第三章  ダンシング・マカブル

第066話  侍らす者


 真冬の風が荒々しくガラスを叩く。

 軋む様な不快な音を立てて窓がガタガタと揺れている。

 荘厳な雰囲気を纏う建物の廊下を一人の男が歩いている。

 金糸で刺繍の施された白色の豪奢な長いローブを身に纏い、首からは白の神を示す歯車の形の聖印をぶら下げている。白金の土台に金剛石をあしらった高価な聖印が男の胸で激しく暴れている。


「……くそっ!!!」


 男は苛立っているようだった。眉間に深い皺を刻み、口元は忌々しげに歪められている。

 深い緑色に見える髪に白いものが混じっている事から、壮年といっても良い年齢の男は小さな紙切れを片手に握りつぶしていた。


 赤い豪華な絨毯の上を踏み鳴らすように乱暴に歩いていた男が、一つの扉の前で立ち止まる。

 男は大きく息を吐き出すと、自分の髪を撫でつける。

 襟元を一度但し、もう一度深く息を吐き扉のノブに手をかける。


「神官長、ご報告に参りました!!」


 そう大声で言い放ちながら部屋の中に足を踏み入れた瞬間、男の喉元に冷たいものが当たる。

 小さな痛みと共に自分の喉元に剣を当てられている事に気付き男はヒッと息を飲む。


「侵入者?」

「違う……ご主人様の部下……」


 抑揚のない声色が男の耳元で響く。その声色は少女の様に幼く、か細い。

 男は両手を挙げて武器を携帯していない事を示しながら部屋の中を見やる。

 暗い……まだ夕刻前だと言うのに部屋は驚くほど暗かった。

 カーテンが閉め切られている部屋の奥に、一本の燭台に灯された蝋燭の細い炎だけが揺らめいている。

 漂ってくるのは淫靡な匂いと時折聞こえる女の嬌声。


(――――またか……)


 首筋に剣を突き付けられたまま男は渋面する。

 そのまま男は後ずさりする様にして、剣を突き付けている者達に小さな声で言いやる。


「扉の外で待っている……。終わったら呼んで欲しい……」


 男の言葉に傍で軽いものが落ちる小さな音がする。

 男の首筋に剣をあてがっていた者達……二人の少女が男の目の前に姿を現す。

 少女と言うより幼女と言った方が良いくらい幼い外見をした二人の女が立っていた。

 どちらも白い髪を肩口で切りそろえ、よく似た顔立ちの少女達。

 背は男の腰ほども無く、扉に足をかけて逆さまの状態で自分に剣を突き付けていた事が解る。

 申し訳程度に大事な部分を隠した、卑猥な格好をした二人の白髪の少女が頷くのを確認すると、男は静かに扉を閉める。二人の少女の青い目に背筋の凍る思いがする。


(……ドールズとはよく言った物だ……)


 男は精一杯の虚勢を張って表情を引き締めると、心の中で言葉を吐き捨てる。

 死神の様に冷たく虚ろな青い瞳を思い出し、額から冷たい汗が吹き出て来る。

 乱暴に袖で汗を拭い、男は扉の横の壁に寄り掛かるとまたもや小さく息を吐く。


(人の屋敷で朝から晩まで……よく飽きないものだな)


 男の顔には侮蔑の色が宿る。

 いくら自分の上司だと言ってももう少し分別は持ってもらいたい。

 仕事もせずに朝から晩まで女を抱いている神官長など外聞が悪いことこの上ないではないか――。

 叫び出したくなる衝動を抑えながら男が待つこと半時。

 扉が静かに開かれ、先程の二人の少女が姿を現す。


「ご主人様がお呼びです……」


 抑揚の無い声で少女が促すままに男は部屋へと踏み込む。

 先程よりも濃い淫靡な匂いに男が僅かに顔を顰める。


(メイドどもが大変であろうな……)


 さして同情する者達でもないが、これだけ頻繁に情事の後始末をさせられてはたまったものでは無いだろうと、いつもなら気にもしない事を思いながら男は部屋奥へと歩を進める。


「ったく……ノックくらいしろよぉ? 文明人なんだろぉ? なあ、エルピオス?」


 苛立った様子で一人の男が寝台から男に向かって枕を投げつけた。

 男は肩で息をしながらエルピオスに向かってグチグチと辛辣な言葉を投げつけている。

 中年くらいの歳の男が大きなベッドに寝そべり、癇癪を起した子供の様に怒りを露わにしていた。

 少々薄くなった黒髪を汗で額に張り付けた、目の細い痩身の男。薄い顔の男は中年と言うには幼い顔立ちだが、およそ筋肉など無いように思えるアバラの浮いた胸板と、不釣り合いなほど脂肪を蓄えた腹がシーツから覗いている。

 その周りには歳若い――というより幼すぎる少女達が5人、男に枝垂れかかるように寄り添い侍っている。

 皆一様に美しくなるだろう容姿をしているが、この国の貴族ですら躊躇するような幼い身体つきだ。髪色はさまざまであるが、瞳は全員同じ青い瞳をベッドの上の男に向けている。


「萎えたらどう責任とってくれんの? なあ?!」


 怒りが収まらない様子でエルピオスと呼ばれた男をののしっていた中年の男の下半身を覆っているシーツがもぞもぞと動いている。


(羞恥の心も無いのか?)


 エルピオスは怒りを通り越して呆れてしまう。

 部下とは言え、他人の家で情事に耽っていながら、家主が赴いたと言うのに身を取り繕う素振りすら見せない。

 自分よりも若い上司に侮蔑の視線を気付かれないよう、白髪の混じった頭を下げ、平静を装いエルピオスは重々しく口を開く。


「神官長、ご報告があります。先程知らせが届き、妹がこちらに向かっているとの事です」


 エルピオスの言葉に怒りと快楽を交互に表していた男の目が細まる。


「んだよ、それを早く言えよ~。いやぁ~楽しみだねぇ~。11歳って言ってたっけ? ちょっと年増だけど肖像画見る限りは可愛いっぽいよねぇ~?」


途端に機嫌を良くした男に、エルピオスが苦虫を噛み潰した表情で言葉を続ける。


「唯、妹は出奔したと宣言しており、もう命令に従わないと伝えて来ておりまして……」

「あ~、分かった分かった。でも一度会えばナデポ~でメロリンきゅ~よ? 俺なら」


 エルピオスには理解できない単語を口ずさみながら、男は自信ありげに顎に指をあてていた。


 何処にそんな自信があるのかと、男を知らない人間は思うだろう。

 男の容姿はどう贔屓目に見ても、美醜で言うと醜寄りの顔立ちだ。

 若いと言うより頼りない感じが滲み出て来る様な顔立ちと、痩せた体。薄くなった髪と突き出た腹だけが男の年齢を語る様な風貌。

 周りに侍っている少女も、聞いていなければ金で買ってきただろうと誰もが思うだろう。

 しかしエルピオスは知っている。

 この世界では強い者に女が寄って来ることを。そして目の前の男がこの国の誰より強い事を。

 およそ筋肉と呼べるものを持たないであろう貧相な体には、国中の兵士を相手にしても引けを取らない魔力を内包している事を。

 地位も名誉も金も欲しいままにできる力を持っている男の、自身を賛美する言葉を聞きながらエルピオスは神妙に頷く。


「では一度出会う機会を設けますので、私の願いもお願いいたします」

「あ~、法王の地位だっけ? 分かってるって」


 エルピオスの言葉に男は鷹揚と頷き、話は終わったとばかりにエルピオスに退室を促す。

 犬でも追い払う様に扱われることに、怒りの感情を押し殺しながらエルピオスは恭しく頭を下げると部屋を後にする。

 扉が閉まりきらない内に再び嬌声が聞こえ、背を向けたエルピオスが忌々しげな感情を表に出す。


(『英雄』色を好むと言うが……好色どころの話ではないではないかっ!!)


 奥歯を噛みしめ怒りの表情でエルピオスは荒々しく部屋を後にした。

 エルピオスの胸元で再び白金の聖印が踊りだした。


☠ ☠ ☠


「ちょっと! 私達には大部屋が使えないってどういう事よ!?」


 日も変わろうとする夜更け、小さな酒場の角で少女の怒鳴り声が響く。

 レミウス城の城壁の外側、膨れた人口が溢れてできた、第二の城下町と呼べる場所の、一件の粗末で小さな酒場には場違いな、澄んだ幼い声に酒を飲む男たちの視線が集まる。

 赤い髪を肩まで伸ばした美しい少女がカウンターの奥に向かって抗議していた。


 レミウス城の城壁で守られた内側の街と違い、外に溢れだした場所にあるこの酒場は、他の多くの酒場と同様宿も提供している。内側に建つ宿よりも価格が安く、日雇いの労働者や、いわゆる冒険者と呼ばれる荒くれが定宿にしているような酒場で、少女は宿を取ろうとしているようだ。


「いやなぁ……俺は嬢ちゃんらの事を思って言ってんだぜ? そっちの姉ちゃんもなんとか言ってやってくんねえかなぁ?」


 酒場の店主であろう男が少女の隣に建つ金髪の美女に話しかける。

 淡い髪色に端正な顔立ち、成人してまだ間もない様子の女は白銀色の毛皮を纏い、狼狽えた様子で少女と店主を見ている。

 纏った毛皮の隙間からちらちらと見え隠れする白い足に、周囲の男たちの目が欲に駆られて細くなる。


「嬢ちゃんら花売りか? 一晩幾らなんだ? 俺が纏めて買ってやろうか?」


 酒場のあちこちから下卑た笑いと声が掛かる。

 この様な酒場で宿を取る少女など、売春婦と相場が決まっている。

 売春婦と呼ぶには上等すぎる顔立ちだが、買う方からしてみれば顔が良いに越したことは無い。

 男たちが囃し立てるようにして騒ぎ出したことに、金髪の美女が眉を寄せる。


「嬢ちゃんたち売春婦かい? ならこっちが場代をもらわねえと……」


 店主が訝しげな表情で少女達を値踏みする様に視線を上下させる。

 こう言った酒場には春を売る少女達も顔を出すが、それならば宿に場代を収めるのがしきたりだ。

『居つき』と呼ばれる専属の娼婦を抱える酒場も数多く存在しているが、この酒場には娼婦を囲う余裕は無いようだ。


「ば、売春婦な訳がないでしょうっ! ベルフラム様、もう少しマシな宿を探しませんか?」


 金髪の美女が赤髪の少女に進言している。驚いた事に赤髪の少女の方が金髪の美女よりも上位のようだ。


「娼婦じゃねえならなおさら大部屋に泊まるんは止めときな。朝には穴だらけにされてっぜ? シーツが臭くなっちまわぁ」


 店主の言葉に金髪の美女が顔を青くする。赤髪の少女は意味が分からなかったのか訝しんだ表情で金髪の少女を見上げる。


「レイア? 穴だらけにされるってどういう意味かしら?」


 キョトンとした赤髪の少女の問いに、金髪の美女が顔を赤らめながら動揺した素振りを見せる。

 どう説明したものか迷っている反応を見るに、金髪の美女の方も初心な様子が見てとれて、周囲の反応が一際騒がしく盛り上がる。

 男たちの盛り上がりに少女達が眉を顰め周囲に警戒感を表した時、酒場の扉が開け放たれ一人の青年が2人の幼女を伴って店の中に入ってくる。


「ふぅ~……。なんとか厩に置かせてもらえたぜ……。ベル、部屋は取れたか~?」


 何とも暢気そうな声で青年はカウンターの奥に声をかける。


「クロウ、聞いてよ。大部屋は使わせないって言うの」


 赤髪の少女が警戒感を霧散させて男に駆け寄っていく。金髪の美女も小さく息を吐いている。

 周囲の男たちから舌打ちと嫉妬の視線が男に突き刺さる。

 黒髪の長身の青年は周囲の視線に気付かない様子で、駆け寄って来た赤髪の少女の頭を撫でながら頭を掻く。


 青年の姿は正気を疑う様な格好だった。真冬の最中に薄いシャツ一枚とベージュのズボン、腰に刺繍の入った布を巻いただけの寒々しい格好であった。周りに伴っている幼女たちは毛皮の服を着ていると言うのに、一人だけ季節が違う風体だ。

 青年の格好に気が付いた周りの男たちも、嫉妬の視線を侮蔑の視線へと変えている。

 青年は多分奴隷であろう。皆一様にその考えに至っていた。

 赤髪の少女の格好は平民となんら変わらない格好ではあったが、青年が連れてきた幼女たちはそれなりに上等なメイドの格好をしている。それに金髪の美女も赤髪の少女もメイド服の幼女たちすらも皆髪が手入れされていて、娼婦とは一線を画していた。

 落ちぶれた貴族の娘か何かだろうかと周囲の男が少女達を値踏みしている。

 クロウと呼ばれた青年一人だけが簡素な服しか与えられていない様子から、奴隷として買われた荷運びか何かだろう。


「じゃあ個室なら泊まれるってことだよな? ちと高いけど仕方ねえか……。すみませ~ん。個室って幾らなんですか~?」


 周囲の侮蔑の視線を気にする様子も見せずに青年が店主に問いかける。


「個室なら2つ空きがあるが、うちは売春婦用のダブルベッドの部屋しかねえぞ? 一泊40グラハムだ」


 店主は面倒そうに青年に言いやる。周囲の男たちが店主に向かって睨みをきかす。

 ――追い出しにかかりやがった。

 男たちは店主が余計な面倒事を抱え込むことを嫌い、少女達に暗に出て行く様に促している事が分かっていた。

 メイドの幼女は二人で一室でも良いだろうが、赤髪の少女と金髪の美女は同じ部屋で寝る事は無いだろうと思っての発言だ。

 落ちぶれた貴族の娘に見えても、従者と一緒に寝る事は考えにくい。

 しかし、赤髪の少女は店主の言葉に胸を撫で下ろす表情を作る。


「え? ダブルなの? なら問題無いわね」


 赤髪の少女の発言に周囲の男の、黒髪の青年に対する視線が侮蔑から憐憫に変わる。

 赤髪の少女はどうやらここで部屋を取るようだ。

 自分で一部屋。従者の少女3人で一部屋宛がうつもりだろう。男は言わずもがな厩で夜を明かす事になるのだろう――と外の寒さを思い、男たちも身震いする。 精々大部屋をあてがってもらえることを祈りな――と言った同情の視線が黒髪の青年に注がれる。


「じゃあ、一部屋お願いするわ」


 赤髪の少女の発言に周囲の目が丸く見開かれる。


「嬢ちゃん部屋なら俺の所に来いよ。気持ちの良い事と温かいベッドが使えるぜ?」


 一人の男が金髪の美女に声をかけている。従者の少女達はこのまま布団も無しに部屋で夜を明かす事になるのだと誰もが考えていた。


「おい、ベル……。二部屋取らねえのかよぉ……」


 黒髪の青年が情けない声を出す。どの道お前は外だろう――と誰もが憐憫の視線を男に送る。


「どうしてよ、もったいないじゃない。レイアはどう?」


 赤髪の少女は不思議そうに金髪の美女に尋ねる。

 金髪の美女にしても床で寝る事は歓迎出来ないであろうと、誰もが2部屋取る事を予測する。


「このような宿では隙間風も強そうですし……できれば……その……」


 金髪の美女が何故か顔を赤らめて赤髪の少女ではなく、黒髪の青年に答える。

 金髪の美女の言葉に黒髪の青年が小さく呻いて片手で目元を覆う。

 

「じゃあ決定ね? 一部屋お願い」


 赤髪の少女は我が意を射たりと顔を綻ばせると店主にいいやり、銀貨をカウンターに乗せる。

 周囲の男たちが少女の発言に耳を疑う。

 金髪の美女の言葉は2部屋求めての言葉では無かったのかと。


 周囲の様子を他所に赤髪の少女は店主から個室の鍵を受け取ると早々に酒場の2階、宿の区画へと上がっていく。金髪の美女とメイド服を着た少女達が後に続く。

 黒髪の青年だけが渋面した面持ちで立ちすくんでいる。

 可哀想にな……誰もが青年に憐憫の視線を投げかけたその時、


「クロウっ!! 早く布団に入ってきてよ! 寒いわ!」


 赤髪の少女の声が酒場に響く。

 黒髪の青年は大きく溜息をつきながらゆっくりとした足取りで2階へと消えていく。

 後には、呆気に取られ口を半開きにした酒場の男たちだけが残されていた。

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