第043話 性犯罪者
冬の日差しが遮られた薄暗い馬車の中、来た時より一人少ない従者たちが、頭を項垂れて座っていた。
一人足りない事にすら気づいていない様子で誰も喋らない。
打ちのめされた表情の老齢の執事が顔を覆い涙を流していた。
「私は……いつから驕ってしまっていたのでしょうか……」
とめどなく流れる涙を拭おうともせず、クラインは誰に尋ねるでもなく一人呟く。
クロウと言う青年に嫉妬かと思われる感情を抱いた事にいまさらのように答えが浮かぶ。
あれは嫉妬では無く、『驕り』だったと………。
当主であるベルフラムが唯一心を許している青年にではなく、『信頼されるべきは自分だ』と言う驕り高ぶった感情による心のザワツキだったのだと。
しかも自分はその信頼を得ようとしたのではなく、信頼を寄せられているであろう青年を排除しようとしていたのだ。
(――誰に対して信頼を得ると言うつもりだったのでしょうか……)
自嘲気味に自問してクラインは顔を歪める。
貴族の姫君とは言え、ベルフラムは子供だったのだ。大人の中、一人だけ違う子供。
誰もがベルフラムをアルフラム公爵の娘としか見ていなかった。
ベルフラムが独り孤独に苛まれていた時、誰もそのことに気付かず、ただ公爵の娘として世話していたに過ぎない。
――あなた達はいったい誰を守っていたの? 悲しそうな瞳で、静かに言ったベルフラムの顔が目に焼き付いている。その悲しそうな少女の姿が唯一誰もが彼女を認識した瞬間なのだと思うと、後悔の念が止めどなく溢れてくる。
誰もベルフラムをベルフラムと見ていなかった。
目の前にいる人間に自分を見てもらえない。話をしているのに自分を認識されていない……そんな寂寥感が彼女をさらに孤独にしていったのだろう。
ベルフラムが平民に見せていたと感じた凍る様な緑の瞳――。あれは……侮蔑でも見下すでも無い……少女の精一杯の強がりの瞳だったのだ。誰も自分を見ていない事に対するせめてもの強がり……。怒りも悲しみも孤独も絶望も……全てを内に封じ込めた、少女の強がり。
ともすれば、泣き出しそうになるのを我慢した瞳だったのだ。
――きっと今まで分からなかっただけで、ベルフラムは自分に対しても幾度となく見せていた瞳だったのだろう――ベルフラムを見ていなかったから気付いていなかっただけなのだ……。
ベルフラムが『
クロウを失ってしまえば、また誰も自分を呼んでくれなくなってしまうから……。
(――獣人風情と……獣風情とは……私は何処まで愚かなのでしょうか……)
クラインが苛立ちを覚えた二人の獣人の少女たち……。
ベルフラムが言っていた事を思い出せば、たかだか2日の付き合いの少女たちが何故命を掛けてまでベルフラムを守ろうとしたのか……。
少女たちはしっかりとベルフラムを見ていたからだ。
家臣としてしっかりとベルフラムを見て、ベルフラムの悲しむ事からベルフラムを守ろうとしたのだ。
主をベルフラムとして認識していたのだ……。主の命礼に違えても主の為を思って行動していたのだ。
例えその後ベルフラムの不興を買う事に成っても、彼女たちはベルフラムの事だけを考えていたのだ。
これこそあるべき騎士の姿ではないか――クラインはいつの間にか腰に剣が無い事に気付く。
――あなたは……お父様の騎士だものね――冷たい瞳でそう言ったベルフラムの顔が思い浮かぶ。
絶望を……一番長く傍にいたであろうクラインも、自分を助けてはくれないのだと確信した絶望を、ベルフラムは必死で隠していた。
挙句の果ては、クラインはベルフラムを屋敷に戻す為なら、ベルフラムの大事な人たちを手に掛けるとさえ思われて、命を掛ける覚悟すらたやすくさせてしまった。
「守るべき者に剣を向け、守るべきものに死を覚悟させる……獣風情といった私は……獣以下と言った私は……」
――いったい何だと言うのか……。
とめどなく流れ落ちる涙が馬車の床を濡らす。
「レイア……私達はどこで間違ったのでしょうか……」
呟いた問いに答えは帰ってこない。そこでクラインはやっとレイアがいない事に気が付く。
7歳の頃、急に剣を教えてほしいと言い出したレイアが、何時だったかクラインに語った騎士を目指す理由。
「私は公爵妃様より直々に姫様の騎士にと任命されたのです!」 ――そう嬉しそうに語っていた孫娘の事を思い出す。
騎士見習いを終え、騎士叙勲の式典の迫る時期だと言うのにベルフラムが帰還したと聞いて、厳しい訓練の成果全てを投げ捨てて、クラインに屋敷での働きを願い出たレイア。
クラインは当初、女だてらに剣に従事する事を諦め、花嫁修業のつもりかとも思っていたのだが。
(……レイアは……諦めきれなかったのですね……)
騎士に憧れ、守るべき主を定めていたレイアにとって、ベルフラムの出奔はまさに絶望の言葉だったのだろう。それでも彼女は騎士そのものでなく、騎士の生き方――主の傍で主を守る道を諦めきれなかったのだろう。
(孫娘にも酷い事をしていたのですね……)
ベルフラムの身辺警護の任と九郎への剣の手解きをとレイアに命じた時の嬉しそうな顔。そして九郎を警戒するようにと伝えた時の真剣な眼差し。ベルフラムに泣かれてしまったとこの世の終わりの様な顔で報告してきた孫娘を思い、クラインは罪悪感に顔をしかめる。
――祖父としても失格ですかね……。
クラインは揺れなくなった馬車の中で一人、ずっと泣き続けていた。
☠ ☠ ☠
「ただいまー。おう、買って来たぞー……」
崩れかけた屋敷に九郎の呑気な声が響く。
「おかえりー……って何?!?」
扉をくぐって来た九郎にベルフラムは驚きの声を上げる。
扉をくぐって来たのは、籠のお化けとでも言えそうな体中に籠をぶらさげた九郎の姿だった。
「……何て……買って来いって言ったじゃねえか……。かさばんだよ籠は!!」
これでは前も見えないのではないかと思われる九郎の姿に、ベルフラムは呆れた顔で肩を竦める。
「お~い……ちょっと手伝ってくんね?」
扉に引っかかったのか、扉の前で進むに進めなくなっている九郎に、ベルフラムはクスリと笑って声を上げる。
「クラヴィス、デンテ! こっちにいらっしゃい。面白いものが見れるわよっ!」
「はいです」「はいでしゅ」
浴室の方から声が聞こえ、トタトタと軽い足音が聞こえる。
「面白いものって……手伝ってくれよ……」
籠に遮られて視界の悪い九郎が、情けない声でぼやく。
どうやらベルフラムの姿を探しているようだ。
「クラヴィス、デンテ、手伝って頂戴」
ベルフラムは九郎の体に引っ掛けられている籠を外しながら、九郎を見上げる。
丁度籠から解放された九郎と視線が合わさった。
瞬間ベルフラムの頬が熱くなる。
「んだよ? なんか付いてんのかよ?」
「何でもないわよっ! だいたいクロウは何か付いてる時より、何もついてない時の方が多いじゃないっ!」
あんまりなベルフラムの言い分に、九郎は憮然とした顔を浮かべていた。
クラヴィスとデンテが九郎から籠を受けとっては浴室へと運び入れている。
「水はもう溜まってんのか?」
九郎が大方の籠を外し終え、残りの籠を持ちながらベルフラムに問う。
「そろそろだと思うわよ? あ、これ買ってきた布とお昼ね? 上に運んでおくわ」
「おう、頼むわ。んじゃ、俺は先に一度風呂沸かしてくるわ。昼先に喰っといてもいいぞ~」
ベルフラムの答えに九郎は後ろ手に手を振りながら、歩きながら服を脱ぎだしていた。
その背中を見詰めながら、ベルフラムは先程感じた感慨を思い浮かべる。
九郎と出会ってからまだ2ヶ月ほどだが、もしかして世界で一番自分の名前を呼んだのは九郎では? と思うと、なんだか分からない感情で顔が火照ってくる。
(私が今迄で一番目にしたお尻はクロウので間違い無いんだけど……)
自分の中の面映ゆい感情を誤魔化すように、ベルフラムは苦笑を浮かべ、
「じゃあ、折角だからお風呂に入ってから昼食にしましょう。直ぐに行くわーーあ゛!!」
大声でそう言って、あることを思い出した。
☠ ☠ ☠
2階からのベルフラムの大声を聞きながら、九郎は浴室のドアを開ける。
そして固まる。
「これで最後ですか?クラヴィスさ…………ん……」
扉の前で待機していたレイアが、視線を丁度ソコに向けて固まっていた。
成程、クラヴィスを想定していたのなら、そこに視線がくるわな……と九郎が思う間もなく。
ピャャァァァァァァァァアアアアアア!!
屋敷が揺れるかと思われるほどの絹を裂くような悲鳴が響く。
続いて2階から聞こえてくるドタドタとした慌てた足音。
「え゛? ちょっ? ナンデっ!? レイア・サン・ナンデ!?」
「キャアアアアッ!! 寄らないでっ! 変質者っ! 誰かっ! 犯されるっ!」
投げつけられる籠を受けながら、九郎は混乱していた。
レイアは真っ赤な顔で目を瞑り、籠を投げてくる。
「キャァアアアアアッ! キャッ!?」
「クロウしゃまっ!」「クロウ様っ!」
目を瞑り悲鳴を上げていたレイアが、突如後ろに引き倒される。
見るとデンテがレイアの襟を咥え、レイアを床へと引き倒したようだ。
風の様に駆け寄ってきたクラヴィスが、九郎とレイアの間に割って入り、床に手を付き威嚇の声を漏らしている。
「キャァァァアアアアッ! 犯されるっ!」
いきなり引き倒されたレイアはもう半狂乱だ。
悲鳴を上げながら手をバタバタと振り回す。
その様子にデンテが困惑した様子でレイアと九郎を交互に見やる。
意見を求めているのだろうが、九郎は股間を籠で隠した体勢でブルブル首を振るしか出来ない。
「落ち着きなさいっレイアっ!」
その時ベルフラムの凛とした声が響く。
これがカリスマ性と言う物なのだろうか。度々激昂する大人たちに水を浴びせて来た声の威力に、一瞬時が止まる。
「いやぁぁぁぁぁっ! ……ハっ! ベルフラム様っ!」
そしてそれはレイアは効果覿面だったらしく、レイアは瞬時に起き上がると、片膝を付いて姿勢を正していた。
デンテがレイアの襟元にぶら下がったままだが……。
「……ベルドウイウコト?」
「今朝どうしてもここに居たいって言うから暫くの間置いてあげることにしたのよ……クロウに伝えるの忘れちゃってたわ」
股間の籠を押さえながら、九郎がカタカタと首を回すと、テヘペロとでも言うように、ベルフラムが片目を瞑りながら舌を出した。
そしてレイアに向き直るとベルフラムは窘めると言うよりは、諭すようにレイアに語り始める。
「レイア……あなたはまた同じ失敗をしたいの? 私はクロウのものよ? クロウを傷つけるのは私を傷つけると分かっているの? それじゃあこの屋敷には置いてはおけないわ」
「すみませんベルフラム様! 少し取り乱してしまいました! この先この様な事が無いよう努めますので、何卒お許しを!」
優し気に言いやるベルフラムに平伏するレイア。
いたいけな少女に庇われている事実に九郎は何とも言えない気持ちを抱く。
「レイア? 無理しなくていいのよ? どうしてもクロウが嫌なら屋敷に戻っても私は責めないわ」
「ベルフラム様! それだけは! 大丈夫です! この先クロウ様を傷つけないと誓いますから! 傍に居させてください!!」
心配げな様子で言いやるベルフラムに縋りつくレイア。
ベルフラムの言い方に少し傷付く九郎。これでレイアが去っていったら立つ瀬が無いではないか。
「本当に大丈夫なのレイア? クロウはこの屋敷では服を着ている方が珍しいくらいなのよ?」
なおも言葉を続けたベルフラムの言葉に、大分傷付く九郎。風呂を沸かす都合上、どうしても裸の時間が長くなる。だから仕方が無いとも言えるのだが、理由を知らないレイアにとっては「どこの変質者だ?」としか受け取り様が無い気がする。
「大丈夫です! これくらいの羞恥に耐えるくらい何でもありません! そうですっ! アノヨウナモノ……、長瓜カ何カダト……思エバ……」
しかし驚いた事にレイアはそれでもこの場を出ていかない選択を選んでいた。
カタカタと首を回してレイアは九郎の股間を睨みつける。
真っ赤な顔して見つめられると、九郎はなんだか新たな自分に気付きそうになってしまう。
「本当に大丈夫なのかしら……でも今はその言葉を信じるわ! クラヴィス! デンテ! お風呂に入ってから昼にするわよ」
「はい! ベルフラム様!!」「はいでしゅ!!」
見つめ合いながら(視線は互いに食い違っているが)硬直してしまった、二人の大人に肩を竦め、ベルフラムは話を纏める。
ベルフラムの元気な号令に、姉妹の元気な返事が呼応していた。
☠ ☠ ☠
「ほら、クロウ! 早くっ!」
「おい、ベル!? 籠奪ってくんじゃねえ!」
「何よ? クロウ……まだ脱ぐ物があるの?」
「ななななな、無いっつーの!」
ベルフラムが硬直していた九郎の手を引っ張りながら、浴室の中へと消えていく。クラヴィスとデンテが嬉しそうにその後に続いた。
「ベルフラム様っ!!」
レイアが慌ててその後を追いまたしても固まる。
「……んっ! ……何……?」
ベルフラムがキョトンとした顔で、ドレスを脱ぎながら首を傾げる。
「クロウしゃまお願いしましゅ」
「はいよ、ってまだ紐がほどけてねえよっ! くあ~紐が多いッ!」
ベルフラムの傍で九郎がデンテの服を脱がしている。
幼女の前にしゃがみ込み、その胸元に手を伸ばしているその男は全裸である。
「クロウ様、私もお願いします」
全裸で幼女を
「ちょっと待ってくれよー。おーし、脱げた。デンテまだ入んなよっ! 冷たいからなあっ!!」
「はいでしゅ!」
デンテの服を脱がし終わった九郎は、その尻をペイッと叩くと今度はクラヴィスの腰ひもを
「クロウ、私がやってあげるからあなたは湯を沸かしてくれない?」
だと言うのに、一糸まとわぬ姿のベルフラムが、九郎に近付き声を掛ける。
ベルフラムは見られてはいけない部分(そもそもベルフラムは貴族であり、肌を晒す事自体がタブーとされているのだが)を隠そうともせず、慣れた様子でクラヴィスを脱がしにかかる。
「んじゃ、ベル頼んだ」
九郎は少女のあられもない姿に何の関心も示さず、ベルフラムの頭をポンと叩くと、水の溜められている中央へと歩いて行き――、
「んほおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
変態が溢す類の奇声を上げていた。
一瞬にして浴室に蒸気が溢れかえる。抜けた天井に吸い込まれるように昇って行く水の煙。
薄っすらとした湯気が立ち込める中、クラヴィスを脱がし終えたベルフラムがまた九郎の傍へと近付いて行く。
「あの………ベルフラム……さま?」
レイアが固まった姿勢のまま、なんとか声を絞り出す。
今の一連の光景を見ても、九郎は屋敷のメイド達が噂していた通りの人物だ。
感情を表に出さないようだが、やっていることは性犯罪者と同じである。
そもそも男性が女性の服を脱がすなど、
はやく主人を少女趣味の変態の魔の手からお救いしなければ――レイアが自らの使命に意気込んだその時、
「ああ、レイアも入りたいわよね。先に入っているから、服を脱いでいらっしゃい」
ベルフラムが笑顔で振り向き、レイアに言った。
その笑顔は大切な物を自慢するような、晴れやかな笑顔だった。
「……はい?」
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