第045話  自分を重ねて


「ちょっと! もう入れないわよ!」

「次に回せないのか!?」

「次は男の時間よ!! 女を放り込む気?!?」


 九郎達が入浴客のあしらいにてんやわんやしている中、ちょろちょろとクラヴィス達がその足元を走り回っている。


「レイアしゃん、これお願いしましゅ」

「わっ! 分かりましたっ!!!」


 濡れた布が大量に入った籠を抱えて屋敷の外へと出たデンテは、レイア傍に籠を置く。

 レイアはデンテの声に慌てた様子で答え、何かに追い立てられるような表情で縄に布を干していく。


「レイア? 乾いた布は無いのー?」


 屋敷の中からこちらに向かってベルフラムの大声が響く。

 レイアは混乱しているのか、今干したばかりの布を手で掴んで泣きそうな顔を浮かべていた。


「ベルフラム様! もうしばらくお待ちをっっ!!」


 テンパった様子のレイアに何も言えず、デンテは先に届けた布に触れるが、こちらもまだ湿っている。

 冬の弱い太陽の光では乾くのにまだまだ時間がかかりそうだ。

 この布も、まだ一時間しか干されていないのだから仕方が無い。

 そうは言っても、デンテもレイアと同じように顔を曇らせてしまっていた。


 姉のクラヴィスが叫んだ自分達の天国いばしょ

 その想いはデンテも同様に持っている。

 これ程恵まれた環境に居続けるには、自らの努力も必要不可欠だ。

 有用である事を示さなければと、姉は必死になっているし、デンテも必死だ。

 今迄知らなかったからこそ、憧れなかった生活。知ってしまえばもう戻りたいとは死んでも思えない。

 命の危機を感じながらも、あの時飛び出した二人の姉妹は、一瞬にして終の場所を見定めそれに縋っていた。


「ベルフラムしゃま。デンテがこれを持って走ってくれば……」


 ただ何をどうすれば自分達はココに居続けても良いのか分からず、デンテは思った事を口にする。

 風が乾きを齎す事くらいデンテも知っているが、魔法など使えない獣人の自分に取れる手立ては限られてくる。

 自分達を拾ってくれた優しい主。ベルフラムの魔法ならどんな事でも出来そうに思っているが、それでは自分が必要無くなる。

 子供心に考えた必死の提案に、ベルフラムははにかんでデンテの頭を撫でた。


「デンテは中で働いてくれた方が良いわ。私もクロウ以外のまで見慣れちゃうのはちょっとどうかと思ってるし……」


 目を細めてベルフラムの手を歓迎するデンテの耳に、優しい声が響く。

 デンテが感じる少女の手は、九郎の肌と同様温かい。

 炎の魔法を操る事と関係があるのかは分からないが、それは至極心地が良かった。

 拳では無く掌。それも振るわれるのではなく添えられるだけでこうも違って来るのかと、デンテの尻尾は自然に揺れる。


 子供の自分なら、街の男達も視線を気にしない。

 ベルフラムはそう言いたげだったが、彼女は気付いていない様子だ。

 自分達は人の国では疎まれる獣人だから……年端もいかないデンテでさえ理解している自分達の穢れを、ベルフラムも九郎も決して口にしてこない。

 気付いてすらいない様子の二人を、デンテはいつも不思議に思っている。


 デンテの頭を撫でながら、ベルフラムは「クロウ、何とかできないの?」と隣を見上げる。

「俺は万能家電じゃねえっ!!」と九郎が顔を顰めていた。

 その声は弾んでおり、悲壮感のようなものは感じられない。


(温かい……)


 二人の様子を眺めて、デンテは取り留めなく胸を押さえる。

 母親の面影すら知らない彼女にとって、偶然の奇跡によって得られた今の環境は、押し固めていた心を刺激し解して行く気がしていた。


☠ ☠ ☠


(あんなにも楽しそうな声を出す方だったのね……)


 レイアは額の汗を拭いながら、屋敷で、街で聞いたベルフラムの印象と全く違う様子に、目を細める。


 誰に言うでも無い文句の一つも言いたくなる。

冷炎フリグフラム』と呼ばれていたベルフラムの印象とは、平民に冷たい貴族の令嬢であって、今のベルフラムからは想像もつかない。

 幼少の頃からベルフラムの騎士を目指して修練を積んでいたレイアにとって、その噂はあまり耳良いモノでは無く、自分の主と見初めた少女を悪く言う者と言い争いになった事も一度や二度では無い。

 口調こそ尊大だが、平民に文句を言われても身分の差を傘に来た言い方はしない今のベルフラムに、可愛らしささえ覚える。


「レイアっ! もうあまり乾いてなくても良いってよ」


 レイアがベルフラムに思いを馳せていると、屋敷から九郎が慌てた様子で出てくる。

 レイアは無意識にきつくなる視線で九郎の顔をまじまじと見る。

 背丈は高く顔立ちも整っているとは思うが、人気の吟遊詩人や噂される騎士などに比べると平凡な顔立ちだろう。

 黒い髪に上がった眉、黒い垂れ目がちの瞳、肌は日に焼けているが逞しさと言ったものとは違っている。祖父のクラインから聞いていた、「剣の動きは素人同然」との言葉も数度手合せするだけで充分だった。

 まず、筋肉の付き方が剣士のそれとは全く違う。そして足運び、気配の配り方などにいたってはこの辺の平民よりも隙だらけだ。危険の多いこの世界で、例え街であろうともここまで無警戒な歩き方をする人物も珍しい。ベルフラムが言った「私の英雄」と言う言葉が何処から来たのかと疑問に思う。


「………ん? なんか付いてる?」


 あまりにジロジロと見過ぎた所為か、九郎が訝しげに自分の体を見渡す。顔をぺたぺたと触って確認するかの様に手を動かしていが、一時は顔を足蹴にし、木剣と言えど殺気を纏ってまで対峙したと言うのに、レイアに対して何の警戒心すら抱いていない様子だ。


「いえっ……こちらの方はまだマシかと思います……」


 訝しげな表情の九郎に、レイアは慌てて敵意を隠して布を渡す。

 湿ってはいるが、先程デンテから受け取ったモノよりはましだろう。

 九郎はそれを受け取ると、再び屋敷へと引き返していく。


「……乾燥ったってなあ………まあ、試しに……『焼け木杭チャードパイル』! うぉっ!?」


 ぶつぶつと独り言を呟いていた九郎が屋敷に消えていく。


「ちょっと!! クロウ!! なんで布が焦げてんのよっ!?」


 屋敷の中からベルフラムの怒った声が響いていた。

 九郎の言訳ともつかない弁明が後に続く。


(不思議な関係……)


『クロウのモノ』と公言しているにしては、何の遠慮も無いベルフラムの言い方に、2人の関係はいったいどうなっているのだろうかと、レイアは眉を寄せて思いを巡らせた。

 ただ自分の主であるベルフラムが九郎に一番信頼を寄せているのだけは、傍目からでも確信できて、それが何だか無性に悔しく感じる。


「……負けませんから……」


 レイアは無意識の内に呟いていた。いずれは自分がベルフラムから、一番の信頼を得られるようにと決意を新たに拳を握りしめる。


(いったいクロウ様はどのようにして、ベルフラム様の信頼を勝ち得たのでしょうか……)


 レイアはもう一度九郎について考え始める。

 ふわふわと言う擬音が似合う、間の抜けた九郎の顔が思い浮かぶ。

 警戒の全く感じられない暢気な風貌。

 背が高いからか、少し猫背になってしゃべる様子。

 ひょろ長く戦いにはおよそ触れた事も無いような、学者全とした筋肉……。


(~~~~~~!!!)


 最後に思い浮かべた光景に、レイアは悲鳴にならない声を発してその場にしゃがみ込んでいた。

 頭に浮かんだ全裸の九郎。

 未だに目に焼き付いて離れないソレに、レイアの顔は一瞬にして熱を帯びる。


 突然顔を赤くして場にしゃがみ込んでしまったレイアの隣で、デンテがカクンと首を傾げていた。


☠ ☠ ☠


「思った以上に客が入ったわね……」


 風呂から上がったベルフラムが疲れたような、それでいて気持ちの弾んだ声をあげる。

 薄い肌着姿だが、火の少ない屋敷だと言うのに体から湯気がホカホカと立ち昇っている。


 営業日初日の客の入りは80人と、初日のタダの日よりも客が入っていた。

 今日だけで銀貨160枚、1600グラハムも稼いだ事に成る。しかも経費はゼロ。――厳密には布や籠などのもろもろで結構かかってはいたが、この先この調子なら生活する上では心配ないようにも思える。


「営業初日にしちゃあ上出来も上出来じゃね? これなら明日追加の布を買って来ても良い気がすんな……」


 九郎がクラヴィスとデンテを抱きかかえながら答える。

 姉妹も今は肌着のみを身に纏い、九郎に抱きかかえられながら、重くなる瞼と必死に戦っているようだ。デンテの方は早々と勝敗がついたのか、九郎の腕の中で既に寝息を立てている。

 レイアがその後ろを赤い顔のまま続いていた。

 立ち昇る湯気が、風呂上りだからなのか、羞恥から来ているのかは分からない。


 営業を終えた九郎達は、いつもより少し豪勢な食事をとり、風呂から上がった所である。

 再びレイアに一緒に入ろうと誘ったベルフラムに、九郎は再び顔を歪めていた。

 九郎は必死でレイアに大きめの布を体に巻いてくれと頼み込み、買って来たばかりのタオルをレイアに使う用強く勧めていた。


(クロウはレイアが苦手なのかしら? まあ、顔を踏まれたら当然よね……。でも一日とは言え結構頑張るわね……)


 九郎の「こいつは羞恥心が足りねえ……」と言う視線を取り違えていたベルフラムは、そんな事を考えながらレイアの方に視線を動かす。

 レイアはしっかりとメイド服を着こんでいる。

 ベルフラムは、レイアの訴えを聞いて尚、彼女に対して警戒を解いてはいなかった。彼女の騎士を目指すきっかけが自分だったとしても、それに拘る彼女の想いに納得がいかないのである。


 レイアは『来訪者』である九郎や浮浪児だったクラヴィス達と違い、貴族社会に近い場所で生きてきた娘だ。自らの初志に沿ったとしても、平民に身を落としたベルフラムの事など、直ぐに見放してしまうだろうと考えていたし、そもそもこの様な廃屋で暮らす事など出来ないだろうと考えていた。

 クラインが何とかして繋ぎを取る為に置いて行ったと考えるのが普通だろう。

 ただ……。


(この娘で何をどうしたいのかしら?)


 ベルフラムは後ろを歩く、俯き未だに顔の赤いレイアを横目に考え込む。

 はなはだ失礼な感想だが、間者や見張りと言うにはレイアは抜けすぎていると言うのが、ベルフラムの率直な感想だった。


 現在ベルフラムは多くの悩みを抱えている。

 家のしがらみが最たるものだが、この先を考えて手を打たなければならない事もまだ多い。

 一番は父に出奔が伝わった時、周囲がどう動くかだろう。

 貴族の地位を捨てたとは言え、為政者の娘というのはそれだけで価値を生む。

 噂が広まれば他領の貴族が何か仕掛けてくる可能性は十分に考えられた。

 それを退ける戦力と言う面も考え、ベルフラムはレイアを傍に置く事を決めたのだが……。


(腕はクラインのお墨付きだったけど……身内贔屓もあったのかなぁ……)


 レイアの剣の腕はベルフラムも見ているので、ある程度分かっている。

 女性であること。まだ経験が足りない事を差し引いても、城の騎士に比べて少し見劣りする気がしていた。

 何よりベルフラムが編み出した新たな魔法は、彼女自身が思っていた以上に、戦闘力を秘めていた。

 レミウスの騎士団長まで上り詰めたクラインを封殺出来てしまった魔法があれば、目に見える暴力にある程度対抗できるだろう。


 だから今のベルフラムは、レイアに「ただ面倒臭い」と言う感想を抱いてしまっていた。

 ならばレイアを傍に置かなければ良いと、ベルフラム自身も思うのだが……、


(……自覚しちゃったものね………)


 ベルフラムは九郎の腕の中で寝入る獣人姉妹に視線を移して頬を緩める。

 彼女達はベルフラムが自身の力で運命を切り開いた時に手にした証だ。

 彼女達の為にベルフラムは自身の覚悟を示す事が出きたのだから、逆に自身の運命が賞かも知れないが、どちらにしてもベルフラムは自分が守った二人の獣人姉妹に特別な何かを感じていた。

 たった数日の生活で命を擲つ姿に胸打たれたから――だけでは無かった。


(……私は諦めの悪い人間が好きなのよ……)


 ベルフラム自身が足掻き続けていた所為か、同じく諦めようとしない人間を見捨てる事が出来ない自分に気付かされる。

 諦めない人間には報われて欲しい――そう自身が思っている自分がいる。

 だからこそベルフラムは、レイアの必死な願いも無下に断る事が出来なかったのだ。


 ベルフラムは姉妹を見ていた視線をさり気無く九郎へと移す。

 ベルフラムが自身の運命に逆らう為の手札として、手元に置き留めた筈の九郎であったが、結局自身の運命を変えたのはベルフラムの覚悟であって、九郎では無かった。

 しかし、家を捨てたことをベルフラムは九郎にまだ明かそうとは思っていない。

 それどころか秘密にしようとしていた。


 色々な思惑が有って、九郎と離れないようにと行動していたベルフラムであったが、ベルフラム自身にも、どの思惑が本心なのか分からなくなっていた。

 当初は九郎を『来訪者』だと考え、自分の手元に置き留めるために城へと同行する様に強引に九郎を引きつれた。

 だが、道中の九郎の実力に『来訪者』であるとの考えは無くなり、それなりの礼をしてそれで終わろうと一時興味を失った。

 しかし、災害と同義の魔物に飲み込まれベルフラムの心の中は複雑に揺れ動く事になる。

大地喰いランドスウォーム』に喰われた際、酸の海に呑まれかけ、ベルフラムが運命に立ち向かおうと足掻いてきた事がこの様な形で終わりを告げる事に、運命の奇妙さを覚えていた。

 護衛の筈の冒険者に放り出された時、ベルフラムは自分の考えていた運命が全然別な終わりを告げたことに、全ての思考すら放棄していた。

 九郎が自分を助けに酸の海へと飛び込んだあの時の事を考えると、今でも良く分からない感情で頬が熱くなってくる。


 なんとか脱出できた後もベルフラムは九郎の訳の分からない行動と、自身の心に翻弄された。

 災害級の化物から脱出した喜びも束の間、気の強いベルフラムの心でさえぽっきりと折れる絶望はまだ続いていた。


 九郎は「家に連れて帰るって約束したから」と言っていたが、あのような状態で、子供である自分を連れて行く事を当たり前の様に考えていた九郎には、呆れるくらいの甘さしか感じない。だが、その事をベルフラムが口にでもして、それで九郎の気が変わってしまえば、ベルフラムは暗い穴の中で死を待つばかりとなってしまう。

 一度は諦めてしまった自分の命だが、いざ拾ってみると死への恐怖に再び向き合う度胸は無く、ベルフラムは必死に九郎について行った。普通なら考えられない様なモノも口にし、もう一度生きたいと望んだ。


 そのベルフラムの思いも飢餓の前には無力で……。


 飢餓による虚脱感はベルフラムの希望すら容易くへし折った。

 自分の足で歩く事すらできなくなったベルフラムは、再度生きて外へと出る事を諦めた。

 そしてベルフラムが九郎に願ったあの言葉……。


 あの時の言葉だけは今でも心からの言葉だったと、ベルフラムは確信している。

 あの時のベルフラムは、自分の名を幾度となく呼んでくれた、自分の事を重荷にすら感じない様に前に進む九郎に、何か報いたいと本心から思っていた。

 だから、生還してから運命に抗う為にクラインには伝えたとしても、ベルフラムの本心は変わっていない。

 ただ――。


 この所のベルフラムは自分で自覚が出来るくらいに、心が変だった。

 九郎を悪く言われるとなんだか無性に腹が立つし、九郎の傍にいると安心する。逆に、傍にいないと無性に心細くなってしまう。今まで抑え込んでいた感情も、九郎の前では抑えることすら出来ないでいる。

 一人きりの食事に嫌気が差していたとは言え、命に代えてまで拘る積りは持っていなかった。

 なのにもう九郎と共に食事が出来ないと感じた言葉は、自然とレイアの反論として思い浮かび、贅沢な食事に対する興味は失せた。


(だってクロウと食べるとなんでも美味しいんだもの……)


 玉蜀黍のパン。崩れた根菜のシチュー。鮮度の良く無い肉の串焼き。

 それはどれも貴族の令嬢が口にする物では無かったが、ベルフラムにとっては今迄食べた何よりも美味しい食事だった。

 味がどうと言うのではなく、その環境が関係している事くらいはベルフラムも理解している。

 全く味が分からなかった屋敷の食事も、暢気そうな隣の男と一緒であれば美味しいと感じる事が出来たのだから、自ずと知れると言う物だ。


 自分が生まれ変わったかのような感覚。

 景色が色濃く映り、胸を打つ感情。

 すでに自分で運命を変えたと思っているベルフラムだったが、九郎の傍を離れる事だけは絶対にしたくなかった。


「……んだよ? また顔に何かついてんのか?」


 ベルフラムの視線に九郎が視線を彷徨わせる。

 姉妹を抱いている所為で顔を触ることが出来ないのか、目だけをキョロキョロ動かす様に、ベルフラムはクスクス笑う。そんな事をしても自分の顔は見えないでしょう? とでも言ってやろうかと思う。


 ベルフラムはそのまま九郎に先立って寝室の扉を開けた。

 この行動も今までなら決してしてこなかった行動だ。貴族の令嬢が自ら扉を開く行為に、レイアが一瞬顔を強張らせていたが、それももう気にならない。


「なんでもないわよ」


 ベルフラムは扉を開いて満面の笑みを九郎に向けた。

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