第055話  雑魚


 クオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォ!!!!!!


 一面白に彩られた雪原の中、白い魔獣の咆哮が響き渡る。

 熊と言う名に違えて、甲高い鳴き声に九郎はブルリと身を竦ませる。

 街道を進む中突如現れた白い獣――『ソードベア』が九郎に向かって走り出した。

 馬より早いと知らされた通り、『ソードベア』は闘牛の様に周囲の雪を巻き上げながら九郎に向かって恐ろしい速さで突進してくる。

 ギラリと光を受けて反射する長い牙と、その隙間から零れ出るこれまた蛇の如き長い舌が恐ろしさをさらに際立たせている。


(怖ええええええええええええええぇぇぇぇぇ!!!!!)


 迫りくる重機関車のような獣の突進に、直ぐにでも踵を返して逃げ出したい気分に陥る心を懸命に奮い立たせ、九郎は目の前の『ソードベア』を睨みつける。

 逃げられるなら逃げ出したい……しかし今の九郎に逃げる選択肢は無い。

 たかだか長くて2か月も経たない付き合いだが、九郎の後ろには年端も行かない少女達がいる。

 『英雄』を目指し、『真実の愛』を受け取る為にも、例え恋愛対象で無かったとしても女性を守れなくて何が『英雄』かと震える心に叱咤する。


(俺は死なねえんだ……負ける事なんてねえ!)


『不死』の力を授かった九郎に『死』によってもたらさらる敗北はあり得ない。

 だが、今まで一人で荒野を彷徨っていた時と違い、『死なない』のは九郎のみでベルフラムやレイア、クラヴィスやデンテ達、守らなければならない少女達にはあてはまらない。

 一番の雑魚敵と称されていた『弾丸兎バレットラビット』とすら良い勝負をしていた九郎にとっての難題は、「敵を如何にして倒すか」にかかっていた。


(今回は負けねえだけじゃだめだ……勝た・・なきゃなんねえんだ……)


 後数歩に迫った『ソードベア』に向かって、九郎も駆け出し右手の大ぶりのナイフを振り下ろす。


「いつまでもレベル1って訳じゃねえぞこらっ!!!」


 まだ2週間も経ってはいないが剣の稽古もしてきた。

 力だって当初よりは遥かに強く成っている。

 自分に向けて言っているようなセリフを叫びながら、九郎は右手のナイフを『ソードベア』の首筋にと叩きこむ。


  ギャリンッ!!


 金属同しを擦る様な耳障りな音をたてて、九郎の振り下ろしたナイフが弾かれる。

 渾身の一撃を流され、ふわりと体が浮く。

 巨獣がさらに膨れ上がったかのように毛を逆立たせる。

 50センチ程の長さの『ソードベア』の銀色の体毛が、針の様に鋭利な先端で九郎の腕に突き刺さった。


「ぐおぅっっ!!!」


 空に浮いた状態の九郎の腹に『ソートベア』の体当たりが直撃する。

 同時にブスブスと『ソードベア』の針の様な体毛が九郎の腹に突き刺さる。

『ソードベア』の突進の勢いを殺す事も出来ず、真正面から巨獣の体当たりを受けて九郎はくぐもった声を吐き出しながら後方へと弾き飛ばされる。


「クロウ様っ!!!」


 駆け寄ってくるクラヴィスが弾丸のように『ソードベア』の顔に向かって包丁を突き立てる。

 またもや金属を擦り合わせるような音を響かせ、クラヴィスの攻撃もはね返される。

 短い悲鳴と共に小さな少女の体が放物線を描いてドサリと雪原に落ちる。


「『ソードベア』の体毛は剣の様に変化します! 魔力を通した攻撃でないと効果はありません!!」


 後方から聞こえてくるレイアの声に九郎は身を起こしながら胸元を見ると、突進を受けた皮膚が縦横無尽に切り裂かれて赤い線を滲ませている。

 慌ててクラヴィスを見ると、クラヴィスの長袖の服の袖口が切り裂かれ、流れ落ちる血が雪原に赤い斑点を落としている。


『ソードベア』の方は鼻先辺りに小さな傷が入っていて薄く血が滴っていた。

 どうやらクラヴィスは魔力を攻撃に通す事が出来ているらしい。

『ソードベア』は九郎より先に目障りなクラヴィスを標的に見据えたのか、弾かれて身体を起こそうとしているクラヴィスめがけて大きな前足を振り下ろす。


(不味いっ!!!)


 よろよろと再び四つん這いに身を起こすクラヴィスの目の前に、巨大な腕が迫ってくる。

 スローモーションのように目の前に訪れるであろう惨劇を防ごうと、九郎は手を伸ばしながら必死で駆け寄ろうと大地を蹴る。

 ――間に合わねえ……!!!

 見たくも無い光景に目を瞑ってしまいたくなるのを懸命に堪え、僅かな希望にすがって九郎は必死で走る。


「姉ちゃんっっっ!!!」


 白い雪煙を巻き上げながら、デンテが大声で叫びクラヴィスの元へ信じられない速さで駆け寄った。

 振り下ろされる腕を掻い潜って、デンテがクラヴィスに向かって飛びかかる。


 グワンと重たい音を鳴らし、振り下ろされた巨獣の腕が雪を巻き上げる。

 雪煙が煙る中、小さな影が飛び出してくる。

 デンテはクラヴィスの襟元を咥え、肩で大きく息をしながら両手を付いて『ソードベア』を睨んでいる。

 デンテに咥えられ運び出されたクラヴィスがよろよろと体制を立て直し、手に持った包丁を再び構える。

 九郎はデンテがクラヴィスの危機を救ったのだと理解する。

 背中に背負った鉄鍋のおかげか、デンテに切り裂かれた痕は無い。

 だが、小さな体で巨獣の一撃を受けた為、足元はふらつき覚束ない。


「お前の相手はこっちだろうがっ! よそ見してんじゃねえぞ針鼠が!!」


 怒声を上げながら『ソードベア』に突進して行く九郎をあざ笑うかのように巨大な腕が、姉を守ろうとしているデンテに対して再度振るわれる。


「二度もうちの子いじめてんじゃねえっ!!」


 大地を蹴って九郎はクラヴィスとデンテに覆いかぶさると渾身の力で四肢に力を込める。

 腕の中に姉妹を庇う九郎の背中に鋭い痛みと衝撃が走る。

 叩きつけられる腕の衝撃に潰されるのを懸命に堪え、後ろ足で立ち上がって再度腕を振るおうとする『ソードベア』に向かって九郎が飛びかかる。


 もともと四本足での生活の為か、二本足で立つ『ソードベア』はバランスを崩して後ろに転がる。

 白く舞い上がる雪の中九郎の体に赤い粒子が纏わりつき、背中の傷が再生されるのを感じながら九郎は起き上がる。

 起き上がって来るとは思ってもいなかったのか、『ソードベア』は忌々しげに九郎を睨みながら再び突進の構えを取る。


「クロウ様っ!!」「クロウしゃま!!!」

「心配ねえよ! こいつは俺には雑魚同然だ」


 尚も懸命に加勢しようとする少女たちを、後ろ手に制止しながら九郎は『ソードベア』に悠然と歩いて行く。

 日頃レイアに面白いように転がされ、先程の攻撃にあっけなく吹き飛ばされた九郎のセリフとは思えない自信に満ちたセリフに姉妹が不安気な顔をするのを、九郎は気にする様子も無く『ソードベア』との距離を詰めていく。

 甲高い咆哮を叫びながら突進してくる『ソードベア』に対峙し、九郎は右手のナイフを鞘にしまうと両拳を打ち付ける。

 ふつふつと体の奥底から湧き上がってくる怒りの感情に従い、九郎の体が熱く熱を持つ。


「よくもうちの子傷モンにしてくれやがったなぁ! いまさら逃げ出そうとしても許さねえぞ!!」


 九郎は怒りに満ちた目で『ソードベア』を睨み、拳を構えて地面を踏みしめ、真正面から襲い掛かって来る巨獣に飛びかかる。

 眼前で立ち上がり遥か上方から振り下ろされる『ソードベア』の右手に向かって九郎も右拳を叩きつける。

 丸太のような巨獣の腕を掻い潜り、飛びかかった九郎の拳が『ソードベア』の肩口に繰り出される。

『ソードベア』の肩口に突き刺さった九郎の拳から真っ赤な血がほとばしる。

 しかし衝撃は伝わった。右腕も後方へと流され『ソードベア』が体制を崩す。

 すかさず九郎はがら空きになった下腹部に左拳を叩きこむ。

 それ程のダメージを与えているようには思えないが、『ソードベア』はゆらりと前足を大地に付ける。


(――力だけならやりあえる!)


 なんとか手の届く距離に落ちてきた『ソードベア』の頭部めがけて九郎は何度も拳を繰り出す。

 流れ出る血を気にする事無く、『ソードベア』の顔面に拳を叩きこむ。

 九郎のずたずたに裂けた両拳の肉が裂け、骨が覗く。

 それを気にせず『ソードベア』の顔面を殴り続ける九郎の拳によって、『ソードベア』の顔面が赤く染まる。

 血煙と雪煙を撒き散らしながら、足を止めての殴り合いにとうとう『ソードベア』が根負けしたのか逃げ出そうと後ろを向く。


「逃がさねえって言ってんだろオラッ!! やっぱお前は俺にとっちゃ・・・・・・の雑魚キャラだ!! くらえっ『運命の赤い糸スレッド・オブ・フェイト』!!!」


 九郎の両手から赤い粒子が広がり、『ソードベア』の顔面や肩口に伸びて行き収束する。


 後ろを向いた『ソードベア』がビクンと一度痙攣すると、ドッとその巨体を雪原に横たえた。

 顔の大部分を削り取られ、肩口から右腕を切断され、所々に穴を穿たれた無残な姿の『ソードベア』の血が雪原を赤く染める。

 九郎の周囲は削り取られた痕を残して白い雪の表面が残っていた。


 自らの体毛で相手を攻撃する事の出来る『ソードベア』は九郎にとっては、『自傷の痛み』を心配することなく九郎の持つ一番威力の高い必殺技『運命の赤い糸スレッド・オブ・フェイト』を繰り出せる、まさに『九郎にとっての雑魚敵』だった。

 心配そうに九郎を見つめる二人の獣人の姉妹に親指を立てて勝利を報告すると、九郎は後方で戦っているレイアとベルフラムの元へと駆け出した。


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