第040話  そこにある自分


「明日は忙しくなりそうね……」

「なると良いんだがな……」


 冬の月の青い光が照らす寝室でベルフラムの呟きに九郎が答える。

 九郎の右脇では、真新しい綺麗な下着に身を包んだ、クラヴィスとデンテが静かな寝息を立てている。

 その枕元には綺麗に畳まれた、新しい服が置かれている。


「なるに決まってるじゃないっ……あんなに恥ずかしい思いをしたってのに……」


 ベルフラムが顔を赤くしながら小声で囁く。


「……あの時だったら私もお湯が沸かせそうだったわよ……」


 獣人姉妹の服を買い終えたあと、九郎達は遅めの昼食を摂ると、明日から始める『風呂屋』の宣伝に奔走した。大通りで声を張り上げ芝居じみた口調で風呂の良さを語り、市場では風呂に連れて行くようにと駄々を捏ねる子供に扮して(ベルフラムは子供だが)風呂を宣伝しまわっていた。


「お兄ちゃ~ん、あたしもお風呂につれてってよ~明日はタダなんでしょ~」

「~~~~~~~~~~~~!!」


 九郎が小声で今日のベルフラムの芝居がかったセリフを言う。

 ベルフラムが無言で、夜でも分かるほど顔を赤くして九郎の胸をポカポカ叩く。


 初日の入浴料はタダにすると、ベルフラムと話し合って決めていた。

 どの道、一度入ってしまえば、あの快楽を知ってしまえば抜け出せないわよ――とベルフラムが悪そうな顔で言い放った時は、「お前は薬の売人か」と九郎は笑って突っ込んだ。


 初日以降の値段は、一人銀貨2枚――20グラハムだ。

 ベルフラムはもっと高くても大丈夫だと言ったが、お湯の値段が5グラハムだったので、「余りに高いと結局妥協して来なくなってしまうのでは?」と九郎が難色を示した形だ。

 その代わり、一人の入浴時間は一時、約一時間までとして、昼から夕方まで1日に4回お湯を沸かしなおす度に人を入れ替える事に成っている。

 それでも最低一日2人以上客が来れば、人数が倍になった九郎達も飢えずに食べていける計算だった。


「分かった、悪かった、スマン、痛え」


 無言で九郎を叩き続けていたベルフラムの胸元がきらりと光り、飛びだして来た硬質なモノが九郎の顔にぶつかる。

 見ると今日、獣人姉妹の服を買うためにベルフラムが取り出したネックレスだった。


「……あの宝石売っちまってよかったのかよ?」


 何気なくを装い九郎は尋ねる。

 あまりに普通に売り払っていたので、九郎も呆気に取られて見守ってしまっていたが、今になって「大切なものだったのでは?」と言う不安が込み上げていた。

 心の中で「もし大事なものだったら、明日の朝に買い戻さなければ」と、九郎は体の中の牙を数えはじめる。


 ベルフラムは九郎の弱り顔に、小さく苦笑して首を振り、


「あれは宝石じゃないわ……魔石。私の魔力が尽きた時用の、お守りみたいな物だったんだけど……私の魔法じゃ野盗すら倒せないんだもの……あまり意味は無い気がして、価値だけは安定しているから、お金の代わりになるかと思ったのよ……」


 と、そっけなく言いやる。

 どこでも金さえ積めば手に入る、魔術師用のお守りの様なものらしい。

 一個で10000グラハム。一枚1グラハムのパンを主食としている今の九郎からしてみれば、気の遠くなるような価値の違いに貧富のさを感じる。


 やはりこいつはブルジョワなのか? と九郎がベルフラムを眺めていると、ベルフラムはネックレスを握りしめ安堵の微笑を浮かべる。


「それにネックレスの部分が残って良かったわ。これはお母様から頂いた物らしいから、売るのはちょっと躊躇われたのよね。あんまり覚えてない人だけども……」


 ネックレス自体は思い出の品だったようだ。


「そおか……、んじゃま、風呂屋がもうかったら俺が新しいものを買ってや……ん?」


 ガワの部分まで売っちまってたらエライところだった……九郎はベルフラムの言葉に安堵した後、続けて疑問符を浮かべる。

 ベルフラムのネックレスの、魔石が入っていた場所には黒っぽい石の様な物が留められていた。


「ああ、それ? 石が無いままだと服に引っかかっちゃうから、代わりに入れたの。私の宝物よ」


 ベルフラムは「いーでしょ?」と大切な物を見せびらかす子供の笑みを浮かべていた。

 宝物――と言った割に、そのネックレスに留まっている石は、赤黒く、光もせず、形も歪だった。硬く押しつぶされた様な表面に、所々粒粒したものが紛れている。例えるのならビーフジャーキー……。


「おい……これって……」


 その赤黒い石に思い当たった九郎が、驚きの表情でベルフラムを覗き込む。

 ベルフラムはニンマリとした笑みを返して来る。


「あら? クロウも分かった? それは私の命を救ってくれた大事な、クロウが私にくれた大事な物――――あの時私の命を繋いだ肉よ」


 ベルフラムの言葉に九郎は眩暈がした。

 赤黒く、カチカチに乾いた挽肉。ベルフラムがずっと握りしめていた為か固く、丸く押し固められた肉。

 ベルフラムが飢えに苦しみ、死に瀕していた時、命を救った肉。

 そして――九郎の左腕だった肉・・・・・・・・・


(ああ……俺が・・こんなんなっちまって……)


 ある意味九郎の罪の形がそこに有った。

 九郎は得も言われぬ焦燥感と不安を感じる。

 それこそ、ベルフラムから奪い取って、捨て去ってしまいたい気分に成るが、ひとしきり九郎に見せびらかすとベルフラムは九郎の欠片・・・・・を大事そうに胸元に仕舞い込む。

 その表情に、九郎は何も言うことが出来ず目元を手で覆いながら小さく呻く事しかできなかった。



 だから九郎は、一瞬ベルフラムの胸元が赤く光を放ったことには、気が付かなかった。


☠ ☠ ☠


「姫様はいったいどこに……」


 レイアから報告を受けたクラインは、そう呟くと項垂れる様に力なくアルバトーゼの地図に×印を描く。

 ベルフラムが屋敷を出てから、3度目の夜を迎えようとしていた。

 クラインの顔が数年は老け込んだように、焦燥の色が刻まれている。


「お爺様も少し休まれた方が……」


 レイアが祖父の身を心配して声を掛ける。そのレイアも顔には疲労が滲み出ていた。

 ベルフラムが屋敷を出てから丸二日――。最初はいくら街全体を調べなければならないと言っても、それ程時間は掛からないだろうと思われた。ベルフラムは金銭の類を必要としない生活をしていた為、金貨や銀貨は持っていない。一緒に出奔したクロウは運ばれてきた当初から何も持っていなかった。

 なのでベルフラムが知っているであろう豪商の屋敷や、アルフラム公爵の別邸、宝石商などの屋敷に匿われているだろうと、その辺を中心に調べていた。

 しかし、街中の全ての心当たりのある屋敷を調べても、ベルフラムの姿どころか足跡すら見つからない。

 そこで今度は、何処かで家紋でも見せて金を無心でもしたのだろうかと考え、商店の類を片っ端から調べ、街中の高級宿にも家臣を送り込んだ。

 しかし、それでもベルフラムの痕跡は見つからない。

 今では、貴族であるベルフラムには耐えられそうにない、安宿すらあたっているというのに、その足取りは一向に分からないままだった。


 ――冬の寒空の下、まだ子供であるベルフラムが飲まず食わずで3日――


 クラインは頭に浮かんだ悪い予感を振り払い、再びレイアに向き直る。


「明日は料亭を中心に調べてみましょう……姫様は食べ物に関しては好き嫌いの激しいお方です。甘味を中心に姫様の好物を取り扱っている店を調べるよう指示を出してください……」


 短い返事と共に慌ただしく外へと出て行くレイアを背にクラインは窓の外に目を向ける。

 ガラスに映った自身の顔に、最後に見たベルフラムの冷たい視線が重なっていた


☠ ☠ ☠


「あの……ここでタダでお湯を使わせてもらえるって聞いたのですが……」


 最初にやって来たのは子供を抱えた女性だった。

 身なり的には一般家庭の奥方だろうか。それほど不潔な身なりでない所を見ると中層の世帯、衛視や商人の妻と子供と言った所だ。


今日は・・・……よ。明日からはお金が必要よ? でもあなたがこの屋敷の初めての客なんだし、堪能してらっしゃい。クラヴィス! 2人行くわ! 準備なさいっ!」


 ベルフラムは手元の木板に一本線を引くと、尊大な口調で奥へ声を飛ばす。クラヴィスが奥の部屋から慌てて出てくる。


「こっちでございますです……」


 クラヴィスに案内されながら女性は浴室へと消えていく。

 もうもうと立ち込める湯気に、驚いた女性が小さな悲鳴を上げたようだ。


「あの……湯を汲む桶とかはありませんか?」


 女性の戸惑うような声。


「ここで服を脱いでくださいです……」

「ここでですか? あの量の湯を使って良いのですか?」

「はいです」

「でもっ……この湯の量は金貨数十枚分では?」


 浴室から漏れ聞こえてくる声にベルフラムは立ち上がる。


「ほらっ! さっさと服を脱いでしまいなさいっ!」


 突然うしろから現れたベルフラムに女性は驚いたように目を見開いていた。 

 ベルフラムの有無を言わせぬ言葉使いに、女r世は急かされるように子供の服を脱がせはじめる。


「なにやってるの? あなたも脱ぎなさい」

 

 裸の子供を抱えた女性に、ベルフラムは首を傾げて脱衣を促す。

 何か言いたげではあったが、ベルフラムがキッと視線を投げかけると、女性も服を脱ぎ始めた。


「脱いだわね? それじゃあ入ってきなさい」

「入る?」


 ベルフラムの言葉に女性は意味を解さないのか、訝しげな表情で見てくる。


「そうよ! お湯の中に入ってきなさい。ああ、子供が溺れないようにだけ気を付けるのよ?」


 ベルフラムはそれだけ言うと再び玄関の方へと戻っていく。


「ほぅ…………」


 その後しばらくして聞こえてきた声に、ベルフラムは口角を少し上げた。


 二人目の客は見た目二十歳そこそこの女性だった。


「あっちの部屋に進んで頂戴。行けばどうするかは先客を見れば分かるわ」


 ベルフラムは女性にそう告げると奥を指さす。


「デンテ! 案内しなさいっ!」

「はいでしゅっ!」


 デンテが奥からやってきて女性を案内して行く。

 その後ろ姿を見送りながらベルフラムは手元の木板にまた線を引く。


 三人目は中年の男性だった。

 そこでベルフラムは慌てて考え込む。

 ベルフラム達は、男である九郎と普通に一緒に風呂に入っていて失念していた。この世には男と女の2種類の人間が存在するのだ。流石にベルフラムも、見知らぬ妙齢の男女を裸で鉢合わせるのは不味いと分かっている。

 ベルフラムは男に目を向けながら対策を考える。


「おい、嬢ちゃん、ここでタダで湯が使えるらしいな? どこにあんだ?」


 中年の男はベルフラムを一瞥すると、キョロキョロと屋敷の中を見渡す。

 ベルフラムは内心少し慌てながら、それを顔に出さずに男に向かって告げる。


「ええそうよ。でも、一時後に再びいらっしゃい。男は次の時間からよ」


 ベルフラムは急遽、時間帯を女と男とを交互に入れ替える事にする。九郎に相談したい気がするが、現在九郎は2階の寝室の梁の補強をしていてこの場に居ない。


「ああ!? 偉そうなガキだなぁおいっ!? 一時後に来いとはどう言う意味だ?」

「今は女性の時間よ? それともあなたは裸で女性の部屋に飛び込む趣味でも持っているのかしら?」


 声を荒げる男に、ベルフラムは負けずに嗤うように言葉を返す。


「なんだとっ!? じゃあ、いらねえよ! やっぱり嘘だったんだな! タダで湯なんて馬鹿げた話だもんよ!」


 男はそう言い捨てると屋敷を出ようとベルフラムに背を向ける。ベルフラムはそんな男に追い打ちを掛けるかのように言葉を続ける。


「あらいいのかしら? 王侯貴族すら経験してない贅沢を、今日だけはタダで堪能できるチャンスなのに?」

「そ、そんな出鱈目信じられっかよ!」


 王侯貴族すら経験していない贅沢――ベルフラムの言葉に、男は足を止め振り返り頭を振る。


「好きにすればいいわ。でもあなたはきっと明日以降、周りの話に指を咥えることとなるわね。でも安心なさい。明日以降でも銀貨2枚で入ることができるわ」


 ベルフラムは気にも留めない素振りで男を送り出すように外を指し示す。


「へっ…。銀貨2枚の贅沢ができねえ王侯貴族がいてたまっかよ!」

「……そうよねぇ。私は最低金貨1枚は取るべきだって言ったのだけど、私の持ち主が安く値段を付けちゃったのよ。やっぱり明日からは金貨1枚にするべきだって言ってみようかしら?」


 男の言葉にベルフラムはさも残念そうに2階を見上げながらため息を吐く素振りをする。男の喉が動くのをベルフラムは横目で見ると笑みを浮かべる。


「きょ、今日はタダなんだよな?」

「ええ、今日はタダよ。一時後にいらっしゃい」


 天使の様な微笑みを向けるベルフラムを背中に、男はそそくさと屋敷を後にした。


「ふう……」


 男の背中が見えなくなると、ベルフラムは小さく胸をなで下ろす。

 日頃大人たちだけの世界に生きていたおかげか、大人相手でも臆することは無いと思っていたが、やはり凄まれると少し狼狽えてしまいそうになる。

 そもそもベルフラムの周りに、敵意を向けてくる大人など居ないのだ。

 唯一向けてきたのがさらわれた時の野盗くらい。その野盗に手も足も出せず、震える事しかできなかったベルフラムは、大人の男性に恐怖を覚える様になっていた。


(クロウは別に怖いとか思わないのに…………)


 ベルフラムは2階で作業している九郎の事を考えながら2階の方を見上げ、そのままの状態で固まってしまう。


「おう、どうした?」


 つい、今しがたまで考えていた男が、ベルフラムの後ろから見下ろすようにベルフラムを覗き込んでいる。

 顔が熱くなるのを感じ、ベルフラムは九郎から顔を背けるようにして言い放つ。


「クロウっ! 見ていたんなら助けなさいよっ!」

「いや…なんかあったんか? おらぁ、今補強を終えて降りてきたとこなんだが……」


 九郎は心配そうにベルフラムを見ながら、申し訳なさそうに頭をかく。


「男と女の時間を分けただけよ! 少し失念していたわ。流石に見知らぬ男女を裸で同じ部屋に放り込むのは不味いと思ったのよ!」

「やっべ! 俺も考えて無かったわ……。ベルフラムが考えたので良いんじゃね?」


 九郎は慌てて外に出ると、大きな木板を持って来ると、なにやら板に刻もうとして考え込み、そして木板をベルフラムに渡す。


「…………ベル……この板に時間と、男、女って書いてくれ……」


 どうやら九郎は字が書けないらしい。

 バツの悪そうな顔で九郎が差し出す木板を受け取りながらベルフラムはクスリと笑う。


「字が読めるのに書けないなんて変な話ね?」


 微笑みながらベルフラムは木板に文字を書き込んで行く。九郎が難しそうな顔で覗き込んで来ていた。


(やっぱり怖く無いわね)


 眉を顰め、口をへの字にして覗き込む九郎を、ベルフラムはちらりと盗み見すると、噴き出しそうなのを堪える様に下を向いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る