第044話 瞬間湯沸かし器
「は~ひゃ~わせ……」
「はぅ~……」
「んふ~……」
九郎に髪を溶かされているベルフラムが、喉から零れるように気持ち良さそうな声を出す。
それに答えるかのように、ベルフラムに髪を溶かされているクラヴィスが、クラヴィスに髪を洗われているデンテと共にため息を漏らす。
「……お前らなあ……」
九郎が呆れ声で呟く。
湯気がもうもうと立ち込める中、ベルフラムが言う『浴槽』と言う場所に浸かった4人が気持ち良さそうに身を沈めていた。
ポカンとした表情で固まるレイアをほったらかしにして。
(何もかもが遅かった……)
レイアの頬につうっと涙が一筋伝う。
男の前で恥ずかしげも無く衣服を脱ぎ始めたベルフラムと、それを気に留める様子も無くデンテやクラヴィスの衣服を脱ぐ手伝いをしていたクロウ。
そのありえない光景に思わず思考が停止してしまい、動く事が出来なかった。
レイアが呆気に取られる中、煙った浴槽の中でベルフラムは九郎の股の間に座った。ベルフラムの前にはクラヴィスが座り、クラヴィスの前にはデンテが座っていたが……。
そして少女達の口から一斉に零れる忘我の声。
レイアがその光景に膝から崩れ落ちていた。
このアプサル王国、特に貴族社会では女は子を産めるようになると女性として見られる。しかし、貴族の中では女性は若ければ若い程良いとされ、年端もいかない少女に情欲を覚える者も珍しくは無い。
幸いレイア自身は剣の鍛錬で実家で修行に明け暮れていた為、貴族などの目に留まる事は無かったが、巷では10に満たない少女が、領主や貴族に徴用されることなどありふれた話だ。
ベルフラムは11歳。貴族社会の中では「成人手前の淑女」と見られる年齢である。
(――いえ! まだ希望は残されてます! 王侯貴族の垂涎の的であろう、あのベルフラム様の裸体を目の前にして、クロウ様はなんの、ははは、反応もしていなかったでは無いですか! ……クロウ様は女に興味がない可能性も……)
九郎の前で恥ずかしげも無く肌をさらすベルフラムにも驚いたが、それ以上に眩い少女の裸体に毛ほどの反応も見せない九郎にもレイアは驚いていた。
(ですが……ベルフラム様は……もう……)
しかし、ベルフラムは自身の躰は九郎のモノであると公言している。
「男のモノになる」と言う言葉は、「関係した」と同義である。
とすれば、九郎とベルフラムは既にそういう関係であり、見慣れたからこそ反応が薄い可能性が出てくる。
(あ、飽きるまで堪能したと言うのですか! いたいけな少女を手籠めにしておきながら、2日で飽きるなど……やはり敵! 女の敵です! )
レイアが拳を握りしめ悔し涙を流していると、頭を洗い終わったベルフラムが浴槽の縁に手を掛けながらレイアに声を掛けてくる。
「どうしたのーレイア? 早く脱いで来なさいよー」
「なっ!? ベル何言ってんだよっ!? お前はっ!」
「あいたっ! 何すんのよー!?」
ベルフラムの言葉に、レイアより先に九郎が驚きの声を上げ、ベルフラムの頭に軽く手刀を落とした。
主を害されたと思ったレイアが怒りの目を九郎に向けるが、ベルフラムは文句を言いながらも九郎に抱きついている。
それに対して九郎は何の反応も示さず、それどころかベルフラムを叱りつけていた。
「お前は何のために男と女の時間を分けたんだっ!? 妙齢の男女を裸で一緒にするのは不味いって分かってんだろ?!?」
美しい少女であるベルフラムに裸で抱きつかれていると言うのに、説教を始める九郎。
レイアでなくても多くの者が『不能』だと九郎を断じる光景だろう。
九郎は例え女であろうとも、子供に抱きつかれて欲情する性癖ではないだけなのだが、ところ変われば目も変わる。ましてや文化も何もかもが違うこのアクゼリートの世界に於いて、女性と見られる年齢の一歩手前のベルフラムに何の反応も示さないと言うのは、そう言う事だ。
「でもレイアはこれから一緒に暮らすのよ? 一人だけ別の時間に入るのなんて、のけものみたいじゃない」
ベルフラムは口をとがらせ九郎に反論していた。
自らの主人がレイアの事を思って話すのを聞き、レイアの心は高鳴りを覚える。
未だ、完全に信用などされていないと思っていただけに、ベルフラムが傍に置いてくれようとしている事に感動を禁じ得ない。
「なら女だけで入りゃ良いじゃねえか!? レイアだって恥ずかしいに決まってんだろ!?」
九郎の反応からも、今の状況を良しとしている訳でも無いのがレイアにも理解出来た。
また女性に対して一応の思慮がある事も、何となくだが伺える。
確かに現在レイアは頗る恥ずかしい思いをしている真っ最中だ。
男の股間を見ただけでも、小一時間は布団に籠っていたいくらいなのに、加えて主に裸になるよう言いつけられている。
大体現在素肌を晒している主を見ているだけで、言いようのない羞恥に悶えている最中であるレイアは、未だ敵だと思っているにも関わらず、九郎を心の中で応援していた。
「嫌よ。だってクロウと一緒に入った方がお湯は温かいままだし、温度調節もできるし……。あなた達もそうよね?」
「私もクロウ様とベルフラム様と一緒が良いです……」「でしゅ……」
しかしレイアの心の中での応援は一欠けらの力も発揮せずに泡と消えた。
九郎のもっともな反論に、ベルフラムはすかさず意を唱え、獣人姉妹達もベルフラムに抱きつきながら、同様の意見だと首を縦に振っている。
九郎の「俺は湯沸かし器か………いや、そうだけどよぉ……」と自問する声に、レイアの顔は悲壮にまみれた。
「それにクロウは別に女の体に興味なんて無いでしょ? 私達と普通に入ってるじゃない?」
悲壮にまみれたレイアの顔は、ベルフラムが少し怒ったような口ぶりで言った言葉で再び輝きを取り戻す。
怒ったり泣きそうになったり、落ち込んだり浮上したりと忙しく変わるレイアの表情を、デンテが不思議そうに眺めているが、現在そちらに気付ける余裕はレイアには無い。
矢張りそうだったのか!――レイアは納得の表情を浮かべて九郎の方を見やる。
少女と裸であんなにも肌を合わせていると言うのに、九郎から何の欲望も漏れ出ていない。最初に思い浮かんだことが正解なのだとレイアは胸をなで下ろし、これならベルフラムと男女の仲に成っているとは考えにくいと安堵の溜息を漏らす。
「その体を捧げた」と噂されていたベルフラムが清い躰であると分かって、一番の不安が払拭された形だ。
「あるよっ! 大有りだよっ! こちとら健全な男子だよっ! ガキに興味がねえだけだよっ! 大体お前ら全員ペッタンコじゃねえかっ!」
しかし、九郎の続く言葉にレイアの顔は再び歪み、そして九郎が年端もいかない少女には情欲を覚えないと聞いて、また持ち直す。
固まった姿勢のまま次々と表情を変えるレイアを、クラヴィスも湯船から不思議そうな顔で眺め始める。
「ああー! ひどーい! クロウ最初に会った時に『俺は
「んなこと覚えてんなよっ!? イケるとは言ったがガキに興味はねえんだよっ! だいたい覚えてんなら、女に興味無いとか言ってんじゃねーよ!」
裸の男女が繰り広げている赤裸々な会話に、レイアの顔はもう疲れた様子を見せ始めていた。
会話を統合するに、九郎は女性に興味が無い訳では無く、ベルフラムを子供としてしか見ていないのだと分かってきた。ただ忌々しくも、レイアの主であるベルフラムの方が現在九郎にご執心のようで、何とか言質を取ろうと必死な様子も見て取れる。
あんな男の何が良いのか……レイアは九郎に再び敵意の籠った視線を向ける。
顔は存外悪くは無い。しかし悪くは無いだけで、取り立てて噂されるほどのものでも無い気がする。何より貧弱そうな肉体に魅力を感じない。一応の筋肉はあるようにも見えるが、かなり高い背丈もあって、ひょろ長いと言う感想が出てくる。
男の魅力とは力強さと頑強さで語られる事が多い。九郎を見て力強さを感じる女性がどれだけいるのだろう。
自分を横目でチラ見していた九郎と目が会い、レイアは真っ赤な顔で九郎を睨みつけた。
敵意も残っているが、何より今の状況はレイアにとって想像の外。裸の男が近くにいると言うだけで、本来即刻出て行きたい。
ただ主もその場にいるのでレイアにその選択肢は取れない。
レイアが苦渋と羞恥に顔を歪めたその時、九郎に諭されたのか諦めたようなベルフラムの溜息が彼女の耳を通り過ぎた。
「せっかくレイアの髪を洗ってあげようと思ったのに………」
その瞬間レイアの思考が切り替わる。
「ベルフラム様! 行きます! すぐに用意します!」
レイアは慌てて胸元の紐を緩める。シュルリと衣擦れの音が浴室に響く。
主に髪を洗ってもらう――レイアの頭の中には、教会のステンドグラスに描かれた騎士と王の荘厳な一場面が思い浮かんでいた。
跪いた騎士に、主たる王が自ら聖水で騎士の髪を洗う場面は騎士が憧れる一等の名誉。
剣の儀と同じくらい絵になる一幕だ。
主が従者の髪を洗うと言うのは信頼の証であり、また命の使い方を委ねると言う事。
信頼を得ていないと思っていたベルフラムからの思っても見ない提案に、レイアは逸る気持ちを抑えきれぬ様子で服を脱ぎ始めた。
騎士の誉れに逆上せたレイアの頭には、「裸になる必要があるのか?」との疑問が思い浮かばない。
パサリとレイアの腰のスカートが床に落ちる音はやけに大きく浴室に響いていた。
「ちょっと待ってくれ! 早まんなっ! 成人した男がいるんだ! 考え直せっ!!!」
慌てた様子で、九郎がレイアに背を向け、大声でレイアを止める。
「主から髪を洗われる名誉に何の障害にもなりません! オ…………オトコニ………ハ、肌ヲ晒スクライ……」
やっと「何か違う」と気付いたレイアだったが、既に手遅れだった。
すでに上着は脱いでおり、今まさに下着に手を掛けようとしている所で言われても、もう引くに引けなくなっている。
「レイア落ち着けっ! 片言になってんぞっ?! 大体俺が大丈夫じゃねーよ! コ、コンナバショニイラレルカッ!? 俺ハ先ニ部屋ニ戻ラセテモラウッ!!」
九郎も片言に成りながら、死亡フラグめいたセリフを言って立ち上がる。
「だめよー? クロウが出てったらお湯が
「ナニがドゥなるんだよっ!!!」
浴槽から出ようとした九郎の腰にベルフラムが飛びつき、九郎を浴槽に繋ぎとめようとする。
ベルフラムを振り払おうと九郎が叫ぶ。
もう取集の着かない事になっていた。
☠ ☠ ☠
賑やかとも言えるが、必死な3人はそれぞれ少し以上に
こういう事態で後手に回るのが男の常。それに対して女性の行動は早い。
「ベルフラム様ッ! ヌ、脱ギ終ワリマシタ……。今カラソチラニム、向イマス……」
緊張した様子のレイアの声に九郎はゴフっと咳き込んで唾を飲み込む。
湯気で煙ってはいるが、レイアのすらりとした肢体が九郎の目にも映し出され、豊かなレイアの胸が湯気越しに揺れるのを見て慌てて背を向け浴槽に身を沈める。
もう立ってなんかいられない。……立ち上がってしまうのは男の生理現象である。
「待てっ! 待ってくれレイアっ! せめて、その辺にある布を体に巻いてくれっ!!」
近付いてくるレイアに、九郎は大声で叫ぶ。
子供に何も感じなくとも、言った通り九郎は女好きを自認しており、枯れている訳でも無い。
服越しにも分かるレイアの裸体を直接目にして正気を保てる自信は無い。
「ソ、ソウデスネッ……」
九郎の魂の籠った訴えに、レイアも顔と言わず体をも真っ赤にしながら、傍に置いてあった布を体に巻きつけようとして、長さが足りなかったのか前だけを隠すように布を充てた。
九郎は大きなタオルの必要性を何より感じた。
「こ、ここに入るのですか?」
「…ニ…サン…ゴ…ナナ…ジュウイチ…ジュウサン…………」
「そうよー。天にも昇る気持ちになれるわよ?」
恐る恐る尋ねるレイアに、ベルフラムは自慢気に答える。
浴槽は濛々と湯気を登らせ、九郎からはレイアのシルエットしか見えていない。
――ただその影だけで何かが暴発しそうな気がして、九郎はレイアに背を向け素数を数えて精神を落ち着かせる。
「で、では……失礼します……」
恐る恐ると言った感じのレイアの声。
冬の寒さに
「こ、これは……」
「どう? 気持ちいいでしょー?」
感嘆と驚愕の声を上げるレイアに、ベルフラムの自慢げな声。
ベルフラムに笑い声に、レイアの感極まった嗚咽が混じる。なにやら二人の関係は、色々複雑そうにも思える。
「……ヨンジュウイチ、ヨンジュウサン……ヨンジュウナナ……ゴジュウサン……」
ただ現在そちらに気を回す余裕は九郎には無い。
九郎は浴槽に沈みながら素数を数え続ける。
「じゃあ洗ってあげるね……後ろ向きなさい」
「は、はい………こ、こうでしょうか? ん!! ……あっ……はぁっ……」
ベルフラムに言われるままに背を向けたレイアは、体験した事の無い快感に思わず声を漏らしていた。
(くそぅぅぅ! 声だけでやべぇよぉぉぉぉっ!)
九郎が奥で悶々としているとは露と知らず、ベルフラムは肩まで湯船に浸かったレイアの長い金髪をゆっくりとお湯に溶かしていく。
ベルフラムの小さな手が髪を溶かす度に、緊張していた体が弛緩し、自分の体が湯に溶けて行くのではないかとレイアは錯覚していた。
小さな少女がレイアの髪に触る度に、レイアの口から艶めかしい声が漏れる。
ベルフラムはいたずらっ子のような表情をしながら、レイアの髪を丁寧に
ちゃぷちゃぷと小さな水音が、湯気と一緒に天に登って行く。
「……ヒャクキュウジュウキュウ…ニヒャクジュウイチ…ニヒャクニジュウサン…ニヒャクニジュウナナ……」
九郎の数える素数も、念仏のように天に昇っていた。
☠ ☠ ☠
「はいっレイア終わったわよ」
「は……はぃぃ……」
肩をポンと叩いて言われた言葉に、レイアは魂の抜けきった返事を返す事しか出来なかった。
主であるベルフラムに髪を洗ってもらっていながら、何とも締まらない自分は自覚している。
しかし余りの心地良さに寝入ってしまいそうになっていた。
なんとか体に力を入れようとしてみるが、体が弛緩して上手く力が入らない。そのまま沈んでしまいそうになっていまい、クラヴィスとデンテが慌てて支えてくれていた。
「それじゃあ、上がって昼食にしましょっ! ……クロウ?」
そんなレイアを満足気に眺めていたベルフラムは、顔を上げ充満した湯気の量に眉を顰める。
髪を撫でる度に溢すレイアの忘我の様子が面白くて熱中してしまっていたようだが、部屋の中の湯気の量が尋常では無い気がした。
気が付いてみると、先程よりもかなり湯の温度が上がっている。
風呂自体に造詣が無く、体験したのもつい先日のベルフラムには中々判断が付かないが、熱く成り過ぎている気がした。
赤みを増した自分の腕を見、ベルフラムが何気なく振り返ると、そこに九郎の姿は無く、湯気の壁が立ちふさがっていた。
「クラヴィス! クロウに水を掛けなさい!! 浴槽からは出るのよ!」
「は、はいっ!!」
ベルフラムの指示にクラヴィスは裸のまま廊下に飛び出し、鍋で九郎に水を掛ける。
ジュワーと火種に水を掛けた音がしてさらに視界を湯気が覆う。
「は! 俺はいったい?!?」
正気を取り戻したかのように九郎が顔を上げる。
「どうしたのよ? ビックリしたじゃない……」
呆れた様子でベルフラムは首を傾げる。
「いや……心頭滅却すれば火もまた涼しって……」
「? 茹りかけていたじゃない?」
女には分からない類の激しい戦いが繰り広げられていたのだが、少女にそれは分からない。
九郎は引きつった笑みにベルフラムは懐疑的な目を向けながらも、それ以上は何も言わなかった。
「もう……へんなの。それよりお腹が空いたわ! ご飯にしましょ!」
懐疑的な視線を一瞬で破顔させたベルフラムに、九郎は子供の健やかさを感じ、大人の複雑な事情に渋面していた。
「お……俺はもう少しだけ入ってから行くから……」
九郎は湯船から頭だけを出し、表情を読まれないよう苦心しながら重々しく答える。
湯船の中の九郎の両手は股間に添えられている。
戦いの結果は辛勝とも言えないくらいギリギリの攻防が続いており、現在
「……そう? あまり遅くならないでよね? じゃあ、クラヴィス、デンテ体拭いてあげるわ」
「はいです」「はいでしゅ」
「ま、待ってください……私も……」
ベルフラムの後を追うように、クラヴィスとデンテが続き、何とか浴槽の縁に身を横たえていたレイアが立ち上がった。
レイアは既に体に巻いていた布の事などすっかり忘れてしまったかのようで、よろよろと立ち上がるったその時、フワリと布が湯に浮かぶ。
間近でレイアの美しい後ろ姿を見てしまった九郎は、再び素数を数えながら浴槽の中へと沈んで行く。
ぶくぶくと粟立ち始める浴槽。
白い煙は、浴室の天井の遥か空へ登っても、色を失わなかった。
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