第065話  温もりを添えて


 パチパチと炎の爆ぜる音と体を包み込む暖かな温もりに、レイアは微睡む瞼を薄っすらと開く。


(生きて……るの?)


 暗がりに、焚火の炎の光が仄かな灯りをレイアに伝える。

 瞼を開ける事すら億劫になるほど体がだるい。

 背中や腕に暖かな温もりを感じながらも、四肢が動かせない程重い。

 身じろぎしようと体をくねらせると、足に鋭い痛みが走る。


「痛っ……!!」


 レイアは小さな悲鳴を上げて瞼を開く。

 暗闇の中響いた声に、驚きながら体を起こそうとするが、何かに拘束されているように自由が効かない。

 どうなっているのかと首を動かし体を見やる。


(えっ? え??)


 目に飛び込んできた状況にレイアは眼を見開く。

 レイアは何も身に付けてはいなかった。いや、下着だけは身に着けていたがそれだけだった。

 目の前には自分の胸が何も覆われることなく映し出される。

 そして同時に四肢の重さの原因が知らされる。


 レイアの右腕にはベルフラムが裸で抱きついていた。

 左腕にはデンテが同じく裸でしがみついて静かな寝息を立てていた。

 クラヴィスも同様に裸で、レイアの横腹に顔を埋めるようにして、足に抱きつき眠っている。

 一つ残った片足には木が添えられ布を巻かれていたが、その他は肌色一色である。

 不思議な状況に首を傾げながら、レイアはふと横を見る。


(~~~~~!!)


 レイアの肩に九郎の顔が乗っていた。

 僅かな光に照らされ映し出された九郎の横顔に、レイアは声にならない悲鳴を飲み込む。

 九郎は皆と同じく裸で、後ろからレイアを抱きしめながら静かに寝入っていた。レイアの背中に肌を寄せ、体を包みこむように足を絡めて。


 自分が裸の男に抱きすくめられている事に気付き、レイアは体が硬直する。

 顔から火が出る勢いで体が赤く染まっていくのが自分でも分かる。


(ちょっと待って! ちょっと待って! どうゆう状況なんです? 夢ですか? 私は死んでしまったんですか? どちらにしてもこの状況はいったい何なんですかっ!? こんな猥らな夢を見るほど私は淫乱だったのですか!? ………えぅ……)


 自分の顔が熱い。

 温かいと感じた背中も今では熱くて堪らない。


(それ程私は男に飢えていたのでしょうかっ!? どうしてクロウ様なんですかっ!? 確かに私の周りに異性と呼べる人は他にいませんけどっ! 私が初めて見た男性のモノがクロウ様だったからですかっ!?)


 自分でも何を考えてしまっているかも分からない程、レイアは混乱していた。

 確かにレイアの記憶の中でも、九郎は肌色率はかなり高い。趣味じゃなかろうかと思う程よく服を脱いでいる。

 勿論風呂を沸かす仕事が有るのは理解しているが、その他でも九郎は事あるごとに裸になっている。

 体を炎にするには服を着ていると燃やしてしまうからだと、九郎は言っているが、ベルフラムの「それ以外でも大体裸」との証言もある。


(私も脱ぎたかったんですかっ!? 全てをさらけ出したかったんですか――――!?)


 レイアの混乱した声にならない叫びは、レイアの頭の中に大きく木霊していた。


☠ ☠ ☠


「レイアっ、レイア!」


 なんとかレイアを湖から救出した九郎はレイアに呼びかける。

 九郎が湖面から姿を現すと、ベルフラム達が凍った冷たい湖だというのに駆け寄って来る。


「クロウっ! レイアっ!」


 ベルフラムは腰まで水に浸かりながらも氷をかき分け九郎の腰に抱きつく。


「待てっ! ベルっ! レイアがヤバいっ!」


 無事を喜ぶ間もなく九郎は強く言い放つ。

 レイアの胸は微かに上下しているが、その顔色は恐ろしいくらいに白い。

 唇は紫を通り越して黒く見えるほどだ。

 力なく九郎の腕に抱かれているレイアは、風に身を晒したことで急激に体温を失いつつあった。


「クロウ様っ早くこっちに!!!」


 クラヴィスが慌てて『ソードベア』の毛皮を焚火のそばに敷く。

 九郎も急いでレイアを焚火の傍に寝かせる。

 そしてレイアの服を脱がし始める。


「何してるのよっ!」

「服が濡れてっと体温が余計に奪われんだよっ! ベルも濡れたもん脱いで火にあたれっ!」


 ベルフラムの声に九郎が怒ったように答える。ベルフラムも水に浸かっていたのだから急激に体温を失っている筈だ。


 水面からレイアを岸へ運んでいる時に、見る見る顔色が蒼くなっていくレイアを見て九郎は焦っていた。同時に沿えていた掌から、レイアの鼓動が弱くなるのを感じた。

 氷の張った水の中より、外の方が寒いとは思ってもみなかった。


 九郎はクラヴィスやデンテと共にレイアの服を脱がす。

 レイアの豊かな胸が目に飛び込んで来るが、見とれる余裕は無い。

 下着を残して全ての衣服を剥ぎ取ると、レイアを毛皮に横たえる。


「レイア……こんなに冷たくなっちゃって……」


 ベルフラムがスカートを脱いでレイアの手に息を吐きかけ胸に抱くようにして温めている。

 縁起の悪い事言うんじゃねえっ――と九郎が内心ベルフラムを叱りつける。

 息を吐きかけても温まらない事に焦ったのか、ベルフラムは自分の太腿にレイアの手を挟み込むようにして、熱を分け与えようとしていた。


「それだ、ベル! 服を脱いで皆でレイアを温めるんだ!」


 とっさに九郎が叫んだ暖の取り方は、あながち間違った方法では無い。

 冬に水に落ちた馬やシカなどは互いに身を寄せ合って体温の低下を防ぐ行動をする。


「分かりましたっ!」「はいでしゅっ!」


 九郎の言葉にクラヴィス達も戸惑う事なく服を脱ぎレイアに肌を寄せる。


「クロウも脱いで手伝いなさいっ! クロウが一番大きいし暖かいでしょっ!」

「お、おうっ……」


 一瞬九郎は固まるが、即座にズボンを脱ぎ捨てレイアを後ろから抱きしめる。

 一瞬だけ卑猥な絵面が頭に浮かんだが、ベルフラムの言う事は尤もだ。

 九郎は手足が長く少女のレイアを包み込めるほど体は大きい。

 体温も九郎の『ヘンシツシャ』の『神の力ギフト』で、いくらでもレイアに分け与えることが出来る。


「ベルっ! レイアが怒ったら庇ってくれよ!」

「レイアが怒ったら私が怒るわよっ!」


 ベルフラムはレイアの胸に腕をまわしながら、咬みつくように言って来る。

 クラヴィスとデンテが冷たくなったレイアの手足を口に含んで温めている。

 九郎は皆を一緒に包み込むように毛皮を被る。

 暗がりの中、九郎は固く眼を閉じレイアに肌を寄せる。


(ベルがそう言っても、その前に怒られそうなこといっぱいやっちまってんだよっ!! あぁ……ビンタ何発で許してくれっかなぁ……。嫌われちまうだろうなぁ……)


 九郎は眼を閉じながら、それでも良いから助かってくれと天に祈った。


☠ ☠ ☠


(分かりません……分かりません……なぜ私はこんな夢を見ているのですか?)


 目覚めたレイアは、混乱した頭で必死に現状の理由を考えていたが、どうにも結論が出せなかった。

 なのでとりあえず夢だと思う事にした。


「んっ……」


 レイアの右手に抱きついていたベルフラムが、小さく声を出して腕の力を緩める。レイアはそっとベルフラムから腕を引き抜き、ベルフラムの頭を優しく撫でる。夢だと思っているので、やりたいことをしようとしている。


(夢の中でもベルフラム様は可愛らしいですね……)


 自分の主にこの様な事を思うのは不敬なのかしら――と思いながらもレイアは眼を細めてベルフラムを撫で続ける。


「ん……クロウ……」


 ベルフラムは寝言を呟きながらレイアの首に手伸ばし、再び体を寄せてくる。

 その寝言にレイアは無意識に眉を顰める。


(私の夢の中でくらい私に甘えてくれてもいいのに……)


 ベルフラム――レイアの主はいつも九郎の傍に居る。

 まるで雛鳥が親鳥の後を追う様に九郎に付き添っている事に、レイアは言い表せない気持ちを抱いていた。

 クラヴィスに何度も指摘されるが、それでも羨ましいと思ってしまう。

 何せベルフラムの隣はレイアがずっと夢見ていた場所だ。その夢見た場所に誰かがいる――それだけで心がざわめいてしまう。


 もう九郎を敵視してはいなかったが、それでも少しは自分に頼って欲しいと思ってしまう。


(同じ筈なのになぁ……)


 レイアは薄々自分の心のざわつきの理由に思い当たっていた。

 レイアはクラヴィスに言われてから、九郎を影から観察していた。

 ベルフラムの隣を射止めた九郎と自分の何が違うのか。また、どの部分であれば似ているのか・・・・・・


 そこで気付かされたのは、レイアと九郎の間にある奇妙な類似点だった。

 まず性格がよく似ている。早合点して突っ込んで行く部分であったり、一人でテンパってあわあわしている部分などは、まるで自分を見ているようで奇妙な羞恥心に襲われる。

 次に戦闘時の行動が似ている。敵を排除する事を第一の目的とはせず、『守る』事を念頭に動こうとするのは、レイアと一緒だ。それは九郎もレイアと同じく、攻撃を不得手としているからだろうと思われる。

 なにより鍛え方が似ていた。弱い自分を知っていながらも、愚直に自分を鍛える事を諦めない九郎は、かつての自分の姿に重なっていた。


 変わりたい――その想いは同じ筈なのに……レイアは九郎の顔を思い浮かべて僅かに眉を下げる。

 この旅の中で新たな強さを見せた九郎だったが、実力的にレイアは「負けてはいない」と思っている。『ソードベア』と『クリスタルバグ』を一人で倒した事は疑っていないが、その後旅の道中の『弾丸兎バレットラビット』は元より、蝙蝠の魔物などにも手も足も出なかった。

 相性の問題もあるのだろう……ベルフラムはそう言っていたが……。


 何も変わらない……それどころか似ている部分もある。そう考えていたからこそ、「何故自分では無かったのか」と言う思いを抱いてしまう。


「やっぱり男と女と言うのが大きいのでしょうか……」


 自分の首に抱きつき頬を寄せるベルフラムを、レイアは愛おしげに撫でる。


 ベルフラムが九郎に傾倒しているのは、傍から見ていれば誰でも分かる。九郎本人も気付いていながら、気付かない振りをしているのも……。

 共に生活をする中で、九郎がベルフラム達の事を保護者的観点で見ているのは、鈍いレイアであっても感じ取れる。噂で聞いていたように、苦境の中でベルフラムの弱みに付け込み、その体をものにしたなどとはもう思っていない。


「ぴぅっ……」


 不意にベルフラムの吐息が耳にあたり、レイアのくちから短い悲鳴が零れた。

 そのリアルな感覚にレイアは再び混乱しはじめる。


(あれ……? え? 夢……じゃ無いんですか? え?)


 自分を取り巻く状況が夢でないと思い始めて、レイアの取り繕われていた余裕が吹っ飛ぶ。


「もう一度よく思い出すのよ、レイア! 深呼吸よ! 冷静に……冷静に……」


 小さく呟きながら、レイアは自分がこの状況になる前にあった事を思い出す。

蝕肉蛭エクリプスリーチ』の群れに襲われて撃退し、その後大きな『吸い込む岩インヘイルロック』に襲われたのは覚えている。

 水に引きずり込まれた自分を助けようと、九郎が飛び込んで来てくれた事も覚えている。

 そこまで考えてレイアはさらに顔を赤く染め、そっと自分の唇に手を触れる。


「私……初めて唇を……」


 ずっと祖父や父と剣の鍛錬をしてきたレイアにとって、異性と出会う暇などなかった。

 行き遅れとは言わないまでも、レイアの歳では結婚している者が殆んどだ。

 なまじ剣に力を注ぎ過ぎた所為で、父も貰い手が見つからないと嘆いていた。

 レイアがあまりに剣に傾倒しすぎた所為で、家事全般の技能を身に着けてこなかった事もレイアの婚期を遅らせる要因となっていた。


 自分に恋人はいらない。自分はベルフラムの騎士になるのだから――と頑なに異性に興味を示さないレイアに祖父のクラインも頭を抱え、ちょうどベルフラムの屋敷のメイドが減ったからと、騎士としてでは無くメイドとしてレイアを屋敷に呼び寄せたのも理由が有った。

 そんな家族以外の男と殆んど出会った事すらなかったレイアは、異性と唇を合わせる事になるとも思ってもいなかった。


 その行為はレイアが思い描いていたようなロマンチックな物では無かった。

 死を覚悟したレイアに寄せられた唇は、別れの挨拶では無く空気の譲渡。

 自分を見捨てていけと伝えたレイアに返って来たのは、別れの涙では無く怒り顔。


 九郎はレイアに空気を分け与え、さらにはレイアの足に食い込んでいた靴を強引に壊した。

 一度は助かったと思えた。レイアは覚悟した死が遠ざかった事に安堵した。

 だが再び『吸い込む岩インヘイルロック』に捕えられ、目の端に『蝕肉蛭エクリプスリーチ』が映った時にレイアは絶望した。

 同じ死ぬのなら、獲物が死ぬまで動かない『吸い込む岩インヘイルロック』に喰われた方がましだと思った。体の内側から蝕まれる事など想像したくも無い。

 必死の形相で自分を庇うように『蝕肉蛭エクリプスリーチ』を追い払う九郎を見て、なぜ自分を見捨ててくれないのかと怒りすら覚えた。

 なら自分からこのしがみ付いている生を手放そうと、レイアは自ら空気を吐き出した。


 なのに九郎はレイアに死ぬことを許してくれなかった。

 目だけ周りを見やりながら、九郎は当然の様にレイアに空気を送り込んできた。

 どうあってもこの男は自分を見捨ててくれないのかとレイアは少し悲しく、しかし少しだけ嬉しかった。


 レイアを守るように胸に抱き九郎は必死で『蝕肉蛭エクリプスリーチ』の群れと戦っていた。

 そして殆んどの『蝕肉蛭エクリプスリーチ』を退けレイアのスカートの中に潜り込んできた最後の一匹を九郎が握りつぶした所までは覚えている。しかしそこで意識は途絶えている。


 あの時レイアは自分の体が急速に力を失っていくのを感じていた。

 これ程まで自分を守ろうとしてくれている九郎には申し訳ない気持ちがした。

 しかし自分の体の状態は自分が一番良く分かる。

 弱くなる鼓動、霞んで行く視界に、レイアは自分の死を感じていた。


「そう……やっぱり私はあの時に死んだ筈です……」


 あの状況から自分が生きているとは、到底思えない。しかし、ならばこの状況は何だろうと再びレイアは首を傾げる。神様がレイアに最期の別れを言う場を与えてくれたのだろうか。なら全員裸なのもなんだか納得できそうだとレイアは少し強引に結論を出す。


「すみません、クロウ様……守られるって結構つらくて……嬉しいものですね……」


 レイアは小さく呟いて自分の唇に触れていた手を、九郎の唇にそっと寄せる。

 そのまま九郎に視線を映そうと、レイアが少し腰を浮かせたその時、


「ふぉっ!!!」

「え?」


 奇妙な鳴き声にレイアは驚きの声を溢す。

 今の鳴き声は何だったんでしょうか……訝しげにレイアは首を傾げ、九郎の首散るが濡れている事に気が付く。

 レイアは首を回してじっと九郎を見つめる。

 寝ていると思っていた九郎の眉がピクピクと痙攣していた。


「起きているなら目を見てくださいよ……クロウ様」


 レイアは拗ねたような口調で九郎に語りかける。

 九郎はゆっくりと閉じた目を開き、即座に横を向く。

 耳まで顔を赤くした九郎にレイアの方が驚く。

 死後の世界でまで照れなくても良いではないかと。

 視線を外したままの九郎に、少し口を尖らせながらレイアは九郎に語りかける。


「クロウ様、短い間でしたがお世話になりました。ベルフラム様達を宜しくお願いしますね。あと、守ってもらったのに死んじゃって御免なさい……。少しだけ嬉しかったですよ? お礼は私の初めての唇で許してくださいね。この通りもう私は何も持っていないので……」

「あ、あの……レイア……?」


 レイアの最期の別れの言葉を、九郎は狼狽えながら聞いているようだ。

 そう言えばクロウ様は結構焦った表情が多いですね……とレイアはそれとなく思う。


「でもクロウ様はベルフラム様を守ってもらわなくてはいけないので、まだ死んじゃったら駄目ですよ? 死んじゃった私の分までベルフラム様を……宜しくお願いします……ね」


 そこまで言ってレイアは一筋の涙を流す。

 悔いが無い訳では無かった。念願のベルフラムの騎士となり、レイアはこれからだった。思い半ばにして倒れる事になってしまい、やはり悔しさや無力感に苛まれる。

 頬を伝う涙がとても熱い。

 そっと九郎がレイアから視線を外しながら、バツの悪そうな表情でレイアに語りかける。


「あの……レイア……その……」

「何ですか……っく……最後の言葉くらい……ちゃんと目を見て聞いて下さいよぉ……ひっく……」

「いや……俺もそうしたいのはやまやまで、出来るんなら穴が開くほど見てみたいんだが……」


 しゃくり上げているレイアから視線を外しながら、九郎はしどろもどろに言葉を続ける。


「じゃあなんで目を合わしてくれないんですかぁ……? ひっ……えぅ……」

「あ……う、あのよ? レイアの顔を見ようとすっとその……レイアの胸も見ちまいそうで……よ?」


 脂汗なのか冷や汗なのかを滴らせながら、九郎は耳まで赤くしてレイアに視線を合わせられない理由を述べる。


「死んだ後まで照れないで下さいよぉ……最後の言葉位ちゃんと……」

「いや……レイアは自分が死んだと思ってるみてえだが……生きてっからな……?」

「…………ぴぅっ?」


 九郎の言葉にレイアが奇妙な声を出し硬直する。

 後から後から溢れ出て来ていた涙がピタリと止まる。

 九郎は眼を頑なに閉じながらレイアに添えていた腕をそろりと離す。


「う、嘘吐かないでください……あ、あの状況で、どど、どうやったら助かるって言うんですか……?」

「が……頑張った。俺が……」


 レイアの問いに九郎が頭を掻く。

 レイアは自分の体がまたもや熱くなってくるのを感じる。


「じゃ、じゃあ……この状況は……?」

「低体温症で死にかけてたレイアを皆で温めてたんだ。しかし良かった~! 頑張った甲斐があったぜ……」


 レイアが恐る恐る尋ねた問いに、九郎は大きく息を吐き出しながら一緒に安堵の言葉を吐き出す。

 自分がまだ生きていると告げられ、とたん今の自分の格好を思い出し、レイアは頭が沸騰しそうなほどの羞恥に顔を染めた。

 背中で九郎の胸が大きく上下する動きを感じる。

 レイアは未だ九郎の胸に自分を預けている状態だ。


「ぴゃぅっ……」


 咄嗟に胸を隠そうとするがレイアは片手しか動かせない。

 なにせ首にはベルフラムを、左手にはデンテを、足にはクラヴィスをと動く事すらままならない状態なのだ。

 そして動かせる右手もベルフラムの頭が邪魔して大事な部分が片方しか隠せない。


「ソ……ソレハ……ゴメイワクヲ……オカケシマシタ……デス……」


 どうあがいても動けない状態に、レイアは顔を赤くしたまま、とりあえず九郎に礼を伝える。それと同時にレイアの体に悪寒が襲ってくる。

 自分が生きている事を知らされ、安堵よりも先に、気を失う直前まで自分に降りかかっていた死の恐怖に、体に震えが走っていた。


「さ、寒いよな? ちょっと待っててくれ。今服を持って来るから……もう乾いてても良い頃だし……」


 突然震えだしたレイアに九郎が慌てた様子で体を離す。

 ずっと背中に感じていた温もりが離れていく。

 レイアは無意識にその行動を封じるように九郎の胸に凭れ掛かる。


「お、おい……」


 九郎の狼狽える声。


「い……今頃震えが……スミマセン……」


 レイアが身を震わせながら九郎の体に体重を預ける。

 九郎はレイアから視線を外したまま小さな声でいつもの数字を数えはじめる。


 ベルフラム達が良く言っていたように、九郎の体は冬の野外だと言うのにとても暖かい。背中から九郎の体温が伝わって来て、レイアの震えが収まって来る。


「さ、寒かったらやっぱ服着た方が……」

「もう少し……もう少しだけお願いします……」

「わ……分かった……。サンゼンゴヒャクゴジュウキュウ……サンゼンゴヒャクナナジュウイチ……」


 顔を赤らめながらもレイアは九郎の提案を小さな声で却下する。

 自分の背中や腕に感じる肌の温もりが、自分が生きている証明の様に思えてレイアはそっと目を閉じる。

 目を閉じた事で、自分の鼓動と早鐘の様に脈打つ九郎の心臓の音が、混ざり合って大きくレイアの耳に響く。


「私……生きてるんですね……」

「……サンゼンナナヒャクロクジュウナナ……おうっ、その為に頑張ったんだからよ!」


 ポツリと漏らしたレイアの声に、九郎は気色ばんだ声で答えた。

 その言葉にレイアは瞳を閉じたまま小さく笑みを浮かべる。

 そしてふと胸の下、心臓辺りに微かな痛みと熱を感じて首を傾げる。


「クロウ様……私の胸の下辺りが少し痛いのですが私は何か攻撃を受けてしまったのですか?」


 足の痛みの原因はレイアも覚えているが、胸に攻撃を受けた覚えは無い。

 何気なく尋ねたレイアの問いに、九郎がビクリと体を硬直させるのが背中越しに伝わってきた。


「すまんっ! 水の中でレイアの心臓が止まっちまうかと思って温めた時のやつだ。……水の中なら火傷しねえって思ってたんだけど……な、治るよな……? レイアの魔法なら治せるよな? み、見てねえけどなんか赤くなってたし……見てねえけど……」


 九郎が焦った様子で傷の原因を語る。

 レイアの目からは胸が邪魔して見る事は出来ないが、どうやら弱まった心臓を温める為に、九郎は自分の胸に手をあて炎の力を使ったらしい。では、この微かに熱を持つ痛みは弱い火傷の様な物だろうとレイアは、安堵の吐息を吐き出す。


「ど、どれくらいの傷なら治せるんだ? 俺、魔法の事よく知らねえから……。

な、治せなかったら、すぐに医者に行ってくれよな? 金は……俺が何とすっから」


 九郎は殊の外レイアの傷に狼狽えていた。

 女性の肌に傷を付けてしまった事を酷く気にしている様子で、しきりにレイアに治りそうかと聞いてくる。


「だ、大丈夫ですよ。火傷程度なら直ぐに治せますから」


 レイアの言葉に九郎は大きな安堵の息を吐き出す。

 レイアは背中越しに九郎を見上げ小さく笑う。

 この男は自分も生きるか死ぬかの状況で、レイアに付けてしまった小さな傷の事を心配していたようだ。

 レイアは小さく呪文を唱え、癒しの魔法を発動させる。

 折れていた足が治っていく。

 胸の傷は今は治さないでおこうとレイアは決める。

 この傷は何もできなかった自分への戒めとして残しておこう……と。

 この傷は無力な自分への戒めと……男に守ってもらえた小さな証なのだからと――――。


 レイアはもう一度九郎を見上げて目を細めると、体の力を抜く。

 右手でベルフラムの頭を抱きながら、静かに瞳を閉じる。


「サンゼンナナヒャクキュウジュウナナ……サンゼンハッピャクサン……サンゼンハッピャクニジュウイチ……」


 九郎の声が子守唄の様にレイアを眠りへと誘っていった。


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