第050話 月明かりの下で
「クロウ……私の事嫌いになっちゃったよね……」
これまでの顛末を全て語り終えたベルフラムは、俯きながら呟いた。
冬の澄んだ空が宝石を撒いた様に輝いている。
バムルが帰った夜、ベルフラムはこれまでの思惑を、全て九郎に打ち明けていた。
九郎を最初『来訪者』と考えて連れ出したこと。
許嫁を決められない為に九郎を利用しようとしていた事。
結局九郎がいない時に家名を捨てる事に成った
それでもあの時自分の体を差し出したことは本心だった事。
纏まりなく話し続けるベルフラムの話を九郎は静かに聞いていた。
屋敷の屋根の崩れた部屋に、九郎とベルフラムだけが座っていた。
レイアが心配そうにしていたが、ベルフラムが二人だけにするようきつく言い含めると、しぶしぶ彼女も外へ出た。
「んで、ベルはどうしたいんだ?」
「……私は……知らない人と結婚したくない……。どこの誰とも知らない人と結婚してずっと後宮に閉じ込められて…牢獄みたいな所で終わりたく無い……」
ベルフラムの家の事情がどうなっているかも聞いた九郎は難しい顔をする。
いくら何でも年端も行かない少女を政治の道具として扱うのは、耳良い言葉とは言えなかった。
例え親だとしても、この世界がそう言う風にできていたとしても、本音の部分で憤慨していた。
今九郎がいる世界は常識自体が違っている世界。
それを十分に考慮しても、本人が嫌がっているのに無理やり結婚させるのは、身売りや人買と同じに思えた。
何もこの世界だけの事では無い。多分九郎が知らないだけで、そう言う理由で結婚を決める家は日本にも存在しているのかも知れない。自分が憤っても何もならない。
そんな事は分かってはいたが、この世界に来てからずっと傍にいてくれた少女の願いは、できるだけ汲んでやりたい。
「クロウと出会って……クラヴィスやデンテ、レイア達と暮らして……初めて生きてて楽しいって思ったの。働くのも……料理作るのも……大変だけど……でも! いつも楽しいの! 私あの時に死んじゃわなくて良かったって本当に思ったの……」
ベルフラムがこの廃屋に来てから本当に楽しそうだったのは、九郎も知っている。
些細な事に笑い、取り留めない事に驚き、様々な物に感動していた彼女は、まるで初めて世界を目にしたようだった。
「クロウは怒るわよね……。いっぱいいっぱい頑張って私を助けてくれたのに……私に利用されてたみたいだもんね……。クロウには『
ベルフラムは自分の言葉で次第に嗚咽を漏らす。
強がるように指で涙を拭いながらも、涙が止まらない様子にさらに困惑しているかのようだった。
「でも……本当に楽しかったの。何食べても美味しく感じたし、いつも安心して寝る事が出来たし、朝起きてクロウが横に居て……おはようって言ってくれるだけで……幸せだったわ!」
ベルフラムは涙で濡れる瞳をグイと乱暴に拭い、精一杯の強がりの笑顔を九郎に向けた。
「わたし……クロウと離れたくない……」
その強がりの笑顔は瞬時に曇り、泣き顔に変わる。
利用していたと事を明かした時点で、九郎がここから離れていくと思っている様子だった。
「そぉかぁ……」
しゃくり上げながら言ったベルフラムの言葉に、九郎はベルフラムの頭に手を置きながら答える。
そのまま手で赤い髪をクシャクシャに掻きまわし、何でも無いような顔でニカッと笑う。
「じゃ、このままでいいか?」
殆んど考える間もなく、返ってきた彼女の望んだ答えに、ベルフラム自身が耳を疑うかのような表情を浮かべた。
「怒って……ないの?」
「何を?」
恐る恐る尋ねてくるベルフラムに、九朗はからかうように聞き返す。
『英雄』に成らなければ、と思っていた九郎だが、自分の『
なら、今焦って戦場やドラゴン討伐とかに繰り出しても、死にはしないだろうが、だからと言って勝つ事も出来ないだろう。
第一焦っても九郎の『
人の恋愛感情に触れなければならない類の『
(だいたい竜を倒すったって、誰も見てねえ所で何がどうやれば『英雄』になれんだよ?)
ずっとこの場所に留まる積りは九郎にも無かったが、泣いている少女を置いて旅に出るほどの理由は無い。
ベルフラムが何かの思惑があって九朗と行動を共にしていたとしても、流されるままに過ごして来た九朗に文句など有りはしなかった。
「ベルみてえな可愛い女の子のお願い事は、聞いてやんのがカッコいい大人の男ってやつだぜ? まあ、親とかにはちゃんと話合っとけって思わなくも無いけどよ?」
そう答えながら九朗は、どの口が言うのかと自嘲する。
大学まで行かせた息子を交通事故で亡くした両親がふと頭の角を過っていた。
日本で九朗がどんな結果になったかは、詳しくは分からないが、白い部屋での自分の姿から、多くの部位が日本の事故現場に残っていたただろうと考えられる。
集めてみればかなり少なくはなっていたかも知れないが、死亡判定の妨げには成らないだろう。
残された兄に全ての期待を背負わす事に罪悪感を覚えつつも、九朗はこの世界で生きて行くことを自らの意思で選んだ。
ベルフラムが九朗の『
どのみち自分は『フロウフシ』だ。急ぐ理由が無いことに気付いた九朗は、焦る必要性も感じなくなっていた。
九郎の答えを聞いてベルフラムはホッとした表情で胸を撫で下ろし「くちゅん」と小さなくしゃみをする。風の吹きこむ部屋に居た所為か、体が冷えてきたようだ。
「湯冷めしちまったみてえだし、もう一回風呂でも沸かすか……」
九郎はベルフラムの頭に手を置きながら崩れた屋根から空を見上げた。
寒さにも暑さにも慣れやすい九郎が気付かくても、その口から零れる吐息は、蒼い月照らされた部屋に白い影を作っていた。
☠ ☠ ☠
蒼く輝く水面を見ながら九郎は大きく息を吸う。
冬の寒さの中、浴槽の水は今にも凍りつきそうなほどピンと張りつめた物を感じる。
今日の月明かりと星空のおかげで、風呂場にはベルフラムの『灯り』の魔法が無くても足場に不安は無い。
だが、魔法のオレンジ色の暖かな色と違い、月の青い光の中では水面は一層冷たそうに見えて九郎は今一度気合を入れ直す。
「……うし……」
「ちょっと待って、クロウ」
覚悟を決める言葉を発した九郎の後ろで、ベルフラムが水を差してきた。
ベルフラムは肌着姿で短い杖を持って九郎の横に立つと、目を閉じて何やら集中した様子でぶつぶつと呪文を唱え始める。
「――『深淵なる赤』、ミラの眷属にして鋼を溶かす原始の炎よ、舞い踊れ!
『アブレイズ・フラム』!!」
九郎が見守る中、ベルフラムの周りから、赤い炎が揺らめき渦となって集まり、続く声と共に浴槽の中心に赤く煌めく炎の剣が出現した。
煌々と輝く十字架にも見える赤い剣。
それはベルフラムの手の動きに合わせるようにゆっくりと水面へと沈んで行く。
「うぉっ!? マジかっ!?」
九郎が息を飲む中、剣の水に触れた場所から、ブクブクと泡が立ち、湯気が辺りに立ち込めていた。
剣が完全に水面下に沈む頃には、浴槽の水に仄かな温かさを感じる。
「魔法で湯を沸かすのは無理だったんじゃねえの?」
肌を刺す冷気が和らいだ事に、九郎は驚きの様子でベルフラムを見る。
ベルフラムはその様子に微妙な顔をしながら肌着を脱ぎ始めていた。
「………クロウがいっつも冷たそうに水に入ってたから何とか出来ないかと考えてたのよ……。でも私の魔力じゃ一日に1回お風呂を沸かす程度しか出来ないのよね……。で、でも! 温めの水にするくらいなら4回出来そうだし、クロウも多少は楽になるかなって……どう?」
ベルフラムにとってこの状況は納得のいく出来では無かったらしい。
浴槽に足を浸けて微妙な顔をしながらベルフラムは眉間に皺を寄せていた。
ベルフラムが九郎の負担を少しでも軽くする為に開発していた魔法は、クラインを追い払う為の武器となったが、浴槽一杯の水を温めるのにはそれでも熱量が足らなかったようだ。
炎の剣の数を増やせば一度くらいは湯を作ることが出来そうだが、それでは直ぐに魔力切れを起こしてしまうとベルフラムは溜息を吐き出す。
「いや、充分だ!」
そんなベルフラムの頭をポンと叩いて、九郎は歯を覗かせた。
『慣れる』力、『ヘンシツシャ』を持つ九郎にとって、冬場の水もお湯も違いは無い。
浸かってしまえばどちらも変わらず温度に不快を感じる事も無い。
その『慣れる』までの一瞬に毎度ビビっていただけだったので、その躊躇を取り除いてくれただけで九郎にしてみれば充分だった。
九郎は仄かに温い浴槽に飛び込むと体を炎に『変質』させる。
幾らもしない内に浴槽が暖かな湯気を立ち昇らせる。
自分の使える魔法の中で最強の熱量を誇る『アブレイズ・フラム』の魔法よりも遥かに多い熱量を目のあたりにして、ベルフラムは少し悔しそうな表情をしながら、冷えた体を慣らすようにゆっくりと足から浴槽に体を浸した。
ベルフラムはそのまま九郎の肩にもたれかかるように体を預けると、後ろ越しに九郎を見上げる。
「私だって少しはクロウの役に立ちたかったのよ……」
九郎がベルフラムを見ると、見上げていた視線を
自分を騙して利用しようとしていたと告白したベルフラムが、自分の為に陰で努力していた事に苦笑しながら、九郎はベルフラムの頭を撫でる。
ベルフラムは九郎の手のひらを称賛の言葉と受け取り、少しだけ嬉しそうにしていた。
「しっかし、魔法ってのはすげえもんだな……。俺も使えたりしねえかなぁ……」
「そうよね、『来訪者』の多くは強大な魔力を持っているって言われてるもの。クロウだって直ぐに私の魔法なんて追い越してっちゃうのかなぁ……」
九郎が先程の炎の剣を思いだし手のひらを見つめる。
自分の能力のショボサを分かっているつもりの九郎も、弱いままでずっと過ごして行くつもりはさらさら無い。
期限が決められていないとはいえ、このアクゼリートの世界ではやはり「強い者がモテる」最重要項だと言う事は街娘やレイアから聞いている。
ベルフラム達と暮らしながらも、何度か買い物の折にナンパにもチャレンジしてみたがこの世界の人間に比べ筋肉の付き方が貧弱――日本でなら十分にある方だったが――な九郎の風体に街娘たちの反応は今一つだ。
最近少しだけ打ち解けてきたレイアと剣の稽古もつけてもらっていたが、アクゼリートの世界の人々、特に戦闘訓練をしている者と九郎とでは速さ自体が違っていた。
まさか少女のレイアにすら着いていけない自分のトロさに、九郎は現在少し落ち込んでいる。
『魔力』……今し方ベルフラムが言った言葉を反芻しながら、九郎は見詰めた掌に力を込めてみる。
レイアが言うには、アクゼリートの世界の多くの者達は『魔力』を使って力を補強し戦うのだそうだ。
その『魔力』と言うものにとんと聞き覚えの無い九郎には良く分からない感覚で、自分の手のひらを見つめながら手を開いたり閉じたりしている九郎に、ベルフラムが自身のアイデンティティを奪われるのを心配したかのような顔を浮かべる。
「魔力ねえ……レイアにも言われたんだが俺にゃあその『魔力』って力の感覚が分かんねえんだよなぁ……」
「『魔力』自体は誰でも持っているモノなんだけれどね? クロウはその使い方が分かんないって事よね? 神様達と直接会ってる九郎は素養は充分だろうし……」
「ソヨウ?」
ベルフラムが右手の人差し指から小さな炎を揺らめかせながら首を傾げる。
聞く所に因ると、魔力があっても魔法が使えるかどうかは、また別の問題らしい。
「つか、その『魔力』の多い少ないってのも良く分かんねえんだよなぁ……」
一度に常識外の事を次々教えられても、訳が分からなくなってしまう。
魔法のなんたるかを語り始めたベルフラムの声を遠くに、九郎は月を見上げて愚痴を吐く。
「じゃ、じゃあ一度クロウの魔力量を測って見る?」
九郎があまり話を聞いていない事に眉を寄せたベルフラムは、何か一人気合を入れる素振りをした後、そう問うてきた。
「多分ショボイ気がすっけど……いっちょ頼むわ」
これまでの自分の辿って来た戦果を見るに、あまり期待は持てなかったが、九郎はその提案に頷く。
強くなるにも自分の立ち位置を知らなければ始まらない。
今迄もショボイ力でなんとかやって来たのだから、多少であっても戦力の増強になればと淡い期待を見た形だ。
ベルフラムは九郎の言葉に少し躊躇う素振りを見せた後、体勢を変えた。
「お、おいっ?!?」
一瞬九郎は狼狽える。
別に何も思わなくても、ベルフラムの取った行動に思わず声が出ていた。
「集中するんだからちょっと静かにしててよ」
一瞬でも狼狽えてしまった自分に渋面する九郎に、ベルフラムの強めの注意が飛んでくる。
(いや、まあ……別にお子様に乗っかられても何も思わねえけどよぉ? 傍から見たら即お縄じゃね? ってそれも一緒に風呂に入ってる時点で同じか……)
九郎は灯りの無い浴室で星空を見上げる。
先程まで九郎の太腿に腰を下ろしていたベルフラムは、今は向き合う形で九郎に跨っている。
別にどんな体制であろうとも、ベルフラムは子供であり、たんなる入浴の付き添いだ。
ただこの世界に於いて(現在の地球に於いてもだが)、少女が男に跨る姿に何を思われるかの想像くらい九郎にもつく。
今更との思いと、今からでも言っておくべきだとの思いが九郎の中で廻っていた。
(つっても俺ボイラーなんだよなぁ……『風呂屋』を続ける限り、どの道俺の立場は変わんねえ……)
ベルフラムは鼓動を音を確かめるかのように目を瞑って九郎の胸に耳を充てている。
星と月の青い光に照らされ、濡れた赤く艶やかな髪が九郎の胸元に圧し掛かるように押し付けられていた。
しばらくの間静かに瞑想していたベルフラムだったが、5分程時間が経つ頃「あれ? あれ?」と戸惑った声を小さく漏らし始める。
九郎がどうしたのかと尋ねる前に、ベルフラムは焦った様子で九郎の背中に手を回した。
ギュッと目を瞑り、九郎の胸元に額を押し付けるベルフラム。
その尋常でない様子に、九郎の中にも不安が生まれる。
「ど、どうだった? 俺の魔力量は……? その感じからするとあんまり期待できそうもねえのは分かっちまったが……」
かなり険しい表情のままベルフラムが顔をあげ、即座に、それでいて恐る恐る九郎はベルフラムに尋ねる。
九郎が固唾を飲んで見守る中、ベルフラムは九郎を見上げ、戸惑いがちに口を開いた。
「無いの……」
「んん? ナイン? なんで英語? ってか9って多いのか少ねえのか」
ベルフラムの言葉に九郎は引きつった声を上げた。
残酷なセリフが聞えた気もするが、聞き間違いだと解釈した。
しかしそんな、淡い期待をさらに下方修正した筈の九郎の言葉に首を振る。
「ゼロなの……」
「んんん?」
否定して欲しかった言葉は否定されず、彼女の口からは再度同じ意味の言葉が告げられていた。
予想していたよりも遥かに惨い状況に、九郎は口をへの字に結ぶ。
しかし元から期待はすまいと思っていただけに、そこまでショックは感じていない。
「そぉかぁ……まあしゃーねーしゃーねー。切り替えて行こうっ! ウェーイ」
九郎の空元気は青い夜空に吸い込まれていく。
「なんでそんな冷静なのよっ!!」
九郎の空元気に一拍置いてベルフラムの声が響く。
それは落胆と言うよりも悲壮とも言える響きを含んでいた。
「この世界の……人はもちろん、異なる世界から来た『来訪者』も、動物も、虫も石も風だって持っている『魔力』がクロウからは感じられないのよ?!」
この世界に存在するものならどんなものでも持っている『魔力』。
元々『魔力』の無い世界で育った九郎にしてみれば、『これまで無かった原理で魔法を使って俺Tueee』への道が断たれた程度の感覚で、もとから使えなかった力が都合よく自分に発現する程世の中うまく行くもんでも無い……とそこまで深くは考えていなかった。
力だけなら、この世界の人間とも渡り歩いて行けるくらい得ている。
見た目が変わらない為、その魅力を伝えるのには苦労しそうではあるが、基本ポジティブな性格なので、深く悩んだりはしない。
しかしベルフラムは未だ不安げに九郎の胸に顔を寄せ、鼓動を何度も確かめていた。
「クロウはちゃんと生きてるわよね? こんなに温かだもの……」
この世界の誰もが持つ力を九郎が持っていない事に、何の不安があるのか九郎はピンと来ていない。
不思議そうな表情で九郎は胸に耳を寄せるベルフラムを眺め、言葉を反芻する。
(ちゃんと生きてる?―――か……)
アクゼリートの世界に於いて、魔力とはすなわち神に存在を認められた力であり、生者が須らく持つものだとの知識が九郎には無かった。
『不死』である九郎は文字通り『死ぬ』ことが無い。
だが日本の自分は既に死んだ事になっているだろうし、こちらの世界に来てからも何度も死ぬような目には遭って来た。
『生きる』という状態が『死んでいない』という状態なら間違いなく自分は『生きている』と言えるだろう。だが九郎の頭の中ではどうしても『不死』の意味がアンデッド――すなわち既に『死んでいる』モンスターと重なってしまって妙な気分に陥ってしまう。
そこに有るものの形を確かめるように九郎の腕を抱きしめながら「やっぱり温かい……」と呟くベルフラムの声が九郎の耳に長く残っていた。
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