第046話  同衾


「クロウ、湯冷めしちゃう前に早く入って来て」


 ベルフラムがベッドの上に上がりシーツの裾を捲り上げ九郎を呼ぶのをレイアは世界の終わりを告げる鐘の音と聞いていた。


「ベ、ベルフラム様はクロウ様と寝所を共にしているのですか?」


 レイアが今日何度目だろうと思う表情で、驚きの声を出し固まる。

 目を見開き顔を赤くして、口をあわあわさせるが、キョトンとしたベルフラムの表情が更にレイアの心を地に叩き落としているとは、露と気付いていない様子だ。


「そうよ? ずっと一緒に寝てるわよ? ほらっ! レイアも早く来なさい」


 ベルフラムがベッドの右側のシーツを捲りレイアを呼ぶ。

 いつもならその一言で再び浮つくレイアも、流石に今ばかりはそうもいかない。

 男と同衾している主が、そこに自分も呼ぶと言う事は、そう言う事だ。

 主と同じ男を相手にする光景を思い浮かべて、レイアの顔には赤と青の二色が混じる。


(嘘吐き……)


 レイアの敵意と混乱の視線は自然と九郎へと向かっていた。

 そういう関係では無いと安心していたレイアの安堵は、一日を断たずして打ち砕かれたのだ。

 ベルフラムの言い様から、九郎はベルフラムだけでは無くクラヴィスやデンテと言った、この国でさえ躊躇うような女児にまで手を掛けている事を伺わせる。

 子供に興味は無いと言っていたが、とんだ大嘘吐きだとレイアが嘆くのも仕方が無かった。


(いえ……何でもイケル・・・・・・とベルフラム様が言っておられた……。ああ、そう言う意味だったのですね……)


 一度浮かんだ誤解は中々修正が効かない。

 ただそのレイアの視線の先では、九郎が目元を覆って天井を見上げていた。


「……あちゃー……すっかり忘れてた……。そりゃそうだよな……。レイア、ベルフラムと一緒に寝てやってくれ」


 そう言って九郎は姉妹達をシーツに潜り込ませると、そそくさと寝室から出て行ってしまう。

 慌ててベルフラムがその後を追っていた。


(い、一応の思慮はあるようですね……)


 いきなり夜伽を申し付けられるかと身構えていたレイアは、逃げ出すように九郎が部屋から去ったことで安堵の吐息を吐き出す。

 しかし締まり切っていない扉の外からは、不穏な主の言葉と至極まっとうな九郎の反論が聞えてくる。


「ちょっとっ! クロウどうして出て行っちゃうのよ?」

「いや、考えてもみろよ? レイアはもうしっかりとした女性じゃねえか! 好きでも無い男と一緒に寝れる訳ねえだろっ?」

「私もしっかりとした女性レディーよ! 何も違わないわっ!」

「お子様は皆そう言う……」


 出会いの場面はあまり良いものでは無かったが、九郎から見てレイアは美しい娘だった。

 しかも胸も大きく、とても女性らしい。今まで子供だからとあまり気にせずベルフラム達と一緒に寝ていた九郎も、美しい娘と同衾してはどうなるか分からない。

 それに、言った通りレイアもそんな事は断るに決まっていると九郎はベルフラムを説得していた。


(ぴっ!? ……なかなか口が上手ですね……。ですが今だけは応援します。ベルフラム様を早く説得してくださいっ!)


 レイアは祈るような心境で、九郎にエールを送る。

 男に誉めそやされる事にも慣れていない為、多少思考が浮つくが、九郎は自分の夢を奪った相手だ。

 ぐっと拳を握りしめ、事の成り行きを見守るレイアは、とても都合の良い性格の持ち主だった。


「そんな……。じゃあレイアが別に構わないって言ったら良いの?」


 ベルフラムは焦った声が廊下から漏れる。

 ありえません! ――心の中で叫んでレイアは壁を隔てて首を振る。

 睡魔に微睡むクラヴィスの目が、不思議そうに自分を見ている事には気付いていない。


「んなこと言うのかよっ! 言ったとしても俺の方が寝れねえよっ!」

「なんでクロウが寝れなくなるのよ!?」


 廊下では九郎の言葉にベルフラムは頭を振っていた。

 好きになった異性もいなかったと言っていたベルフラムには、理解できないのだろうか。それとも、そう言った男女の心理を無視するように教育されて来たからだろうか。

 九郎は頭を抱えながらベルフラムに説明を続ける。


「あたりまえだろっ!? あんな綺麗な子が隣で寝てて安眠なんかできるかよっ?!」


 九郎の言葉にベルフラムの顔に一瞬怯えた表情が浮かぶ。

 その表情の意味が分からず九郎が眉を顰めたその時、ベルフラムは隙をついたように捲し立てる。


「じゃあなんでクロウが独りで寝ようとしてるのよ! レイアは後から来たんだからレイアに他の部屋で寝てもらえばいいじゃない! そもそもいきなり押しかけて来たレイアの為に貴方が辛い思いするのは間違ってる!」


 至極理路整然とした物言いであり、子供とは思えない頭の回転を伺わせる物だったが、その時のベルフラムの表情は駄々を捏ねる子供だった。

 ベルフラム自身も、何でこんなにむきになっているのか分かっていなかったが……。


「ここしかベッドはねえだろっ! 女を床に寝かせて男がベッドで寝るなんてできっかよ……。心配すんな、俺は寒さにも強いからよ?」


 焦った様子で提案してくるベルフラムの頭に、ポンと手を置くと、九郎はベルフラムの目線までしゃがんであやすように言いやる。しかしベルフラムは首を振って拒否を示すと、九郎の首に抱きつき泣きそうな顔で言葉を続けた。


「私はクロウと一緒が良いのよっ! クロウが他の場所で寝るなら私もそっちに行くわ!」


 自分が言っている事が我儘とは全く思っていなかったが、折れる様子の無い九郎の様子に、ベルフラムは次の手立てを口にした。

 諦めの悪い彼女は、たった一つの案が潰えたからと言って、そこで頭を垂れる性格では無かった。


「我儘言ってねーでちゃんとベッドで寝ろって……。ベルは寒さに強い訳じゃねーだろ?」


 えらく気に入られたものだと九郎は頭を掻きながら、ベルフラムの背中を優しく叩く。


「別に我儘じゃないもん……」


 ベルフラムは未だに納得のいかない素振りで、頬を膨らませている。

 ベルフラムの言っている事にも理があるだけに、九郎も頭ごなしには咎められない。

 急な客人――レイアはこれからもこの屋敷で過ごすようだが――に布団が足りない場合どうするのが正解なのか――。雑魚寝が主だった環境にいた九郎も、出会ったばかりのレイアの扱いには頭を悩ませていた。


「じゃあ、明日にでも新しいベッドを買いに行きましょう! そこでレイアに寝てもらえば……」


 それでもまだ諦めきれないのか、ベルフラムは妙案を思いついたかのように手を叩く。

 しかしそのセリフは言い終わらない内に萎んで行った。


 布一枚が銀貨3枚もするのだ。

 ベッドの様に大きく、また人の手が掛かったモノが幾らするかなどベルフラムも分からない。

 今日の稼ぎが銀貨160枚だったとしても、どの位掛かるか見当も着かない物を即座に用意できるとは言えなかった。

 レイアはベルフラムが傍に置くと決めたのだから、レイアに掛かる費用はベルフラムが出そうと思っていたが、自分が持って来た装身具で足りるかとの自信も、今のベルフラムには無かった。


 八方塞がりの状態に陥ったベルフラムは、最後の手段と思っていた言葉を口にする。


「分かったわよ! 今日は我慢するけど、明日にはレイアには出て行ってもらうわ! レイアには屋敷から通ってもらえばいいわよね?」


 一度自分から口にした事であり、曲げるのはベルフラムのプライドをも傷つける言葉だった。

 しかし自分達が手を差し伸べなければ、この冬も越せない様子のクラヴィスやデンテとレイアは違う。

 彼女は元いた屋敷にちゃんと部屋が与えられているし、何よりクラインの息が掛かっているとベルフラムは考えていたので、どの道頻繁に帰るだろうと思っていた。

 通いの女中メイドも数は多い。

 何の問題も無いと言い放ったベルフラムの提案は、九郎が言葉を返す前にレイアの声に遮られる。


「ベルフラム様っ! クロウ様っ! 私が床で寝ますのでっ! 気にせず休んで下さいっ!!!」


 壁を隔てて成り行きを見守っていたレイアだったが、流石に居た堪れなくなっていた。


 レイアは殆んど知らない異性と同じベッドで寝る事など、想像すらできない事だったが、それでベルフラム嫌われてしまう事の方が恐ろしかった。

 やっと掴んだ夢に、レイアはレイアで必死だ。

 彼女はいつの間にか夢と目的が入れ替わってしまうくらい、一つの事しか考えない。

 自分の貞操。女性としての羞恥心。ふしだらな女と主に思われるかも知らにと言う恐怖よりも、「ここで夢に歪みが出来る」と感じた直観を選択していた。


「そう言う訳に行かねえって……」


 レイアの突然の乱入に驚きながらも、九郎は渋面する。

 心の中では「中々殊勝な心がけです」とも思うが、どう考えても九郎はベルフラムに論破されそうになっていた。

 このままでは拙いと感じたレイアは、覚悟を決める。


「クロウ様……少しこちらへ……。ベルフラム様、クロウ様を説得して来ますので少々お待ちください」

「「ちょっ!?」」


 邪魔者と感じていた筈のレイアが九郎の説得に回り、ベルフラムが目を丸くしていた。

 いきなりレイアの顔が間近に迫り、九郎も固まる。


 目えでけぇ……まつ毛なげぇ……


 九郎の呟きを残してレイアは強引に九郎の手を引き、隣の部屋へと消えていった。


☠ ☠ ☠


 ダァンッ!


 壁ドンと言われる行為は、二つの意味があると言う。

 一般的に知られているのは、男が女に迫る強気な態度を表すような言葉らしいが、元は五月蠅くする隣人を威嚇するための行為だったらしい。


 これはどちらに入るのだろうと、九郎は鬼気迫るレイアの表情にふと思った。


 壁ドンの格好にはなっていたが、レイアは女性にしては背が高い方だとは言え、九郎の背丈はさらに高い。

 爪先立ちで迫るレイアに、九郎の胸がドギマギして来る。

 それでなくてもレイアの髪はしっとりと濡れており、風呂上りの色気は強烈だ。

 一緒に風呂に入っていたのだから当然知っていることなのだが、子供達の目が無い今、九郎の思考は大人の世界に入り込む。


 しかし流石に九郎も空気は読む。

 レイアが向けてくる目にピンク色の空気は全くないし、それどころか険しい物が含まれている事にも気付いている。

 初対面からして敵意を感じる視線を投げかけて来ていた娘だ。

 ここで好かれていると思う程、九郎は女に疎くは無い。


 ただ迫られている状況、また視界の下にチラつく大きな胸に、自然と鼻の下が伸びそうになり、九郎は視線を彷徨わせる。


 その目に飛び込んで来たのは半ば半壊していた部屋の様子だった。

 寝室の隣の部屋は天井が崩れており、冬の夜風が冷たく吹き込んでいた。

 やはりこの場所は寒空の下となんら変わらない。


(流石にここに女の子は寝かさらんねえよ、ベル……)


 野宿がデフォだった九郎はともかく、これでは一日もせずに風邪をひいてしまう。

 心配しなくても子供くらい説得してやんよ――九郎がそう言おうとした矢先に、レイアの口が動いた。


「お願いします! 私と一緒に寝てもらえないでしょうか!?」

「へ?」


 余りに予想外だったレイアの言葉に、九郎の瞳孔が小さく萎んだ。


「私はどうしてもベルフラム様の傍に置いてもらいたいんです! お願いします! ベッドも私の蓄えを使ってでも用意しますので、その間だけ我慢してもらえないでしょうか?」


 美しい少女の同衾の誘いに、一瞬くらりとした九郎だったが、真っ先に述べられたその理由に眉が落ちていく。

 レイアがベルフラムに執心だと言う事は、一日生活を共にすればそれで理解出来る態度だった。

 彼女とベルフラムの間にどんな経緯があるのかはまだ聞いていなかったが、ベルフラムが一言いっただけで初対面に近い男に肌を晒すことも厭わない娘である。

 余程お気に入りなのか、それともベルフラムのカリスマ性に魅かれてしまったのか。


「いや、そうは言っても……」


 迫るレイアの視線から逃げるように九郎は言い淀む。

 何もこれはレイアだけの話では無い。

 九郎は自分自身にも信用が置けない。


 子供達も共に寝る以上、例えどんな美少女と同衾していても事に及ぶつもりは無い。

 しかし同じベッド。同じ布団で寝ていては知らない間に触れてしまうかも知れない。

 そうなったらレイアに更に嫌われてしまうだろう。

 言われぬロリコンの疑いを持たれ、更に見境なしと思われては九郎も堪らない。


 どうにか現状を分かってもらおうと、九郎が退路を探す中、次々とレイアは九郎の逃げ道を塞いで来る。


「私が寝ている間にクロウ様が私の躰に触れても構いません! どうかお願いできませんでしょうか?」

「う……」


 レイアの言葉に九郎が言葉に詰まる。

 九郎は若い盛りの男であり、世に言う草食系とは違って、どちらかと言えば女好きを公言しているタイプだった。

 据え膳食わぬは男の恥――でも無いが、ここまで女性に言われて拒むのは逆に失礼に当たるのではと、都合の良い紳士面した欲望が耳元で囁いてくる。

 相手の方からお触り許可は出た。ここで引いたら男が廃る。


(いやいやいやいやいやっ! 良く考えろ俺ぇっ! マセガキベルフラムお子様クラヴィス園児デンテがいんだぞ!? どんな鬼畜野郎だっ!)


 湧き出た欲望は、九郎の現状報告に萎んでいく。

 同じベッドに子供がいる状況で何が出来るというのか。

 手の届く距離に極上の肉があるのに、お預けをくらっている犬の様になるしか無いのは目に見えている。

 それに、レイアが触っても良いと言っているのは別段九郎に惚れているとか、体を許して良いとか思っている訳でも無い。訳有りの様子のレイアの弱みに付け込むみたいで、これで触れたら格好悪すぎる。


「どうか! お願いしますっ!!!」


 レイアに譲るつもりも諦めるつもりも無さそうだった。

 縋るように頼まれ九郎の眉が下がって行く。

 これ程の美人にここまで頼み込まれて、NOと言える男など居る訳が無い……言訳を心の中で呟きながら、九郎はがっくり項垂れた。


「……分かった………、但しベッドの購入には俺も金を出すから、なんとか早めに手に入れてぇ。頼むっ……俺の為でもあんだ……」

「ありがとうございますっ!!」


 喜び勇んで、ベルフラムに事の顛末を報告しに行くレイアの後ろ姿を見ながら、九郎は再び大きくため息を吐くと、自身の息子に憐みの視線を向けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る