第047話  悩み


 朝日が横っ面を容赦なく殴りつけ、九郎は体を起こす。

 腕が鉛を纏ったかのように重さを感じる。

 覚醒しきって無い頭を振り、九郎は苦い顔をする。


「朝……か……」


 九郎は渋面しきった顔で自分の腕を見る。

 重さを感じた両腕には右にベルフラム、左にクラヴィスが腕を抱きかかえながら安らかな眠りに落ちている。

 腹の辺りにはデンテがうつ伏せになって寝息をたてている。

 横を見ると、九郎の目に飛び込んでくるのは白く輝く長い脚。レイアが九郎に背を向けた状態でベッドに横になっている。腰から足にかけての艶めかしいラインに九郎は唾を飲み込む。レイアは流石にベルフラム達の様に薄い肌着だけでベッドに入る事はしていないのだが、あまり寝相が良くないのかワンピースの様な夜着が捲れあがって白い足が目に眩しい。


(おえはいったいどうしちまったんだよ……)


 九郎は自身の股間に情けない表情を向ける。


 レイアも同じベッドで寝ると決まってから、一番心配したのは九郎の聞かん棒がどうなってしまうか……というものであった。入浴の時の様に、R18指定の入る様な状態にでもなってしまえば、子供達にとっても教育に悪いし、九郎としても困りものである。

 しかしいざ蓋を開けてみれば、1日2日はすぐさま反応し、何度も飛び起きる羽目になったものの、3日も経つ頃には体が慣れて・・・しまった。

 いまでも入浴の際には反応があるし、意識すると頭をもたげては来るのだが意識しないと、心が澄み渡った湖面の様に平静を取り戻す。

 性欲すら『ヘンシツシャ』の『神の力ギフト』によって慣らされてしまう・・・・・・・・ことに、九郎は眩暈がした。

 レイアからは「寝ている間に事故で触っても怒らない」と言質をとっているが、レイアの身を守る為なのか、ベルフラムが九郎の腕を抱き枕代わりに寝るようになっており、ある意味子供に拘束された状態である。それでも『ヘンシツシャ』の力なのか、苦痛も無く寝れてしまっている現状に九郎は渋面する。


「………んっ…………」


 九郎が腕を抜こうとするとベルフラムが短い声を漏らす。

 コアラみたいに九郎の腕に抱きついているベルフラムが、体から離れようとする腕に全身で力を込めているのが分かった。


「………起きてんだろ……ベル」


 九郎が半眼で声をかける。ベルフラムの眉はピクピク痙攣している。

 ベルフラムが狸寝入りをしているのが解って、ベルフラムの足を擽る。


「……ぷっ……くくっ……くくくくくくく……もうっ! なんでバレたのよ!」


 しばらく懸命に耐えていたようだが、小刻みに体を震わすとベルフラムは膨れて目を開けた。


「寝息がうさん臭くてバレバレだ……。第一寝てるときはもっとゆっくり胸が動くんだよ……」


 九郎がベ腕を取り戻しながら、ベルフラムの鼻をつつく。

 ベルフラムは鼻白んだように眉をしかめ、それから笑顔を九郎に向ける。朝の光に目を細めて、天使の様な純粋な笑顔だ。赤い髪がさらりと揺れる。


「クロウ! おはようっ!」


 九郎の一日はこの美しい赤髪の少女の笑顔から始まる。

 この屋敷に来てからのベルフラムは本当に良く笑う……九郎は眼を細めながらそう思った。


 レイアが来てから5日が経っていた。

 当初はこの廃屋での生活に疲れた顔をしていたレイアも、5日も経てばある程度は順応して来たのか、大事細事に度々驚きを見せる事も少なくなってきた。一時は、陰干ししていた干し肉ネズミに悲鳴をあげたり、ベルフラムが九郎に抱きつく度に苦渋の表情をしていたのだが、それも今は鳴りを潜めている。

『風呂屋』の方も順調で、日に平均して50人位の客がこの屋敷を訪れている。そこで得た金を屋敷の改修や、細々こまごまとした屋敷の備品などに宛てている。

 ある程度資金に余裕ができたので、九郎は早速レイアのベッドを買いにいったのだが、そもそも焚付け用の薪ですら高価なこの地方で、大量の木材を使ったベッドは思った以上に高価だった。庶民などはそれこそ、石や土に藁をしいてその上にシーツを被せて寝ているそうだ。石や土を盛るのなら結果的に一階の何処かに部屋を作らなければならず、そうするとレイアとベルフラムの寝室が別れてしまう。そのことに難色を示すレイアに九郎が折れる形でいまだ同じベッドで寝る事となっていた。

 ただ、レイアも同じ場所で寝る事に成ってから、ベルフラムがやたら九郎に抱きついて来る様になっていた。

 小さな嫉妬なのかと、九郎は何か言おうかと思ったが、ベルフラムが嬉しそうな表情を見て今は何も言わず、されるがままにしている。ベルフラムの好意とも独占欲とも取れる行動も、幼少の頃から子供の作り方だけを教えられてきたベルフラムに、健全な道への矯正と成るかもと思っての事だ。


「はいはい、おはようさん……」


 九郎はベルフラムの頭に手をやりながら、そう言うと身体を起こしクラヴィスとデンテを移動させる。

 その動きで姉妹達も目を覚ましたのか、憤るようすで目を擦っている。

 姉妹達もかなり九郎に懐いているようで、何かにつけて九郎に抱きついてくる。

 子供達に大人気の有様に、九郎はあのまま日本で死んでなければ、保父の道も有ったのかな……とふと思う。


「ちびっこ共に大人気だな……。これが成人女性なら俺の『神の指針クエスト』も順調なんだがなぁ……」

「勘違いしてるんじゃないわよっ! この子達があなたに引っ付いているのはあなたがいつも温かいからよ!」


 九郎が何気なく呟いた一言に、ベルフラムは慌てた様子で言って来る。

 ベルフラムが言うには、九郎の肌は冬場だと言うのに少しも冷たくならないらしい。また、自分の悴んだ手を当てても熱が冷める事が無いと言う。

 子供に大人気の訳が、何のことは無い、只の湯たんぽ代わりだった事に九郎はしょんぼりと項垂れる。


「……この子達はって……ベルはどう……」

「ほらっレイア! 起きなさいっ! 朝よ!」


 どうなんだと言おうとした九郎の言葉を遮り、ベルフラムはレイアを揺さぶり始めていた


「ベルフラムさまぁ…………」

「ちょっ! 何寝惚けてんのよっ! ちょっと! く、くるし……」


 寝惚けたレイアに抱きすくめられ、豊かな胸に顔を埋めるベルフラムに、九郎は羨ましそうな眼をむけた。


☠ ☠ ☠


「これ……お願いします……」


 クラヴィスは濡れた布の入った籠をレイアの足元に置く。

 クラヴィスとデンテがこの屋敷に住むようになってから7日が過ぎた。

 クラヴィスはあまりこのレイアと言う女性が好きではない。

 なんでと問われると、クラヴィス自身も上手く答えられないのだが、どうしても好きになれないのだ。ベルフラムに対するクラヴィスやデンテの態度を五月蠅く言うのに、そのくせ一番食べ物の好き嫌いが多いからだろうか。

 口にする物など3日に一度あれば良かった生活を3年も続けていたクラヴィスにとって、レイアの言う高貴だとか上等などと言う単語がさっぱり分からなかった。


 クラヴィスはこのアルバトーゼのスラムにほど近い娼館の娼婦をしていた獣人の母と、流れてきた冒険者の父の元で生まれた。

 父は母の寝蔵に入り浸って、働きもせずにいつも何処かへふらふらと歩きまわっていた。

 生活の基盤は娼婦であった母が支えていたが、アプサル王国では獣人は蔑まれており、生活は厳しかった。

 娼婦である母もやはり差別されていたのか、あまり客を取ることが出来なかった。今よりずっと子供だった頃は、母が何をして稼いでいるかも分からなかったのだが……。


 そんな下層市民の生活は、母がデンテを産んでからさらに酷くなっていった。

 真冬でも服など与えてはもらえず、食べ物すら腐りかけの物や、乾ききって板みたいになっているパンだけだった。

 クラヴィスは幼いデンテと共に身を寄せ合うようにして寒さを凌ぎ、時には他人の喰い残しを漁って飢えをしのいでいた。

 だが、ある日母が突然姿を見せなくなった。しばらくの間父とデンテと共に母の帰りを待っていたが、その当時を思い出すとデンテは今でも泣きだすし、クラヴィス自身も涙が溢れてくる。

 ほとんど接点も無く、抱いてもらった記憶も無い父だったが、母が帰って来なくなってからは酒に浸り、クラヴィスやデンテを意味も無く殴るようになっていた。

 クラヴィスとデンテはそれから父に見つからないよう、床下に隠れ、息を殺すように生活しなければならなくなった。

 しかし、3ヶ月もすると父も家には戻って来なくなった。


 捨てられたという事実による先の不安より、これで殴られなくなるとクラヴィスは胸をなで下ろした。

 だが、それからの生活は過酷の一途をたどっていた。

 獣人と言う忌み嫌われた存在である自分たち。例え子供であろうと優しくしてくれる者など、このアプサル王国には存在していなかった。子供を、ましては獣人を雇ってくれる所など無く、クラヴィス達は浮浪児として生活することを余儀なくされた。

 できるだけ髪をぼさぼさにし、耳を隠す事でなんとか施しを受けたり、スリや盗みをして生活を続けた。

 スリが見つかれば立てなくなるくらいに殴られ、何度も死を覚悟したが、この生活を余儀なくした獣人という種族の、人より強い生命力がなんとかクラヴィス達の命を繋ぎとめていた。


 九郎とベルフラムに出会った時の事は今でも鮮明に思い出せる。

 道端に転がされ、大人に蹴っ飛ばされた自分達の目の前に映し出された、二人の身を切られているかのような視線。そしてテーブルの上で差し出された料理の皿に、クラヴィス達は目を疑っていた。

 今まで施しをくれる人間でも、食べ残しや骨などを地面に放る者しかいなかった。地べたに落ちたモノを拾って食べる行為はクラヴィスがクラヴィス自身を人であると感じなくさせ、獣として扱われていることにも疑問を持たなくなっていた。だからクラヴィスはあの時、椅子に座るように促されたことにさえ戸惑っていた。


 汚い獣人の浮浪児に対してありえない待遇を勧めてきた二人の格好もかなり奇妙なものだった。

 ベルフラムは綺麗なドレスを着ていたが、逆に九郎はこの寒空の中シャツとズボンのみを着ており、下層市民の様でもあった。

 九郎が苦しそうな表情をしているのを見て、施しを惜しまれる前にと必死に食べ物を詰め込んでいたクラヴィス達だったが、九郎は追加で頼んだパンを次々と皿の上に乗せて行った。

 そしてベルフラムの一言。


 ――あなたたちの身はこのベルフラムが引き受けます。


 最初、その言葉にクラヴィスは何処かに売られてしまうのではと思った。

 この街には人さらいはいなかったが、この世界には存在している。何処からか紛れた人さらいに奴隷として売られてしまうのではと思った。だが、それでもいいかとも思った。幼い妹を連れ、地べたをはいずる事に、クラヴィスは疲れてしまっていた。飢えないのであれば、鎖で繋がれるのも仕方ないと考えた。

 九郎に抱きかかえられ、クラヴィスは諦めににた想いを持ちながら街を眺めていた。ただ、抱かれた記憶の無いクラヴィスには、その肌の温もりになぜだか涙が零れそうになっていた。


 それからは驚きの連続だった。

『風呂』と言う暖かなお湯で洗われ、天国かと思った。

 今まで着たことも無い服を着させてもらった。

 浮浪児の自分たちを同じベッドで眠らせてくれた。

 九郎の体は冬とは思えない程暖かで、これ程の温もりの中で寝る経験などクラヴィスには無かった。


 驚きの連続の中、ベルフラムと九郎が裕福な訳では無いとも知った。

 ベルフラムは鼠でも食料と見ていたし、九郎も街の肉体労働者のように働いていた。不思議に思って、なぜ自分たちを拾ったのかと九郎に尋ねた時、「ベルが優しいから」と返ってきた。

 人の『優しさ』など触れてこなかったクラヴィスは、九郎の言う『優しさ』とは施しのことだと思っていた。クラヴィスは、ベルフラムの『優しさ』が尽きて終わぬように、また捨てられないようしなければと思った。


 だが、ベルフラム達はクラヴィス達に与えてくれるばかり。服や食事、風呂に入れば髪を洗ってくれ、寒くないように抱きしめてくれた。この屋敷の生活が天国の様であり、またベルフラムや九郎の優しさには限りが無いようにも思えた。だが、これ程優しくされた経験の無いクラヴィスは、この幸せは何時かは終わってしまうのではと怖くなっていた。


 ベルフラムが連れ去られようとしていた時は、無我夢中だった。

 ついにその時が来てしまったと焦っていた。

 対峙していた老人の強さなど考えていなかった。ただ、ここでベルフラムがいなくなるとこの幸せが終わってしまう。今までは知らなかったから耐えられた。だが、幸せを知ってしまったクラヴィスには、再びあの生活に戻る事の方が怖かった。自分の命に対する恐れは全く無かった。例えこの場で死んだとしても、良い思いでを胸に死んでいける。


 そのクラヴィスの死への覚悟も、ベルフラムが繰り出した魔法によって杞憂で終わった。あの凄まじいまでの魔法の輝きに、クラヴィスはベルフラムに畏敬の念すら覚えている。自分と同じほどの歳の少女が、多くの大人相手に身動き一つさせずに勝利したことに。また、その少女がクラヴィス達を家臣と公言し守ろうとした事に。それからのクラヴィスはベルフラムの為に尽くそうと思った。クラヴィスの幸せはこの、強く優しい少女がいなくては成り立たないと考えている。


 そこに入り込んできたレイアと言う大人の女。

 ベルフラムを守ろうとした自分たちに剣を向けた女。ベルフラムが一緒に暮らすと言った時、本心では反対したかった。クラヴィスはレイアが入って来ることで、今の幸せが壊れてしまう事を恐れていた。


 ただ今の所生活に変化の兆しは無い。


 九郎やベルフラムは優しく、食事もきちんと取れているし、寝床だって変わっていない。ただ、何となく――レイアに九郎やベルフラムを取られるのではないか――といった心配がクラヴィスを付きまとっていた。

 その不安からかクラヴィスはレイアの事を好きになれないでいた。


「どうしましたか?」


 クラヴィスの警戒心に気が付かないのか、レイアはよくクラヴィスに話しかけてくる。

 レイアからしてみればベルフラムと話すときは騎士の自覚を持って当たらなければならないと考えており、九郎と話すと九郎のアレが思い出されて話しかけづらい。現在屋敷で気安く話しかけられるのがクラヴィスくらいだったのだが、鈍い彼女は当のクラヴィスに警戒されているとは露と気付いていない。


「いえ、何でもありませんです……」


 レイアの問いかけにクラヴィス顔を伏せる。

 ベルフラムがレイアを傍に置くと決めたのだから、あからさまな警戒心は持つべきではないとは分かっている。ただそれを手放しには喜べない自分もいるのは確かで、それを見咎められるの嫌った故の行動だ。


「何か心配事ですか? 同じベルフラム様の家臣として力を貸しますよ?」


 ――あなたの事を警戒してます。とも言えず、しかも後から来たのに上から物を言われているようでクラヴィスはカチンと来て、少し冷たくレイアに返す。


「……レイアさんは、まだベルフラム様に家臣と認めてもらってないのでは?」


 少しくらい意地悪しても……と軽い気持ちで言った言葉だったが、とたんレイアの表情に影が差す。

 俯き顔を伏せてしまったレイアに、クラヴィスは慌ててレイアの顔を覗き込む。

 レイアの表情は暗く曇り、頬に涙が伝っている。

 言い過ぎたかと慌てて言葉を探すクラヴィスに、レイアが暗い表情で尋ねてくる。


「どうしたら良いんでしょうか……やはり鼠を食べれなかった事がお気に召さなかったのでしょうか……」

「違うと思いますです……」


 クラヴィスは少しの呆れを含んで言葉を溢す。


 レイアが言っているのは、レイアが来てから2日目の夜、買い出しに行く暇も無い程客が来て、仕方ないとばかりにベルフラムが保存食を食べると言い出した時の事だろう。料理なら任せてくれとばかりに、レイアが張り切って厨房に向かったのだが、食材が鼠の干し肉だった事にレイアは悲鳴を上げ、結局料理は九郎が行ったのだが、レイアはソレを口にすることは無かった。


 クラヴィスも鼠を食べる事は初めての経験だったが、意外にも癖が無く、これなら浮浪児時代に食べておけば良かったと思ったほどだった。九郎が料理が出来た事も、クラヴィスにとっては九郎の株を上げたイベントだったと思う。ベルフラムも何ら躊躇することなく鼠を食べて、「おいしいのにね?」と首を傾げていたのだが……。

 しかし、ベルフラムも昔は好き嫌いがあったと言っていたのを、九郎から聞いていたので、それが理由で彼女が誰かを嫌いになるとは思えなかった。


「レイアさんはまだクロウ様を信用していないように見えるです……」


 何故好きになれないレイアに塩を送る真似をとも思ったが、レイアの表情が余りにも悲壮感が漂い過ぎてクラヴィスからポツリと言葉が漏れる。

 レイアは依然九郎を踏みつけて、ベルフラムの不興を買った事はクラヴィスは知らなかったのだが、ここでのレイアの態度の多くが九郎に対して、何か警戒心の様な物が見え隠れしていた。今の自分と同じな気がしていたのである。


「信用……そうですね……。ベルフラム様に誓った筈なのに……クロウ様はベルフラム様の恩人であり、かけがえのない人であることは理解しているつもりなのに……」


 苦悩や焦燥の入り乱れた表情を作り、レイアは再び俯いてしまっていた。

 冬の晴れた朝の光が、冷たい風を少しだけ柔らかにしていた。


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