第048話 レイア
「私はクロウ様が羨ましいのです……」
クラヴィスに九郎の事を信用していないのでは? と尋ねられたレイアは屋敷の方を見ながら本音を溢す。
「クラヴィスさんはあの場にいたから知っていると思いますが、私はベルフラム様の騎士を目指して修練していました……」
ベルフラムを連れ帰りに来た者達が全員帰った後でも、一人ベルフラムに泣きながら訴えていたレイアの姿はクラヴィスも覚えている。涙と泥でグシャグシャになった顔で懇願する様は、何か余程の理由が有るのだとは思っていた。
「私の家は騎士の代々騎士の家系ですが、女が騎士を目指すなど普通は無いんです……」
レイアはクラヴィスに背を向け涙を袖で拭うと、籠の中の布を縄に干しながら少しずつ語りだした。
「私はベルフラム様のお母様にベルフラム様を頼まれた時に騎士を志しました。でもその前から私は騎士に憧れを持っていました……。女が騎士になるなどそう認めてもらえないものです……。でも、私は諦めきれなかったのです……。ベルフラム様の騎士になると言えば、祖父や父も表立って反対出来ないと考えての事です」
レイアがぽつりぽつりと語りだした話は、浮浪児だったクラヴィスには分からない事だらけであった。
祖父など知らないし、父とはクラヴィスやデンテを理由も無く殴る怖い人の事だと思っていた。だいたい『騎士』と言う言葉さえクラヴィスには分からなかった。
ただレイアの背中が少し寂しそうに見えたクラヴィスは、話を途中で止めるのを憚られた。
「厳しい訓練に明け暮れ、何度も挫けそうになりました……。その訓練に耐える為に私を鼓舞したのは『私はベルフラム様のお母様に頼まれたのだから』という自分への言い訳めいたものでした……。私は騎士になる為の言訳として、また訓練に耐える為にベルフラム様を使っていたのです……」
何かに耐える為に誰かを理由にする。
クラヴィスはふと妹のデンテを思い浮かべる。
浮浪児としての生活の中でクラヴィスも、デンテの為に頑張っていた節があった。一人では早々に生きる事を諦めていたかもしれない。
「……訓練課程が終わり、私は騎士に成る事を父に認めてもらいました。実は叙勲の日取りも決まってたんですよ? でもベルフラム様が行方不明になられたんです……」
「行方不明?!?」
静かにレイアの話を聞いていたクラヴィスがとっさに聞き返す。ベルフラムが今行方不明にでもなったら、クラヴィスは何が何でも探しに向かうだろう。クラヴィスにとっての天国は、ベルフラムと九郎の傍にある。
「クラヴィスさんは『
そう言ってレイアは大きく手を広げた。屋敷どころかこの辺一帯を一飲みにしてしまうミミズなど、クラヴィスには想像もつかない。
「ベルフラム様が丁度、城へと向かっている時にその『
その状況を想像してしまい、クラヴィスは顔を青くする。
ベルフラムの身に何が起こったかを想像してしまったのだ。
「領主様は早々にベルフラム様を死んだものとして扱いました……。怖い顔しないでください。『
クラヴィスは父が娘を見捨てた事には何も思わなかったが、ベルフラムを死んだ者として扱ったと聞いて怒りの形相を見せる。
「ベルフラム様が生還された。その知らせを聞いたのは、私が騎士叙勲の為に城へ登城する日取りが決まり、その準備をしていた時でした……。守ろうとした人の傍に居れず、ただ訃報を聞いただけの私にとって『騎士』の意味すら見失いかけていた時です……」
レイアは濡れた布を干し終え、腰をくっと反らす。冬の澄んだ日差しが眩しい。
「丁度ベルフラム様の屋敷は引き払う準備をしていたため、急遽人員が不足したと祖父が話しているのを聞いて、私は騎士叙勲の機会を捨て、ベルフラム様の屋敷のメイドとして勤める決意をしました」
空になった籠を持ってレイアはクラヴィスの隣に戻ってくる。クラヴィスは所在無げにレイアの表情を盗み見る。レイアは一つため息を吐き、再び屋敷の方へと視線をやると話を続ける。
「おかしな話ですよね……。騎士になる為にベルフラム様を言い訳に使っていたのに、いつしか私の生き方としてベルフラム様を守ると言う言い訳の方が、私の中で大きくなっていたのですよ……」
その表情は懐かしい思いを噛みしめるような、それでいて苦みが混じったような色々な表情が含まれていた。
「今度こそベルフラム様の傍に居ようと……手の届く所で守ろうと思ってベルフラム様の屋敷で働き始めた時、初めてクロウ様を見ました。ベルフラム様の部屋へと運び込まれたクロウ様はずっと眠っているようでした……。ただ、ベルフラム様がひと時もクロウ様の傍を離れようとしなかったことに、最初の嫉妬を覚えたんです……」
九郎に嫉妬を覚えた――九郎を信用していないと思っていた話の核心にせまってきたと思い、クラヴィスは耳をピクリとさせる。垂れた犬耳が跳ねた事を気にも留めず、レイアは話を続ける。
「クロウ様が目覚められてからも、ベルフラム様はクロウ様といつも一緒でした……。ベルフラム様はクロウ様が目覚められた時に、『私の体はクロウのモノ』とおっしゃったんです……。その事を祖父から聞いた時は目の前が崩れて行く様でした。この手で守ろうと……思っていた人が既に誰かのモノだった。私はその時、ベルフラム様はクロウ様の伴侶としてそう言ったと思っていました……」
ベルフラムは度々自分の身は九郎のもの、とクラヴィス達にも言っていた。
しかし九郎がベルフラムをモノ扱いしたことなど無く、どちらかと言うとベルフラムの方が九郎を便利なモノ扱いしているような気もして、クラヴィスは二人の関係に思いを巡らす。
ベルフラムに拾われた自分たちは『ベルフラムのモノ』なんだろうかと少し考えたが、ベルフラムは自分たちをモノ扱いしない。ベルフラムはクラヴィス達に仕事はさせるが、こき使ったり酷い事をしたりはしない。
『誰かのモノ』と言う意味が分からなくなって、クラヴィスは「むう」と唸る。
「ですがそれはベルフラム様が一方的に仰っていただけだと後で知りました……。でもベルフラム様はずっとクロウ様の傍を離れなかった……。それは逆を言えばベルフラム様の傍には常にクロウ様がいるという事です。私が……騎士を目指した動機であり、騎士を捨ててまで手に入れたかった『ベルフラム様を守ることの出来る距離』にクロウ様がずっといたのです。わたしはまたクロウ様に嫉妬しました……」
九郎のモノと言ったベルフラムが九郎の傍にいるのは、当然ではないかとクラヴィスは思った。
ならベルフラムの傍に居たいと思っているクラヴィス達もベルフラムのモノと言って良いのではと考え、今度言ってみようと考える。
どうしてレイアはそうは言わないのかとクラヴィスは不思議そうにレイアを見る。
「ベルフラム様は屋敷のメイドや祖父から聞いた話ではとても聞き分けの良い……悪く言えば大人びた方でした。感情を表に出す事はあまりなさらず、どちらかと言えば書斎にこもって本ばかり読まれていた方だと聞いていました……。ですが、クロウ様と一緒にいるベルフラム様は良く笑っているお姿を見かけました」
レイアさんの話では誰かから聞いたベルフラム様の話が多いです――クラヴィスは何となく思った事を口の中に押し込める。
誰かの噂だけでその人の事など分からないとクラヴィスは思っている。大体噂話など宛てになんてしていたら馬鹿を見るだけだ。しかしそれくらいはレイアも分かっているだろうと、一人納得した形だ。
ベルフラムが笑っているのならそれはそれだけで良いはずだと、クラヴィスはいつも仲良さそうな2人に思いを馳せる。
「それから幾日か経って、私に幸運が舞い込んで来ました……。祖父からクロウ様に剣を教導する任と共に、ベルフラム様の身辺警護の任を仰せ使いました。……私はベルフラム様の身辺警護の任に、やっと自分の夢がかなったと喜びました……。浮かれていた……と言っても良かったでしょう……。喜び勇んでベルフラム様の元へと急ぎました……」
レイアはそこまで言って、クラヴィスに問いかける。
「クラヴィスさんはキスと言うものを知っていますか?」
「へ?」
突然レイアが話をあらぬ方向へと転換させて、クラヴィスは変な声が出た。
クラヴィスの母親は娼婦だ。家でも父とよくキスやそれ以上の事もしていた。クラヴィスの目など気にする様子も無くいちゃつく2人に、クラヴィスは何の感情も抱かなかった。
間抜けな返事を否定と取ったのかレイアはキスの説明をしながら話を続ける。
「愛し合う恋人たちが唇を重ね合わせる……そんな行為です。クロウ様が目覚められていない時、ベルフラム様がクロウ様に口移しで食べ物を与えられた事が有ったんです。屋敷中大騒ぎでしたよ。婚約を控えたベルフラム様が何処の誰かも分からない男性に、口移しで食べ物をお与えになるなんて……と。後で聞いたところによると、ベルフラム様が行方不明になっていた時に食べ物を食べられないほど弱ったベルフラム様に、クロウ様が口移しで食べ物を与えていたのを真似したそうですが……。その事を聞いていた私が、ベルフラム様の元へ向かうと、そこには寝転がったクロウ様がベルフラム様の顔を引き寄せている光景でした」
レイアの話に、クラヴィスは九郎とベルフラムの関係がとても羨ましく思えた。
情欲に爛れたキスばかり見てきたクラヴィスにとって、レイアの話はまるで天の国の食べ物の様に思えた。
両親の愛情など受けてこなかったクラヴィスには、口移しで食べ物を与えるという行為は親鳥が小鳥にする『親の愛情』そのものであった。それは伴侶や恋人などのキスよりも、とても上等なものに思えた。
「私はその時思いました……。クロウ様が口移しでベルフラム様に食べ物を与えたのは唯の口実で、領主の娘であるベルフラム様を籠絡しようとしている輩なのでは無いのかと。思わず体が動き、ベルフラム様を抱え上げてクロウ様の顔を踏みつけました……」
レイアは一つ大きな息を吐き出す。クラヴィスはまた、少し怒りを滲ませてレイアを見る。
ベルフラムのモノと自認したクラヴィスだが、九郎にも同じくらいの思いを持っている。その人の顔を踏みつけるなど――とクラヴィスはレイアにさらなる悪感情を抱く。同時に、クラヴィスには口移しよりも恋人達のキスの方が上等と思っている事に驚きを覚える。
「ベルフラム様に怒られました……。その時クロウ様は体を起こそうとしていただけと聞いて、ベルフラム様の護衛の任の最初の一歩から失敗してしまった事に焦っていたのかもしれません……。許そうとなさっていたクロウ様のささいな一言で私は再びクロウ様に敵対しました……」
クラヴィスの視線に気付いたのか、レイアは申し訳なさそうな表情を一度すると、その顔をさらに曇らせた。
「あの時……この屋敷で見るような……以前の屋敷では見られなかったベルフラム様を初めて見ました。泣かれたんですよ……。私がクロウ様を悪しざまに言うのを聞いていたベルフラム様が、大粒の涙を浮かべて……。心がかき乱されました……。守ろうとした人を泣かせ、悲しませたこと……ベルフラム様の害になると思っていたクロウ様に縋って、子供の様に泣くベルフラム様を目にしてしまって……」
レイアの顔は自責の念にとらわれた悲壮な表情だった。誰かの大切な物を壊してしまった――そういった後戻りはできない類の後悔の念がクラヴィスには感じられた。
「ベルフラム様はその日の内に屋敷を出て行かれました……。守ろうと決めた人を怒らせ、悲しませ、傍に来るなと拒絶されたと……私は半生を掛けてきた目標が崩れて行くのを感じました……。でも、やっぱり諦めきれなかったんです……」
そこまで言ってレイアは再び腰を上げる。
「地べたに頭を擦りつけてでも許してもらいたかった。どんなに怒られようとも傍に置いて欲しかった……。そして……徐々にで良いから私もクロウ様と同じ場所に立ちたかったんです……」
クラヴィスはレイアの気持ちが少しわかった気がした。
レイアは九郎を警戒しているのではなく、『ベルフラムの傍に居る』九郎に憧れているのだ。
それが九郎本人にではなく、九郎の立ち位置を含んだ九郎を見ていたから嫉妬という感情になったのだろう。
「私はクラヴィスさん達も羨ましいんですよ?」
「え?」
レイアが唐突に言った一言に、クラヴィスは驚きの声を上げる。
良い家に生まれ何不自由無く育ったレイアがクラヴィスを羨む等とは夢にも思わなかった。
「クラヴィスさん達はあの時……ベルフラム様を連れ戻そうと私達が来た時、ベルフラム様と出会ってから2日しか経っていなかった。あなた達はベルフラム様の命令に背いてでも、ベルフラム様を守ろうとしていた。それがベルフラム様の心の内に秘めた思いだと確信して……。たとえ怒られても……悲しませてでも主の思いを汲もうとした……それにベルフラム様は応えられた。
あの時の貴方たちの姿は……私が憧れた『騎士』そのものだった。同じことをしたつもりの私と……何が違ったんでしょうね……」
レイアは悔しさとも自虐ともとれる表情で空を見上げた。
あの時クラヴィスは自分の幸せを守る為に行動したのだから、レイアの言っている様な確信めいた物など何も無かった。どちらかと言うと、妹のデンテの方がベルフラムの心の内を理解していたような気がする。
自分自身を顧みながらクラヴィスは言葉を探す。
「レイアさんは……ベルフラム様やクロウ様がしっかり見えていますですか?」
「どう……いうことですか……?」
クラヴィスの口から出た言葉に、レイアが目を向けてくる。
その顔は真剣そのもので、どんな言葉であろうと聞き逃すまいとした感がうかがえる。
自分の様な子供の意見にすら縋るレイアに、クラヴィスはレイアの必死さを再確認する。
「ベルフラム様の事もクロウ様の事も、レイアさんのいう事を聞く限り噂だけで判断しているように思えるです……。もっと自分の目で見たら良いのにって思いますです……」
クラヴィスはどう説明したものかと逡巡しながらも、思った事を口にする。
レイアの話は聞く限り、噂に振り回されている感が否めない。ベルフラムの人となりも性格も、九郎の人となりも性格も全て人から聞いた話を基にして、本人を目の前にした時には既に決めつけていた感が有る。クラヴィスが「流石に分かっているだろう」と思っていた事すら、レイアは抜け落ちていたように感じられた。
「私たちはベルフラム様やクロウ様の事を何も知りませんでした。だから私たちは捨てられないよう、ずっとお二人の事を見ていました。何が好きなのか、何が嫌いなのか、どんな時に喜ぶのか、どんな時に悲しむのか――ベルフラム様はどんな食べ物も「おいしい」って食べますけど、ニンジンだけは少々顔が曇ります。クロウ様の傍に居る時は怒っていても楽しそうです。知っていましたか? 最近ベルフラム様が自分の胸とレイアさんの胸を見比べて時々ため息を吐いているって……。
――クロウ様はお優しい人です。クロウ様はベルフラム様が優しいから私達を傍に置いてくれているって言ってたですけど、クロウ様も同じくらい優しい人だと思います。いつも私達を抱き上げてくれますし、気遣ってくれています。
レイアさんはクロウ様の事が羨ましいって言ってるのに、どうしてクロウ様の事を見習おうとはしないんですか?
ベルフラム様の傍に居る人がクロウ様だけだと思っているんですか? 私達もベルフラム様の傍にずっと居たいと思うです。だからクロウ様の事も良く見るです。ベルフラム様の傍にいたいと思っているレイアさんが、どうしてクロウ様の事を知らないんですか?」
そこまで言ってクラヴィスは言葉を区切る。レイアの顔は目から鱗が落ちたかのようだ。
「ベルフラム様の傍に何人いても良いじゃないですか。ベルフラム様はあなた達が来た時、すっごく寂しそうでした。ずっと名前を呼んでもらえないって言ってたじゃないですか……ちゃんと見てくれないって言ってたじゃないですか。レイアさんはちゃんとベルフラム様を見ているんですか?」
「私はまた同じ過ちを犯すところだったのですね……」
クラヴィスの言葉にレイアは寂しそうな顔をする。だが、その表情を引き締めるとレイアはクラヴィスに向かって深々と頭を下げた。
「クラヴィスさんありがとうございます。私はまた同じ過ちを犯すところでした。ベルフラム様の事はもちろん、クロウ様の事もしっかり自分の目で見てみようと思います」
「ネズミも食べられるようになると良いですね?」
「が……がんばります…………」
レイアの誠意の籠った礼に、クラヴィスは照れたようにそう返した。
警戒していた筈のレイアは、何のことは無い、クラヴィスと同じくベルフラムの傍に居たいと本気で考えていただけだと分かってクラヴィスは警戒心を解いて行く。屋敷の迎えに寂しそうだったベルフラムの顔が思い浮かぶ。
ベルフラムの事を、しっかり見てくれる人が増える事は良い事だとクラヴィスは思った。
レイアの九郎に対する警戒心に見えたモノも、レイアの羨望の眼差しだと分かり安堵する。
これからレイアはしっかりと九郎を見るだろう。
(クロウ様もベルフラム様と同じく素晴らしい方です。きっと打ち解ける事ができるです)
屋敷の中の皆が仲良くする光景を思い浮かべ、クラヴィスは街への道を見る。
街からベルフラムと九郎とデンテが、今日の買い出しを終え帰ってくる姿が見えた。クラヴィスが天国の場所と思っている二人の姿に顔を綻ばせる。
「クラヴィスー! 帰りにデンテが冬眠中の蛙を見つけたの! しかもこんなに大きいの! 今日の夕飯は蛙のシチューよ!」
嬉しそうに手を振るベルフラムの姿に、レイアの顔が引きつったような気がした。
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