第073話 処刑前夜
「おいっ!! とっとと入らんかっ!!」
「ぶへっ!! おいっ! もっと優しく扱えよっ!!」
乱暴に蹴り込まれて、冷たい石畳の床に盛大に突っ伏した九郎は体を起こしながらも悪態を吐く。
手枷足枷を付けられて思ったように体が動かせず、思わずバランスを崩してしまった。普通であれば、打たれ慣れていて単純な蹴りなどではビクともしない筈の九郎も、付けた事も無い手枷と足枷に戸惑っている。
ベルフラム達と別れた後、その身を拘束された九郎は聖輪教会の地下にある薄暗い牢屋に蹴り込まれていた。
「い、意義申し立て中に暴れるような不届きな輩に優しくしてやる道理は無い!」
白い鎧を着こんだ兵士は、取りつく島も無い様子で、鉄格子に鍵をかけると踵を返して出て行ってしまう。拳一つで審問室のテーブルを砕いたと聞いて、兵士としては九郎に恐れを抱いた様子だ。
審問室や拷問室、懺悔室など教会の殆んどの場所には魔力を封じる仕掛けが成されており、この牢屋にしても例外では無い。それはこの世界では例え魔法が使えなくても、魔力を体に巡らせることで力や素早さを底上げする事ができ、戦士や盗賊といった者達の力を封じるために施されている仕掛けである。罪を裁く事を司っている聖輪教会で、犯罪者が暴れてもその身を容易く封じ込めるための仕掛けだ。
聖輪教会の者以外はこの教会内部では力を十全に振るう事は出来ないのである。
そんな中、九郎は己の力のみで分厚く巨大な大理石で出来たテーブルを一撃で砕いたと聞かされれば、恐れを抱くのも当然と言える。
兵士としては早々に九郎から離れたくて焦って牢に閉じ込めようとしていただけなのだが、そんな事は知らない九郎からしたら、ただ乱暴に牢屋に蹴り込まれた事にしかならない。
「犯罪者の人権に対しちゃ俺も無視して良いと思ってっけどよぉ……そりゃあ冤罪無くしてからが筋ってもんだろうが……。あ……
ひとり愚痴りながらも九郎は体を起こして冷たい石の床に座り込む。
何の変哲も無い――そうは言っても牢屋の構造など全く知らない九郎だが――薄暗く寒々しい雰囲気の牢屋に一人残された九郎は、何となく周りを見渡す。
4畳ほどの小さな石造りの部屋。地下なので明り取りの窓など無く、牢番が控えている方向から僅かに漏れる灯りだけが伸びている。
四隅の一角には瓶が置かれており、そこから強烈な悪臭が漂ってきている。どうやらあれがこの牢屋の便所にあたるらしい。
九郎は顔を顰めて、その瓶が有る場所から一番離れた隅に腰を下ろすと、高くも無い天井を見上げる。
「久しぶりの一人……明日までなんもする事ねえし……とりあえず……抜いとくか……」
あれだけ啖呵を切って老人達に「無駄打ちしとけ」と言った手前、それはどうなのかと思わないでは無かったが、することも無くまたこの先一人の時間が取れるとも思えなかった九郎は何の気は無しに一人言ちる。
転移してきた当初は、それこそ一人きりで一か月以上歩きっぱなしで、そんな事思いもしなかったが、最近はレイアと言う九郎のストライクゾーンど真ん中の美少女と共に過ごし、なおかつ刺激的な生活を送りながらも発散させる事が出来ないと言う、正に蛇の生殺し状態だ。
転移されてから既に3ヶ月以上、九郎は一度も発散させたことが無い。
途中途中でそれこそ体の中身が丸ごと消毒されるような目には遭っていたが、それもここ一月ほどは無く、このまま行くと夢に向かって発散してしまうのではとの恐れもある。
「お前にはいつも苦労をかけるねぇ……。」
「おとっつぁん……それは言わない約束だろっ?」
「いつか……いつかお前に元気に羽ばたいて欲しいとワシはっ…!」
「おとっつぁんんっ!!!」
羽ばたいて行ったらそれはかなり問題だろう。
一人小芝居を打つ九郎はやる事が無くて暇を持て余していた。
「…………」
しかしどうにもその気が起きて来ない。
九郎はまだ19歳だ。まだ若く旺盛な盛りのついた10代だ。
入隊したばかりの新兵の如く、打てと言われれば発砲し、打てと言われなくとも発砲するトリガーハッピーのはずだ。
「……ED……って訳じゃねえよな……昨日の朝なんか死ぬかと思ったし……」
聖職者のような自分の落ち着き様に、九郎ははてなと首を傾げる。
そうして考えを巡らせ、いきなり更生した様子のムスコに起こった変化の理由を探してみる。
そしてしばらく暗闇の中で考えていた九郎に、ある考えが思い浮かぶ。
(まさか……まさか
ある程度は考えが纏まるが、その結論に至ることが出来ない。
それはある種の絶望だ。
「や、や、やっぱまじいよな! ベル達もきっと心配してんだろし! 心配いらねえって言ってんのによぉ!」
九郎は空元気を振り絞って、目の前に迫る問題から目を叛けることにした。
☠ ☠ ☠
「あらあら、お嬢様が厨房にいらっしゃるなんて……明日は吹雪でしょうか?」
つい最近まで仕えていたであろうメイドから、からかいの言葉を貰いレイアは眉を顰める。
しかし、レイアに言い返す上手い言葉は浮かんでこない。
17年生きてきた中で、この厨房に入った事など数えるほどしかない。
そもそも騎士爵とはいえ、前近衛騎士団長だった祖父クラインや、現近衛騎士団長を務める父グリデンの娘であるレイアはこの領地でも裕福な部類に入る。例え女であろうとも料理の腕を求められる事など無い。
精々刺繍や社交を身に着けて、貴族や同じ騎士爵の元へと嫁ぐ事を考えていれば普通なら問題無い。
しかしいくら高貴な身であってもそれは結婚をすればの話で、グリデンの用意した縁談を尽く武力でもって退けてきたレイアには当てはまらない。それにレイアはその刺繍や社交と言った、高貴な身の女であれば当然出来る事が全く出来ていない。
幼少の頃から騎士を目指して剣の修行に明け暮れた結果、普通の女であれば出来て当たり前の事を全て放棄して来たからだ。
平民の女であれば料理、洗濯、炊事、掃除と普通に出来る事もレイアはこれまでした事が無かった。
しかし昨日のグリデンの言葉からは、レイアを貴族や騎士爵に嫁がす事は諦めている事が知らされた。ベルフラムが屋敷に戻った際に、今度こそベルフラムの騎士にと祖父のクラインに頼み込んだのに、いちメイドとして勤める事になったのも、レイアが平民に嫁ぐことになった時の事を考えての事だったのかも知れない。
それでもレイアは自分の望みを叶えてベルフラムの騎士と成る事が出来た。
ただ、レイアを待っていたのは騎士としてベルフラムに付き従う仕事では無く、料理、洗濯、掃除と言う平民の女の仕事であった。
別段その事についてレイアに不満が有る訳では無い。レイアの望みはベルフラムの側にいると言うものだったので、その望みが叶えられている今、不満など有ろう筈か無い。
しかし不満が無いのと仕事が出来ないのは関係が無く、それどころか仕事の腕が、仕えているベルフラムよりも劣る事には、レイアは焦りと自分の未熟さを噛みしめていた。
なのでレイアは何かの折につけてはベルフラムに料理の手解きを受けている。
ベルフラムの側にいる事も出来て、自分のプライドを回復させることも出来るであろう料理当番が最近のレイアの一番の楽しみであった。
ベルフラムは何事にも器用にこなし、こと料理に関してはかなりの情熱を注いでいた。
彼女はこれまで料理などした事が無かったそうだが、『
クラヴィスはと言うと、彼女は妹のデンテと協力して新鮮な食材を取る事で腕の未熟さをカバーしようとしていた。
『風呂屋』では基本初めての食材は、九郎が最初に食べてOKを出さない限り食べられないと言う奇妙なルールがあった。
レイアとしては不思議に思うルールだったが、レイアの主であるベルフラムがその事を当然と受け止めていたのでそこに意義は挟みはしない。
ともあれ、それは九郎がOKを出したのであれば全て食材として使用して良い事になり、それが何であろうとも食卓に上る事になる。
クラヴィスはデンテと共に獣人の類まれない嗅覚で、食材を
デンテはクラヴィスと同じ新鮮な食材を使用してはいるが、幼い為か性格なのか、クラヴィスに比べて雑な所が有りそれでレイアと同レベルとなる。
ちなみに『風呂屋』のメンバーの中で料理の腕が一番高いのが、唯一の男である九郎である事には女性陣――デンテは除く――個々にプライドを刺激されている。
九郎はありあわせの物でもそれなりの見た目の美味しい料理を手早く作る。炎を操る力のみならず、味付けに関してもレパートリーも多くそつがない。本人曰く、「料理の腕はモテる男子の必須技能!」らしい。
あまり食べる物に頓着無さそうだが、誰かに食べさせるとなると凝りたくなるとの事だ。
「お嬢様は何をなさっているのですか?」
レイアが『風呂屋』の料理ヒエラルキーを鑑みていると、先程のメイドが興味深げにレイアの手元を覗き込んで来る。
「いえ……クロウ様に頼まれたのですが……」
処刑を言い渡された九郎が、明日の為にと頼んで来た事を、レイアは一心に作業していた。
これは九郎がベルフラムを宥める為に、その場しのぎで閃いた物だと言っていた。何の為にこの作業をしているのかまでは聞かされてはいない。
「でもお嬢様……包丁使いが慣れていらっしゃいますね……」
「流石に刃物の扱いだけは負ける訳には行かないのです……」
レイアが情けなさを噛みしめながら溢す。
レイアが『風呂屋』のメンバーに只一つ勝るもの……刃物の扱いだけが、唯一他に誇れる物である。敵を切る為に磨いた技は、野菜に振るわれているのが現状だ。
「でも……クロウ様はベルフラム様が喜ぶものと仰ってましたし、てっきり食べ物かと思ったんですが……生還のお祝いに使うものなのでしょうかね?」
次々と積み上げられる食材を見ながらレイアは首を傾げる。
九郎に頼まれたのは只の食材の下拵えのみで、これがどう言った物になるのかはレイアにはとんと予測が出来なかった。
☠ ☠ ☠
暗く帳の落ちた部屋で、暖炉の火だけが仄かな灯りを照らしていた。
ベルフラムはベッドに横たわりながら、傍らに抱いたシャツを抱きすくめる。
「クロウ……」
ひとり呟くベルフラムの腕の中には、今朝まで九郎が来ていた薄手のシャツが握られていた。
今朝の出来事の際九郎が寄こしたシャツは、九郎が何も言わなかった事と、あの場の雰囲気に呑まれてベルフラムは返す事を失念していた。
気が付いた時は馬車の中で、この冬の最中に上半身裸になってしまった九郎が凍え死にするかと一瞬焦ったが、よくよく考えなくても真冬の道中でも上半身裸だった九郎が凍死に至る絵が思い浮かばず、そのまま持って帰ってきてしまっていた。
「明日もし……」
九郎は問題無いと言っていたし、ベルフラム達も納得したのだが、それでも処刑と言う響きに僅かな不安が残っていた。
日頃炎を操る九郎を見ていた手前、クラインから聞かされた処刑方法に胸を撫で下ろしたが、冷静に成ればなる程、不安が頭を擡げてくる。
だからその不安を取り除くためにも、ベルフラムは覚悟を決めていた。
万が一の確率でも九郎が死に至る事が有ってはならないと、自分の中で覚悟は出来ていた。
九郎の身の潔白を晴らすためには、確認を求められるやも知れないとは思い至っていた。だから事前にレイア達にも言い含めて置いた。
だが、男性である神官の前で確認を求められるとは想像できなかった。
エルピオスにどの様な思惑が有ったのかは未だ思い至らないが、もとから九郎を嵌めるつもりであった事だけは確実だろう。
ただベルフラムは、エルピオスが何故九郎を嵌めようとしているのかが分からない。
思い浮かぶのは、エルピオスが単純に自分を政治の駒にしようとしていると言った事。しかし自ら出奔を宣言したベルフラムを娶った所で政治の道具になるとは思えなかった。後ろ盾を失った小娘など娶った所で面倒なだけだ。
それでは父親であるアルフラムが家の醜聞を葬る為にエルピオスを使用したのかと思ったが、それならば暗殺といった手段に出るだろうし、わざわざベルフラムが純潔を散らしたなどと言った、醜聞を裏付けるような真似はすまい。
そもそも九郎にベルフラムの純潔を散らしたことを認めさせてしまえば、九郎は消せてもベルフラムに政治的価値が無くなってしまう。
どう考えても、誰が何のためにあのような告発をしたのかがベルフラムには分からなかった。
「明日もし……」
ベルフラムは右手を暖炉の炎に向けながらもう一度呟く。
屋敷を出発する前からベルフラムは考えていた。もし万が一、処刑時に九郎が苦しむ様な素振りを見せたのなら、九郎を救出してこの地を離れようと。
レイアやクラヴィスには伝えていた。九郎がもし苦しそうな素振りをみせたのなら、ベルフラムの魔法で刑場を破壊し、レイアの魔法で九郎を癒して国を離れる事になっている。
処刑方法が『釜茹で』か『火刑』と聞かされ、死に至る時間が長いのならそれなりに見極める時間もあるだろうと考えていた。
その事を伝えたのはつい先程であったが、クラヴィス、デンテはもちろんの事、反対されるかと思っていたレイアからも承諾が得られた事でベルフラムはもう一度覚悟を決める。
「今度は私が助けてあげる……私の『英雄』……きゃっ!」
何気なく呟いた覚悟の理由を言い終わる前に、太股に何かが触れるのを感じてベルフラムは短く悲鳴を上げる。何事かとシーツを見やると、薄暗い中でシーツがもぞもぞと動いていた。
「やっぱりベルフラム様まだ寝て無かったです」「でしゅ」
シーツを捲り上げるとそこには二人の少女の姿があった。
どちらも今は下着姿で、昨日から隠されていた尻尾も今は自由に揺れている。
「す、少し考え事をしていただけよっ……! どうしたの? あなたたち……」
独り言を聞かれていたかと少々焦りながらも、ベルフラムはそれを誤魔化すように尋ねる。
「ベルフラム様と一緒に寝たいです」
クラヴィスが恥ずかしそうにベルフラムを見てくる。
「一緒に寝て欲しいでしゅ……」
デンテがベルフラムに抱きつきながらも訴えてくる。
その二人の様子に、ベルフラムは眼を細めながら二人の肩を抱く。
クラヴィスがこの様に甘えてくるという事は、彼女が気を使ってくれているという事だ。
不安そうだから一緒に寝るではなく、自分たちが寂しいから一緒に寝て欲しいと、自分達に気遣われたとベルフラムに思われないよう、配慮したのだろう。
デンテはいつもと変わらないが、クラヴィスはいつもは自然にベルフラムの側に寄り添っている。
自分の希望を直接口にすることは少ない。そんなクラヴィスが分かりやすく希望を言うという事は、ベルフラムが不安を感じている事を人に見せる事を嫌っているだろうと考えての事だろう。事実、今までベルフラムは九郎以外には弱音を吐いた事など無い。
その事を見ていたクラヴィスに気を遣わせてしまった事を、ベルフラムは申し訳なく思う。強がってばかりでも駄目な事を気付かされた思いだ。
「そうね……私も少し不安なの。一緒に寝ましょう。クラヴィス……デンテ」
ベルフラムは両腕を少女達に回しながら、小さく弱音を吐いてみる。
不安は尽きる事は無かったが、少しだけ気持ちが軽くなるのを感じる。
誰も自分を見てくれず、誰も自分を助けてはくれないと一人きりで足掻いていた昔とは違う。
今は自分の事を見てくれるだけでなく、自分の心まで気遣ってくれる者達がいる。そのことに安らぎを覚えながら、ベルフラムの意識は微睡んで行った。
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