第037話  焼石に水



「銀貨一枚が、銅貨10枚か……」


 九郎の体の何処かに残っていた黒犬の牙を売った金で、九郎達はやっと一日振りの食事にありついていた。

 ベルフラムが美味そうに齧り付いてるのは、近くの屋台で売っていた何かの肉の串焼きだ。

 塩と少し酸味のあるソースで焼いたその肉を、九郎は4本購入した。

「一本4グラハムだ」と言われて戸惑いながら銀貨を一枚渡すと、串焼きと6枚の銅貨を渡されたので銀貨は10グラハムと言う事になる。


 グラハムはこの国の通貨の単位らしいく、そして銅貨1枚が1グラハムで銀貨1枚で10グラハムと言う事だ。それを考えると九郎は現在約1000グラハムの金を持っている事になる。しかし、だいたい一日で何グラハムの金を使う事になるのかを計算すると、3食を全て串焼きで済ませたとしても20日位で尽きてしまう計算になる。

 未だ、九郎の体の中には黒犬の牙が残ってはいるが、それだけで暮らしていけるとはとても思えない。

 九郎は何か働かなくては――と当然の悩みに直面していた。


「何の肉か分からないけど、結構おいしいね」


 横で口の周りを黒くしながらベルフラムは笑っている。

 買い食い自体が初めてなのか、とても楽しそうだ。


(育ちざかりのベルに肉ばっかり食わせるってのも不味い気がすんなあ……)


 ベルフラムの口元を拭ってやりながら九郎は考え込む。

 屋台の串焼きのみで生活するのも何となくさびしい様な気がして、荷運びの仕事でも無いかと辺りを見渡すと、一人の男の姿が目に留まった。


「おい、ベル。あれいったい何してんだ?」


 見渡した先に大きな桶を引いて、家々を回っている男を九郎は指さす。

 水でも売っているのだろうか? それなら自分でも出来そうだ――と、そんな事が頭に浮かんでいた。


「あれ? あれは多分『湯』を売っているのよ」

「湯?」


 ベルフラムが2本目の串焼きに齧り付きながらあっけらかんと答える。

 この世界の事を殆んど何も知らない事を、以前のベルフラムは呆れた様子で詰って来たが、九郎が『来訪者』だと知った今は、質問には懇切丁寧に教えてくれる。

 何でも薪が貴重なこの時期に度々湯を沸かしたりはできない庶民が、体を拭くためのお湯を買うのだそうだ。


「買った方が安いんか?」


 九郎が興味深げにベルフラムに尋ねる。


「ん~……そうじゃないのかなあ……。私が買ったことも、屋敷で買った事も無いから分からないんだけど……」


 ただ彼女も生粋のお嬢様なので、下々の仕事や生活に詳しい訳でも無い。

 ベルフラムは自信無さげな様子で眉を下げ、九郎と同じく興味深げに『湯』を売っている男を目で追っていた。

 考えてみればベルフラムの様子からも分かる通り、彼女も『普通』の生活には不慣れな少女。箱入りのお嬢様が物を知らないのは予想するまでも無く、ましてや11歳の少女がなんでもかんでも知っていると期待するのが間違っている。


 それが普通なのだと思いながらも、何気なく言ったベルフラムの言葉に九郎は大きな不安を抱いた。

 現在の住処の屋敷はかなり古く、隙間風も多く入ってくる。

 薪の類が高価だとすれば、冬の間ベルフラムはずっと寒い思いをしてしまう。

 九郎自身は『ヘンシツシャ』の『神の力ギフト』のおかげで、寒さに慣れる事が出来るが、ベルフラムはそうもいかない。風邪でも引いたら、手持ちの金額でどうにかなるのかと、どんどん思考は暗い方へと進んで行く。


(やっぱ何か働き口を探すっきゃねえよなあ……)


 九郎は再び考え込みながら、空を見上げた。

 自分が働きに出れば、その間をベルフラムは一人で過ごす事に成り、ひとりぼっちで寂しい思いに耐えかねて屋敷を飛びだして来たのに、それでは何の解決にもならない気がした。


「私の魔法でお湯を沸かしてみる?」


 ベルフラムが何気なく九郎に聞く。


「どの位の量が沸かせるんだ?」


 魔法で湯が沸かせるなら、水は川から汲めばタダだし、薪の問題はとりあえず解決する。

 一瞬期待の眼差しを向けた九郎の表情に、しかしベルフラムは冗談だったのか、九郎の質問に目を丸くして、申し訳なさそうに目を伏せた。


「魔法の火はそこまで長く持たせるには、私の魔力じゃ足りないわ……。お湯を沸かすってのは長い時間火を当てなきゃならないもの……。当然、強力な魔法を使えば、お湯を沸かすことは出来るんだけど……そうなると今度は範囲の問題があって……」


 小さな魔法を長く使うにはベルフラムの魔力が足らず、かといって大きな魔法を使うと辺り一面火の海になってしまうのだそうだ。

 そんなに簡単にはいかないか――と九郎は肩を落とし、ふと気になる事が思い浮かぶ。


「ベルっ! ちと思いついた事があんだ! 急いで屋敷に戻んぞ!」


 そう言ってベルフラムを肩に担ぎ上げると九郎は走り出した。

 ベルフラムは九郎の頭に抱きつきながら弾んだ悲鳴を上げていた。


☠ ☠ ☠


「もー、いったい何を思いついたのよ?」


 急に走り出したかと思えば、屋敷に帰って来るなり水を汲みだした九郎にベルフラム腰に手を当て、分かり易い怒り方をしていた。


「私の魔法じゃお湯を沸かすのは難しいって言ったじゃない……」

「そうじゃねえって……沸かすのは俺の力でだよっ!」


 拗ねた口調で言うベルフラムに、九郎は鍋の中に水を溜めながら答える。


「あなたの力って……あの『点火インセディウム』の魔法みたいな奴で? いくら何でも無理が無い? あんな力じゃいつまで経ってもお湯なんか沸かないと思うんだけど……」


 いくら何でも言い方があるだろうと思わなくもないが、自分自身もショボイ能力と思っていただけに、九郎に反論材料は見つからない。

 ただ思い浮かんだ予想が正しければ、呆れた様子のベルフラムも、そして密かに自分をも驚かせる結果になる筈だ。


「まあ、見てろって……」


 ベルフラムの懐疑的な目に晒されながら、九郎は右手を炎に『変質』させる。

 九郎の右手が赤く、炭の火の様な輝きを放つ。やおら、九郎はその赤く『変質』させた右手を鍋の中に突っ込む。


「うぉっ! 冷てえっ!!」


 刺すような水の冷たさに九郎が悲鳴を上げながらも、水の中でも九郎の右手は赤く光ったままだ。

 水の中でも燃え続ける炎の手。それはそれで不思議な光景とも言えるが、驚くのはココからで、30秒も経たないうちに、水が湯気を放ち始めた。


「うそっ!? どうしてそうなるのよ!?」


 ベルフラムの驚きの声に九郎は自分の考えが正しかったと拳を握る。


 九郎の『ヘンシツシャ』の力は『不死』の『修復』で削り取ったものと違い、九郎の体そのものを『変質』させる力。その力を使ったとしても九郎は疲れたり、力が抜ける感覚が無かった。

 その力を、九郎は『状態として維持されている形になっている』のだと考えた。

 今の状態を端的に説明するとすれば、ゲームで言う『燃焼』や『火傷』と言ったバッドステータス状態と言ったところだろうか。

 九郎がダメージを負う訳でも無いが、『変質』させた体は外的要因で力が衰えたりもせず、単純に熱だけを外に伝える。

 何かを燃やしたり、温めたりしても消えたりしない。何かを温めても力は減らない。水の中ですら『変質』させた九郎の炎は消えたりしなかった。


 自分がなんだか、保温器や湯沸かし器になった気分だが、元からあまり戦闘に使える能力でも無かったので余り落ち込む事も無い。

 九郎にとって『変質者』の『神の力ギフト』は、何だかあると便利な力程度にしか認識されていないのだから。


「どうよ? 温まってるだろ?」


 鍋がもうもうと湯気を放つのをベルフラムが驚きの表情で見ている中、九郎が本日二度目のドヤ顔を晒す。内心では胸を撫で下ろしている最中だが、子供にドヤ顔を向けるのは大人の特権であり、また義務でもある。


「すごいわっクロウ! なんだか『英雄』って言うには、言葉にできない何かモニョッとしたものが有るのだけれど……でもすごい便利な力ね!」


 ベルフラムが屈託のない笑顔で言った残酷な言葉に、九郎の顔は少し歪んでいた。


☠ ☠ ☠


「しっかし……これが出来るんだったら風呂屋でもやった方が儲かりそうだよなあ……」


 もうもうと湯気を立てる鍋を見ながら九郎はポツリと漏らす。

 燃料費も水代もタダとなれば、あとはそれを売る為の足や容器だけにも思えるが、そう単純なものでも無いと言うのが九郎の判断だった。

 家々を回って湯を売るには何やら、伝手や信用も必要だろう。もしかしたら縄張りみたいなものもあるかもしれない。

 また、どの位売れるのか、幾らで売れるのかすら分からないし、何より湯を売っている間、ベルフラムを一人にしてしまう。それでは他の仕事をするのと余り変わりは無い気がしていた。


「ふろや? 風呂って何よ?」


 九郎の言葉にベルフラムがキョトンとした顔で尋ねてくる。


「ベルは風呂って知らねえのか?」

「うん、知らないわ。どんなものなの?」


 彼女の反応から見るに、この地方では風呂が存在しないらしい。彼女が知らないだけの可能性もあるがと心の中で思いながらも、九郎はベルフラムに風呂について説明する。


「聞いてるだけですっごく贅沢な施設ね……」


 風呂の説明を聞き終えたベルフラムが意外な感想を述べた。

 何でも、その位の量の水を沸かすには、例え貴族であっても無視できないほどの量の薪が必要となり、薪自体が高価なこの地方では考えられないものらしい。

 ベルフラム程の貴族の少女が贅沢と言った言葉に、九郎は商機を見る。


「でも、すごく気持ちがよさそうね?」


 期待の眼差しで見てくるベルフラムに九郎は考えを固めると、行動を開始する。


「おしっ! いっちょやって見るか! ベル、手伝ってくれよ?」


 そう言うと九郎は水の流れ込む部屋へと向かう。

 ベルフラムと二人でまずその部屋を綺麗に掃除する。

 土を掃き落とし、壊れて落ちた板切れや瓦礫を片付ける。そうして、部屋を何も無い状態にすると、今度は外から手ごろな岩を運んできて、水の流れ出る場所を塞き止める。

 暫くすると部屋の中心の円形の窪みより高い位置まで水が溜まってくる。

 円形の階段状になっている場所の2段目位、一段目に座ったら腰位の位置に水が浸る位まで水が溜まったら、今度は流れ込む方の水を塞き止め、部屋の真ん中にプール状態にする。


「おあつらえ向きの場所じゃねえかよ……」


 あまりにらしい・・・光景に九郎は感想をもらすと、ベルフラムに部屋の外に出てもらい、服を脱ぎ、全裸になり体全てを炎に『変質』させる。

 流石にこの量の水を温めるとなると、手だけでは時間がかかる。『ヘンシツシャ』の力は接地面しか効果が及ばないのは、最初の頃の検証で分かっている。


(石焼鍋の石にでもなった気分だ……)


 とりとめなくそんな感想を思い浮かべながら、九郎は一つ深呼吸をすると、なみなみと満たされた水のプールに飛び込んだ。

 ジュワッと焼石が水に当たる時の様な音がし、周囲に水蒸気が立ち込める。


(うっほおぉぉぉぉぉぉぉ! 冷てえええええええええええええええ!!!)


 あまりの水の冷たさに、一瞬心臓でも止まるかとも思えたが、『不死』が心臓麻痺など起こす事も無い。5分もすると部屋が湯気で真っ白に成っていた。


「ふぅ~……。日本人はやっぱ風呂がねえとなあ……あ゛~」


 湧いてしまえば冷たさなど意識の外。

 九郎が喉の奥から声を漏らしたその時、入り口からベルフラムの驚いた声。


「うわっ! 何これっ!? 部屋が真っ白じゃない!」


 目を丸くして蒸気の立ち込める部屋を見渡すベルフラムに、九郎が慌てる。


「ちょっ! ベル!? 俺今裸なんだけどっ!?」

「もう今さらでしょ? それにしてもすごい湯気ねぇ……」


 ベルフラムは気にも留めない様子で、もう一度感想を口にしていた。

 幸い天井が抜けている為、湯気の密度はそれ程でもない。

 うすぼんやりとした湯気の中、九郎が湯船に浸かっているとベルフラムが九郎の傍までやって来る。

 湿気でドレスが濡れるのを嫌ったのか、昨晩の様に薄い肌着だけの姿だ。


「気持ち良さそうね……」

「あ゛~、最高だぜ? もう少し温度を上げたら入らしてやるよ。よくよく考えて見りゃあ俺が入ってねえと、どんどん冷めちまうからな」


 九郎が体に意識を集中させると、九郎の周りのお湯が再び湯気の色を濃くする。

 永続的に冷めない焼石状態の九郎がいなければ、半ば外気に晒された状態の風呂は直ぐに冷めてしまう。少し熱めを意識して、何度か沸かし直す必要もありそうだ。

 今後の風呂の温度意地に九郎が意識を向けていると、水面を揺らす気配と共に「あっ……結構熱いのね……」と言うベルフラムの感想が耳に入った。


「お前っ! だから恥じらいってモノを持てって言ってるだろーが!!」


 いつの間にベルフラム肌着を脱ぎ捨て、湯船の中に片足を入れていた。

 子供に欲情する九郎では無いが、いきなり飛び込んできた少女の全裸に、慌てて視線を反らして怒鳴る。


「だって、よくよく考えてみるとクロウにはもう私の裸見られてるんだし、私もクロウの裸は見慣れちゃってる訳だし、今更じゃない? それに私はクロウに、それ以上に恥ずかしい事もしちゃっている訳だし、それを考えたら裸ぐらい見られても何でもないわよ。それともクロウは私の裸に欲情するの?」

「しねえよっ! それ以上恥ずかしい事ってのも記憶にねえよっ! でも銭湯の男湯に女の子が紛れ込んできたみたいな微妙な気分にはなんだよっ!」


 彼女の言う『それ以上に恥ずかしい事』とは、決して疾しい事でもヤラシイ事でもない。

 『大地喰いランドスウォーム』の穴の中で歩けなくなり、九郎の背中で漏らしてしまった事を言っているのだろう。プライドの高そうなベルフラムにとって、他人の背中に負ぶわれた状態で漏らした事は、恥辱の極みと言ったところか。

 ただ気付いても、その事は覚えていないと言うのが優しさだ。


「あら? こういう状況になったことがあるんだったらそもそも問題無いんじゃないの?」


 九郎の優しさにベルフラムはつんとすまし顔を取り繕うと、不思議そうに首を傾げた。

 ベルフラムの質問に九郎は答えに詰まり「ぐう」と唸る。


 大学時代に良く行っていた銭湯でも、時たま男親に連れられて小学生位の女の子が男湯に入って来ることがあったが、そのことに誰も気に留めてない素振りをしていた。そう考えると、この位の年齢の子供と一緒に風呂につかろうが何も問題ない気もしてくる。

 九郎が頭を捻っていると、その隙にとベルフラムは湯船の中に入ってきてしまう。

 しばらくじっとその温度に耐える様に身を固くしていたが、やがてほうと小さく声を漏らすと、彼女は体の力を抜いて階段にもたれかかった。

 小さな手でお湯を掬い上げながら、夢見心地の様子だ。

 その幸せそうなベルフラムの様子に九郎はため息を吐き出し、自分も湯船に体を沈めた。


「………クロウ………この風呂ってのは……最高ね……」


 ベルフラムが絞り出すような声で感想を述べる。

 魂が抜けそうな声に、九郎は苦笑を溢す。

 今までどこか張りつめたような空気を纏っていたベルフラムも、風呂の魔法に掛かって緊張の糸も溶けてしまったかのような声だった。

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