第074話  空気は読まない


「この者は~卑しくも××男爵家に押し入り~……」

「嫌だっ! 俺は死にたくねえっ! 死にたくねえよおおお!」

「うるせえっこの犯罪者がっ!」

「ぐあっ! 覚えてろよっ! 手前ら呪い殺してやる!!」

「これから処刑される奴が何言ってやがるっ!!」

「そうだそうだ! 精々苦しんで罪を償いやがれってんだ!!」


 レミウスの街の中心近くの広場に3つの鉄の釜が用意され、3人の罪人が外側を向く格好で跪かされていた。

 うずたかく積まれた薪と、おどろおどろしい意匠の大きな鉄釜が否応にもこれから起こる事の恐怖を盛り上げている。


 罪人の一人一人の横には神官服を着た男がそれぞれ立ち、罪人の罪状を読み上げている。

 どうやら二人の罪人は盗賊の様だ。神官が言っている事が正しいのなら、強盗殺人、強姦殺人と日本であっても死刑を受けそうな酷い内容だ。

 その罪を告げられる度に、周囲に集まった人々が罪人に向かって石を投げつけている。

 公開処刑と言うものは民衆にとっての娯楽となっているのだろうか。まるで鬱憤でも晴らすかのように、容赦のない音が聞こえてくる。


「はいっクロウっ。あ~ん……」

「お、おう……」


 後ろに容赦ない罵倒を聞きながら九郎は言われたままに口を開ける。

 口元に運ばれるサンドイッチの様な物を咀嚼しながら、九郎はなんとも言えない顔を浮かべる。


「クロウ様、口元に汚れが」

「わっ、わりい……」


 3つの釜を中心に外側を向いて座らされた罪人の内の一人、九郎の周囲だけ他の二人の罪人とは様子が違っていた。


「この者は……公爵令嬢を拐かし、あ、あまつさえその純潔を散らした罪に……」

「拐かしてなんかいないのにね? むしろ私が拐かしちゃったみたいなものだし。はい、こっちも美味しかったわよ? あ~ん……」

「なあ……ベル……こりゃなんのつも……」

「クロウしゃまー、おんぶー」


 桃色ピンクな雰囲気をこれでもかと言うくらい醸し出し、九郎の周囲はなんとも言えない空気感に包まれていた。


 他の二人の罪人に容赦のない罵詈雑言と石の雨が浴びせられているのに対し、九郎に向かって石を投げる者はいない。

 その理由は九郎の傍に侍っているベルフラム達の所為だろう。

 胡坐の状態で座らされた九郎の膝に座り、小さな手で食べ物を九郎の口に運ぶベルフラム。

 もう一方の膝にはクラヴィスが座り甲斐甲斐しく世話をしてくれている。

 デンテは九郎の背に抱きつき、甘えるように体を寄せ、時折頬を寄せてくる。

 傍らにはレイアが正座し、バスケットからいろいろな食べ物を取り出していた。


 なんと言うか、九郎の周りだけは、休日にピクニックに来た仲睦まじい家族の様だった。

 魔法を封じる首枷をはめられ、手枷をつけ、足に巨大な鉄球を付けられた九郎は見たままの罪人の格好だ。ただその九郎に向けられる周囲の視線は、好奇心と羨望が入り混じっている。


 美しい少女達に甲斐甲斐しく世話される様子は、石の一つも投げつけたくなるだろうが、貴族であるベルフラムに向かって石を投げる勇気が有る者はいない。

 周囲に見せつけるように九郎に好意を向けるベルフラムに、九郎の罪状を叫んでいる神官もいたたまれない様子だ。


「死にたくねえっ! 死にたくねえっ!!」

「うるせえって言ってるだろっ! この糞がっ!!」

「ぐっ! ぎゃっ!」

「やめろっ! もうやめてくれ~!」

「なあ……これは何のつもりなんだ……?」


 後ろから聞こえてくる悲壮な叫びを聞きつつ、九郎はもう一度訪ねる。

 九郎の首に手を回し、可愛らしく頬を寄せていたベルフラムがニコリともニヤリとも取れる笑みを浮かべる。


「どうせならもういっそ知らしめてやろうかと思ったの。これでこの先あなたが私を拐かしたなんて言われないでしょ?」


 確かにこの状況を見て、ベルフラムが無理やり九郎に誘拐された等とは誰も思うまい。

 明らかに好意を寄せているのはベルフラムの方であるのが一目瞭然である。

 九郎を見てくる群衆の奥様方からは、悲恋の物語のフィナーレを見ているかのような熱の籠った視線を感じる。


「まあ、それだけじゃないけどね? ここまで見せつけたらお父様も私の政治的価値を見放すでしょ? 一石二鳥ってやつじゃない」

「おいっ!!それって……」


 ベルフラムの思惑は九郎の罪を払うだけでは無かったようだ。

 九郎の罪を半分は払い、半分は逆に周知しようとしているようだ。

 要するにベルフラムは九郎に拐かされてはいないが、純潔は捧げたと周囲に知らしめようとしていた。


 処女を失った貴族の娘に政治的価値は無い。エルピオスとアルフラムどちらの思惑で嵌められたのかは分からないが、これ以上面倒事に巻き込まれるのは御免だとばかりにベルフラムは片目を瞑って見せる。


(俺のロリコン疑惑が固まっちまった!!)


 転んでもタダでは起きないベルフラムの強かさに、九郎は肩を落として嘆息する。これでこの街でのナンパは絶望的だと、空を仰ぐ。

 同時にそれでベルフラムは良いのだろうかと思いを抱く。

 この様な幼い少女が男に走ったとなれば、醜聞の類も湧き出て来るだろう。

 この年で淫売ビッチの誹りを受ける事をこの少女はどう考えているのか。


「私は別に気にしないわよ? 聞こえてこなければ不快に思わないし……それに、もうクラインや前の屋敷のメイド達に散々噂されたから今更よ?」


 気にしないと事無げに言い放つベルフラム。どうやらベルフラムも九郎と同じく、仲の良い者が噂される事は嫌うが、自分が言われる事には気にしない性質なのだろう。


「この男わぁっ……かくも鬼畜なぁっ……」

「それよりたっぷり見せつけてやりましょっ。前代未聞よね。処刑前の罪人にこれ程の美少女が侍っているのは。なんだかハーレムの主人になった気がしない?」

「…………ハーレムってより休日の仲の良いご家庭のパパさんの気分だ……」


 ハーレムを目指している九郎だったが、今の環境をなんらハーレムとは感じていなかった。

 どこからどうみても子供に集られる父親としか思えない。この様子を見てハーレムを想像するものなど居るのだろうか。


(――いるんだろうな……この国じゃあ……)


 ――嘆息しながら九郎は辺りを見渡す。

 九郎の視線の先には、少なくない成人男性が、嫉妬の視線を九郎に向けている。

 レイア位の年齢の少女を侍らすのなら、九郎ももちろん羨ましいと思うが、九郎に集っているのは年端も行かない少女達である。欲情を覚える年齢が明らかに低すぎると九郎は眉をしかめる。

 群衆の中の目は、自分の子供くらいの年齢のベルフラム達にも明らかに性を見ている。


(本っっっ気で拗らせてんなぁ……この国……)


 九郎は身長の小さな大人なら問題無いが、童女を抱く趣味は持っていない。自分でも子供好きを認めているがその意味は純粋なる意味でしかない。子供を前にして、庇護欲は掻き立てられても欲情はしない。子供とするなど考えただけで罪悪感に苛まれてしまう。

 それは九郎が現代社会の倫理観によって育って来たからであった。

 それなりにモテていた九郎は、少女に欲情を覚えるような拗らせた感情は育たなかったと言っても良い。

 果たして現代社会では無いこのアクゼリートに、所謂ロリババアが存在しているならどう言った感情を抱くのかは分からないが……。


 しかしこの国の男たちはそうで無いのだろう。

 嫉妬で人が殺せたらっっっ! と言った殺気にも似た視線が九郎に突き刺さっている。


「あ、あの……ベルフラム様……やりすぎではありませんか?」


 レイアが引きつり気味に小声で語りかける。

 ベルフラムが自身の意思で九郎に寄っている事を知らしめる為に、衆目の場で仲の良さを見せつける計画であったが、やり過ぎだろうと九郎も思う。

 九郎にその気が無くても、この国ではベルフラムは程なく大人を迎える若さあふれる女性と見られる。

 その大人と子供の境目にいるであろう美しい少女が、一人の男に必死に愛を囁いている姿は嫉妬をこれでもかと煽っている。


「何よ? まだまだ足りないわっ! 誰がクロウを告発したのか分からないけど、それだったらいっそ私が誰のモノか知らしめてやるんだからっ!!」


 ベルフラムは九郎の頭を抱きすくめて、胸を押し付けるようにして周囲に流し目を送っている。

 子供特有の高い体温を感じながらも、九郎には甘えている子供にしか思えない。

 腹だか胸だか分からない感触に、いつもなら「マセた事してんじゃねえっ!」と拳骨を落としている所だが、手枷の着いた両手ではそれも出来ない。


「んな固い胸押し付けられて羨ましがる奴なんて極少数の拗らせた奴だけだろ……どうせならレイアくらいの巨乳ちゃんにだな……」

「ぴぇっ!?!」 パァンッ!!


 レイアの驚きの声と小さな破裂音が同時に耳に入る。

 なにやらベルフラムのプライドを傷付けてしまったようだ。ベルフラムの小さな手が九郎の頬を挟み込んでいる。


「レ、レイアの言う事も確かにあるわよね……少し民衆の溜飲も下げなきゃって思って……違うわっ!? そう! 気合よ! 気合! クロウに頑張ってもらえるように気合を入れようと……」


 自分でも何故この様な行動に出たのか分からない様子で、ベルフラムがアタフタと言い訳していた。初めて恋心を抱いた小さな少女には、嫉妬の感情さえ覚えの無いモノだったのだろう。マセているのに、初心な様子を見せるベルフラムのぎこちない感情が見え隠れしている。


「そ、そうだな……お、おう……。気合入ったぜ……。ところでレイア、頼んだものはどうなった?」


 身体的特徴をあげつらうのは、例え子供と言えど言ってはいけなかったな……と九郎が反省しながら話題を変えようとレイアに言葉を向ける。

 自分が死なない事が分かっているので、これから処刑される身であることをすっかり忘れていた。

 横では神官の男が声を張り上げ九郎の罪状を訴えてはいるが、それが何処か他人ごとに聞こえて耳に入って来ない。

 レイアも九郎の余裕ぶりに、呆れた表情を見せながらも傍らに置いた樽を差し出す。


「これで良かったのでしょうか?」

「多過ぎね?」

「いえっ……どれ程必要かを伺わなかったので……つい……」


 樽に詰まったモノを見て九郎が目を丸くする。


「切れてんの?」

「はい、全て言われた通りにしてあります」


 樽に詰まったモノは、何処も切れ目が無いように思えた。

 しかし頼んだ処理はしてあるらしい。


「何よこれ?」


 ベルフラムも樽を覗き込んで不思議そうにしている。


「ベルが喜ぶもんだよ」

「え? 確かに好きだけど……コレってこのままじゃ毒じゃなかったっけ?」


 樽を見ながらベルフラムが首を傾げる。


「まあ、楽しみにしておけって! すんませ~ん!これ持ち込みいいッスか?」

「こ、この者はっ……貴族の令嬢の純潔うぉ……な、なんだ貴様っ! べ、別に羨ましくなんか無いんだからなっ!!」


 傍らで尚も九郎の罪状を叫んでいた神官に九郎は声をかける。

 なじみの居酒屋に摘まみを持ち込む気安さで声を掛けて来た九郎に、何処かのツンデレ娘の様な言葉を発しながら、異形の者でも見るかのように神官が九郎を見やる。

 半分泣きそうな表情をしている所を見ると、この男もこのピンクな空気にかなり居た堪れなかったのだろう。


「いや、処刑中これをあそこの台に置いといて欲しいんすよ」


 九郎は正に今、準備が整おうとしている鉄釜の傍に置かれた木の台を顎で指し示す。


「む!? コレは芋か? 貴様、姫様の可愛らしい手で食べさせてもらっておいてまだ足りぬと言うのかっ!? あの姫様の白い小さな手で、小さな手で持たれた、パンをっ……食べておきながらっ……!」


 どうやらこの男も拗らせている部類のようだ。

 九郎に対する憎しみともとれる嫉妬の炎が滲み出ている。

 手フェチかな? と九郎は引きつった笑いを向ける。


「それくらい叶えなさい。私のクロウ・・・・・の願いよ? 聞けないとでも言うのかしら?」


 ベルフラムが冷ややかな目で神官を見やる。

 私のと強調しながら殊更に九郎の首に手を回し顔を抱きすくめる。捨てた筈の身分を傘に着ることも厭わない。「使える物は何でもつかう」彼女の強かさが伺える。


 例え神官の身であっても、昨日の神官たちの様な地位で無いのか、ベルフラムに対して言葉を覆す事など出来ないのだろうか。

 男はベルフラムの言葉に顔を赤や青に変えて逡巡している。


「しかし……あれは暴れて逃げようとする罪人を押し込める為に、兵士が乗る為の台でありまして……」


 迷う素振りを見せた神官だったが、真面目な性格だったのか恐る恐るではあるがベルフラムの言葉に抵抗を見せる。視線の先には九郎を見ている所から考えると、嫉妬が恐怖に打ち勝ったのかも知れない。


 釜の近くに作られた木の台には、兵士が棒を持って立つらしい。

 長い時間をかける処刑方法である『釜揚げ』の刑は、それだけ長く苦痛が続き、その分だけ罪人も暴れもがく為に押し込める役が必要だとの事だ。


「なら、クロウが暴れたなら除けても良いわよ」


 ベルフラムは事無げに言い放つ。ベルフラムとしてみても、九郎が暴れる様な事が有れば、今迄見せつけてきた余裕も吹き飛んでしまう。そうなれば、魔法で辺りを吹き飛ばして直ぐにでも街を脱出する腹積もりだ。


「姫様はこの男が生き延びると仰った様ですが、そのような期待はしない方が身の為ですよ。『釜揚げ』の刑は何度も見て来ましたが、ある意味火あぶりよりも酷いものです。水と違って油は容易に体から離れません。皮膚は焼け爛れ、水泡が出来てその顔はそれはそれは醜く腫れ、化物もかくやと言う恐ろしさです。この男に少しは懸想されているように見受けられましたが、それならば最後の姿は見ない方が御身の為です」


 神官の言葉に九郎の首に回されていたベルフラムの腕に力が籠る。

 押し付けられた胸が小刻みに震えている事を九郎に伝えてくる。


「大丈夫っス。『アルバトーゼのボイラー』の名は伊達じゃねって所、披露するッスよ~」


 誰も呼んだ事の無い二つ名を自称しながら、殊更暢気な声で九郎が神官に言いやる。

 とぼけた声色にベルフラムの不安も幾分和らいだのだろうかと、九郎はベルフラムに視線を移す。

 視線に気付いたベルフラムが、小さく頷き九郎を見つめる。

 信用しろと片目を瞑って見せる九郎に、ベルフラムは弱々しく笑顔を返す。

 泣きそうなのを堪えている様にも見えるが、覚悟を決めたのか顔を上げ神官を睨む。


「私の英雄は教会のでっち上げた罪では裁けないわ! 誰の差し金かは分からないけど、いずれその身に炎が返ると伝えて頂戴! クロウは神に選ばれた人よ!」


 声高に言い返すベルフラムに神官の眉も上がる。

 言い返しては来ないが、神に仕える者に対してベルフラムは真っ向から喧嘩を売っている。

 九郎が『来訪者』であり、『神の指針クエスト』と『神の力ギフト』を授けられていると知っているベルフラムだからこそ言えるセリフたが、何も知らない者達からは神をも恐れぬ発言と見られるだろう。


「……っ!! 姫様の想い人が苦しみ醜くもがく姿を見て、姫様が泣き出さない事を懸念しておきますぞ!!」


 捨て台詞のような言葉をベルフラムに告げ、神官は忌々しげに背を向ける。

 同時に銅鑼が鳴り響き、控えていた兵士が九郎の肩を掴む。

 どうやら処刑の準備が出来た様だ。

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