第072話  聖輪教会


 聖輪教会―――世界を作ったと詠われる六柱の神々の中の一柱。白を司る天使を頂くアプサル王国の正教。レミウスの街でも他の五柱の神殿とは比べ物にならない大きく荘厳な教会から、早朝の祈りの時を知らせる鐘の音が街に響き渡る。

 教会の入り口に吸い込まれるように多くの人々が中へと消えていく。

 法と政治を司るこの白き神はヒト種の国々で大きな信仰を集めていた。

 アプサル王国もその例外でなく、多くの人々はこの白き神を信仰し、その証拠に道ゆく人々の多くがこの白き神のシンボルである歯車の形の聖印を胸元にぶら下げている。


 雪がちらつく朝の終わり、祈りを終えた人々が教会から出て来る頃、一台の馬車が教会の前で止まる。

 人々が何気なくその馬車を見つめる中、設えの立派な馬車から金髪の女性がひらりと降りてくる。

 朝の光を浴びて眩いほど光り輝く淡い金髪の美しい女性は、馬車の扉の横に軽やかに立つ。

 その後に続いて出てきたのはメイド服の小さな二人の少女達だ。

 足腰のしっかりしない子供に見えるが、馬車を降りるその仕草はしなやかと言って良い程で、重さを感じさせない足取りでもって金髪の女性と逆側の扉の横に立つ。


「ベルフラム様お手を……」

「ありがとう、レイア」


 絵になる光景に人々が目を奪われる中、金髪の女性に手を引かれ出てきた少女にどよめきが起こる。

 馬車から降りてきたのは赤い髪を肩で切りそろえた美しい少女だった。

 伏し目がちにされた瞳はこの街では知らぬものは居ない冷たい翠玉エメラルド色。

 『冷炎フリグフラム』と呼ばれるこのレミウス領の領主の娘の突然の登場に、教会の前は騒然とする。


 赤いドレスを身に纏い、静かに馬車を降りるその姿は小さな少女なのに強烈な威圧感を持っていた。

 それ以上にこの美しい少女は今のレミウスの街では噂の種として街中で話題を供していた。

 曰く『大地喰いランドスウォーム』の腹から這い出た『糞姫』。

 曰く街はずれの廃墟に住まう『乞食姫』。

 曰く『風呂屋』と言う世にも贅沢な施設を営み、安値で市民に提供する『放蕩姫』。

 その他死んだと言われた姫に成り代わっている恐れ多い浮浪児だとか、男と駆け落ちした姫にあるまじき恥知らずだとか様々な噂がレミウスの街では飛び交っていた。

 どれも領主の姫君に浴びせる物とは思えない辛辣な噂であり、あまりに声高に噂すればそれこそ『不敬罪』で牢に繋がれる事になるだろう。

 しかし日頃見上げるばかりの為政者のゴシップ程、市井に耳良い噂も無い。

 

 そんな触れる事も謀るほどの身分の、しかしながら街の人々の興味の渦中の少女がいきなり現れたのだから人々の驚きも当然の事だった。


 そのベルフラムは、人々の視線など気にする様子も見せずに嫋やかに馬車から降りると、優しげな笑みを馬車へと向ける。


「クロウ、手を引いてあげるわよ?」

「何言ってんだよ…ベル……。普通こういう時は男がエスコートするもんじゃねーの?」


 憮然とした表情で馬車から降りてきたのは一人の長身の青年だった。

 黒い髪と黒い目の青年は、巨人族とは行かないまでも人種の中では背が高い部類に入るだろう。しかしその背丈に比べて、体の筋肉は騎士や戦士にはとうてい見えない程貧弱に見える。かと言って魔術師の様にローブや杖を持っている様子も無い。どこかの貴族かとも考えられるが、それにしては着ている服が町人のそれと変わらず……と言うよりはあまりに薄着に見える。

 馬車から降りてきた青年はベージュのズボンに薄い長そでのシャツ一枚、夏場の様な格好であった。


「しょうがないじゃない。馬車が四人乗りだったんだから」


 ぶつくさと愚痴る九郎にベルフラムが手を伸ばす。

 格好を付けてレイア達をエスコートしようとしていた九郎だったが、馬車が四人乗りだったので必然的に九郎の膝にベルフラムが座る事となっていた。

 必然的と言ってはいるが、それならベルフラムより小さなデンテ辺りを膝に乗せれば良かったのだろうが、ベルフラムはさも自然に九郎の膝に座って来て、結果九郎が一番最後に降りる事になってしまった。


 ただ口ではぶつくさと言っている九郎も、今は口ぶりに力が無い。

 ベルフラムの笑顔に隠れる不安そうな心に気が付いており、強く咎める気も起きない。


 昨日の夜もベルフラムは何かに怯えるような顔をし、時折考え込んでは九郎を見上げて目を潤ませていた。

 いくら九郎が炎で死なないと思っていても、処刑と言う響きや、死刑の内容に間違いないのかと積もる不安に今更ながらに苛まれている様子だ。

 例えレイアの両親から「本人からの証言であれば無罪を勝ち取る事は容易い」と聞かされていても、本当に自分の判断が間違っていないのか自信が持てないのだろう。

 無理やり笑って九郎の不安を払拭しようとしている様が見て取れて、九郎は苦笑しながらベルフラムの手を取る。


「心配すんなって。おらぁどっちに転んだって大丈夫だって言ってんだろ? ここ二日風呂に入れてねえからゆっくり温まってくらぁ。わりいな一人で楽しむ事になっちまいそうでよ?」


 不敬罪の処刑方法は『火刑』か『釜茹で』だと聞いている。

 例え無罪が勝ち取れなくても自分は問題ないと、九郎は冗談交じりにベルフラムに笑いかける。


「それでもやってもいない罪で裁かれるのは気分が悪いじゃない。こんな事だったらクロウにあげちゃえば良かったわ」


 九郎の軽口に幾分気持ちが楽になったのか、ベルフラムが少し頬を赤らめながらも小さく呟く。


「なんだ? そう言や、俺にも何か買えって言ってたもんな? なんかプレゼントでもしてくれるってか? なら後でありがたく頂くぜ?」


 アルバトーゼの街を出る時やこの街に着いてからも、ベルフラムは九郎に何か欲しいものは無いのかと尋ねて来ていた。自分たちは服等を揃えていたが、寒さを感じない九郎は最低限の服しか必要としない為、殆んど私物が増えていない。それ以上に数着しか持っていない服も、殆んど着ていない状態で旅をしてきた手前、買いたいものが思い浮かばなかったのだ。


「ほんと? 喜んで貰ってくれるの?」

「そりゃあ、ベルが用意してくれたもんなんだろ? 喜んで頂くぜ? 何くれようとしてたんだ?」


 九郎の言葉にベルフラムは予想していなかったと目を見開く。

 ベルフラムは九郎が貰って喜ばないであろう物を贈ろうとしていたのだろうか。

 その表情から九郎はもしかしたら、鼠やカエルの干物だろうかといった子供の悪戯に近い贈り物を重い壁て一抹の不安を覚える。

 暗い穴の中での生活があった為が、ベルフラムの目には動く者は全て食べ物に見えている節がある。

 九郎も今まで何でも口にしてきた手前、強く言う事は躊躇われるが、年相応の少女にはもう戻れないのだろうかとそっと目尻を拭う。

 ベルフラムはそんな訝しんだ表情の九郎に近付き、耳元で小さく囁く。


「あのね……クロウにあげたかったのは………………私のばーじ……きゃんっ!」


 九郎は耳元で恥ずかしそうに顔を赤らめたベルフラムの頭に強めの拳骨を落とす。


「だからガキんちょがませた事言ってんじゃねえっていつも言ってんだろっ! 冗談でも止めてくれって」

「つ~……。最初は割と本気でそうしようとしてたんだけど……」

「はあ? 最初は?」


 頭を押さえて涙目のまま九郎を見上げるベルフラムの表情は何処か悔しそうだ。

 九郎は呆れながら大きく嘆息する。

 この国の結婚年齢が驚くほど低くい事は、現在進行形で身に染みていたが、九郎からしてみればベルフラムの様な歳若い少女が妄(みだ)りに体の関係を仄めかすのは歓迎できない事だった。

 心も体も成長しきっていないのに、興味本位やその場の勢いの結果、傷付くのは女性側だ。

 せめて分別つくような年齢になるまで、子供は子供でいるべきだと言うのが九郎の持論だった。


 ベルフラムは呆れる九郎から目を背けながらも、小さな声で理由を話す。


「最初今の屋敷に移った時の夜、本気でクロウに貰ってもらおうかなって思ってたの……。あの時はまだ家を出奔する決意も持てなかったから……いっそクロウにあげちゃったらお父様も諦めるかな……って……。その……結構本気で迫ったつもりだったんだけど……」


 ベルフラムが家出した夜、妙に甘えて来ると思ったが、ベルフラムが本気で九郎に迫って来ていたとは考え付かなかったと、九郎はポカンと口を開ける。

 しかもその動機が政略結婚を阻止する為の方法と聞かされ、貴族社会と言う訳のわからないモノの歪さを殊更感じて九郎の顔が歪む。


「でもぜ~んぜんクロウってば貰ってくれそうになかったから、私どうしようかと思ったもの。屋敷で勉強していた本にはやり方は書いてあっても、その導入が詳しく書かれていなかった所為ね。今度レイアにでも相談してみようかしら?」


(たしかレイアも未経験者だそうだから役に立たねえと思うぞ……ってかその情報お前から聞いた気が……)


 何とも言えない表情の九郎の横で、ベルフラムは「淑女レディーとしてのプライドが……」と歳に似合わぬ言葉を呟いていた。


「んあ~……。でも結婚したくねえってこれから親父に言いに行くんだろ? なら大事にしとけよ」

「でも、もしクロウが私としてもないのに罪を着せられたらなんだか悔しいじゃない。どうせならしとけば良かったって思わないの? もう既に私の体はクロウのものなんだし、その辺に遠慮はいらないわよ?」


 なんとも割り切った考え方だと九郎が目元を覆って天を仰ぐ。

 この少女が使える者全てを使って結婚を回避しようとしていた事は知っていたが、自分の純潔さえその道具として見ていた事に、改めて強かさと逞しさを見た気がした。

 ただ貰ってくれと言われても、少女趣味ロリコンではない九郎にとって受け取れる類のモノでは無い。

 なんせ物理的に不可能だ。


「まあ……遠慮しなかったら俺はこのまま何の意義申し立てする事無く刑場に一直線だ……」


そうぼやいた九郎を見上げてベルフラムは何処か残念そうに「それもそうね……」と小さく呟いた。


☠ ☠ ☠


「おお、よくぞ参ったな妹よ!」


 教会の中心部に位置する大きな部屋の扉を開け放ち、一人の壮年の男が開口一番にそう言った。

 黒に近い緑の髪に少なくない白い髪が混じっている、若い時にはさぞモテただろうなと思われる整った顔立ちの男だ。

 しかし、部屋に通され待たされていた九郎は違った意味で顔を顰める。


(親子ほど年が離れてねえか? 本当に兄貴かよ?)


 大勢の白いローブの様な服を着た者達がまんじりとした目を向ける中、九郎とベルフラムは白い者達と対面する位置に腰かけていた。後ろにはレイア達が静かに立っている。

 大きな円形状の部屋の中央にこれまた大きくな白色の丸いテーブルが置かれ、そのテーブルを取り囲むようにして置かれた白いソファーに座っていた九郎が見上げたその顔は、とても11歳のベルフラムの兄とは思えない程歳をとっていた。


(三男って言ってたよな? てことは、この人よりまだ老けた兄貴がいるってことで……ってかベルの父ちゃん何歳の時にベルを仕込んだんだよ?!?)


 呆気に取られたように、隣で静かに座っているベルフラムと目の前の男を見比べる。


「あら? 初めまして・・・・・ですわよね? エルピオスお兄様……でしたっけ? 私の主に対して謂れの無い罪を被せて下さったそうで?」


 ベルフラムが静かに立ち上がると、優雅にドレスの裾を掴んで挨拶する。

 しかし、その言葉は多分に険を含んだ刺々しい言葉だ。


(だから俺がいつベルのご主人様になったっつーんだよっ!?!)


 九郎はベルフラムに心の中で今日二度目の突っ込みを入れる。

 一度目の突っ込みは教会を訪れて直ぐの事だった。


☠ ☠ ☠


「私の主に不名誉な罪を被せた不届き者を此処へ呼びなさい!!!」


(罪を晴らそうと出向いたってのに、初っ端から喧嘩売ってんじゃねー! つか誰が誰の主だ!?!)


 教会の扉を開け放って高々と言い放ったベルフラムの言葉に、九郎は本日一回目の突っ込みを心の中で叫んでいた。

 思わず声に出るのを堪えられたのは、扉の向こう側から一斉に注目された所為である。

 朝の祈りを終えたばかりで、教会の中にはまだかなりの人が残っていた。

 驚いた表情で一斉に注目されて、九郎は言葉に詰まってしまった。

 雰囲気に呑まれたとも言う。


「ひひひ姫様ですね!? お待ちしておりました……どうぞ此方にっ!!」


 白い神官服を着た男が数人駆け寄って来る。もちろんベルフラムは此処へ来ることを伝えていた訳では無い。

 しかし、一般の信者が注目する場で教会の――しかも罪を裁く側の者が逆に不敬罪に抵触する行いをしたと噂されればたまったモノでは無いのだろう。

 ベルフラムの身姿はここレミウスでも有名で、そして王族に連なる血筋の領主の姫君だ。

 身分的には一番上位の者となる。

 そのベルフラムが教会に向かって不敬罪を言い渡すのはそれこそ、この聖輪教会の地位を脅かすものだと判断したのだろう。

 実際、通された部屋には苦虫を噛み潰したかのような表情の男たちが、テーブルを取り囲むように座っており、ベルフラムを憎々しげに睨んでいた。


 そして先程の兄妹の初めての対面である。

 針の筵の様な視線をベルフラムはどこ吹く風と受け止めているが、元来悪意に晒され慣れていない九郎は心の中で冷や汗を流している状態だ。


「妹よ! 何故そんなに他人行儀なのだ? 血を分けた兄妹ではないか?」

「あら、それは失礼しました。私初めて・・・・お会いしましたから、誰がお兄様なのか分からなかったのです。何せ生まれてから11年間どのお兄様ともお会いした事など無かったものですから」


 対面に座って優しそうに語りかけるエルピオスに、ベルフラムは薄く笑いながらも棘を隠そうとはしていない。明らかに怒っているのが分かり、九郎の冷や汗は止まらない。

 何かフォローをしなければとも思うが、今日は九郎の無罪を勝ち取る為に黙っているようにと、ベルフラムどころかレイアからもきつく言われている。この国の法律を良く知らないで言葉にしてしまうと不利になってしまうと言われてしまえば、九郎に返す言葉は無い。


其方そなたは父上が晩年に側室に産ませた子だからな。我々現王妃の子供とは環境が違って当然であろう? しかしながら、私は其方の事を憂い良い縁談をもたらそうとしたのだよ」

「面白いお兄様でいらっしゃいますね。会った事も無い他人ひとから会った事も無い許嫁を紹介されるだなんて……それは何処の人さらい蛮族の風習ですの?」


 なるべく波風を立たせぬようにと話しかけているエルピオスだが、その端々にはベルフラムに対する蔑視の感情が見え隠れしている。憂いていたと言いながらも、初めて連絡をよこしたのが勝手な許嫁の話ではベルフラムの怒りも尤もだと言えるだろう。単にベルフラムを政治の道具にしようとしているのは明らかだ。


「それは其方そなたが相手を聞かなかったからだ。聞けば其方そなたも喜んで輿入れを望むだろう」

「おあいにく様。私の身は全て此方のクロウ様に捧げております。何処の誰様であろうとこの契約は覆りませんよ?」


(おいいいいっ! ベルッッ! そのセリフは不味いだろうよぉぉぉぉぉっ!!)


 売り言葉に買い言葉なのだろうが、明らかに危険なセリフに九郎は心の中で盛大に物申す。ベルフラムが九郎の事を様付けで呼んでいる事にも、盛大に突っ込みたい気分だ。


「ほう……その者が平民の身でありながら其方そなたの破瓜の血を散らしたと? ならば先程の言は聞き間違いであったか」

(ホレみろぉぉぉぉおお!!!)


 予測された通りのエルピオスの返しに九郎は頭を抱える。

「その身を捧げた」と今迄言って来た相手は、全員この言葉で九郎がベルフラムを性的にあれやこれやとしたと解釈している。

 そのセリフの真意をいちいち説明をして来たのは九郎であって、やはり自分が説明せねばと抱えていた頭を上げる。

 しかし口を開こうとした九郎の目の前に、ベルフラムの小さな手が伸びる。


「話は最後まで聞くものですよ? 初めてお会いするお兄様。クロウ様は未だ私の身体を抱いてはいませんわ。何でも年端もいかない少女を抱く趣味は無いと……この国の貴族にも聞かせてあげたい心根ですわね? 年々貴族に召し上げられる娘たちの年齢が下がっているとか……。子供も成せない少女を抱きたがる男が増えているから、泣き濡れる女が増えるのです」


 ベルフラムは嘆かわしいと言わんばかりに目元を覆いながら、大げさな手振りで部屋の中を見回す。

 部屋には今までベルフラムを憎々しげに見ていた、明らかに中年より上の歳の男たちが、九郎の後ろに立っているクラヴィスやデンテに対して色に濁った眼を向けていた。

 ベルフラムの言葉にそそくさと視線を外してはいるようだが、その眼には欲望の炎が浮かんでおりベルフラムで無くても嘆かわしいと言ってしまいそうだ。


「それは今話しても仕方あるまい。しかしながら、其方そなたはこのクロウと言う男と一緒に住んでいると言うではないか。同じ屋敷に住んでいながら男女の交わりが無いと誰が信じるのだ?」


 エルピオスはベルフラムの言葉に眉をしかめながらも、九郎が一番言い逃れ出来ない急所を突く。この国での結婚年齢が低いという事は、それだけ少女に欲望を滾らせる男が多いという事で、そうなると同じ屋根の下で暮らしている男女に疑いが持たれる事になる。それが普通なら疑いの持たれない少女であってもだ。

 最近だと日本でも同様の疑いを持たれるかも知れないが……。


 これに関して九郎にはさっぱり言い逃れできる気がしていない。

 例え「ヤっていない」と言っても、証言する者との間に男女の関係を疑われているならば、どうやって証明するのかも思い浮かばない。

 しかしベルフラムは落ち着いた表情でわざとらしく驚いて見せる。


「あら? それではどの屋敷のご婦人方も従者の騎士たちとその様な関係なのでしょうか? 貴族の屋敷となると屋敷で住み込み働いている者たちなど大勢いますけど? 私が知らなかっただけで、お義母様も城の騎士達と男女の交わりがあるのでしょうか? いやだわ、お兄様は本当にお父様の子なのでしょうか?」

「それ以上は止し給え。其方そなたが母上に対する不敬罪に問われるぞ!」


 なんてこと! とでも言いたげに両頬を挟んで驚いて見せるベルフラムに、エルピオスの顔が歪む。

 エルピオスの額には僅かに青筋が見える。ベルフラムの態度が気に入らないのか、それとも思ったように行かない事に苛立っているのか。

 血筋を疑われる事自体が貴族にとって最大の侮辱とは、九郎は思い至らない。


「しかしそうは言ってもクロウ様が私を抱いていない事実は覆りませんし……。では屋敷の人間に聞いてみればどうですか? 私の屋敷は小さなものですから、睦言など屋敷中に聞こえますわよ? 何かしていればの話ですが」


 そう言ってベルフラムは恥ずかしそうな素振りを見せながら後ろを振り返り、レイア達に目を向ける。

 その言葉に九郎はベルフラムに喝采を送る。屋敷の者全てが証言するなら、九郎の無実は証明されるに違いない。今までその考えに至らなかった自分の頭の弱さに落ち込んでしまいそうだ。

 クラインと言いレイアと言い最初は疑われた状態からのスタートだったので、その考えに至らなかった。


「しかしながら、姫様の屋敷にはそこの男以外に男はいない様子。ならば全員手籠めにしてしまえば口裏を合わせる事も容易いことでは?」


 ホッとした表情を作った九郎だったが、その安堵は一瞬で吹き消される。

 部屋の中の老人に近い年齢の男が、嫌らしい目つきで後ろを眺めて含み笑いを浮かべていた。

 その老人の表情に九郎は怒りを通り越して呆れてしまう。孫ほどの幼女を見て欲情する老人など、九郎は今迄想像も出来なかった。


「おあいにく様、クロウ様は私達の気持ちをとても良く汲んでくださいますので。無理やり寝所へ連れ込む様な下種な事はなさりませんよ。なので屋敷の者達は全員清い身でいられるのです」

(だからレイアを巻き込んでやるなっ!! 後ろでレイアが固まってんぞっ!!!)


 その論法で言うならば下種はベルフラムになるのでは? と思いながらも九郎はベルフラムの言葉にまたもやレイアが巻き込まれた事を嘆く。屋敷では全員同じ寝所なので連れ込む連れ込まないは関係ない。

 一番同じベッドで寝る事に抵抗していたのは九郎か、もしくはレイアとなるが、どちらもベルフラムの言葉に負けて寝ているので連れ込んでいるのはベルフラムと言えなくも無い。


 手の届かない場所で行き交う自分の貞操観念に、九郎が場違いな感想を思い浮かべていると、ベルフラムの後ろでカチャリと音がする。九郎が後ろを振り向くとレイアが小さく震えていた。


(てめっ、この狒々ジジイ! レイア達にエロい視線を向けんじゃねえ!)


 九郎の手が自然と拳を作る。

 それをベルフラムは後ろ手で制して、老人に向かって薄っすらと笑いながらも、冷ややかな視線を向ける。その瞳は九郎が今まで見た事もない、凍えるような冷たいものだ。


 実はレイアはこの時、ベルフラムの纏う雰囲気に体を竦ませていた。

 ベルフラムと一緒に暮らす屋敷の者の中で、レイアだけが本気で激怒したベルフラムの敵意に晒された事があるからだ。

 身も竦ませるほどの――冷たいと思えるほどの炎の剣に取り囲まれた記憶がレイアの身を竦ませた原因だった。

 そしてその雰囲気をベルフラムが纏うと言う事は、ベルフラムが敵意を持って話に望んでいる事が分かって腰の剣を無意識に確かめての行動だった。


「それこそ信じられん話だな。控えている者達も整った顔立ちではないか。姫様の主と言うからには言葉一つで寝所へ招くことなど容易かろう」

「王国の正教である聖輪教会もここまで落ちたのですね……。クラヴィスもデンテもまだ10にも満たない年齢ですよ?」


 ベルフラムの雰囲気が変わった事など気付かぬ様子で、また一人別の男がねっとりとした視線をクラヴィス達に向ける。

 ベルフラムは大げさに溜め息を吐きながら、凍える視線を男に向ける。

 もう既にベルフラムは敵意を隠そうとはしていない。しかしクラヴィス達を眺める男にはそれすら気が付かない様子だ。


「ふむ………しかしここで言い争っても埒があかぬ。仕方ない、其方等には不本意だろうが確かめる他あるまい。なに生娘かどうかなど確かめるのは容易い。有る物が有れば良い・・・・・・・・・のだからな」

「ちょっ!? 何言って……」


 尋問に屈しないベルフラムに痺れをきらしたように、エルピオスが冷笑を浮かべて解決策を提示する。

 その言葉の意味に気付き、九郎は思わず声を上げる。

 エルピオスは妹に対して処女である証明をするよう促していた。


 それは見ず知らずの者に裸体を晒せと言っているに他ならない。

 それまでずっと下卑た言葉に晒されてきたベルフラム達が、これ以上辱められる事になるのは許せないと九郎は拳を握り立ち上がる。


 どうやらこの話し合いでは、もとから九郎の罪を晴らす事等出来ないように仕向けているのだろう。

 普通であれば屋敷の住人が否定し、本人も否定すれば其処で終わる話の筈だ。

 なのにその証明まで求めるのは明らかに無理な要求をして、こちらが折れるのを待っている。


 九郎がそう結論付けて怒気を孕んで立ち上がり拳を固める。その手にベルフラムの小さな手が重なる。

 九郎がベルフラムを見ると、ベルフラムはそれまで携えていた冷ややかな瞳を、いつもの暖かい色に変えて九郎に微笑む。


「そうですね。信じてもらえないのならば、この身でクロウ様の潔白を晴らす覚悟は出来ておりますよ?なら巫女を呼んで別室で確かめて頂きますわ」

「「なっ……!」」


 九郎の驚愕の声にエルピオスの声が重なる。

 エルピオスもまさかベルフラムが自分の体を、しかも文字通りの身の潔白を他人に晒す行為に承諾するとは思っても見なかった様子だ。

 思わず声に出てしまった驚愕の言葉を隠すように、口元を覆って僅かに震えている。


 部屋の中が騒然とする中、ベルフラムは静かに九郎に微笑みを向けてくる。

 ベルフラムはこの要求も覚悟していたのだろうか。そしてレイア達にも伝えていたのだろうか。

 後ろに立つレイア達はいつもなら激昂しそうな言葉なのに、瞳を閉じて静かに耐えている様子だ。


 そのざわめきの中静かに震えていたエルピオスは、やおら口元を上げて残酷な笑みを浮かべ、信じられないような言葉を発した。


「ふむ……しかし妹よ。残念ながら突然其方が来た為、此方も迎える準備が出来て無くてな……。現在教会に身分の高い巫女がおらんのだ。しかし明日には『不敬罪』の処刑が執り行われる予定となっておってな。知ってはいまいが、『不敬罪』の処刑方法は『釜揚げ』と言って準備に時間がかかる。その予定を崩す事は教会の予算的にも厳しいのだ。教会が決めた罪を覆せるのは高位の神官か巫女のみ。しかしながら今教会に高位の巫女はおらぬ。さてどうしようかな妹よ?」


 さも残念だとうそぶきながらも、その顔は嗜虐に酔っているような歪んだものだ。


 ベルフラムも九郎もエルピオスが何を言っているのか理解出来なかった。

 レイア達も同様で、皆キョトンとした表情を浮かべていた。


「なに心配せずとも、この部屋の者達は皆高位の神官だ。良かったな、誰もおらぬとそちらの男の罪を覆せぬところだったぞ? さあ、立ち上がってテーブルの上で証明するがよい。後ろの者達も話の信憑性を高めるためにも証明せねばな?」


 ベルフラムの覚悟を嘲笑うかのような、エルピオスの提案に九郎は拳を握り、レイアは腰の剣に手をかける。

 クラヴィスの口からは低く唸る声が響き、遅れてデンテの口からも警戒の音が漏れる。

 エルピオスは事も有ろうに、ベルフラム達にこの場で、幾人もの男に裸を晒せと言って来ていた。

 明らかに罪を払う事を許さない、それどころかベルフラム達を辱める為だけの提案に九郎は我慢は既に限界を振り切れる。

 九郎は後ろ手にレイア達を制しながら、一人立ち上がりベルフラムの横に立つとベルフラムの肩に手をやる。

 そこまでして自分の罪を払う必要など最初から無かった。

 もともと晴らせるとも思っていなかった冤罪で、ベルフラム達がこれ以上辱められる事など許さない。

 処刑されたところで九郎は死ぬことは無い。何せ九郎は『不老不死』だ。

 そんな静かな怒りを湛えながら、それなら最後にベルフラム達を侮辱したツケ位は払ってもらおうと九郎は眉に力を込める。


 しかしベルフラムの肩にかけられた九郎の手がそっと降ろされる。

 ベルフラムは一人顔を赤く染め、一瞬拳を握りしめるとするりとドレスの紐を解く。

 パサリと軽い音が部屋にやけに大きく響く。ベルフラムの白い小さな肩が衆目に晒された。

 白いシミーズは九郎の世界の物より厚手で、ワンピースと見えなくもないが、この世界の常識に於いては下着姿に差異は無い。


「…………。……分かりました。しかし今クロウ様に懸けられている罪は私の純潔に対する罪のみ。今日は私のみ確認が取れれば問題有りませんよね? それでもご不満であれば後日巫女を用意して頂ければ家臣の者も協力いたしま……んきゃっ!!」


 震える声を絞り出すようにして、しかしながらしっかりとした足取りでテーブルに足を掛けたベルフラムが後ろに倒れ込む。ポスンと乾いた音と共にベルフラムは後ろのソファーに引き倒される。


「ちょっとクロウ何すんのよっ! これであなたの罪が晴らせるのよ!?」

「うっせえ……黙ってろベル……。……泣くんじゃねえって……。もう充分頑張ったよお前は」


 九郎はベルフラムの肩を掴み、強引に後ろに引き戻していた。ベルフラムが抗議の声を上げるが取り合わない。

 ベルフラムも先程までの余裕はもう無いのか、口調が元に戻っている。

 顔を赤く染め目元に涙を溜めたベルフラムに、九郎はぶっきらぼうに言いやりながらも自分の着ていたシャツを乱暴に脱ぐとベルフラムの体にかけてやり、怒りの滲む瞳でエルピオスを睨みつける。


「おや? 証明させないのかね? 平民の分際で貴族の姫君を手籠めにした罪に今更慈悲を乞おうとでも?」

「……黙れ」


 ベルフラムがドレスを脱いだ時から、欲望を滾らせた目を向けていた老人が面白そうに問いかけてくる。

 九郎は押し殺した声で静かに老人を睨む。


「いやいや本当に処女かもしれませんよ? 何、欲望を放つ場所は何もそこだけではありませんからな」

「……黙れ」


 別の中年の男が下卑た笑いをしながら、聖職者にあるまじき下種な発言をする。

 部屋の男たちはさも残念そうに嘆きながらも、そこに見える欲望を隠そうともしない。


「おおそうであったな……。しかし中々平民にしては通よな」

「黙れって言ってんだろがっ!! この糞ペドエロ爺共がっっ!」


 誰が言ったのか分からないその言葉に九郎の怒りが爆発した。

 盛大に啖呵を切って九郎は怒りにまかせて大きなテーブルに拳を落とす。

 バグンッッ!!!と爆発したような大きな音を立てて、円形の、大理石で出来ていたテーブルは貝が口を閉じたように二つに折れ曲がるり、次の瞬間粉々に砕けて瓦礫と化した。

 運悪くテーブルに肘をついていた者達はその余波で後ろや上へと吹き飛ばされる。

 あまりに怒りにまかせて拳を奮った所為か、瓦礫に埋もれた格好の九郎の右手は赤い光を放っていた。

 無意識に『|青天の霹靂(アウトオブエアー)』に近い力を解放していた。


「何をするつもりだっ! この場で暴れようと言うのかっ!?!」


 もうもうと砂粒が舞う部屋の中から、知らない男の声が聞こえてくる。

 丁度九郎達と神官達を分かつように。瓦礫がぱらぱらと舞い落ちている。


「そりゃあこっちのセリフだっ! 変態共がっ! スケベそうな眼しやがって! これが聖なる教会だなんて誰が言ってんだ? そろいもそろって自分の娘や孫みてえな年齢のベルに欲情しやがってよぉ!? 恥を知れ! 特にそこのお前とそこの爺は下種すぎて反吐が出るぜ!!!」


 埃と砂粒が晴れてくる中、九郎は怒りの声を上げて先程から下卑た言葉をベルフラム達に投げつけていた老人と中年を指さす。

 しかし、指さした場所に先程までいた筈の男たちは見当たらない。

 老人は後ろに吹き飛ばされたのか、壁に頭を打ち付けて目をまわしている。

 中年は先程いた席の真逆の床に顔面から突っ伏していた。どうやらテーブルに肘でもかけていたのだろう。


「貴様、言葉を弁えよっ! それ以上言うなら『不敬罪』だぞっ!」

「あいにく現在絶賛『不敬罪』中だよっ! だいたい手前テメエらの何処に敬意を抱けってんだ!?」


 別の誰かの言葉に、九郎は言葉の主を馬鹿にするように言葉を返す。


「しかし貴様は妹が証明してくれぬと明日の処刑台に上がる事になるぞ? 平民とて命は惜しかろう?」

「うっせえ黙れってんだ! 俺が一番ムカついてんのはお前だよ!! 自分の妹を部下共とそろって視姦しようなんざ鬼畜にも劣るぜ! ベルと同じ血が入ってるたぁ思えねえ! 本当にお前種違うんじゃねえの?!?」


 九郎の正面には、先程まで愉悦の表情をして此方を眺めていたエルピオスが、今は憎々しげに此方を睨んでいる。

 命を楯に取れば、どんな者でも意のままになると信じているかのような上からの言葉も、『不死』である九郎にとっては何の障害にもならない。

 自分の悪口のボキャブラリーが少ない事に舌打ちしながらも、どの道処刑を覚悟した九郎の口は止まらない。九郎の怒りが、貴族最大の侮辱を口にしていたとしても。


「貴様……言わせておけばっ! ならお前は妹の純血を散らしたと言う事で良いのだな? もう覆らぬぞ?」


 九郎が処刑に怯まぬ様子に、苛立ちながらそれでも偉そうにエルピオスは九郎に今一度尋ねてくる。

 ――縋って来て見ろ、その瞬間に死刑を言い渡してやる―――

 エルピオスの濁った瞳は口以上に本音を九郎に伝えている。

 九郎は大きくため息を吐くと握りしめていた瓦礫の欠片を握力で握り潰し、塩をまくかのようにエルピオスに向かって振りまく。


「ったく……この年の幼女になんでこんな疑いが掛かるってんだ……。どうかしてんぜこの国……。ヤってねえっつっても確認しなきゃ信じねえんだろ? ならヤったって言えば確認しなくてもいいよなぁ? ああ、それでいいぜ! ベルも後ろの女も全員俺が喰ってやったよ! こちとら全員の黒子の数も知ってんだ! 手前テメエらみたいなヒヒ爺は精々想像でマス掻いて残り少ねえ種を消費しとけっ! ケッ! これで俺もロリコンの仲間入りってな……クソッ!!」


 エルピオス達が砂粒を避けるように顔を庇うのを見やりながら、九郎は自棄気味に大声で叫ぶ。

 ここにいる男たちは明らかにベルフラム以外の者達にも欲望の目を向けていた。それが処女信仰に依るものなのかは分からなかったが、少しでも興味を失う様にと九郎は屋敷にいる全ての女性に手をつけたとうそぶく。

 彼女達の裸はレイアを除いて見慣れている。あながち嘘の言葉でも無い。


「ふんっ……そのような強気も明日には慈悲を乞う言葉に変わるだろうがな……」


 九郎が全く恐れを見せない為か、苛立ちをもはや隠すことなくエルピオスが吐き捨てる。


「変わんねえよっ! それより鬼畜のオッサン。もし俺が明日の処刑で死ななかったらどうすんだ? 聞いたところによると、処刑で死ななかったらそいつが正しいってなるんじゃなかったか?」


 九郎は唾を吐き捨ててガラの悪い笑みをエルピオスに向ける。挑発しながらも、確認しておかなくてはならない事だ。ここで処刑が終わっても解放されないとなると、今度はどう脱獄するかを考えなければならない。


「はっ! 変わった事を聞く輩だな。『不敬罪』の処刑方法は『釜揚げ』。夏場の『釜茹で』の刑よりも更に酷い死に方になるのだぞ? 貴様は熱せられた油の中でじわじわと苦しみもがく事となるのだ。『釜茹で』なら100に一人は生き残る者もおるやもしれんが『釜揚げ』はその熱量も『釜茹で』の3倍。とうてい生き延びる者などおらん。貴様は遺言でも残しておくのだな」

「んなことどうでも良いんだが、もし生き残ったらの話だよ? 話聞いてんのか? 色ボケ過ぎてんじゃね? 更年期か?」


 九郎がやっと質問して来た事に、何を勘違いしたのかエルピオスは処刑方法の残虐性をさも嬉しそうに語る。

 エルピオスは九郎がとうとう怖気づいたと思ったのだろう。

 しかし、九郎は呆れたように自分の頭を指さし、本気で大丈夫? といった顔をエルピオスに向ける。

 その表情に、恐れの感情は欠片もない。誠心誠意エルピオスを馬鹿にしている。


「言わせておけば……。万が一にも生き残ったのならその罪は不問となる。どの刑でも生き残ったのなら神に許されたと言う事だからな。貴様……何やら余裕そうだが、魔術師には見えぬぞ? もし魔術で炎に対する耐性を得ようとしているなら残念だったな。処刑の際には全ての魔法を封じる枷を付けての処刑だ。ほれ、後ろの者達の顔が強張ったぞ? しかし今更足掻いてももう遅い。あれほど啖呵を切ったのだから粛々と刑を受けねばなぁ?」

「当たり前だ! 受けきって自分で自分の罪くらい払ってやらぁ!」

「ふんっ! 吐いた唾は飲めぬぞ?! この者を牢に繋いでおけっ!!」


 最期まで余裕そうな九郎に、エルピオスは忌々しげに吐き捨てると、部屋へと入って来た白い鎧を来た兵士に、短く何か告げて部屋を後にする。

 物音を聞きつけてやっと教会の子飼いの兵士が来たのだろう。


(しっかし魔法封じの枷ねえ……。そもそも魔法が使えてりゃあ、もうちっとスマートにこの状況をどうにかできたんだろうなぁ……。死なねえのは分かってんだけど、どうにも格好がつかねえ……。俺も魔法で「俺TUEEEE!!!!」してえよぅ……)


 白い鎧の兵士達に取り囲まれながら、九郎は両手を挙げて抵抗しない事を示す。

 結局自分がキレた所で、冤罪は覆らず、ベルフラム達に恥ずかしい思いをさせただけに終わってしまった。

 力の無さを痛感したように九郎は大きく溜息を吐き、肩を竦める。

 遠巻きに兵士たちが見守る中、ベルフラムが九郎の腰に抱きつき顔を埋める。


「……クロウの馬鹿……」


 ぼそりと呟くベルフラムの言葉に九郎は頭を掻きながら、ベルフラムの頭に手をのせ宥める様に撫でる。

 九郎のシャツを羽織ったベルフラムは、それはそれで此処の男たちの目には扇情的に映りそうで胸元をそれとなく隠してやる。


「………分かってるって……。ベルが頑張って我慢しようとしてくれてたんは分かったんだけどよぉ……。俺の方が我慢できなかったわ……」


 ベルフラムが羞恥に耐えてでも、九郎の無罪を勝ち取ろうとしてくれていた事は九郎にも痛い程分かっていた。

 ベルフラムの覚悟に対して、九郎は自分がその覚悟に水を差した事に自覚はある。

 しかしながら、この様な事がこの先再びあったとしても九郎はその覚悟に水を差すだろう。だから自覚はしてても謝ることは出来なかったし、反省をするつもりも無かった。


「クロウ様……大丈夫なのですか…? その……油ですよ? それに魔術封じの枷などお爺様から聞いておりませんでしたし……」

「心配しなくても俺に魔法は一切使えねえからよっ。どの道、最初っからおらぁ処刑される予定だったし? それより処刑日程が近くて良かったってなもんだ。牢に長々繋がれんのは退屈だかんな」


 レイアが心配そうに九郎に尋ねてくる。レイアはもしかしたら九郎の力は魔法だと思っていたのだろうか。

 九郎が魔力を扱えない事を知っている筈だが、それは戦闘に於いてのみ使えないと思っているのかも知れない。

 不安そうに九郎を見つめるレイアに、九郎はおどけてみせる。


「……クロウの馬鹿……」

「自覚してるって言ってんだろ? 一日位俺がいなくてもちゃんと寝ろよ? クラヴィス達がいれば寂しくねえだろ?」

「………無理」


 未だ九郎に抱きつき顔を埋めているベルフラムがもう一度呟く。

 子供をあやす様な声色で明るく言ってみるが、ベルフラムは顔を伏せたままいやいやと首を振る。

 九郎の腹が濡れている。どうやらベルフラムは泣いてしまっているようだ。


「ったく……。子ども扱い嫌がるくせに甘えただな、お前は……。なら良い子にしてたら明日ベルが喜ぶ様なもんプレゼントしてやる。ちょっとレイアに伝えとくから、お前は楽しみに待っとけ」


 九郎はそう言ってベルフラムの頭の位置までしゃがみ込むと、ベルフラムの頭をもう一度撫でる。

 それから立ち上がり、今なお心配そうなレイアの耳元で何かを呟く。


「はぁっ?? 何を考えているんですか?」


 レイアが混乱した様子で尋ねてくるが、九郎は意味ありげに口角を上げると「頼んだぜぇ」と手を振る。


「クロウしゃま……」

「デンテはベルの事見といてやってくれ。今日はデンテとクラヴィス、なんならレイアも誘って四人で寝ちまえ。レイアの寝相は……アレだけどよ……」


 デンテは今日の話の内容を殆んど理解できてはいないだろう。

 しかし九郎がどこかへ行ってしまう事だけは理解したのか、こちらも泣きそうな顔だ。

 九郎はデンテの頭を押さえるように手をやると、俯いているベルフラムを顎で指し示す。九郎の言葉に、デンテは何か分からないけどやるべきことを理解したように小さく頷く。


「クロウ様。私はクロウ様を信じていますです。ベルフラム様はお任せくださいです」


 クラヴィスは短くそう告げると九郎に向かって頭を下げた。


「クラヴィスが見ててくれるんなら安心だな。うちの面子で一番しっかりしてっからな」


 九郎はそう笑ってクラヴィスの肩を叩く。

 クラヴィスは肩に置かれた九郎の手に数秒頬を摺り寄せると、顔をあげて九郎を見つめ頷いた。茶色の瞳は九郎に全幅の信頼を置いている事を如実に語っていた。


「クロウ……。絶対大丈夫なのよね?」


 目元を赤く腫らしたベルフラムが、最後に再び九郎のズボンの裾を掴み見上げてくる。


「心配すんな! ベルの英雄は伊達じゃねえって。しっかりお勤めしてくらぁ!!」


 しゃがみ込む九郎の首に抱きついてくるベルフラムの背中を数度叩くと、九郎は高らかに宣言し部屋を後にした。


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