでは踏み込めない。

 この世界に来てから幾人もの死体を見てきたが、自分が人を殺せるとは思えない。

 九郎は自分の命が脅かされていないのに、他人ヒトの命を奪う事を躊躇していた。

 大切な誰かの命が懸かっているのならそれ・・に踏み込むことも出来たのかも知れないが、懸かっていない自分の命で人殺しを選ぶことは出来そうも無い。


「テメェ……マジでこんなことしてタダで済むと思って……」

「思ってねえよっ! 『不敬罪』二度目の覚悟は出来てんよ!」


 そこまで言って九郎は気付く。

 殺す覚悟は出来てないが、『不敬罪』になる覚悟は出来ているのだ。

 殺さないし、自分の実力で敵うつもりも無いがこのままジッとしているのも癪だ。

 何せ絡まれただけでこれから処刑されるのだ。

 あまりに理不尽な事に今更ながらに怒りが込み上げてきた。

 先程まではベルフラム達を逃がす事で頭の中が一杯だったが、殺される心配の無い自分一人なら何とかなるのではないか――そんな気持ちが出てきた。


 一糸報いる事だけなら、あの凶悪な雰囲気の野盗達相手でも出来たのだ。


「じゃあ、いっちょ俺版『俺無双』やってみっかぁぁぁあああ!!!」


 九郎はニヤリと笑って武器を振るう。


「あ゛あ゛あ゛あ゛ああああああああ!!!!!!!」


 振り回した武器ビンデンハイムから悲鳴が漏れた。


☠ ☠ ☠


「くそっ! タフな野郎だ……」

「まだまだぁっ!!」

「コノヤロウっ! 調子に乗んなっ!!」

「ぐっ! ドンドンこいやぁ、コンチクショウッ!!」


 レミウス城下街の一画で、男たちの罵声が飛び交う。

 日もまだ高いと言うのに、その一画だけが隔離されたように罵声しか聞こえてこない。

 拳がぶつかる鈍い音と、ガラの悪い声だけが響いている。


(ちっくしょう! 武器・・手放しちまったんが裏目に出たか!)


 人質にしていた貴族の御曹司クロウのブキだったモノは、今や道端にぐにゃりとその身を横たえている。

 数度振り回しただけで力を失い失神してしまった。

 使えない武器だ――そう思いながらも九郎はビンデンハイムを解放するしかなかった。このまま使い続けていたら殺してしまうと思ったからだ。


 そこからは1対20の大立ち回りである。

 逃げる隙など与える物かと取り囲まれた九郎は、孤軍奮闘虚しく、いいように殴られていた。

 着ていたシャツはビリビリに破れ、髪は乱れ、体中に靴跡を残した酷い風体だった。ただ九郎にダメージはない。汚れの所為でやられているように見えるが、体は傷一つ残っていない。

 酷い痣も、折れた骨も数秒も経たずに治っている。

 しかし、九郎は焦りを覚えていた。


「てめえ! いい加減にしねえと……」

「ぐっはっ!!」


 2メートルは有ろうかと思われる大男の拳が腹に突き刺さる。

 耐えきれずに吹き飛び壁にその身を打ち付ける。


「おいっ! 殺しちまったんじゃねえか!? ヤベエゾ!?」

「手前らも武器は止めろ! ちゃんと仕事しやがれ!」


 男たちの声が九郎の焦りの原因だった。

 絡んできた男たちは何故か九郎をいたぶるだけで殺そうとまではしてこない。

 その態度に疑問を覚える。

 逃がすつもりも無さそうだが、かといって捕まえようともしてこない。

 いたぶるだけでなんら男たちの目的が見えてこない事が不気味だった。


「何がしてえんだよっ! サドかっ! ホモかっ! 俺に男と戯れる趣味なんてねえ!」


 立ち上がって拳を振り上げ再び飛びかかる。

 触れれば熊をも吹き飛ばす九郎の拳が空を切る。


「よけんなよ! 殴り合おうじゃねえか! 足をとめてよぉ!!」


 九郎の攻撃が全く当たらない事も九郎の焦りに拍車をかけていた。

 最初こそビンデンハイムを振り回して、幾人かを巻き込んだ。数人の男には拳も当たり、気絶させることにも成功した。しかし、多勢に無勢。ビンデンハイムを手放した後は良いようにボコられている。

 逃げ出そうにも背後から蹴倒され取り囲まれる。

 どうにもならない手詰まり感が九郎の焦りを加速させる。


(こんなんだったら貴族ぶき振り回して逃げりゃよかった! 俺の馬鹿っ! 弱ええって知ってんだろ!!!)


 命の危機を感じないが為の失態だ。


「手前ら撫でてばっかじゃおらあ、倒れねえぞ!? しっかり腰据えてかかってこいやぁああ!!」


 もはや相手の体力が尽きるまで殴り合う他無いのかと九郎は拳を打ち鳴らす。

 その時九郎の耳にベルフラムの声が響く。


「クロウっ! 助けを呼んできたわ!!」


 遠くに駆け寄って来るベルフラム達の姿が見える。

 その後ろには衛視の姿も見える。


(そう言えば助けを呼んでくるよう頼んでたっけな……忘れちまってたぜ……)


 九郎は安堵の吐息を吐き出す。ベルフラム達を逃がした事ですっかり忘れていた。


「おまわりさんこっちです!!!」


 九郎は大声で叫ぶ。周りの男たちも動きを止めている。


「大丈夫でしたか?」

「すいません助かりました」


 近付く衛視が声をかけてくる。

 公権力がこれ程ありがたく思えたのはこの国にきて初めてだ。

 衛視と言えば九郎も度々お世話になっていたが、それ程悪いイメージは無い。

 裸同然で街に入るのを見咎められて、何度か事情を聞かれたくらいだ。


「クロウ、大丈夫?」

「ああ、助かった。別段、怪我はしちゃいねえよ」


 ベルフラムの声に九郎は手を上げて答える。

 なんとも締まらない結末だが、もう安心だろう。

 無双するほどの実力が無かったのだから仕方がない。

 どうしたって自分には相手を殺す覚悟は無い。

 全滅させるだけなら、それこそ一人囲まれた時点で『昇天する心地セブンスヘブン』を使えば良かったのだから。


(小説の主人公とか結構軽く人殺してっけど、よくそんな覚悟あんな……。俺にはそんなん出来そうにねえや……)


 嘆息しつつ九郎は体を払って歩き出す。

 後はもう一度『不敬罪』で処刑されるだけだ。その事に不安は感じない。次はコロッケでも仕込もうかとも思えてくる。


「大丈夫ですか?」


 衛視がもう一度問いかけてくる。

 真面目そうな優しい顔の衛視が眩しい。鉄の鎧を着て、武装した衛視たちが何とも頼もしい。

 ベルフラムは瞳に僅かに涙を溜めながら、九郎の無事に嬉しそうに笑みを浮かべている。


「体は丈夫な方なんです。何ともないんで……でも助かったのは本当っス。ありがとうござ……」


 九郎の動きが止まる。真面目そうな衛視に笑みが浮かぶ。


「私は後ろの方に声をかけてるのですよ? 大丈夫ですか――ビンデンハイム卿――」


 ベルフラムの首筋に抜身の剣を添えた衛視が、優しげな声で笑っていた。


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