第034話  ひとりぼっち


「クライン! 話が有ります!!」


 突如部屋に入って来たこの屋敷の小さな主人、ベルフラムにクラインは驚きの様子で立ち上がる。


「姫様。レイアとクロウ殿の剣の稽古をご見学されていたのでは?」


 クラインは驚きながらも部屋に入って来た主人に椅子を勧める。

 しかしベルフラムはそのクラインの行動を一瞥しただけで、椅子に座ろうともせずクラインに詰め寄る。

 その表情は怒気を孕んでおり、瞳は僅かに赤く腫れぼったい。

 ただ事ではない屋敷の主人の形相に、クラインは慌てながらも佇まいを正し、主人の言葉を待つ。


「クライン、レイアに何とクロウを説明したのか言ってみなさい!」


 少女の物とは思えないほどの威圧を感じ、クラインは額に薄っすらと汗がにじむ。

 孫娘に、この少女の命の恩人であろう九郎に剣を教えろと送り出したのはつい先程の事だ。

 その僅かな時間に、この少女がこれ程怒る何かがあったのだと、クラインは考えどう言うべきか逡巡する。

 その僅かな時間さえも我慢ならないと、ベルフラムは怒りの形相を強くする。


「クライン! 私の問う意味が解らないの? なら質問を変えるわ! クライン・ストレッティオ! お前はレイアにクロウの事をどう言う人物と説明したの?」


 ベルフラムの質問に、クラインはビクリと体を強張らせる。

 それはおよそ、老人が子供に対してする仕草とは思えないほど焦りに満ちた行動だ。

 クラインは額に流れる汗を感じながらも、狼狽えた表情を見せない様、勤めて平静に答える。


「はっ! 姫様をかどわかす可能性のある人物と……」


 それを聞いてベルフラムはさらに怒気を強める。

 大人しいと思っていた少女の剣幕に、クラインは背中に嫌な汗が伝うのを知覚する。


「それでは重ねて聞くわ。お前はこの屋敷のメイドがどのようにクロウを噂しているか知っていて?」


 先程からのベルフラムの強い口調――。ベルフラムはこれまで、クラインの事をお前呼ばわりなどただ一度もした事が無い。なのに、今に至っては名前すら呼ぶことを嫌う様子に、クラインの背中に汗が吹きだす。

 何がこの少女をここまで怒らせる原因になったか。クラインが必死に頭を巡らせていると、ダンッと床を踏み鳴らす音。

 主の無言の催促に、クラインは恐々と口を開く。


「はっ……。姫様を無理やり襲った男であると……」


 クラインはメイドの噂話などあまり気にしてはいなかったが、それがどの様な感じで噂されているかくらいは知っていた。頭を下げながら、クラインはどうやったらこの主人の怒気が治まるか考える。


「私はあの時、お前にちゃんと説明したと思っていたのだけど……お前には理解できなかったのかしら?」


 俯くクラインに突き刺さる怒気の籠った少女の視線。


「しかし……姫様ほどの御身分の方がその身を差し出したとなれば……アルフラム公爵閣下の評判も……」


 貴族たる者――そう説得しようとクラインが言葉と共に頭を上げると同時、ベルフラムの瞳がスーと薄くなる。

 それまで膨れて、はち切れんばかりだった怒気が薄れるような気配にクラインが息を吐き、そして固まる。

 凍える様な視線がクラインを射貫いていた。

 クラインが何度となく目にしてきたベルフラムの目――平民を見る目。何の感情も伺えない、氷のような眼差し。


 その冷たい眼差しでベルフラムはクラインを見詰めると、小さな溜息を吐き背を向ける。


「……そうよね……。クラインは別に私に仕えているつもりも無かったのよね……。お前はお父様の騎士であって、私の騎士では無いのだから……」


 どこか納得したような、晴れやかな声が部屋に響く。


「私は東の屋敷に移るわ……誰も来させないで……」


 去り際にそう言ってベルフラムは執務室をあとにした。

 残されたクラインは、呆気に取られたようにその後ろ姿を見送ることしか出来なかった。


☠ ☠ ☠


「クロウっ! 行くわよっ!」


 先程までぐずっていたベルフラムが、突如どこかに行ってしまい、所在無げに自室のベッドに寝転んでいた九郎は、またもや部屋に飛び込んできたベルフラムに、驚きながら身を起こす。

 ベルフラムは、両手で大きなトランクを一つ抱えていた。


「行くって何処にだよっ!」


 目元は腫れているが、いつも通りの元気なベルフラムに、九郎は安堵しつつ突っ込みを入れる。

 ベルフラムはトランクを床に置くと九郎に飛びつきながら答えてくる。


「東にある別の館よ! かなり古いからまだ使えるか解らないけど、これから引っ越しよ!」


 何の話かと九郎が首を捻っていると、ベルフラムは明るい口調で言葉を続ける。


「クロウってばこの屋敷にいると気を使うって言ってたでしょ? だからそっちに移るのよ!」


 ベルフラムの清々しいほど弾んだ声。

 ああ、ついに隔離されちまうんか。そんなんするんだったら、いっそ追い出してくれりゃあ良いのに……と暗鬱な表情を浮かべる九郎とは対照的だ。


「クロウの持っていく物は……私のあげたナイフだけね? じゃあ行くわよっ!」


 有無を言わせぬ強引さで、ベルフラムはぐいぐい九郎を引っ張っていく。

 九郎は観念して引っ張られるままに、ベルフラムの後に続く。

 持って来たトランクが重そうだったので、ベルフラムごと担ぎ上げ、九郎はため息交じりに問いやる。


「分かった分かった。そう焦んなくても言う通りにしてやんよ。んで何処まで運ぶんだ?」

「外に出て真直ぐ東に歩いて行ってちょうだい!」

「外に出ていいのかよ? 俺はてっきり軟禁されてんのかと思ってたぜ?」

「良いのよ、屋敷の主人の私が良いって言ってんだから」


 ベルフラムはさっき泣いてたのが嘘の様に明るい。

 その変わり様に多少の疑問は残るが、子供は泣いているより笑っている方が良いと九郎は付き合うことにする。


「おっしゃ! まかしとけっ! 道案内はたのむぜっ!」


 九郎がそう言うと、ベルフラムは九郎の腕の中から、無言で外を指さした。


☠ ☠ ☠


 九郎はこの屋敷に来てから、一度もくぐった覚えのない立派な門をベルフラムを担ぎながらくぐる。

 門から先に続いていたのは、石畳で舗装された立派な道だった。

 両脇に植えられた街路樹と冬の午後の日差しが、石畳の上に淡い斑模様を描いている。

 屋敷の門をくぐり出てからベルフラムは一言も発せず、ずっと後ろを見続けていた。


 30分程歩いた頃だろうか。


「私ね……悔しかったの……」


 ベルフラムがやっと口を開いた。


「…………もぉ泣き止んだのかよ?」

 

 九郎はゆっくりと問いかける。

 ベルフラムが九郎の肩でスンと鼻をならす。


「クロウは私を助けてくれた英雄なのに……皆に馬鹿にされて……」

「別に気にしちゃいねえとは言わねえが、ベルがそんな泣かねえでもいいじゃねえか?」


 自分のお気に入りが貶されたことで、悔しさを覚える気持ちは良く分かる。

 九郎は苦笑しながらベルフラムの髪を撫でる。


「クロウはさ……、私の事どう思ってる?」


 九郎の肩で涙を拭ったベルフラムが、唐突に話題を変えてくる。


「ん~……周りから姫様、姫様呼ばれてんのは見てんだけどなあ……。やっぱり俺からみりゃあ、唯のこまっしゃくれたガキんちょだな」


 泣いている子供に言うには正直過ぎるかと迷ったが、九郎は素直な感想を述べる。年の割にしっかりしているし、頭が良いのも伺えるが、ベルフラムは九郎の前では子供っぽい。


「また子供扱いする……。でも……そうね……。私はただの子供。でも……そう思ってくれていたのは、クロウだけだったのね……」


 九郎の答えにベルフラムは一瞬ムッとした表情を作るが、何かを悟ったかのように軽く息を吐き、空を見上げた。


「そりゃあどうゆーこった?」


 子供と見てると言ったが、子供らしからぬ何かを悟った物言いに、九郎は眉を下げて問い尋ねる。


「私ね……ずっとひとりぼっちだったの……」


 ベルフラムはその言葉を噛みしめるように言った。


「……そう言やあ、昨日そんな事言ってたな……。友達いねえって……」

「そう言う事じゃ無いの……。私はあの屋敷でもずっとひとりぼっち……」


 空を見上げながら、ベルフラムは消え入りそうな声で言葉を続ける。


「クラインさんとかメイドさんとか一杯いるじゃねえか?」


 ベルフラムの屋敷には少なく見積もっても、30人を超える召使たちがいた。そんな状況でひとりぼっちと言い放つベルフラム。

 ベルフラムは九郎の返しに力なく首を振ると、再び空を見上げる。九郎の服を掴んでいたベルフラムの手が、ギュッと強く握られていた。


「みんな私を見ていないの……。屋敷の家臣達も、この街の領民達も、勉強を教えてくれる先生も、……クラインさえ、みんな私の後ろ……領主のお父様を見ていただけなの……」


 ベルフラムの孤独感は九郎も何となくだが気付いていた。

 あの大勢いる屋敷の中でも、ベルフラムは九郎以外に親しく話しかけたりしている姿を見た覚えが無い。

 親の七光りが強過ぎた所為で、ベルフラムは孤独を募らせていたようだ。


「クロウは私が皆からなんて呼ばれていたか知ってるでしょ? そうよ……『姫様』『姫様』『姫様』……。誰も私を名前で呼んでくれない……。誰も私を私と呼んではくれないの……。私はアプサル王国レミウス領の領主の娘……。私の名前は関係無いのよ……」


 思い出してみれば確かに、九郎の記憶の中で、ベルフラムは一度も名前を呼ばれていなかった。

 ベルフラムは、赤くはらした目を少し伏せながら九郎の耳元で囁く。


「最初にクロウと出会った時覚えてる? あなたいきなり私の名前をベルって呼ぼうとしたでしょ? 私あの時すっごく焦っちゃって……。私をベルって呼ぶ人なんて一人もいないのにね……」


 照れた様な、自虐したようなベルフラムの様子に、九郎は言葉に詰まりながらも何か言わねばと口を開く。


「そ、そりゃあ光栄だなっ! じゃあ俺はお前の愛称の名付け親って所だなっ! この先お前がベルって呼ばれる度に『あの愛称、俺が付けたんすよ~』って言って回ってやんぜ!」

「何よそれ……」


 慌てた所為かかなり頓珍漢な言葉が九郎の口を出る。

 あまりに予想外の返しだったのか、ベルフラムはやっと僅かに笑顔を覗かせていた。

 呆れた様子で苦笑を溢したベルフラムは、空を見上げてポツリと呟く。


「……でも、そんな日が来るといいわね……」


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