第039話 貧民達
「このようなご恩を頂きますして、旦那様とベルフラム様に沢山感謝するです……」「……です」
風呂から上がって呆けていた姉妹達は、思い出したように、九郎とベルフラムに深々と頭を床につけるように礼を言った。
言い慣れてないのか、所々敬語がおかしいが、精一杯感謝しているのは伝わってくる。
今はベルフラムの肌着を着せられて、体からほかほかと湯気を立ち昇らせている。
浮浪児の獣人姉妹は姉の方がクラヴィス、妹の方がデンテと名乗った。歳はクラヴィスが8歳、デンテが6歳らしい。
姉のクラヴィスは茶色の長い髪に茶色の瞳、ベルフラムとそう変わらない背丈の少女で、髪の毛に隠れていた垂れた犬の様な耳がピクピク動いていた。
妹のデンテは焦げ茶のショートの髪に焦げ茶の瞳、姉より頭一つ分くらい背が低い。こちらも髪の毛の合間から同じく、犬耳が
二人とも、肌着の裾からそれ程長くない尻尾の様な物が不安げに股の間で丸まっていた。
「俺は旦那さまじゃねえよっ。クロウって呼んでくれ」
「クロウさま……」「クロウしゃま……」
獣人姉妹の言葉に九郎が訂正をうながす。
デンテの方は少し舌足らずなしゃべり方だ。
ベルフラムの方は、『姫様』と呼ばれないのが嬉しいのか、ニヤニヤとした笑みを浮かべていた。
「あなた達の主人は私よ。明日からしっかり働いてもらうから! しっかり勤めなさい」
ニヤニヤ笑っていた所を九郎にニヤニヤ見つめられ、ベルフラムは少し澄ました調子で姉妹に告げる。
「分かりましたです。ベルフラム様」「ベルフラムしゃま……」
返ってきた返事に、ベルフラムは満足気に頷くと、ベッドに潜り込み就寝の体勢に入る。体が暖かい内に寝てしまおうと言う腹積りらしい。
「クロウ、早く来なさいよ」
ベルフラムがベッドを叩きながら催促してくる。
「俺を湯たんぽか何かと思ってんじゃねえだろうな……」
湯たんぽももしかしたら売れるんじゃねえか?――と考えながら、九郎は部屋の隅で体を寄せ合い眠ろうとしていた獣人姉妹を抱き上げ、ベッドに運ぶ。
いきなり担ぎ上げられた獣人姉妹はおろおろとした様子で目を泳がせていた。
「問題ねえよな?」
「あたりまえじゃない。何の為に体を洗ったと思ってるの? 人は多い方が温かいじゃない」
ベルフラムは孤独を募らせていただけに、人の温もりに飢えていたのかも知れない。当然とばかりにシーツを捲り上げて獣人姉妹を手招く少女に、九郎はそんな感想を思い浮かべる。
ベッドは4人が寝てもまだ余る様な広さだ。
大きなベッドで体を寄せ合うように暖を取りながら、少女たちは早々と眠りにつく。
左にベルフラム、右に獣人姉妹と両脇を子供たちに占領された九郎は、自分を俯瞰して父親にでもなったような、何とも言えない気分になった。
☠ ☠ ☠
翌朝、昨日買ったパンの残りで軽い朝食を取り、ベルフラムが早速大声を張り上げていた。
「じゃあ、明日から『風呂屋』をやる為にも、今日こそ屋敷の掃除をするわよ! デンテと私でこの寝室の掃除! クロウとクラヴィスはホールとお風呂を綺麗にしてちょうだい。午後にはデンテ達の服も買わなきゃいけないんだから、さっさとすませちゃうわよ」
「分かりましたです。ベルフラムさま」「しゃま……」
口元と頭にぼろ布を巻き付け、ベルフラムは箒を持って仁王立ちしていた。
獣人姉妹はベルフラムの服を着せられ、ドレスの裾を擦らないように腰辺りまでたくし上げて縛っている。
少女のくせに身長に対して脚が長いベルフラムの服は獣人姉妹には少しサイズが合わなかったようだ。
ベルフラムの気合の入った格好に、九郎が頬を緩める。
貴族の姫君であるはずのベルフラムが、掃除の仕切りをしている事にも驚かされるが、メイド達の仕草でも真似ているのかその格好もなんだか微笑ましい。
「クロウっ! ニヤニヤ笑ってないで、あなたが一番力が強いんだから、ホールの瓦礫の片付けが終わったら、こっちを手伝ってちょうだいよ? 後、まだこの屋敷で鼠とか見てないけど、いたら捕まえる様に! 今晩の食事が少し豪華になるわよ!」
ベルフラムのセリフに獣人姉妹が驚いた様子で目を丸くしていた。
腹が減って無くてもとりあえず食えるものは確保しておこうとするベルフラムは、本当に逞しい。そして彼女の『食えるもの』の範囲は、驚くほど広くなってしまっている。
「鼠って美味しいんでしゅか?」
「食べてみないと分からないわ!」
そしてベルフラムの物怖じの無さは、ある意味呆れてしまう程だ。
デンテの質問に、あっけらかんと答えたベルフラムに、九郎は肩を震わせた。
一階のホールはあまり大きな瓦礫は散乱していなかったが、それでも木板や扉などが所々に散らばっていた。
九郎はそれらの大きな物を粗方外へと運び出すと、箒でホールを掃き始める。もうもうと埃がたち、視界が白く濁る。
九郎が掃いた後を、雑巾――これもカーテンの切れ端だが――を持ったクラヴィスが拭いて行く。
昨夜と今朝は食べ物を食べたからか、細い手足でもしっかりとした動きだ。四つん這いで雑巾がけしているクラヴィスの尻の付け根から尻尾が動きに合わせて左右に振れていた。
雪が積もったかのようだったホールを掃き終わると、赤い絨毯と、大理石の床が姿を現した。逆に九郎とクラヴィスは真っ白になっていたが……。
ホールが終わると次は浴室の掃除にとりかかる。
九郎が階段状になっている部屋の一番上から箒で掃いて行く。
ホールと同じように九郎の後にクラヴィスが雑巾でもって四つん這いでついてくる。
最下段まで掃き清め、水を抜き終わった九郎は、自分達の姿を思い浮かべて、どの道掃除が終わったらベルフラムが風呂に入りたいと言うだろうと、再び水を溜めはじめる。
「クロウ様……」
さてこの間に何をしようか――九郎が考えていると、恐る恐るといった感じでクラヴィスが近付いてきた。
「ん~?」
床を拭き終わったのか、所在無げに目を彷徨わせ、窺うように見上げてくるクラヴィスに九郎が緩んだ笑みを向ける。クラヴィスは不思議そうな顔をしていたが、一瞬緊張した面持ちを浮かべて質問して来た。
「クロウ様達はお金持ちでは無い様でありますですが、どうして私達を拾ってくれたんですか?」
ベルフラムはこの辺一帯の領主の娘であり、多分この辺りで一番の金持ちの娘である。ただ現在家との確執があり廃墟を根城としているだけだ。
九郎はこの世界では天涯孤独の身であり、お金持ちでは無いから現在この廃墟を根城としているだけである。
クラヴィスは自分達を同じような浮浪児として見ているようだった。
半分正解と言ったところだろうか。
彼女は鼠までも食料に見ている自分達が、どうして浮浪児の自分達の面倒を見ようとしているのかが分からないと言った様子だ。
本当の事を言って良いものか――と九郎は少し思案する。
現状金が無いのは本当の事だし、ベルフラムが家に帰ろうとしない限りは、この屋敷で生活が続く。
「それは……ベルがきっと優しいからだな……」
上手く説明出来そうに無かったので、九郎はありきたりな答えを口にする。
その答えに、クラヴィスは納得できたのか出来なかったのか――微妙な表情で首を少し傾けていた。
☠ ☠ ☠
「クロウ、遅いわよっ!」
浴槽に水を溜め終わり、九郎達が2階へと戻ると、ベルフラムの荒々しい歓迎の言葉が待ち受けていた。
襤褸布で作ったはたきを手に持ち、ガーと威嚇して来るベルフラムの後ろでは、デンテが小さな体で一生懸命に瓦礫を隅へと運んでいる。
寝室は、床や壁は綺麗になっており、瓦礫の山が部屋の隅に出来上がっていた。
「ベルが後で風呂入れるように水溜めてたんだよっ!」
「…………それなら……仕方ないわね」
九郎の言葉に、一瞬顔を輝かせたベルフラムは、決まりの悪そうな顔で許してくれた。
「後はこれを運ぶだけか? んならとっととやっちまうか……ん?」
九郎が瓦礫に近付くと、その途中に鼠の死骸が目に入る。
「それ、すごいでしょ? デンテが捕まえたのよ! 流石獣人なだけあってデンテは私より素早いわよ」
なぜかベルフラムが得意げに胸を張っていた。
「がんばりましゅた……」
デンテが恥ずかしそうにベルフラムのスカートの陰に隠れながら言う。
ベルフラムは肉が手に入ったのが嬉しいのかデンテを撫で繰り回している。
九郎の後ろで、クラヴィスが少し顔を引きつらせていた。
(たしかに金持ちにゃあまったく見えねえな……)
最初に思い浮かべた飯事じみた生活では無く、次に思い浮かべた秘密基地遊びでも無く、ベルフラムは完全に「生きる」事を目標としている。
彼女の頭には遊びの意識は全く無く、「こりゃ、結構長引きそうだな……」と九郎は苦笑を浮かべた。
☠ ☠ ☠
(服って幾らぐらいすんだろ……)
部屋の掃除を終え、一度風呂に入ってさっぱりした後は、買い物である。
ベルフラム達を伴い、街の通りを歩きながら九郎は貧乏人の恐怖に怯えていた。
厚手の布一枚で銀貨3枚もするのだ。服がどれほどの値段なのか考えるのも恐ろしい。手持ちの金で足りるとも思えず、九郎はポケットの中で黒犬の牙を手のひらからひねり出す。
現在、金は出て行くばかりで得る方法は少ない。
なんとか『風呂屋』が成功することを祈るしかない。
前を行くベルフラム達は、体から湯気を立ち昇らせて意気揚々と歩いている。
ベルフラムを先頭に、後を追いかける様にクラヴィスとデンテ。
なんとも、微笑ましい光景だ。
子供に心配を掛けないよう、――大人の甲斐性って奴を見せてやんよ――と九郎はポケットの牙を握りしめた。が――、
「あら……。ここに服屋があるわ」
九郎が先日の素材屋を探して通りを見回していると、ベルフラムが立ち止まる。
(まだ、金作ってねーから、ちょっとまってくれよっ!!!)
大人の甲斐性を見せるつもりの九郎は、焦りながら振り向くと、ベルフラムが扉を開けるのが目に飛び込んでくる。
「ちょっ……」
ちょっと待ってくれ――と言いかけた九郎の言葉は届かず、ベルフラム達は店の扉を開けて中に入っていってしまっていた。
仕方なく九郎は、――値段を聞いて後で金を作って買いに来よう……――と少し自分の甲斐性が目減りしたのを感じつつ後を追う。
「いらっしゃい……。おや…ずいぶん可愛らしいお客さんだねぇ……」
店に入ると店の奥から初老の老婆が顔を出した。
店の中には仕立ての良さそうな服が並んでいる。
「この二人にメイド用の服を見繕ってちょうだい。あと下着も2着づつ必要ね。スカートの後ろの腰の部分には少し穴をあけて頂戴」
ベルフラムが入るなり、老婆に姉妹を押しやる。
姉妹は緊張した面持ちで、ベルフラムの前へと進み出る。
老婆はおやおやと目を細めると、奥の方から子供用の服を見繕い、姉妹たちに合わせている。
ベルフラムの素早い行動に九郎は焦りながら、九郎は店に飾ってある服の一つの値札を確認し、
「―――――――――!!!」
一気に青ざめる。
飾ってあった服――仕立ての良さそうな青色のジャケットは、なんとゼロが3つ、2000グラハムもしていた。
この服一着で、昨日食べていたパンが2000枚買える計算である。姉妹達の服がこれ以上するのかは分からないが、到底今の手持ちで払える額では無い。
九郎は焦ってポケットの牙を数え始める。
ベルフラムは既にスカートに獣人姉妹の尻尾の為の穴を開けさせている最中だ。
今更、店を変える事は不可能だろう。
採寸を終えたのか、クラヴィスが可愛らしいメイド服を着せられて九郎の隣に寄ってきて、その値段をみるや、ベルフラムの方に駆け寄っていく。
クラヴィスもその値段に驚いたのだろう。
「ベルフラム様……こんな高いもの買ってもらう訳にはいきませんです! 私達はカーテンの残りの布で充分です! デンテっ、汚さないうちに早く脱ぎなさいっ!」
横で可愛らしいメイド服を着せられて、嬉しそうな顔をしていたデンテに焦りまくるクラヴィス。
姉の焦った表情に、デンテの顔が少し曇る。クラヴィスはパニックになりながら、服を脱ごうと上着を捲り上げている。
「ベル……俺は昨日の素材屋で金作って来るから、暫くこいつらを見といてくれ……」
九郎の心の中の大人の甲斐性が騒ぎ出す。
嬉しそうにしていた姉妹達から服を取り上げるなんてできる訳が無い。
九郎は使命を帯びた男の顔で、ベルフラムに耳打ちして清水の舞台から飛び降りる覚悟を決めた。
ところがそんな男の覚悟に水が差される。
「クロウ、昨日私は
ベルフラムは怒ったようにそう言うと、胸元から親指位の宝石が留まったネックレスを取り出す。
「幾らかしら?」
「しめて8000グラハムになります」
「そう? じゃあ、石だけで足りるわね」
あれよあれよと言う間に、会計が終わっていた。
ベルフラムはネックレスの中央に嵌っていた宝石を抜き取り、老婆に渡す。
老婆はそれを受け取ると、更に金袋を押し出して来る。
「ありがとうございました。またご贔屓ください」
老婆の丁寧なあいさつに見送られ、九郎と姉妹達はあっけに取られた様子で店の前で立ち尽くしていた。
「服も買ったし、少しお腹が空いたわね? 屋敷に帰って鼠でも食べる? それともその辺のお店で食べましょうか? お釣りをくれるなんて思ってなかったから2000グラハムも余っちゃったわ。美味しいもの食べましょう」
歩き出したベルフラムが嬉しそうに振り返り、九郎の手を握った。
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