第060話  ご褒美


「本当にクロウ様は凄い方ですねぇ~……」


 クラヴィスが湯を塞き止めている岩から零れ出るお湯で食器を洗いながら話しかけてくる。

 温かな湯に浸かりながら食べる美味しい食事に、殊更感激したようだ。

 小さな滝壺にはもうもうと湯気が立ち込め、眼下には登り始めた月を映した大きな湖が静かに広がっている。

 時折吹きつける冬の凍える風も、火照った体には心地良い。

 デンテが楽しそうに泳ぎ、レイアは沈み込むように湯に体を横たえ気持ち良さそうに瞼を閉じている。


「ほんと、あなたって時々物凄いわね……。普通考えないわよ? 氷を溶かしてお風呂にしようだなんて。それに……さっき聞いたけど未だに信じられないわよ。毒に強いってのは聞いていたんだけど……」


『クリスタルバグ』をどうやって撃退したのかを簡単に説明されたベルフラムは呆れた表情で呟く。

 ベルフラムは九郎が『来訪者』であることを知っていたし、熱や毒に耐性があるとも聞いていた。熱は言わずもがな、毎日炎に『変質』する九郎を見ているし、これから『火刑』を受けに行こうとしているだけに疑いの余地など無かったが、毒に対しては九郎が毒見と称して初めての食材を一番に食べる様子しか見ていなかった。

 幸運な事なのだろうが、出会ってから今まで何を食べても「旨い」「食える」「まずいが食える」としか言ってこなかっただけに、少々半信半疑だった。

 しかし今回は九郎の毒耐性に救われた形なだけに信じる他は無い。


「やっぱり私の天国はお二人の傍だって思いましたです。お二人に出会えて本当に……」


 食器を洗い終わったクラヴィスが、ベルフラムの隣に腰を沈める。


「私はとても幸せです……」


 甘えるようにベルフラムに頬を寄せるクラヴィスに、ベルフラムも目を細めてクラヴィスの頭を撫でる。

 クラヴィスは殊更ベルフラムに良く懐いている。

 九郎の苦しげな顔を見たくなかったが為に拾い上げた孤児達に、これ程信頼をよせられるとなんだかこそばゆい。

 たかだか2日の食事と宿の恩だけで、命を投げうって自分を守ろうとしたり、2週間ほどの付き合いだけで九郎を守る為に自分の数十倍の大きさの獣に立ち向かったりと、今まで多くの家臣に傅かれてきた経験のあるベルフラムでも信じられない程の献身ぶりだ。

 今まで傅かれる事はあっても、信頼をよせられる経験など無かったベルフラムには少女達の気持ちに戸惑いすら覚えてしまう。

 ただ、この少々危なっかしく、直ぐに猪突猛進してしまうクラヴィス達を守らねばと感じて、ベルフラムはクラヴィスの頭を胸に抱く。


(クロウも私を助けてくれてばっかりだわ……)


 ベルフラムは何気なく九郎の背中を見やる。

 レイアも一緒に入るからと小さなタオルを腰に巻いただけの、裸の青年。

 贔屓目に見ても強そうには見えない背中が、どれだけ自分の窮地を救ってくれたのだろう。


「私も……クロウに出会えて幸せよ」


 目を細めて小声で伝えたベルフラムの感謝の言葉に、九郎が背を向けたまま頭を掻いていた。耳が赤い所を見るとどうやら照れているらしい。

 クラヴィスに言われたセリフにベルフラムが抱いた気持ちと同じく、九郎も自分たちを守らなければと思っているのかもしれない。

 ただ、そうなるとやはり自分も子供と扱われている結論に達してしまい、ベルフラムは頬を膨らませる。そして頼りになるのに何処か頼りない九郎の背中に――自分も同じ感情をクロウにも抱いているのかも―――と無理やり自分を納得させる。


「おいおいそんな褒めると調子乗っちまうぜ~、おらぁ……」


 照れているのを隠そうとしている様子で九郎は雪に何かを埋める作業をしている。

 先程から九郎が雪に埋めた何かをしきりに取り出しては搔き混ぜ、再び雪に何かを埋めてはを繰り返している。


「本心から思ってるもの。……所で何しているの?」


 クラヴィスの頭を撫でながらベルフラムが首を傾げて九郎に答えると、九郎はニヤリと視線をベルフラムに向け雪に埋めていた物を取り出す。

 取り出されたのは只の氷柱つららだった。


「今日の俺は機嫌が良いんだ! 巨大な魔物に勝利し、雄大な景色を見ながら旨い飯を食った! 今までろくすっぽ勝てなかった魔物に勝ったんだぜ? だから今日は贅沢して祝うつもりなんだ! 俺の輝かしい『英雄』への第一歩にな!」


 この世界に来てから九郎が完全に勝利を収めたと思える敵は、荒野で彷徨っていた時に出くわした余り動かない群青色の蜥蜴と、農夫でも倒せると言われた大きな兎のみであった。自分の『神の力ギフト』が攻撃向きではない事に悩んでいただけに、大きな魔物に勝利できたことで、今日の九郎はかなりテンションが高い。


「そのお祝いは良いけれど、それとその氷柱つららとどう関係があるの?」


 いきなり語り始めた九郎に若干引きつつ、ベルフラムが興味深げに九郎の手に握られた氷柱を見る。

 デンテとレイアも突如大声で語り出した九郎を興味深げに見ている。

 九郎は良くぞ聞いてくれましたとばかりに氷柱を掲げると、椀を持ち出し氷柱を逆さまにして揺する。

 氷柱を五本同じように埋めていたのか次々と椀の中へと掻き出していく。


「これは今日の贅沢のフィナーレだっ! 俺様の贅沢に震えるがいいっ!!!」


 氷柱をくり抜いて中に何かを入れていたのか、椀の中には薄青い雪の様な物が盛られていた。

 九郎は匙で薄青い雪を掬い、ベルフラムの目の前に持って来る。

 もはや条件反射のように開かれたベルフラムの小さな口に、九郎はゆっくりと匙を差し込む。


「!! ~~!!!」


 差し込まれた匙が引き抜かれると同時にベルフラムが目を見開いた。


「ベルフラム様……苦しいです……」


 ベルフラムに思いっきり抱きすくめられて、クラヴィスが戸惑いを口にする。


「ほら、ベル。クラヴィス解放してやれって。ほれクラヴィスもあーんしてみ?」


 口をつぐんで頻りに目を見開いているベルフラムの腕からクラヴィスを解放してやり、九郎はクラヴィスの口にも匙を入れる。

 水面から顔だけ出して期待の目を向けているデンテにも、同じように椀の中の薄青色の雪を含ませる。


 誰も言葉を発しない事に、レイアが訝しんだ表情で九郎を見詰める。


「ほれ、レイアの分な」


 レイアは九郎から手渡された椀と、言葉を忘れたかのように目を見開いて口を噤んでいるベルフラム達を交互に眺める。

 九郎は各自に椀を手渡し終えると自分の椀を片手に立ち上がって大仰に頷く。


「さあ、今日のフィナーレ、『クリスタルバグ』の蜜のシャーベットだ! 溶けちまう前に手早く食っちまえ!」


 九郎の言葉に弾かれたように匙を掻きこむ少女達を見て、レイアは恐る恐る薄青い雪を口に入れる。

 口の中にひんやりとした冷たさと、その後濃厚な甘さが広がる。

 今まで食べた事の無い強い甘味にレイアも目を見開く。酒精の仄かな香りと、今までどんな果物でも味わった事の無い甘味に、自分の表情が綻んでいるのが分かる。

 湯によって温められた体を喉から心地よく冷やして行く快感に、匙を動かす手が止められない。


 瞬く間に食べきってしまった椀の中を恨めしそうに見て匙を咥える。あまり行儀の良い行動とは言えない素振りをしている事に気が付き、レイアがハッと顔を上げると九郎と目が合った。

 はしたない姿を九郎に見られてしまったと顔を赤く染めるレイアに、九郎が満足そうに頷く。

 恥ずかしさに視線を周りに向けると、ベルフラムとクラヴィスは魂が抜け落ちたかのように呆けている。デンテは椀の中をも舐め取っているようだ。

 皆一様に幸せそうな表情をしていることに九郎は一人満足そうに何度も頷いている。


「どうだ? 美味かっただろ?」

「ええ……本当に……とても美味しかったです……」


 九郎の答えの知っているかのような表情の問いかけに、我を忘れて食べていた様子を見られていたと気付き、顔を赤らめたまま消え入りそうな声でレイアは答える。

 事実これまで味わった事の無い甘みを思い出し、うっとりとした表情を浮かべたベルフラム達の表情からも味の凄さが表れている。


「あの……クロウ様……これは?」

「さっき言っただろ? 『クリスタルバグ』の蜜のシャーベットだって」


 自信たっぷりに答えられてもレイアは首を捻るばかりだ。『クリスタルバグ』の蜜と言われても、それは有る事は・・・・分かっていても・・・・・・・誰も手に入れる・・・・・・・事が出来ない・・・・・代物のはずだ。

 触れれもしない物を、九郎はどうやって手に入れたのかが分からない。


「クロウはどうやって『クリスタルバグ』の蜜なんて手に入れたのよ? 触れないんでしょ? あの蜂の蜜は。」


 レイアの疑問はベルフラムも不思議に思ったのか、同じ疑問を口にして九郎に尋ねる。

 九郎は得意げに鼻を鳴らすと皆を見渡しながら右手を掲げる。

 皆の視線が九郎の右手に集まる中、九郎が眉をよせるとジワリと右手の親指の先から薄青い液体が染みだして来る。


「俺の水筒はどんな物でも削り取っちまうのさ。触れられないモノだってほら、この通り」


 皆の目の前で滴り落ちそうな液体を舐め取り、一人満面の笑みを浮かべる九郎。


「ずるいっ! 私にもちょうだいっ! クロウ汁!!!」

「汁とか言うんじゃねえよっ!! ほらよっ!」


 飛びついてくるベルフラムの頭を押さえながら九郎は右手を差し出すと、ベルフラムは顔を輝かせて九郎の親指を咥えた。

 ベルフラムの仕草を目にして顔を赤くするレイアを他所に、クラヴィスとデンテが物欲しそうに九郎を伺っている。


「ほれ、クラヴィスとデンテも遠慮すんな」


九郎が右手を広げて中指と小指からも青い液体を滲ませると、クラヴィスとデンテが顔を輝かせて指に食いつく。


「……ベルフラム様……流石に……はしたないと思いますよ……?」


 レイアが赤くなった顔を手で隠すようにしながらその光景を見て、苦言を呈する。


「んっ……ぷはっ……何よレイア? はしたないってレイアには何してるように見えるのよ?」

「え? あの……その……」


 九郎の指を舐めていたベルフラムが、不思議そうに首を傾げる。

 所詮叙事詩えろほんで性教育を受けていたベルフラムにとって、指を舐めると言う行為がエロい行為とは思っていない。男の肌に舌を這わす事が官能的だとは思いもつかない。

 ベルフラムの問いかけにレイアは再び目の前の光景を見る。

 裸の少女たちに指を咥えられ、「ほら、焦んなくても無くなんねえからっ! こらっデンテ咬みつくなっ! 歯が無くなっちまうぞっ!」などと頻りに少女達をあやしている九郎の姿がある。


「え……えっと……猫の授乳?」

「可愛いものじゃない。なら問題ないわね……はむっ」


 裸の少女達と戯れているのに、その光景はなんとも牧歌的だ。指に縋って咥えられているさまも、母猫の腹に身を寄せ合い乳をすう猫の様にしか見えない。

 そこには淫靡な空気も猥らな光景も広がっていない事にレイアが目を擦る。


「レイアもどうだ?」


 九郎が左手をレイアに差し出しニヤリと笑う。いつもより2割増しくらい気合を入れた笑顔で歯を光らせるように顔を決めている。

 九郎の言葉にレイアが呆気に取られた様子で九郎を見つめる。


「すまんっ! 調子に乗りましたっ! ごめんなさいっ!」


 レイアに見つめられ、すぐさま手のひらを返す九郎。

 その様子があまりに可笑しくて、レイアは笑いを噛み殺す。

 思い返せば九郎とベルフラム達はいつも裸同士でも、淫靡な雰囲気など纏っていない。

 九郎は少女たちの裸体に眉さえ上げない。ベルフラム達も九郎に肌を晒す事を恥ずかしがる素振りすら見せない。最初はレイアもクラインと同様、九郎は男色なのかとも思ったが、唯一自分にだけ九郎は肌を見せる事や見る事を躊躇する様子を見せる。

 九郎にとってベルフラム達は子供でしかなく、自分に対してだけ女を意識している。

 それでも無理やり手を出してこない所を見ると、九郎はこの牧歌的な関係を維持しようとしているようにも思えてくる。


 何も言わず静かに近づいて来るレイアに、九郎は悪戯がばれた子供の様に左手を目の前で振る。


「ほんとゴメンっ! 調子に乗り過ぎましたっ! 悪気はありますんっ!!」


 レイアは焦った様子で謝罪を続ける九郎の傍まで来ると、目を細める。

 そのまま目の前で振られている九郎の左手を掴み、笑みを浮かべる。


「悪気が有るのか無いのかどちらだったんですか? クロウ様?」


 そう言いやると、レイアは九郎の指に軽く口付けする様に唇を寄せた。

 ビクリと動きを止めた九郎を見上げてレイアはもう一度クスリと笑みを浮かべると、髪をかき上げ今度は指を咥える。


「クロウ様? ベルフラム様達が猥らになってしまわないよう程々に。人目のあるところでは止めて下さいね?」


 数秒間だけ九郎の指を口に含んでいたレイアは、自分から目を背けて固まってしまっている九郎に優しく微笑みそう告げるとそしらぬ様子で元の場所へと戻る。

 動きを止めた九郎からはいつもの様に素数を数える声だけが漏れ出ていた。

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