第036話 男の甲斐性
幾人もの召使達が廊下を走り回る音がする。
多くの者達がこの屋敷中を駆け回っているのが分かる。
「姫様はいったい何処へ行かれたのか……」
執務室でクラインが、アルバトーゼの街の地図を見ながら苦しげに呻いていた。
屋敷の主人、ベルフラムの姿が見えなくなってから早4時間。窓の外はすっかり薄暗くなっている。
約2か月前にベルフラムが城に向かったまま行方不明になった時と同じ様に、屋敷の中は慌ただしくなっていた。
ベルフラムがクラインに「東の屋敷に移る」と告げてから3時間ほど経った頃。
クラインはメイドの一人に、東の離れに様子を見る様に命じた。
しかし、メイドが様子を見に行った、『この屋敷の東館』には人の気配は無かったと聞かされ、そこでベルフラムが九郎と共に外へ出たことを知る。
クラインはてっきり東の屋敷とは、この屋敷に隣接している、今はあまり使われていない東館を指しているものとばかり思っていたのだ。
それが、
――この西の端に位置する屋敷から東など、アルバトーゼの街全域が入ってしまう―――
クラインは腹を押さえて胃の痛みに渋面する。
ベルフラムがこの屋敷を出る事となった直接的な原因の大きな部分がクラインの責任である事は判っている。
自身の言葉の何かが、屋敷の主人であるベルフラムの逆鱗に触れたのだろう。
ベルフラムがこの屋敷に戻って来てから2週間程。『
しかしベルフラムはこの領地の領主、アルフラム公爵の娘である。
「この身を捧げた」との発言は許される物では無い。
町娘とは違い、惚れた腫れたで体を差し出すなんて事は以ての外。
後10日もすればアルフラム公爵が『
そして、遅れていたベルフラムの誕生パーティーにて許嫁が決められ、レミウス家の地盤を盤石のものとする為ベルフラムは有力貴族に嫁いでいく。
そこでクラインの役目は終わる筈だった。
長く仕えていたアルフラム公爵への、最後の忠節つもりでクラインはベルフラムを長年見守っていた。
「体を差し出した」等、例えその身の死期を悟っての言葉だとしても、貴族の娘が口にして良い言葉では無い。このことが他の貴族にでも知られたら、公爵家の醜聞甚だしい。
ただでさえベルフラムが、『
衛視や家臣に十分に口止めをしていたのにも係わらずだ。
(人の口に壁は建てられません……か……)
クラインは苦虫を噛み潰した表情で呻く。
ただ今はそれどころでは無い。
クラインの目の届かない場所でさらに公爵家の醜聞を作られては、ベルフラムの執事としてアルフラム公爵に顔向けも出来ない。
「お爺様! 街の東館にも姿が見えないそうです」
大きな音と共に孫娘のレイアが執務室の扉を開けて入ってくる。
ベルフラムが怒りと共にクラインに詰め寄る原因の発端となった娘だ。
しかし、そのことを責める気にはなれない。
発端となったのは確かだろうが、激怒させた原因の殆んどが自分にあると、クラインは理解していた。
自身の命の恩人を、家臣達が性犯罪者を見る目で見ていたのだから、当然とも思える。
(――何か……別の理由も有りそうなのですが……)
ベルフラムの冷たい緑の瞳を思い出しながら、クラインは考える。
今まで『平民に対する貴族としての目』だとばかり思っていたが、いざ自分に向けられてみると違う気がする。それが何なのかと問われるとクラインも分からないのだが……。
「――お爺様?」
何が主の逆鱗に触れたのか――クラインは入って来た孫娘に目を向ける。
レイアは、身を竦ませながらクラインの言葉を待っていた。
彼女は自分の所為で、ベルフラムを怒らせてしまったと思っているのだろう。
思いつめた表情でクラインの顔を見詰めている。
「……フム……。あと姫様が行かれそうな場所に心当たりは?」
「申し訳ありません! 一応、街の衛視に聞いたところ、街の外へは出ていないそうなのですが……」
街の外に出ていないのなら、いずれ見つける事は可能だろう。幸いこの街には人さらいの類は確認されていない。しかしこの冬の最中、万が一の事が有っては大変だ。
クラインは矢継ぎ早にレイアに次の指示をだしていく。
「引き続き捜索をお願いします。姫様を発見しましたら直ぐに私に知らせるように家臣一同に伝えてください。それと姫様を刺激しない様、無闇に声を掛けたりしないように」
クラインはそう言うと、街の地図の東の場所に×印を書き込む。
レイアは了承をしめす短い返事を返すと部屋を出て行こうとして扉の前で再び振り返る。
「姫様はやはり私の行動にお怒りになられて屋敷を出て行かれたのでしょうか……」
不安そうにクラインに尋ねるレイアにクラインは答える。
「多分それはきっかけに過ぎないと私は思います。事の原因の殆んどは私にあると考えます。レイアが気に病む必要はありません」
クラインの言葉に、それでもレイアは不安を拭いきれぬ様子で部屋を後にした。
☠ ☠ ☠
「ベルフラム朝だぞ起きろ」
「寒ーい……」
崩れかけた古い屋敷で一夜を明かした九郎は、隣で眠そうにしているベルフラムを起こす。
ベルフラムは寒そうに身を竦ませると、暖を求める様に九郎にひっつく。
「やんなきゃいけねえ事が沢山あんだから、明るい内にやんじゃねえのかよ?」
九郎はベルフラムを引きはがしながらベッドを降りると辺りを見渡す。
昨日埃っぽいと思っていたが、朝日の中で見るとなおさら凄まじい部屋の様子に思わず唖然とする。
部屋の中は雪が積もったかのように真っ白な状態だ。
「お掃除もしなきゃね……」
ベルフラムも同じような事を思ったのか、眠たげな眼を擦りながら、呆れた様子で言葉を漏らす。そのセリフにクゥと可愛い返事がして、ベルフラムが顔を赤くしてシーツに顔を埋めていた。
昨日の夜は何も食べずに寝たので、催促の音が鳴ったようだ。
「まず飯をどうするかだな……」
「ちょっと……。こう言う時は聞き流すのが
ベルフラムがシーツを頭から被り文句を言う。しかし、何は無くとも食料の確保は最優先だ。九郎は穴の中での事を思い出し、早くも眩暈がしていた。
「ネズミでも捕まえに行く?」
「お前は取りあえず食べ物の定義を考え直す必要がありそうだな……」
やっとこさシーツから這い出してきたベルフラムに、九郎は苦笑で応える。
九郎とて、飢える前から鼠や猫を食べようとはなかなか思わない。
なのにこの高貴な身の筈の少女は、口に入りさえすれば何でも食べてしまいそうだ。
「とりあえず街に居るんだから、何か買うってのが一番なんだが……俺金持ってねえしなあ……」
九郎はこの世界に来てから一度も金を使った事が無い。
それどころか見た記憶すら無い。
「私もお金自体は持ってないんだけど……そうだ! 何か売ってお金に変えましょう。装飾品はあまり持ってこなかったけれど服は何着か持ってきているわ」
ベルフラムがトランクをあさりながら、どれが高く売れるかと頭を捻っている。
子供に私物を売らせて腹を満たすのに抵抗を覚える九郎だが、九郎は殆んど私物を持っていない。
「ベルは帰って飯食ってきたらいいじゃねえか」
何気なく九郎がベルフラムに言うと、ベルフラムは眉を吊り上げ詰め寄ってくる。
「私はもうあの屋敷に戻るつもりは無いの! 戻るくらいなら鼠でも食べていた方が何倍もマシよ!」
どうやら彼女に取っては屋敷での生活が、鼠を食べることより苦痛らしい。
そもそも鼠を食べる事を苦痛にかんじているのだろうか? と言う疑問はかなりあるが……。
「これは高く売れそうな気がしない?」などと言いながら、精巧な櫛やブローチなどを手に取り尋ねてくるベルフラムに、
「とりあえず、街で金を稼げる方法を探してみるか。どうしょうも無かったらベルの私物を売るのも仕方ねえかもしれねえが、いきなりお前に集るのは偲びねえ……」
九郎はそう言って頭を掻いた。
「私の我儘でクロウをこっちの屋敷に連れて来たんだから、気にしなくて良いのに………」
ベルフラムは申し訳なさそうに顔を曇らせていた。
九郎はこのままごとじみた生活を確かにベルフラムの我儘だとは感じていたが、孤独を訴え泣きはらした少女の顔を思い出し――2~3日もすれば、機嫌も直って元の屋敷に帰るだろう……と淡い期待を持つことにした。
☠ ☠ ☠
潰れかけた屋敷を出て南に歩く事30分ほど。
舗装された通りに朝の人の多さとは思えない人ごみに遭遇する。
今まで殆んど人を見かけなかったのに、急に溢れだしたかのような人の奔流に九郎は少し戸惑う。
「なんだあ? この辺りってこんなに人がいたのかよ?」
「それはそうよ。私の屋敷は貴族区の地域だもの。用が無い者は滅多に訪れないけど、此処からは中央広場に繋がる大通りだもの」
「んなこと言っても、俺にゃあ地理すらさっぱりなんだぜ?」
九郎は人々の行き交う姿を珍しそうに眺める。
ベルフラムが大通りと言った、その道は多くの人がごった返していた。
朝の市でも建っているのか、通りには大小さまざまな物を取り扱っている店が所狭しと並んでいる。
軒先に鶏には見えない珍しい鳥を吊るし、その奥では店の店員が暴れる鳥の首を落としている。
その隣ではこれまた九郎には見たことも無い野菜が、乱雑に並べられている。
そしてその横の店では、何かの肉を串に刺したものが何ともいえない良い匂いを周囲に振りまいている。
通りは活気に満ちていた。
異世界に来てから九郎は、一瞬ピシャータの街を通り過ぎたくらいで、その他街らしい街を見たことが無かった。
香辛料の複雑な香り。活気と言う名の人々の生活の息遣い。物売りの声。客の声。
九郎は未知の文化に目を奪われていた。
「すんげえな、ベル!」
「クロウ、あなた貴族区からやって来たのに、まるで田舎者みたいよ?」
ベルフラムが呆れた様子で言ってくるが、彼女自身も物珍しそうに市場に目が釘付けになっている。
貴族であるベルフラムは、市場を知っていても買い物に出歩く事など無かった。
通りの屋台には、パンや串焼き、果物などが並んでいる。
その中の一軒から肉の焦げる匂いと、タレの合わさった香ばしい匂いが流れてくる。
クゥとまた小さくベルフラムの腹が鳴る。
顔を赤らめ腹を押さえるベルフラムに、九郎は申し訳なさに眉を下げた。
「とりあえずお金を作んないと何も買えないわ。クロウ古売屋を探しましょう」
そう言ってベルフラムは九郎の手を引き、大通りを見渡し、
「あそこなら買ってくれそうじゃない? 行ってみましょっ!」
大通りの端にあった『素材買い取り』と掲げられた看板を指さした。
早々とベルフラムの私物を売ることになりそうで、九郎としては面目が無い。
これではヒモではなかろうかと、不甲斐無い自分に落ち込んでしまう。
そんな九郎を急かすように、ベルフラムは手を引き店の扉を開け放つ。
「なんでえ、ここは一般人の来る所じゃねえぞぉ?」
扉をくぐると愛想の欠片も感じられない声の出迎え。
質素なカウンターの奥に無精ひげを生やした40歳くらいの男が、頬杖を突いて睨んできていた。
何でもかんでも攻撃的なこの世界の「いらっしゃいませ」なのだろうかと、九郎は引きつった笑みと会釈を返す。
「ここでコレは買い取ってもらえるの?」
強面の男に物怖じもせずベルフラムが持っていた櫛を見せる。
「ああん? こんなキンキラしたものうちじゃ扱ってねえよ! 周りを見てみやがれ」
ベルフラムの櫛を一瞥すると男はそう言って手を振る。
客商売とは思えない応対に、九郎は顔を顰めながら店内を見渡し、「冷やかしだと思われてんなぁ……」と店主の態度に納得する。
店内には、毛皮や角、植物の干したもの、など良く分からないモノがうずたかく積まれていた。宝石や美術品とは真逆を行く、武骨で血なまぐさい物の数々。
下町の乾物問屋にブランド品を持ち込んだ感じになっているのだろう。
「ここって何の店なんすか?」
九郎が近くにあった毛皮を見ながら男に尋ねる。
「ああん? ここは素材屋だよっ! 魔物の牙や角、薬草をあつかってる店だよっ! 看板にかいてあっただろうが! 文字も読めねえのか!? おめえらみてえな一般人には縁の無い店だよ! 冷やかしならとっとと帰ってくれ!」
思った通り冷やかしだと思われていたようだ。乱暴に言い放ちシッシと追い払う仕草を見せた店主にベルフラムが眉を吊り上げる。
「なによっ! ちょっと聞いてみただけじゃないっ! クロウ行きましょ!」
ベルフラムはキャンキャン吠えて九郎の手を引く。
無下に扱われた経験が無いからか、店主の対応に面食らっているようにも見える。
しかし九郎は目の前に広がる店の様子に、一筋の光が見えていた。
「おっちゃん、これ幾らぐらいになんの?」
九郎はポケットに手を突っ込み、握り込んだ掌を店主の前で開く。
九郎が取り出したのは黒く、黒曜石を削ったような獣の牙。九郎の体を齧って削られていった、荒野の黒犬達の牙だった。
「ああん?」
男は牙を光に照らしたり、大きさを測ったりと興味深げに観察しはじめる。
店内の趣に沿った品物だったようだ。
「クロウ、何か持ってたの?」
「あの水筒モドキに入ってた何だか良く解らない何かだ……」
ベルフラムの質問に九郎は頭を掻きながら答える。
魔物の素材と聞いて九郎が思い当たったのが、九郎が荒野を彷徨っている間に九郎が食べてきた動物の残骸。九郎の敗北の証である。
もしこれが売れるのであれば、当座の金は何とかなるのでは――と考え取り出したものだ。
残骸は体の何処かにまだまだ溜まっているが、ひり出す時の光景はとてもグロイので人に見せられる物では無い。
「兄ちゃん……コレは何処で手に入れたんだ?」
「何処って言われても俺この辺の地理分かんねえし……ベル、お前が人さらいに捕まってた場所って覚えているか?」
鑑定が終わったのか、牙をカウンターに置いた男が、怪訝そうに尋ねてくる。
出元を尋ねられても九郎にはさっぱりだ。何処かの荒野の犬としか答えられない。
困って九郎はベルフラムに助けを求める
「え? え? ピシャータの街から半日くらいの場所だったから……、多分アゴラ大平原の端の方じゃないかしら?」
突然話をふられて、ベルフラムも自信無さ気に首を傾げる。
だが「かしら?」と言われても九郎にはさっぱりだ。
「多分アゴラ大平原の東の方っす」
「おめえ、『風の魔境』に行って帰ってこれたのか!?」
なので九郎はあやふやなまま答えるしかない。
しかし男は意外そうに眉を跳ね上げ、九郎を値踏みするかのように目を上下させていた。
「帰って来れた……ってよりそこで、2ヶ月近く迷子になってまして……」
「ああ、そう言えば私と出会った時クロウ言ってたものね……ってあなた『風の魔境』で彷徨ってたの?」
横からベルフラムが驚きの様子で口を挟む。
何か立ち入り禁止の区域だったのだろうか? と九郎が不安を顔に出し始めたその時、男が慌てたように話を再開させてくる。
「ブラックバイトの牙に間違いなさそうだ。なんでえ兄ちゃん、そんなナリして結構名うての冒険者だったんか? 子供なんか連れてるからてっきりどっかの村民かと思ったぜ。んで、こいつは全部うちの買い取りで良いんだよな? 一個銀貨20枚って所でどうだ?」
銀貨20枚と言われても九郎には高いのか安いのかも分からない。
助けを求めてベルフラムの顔を見ると、ベルフラムも分からないのか首をフルフル横に振る。
交渉事も初めてで、基本値段通りの買い物しかした事の無い九郎はどうすることもできず首を縦に振る。
「んじゃ、それで……」
「毎度っ! また手に入ったら持ってきてくれよ! 次はもう少し高く買い取るからよ!」
男はそれまでの態度が嘘のような笑顔で九郎に銀貨の束を押しやり、素早くテーブルの上の牙をかき集めていた。
男の態度の変化に――足元みられたんじゃねえか? と九郎は思いもしたのだが、どうあってもこの世界に来てから最初の売買だ。最初から何事も上手くいくなんて無いと、銀貨を数えポケットに詰め込み店を出る。
「―――これが大人の甲斐性ってやつだ」
「うん! 今までのクロウの中で、一番かっこよかったかも!」
店を出た所で九郎がベルフラムにウィンクする、とベルフラムは嬉しそうにクロウを見上げていた。
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