第042話  誰が為の騎士


「だから……私達は……私達の天国いばしょを―――――諦めません!!」


 そのセリフを聞いてベルフラムは頭の中で何かがカチリと嵌った気がした。

 ベルフラム自身も考えていた。何故、このクラヴィスとデンテを家臣としたのかを……。

 もちろん、九郎がこの姉妹を見て、苦しそうな顔をしていたのを助けるためではあった。

 だが、それなら屋敷に連れ帰って面倒を見てやるだけでよかった筈だ。

 何故、あの時ベルフラムは自分の名前――しかもベルフラムと言う自身の名前だけで家臣とすると宣言したのか。


 ベルフラムは九郎と同じく、この少女たちにも自分を重ねていた。

 運命に抗い、自身で活路を見出そうと必死でもがいている姿に、自分の待ち受ける運命に抗い続けたベルフラム自身を。

 大人の男に蹴られ、怒鳴られても一縷の望みに掛け、ベルフラム達に声を掛けてきたその姿を。

 そして姉妹が何故頑なにベルフラムを諦めようとしないのかも理解する。

 ベルフラムが暗い海に浮かぶ九郎と言う木板を手放せないように、彼女らもベルフラムと言う、暗闇の海の中で見つけた木板を手放せないのだと。


(――どうやら私は諦めの悪い人が好きみたいね……)


 静かに形作られて心の中にストンと落ちて行った結論に、ベルフラムの心は決まる。ベルフラムは静かに腰帯から小さな杖を取り出すと意識を集中させる。


「姫様には今一度貴族と言うものを知っていただく必要が有りますな……」


 クラインの目が二人の少女の命を刈り取るかのように薄く殺気立つ。

 二人の少女は運命に抗うように抵抗の意思を見せる。その瞳に追い詰められた鼠の光では無く、獲物を狩る野獣の目でも無く……。


「獣風情と言った言葉は否定しましょう。獣は自らに勝るものに牙は向けない……貴様らは……獣以下だっ!!」


 クラインの殺気が膨れ上がったその時――。

 ベルフラムは別れの言葉を唱える。


「――『深淵なる赤』、ミラの眷属にして鋼を溶かす原始の炎よ、舞い踊れ!

   『アブレイズ・フラム・ムルト』!!」


 ベルフラムの澄んだ声が響き渡っていた。

 諍いの声はしんと静まり、数秒の時が流れる。


「―――!! 姫様……?! 何を……!?」


 静寂を破ったのはクラインの戸惑いの声。

 クラインの手に持つ剣は半分の長さになっていた。

 クラインの周囲には赤く輝く炎の剣が何本も浮かんでいた。

 十字に似た意匠もなにも施されていない、簡素な剣。されど赤々と輝く無数の炎の剣が、クラインだけではなく……屋敷の従者やメイド、レイアの周囲を取り囲んでいた。


「え?」


 クラインの後方、クラヴィス達が敵意を露わにしたことで、遅れて剣を抜いた従者の一人が、驚きの声を溢す。

 従者が剣を抜いた瞬間、その剣と打ち合う様に炎の剣が通り過ぎ、従者の剣を溶断していた。


 ベルフラムは小さな杖をクラインに向ける。

 そして呆気に取られた様な二人の少女の前に出る。


「自分の運命を切り開こうと戦うものを獣以下と呼ぶのなら、私は獣以下でいい……」


 そう言い放ったベルフラムの周囲には、肉眼でも見えるほどの膨大な魔力の渦が炎の形となって渦巻いていた。魔力の奔流はベルフラムの赤い髪を巻き上げ、ベルフラム自身も一つの炎の見えるくらいに激しく、しかし彼女自身の目は驚くほど穏やかに澄んでいた。


 その場全ての人間が動けなくなっている場に、ベルフラムは静かにクラインの前へと歩を進める。そして宣言する。


「クライン……私はレミウスの名を捨てるわ。アプサルティオーネの名もよ。私は今からベルフラム・ディオーム……。お父様には……あなたの主にはそう伝えて頂戴」


 ベルフラムはすっきりした表情でクラインにそう告げると、後ろで呆然としていた二人の少女を抱きしめる。

 少女たちは展開に付いていけない様子で困惑していたが、やがて戦いの決着を悟り立ち上がってベルフラムに抱きつく。


「姫様は……領主の娘と言う、誰もが羨む地位と名誉をお捨てになるおつもりか……」


 依然炎の剣に取り囲まれ身動き出来ないまま、クラインが絞り出すような声を出す。


「豪奢な牢に閉じ込められた囚人が、牢番にかしずかれて何になるの?」


 まるで話にならないとベルフラムはクラインに瞳を向ける。


「姫様! お爺様もお父様も、レミウス家の為に騎士となったのですよ? それを牢番などと! 私も姫様をお守りする為に騎士の道を志したのです! 今一度考え直してはくれませんか?」


 レイアが、血を吐くような声でベルフラムに訴えかける。

 しかし、ベルフラムはその言葉に意表を突かれた様な表情し、そして静かにレイアに向き直る。


「レイア……、あなたは面白い事を言うのね? あなたはいったい何から私を・・・・・守ってくれる・・・・・・と言うの? 凍える冬の風の寒さから? 虚脱に身をさいなむ飢えから? 寂しさに泣きたくなるような孤独から? 望まぬ私の未来から? それとも――私の望む幸せから・・・・・・・・?」


 そう言いやるとベルフラムは二人を交互に見つめ強い意志を込めて尋ねる。


「あなた達はいったい誰の臣下で誰を守っていたの? レミウス家を守っているのなら屋敷を守っていれば良いじゃない! 私は必要無いわ! クライン! あなたの剣先は誰に向いていたの? 自身は私の家臣と言い張るのに、私を守ろうとする者に剣を向けるのが貴方の騎士としての仕事なの?」


 ベルフラムの問いに、クラインの眉が下がる。

 続けてベルフラムは周囲に目を向け、寂しそうに言葉を吐き捨てる。


貴方たちは・・・・・一度でも私の名前・・・・・・・・を呼んでくれた事・・・・・・・・があるの・・・・?」


 自分が主としていただいた少女が何を望み、何に絶望していたのかを知り、レイアは膝から崩れ落ちた。

 もう既にベルフラムの炎の剣は存在していない。

 なのに一歩も動けぬまま苦渋の顔をしているクラインに、ベルフラムは近づくと、静かに告げる。


「もし私を無理やり屋敷に戻そうとするのなら……焼け出される覚悟をしなさい」


 無理やり連れ戻したら屋敷を焼く――と暗に告げ、それからクラインの耳元でそっと耳打ちする。


「それと、クライン? もし、クロウやこの子達に危害が及ぶようなら……あなたは私の首だけ持ってお父様の前に立つ事に成るわ」


 もしクラインが、レミウス家の為にと九郎やクラヴィス達を傷つける事があったなら、ベルフラムは自身の命を絶つと告げる。

 主の、年端もいかない少女の壮絶な覚悟を告げられ、クラインの手から細剣エストックがポトリと落ちる。

 クラインは落ちた剣を拾おうともせず、夢遊病者のような足取りで屋敷に背を向け去っていく。

 その様子に他の従者も頭を項垂れ、来た道を戻るようにと背を向けていく。

 ベルフラムは、ようやく張りつめていた緊張の糸を切ったように弛緩すると、屋敷に戻ろうと背を向ける。


「待ってください…………!!」


 全ての人が居なくなろうとしていた屋敷の前で、一人崩れ落ちていたレイアが涙交じりの大声をあげた。


「姫様! いえ、ベルフラム様! もう一度! もう一度だけ私にチャンスをください!」


 レイアが顔を涙で濡らしながら、ベルフラムに懇願する。

 土の上に跪き、神に祈るようにベルフラムを見詰めながら。


「確かに、私たちは間違いました! 守るべき人に剣を向け、守るべき人に敵意を抱かせる愚を犯しました! でも……最後にもう一度だけ私に挽回の機会を……」


 ――どうか――再び祈る様な格好で地べたに伏し懇願するレイアの姿に、ベルフラムも困惑した様子で答える。


「レイア……私はもうレミウスの名もアプサルティオーネの名も捨てたのよ? あなたは平民の騎士になるつもりなの?」


 騎士を志したのなら、地位や名声……先程クラインが言ったものを求めて志したはずだとベルフラムは諭すようにレイアに告げる。

 平民には騎士に与える名誉も、地位も存在しないのだ。


「地位も名誉もいりません……私は本当にあなたの騎士となる為に剣を握ったんです! レミウス家でも無く、王国アプサルでも無く、あなたの盾となる為に剣を志したんです! お願いします! 雑用でも何でもします! 傍に置いて下さい……」


 地位も名誉も求めず何をおいて騎士になるのかと、ベルフラムはさらに困惑する。


「レイア……言ってはなんだけど、あなたは今年から屋敷に勤めてたはずよ? なのに何故そんなに私にこだわるのよ?」


 レイアは今年……さらに言えば2週間ほど前にベルフラムの屋敷に来たばかりだった。

 ベルフラムが行方不明になって、生存の望みを絶たれた頃、屋敷では多くの人間に暇を出したと言う。しかし、奇跡的にもベルフラムは生還し、急遽人員の補充の為に屋敷にやって来た筈だ……。実際、屋敷で顔を合わせたのも2、3回くらいしか無い。

 そこまで自分にこだわる意図が分からず、ベルフラムはさらに困惑の色を強くする。

 レイアはベルフラムの質問に、地面に伏したままポツリポツリと語り始める。


「……私が剣を志したのは7つの時です……。……私はベルフラム様のお母様、ノクティス・ディオーム・アプサルティオーネ様の言葉であなたの騎士になると自分に誓ったのです……」


 レイアが7つの時という事は10年も前、ベルフラムがまだ1歳の頃である。レイアの話が本当なら、レイアはその頃からベルフラムの騎士となる為だけに剣の鍛錬をしてきた事になる。


(レイアがもう少し早く私と出会っていたら……私は家を捨てなかったのかしら……)


 母に何を言われたのかは分からないが、10年もその思いを持ち続けていたのなら、自分の人生は違っていたのだろうかと、そんな考えが頭を過る。


 しかしベルフラムはもう家を捨てたのだ。レイアが誓った母ももういない。

 もう、自分に傅かれる価値など無い。ベルフラムは命を懸けても守るべき者達もいる。ベルフラムの両脇に支えるように寄り添う二人の姉妹を見ながらベルフラムは優しく微笑む。

 やはりもう何もかも遅かったのね……とベルフラムは気持ちを切り替え、レイアを再び諭す方法を考える。


 騎士を志したきっかけがベルフラムにあったとしても、その思いに応える術はもうベルフラムには無いのだから………。

 それに――どう考えてもレイアにここでの生活は出来そうにない。

 穴の中で一月以上彷徨い、蛇はおろかミミズや、虫まで食べてきたベルフラムや九郎、もともと浮浪児としてなんとかその命を繋いできたクラヴィスやデンテ。

 それに比べて、由緒ある騎士爵の家でなに不自由なく育ってきたレイアが適応できるのかと言われると、甚だ疑問だ。


(私にはもう仕える価値など無いと分かれば納得してくれるのかしら?)


 ベルフラムは泥と涙で汚れたレイアの顔を再びじっと見つめると、諦めたように肩を竦める。


「レイア、先程あなたに言った言葉は私の本心だけど、それでもあなたに耐えられるとは思えないわ……。それでも私の傍に居たいと思ってくれるなら暫く一緒に暮らしてもいいわ……」


 その言葉を聞くや、レイアの表情が花が咲いたように明るく綻ぶ。

 僅かな罪悪感を覚えつつ、ベルフラムはさらに続ける。


「でも暫くの間、あなたは私たちに意見することは禁止するわ。もし耐えられなくなったらいつでも言ってちょうだい。家を捨てた身ではあるけれど、あなたが仕えるに足る貴族を紹介するくらいは、出来るのだから……」

「絶対ありえません! ……ベルフラム様の……傍に……置いて頂けるだけで……結構です。私が……仕える主はあなただけなんです………!」


 涙を袖で拭いながらも、レイアはしゃくりあげるながらそう言った。

 ベルフラムは、2階で陰干ししている鼠をふと思い出していた。

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