第049話 招かざる客
「次で最後の時間よ! クロウお願いするわね!」
「うぃ~す」
ベルフラムの言葉に九郎がいつもの返事を返す。
さっきまで風呂に入っていた客が、湯気を立ち昇らせながら玄関ホールで寛いでいる。
九郎は浴槽の湯を一度すべて流すと、再び水を引き浴槽に水を溜める。
その間に布で濡れた床を拭いて行く。既にクラヴィスとデンテが階段状の浴室を四つん這いで行ったり来たりしているので、九郎は一番下の段を拭くことにする。
風呂場で足拭き用に使っていた布を一度絞り、浴槽の床を拭いて行く。何度も絞りながら作業して行き、終わる頃には浴室が再び水で満たされる。
九郎は着ていた服を脱ぐと体を炎に変質させて水に飛び込む。
「うひょぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁあああ!!!」
奇声をあげている間に水面がどんどん蒸気を発していく。
『
「クロウしゃま大丈夫でしゅか?」
デンテが毎度の心配をしてくれる。九郎が右手を上げて返事を返すと、クラヴィスとデンテが長い板で水を搔き混ぜ始める。九郎の近くの水から暖かな湯気が立ち昇り、やがて全水面が白く煙る。
それを確認するとクラヴィスが布を持って九郎の傍に来る。
「クロウ様……どうぞ」
「サンキュー」
布を受け取り、体の水気を拭いて行く。
ずっと同じ風呂に入っているので、デンテもクラヴィスも九郎の裸に照れた表情は無い。
最近レイアすら九郎のクロウを見ても慌てはしなくなってきている。屋敷の皆が九郎のクロウを見慣れてきている事に、九郎は『ヘンシツシャ』の能力の名の通りの運命になりつつある不安に怯えている最中だ。幸いと言うか、何というかレイアは九郎の裸に今でも赤面はしているのだが……。
ズボンを履きシャツをひっかけ、濡れた布を籠に入れると、九郎は籠を担いで浴室を後にする。
玄関ホールには次の客達が何人か待っていた。
「ベル! 準備終わったぜ」
「ありがとうクロウ! じゃあ入っていいわよ」
ベルフラムの声に、男性客がゾロゾロと浴室に向かっていく。
いつもの見慣れた光景だ。
もはや客にベルフラムの偉そうな口ぶりに腹を立てる者はおらず、言われるがままに従う姿はまるで自分を見ているかのようだ。
(俺も順応しちまってんなぁ……)
九郎は少女が指さす先にぞろぞろ歩いて行く男性客を眺めて苦笑を浮かべる。
この屋敷に来てから2週間が経っていた。
「ベル、受け付けは俺がやっておくからベルは厨房でレイアと夕飯の用意をしてくれ」
「はーい」
九郎は苦笑のままにベルフラムに声をかけ、簡易でつくられた番台に腰を下ろす。
今頃レイアが調理場で何かの肉と格闘している頃だろう。レイアはメイドだと思っていたが余り料理の腕が良くはない。淑やかさに欠けるとクラインが言っていたのを思い出して、九郎は初めて食べたレイアの手料理を思い出して苦笑を強める。
ベルフラムはどんなモノも食べれるなら食べてしまうが、味覚自体はしっかりしていて、動物を捌くのも物怖じしない。ベルフラムと一緒ならレイアも張り切るだろうと思いながら、九郎はベルフラムの背中を見送る。
「お、いらっしゃい! 2日ぶりっすね」
常連になりつつある客の顔も覚えてきたところだ。
九郎の声に中年の男性は慣れた仕草で片手を上げた。
「クロウくん、さっき黒塗りの馬車が見えたんだけど誰か来るのかい?」
「え? 知らないっすよ? 屋敷の人がベルの様子でも見に来たんすかね?」
ベルフラムとクラインの事件の事など露と知らない九郎は、男の言葉に適当に返す。
2週間も経てば、クラインも心配して見に来るだろうと思いながらも、レイアが来た経緯も知らない九郎は、てっきりレイアが屋敷からのベルフラムの保護者代わりに来ていると思っていた。
「そういや、受け付けのあの元気な娘っ子。領主の令嬢の
中年の男性客は九郎の適当な返しに苦笑しながら、少し声を潜めて言って来る。
「どのベルフラムだか分かんねっすけど、
男の何気ない一言に九郎の眉が上がる。
ベルフラムが巷で『
だが、ベルフラムは屋敷に来ている客に冷たい目など向けた事など無い事から、噂の真相が知りたければ『風呂屋』に来て見れば良いと、九郎はいつも言っている。
ベルフラム自体は「気にしてないわよ。噂なんて適当なものなんだから」とあまり関心が無いようだが、九郎にとってはベルフラムはこの世界に来てから一番長い付き合いの少女なので、噂とは言えあまり良い気分はしない。
「怒らないでくれよ……。俺も良い子だって思ってるんだから」
「なら良いっすよー。はい20グラハム確かに」
九郎のムッとした表情に、男が慌てながら九郎に金を渡すとそそくさと浴室に向かっていく。
『風呂屋』の営業も順調だ。もうそろそろ寝室に暖炉でも作ろうかと、とりとめなく考えながら九郎は番台に腰かける。
その時、表から馬の嘶きと馬車の音が聞こえた。
「たのもう! 扉をあけられよ!」
半開きの扉を叩く音と共に、野太い声が屋敷に木霊する。
扉が開いているのに顔も出さない客に、九郎は不思議に思いながらも声を掛ける。
「開いてますよー。営業中っす」
屋敷が留守かを確かめるなんてまた律儀な客だな――九郎は感心しながら扉に目を向ける。
ここの常連客などは居酒屋の暖簾をくぐるように、扉から半分顔を出しながら「やってる?」といった感じで入って来る者も多いだけに珍しい。
「この屋敷は客に扉を開けさせるのか! なんと無礼な!」
「なんか偉そうな奴が来たな……。デンテ開けてあげて」
「はい、クロウしゃま」
想像とは違った高慢な物言いに、九郎はめんどくさそうな客が来たなと思いながら扉の前に通りがかったデンテに頼む。
デンテはトテトテと扉まで歩いて行くと、内開きの扉を引く。
「遅い! 屋敷の外観もさることながら、使用人の教育もなってないようだな! 吾輩はエルピオス様の家臣、バムル・ビアハムと申す。この屋敷はベルフラム・ディオーム・レミウス・アプサルティオーネ様の屋敷に相違いないな?」
扉を開けた先には、腕組みをし仁王立ちした男が立っていた。
意匠を凝らした甲冑を身に着け、カイゼル髭を蓄えた中年の男性。
姿を現すと同時にバムルと名乗った男の失礼な物言いに、多少カチンと来た九郎だったが、「何処の世界でもこの様な客はいるものだ」と、自分に言い聞かせる。
「はあ……。確かにベルフラムは居ますけど……。何の御用で?」
偉そうな男に九郎は訝しがりながらも要件を尋ねる。
九郎の言葉にバムルは片眉を吊り上げ、嘲りの表情をする。
「使用人風情に教える義務など無い! 早々に屋敷の主人であるベルフラム嬢に御目通り願いたい!」
「俺は使用人じゃねえっ!! てかこの屋敷に使用人はいねえってのに……。お~い、ベル! なんかお前にお客さんみたいだぞ~」
現在この屋敷に使用人と名義されたものは居ない。クラヴィスとデンテは家臣であって使用人ではないとベルフラムが常々言っている。ベルフラムはこの獣人姉妹を妹の様に大切にしているのが傍から見ても分かる。
レイアも3日前にベルフラムに家臣と認めてもらったと嬉しそうにしていた。
(つーか使用人てなんだ? 従業員っつー意味じゃ全員そうだし……)
建物の持ち主はベルフラムなので、そう言う意味では彼女以外が使用人になるのだろうか。しかしベルフラム自身が彼女達を「使用人では無い」と明言しているのでどうにも良く分からなくなってくる。
なら自分はどうなのだろうと考えると、実は九郎もあまり分かっていない。
現在九郎は風呂の湯沸かしと、買い物、屋敷の改修にと大忙しで働いているが、それは女性に力仕事を任せる事は九郎の美学に反するからだ。
実はクラヴィスとデンテも獣人だからか、かなりの力を持っているが、それでも年端も行かない少女が重い物を持つ姿は見ていてハラハラするので、出来るだけ力仕事は九郎が行っていた。
旗から見ると九郎が一番使用人ぽいのだが、九郎自身は大黒柱のつもりである。
「はーい。じゃあレイア、後は任せたわよ」
調理場からベルフラムがパタパタとやって来る。いつもの赤いドレス姿に白いエプロンをした可愛らしい格好だ。髪を纏めていた白い布を取りながら、ベルフラムは九郎を見上げる。
「どうしたのクロウ? 誰この人?」
「何か知らんが、バムル・ビアハムさんって名乗ってる」
「ビアハム? 知らないわね……」
ベルフラムはバムルを見ると、九郎に尋ねてくる。
九郎の方もこの世界で知り合いが多いとは言えない。もちろん常連客の顔や名前はある程度覚えているが、その程度である。
九郎の言葉にベルフラムも首を傾げる。
ベルフラムを名指しで呼んでいたので、九郎は彼女の知り合いか何かだろうと思っていたが、ベルフラムの「知らない」の言葉に九郎は警戒の色を強くする。
「あなたがベルフラム・ディオーム・レミウス・アプサルティオーネ様で間違いないか? 吾輩はエルピオス・ダリオ・レミウス・アプサルティオーネ様の家臣、バムル・ビアハムと申す」
九郎の警戒に気付かないのか、二人で相談しているのに業を煮やしたバムルが再び自己紹介を始める。固有名詞が長すぎて、いったい何を言いたいのかが全く分からない。
「エルピオスって誰だ? ベルの父ちゃんの名前はアルフラムだよな?」
「ん~……どっかで聞いた事があるんだけど……」
バムルが言ったエルピオスの苗字に九郎は訝しがりながらベルフラムに尋ねる。
ベルフラムの名前はベルフラム・ディオーム・レミウス・アプサルティオーネ。ベルフラムの父親の名前はアルフラム・ダリオ・レミウス・アプサルティオーネであったはずだと、九郎は長い名前に朧気な記憶を辿る。
ベルフラムも聞き覚えが有るのか無いのかはっきりしない。
叔父とかだろうか――と九郎はその様子に考えこむ。九郎も冠婚葬祭でないと出会わない、遠縁の親戚の名前ははっきりしない。
「何を言ってるんですか? エルピオス様はベルフラム様の兄上では無いですか……ベルフラム様?」
二人してバムルの言葉に小首を傾げていると、調理場からレイアが出てきた。
ベルフラムと同様、白いエプロンをして長い金髪を布で覆った、新妻というか手伝い中の女子高生の様な可愛らしい格好に九郎の頬が緩む。
レイアは右手にお玉を持ち、左手に味の確認の為だろうか――小さな皿にスープを入れた物を持っている。
九郎がレイアの姿に相貌を崩すのを見て、ベルフラムが少し眉を上げる。
「あ~……三番目のお兄様の名前が確かそんな名前だったわね……。一度も会った事が無いから忘れてたわ……。ん~……もうちょっとだけお塩を入れた方が良いわね。で? 一度もあった事の無いお兄様の家臣が何の様なの?」
レイアの小皿を受け取りながら、ベルフラムは思い出したかのようにエルピオスが誰だか口にした。
エルピオスの名前がベルフラムの兄の名前だった事にも驚いた九郎だったが、生まれてから一度も会った事の無い兄妹と言うものにも九郎は驚く。
屋敷で一人だった事といい、余程複雑な家庭なのだろうかと九郎はベルフラムの家庭事情に呆れる。
ベルフラムはレイアに小皿を返しながら、バルムに向き直ると首を傾げた。
「本日はベルフラム様に登城の命がエルピオス卿より下った事を知らせに参った。早々に準備をし、レミウス城に参られよ」
ベルフラムの態度に苛立った様子のバムルは、カイゼル髭をしごきながらベルフラムに言い渡す。言葉の節々に貴族階級特有の高慢な性格が見て取れる。
「はあ? 私は既にレミウスの名もアプサルティオーネの名も捨てたわ! クラインから知らせは受けている筈よ? どうして今更城に行かなきゃなんないのよ?」
「は? 名を捨てたって何だ? 俺聞いてねえよ?」
バムルの言葉にベルフラムは苛立った様子で言葉を返す。
名を捨てたと言う驚きの事実に、九郎が寝耳に水とばかりにベルフラムを見やる。
「……ごめんなさい、クロウ。後で話すわ……」
ベルフラムは一瞬しまったと言った表情をすると、九郎の服の裾を掴んで不安気に言葉を小さくしていた。
ベルフラムの表情に九郎が憮然とした表情を少し崩して、ベルフラムの頭を撫でる。複雑な家庭だと思ったばかりだと言うのに、頭ごなしで叱るようでは大人として失格だろう。
「で、どうしてあった事も無いお兄様からそんな命令が下ったのよ?」
九郎の手に少し安心したのかベルフラムは再びバムルに向き直る。
九郎の服を掴む小さな手には力が籠っている。
「は……。何でもベルフラム様の許嫁が決まったので、婚約の儀を執り行うとの事です……」
ベルフラムの言葉はバムルにとっても寝耳に水だったのか、高慢な態度を困惑に変えてバムルは歯切れ悪そうに答える。
「先程言いましたが、私は既に家を出た身。許嫁を取る理由がもうありません。しかも私は既にここにいるクロウのモノとなっています。戻ってお兄様にそう伝えなさい」
ベルフラムは九郎の足に一度抱きつくと、そう言って再び調理場に戻っていく。
「そのように簡単に家名を捨てる事が出来るとお思いか? 貴族の家名は服や装飾品とは違うのですぞ! 誰の許可を得てその義務を捨てると言うのですか!?」
バムルが呆気に取られた様子でそれを見送って、慌ててその後ろ姿に声を上げる。顔を赤くして怒りを隠そうともしていない。
バムルの言葉にベルフラムが足を止める。そして怒りの表情で再びバムルの前まで来ると、バムルを指さしながら毅然と答える。
「なら、あなたは何の権限があって私に命令を持って来たのよ? 一度も会った事も無いお兄様に命令される義務など有りはしないわ! レイア! お客様がお帰りの様子よ。扉の前まで送って差し上げて?」
「か、畏まりました! さあ、お帰り下さい。私はこれでも『白銀の騎士』クライン・ストレッティオに鍛えられた身。怪我をなされない内に、お引き取りください!」
レイアがその言葉に、真剣な表情でバムルに詰め寄る。ベルフラムからの命令が嬉しかったのか、若干殺気の籠った瞳でバムルを見ると、未だ顔を赤くして何か言っているバムルを扉の外側へと誘導する。手に持っている得物がお玉で無ければ、これぞ騎士と言っても過言でない。
お玉を片手に凄む金髪美女の様子に、バムルはたじろぎながら表へと追いやられていく。
ベルフラムはバムルが扉の外まで追い出されると、毅然とした表情を曇らせ、
「クロウ……夜にちゃんと説明するから……」
不安そうな顔を精一杯の強がりで隠すように笑うと、調理場へと戻って行った。
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