第035話  噂の解消 


「こりゃあ……また……」


 舗装された通りを歩き続けて3時間ほど経った頃だろうか。

 冬の早い夕闇が辺り一面を赤く染めはじめた頃、ベルフラムの案内で辿り着いた館の前で九郎は肩を落とす。


 大きな屋敷が立ち並ぶ中を延々と歩き続けた後、目の前に佇んでいた屋敷。

 整備された道が途絶え、そこからさらに進んだ先に、一軒の小さな二階建ての屋敷があった。

 元は小奇麗な別荘の様な佇まいだったのだろうが、何年も人の手が入っていないのか、門は傾き、屋敷の壁には弦の様な物が幾重にも巻きついている。

 例えるのなら安易だが『お化け屋敷』と言ったところだろう。


「思ってたよりも古くなってるわね……」


 九郎の腕の中のベルフラムも、少し怯んだ様子で感想を口にする。

 ベルフラムの記憶の中の屋敷とは格段に離れた様相を醸し出していたのだろう。

 九郎の服を握りしめながら、口をキュッと結んだベルフラムには、九郎も苦笑いが堪えきれない。


(まあ、ここならあんまし気は使わねえから、いいか……荒野で彷徨ってた頃より大分マシだしな……)


 アクゼリートの世界に来てから、ベルフラムの屋敷を除くと、九郎がちゃんとした環境で寝たのは数えるほどしか無い。

 クラインの目には自分はどのような変態に映っているのか……と暗雲たる気持ちを抱きながらも、もうこれで変な噂も立たないだろう――と、九郎は前向きに考える事にする。


「んじゃあ、引っ越し先は解ったからよ、ベルをもう一度屋敷まで送ってかなきゃな!」


 九郎がそう言って元来た道を引き返そうとした時、ベルフラムがキョトンとした顔を九郎に向けた。


「何言ってるの、クロウ? 今日からここで暮らすのよ?」

「わーってるよ! 今日から俺はここで寝泊まりすりゃあいいんだろ?」


 誤解とは言え、ベルフラムの保護者であろうクラインが疑っているのであれば、それも仕方のない事だ。この廃屋の様な館で寝泊まりすることを承諾した九郎を見詰め、ベルフラムは首を捻って何か考え込んでいる。


「え? そうよ……? ん? ああ、そう言えば言って無かったわね。クロウと私がココで寝泊まりするのよ?」


 至極真面目な顔で答えたベルフラムに、九郎の思考が一瞬停止した。


「…………………は?」


 九郎は間の抜けた声を上げる。

 あまりに理解が追いつかなくて、九郎はひとまずベルフラムを下に降ろすと、額に手を当て考え込む。


「は?」


 数分考え込んだが、やはり彼女の言っている言葉の意味が分からない。

 九郎の口を吐いて出るのは先と同じ間抜けな声。


「だってそうじゃない? 私はクロウのモノなんだから、クロウの所に住むのは当然じゃない」


 九郎を見上げながら、ベルフラムは事無げに言い放つ。

 賢いと思っていたが、やはり子供だった。九郎はそれを確信して、大声を上げる。


「はぁぁぁぁああ? 何だそりゃ? 俺がベルに手を出すようなロリコンって思われてたから、移されんじゃねえの? それを疑い持たれてる奴と一緒に住まわしてどーする気なんだ!?」

「違うわよ! 私が、クロウが変な噂されているのが我慢ならなかったのよ!」


 九郎は、『屋敷の人々の噂が真実にならないよう』隔離されるのだと思っていた。しかしベルフラムは『噂そのものが聞きたくないから』、ここに来ていた。


「だからよっ! その疑いを晴らす為なんじゃねーの? 俺がここで寝泊まりすんのは!?」


 九郎が声を荒げる。これでは噂の信憑性を高めるだけだ。


「だから、私とクロウが別の屋敷に住めば、変な事言われてても関係無いじゃないっ!」


 ベルフラムも声を荒げる。聞えなければ無いも同じと極論を振るう。


「ってクラインさんとかどーすんだよ!? 俺はまだ死にたかねえぜ?」


 別に斬られたり、刺されたりしても死にはしないが、何か……そう、社会的に死にそうな気がして九郎は頭を抱えた。


「クラインには屋敷を出る時に言ってきたわよ! それにこの屋敷には使用人も入れないわ! 2人だけなら何も気にする事無く過ごせるじゃない?」


 血も繋がっていない年端もいかない少女と二人暮らしなど、日本なら、例え本人の意思であっても未成年者誘拐罪が成立してしまう。声を掛けるだけでも疑われる日本で育った九郎が、それこそ、手を出したと思われている少女と二人きりで生活なんて狂気の沙汰だ。

 ここは何とかベルフラムを説き伏せようと、九郎は現実的な問題をベルフラムに突き付ける。


「飯とかどーすんだよっ!? おままごとじゃねーんだぞ?」


 子供を説き伏せる常套句。現実を知れば少しは怯むだろうと思っての九郎の言葉に、


「ご飯なんかどうとでもなるわよ! お腹が空いたら鼠だって、猫だって虫だっているじゃないっ!」


 思わぬベルフラムの反撃が返ってくる。


(逞しすぎんだろっ!?)


 九郎は目元を押さえて涙を堪える。

 穴倉の中での生活が、高貴な身分のお嬢様を一人のサバイバーに変えてしまっていた。そもそも最初に思いつく食べ物が鼠や猫や虫とは……女の子の口から出た言葉とは思えない。


 自らの力で大きく下げたハードルを、難なく飛び越えてきたベルフラムに九郎は言葉が出て来ない。


「…………それとも…………クロウも私をひとりぼっちにしちゃうの……?」


 寂しそうに九郎の服の裾をギュッと掴み、涙目で見上げてくるベルフラムに九郎は「うっ」と狼狽える。

 元から女の涙にめっぽう弱い九郎だったが、「屋敷でずっとひとりぼっちだった」と涙声で聞かされた後、このような表情をされてはもうお手上げ状態だ。

 少女の今にも泣きだしそうな顔と言うものは、大人の男を狼狽えさせるには一番の武器とさえ思う。


(ガキんちょに良いように振り回されてんなぁ……)


 九郎は不安そうな顔で見つめてくるベルフラムの頭に、そっと手を乗せる。

 その手を乱暴に動かし、ベルフラムの頭をクシャクシャと撫でると九郎は吹っ切れたように


「あーあ、もう知らねっ! どうせ疑いは晴れそうにねえし? どうせ性犯罪者に見られてんだし? もうどうにでもな~れ! だ!!」


 そう大きく叫ぶと九郎はベルフラムのトランクを担ぎ、屋敷の中へと歩き出す。


「とりあえず、今日の寝床を確保しましょうっ!」


 顔を綻ばせたベルフラムが九郎の後を追いかけて行った。


☠ ☠ ☠


 軋んだ音を立て、屋敷の中へと踏み込んだ九郎達を、埃と蜘蛛の巣だらけの朽ちた館内が出迎えてくれていた。

 元は赤かったであろう絨毯は、今や白い埃が積り、中央に吊るされていたシャンデリアは傾き今にも落ちてきそうだ。

 調度品の殆んどは盗まれたのか、移動時に持って行ったのか無くなっており、ガランとした館内を夕陽が赤く染めている。


「うっわ……埃だらけねえ……」


 ベルフラムが歩いてできた足跡を見て感想を述べる。


「今からでも遅くねえんだし屋敷に帰っても良いんだぜ? ちゃんと昼間は遊びにいってやんよ?」

「冗談じゃないわ! それに……虫の這いまわる土の上で寝るより全然マシじゃない?」

「そりゃごもっとも……」


 考え直せと九郎が遠回しに言うと、ベルフラムがむきになって反論して来る。

 子供に言い負かされる九郎。


「とりあえず陽が差してる内に館内を見とかねえとな……」

「そうねっ! 床で寝ても良いけどベッドが有った方が暖かいしね?」


 ベルフラムがどんどん生活の基準を下げてくる。

 姫様と呼ばれていた少女が、この埃まみれの床で寝る事にも何の痛痒も抱いていない事に、九郎は改めてベルフラムの逞しさに閉口する。


「そんなに屋敷が嫌だったのかねえ……」

「ちょっとクロウ! こっち来て見てっ!!」


 誰に聞こえるでもなく呟いた九郎の声は、ベルフラムの声に遮られるように消えていく。


「ここ何する部屋だと思う?」


 何とも不思議な部屋だった。

 部屋一面に細かなタイルが張られ、円形の階段がコロッセオの様に広がっていた。

 部屋の中央には大きな円形の窪みが有り、そこに傍の川から引いたのか水が流れこんでいる。

 天井は崩れ落ちたのか、骨組みだけがその名残を残しており、階段には土や植木鉢の様な物が散乱していた。


「ベルに分からねえのに俺に分かるわきゃねえだろ?」

「ん~……この屋敷は昔お母様が使ってたって聞いてるんだけど……」


 ベルフラムの母親の面影でもあったのだろうかと、九郎はもう一度部屋の中を観察するが、やはり答えは出てこない。


「植木鉢がいっぱいあるし、植物でも育ててたんじゃねえの?」


 適当に口にした言葉だったが、案外的を射ている気がした。

 この部屋の天井が吹きさらしなのも、最初はガラスの様な物が張られていた気がしてくる。


「そうかも知れないわね……でも良かったじゃないクロウ。これで水の心配は無くなったわよ!」


 ニコリと笑うベルフラムに――こいつ既にサバイバルを想定しているのでは? と九郎は頭を悩ませる。


「ここは調理場かしら?」


 次々部屋を覗きながら、ベルフラムははしゃいでいた。


「これなんかまだまだ使えそうよね?」


 ベルフラムが鍋を見ながら微笑む。

 なんだか秘密基地を見つけた子供の様だと九郎の口から苦笑が零れる。

 屋敷に居た時のベルフラムの表情よりよっぽど子供らしいと感じ、それが無性にうれしく感じて九郎はベルフラムの頭を撫でる。


「何よ?」

「いや何でもねえよ」


 撫でられる理由が分からないと言った感じのベルフラムに、九郎は笑いながらうそぶいた。


「それより早く寝床をさがさなきゃ。この屋敷は古いから風が寒いのよね……。穴の中の様に風が全く吹かないのも嫌なんだけれども……」


 ベルフラムは言って身を竦ませると、九郎の手を取り2階に上がる。

 2階には4つの部屋があったが、その内3つの部屋が屋根が落ちて使えそうも無かった。


「こりゃあ補修もしねえとなあ……」


 いつまで住む予定なのかも分からないが、寝ている間に屋根が落ちて来ては堪らない。九郎は天井を見上げ独り呟く。


「クロウっ! こっちの部屋にベッドが残ってるわ!」


 別の部屋からベルフラムの嬉しそうな声が聞こえる。

 声のする方へと行ってみると、そこには天蓋付きの大きなベッドが一つ残されていた。

 ベッドが大きすぎて運べなかったのだろう。

 がらんとした部屋の真ん中にベッドが一つと言うある意味シュールな光景だ。

 ベルフラムはベッドに駆け寄るとそのシーツを触る。

 手が真っ白になるほど埃が積もっていたようで、ベルフラムは少し驚いた様子だ。


「ほらっクロウ! そっちの端持って!」


 そう言いながらベルフラムは、シーツの端を握り勢いよくはためかせる。

 部屋の中がもうもうと埃にまみれ、ベルフラムが真っ白になる。

 当然、同じくシーツの端を持っていた九郎も埃に巻かれ真っ白だ。


「お前なあ……」


 九郎は憮然とした表情で、ベルフラムを睨むが、ベルフラムはケラケラと笑っていた。

 何かを吹っ切ったようなベルフラムの様子に九郎は肩を竦めて、それから一緒になって笑った。


「まったく……しっかし、ここくらいしか寝れそうな所がねえし、ベルはここでいいよな? 俺はどこでも寝れっから気にすんな」


 とりあえず寝れる部屋を一つでも確保できたのは上出来だ。後は、適当に風でも凌げる場所を探してしまえば九郎は寝るのに何の問題も無い。

『フロウフシ』と『ヘンシツシャ』の『神の力ギフト』のお陰で、冬の寒さに凍える事も無い。今の九郎は大体どこでも眠れてしまう。

 だがベルフラムはそんな九郎のセリフに異を唱える。


「なんでよ? こんなに大きいベッドなんだから一緒に寝れば良いじゃない」

「いや、そう言う行動が疑われてんだろが……」


 確かに人が5人は寝れそうな大きなベッドだが、いくら九郎がロリコンで無いにしても、それでは噂の信憑性を高めるばかりだ。


「どうして? もう誰も見ていないわよ? 誰に疑われるって言うのよ? それにずっと一緒に寝てたじゃない?」


大地喰いランドスウォーム』の穴の中では、九郎とベルフラムは互いに寄り添いながら寝ていた。

 それは暗い闇の中で、お互いが何処にいるのか分からなくなってしまっては大変だと言う、安全上の問題があったためだ。


「それとも疑われている事でもしてくれるのかしら?」

「しねえよっ! なんだよしてくれる・・・・・って……。ほんと、ませガキだなお前はっ!」


 微妙にシナを作りながらからかってくるベルフラムに、九郎は眉間に皺を寄せてたしなめる。

 だが、考えてみれば、よこしまな気持ちさえ無ければ、そもそも何の問題も無いようにも思える。田舎では従妹と一緒に昼寝することもままあった。


 九郎にとってベルフラムは、九郎が言った通り『こまっしゃくれたガキんちょ』でしかない。

 子供に劣情を催す輩が、結局世の中を住み辛くしているのでは……などと考え、九郎はしかたなしに「わーったよ……」と短く返す。

 ベルフラムは九郎の言葉に顔を輝かせてベッドに潜り込むと、シーツを捲り上げてバンバン叩く。


「それじゃあ、暗くなっちゃったし今日はもう寝ましょ? 起きていてもお腹が空くだけだし、明日も朝からやらなくちゃいけない事が沢山ありそうだものね?」


 行動が早い。行動に躊躇いが無い。

 日が沈めば寝床に入るなど、これではかつての自分では無いか。

 ベルフラムは『灯り』の魔法がつかえるのでは? との疑問が脳裏に過るが、嬉しそうな少女の笑顔に毒気を抜かれて、九郎は不承不承シーツに潜り込む。


「お前ほんと逞しいな……。元からそうだったんかよ?」

「知らないっ!」

「ちょ、おまっ!?」


 呆れた様子で九郎が問うと、ベルフラムはつんと澄ましていきなりドレスを脱ぎたした。

 肌着姿になったベルフラムに、九郎は慌てて背を向ける。別段子供の裸に、ましてや下着姿にドギマギしたりはしないが、なぜ脱ぐのか。


「おいっ抱きつくなっ! 少しは恥じらいも覚えろって!」

「だって、ドレスが皺に成っちゃうじゃない。ん~……クロウとこうして寝るの久しぶりな気がする……」


 裸を見られた時には、あれ程恥ずかしがっていた筈なのに、いつの間にこんなに大胆な性格になったのだろうか。ベルフラムが昔を思い出すように呟くと、九郎は大きくため息を吐く。


おらぁそもそもあっちゃいけねえ気がするぜ……」


 ベッドの端で寝転ぶ九郎の背中に、ベルフラムは抱きつき背中に額を付ける。

 ベルフラムはしばらくそうしてじっとしていたが、「……笑わないでね?」と小さく囁き話し始める。


「私、いつも一人きりで真っ暗な部屋で寝るのが怖かったの……」


 恥ずかしそうに九郎の背中に向かって話すベルフラム。


「そりゃあ、あの穴の中に長い期間居ればそうなるよなあ……。ってかそれでか?! いっつも俺の部屋まで来て寝てやがったのは?」


 合点がいったとばかりに、振り返る九郎にベルフラムは少しだけ恥ずかしそうに顔を伏せる。子供っぽい自分を恥らう羞恥心は残っているようだ。彼女の恥らう基準が良く分からなくなってくる。


「クロウの部屋で寝てたのはそうなのかも……でもね、あの暗い穴の中でも私怖いって思った事は無かったの……。ずっと一人で寝てたから誰かと一緒に寝るのがあんなに安心するって知らなかったの……私が歩けなくなっちゃってからは、目が覚めてもずっとクロウが歩いてたからちょっと不思議だったけど……ちゃんと寝てたの?」

「ちゃんと寝てたよっ!」


 実は九郎はあの時は不眠不休で歩き続けていたのだが、ベルフラムに心配をさせた所で何の益も無いのは判りきっている。小さな嘘をつく九郎にベルフラムは安心したように目を瞑ると、九郎に抱きつきながら囁くような小さな声で呟く。


「でも私ずっとクロウの背中で寝てたから……クロウの背中、私の形に凹んじゃったかもね」


ベルフラムはそう言って九郎の腕の中に体を潜り込ませると、甘えるような声で続ける。


「ねえ……クロウ……」

「何だよ……。子供は早く寝ろっての」


 まだ眠るには早い時間なので仕方無いかと思いつつも、九郎はベルフラムの頭を軽く叩く。


「ギュッてして……?」

「まったく……ベル、お前幼児退行してねえか? ほんとに子供みたいだぞ?」


 こんなに甘えるような子供だったのかと、九郎は思いながらもベルフラムを優しく抱きしめてやる。

 九郎の抱擁に、ベルフラムは安心したように目を瞑る。


「…………えへへ。…………………あったかいなぁ……」


 ベルフラムは涙声でそう言って九郎の胸に体を寄せると、やがて小さな寝息と共に眠りに落ちて行った。


(愛情に飢えてんのかねえ……? 母ちゃんも早くに亡くした見てえだし、どう考えても親父さんの方もあんまし構ってもらってねえみてえだしなあ……。しかも大人の中に子供一人で孤独だった………か。貴族って奴も大変なんだろうな……)


 ――愛情は俺も集めねえといけねえんだけどなあ――そう思いながら九郎もまた眠りの中に沈んで行った。

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