第059話 信〇民
「ふ~んふふ~んふ~ん♪」
穏やかな日差しの中、街道に音を外した呑気な鼻歌が響く。
『クリスタルバグ』を撃退し、一人で『ソードベア』を解体し終えた九郎が上機嫌で荷車を引いて歩いていた。
荷台には二匹の『ソードベア』の毛皮に包み込まれるようにしてすやすや寝息を立てている4人の少女と、多くの肉が積まれている。
珍妙な鼻歌を歌いつつ、九郎は片手を上げると親指に意識を傾ける。
トロリと薄い青色の液体が親指から染み出して来る。
九郎は親指から染み出した液体を舐め取るように親指ごと咥え、感嘆の声を漏らす。
「ん~。やっぱ人生に『甘味』は必要だなぁ。キモイ思いをした甲斐があったぜ」
舌に広がる濃厚な甘みと少しアルコールを含んでいる様な――ラムレーズンのアイスクリームを舐めているような味に九郎は満足そうに頷く。
『クリスタルバグ』を撃退し、『ソードベア』を解体し終えた九郎は、此れも売れるかもしれないと『クリスタルバグ』の巣を掻き集め、最後に残された青い球体の処理に思案した。
レイアの話からするとこの青い球体が『クリスタルバグ』の蜜に違いないと考えていた。
話の通り、宙に浮いたままの状態で固定されている青く輝く球体は、掴もうとしても手がすり抜けるばかりでどうやっても動かせない。
だが、鼻孔をくすぐる甘い匂いに九郎の足は縫い止められたようにその場を動けないでいた。
――どうにかしてこの蜜を手に入れる事が出来ないものか……。
しばらく考え込んだ九郎は、覚悟を決めてナイフで腕を切り付け青い球体に血を振りかけてみた。
自傷の痛みに堪えて試みた行為だったが、滴り落ちた血は青い球体をすり抜けるように地面に赤い染みを作っただけだった。
大きくため息を吐き修復の力で血を腕に戻した時、九郎は変化に気が付いた。
青い球体が削られたかのように形を変えていたのだ。
空間を削り取るかのような修復の赤い粒子は、九郎のが考え付いた通り滴り落ちた血と腕の間に浮かぶ、この手に触れる事も出来ない『クリスタルバグ』の蜜すら削り取っていた。
この世界……九郎の過ごしてきた街では、終ぞ見つける事が出来なかった極上の『甘味』に舌鼓を打ちつつ、九郎は街道をひた進む。
「今日はこの辺で休むか」
独り言を呟きながら九郎は街道を少し外れた木陰に荷車を寄せる。
夕日に照らされた雪原は、いつの間にか木々が疎らに生える森へと変化していた。
凍りついた小さな滝壺を横目に、景色を見渡すと朽ち落ちた大木の向こうに青く澄んだ大きな湖が広がっている。
湖が夕日を反射して雄大な景色を広げている事に、胸を打つ思いがする。
「この景色が見られただけでも、この世界に来た甲斐があったってもんだなぁ」
九郎はそう小さく呟くと、夕日に背を向け野営の準備をし始める。
「一品はモツ鍋で良いけど、今日は食材が多いかんな」
目の前に朽ちていた大木を荒っぽく砕くと、その辺の岩で適当に作った釜戸に鍋を掛け、雪を入れて火を点ける。
一口大に刻んだ『ソードベア』の小腸や胃、その他内臓を綺麗に洗い、一度湧いた湯で湯通しする。
再び沸かしなおし今度は『ソードベア』の骨でダシを取った鍋に、人参やジャガイモと一緒に臭み取りのハーブを入れ、湯通しした内臓を放り込み、名前の知らない黄色いトマトのような野菜で味付けをする。
弱火でコトコト煮詰めるようにして、鍋が泡立ち始めると木蓋を落とす。
これで一品目は完成だ。
「こいつはどうすっかなぁ……」
九郎は小さな鍋に入った食材に目をやり頭を捻る。
小さな鍋には半焼けでは有るが焦げていない『クリスタルバグ』の死骸がぎっしり詰まっていた。
あれ程の恐怖を味わった後だと言うのに、九郎は炭になっていなかった『クリスタルバグ』を集めて持ってきてしまっていた。
恐ろしい思いをした後ではあったのだが、九郎の田舎では蜂は珍しくも無い食材であった事と、九郎自身が『蜂料理』が好物だった事が原因である。
生きて蠢いている時には、ぞわぞわする恐怖感があったのだが、動かないそれを見るととたん食材にしか見えなくなってしまった自分の図太さに少し呆れてしまう。
「『すがら』がありゃあ万々歳だったけど、ま、成虫は成虫で美味いしな」
故郷では、珍しい事らしいが蜂は成虫も食材として供されていた。幼虫状態を指す『すがら』が手に入らなかった事に少々不満は有るが、贅沢をいっていても変わらない。
九郎はしばらく思案すると鍋の蜂の頭と針をナイフで切り落とし始める。
「頭はちっと固そうだかんな、足もそういや子供の頃はよく歯茎に刺さっちまったな……」
独り言ちりながら、次々と蜂を解体して行くと、今度は鍋に火をかけ『ソードベア』の白い脂肪を豪快に入れる。見る見る脂が溶けて、やがて小さな泡が浮き上がってくるのを確認すると、処理し終えた『クリスタルバグ』を鍋に放り込んで行く。
からりと素揚げされ、次々と揚がってくる蜂を素手で掬い上げながら味見とばかりに一匹口に放り込み一言。
「やっぱエビだよなあ……」
誰もが言う言葉を口にする。
『クリスタルバグ』の味に九郎は、満足げに頷くと再び蜂を揚げる作業に戻る。
冬の静かな森の中に香ばしい匂いが立ち込めていた。
「いい匂い……」
最初に目覚めたのは、屋敷の中で一番食いしん坊だった。
荷台で微かに動く気配とベルフラムの小さな声が聞こえてくる。
寝息をたてていたから死んではいないと思っていたが、どの位の間寝続ける毒か分からなかっただけに少々不安だった九郎はそっと安堵の吐息を漏らす。
「そろそろ飯だぜ。ベルも皆を起こしてくれよ」
「そう……ご飯……って、え? え? 『クリスタルバグ』よ! クロウ気を付けて!」
混乱した様子のベルフラムの声が聞こえてくる。
突然ベルフラムが動き出した為か、レイア達もつられるように目覚めて行く様子を見て、九郎は忍び笑いを噛み殺す。
あの瞬間は九郎自身も焦っただけに、今こうして彼女たちがわたわたと慌てている姿がとても平和に思える。
「心配すんなよ、俺がいればどんな敵だろうがちょちょいのちょいってなー。『ベルの英雄』の称号は伊達じゃねえって」
軽く手を振り肩を竦めて余裕ぶる九郎の姿に、ベルフラム達は呆気に取られた様子だ。
特に突然何も分からない状態で『クリスタルバグ』に襲われ意識を失ったレイア達は、全く現状を把握できて無い様子。
「何があったのでしょう?」と首を傾げるクラヴィスや、自分の手足を確認しながら、レイアがどうしたら良いのか分からずにおろおろしている。
「クロウしゃま良い匂い~」
考える事を真っ先に放棄したデンテが、荷台の上から飛び降りて九郎の元へと駆け寄ってくる。
蜂の素揚げを作っている九郎の横で、期待に満ちた目が見上げてくる。
「ほれ、熱いから火傷しねえようにしろよ?」
九郎は木皿に積みあがっている、既に揚げられた『クリスタルバグ』を一つ摘まみあげてデンテの目の前に差し出してやる。
カラリと揚げられた蜂の素揚げに、デンテは胸いっぱいまで堪能するかのように匂いを吸い込むと、目を輝かせて口に頬張る。
「はふっ……ほっ……ふぁっ……」
まだ少し熱かったのか、口の中に空気を取り込み冷ましながら素揚げを咀嚼していたデンテが再び目を輝かせる。
「うみゃぁぁぁ! クロウしゃまこれ美味しい! デンテこれしゅき! デンテこれしゅき~!」
全身で感動を表すようにぴょんぴょん飛び跳ねるデンテに他のメンバーも気になったのか、考える事をひとまず置いて九郎の周りに集まってくる。
「それ何ですか?」
「うん? 『クリスタルバグ』の素揚げ」
「ひっ……」
興味深げに九郎に尋ねるクラヴィスに、九郎が揚がった蜂が盛られた皿を差し出す。横でレイアが引きつった悲鳴を上げる。
引きつった顔で目を背けるレイアを気にすることなく、ベルフラムとクラヴィスは躊躇なく蜂を手に取り口に含む。
二人は既に虫でも慣れた様子で、しゃくしゃくぱりぱりと小気味良い音をたてて『クリスタルバグ』の素揚げを味わっている。
「あの……私は……」
弱ったように眉をハの字にしてビクつくレイアは、ベルフラムの顔をこれから親に怒られる子供の様に伺っていた。
そしてベルフラムから発せられた意外な言葉に、表情を明るくした。
「何? レイア食べたくないの? 仕方ないわね……でも無理して食べてもしょうがないし……ね?」
ベルフラムが同意を求めるようにクラヴィスに意見を求めると、クラヴィスは素揚げを口に含みながらコクコクと頷く。
いつもなら、眉を吊り上げて「レイアは食べ物のありがたさが分かって無いから好き嫌いするのよ!」と説教し始めるベルフラムが、珍しい。
ベルフラムの言葉にパァっと顔を綻ばせるレイアとベルフラムを交互に見ながら、九郎は目頭を押さえる。
(こいつら……気に入り過ぎちまった……)
どうやらベルフラムとクラヴィスもこの『クリスタルバグ』の素揚げをいたくお気に召したようだ。
一人食べる者が少なく成ればそれだけ自分の取り分が多くなると考えたのだろう。
「こら、ベル。考えてることが丸わかりだ」
「あいたっ!」
しかし、九郎は自分のお気に入りのこの味覚をレイア一人が知っていないのは、なんだか寂しい気持ちになってしまい、軽くベルフラムの額にデコピンをしてレイアの目の前に皿を持ち上げる。
「レイアも一個だけ食ってみて、嫌だったら残りは俺らで喰うからよ? 騙されたと思ってちょっとだけ食ってみろって。ほんとちょっとだけ」
「え、え? あの……クロウ様……」
「ダメだって思ったら吐き出しても良いから。今日は怒んねえから。ちょっとだけ! 先っぽだけで良いから!」
今までクラヴィスとデンテには好き嫌いせずにきちんと食べる事を指導していた九郎だったが、レイアに対してだけはベルフラムに任せきりで、特に何も言ってこなかった。九郎が今日にかぎって食べる事を強要して来た事にレイアは弱り顔だ。
「ベルフラムさまぁ……」
ベルフラムの陰に隠れるように身を屈めたレイアに、ベルフラムは嘆息しながら肩を竦める。
九郎の気持ちを読み取ったのか、それとも頭に擡げた自分の思惑を改めたのかは分からないが、美味しい物は皆で共有した方が良いと思い直したのだろう。
「そうよね。やっぱりレイアだけ仲間外れにするのは可哀想よね。レイア、一匹だけ食べて見なさい。ほら、口を開けて?」
「そんなぁ……クロウ様お恨みしますよ……」
「い、いやっ……やっぱそこまで無理して食うもんじゃねえよなっ? じゃあやっぱ……」
「駄目よレイア。諦めてほら、はい! あ~ん」
自分の好物を意中の女性にも知ってもらいたいとの想いだったが、こんな些細な事で恨まれては堪らない。慌てて言葉を翻す九郎だったが、ベルフラムはにこやかに素揚げを一つ摘まみ、レイアに差し出す。
恨めしそうに九郎を見て涙目になっていたレイアは、有無を言わせないベルフラムの笑顔に観念したのかぎゅっと目を瞑って口を小さく開く。小さく開いた可愛らしいレイアの口に、ベルフラムは容赦無く素揚げを突っ込むと、片目を瞑って人差し指をレイアの唇に添える。―――吐き出す事は許さない――と暗に語るベルフラムの仕草に、レイアは眉尻を下げてゆっくりと口の中の物を咀嚼する。
夕日の照らす森の中に、シャクシャクパリパリと小気味良い音だけがしばらく鳴る。
ごくりとレイアの喉が動いたのを確認して、ベルフラムは悪戯っ子のような顔でレイアに感想を尋ねる。
「どう? 感想は?」
「………うぅ……何でこんな見た目で……こんなに美味しいんですかぁ……?」
弱り切った瞳で不条理そうに味の感想を述べるレイアに、その様子を見守っていたメンバー達に笑顔が広がる。言っている言葉は愚痴の様ではあるが、味はお気に召したようだ。
「んじゃ、レイアの美味しいが聞けた所で飯にしようぜ! そろそろ鍋も煮えて来る頃だろ」
全ての『クリスタルバグ』を揚げ終わった九郎が皿を持って、沸々と音を立てている大鍋に向かう。
「ええ……とその前に顔と手を洗わないと……。鍋は全部使っちゃってるから……仕方ないけど雪で我慢しましょ? ほらっデンテ、嫌そうな顔しないの。血の匂いがしてちゃ、ご飯がおいしく無いわよ?」
ベルフラムが服の袖に鼻を寄せ、顔をしかめながら積もっている雪を掬い上げてごしごしと擦り始める。『ソードベア』の解体作業中に『クリスタルバグ』に襲われて、少女たちの手は血が赤黒く固まってこびりついていた。
雪の冷たさに小さな悲鳴を上げながら、懸命に血を落とそうと躍起になっているが、固まった血糊はそう簡単には落ちない様子だ。
九郎はと言えば手は調理前に洗っていたが、全身煤まみれで黒い汚れが体を覆っている。
なかなか落ちない血の汚れにブツブツと文句を言っているベルフラム達に、九郎はニンマリ口角を上げる。
「おいおい、なんで俺がこんな風のふきっ晒しの場所をわざわざ野営場所に選んだと思ってんだ? 今日は贅沢するって俺の中で決めてんだ!」
いきなり大声で語り始めた九郎に少女たちは呆気にとられた様子で振り向く。
腰に手を当て、夕日に赤く染まった湖を臨む景色を大げさな素振りで指し示すと、九郎は高らかに宣言する。
「旨い飯に綺麗な景色! 後は何と言っても温かい温泉に決まってんじゃねえか! 今日は風呂に入りながら晩飯と洒落込もうぜっ!」
力強く提案した九郎を少女たちは口を開けたまま見詰めてくる。
「クロウ様? 温泉?」
「ん? 風呂の事だ」
「ここは外でしゅよ?」
「お、そうだな」
「お風呂なんて無いわよ?」
「あるじゃねえか」
「え?」
一拍置いた後に矢継ぎ早に繰り出される呆れた声に事も無げに答えて、九郎は後方を指し示す。九郎が後ろ手に指し示す場所には、小さな滝壺が静かに時を止めたように凍りついていた。
当初は風呂すら知らなかったベルフラム達には『温泉』と言う言葉の意味が良く分からなかったのか、風呂は屋内で水を溜めて沸かす物だと思っている様子だ。
「まあ見てろって! あ、俺を見ろって事じゃねえぞ? 俺に見せつける趣味なんてねえからな?」
なんとも決まらないセリフを吐きながら、九郎は服を脱ぎ捨て滝壺に歩いて行く。九郎は凍りついた滝壺の中心辺りで立ち止まる。
「さあさ、お立合いお立合い。此度は旅館『ふきっさらし』へようこそ。調理、暖房、湯沸かしと着々と便利家電の道を突き進んでいるこの俺の真の実力、お目にかけよう!!!」
大げさな身振りと大仰な言い回しで、少女たちに向かい胸に手を当て恭しく礼をする。これが全裸で左手が股間を隠していなければ様になったのかもしれない。
呆気に取られた様子で成り行きを見守っていたベルフラム達の目の前から、九郎が突如姿を消す。
「!! クロウ!?」
「んひょおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおお!!!!」
水にトプンと沈み込むように姿を消した九郎に驚き、慌てて駆け寄るベルフラムの耳に、九郎の奇声が聞こえてくる。消えた九郎を探し、辺りを見渡すベルフラムの目の前で変化が起こり始める。
滝壺の中心に奇妙な穴が開いていて、その穴がじわじわと広がり始める。
火種を押し付けられた紙の様にじわじわ広がり続ける穴がやがて岸まで辿りつくと、今度は湯気が立ち込め始める。周囲は濃霧の様に白く煙り温かな空気が広がっていく。
「ふうぅぅ。ちべたかった…………な?」
湯煙の中からせせり出る様に浮かび上がってきた九郎が、口を開けたまま固まっている少女たちに得意そうに親指を掲げた。
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