第075話 釜揚げ
「これより『不敬罪』の刑を執り行う!!!」
大きな声で告げられた言葉に刑場に集まった人々からワッと歓声が上がる。
「罪人を釜へ!!!」
続いて告げられた言葉に九郎の背中が押される。
台上に上げられた九郎がおずおずと釜に片足を入れる。
(よく考えりゃ油に入る経験なんてねえよな……うほっ! ヌルヌルしやがるっ!)
滑らないように気を付けながら、釜の中に体を沈める。
台に立った兵士が気味の悪そうな視線を九郎に向けてくる。
どうやら自ら釜に入った罪人は九郎が初めてだったようだ。
隣に目を向けると、必死に逃れようとしている盗賊達が、大勢の兵士に無理やり釜に押し込まれている。
釜の深さは大きな樽くらいといった感じだ。広さは樽5、6個位が楽に入るほど。旅館の個人風呂程の広さだ。腰を下ろすと首下位までの量の油が満たされている。隣の釜ではバシャバシャともがく音が聞こえる。
「それでは罪を洗う火をくべよ! 罪深い魂は神の裁きによってのみ洗われる!!」
釜の下に積み上げられた薪に火が灯される。
悲壮な声が隣から聞こえてくる。
「死にたくねえっ! 死にたくねえっ! 死にたくねえっ!」
「こらっ! 暴れるなっ!!」
隣の二人はかなり錯乱している様子だ。油の貯められた釜の中で滑っている様子が良く分かる。
(ヒトの唐揚げって感じかねえ……。これが高温の油ならそれ程苦しまねえのかな? はぁ~やだやだ。ファンタジーってリアルだとこんなに残酷なのな)
他人事のように眉を顰めて眺める九郎に、台上の兵士が訝しんで声をかける。
「貴様はやけに大人しいじゃないか。既に観念したのか?」
「いや~、俺死ぬ気無いっスもん。さっきあの子も言ってたっしょ? それよりこの刑どんくらいで終わるんスか?」
「貴様本気で生き延びれると思っているのか? 心配せずともこの薪が無くなるまでじっくり揚げられる事になるのだ。まあ精々半分ほどの量でこと切れるとは思うがな」
うずたかく積まれた薪を顎でしゃくりながら兵士は答える。
成程、昨日エルピオスが言ったように、この『釜揚げ』の刑はかなり金のかかる処刑方法らしい。
薪の貴重なこの地域でこれ程の量の薪を使うのなら、エルピオスが言った予算的に厳しいとの言葉も納得できる。
冬場に油を使うのも、薪を節約する思惑が強いのだろう。冬場に水を溜めては直ぐに冷えて凍ってしまい、余分に薪を消費するのかもしれない。
「んじゃあ結構かかるっすね。昼を跨いじまいそうだ……。しっかし、処刑見た後に飯なんか良く喰う気になんな……」
うへぇと漏らしながら九郎は群衆に目を向ける。広場には人垣が出来るほど人が詰めかけている。
皆が一様に怖いもの見たさの期待の眼差しを罪人に向けている。
程なくして、九郎の身体に小さな泡の感触が伝わる。
釜の底から小さな泡がポコポコと湧き上がってくる。
(ああ……だんだん温くなってきた……)
九郎は油に肩までつかる。気分はすっかり五右衛門風呂に浸かる気分だ。
(ああ……新感覚……ローション風呂ってこんな感じか? 風俗に行った事が無かったから分かんねえケド。この泡の感じもジャグジー何かよりも固い感じで……何だか癖になりそうだ……。……っはっ! イカンイカン! 油は高いよ油はっ! ……しかし薪より安いんだよな……良く考えりゃ……)
九郎が新しい扉を開こうとしていると、ボコリと大きな泡が湧き上がる。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁああああっっ!!!!」
「ぐああああああああああああああああ!!!」
気付かぬうちに油の温度が人の耐えれる温度では無くなっていたようだ。
隣を見やると盗賊たちが苦悶の声を上げ釜の中で暴れている。
皮膚が真っ赤に焼け爛れ、弾けた皮膚から血が滲んでいる様子は地獄の底を連想させる。
どうやらエルピオスが脅しをかけていたのは本当だったのだろう。
周囲には盗賊たちの上げる怨嗟と苦悶の声が響き渡る。
苦しみもがく盗賊達を期待の籠った眼で見ている群衆に、九郎は背中にヒヤリとしたものを感じる。
盗賊たちは、群衆に手を伸ばし助けを求め慈悲を乞う。
「も゛う゛い゛っ゛ぞごろ゛じでぐでえ゛え゛え゛え゛え゛え゛。」
やがてその声が死を望む声に変わる。
盗賊たちの顔は焼け爛れ、頭皮は剥げ落ち暴れる手足は火傷で膨れて見るも絶えない。
暴れるごとに油が跳ねるのか、必死で押し込めている兵士達も顔を顰めている。
「うっわぁー……グッロ~……」
九郎は釜の縁に手をかけて嫌そうに身を竦める。自ら油に身を沈める九郎に、台上の兵士も気味が悪そうに九郎を見ている。
「き、貴様は何ともないのか……?」
ぶくぶく泡立つ釜に身を沈める九郎に、兵士が恐る恐る声をかける。
「これくらい毎日の事っすよ。ってかもうちょっと温度上がんないスかね?」
気持ちの悪いものを見続けるのも精神衛生上良くないと、九郎は油に身を沈めながら兵士に向き直る。
どうにも思ったより火力が足りない。昨日聞いた時は油の温度は300度程になると思っていたが、今の温度は精々130度位と思えた。これならば、体を炎に変質させるまでも無く九郎が日常的に浴びている熱量だ。
『風呂屋』の浴槽を温める為に九郎は毎日湯を沸かしていたが、手早く沸かすと凄まじい蒸気が九郎を襲う事になる。水は100度を超えることは無いが、蒸気であれば優に100度を超えてくる。最初は酷い火傷を負う事になったが今はもう『ヘンシツシャ』の力で慣れてしまって体を炎にしなくても余裕で耐えられる体になっていた。
「な、何を言っているのだ貴様はっ!? やせ我慢も程々にしておけっ!!」
九郎の言葉は、知らぬものが聞いたら不気味極まりない。
兵士も九郎に怯える素振りを見せはじめる。
「ぐ、ぎ、ぎ、……」
九郎が兵士と話している間に盗賊たちは力尽きたようだ。
油が泡立ち始めてから30分ほどで盗賊たちはその体を釜の中へと沈めて行く。油で揚げられたら浮かび上がって来るのが常で、片足だけを油に浸した人の形をした何かが浮かんでいるのが見える。焼けた人の匂いが周囲に漂っている。
(ヒトも焼ければ他の匂いとあんまり変わんねえのな……)
九郎がそんな感想を抱く中、二人の罪人がこと切れた事で、自然と群衆の目は九郎に集まる。
「んじゃ、温度を上げるのはアリっスよね?」
静まり返った群衆に、なんだか食べ終わるのを待たれているような奇妙な感覚を感じ、九郎が沈めている体を炎に『変質』させる。
ブクブクと溶岩の様に弾けていた大きな泡が、小さな連続した泡に変わる。
ゴボゴボと立ち昇っていた泡の音がシャーっと流れる音へと変わる。
(これで大体180度位……?)
泡の音で温度を測るのは久しぶりだと九郎は泡に手をかざす。
これ程の大きさの鍋で油を温めた経験が無いので、いまいち自信が持てないが、とりあえず思っていた温度には近づいただろう。
「オッチャン、スンマセン! そこの樽のジャガイモ一個投げてくんないっすか?」
油の温度を確認しつつ、九郎は台上の兵士に声をかける。
「わ、分かった……」
やけに素直な返事と共に樽に入れられていた芋――ジャガイモが九郎に投げ渡される。
先程までの高圧的な態度とはえらく違った態度で、兵士はもう怯えを隠そうともしていない。まあ、知らなければ黄味が悪いのも仕方ないかと、九郎は渡されたジャガイモを眺める。
(切れてるって言ってたけど見たまんま丸ごとジャガだよな? ってうぉっ!! スゲエっっ!!)
慎重にジャガイモに力を加えると、丸のままのジャガイモが横にスライドして行く。
丸のままだと思っていたジャガイモは薄くスライスされた状態で再び元の形に整えられていたようだ。厚みは九郎が思っていたよりも遥かに薄く、ある意味職人技とも感じられる。
包丁仕事に情熱を傾けるレイアならではの仕事と言えそうだ。
(んじゃ、いっちょやりますか)
九郎はジャガイモを構えて手裏剣の様に手を擦り合わせる。
薄くスライスされたジャガイモが釜の中に散らばっていく。
シャーと芋の揚げられる音が静かになった広場に響く。
肉の焼けた匂いに芋の揚げられた香ばしい匂いが混ざる。
静寂の訪れた広場に芋の揚げられる音だけが響く事約2分。
「おっし! こんなもんだろ」
九郎は独り言ごちりながら、芋のスライスを一枚手に取り、数度振って油を落とす。
そのままそれを口に運ぶ。パリッと軽快な音が処刑場に響いていた。
☠ ☠ ☠
「何してんのよ……」
ベルフラムが台上に上がって九郎を見下ろしていた。
その顔には既に先程の不安の様子は浮かんでいない。どちらかと言うと呆れの感情が滲み出ていた。
ベルフラムは国を捨てる事すら視野に入れていただけに、これ程緊張感の無い雰囲気になるとは思ってもいなかった。例え九郎を信じていても、まさか処刑中に料理をすることを考えていたとも思ってもいなかった。
あまりにも九郎の様子が平常通りで、現在の彼女の心には何とは言えず怒りも込み上げてきている。
「ほれ、ベルが喜ぶもんやるって言ったろ? さっき持って来てたバスケット貸してくんね?」
釜の縁に身を乗り出し九郎が陽気に言いやる。
体を釜から外へ出しているが、台上の兵士から非難の声は上がってこない。
完全に怯えているのか、硬直してしまっている。
「これで宜しいですか?」
レイアが空になったバスケットをベルフラムに手渡す。
ベルフラムがバスケットを九郎に渡すと、九郎は上げられてジャガイモのスライスを油を切りながらそこに詰めていく。
「塩も持って来てくれたよな? んじゃそれ振りかけて食ってみ? 時間つぶしにゃ丁度よさそうだ。んじゃ、おっちゃん、次の芋を2~3個投げてくれ。こんなに量が有るとは思ってなかったぜ……。まあ、日持ちすっから良いけどよ」
ベルフラムにバスケットを手渡すと、九郎は怯えて固まっている兵士に再び声をかける。
我に返った兵士が、言われるままに芋を放る。
再び広場に芋の揚げる音と匂いが立ち込める。
「何考えてんのかしら……心配して損しちゃった気分だわ……」
台上から降りたベルフラムが眉を顰めて肩を落とす。
「クロウ様は心配するなって言ってましたですよ?」
クラヴィスがジャガイモに塩を振りながらベルフラムに微笑みかけてくる。
「確かに言ってたけど……もうちょっと感動的な……神秘的な雰囲気になると思ってたのに……」
私は心配していませんでしたよ? と言外にクラヴィスに言われた気がしてベルフラムは口を尖らせる。
「そうは言ってもクロウってばどこか危機感が足り無いって思わない? 後先考えずに突っ込んじゃうとことか、まるで男版レイアって感じがして……」
「あっ……言われてみれば……」
思わぬところで被弾してレイアが肩を落としている。
自覚があっただけに言い返せないのが彼女の悩みでもある。
最近ベルフラムはレイアを、「どこか目の離せない妹」の様に感じていた。
意気込みは感じるが、何事にも全力疾走してしまうレイアは、余裕と言うものが見られない。
逆に九郎は何事にも余裕を見せて行動しているが、その実余裕過ぎるような感じでまるで危機感を感じている様には見えない。
どちらも共通しているのは深く物事を考えていないと言う事。
クラヴィスも思い当たる節があるのか、納得の表情を見せる。
後ろでレイアが少し涙目になっている。
「と、とりあえずクロウ様は大丈夫そうですし……ベルフラム様できましたよ?」
傍らでレイアが涙目になっている事に気付いたクラヴィスが、バスケットに盛られた芋のスライスを揚げた物を差しだして来る。どうやら話題を変えたいらしい。
「だいたいクロウもクロウよ! 私が喜ぶものって言って、真っ先に食べ物が思い浮かぶなんて……」
ベルフラムとしては、九郎が自分を宥める為に思いついた物が、食べ物だった事にも不満がある。不満気な表情でベルフラムは揚げた芋のスライスを手に取り、ぞんざいに口に運ぶ。
パリッと小気味よい音がクラヴィスの耳に届く。
パリッ、パリパリ。
パリッ、パリポリ。
「もう少しクロウは
パリッ、ポリシャク。
パリッ、シャクパリ………。
「クロウってばいつも私に『恥じらいを覚えろっ!』って怒るくせに、自分はちっとも私のこと子ども扱いすること止めてくんないし…………あれ?」
ベルフラムの指がバスケットの底を撫でていた。
ベルフラムは驚いた様子でクラヴィスが持っているバスケットを覗き込む。
20枚は入っていたであろう揚げた芋のスライスは何処にも見当たらない。
何時の間に全部食べてしまったのだろうか。味自体何の変哲も無い芋に塩だけのモノだった。ただ、食感は此れまで感じた事の無い軽いものだった。自分の腹の中に瞬く間に芋一個が消えた事が信じられない。そこまで考えてベルフラムはバッと顔を上げる。
クラヴィスが困ったような顔をしていて、後ろにデンテの悲しそうな顔が見えた。
「も、もう一度貰って来るわっ!」
バスケットを引っ手繰るようにしてベルフラムは九郎の元へと駆け出していた。
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