第032話  思惑は踊る


 パチパチと音を立てながら暖炉の薪が爆ぜる。

 冬の寒さを和らげる暖かな炎の灯りは、少しの範囲に熱と火照りをもたらしている。

 薄暗い部屋の中ベルフラムは独り、ぼんやりとその炎を見つめる。

 ベルフラムの様な幼子に慰められたのがショックだったのか、九郎は項垂れながら自室に戻っていった。


「嬉しい誤算と嫌な誤算……両方いっぺんに来ると、どうして良いか解らなくなるわね……」


 暖炉の傍で椅子に腰かけたベルフラムが独り呟く。

 嬉しい誤算とは九郎が『来訪者』であった事だ。

神の力ギフト』を与えられ、運命であるかのように栄光への道を歩むとされる『来訪者』。

 その力はおとぎ話の英雄の様であり、まさしく伝説の存在と言える。

 庇護下に入れば繁栄を約束され、敵対すれば滅ぼされる。

 九郎と出会った当初、九郎を『来訪者』だと睨んだベルフラムは、なんとかして『来訪者』との繋がりを得ようと九郎を離さなかった。

 しかし、九郎はそれこそ、『弾丸兎バレットラビット』の様な弱い魔物にすら手こずる有様であり、そこでその考えは誤りだったとベルフラムは考え直していた。

 しかし今日、九郎から自ら『来訪者』であることが明かされた。

 この時ベルフラムは九郎が嵐の中の一本の木板の様に映っていた。

 自分の運命を変えてくれる一筋の光に見えたのだ。


 12歳で結婚してその後ずっと後宮で過ごす人生など、ベルフラムは嫌だった。

『来訪者』との繋がりは、そんなベルフラムの人生を変えてくれる一縷の望みと思えていた。


 しかし嫌な誤算――九郎の『神の力ギフト』は、言ってはなんだが、ベルフラムが思っていた以上にショボかった。

 隠していた物と思っていた九郎の『神の力ギフト』は、何のことは無い、ベルフラムでも楽に使える火の初級魔法の様な物と、薬剤師が作れるであろう『毒』の生成。それと水筒代わりの能力だけだと言う。

 そんな能力で栄光の道を歩む事が出来るのだろうか。

 いや、九郎が栄光の道を歩むかどうかは関係ない。

 ベルフラムにとって重要なのは、九郎がベルフラムの運命を変えてくれる人になるのか、どうかだ。

 他の貴族たちを納得させ、父であるアルフラムにベルフラムと言う存在を認識させる。

 それを九郎が成し得る存在であるか……ベルフラムは瞳を閉じて考えを巡らす。


「もう……時間無いのよね……」


 今朝クラインから、父であるアルフラムが『大地喰いランドスウォーム』の討伐を終えたと知らせを受けた。

 後、10日もすれば父が城に帰ってくる。

 そうなるとやって来るのは遅れていたベルフラムの誕生日パーティーの名を借りた、顔も知らない男との婚約だ。


あの時・・・・……あの言葉・・・・を紡いだのは私の運命?」


 ベルフラムは『大地喰いランドスウォーム』の穴の中で九郎に言った言葉を思い出す。

 あの時ベルフラムは九郎が『来訪者』だとは思っていない。

 なのにこの身を差し出す言葉が出たのは何故なんだろうか……。

 あの空腹と虚脱の感覚の中、常に見続けていた九郎の背中。

 ベルフラムが投げ出そうとした彼女自身の命さえ諦めない、そんな意思を感じさせた諦めの悪い男。


 ベルフラムは暖炉の火を見詰めながら自分の感情の理由を探す。

 あの時自分は、九郎に運命に立ち向かうべく必死で魔法を習得してきた自分自身を重ね合わせたのかも知れない。

 あの時ベルフラムは、ある意味満足していた。

 あの生きることを投げ出す瞬間、ベルフラムは自分の意思で初めて自分の運命を決めれたと感じていた。

 必死でベルフラムを背負う九郎に、自分を捧げる事でやっと自分を手に入れた気分になれた。

 だから、あの言葉は今でも曲げられないベルフラムの大事なものだと感じている。

 ――クラインに対しては、婚約に対する最後の足掻きとして伝えていたが……。


「しかし……『愛』なんて本当に存在するのかしら?」


 九郎の目的は『真実の愛』を10人分受け取ると聞かされている。

 ベルフラムにとって『愛』とは男女の交わりの事であり、子を成す為の『行為』だ。

 九郎の言う『好意』の先の『行為』と言うのが余り理解できない。

 しかし、ベルフラムにとっては九郎は最後に残された手札である。

 頼りない手札だとはベルフラムも思うが、何とかして繋ぎ留めなければとも思っている。


「……この体はクロウには余り魅力的には映らないようだし……」


 ベルフラムは自身の胸に手を当てながら考える。

 彷徨っていた時は骨と皮だけになっていたベルフラムの体も、やっとの事元に戻って来ている。

 この国ではこういった幼い躰が好きな男も大勢いると聞くが、九郎は幼子を抱くことに対して何やら忌避感を覚えているようだ。

 しかし、もう時間が無いのも確かで、残された手札は一枚しかない……。

 九郎が何とか運命を変える一枚になってくれるようベルフラムは行動することにした。


☠ ☠ ☠


「クロウ! 特訓しましょう!」


 九郎がベルフラムに、自身を『来訪者』だと明かした次の日の朝、ベルフラムは九郎の部屋に入るなり、開口一番そう言った。


「ん?」


 なぜこの少女は自分の着替えの時に部屋に入って来るのか――と考えながら九郎はズボンを穿く。

 ベルフラムは顔を引きつらせている九郎を気にせず笑顔で続ける。


「だってクロウは英雄にならないとダメなんでしょ? 『真実の愛』とやらを集める為に……」

「ああ……」


 確かに九郎は、「『英雄』になって10人分の『真実の愛』を集めなければならない」と昨日ベルフラムに告げていた。

 だが、九郎の『神の力ギフト』を見たベルフラム自身が、なんだか期待外れの様相を見せていた為、九郎は自分の能力に殊更ことさら自信をなくしていた所だった。

 そんな九郎の塞いだ表情に、ベルフラムは九郎の手を握りながら笑顔で言い寄る。


「私にとってはクロウは英雄だけど、クロウは多くの人にとっても英雄にならなきゃいけないのよね?」

「お、おう……」


 私にとってはクロウは英雄――その言葉に多少救われる気分でいる事に、なんだか言いようの無い情けなさ感じながら九郎は頷く。


「なら、クロウが強くならなきゃいけないじゃない? それにクロウはこの世界に来て、まだ間が無い訳でしょ? ならきっと強くなれる方法があるはずよ! 剣だって魔法だって知らないから出来ないだけかも知れないじゃない!」


 ベルフラムの提案に、九郎はハッと顔を上げる。

 ベルフラムの言うとおり、九郎はまだアクゼリートの世界の魔法も、剣術さえ良く分かってはいない。

 剣で首を切断されたり、魔法で火だるまにされたりはしたが、九郎が魔法を使おうとはした事も無かった。

 ベルフラムから剣を貰っていても、刻んだのは食べ物と自分自身の体だけだ。


「そ、そうだよなっ! まだこっちの世界にきてから3か月位しか経ってねえもんな! 俺の隠された力が有るかもしれねえよな! ショボイ『神の力ギフト』だけが俺の力な訳ねえしなっ!」


 目から鱗と九郎は自分を取り戻す。

 クロウ自身もショボイと思っていたのね……との言葉をベルフラムが必死に押し隠しているのは気付かない。

 ベルフラムは九郎の手を両手で握り、励ますように言葉を続ける。


「そうよっ! クロウはまだ何も知らないんだから、もしかして凄い才能が有るかも知れないじゃない? クロウは余りこの屋敷に居る事を良しとはしていないみたいだけど、このままこの屋敷を出ても全然強く成れなかったら『英雄』なんて難しいじゃない。だったらクラインや私から剣術や魔術を習ってみたらいいのよ」


 そう嬉しそうに話すベルフラムに、九郎も何だかその気に成って来る。


「そうだよなっ! 最初っからチートで強くっても、面白くもねえもんな! やっぱりこう言うのは修行しなくちゃ始まんねえよな!」

「そうと決まれば先ずはクラインに言ってみましょう! クラインは、今はあんなお爺ちゃんだけど、昔はお父様の近衛の騎士団長だったのよ? きっとクロウの才能を見出してくれるわっ!」


 クラインと聞いて、九郎は少し尻込みしたくなったが、ベルフラムの明るい笑顔と、自身の可能性に引きずられるように部屋を出た。


☠ ☠ ☠


「ふむ……剣の手解てほどき……ですか……」


 ベルフラムに引っ張られるように部屋に入ってきた九郎を見ながら、クラインは考え込む様に白くなった顎鬚を撫でる。


「そうよっ! クロウは私を『大地喰いランドスウォーム』から救い出してくれて、私がこの体を捧げた・・・・・・・・・英雄だもの! クロウは剣術をした事が無いって言ってるけど、すごい才能が有るかもしれないわっ!」


(なんで、そう誤解を生むような言い方をすんだよっ! クラインさんの目がこえ-よっ!)


 ベルフラムの殊更強調した「体をささげた」のセリフにクラインの九郎を見る目が、ギラリと光った気がする。

 九郎は背中に冷たいものが走る感覚を味わいながら、愛想笑いを浮かべる。

 ベルフラムは九郎の手を抱きかかえる様にしながら、笑顔を九郎に向ける。

 クラインの剣呑な視線に、九郎は胃の痛みを抱きかかえる。


(ぜってーまだ誤解溶けてねえよっ! あんだけ説明したのに、まだ疑われてるよっ!)


 九郎は心の中で叫びながら、クラインの返事を待つ。

 クラインは執務中であったのか、持っていた羽ペンを机に置くと立ち上がり、


「姫様をお救いされた恩人を打ち据える・・・・・のは、少々気が引けるのですが……」


 ニッコリと笑ってベルフラムの提案を承諾した。


(今、打ち据える・・・・・って言ったぞ?! このじーさんっ!)


 クラインのセリフに九郎が引きつった顔で冷や汗を流す。


「その姫様たってのお願いとあらば……この私めが骨を折るのも・・・・・・やぶさかではございませんな」

(誰の骨を折るつもりだっ?!?)


 ゆらりとした動きで九郎を見るクラインに、思わずそう叫びそうになった九郎だった。


☠ ☠ ☠


(姫様はこの様な笑顔を人に見せる御方だったでしょうか……)


 九郎の腕に寄り掛かって、九郎を見上げるベルフラムの笑顔に、クラインは思う。

「剣を見るなら、外で」とクラインが言った為、部屋を出て屋敷の中庭に向かっている九郎とベルフラム。

 その後ろに歩いていたクラインは、ベルフラムの笑顔に少し戸惑っていた。


 聡明な子だ――と、最初にベルフラムを目にした時にクラインは思ったが、同時にベルフラムの中に、何か燻る火種の様な――野望の様な物を持っている子だ――とも思った。

 騎士団長、教導官を務めあげたクラインに、最後の奉公にと命じられたベルフラムの執事。

 それ程手が掛かる訳でも無く――たまに我儘を言ったが――どちらかと言うと大人しい、大人びた子供だと思っていた。

冷炎フリグフラム』と巷で噂されるよう、平民を見る目は冷たかったが、その身分を考えれば当然の事だろう。王族に連なるアプサルティオーネの名を持つ少女なのだから。


 ベルフラムが『大地喰いランドスウォーム』の出現した付近で行方不明となった時、ベルフラムの父であるアルフラム公爵は早々と娘を諦める選択をした。

 アルフラムにとってベルフラムは第5子女であり、上の兄達4人が健在であったが為に、ベルフラムにあまり期待をしていなかったのかも知れない。

 勿論、クラインは捜索を願い出たのだが、『大地喰いランドスウォーム』の出現域を捜索するという事は、軍を率いるという事だ。

 討伐の為の軍を編成している最中さなかに、それ程の人員を割ける筈も無い。

 行方が分からなくなってから1月も経つ頃にはクラインも諦め、屋敷を引き払う準備をしていた。

 この屋敷はベルフラムに与えられた屋敷だ。主人が居なくなれば用が無くなる。

 そんな、うら寂しい気分で屋敷に残った細々とした仕事を片付けていた時、急にベルフラムが帰ってきたと知らせを受けた。

 寝床に入っていたクラインは、慌てて――身支度をする事すら忘れ、ベルフラムが待っていると伝えられた衛視の詰所に駆けつけた。

 そこで見たものは、信じられない位痩せ細り薄汚れた、自身の主人であった。

 その風体に涙を堪える事も出来ず、年甲斐も無くむせび泣いたクラインにベルフラムは一言「ただいま」と告げた。

 泣きながらも、自分が今まで見てきた少女はこんな優しげな言葉を掛けてくれるような子供だったかと――いや、子供だからこそ、こんな風体に成る程の危機を身に受け弱気になったのだろうと、変な感想を持った。

 しかし、そのベルフラムは彼女をここまで連れてきたと言う、クロウと言う青年が倒れたと見るや、クラインが見たことも無いくらい取り乱した。

 自身の足で立てない程弱っていたベルフラムが、クラインの腕の中から飛び出す勢いで抜け出し、半狂乱で青年の名を呼び続けた。

 青年を屋敷に運び込んでからも、ベルフラムは青年の傍を片時も離れようとはしなかった。

 クラインが止めるのも聞かず、青年を自室に運び込ませると、食事も寝る時にさえ青年から離れようとはしなかった。クロウを抱きながら眠るベルフラムに、クラインは何とも言い得ない思いを持った。


(嫉妬……でしょうかね……。年甲斐も無く……)


 ベルフラムが「自身の身はクロウのモノだ」と宣言した時は取り乱したが、その発言に至った経緯を聞いて、クラインはさらに驚愕した。

 年端もいかない少女が、自身の命を捧げるほど、この青年に傾倒している事に……。


 そして現在も、ベルフラムは九郎にだけ子供の様な笑顔を見せて懐いている。


(それ程まで、姫様が心細い中で見つけた――光だったのでしょうか……)


 極限状態に追い込まれた子供が、頼るべき寄る辺を手離す事は難しい。

 しかし、安全になった今でさえベルフラムは九郎から離れようとはしない。


(それとも何かが――クロウ殿にはあるのでしょうか……?)


 クラインは前を歩く九郎を注意深く観察する。

 均整のとれた顔立ちだが、少女の心を虜にするほど美男子でも無い。

 体格を見るに戦いに慣れた身体つきでも無い。


(――それを今から確かめてみますか……)


 クラインはそう考えながら目を細めた。

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