第029話  壁ドン


 ――九郎が目を覚ましたその日の夜。


 ベルフラムと食事を終えた九郎は、豪華な応接室に通された。

 久々に食べた、味のある食事に九郎は腹を撫でながら、案内された椅子に腰かける。

 ベルフラムが隣の椅子に腰かけながら食後の紅茶をメイドに持って来る様に言いつけている。

 豪華な、そしてふかふかのソファーだ。

 九郎が体が沈み込む感覚を味わっていると扉が開き、一人の身なりの良い老人が入ってきた。

 九郎は一瞬だけ、部屋の空気が張り付いた様な奇妙な感覚に囚われる。どこかで経験したような、なんとも居心地の悪い空気。

 針の筵に近い空気に九郎が無意識に背筋を伸ばす中、老人は一瞬だけ九郎に鋭い視線を投げかけすぐさま表情を戻した。


(誰だったっけ? どっかで見た――ああ! ベルフラムを迎えに来た人!)


 扉から入ってきたのは、ロマンスグレーの髪を後ろで纏めた壮年の男性だった。

 背丈は九郎と同じ位高く、背筋をピンと伸ばして歩く姿は年齢よりも若々しく見える。

 灰色のズボンを履き、白いシャツの上に灰色のジャケット。腰に細身の剣を差している。

 一言で言えば「渋い老人」といった様相だ。

 老人は九郎の対面の椅子に腰掛け、クラインと名乗ると、やおらテーブルに手を付き頭を叩きつけんばかりに下げた。


「此度姫様を救って頂いた事、誠に感謝いたします。クロウ殿がられなければ、姫様に二度と会いまみえる事も叶わなかった……。深く、深く感謝いたします!」


 膝くらいの高さの大理石のテーブルに手を付いて頭を下げるクラインに九郎は恐縮する。


「いやいやいや、俺の方こそ4日もお世話になったみたいで恐縮っす。すいません、こちらこそ助かりました」


 ほぼ初対面の先達に出会い頭で頭を下げられるほど、むず痒く尻の座りが悪い状況も無い。

 九郎は慌てて腰を浮かせ、言って自分も頭を下げる。

 

「そう言って頂けると……。此れは、姫様がクロウ殿に下賜かしされた物と聞き及びました。お返しいたします」


 クラインはソファーに座り直しながら、九郎に向き直ると一振りのナイフをテーブルに置く。

 ピシャータの街でベルフラムが九郎に渡したナイフだ。

「男が丸腰ではみっともない」との理由で持たされた物だが、くれた物だとは思ってなかった。

 九郎はナイフを受け取りながら、メイドが運んできたお茶に口をつける。


「本当に気にしないで下さい。俺も明日には此処をお暇しようかと思っていますから……」


 九郎が恐縮したままそう答えると、突然ガタンと音が鳴る。

 横でベルフラムが目を見開いていた。

 聞いていないとでも言いたげな怒ったような表情と、今にも泣き出しそうな顔。

 二つが合わさった驚き顔の少女に九郎の胸はチクリと痛む。


 なんやかんや言ってても、一か月以上の間、片時も離れなかった関係だ。

 とても懐いているのは、九郎にだってわかる。


 しかし、九郎にも目的がある。

『真実の愛』と言う何だかよく解らない物を10人分も受け取らなければならない。

 未だ、フラグの一本も見えて無い現状でのんびりしている暇は無い。


 ベルフラムが九郎の事を憎からず思っているのは、なんとなく解るが、それは極限状態に追い込まれた時に、頼る者が自分しか居なかった為の、なんと言うか吊り橋効果の様な物だろう。

 それに何より、九郎自身が少女趣味ロリコンでは無い。


「人んに長々と世話になってると、なんか気持ちが落ち着かないつーか、居心地が悪いしな」


 九郎はそう言ってベルフラムを諭すように苦笑を向ける。

 驚いた表情のベルフラムは、九郎の言葉にキョトンとした表情を浮かべる。

 涙の一つでも見せて名残を惜しんでくれるのか――と九郎が思った瞬間、ベルフラムからおかしな言葉が飛び出した。


「どうして? この屋敷はクロウのものじゃない」


 その言葉に九郎は間の抜けた顔になる。

 いつの間にそんな事になったのか? ベルフラムが礼をすると言っていたが、屋敷ひとつをぽんとあげれる程ベルフラムの家は裕福なのだろうか?

 今いる部屋も豪華だし、彼女に対する周囲の対応からも、かなりの身分だと言うのは分かってきていたが、図太い部類の九郎も、流石に屋敷をくれると言われて「ざーっす」と受け取る事は出来ない。

 第一屋敷など貰っても、九郎の手に余る。


 九郎が混乱した様子でベルフラムをまじまじと見やると、ベルフラムはそんな九郎の表情に疑問符を浮かべていた。

 言葉の意味が伝わらなかったの? とでも言いたげに可愛らしく首を傾げたベルフラムは、暫く考え込む素振りをしたあと、ハタと手を打ち顔をあげる。


「ああ、違ったわ。この屋敷は私のものだけど、私がクロウのモノだった」


 瞬間、部屋の空気が5度ほど低くなった気がした。


「ど、どう言うことでしょうか……詳しくお聞かせ願いたいのですが……」


 カタカタとテーブルの上のカップが躍り始める。


「い、いや、分かんねーっす! 俺も分かんねーっす! おい、ベル! どう言うこったっ!?」


 九郎は慌てふためきながら両手を広げて首を振り、助けを求めるようにベルフラムを問いただす。

 震える声でクラインがベルフラムの方にゆっくり向いた。

 ギギギとでも音がしそうなその動きに、九郎は悪い予感の兆しを見た。


「だってあの時言ったじゃない……」


 ベルフラムは顔を赤くして、少し恥ずかしそうにうつむいていた。

 あどけない少女の恥らう素振りに九郎の悪い予感は更に膨らむ。


「何をだよっ!?」


 思わず叫んでから、九郎は自分の迂闊さを呪った。

 

私をあげる・・・・・って……」


 さらに部屋の温度が5度程下がる錯覚を九郎は感じた。


「ほ、ほ、ほほう……私めはてっきりクロウ殿は姫様の命の恩人かと聞いておりましたが……」

「お、お、落ち着いて下さいっ! クラインさん!」


 クラインが手にしていた紅茶のカップが、カチカチと皿に打ち付けられる音が聞こえる。

 うつむいていて表情は見えないが、剣呑な空気がクラインから吹きあがる。


「わわわ私めは、お、落ち着いておりますぞ……ひ、姫様、わ、『私をあげる』とはど、どういった意味で?」

「え? 言葉通りの意味よ? 『私の体をクロウにあげる』ってクロウに言ったの」


 きょとんとした表情でクラインに、事無げに告げるベルフラム。

 部屋の温度はさらに下がり今や氷室と言ったところか。


「ほ、ほ、ほほ……ほほう……『躰をあげる』ですかぁぁぁぁぁ?」


 クラインが『躰』の部分を強調した問いかけに、女性が男性に『躰をあげる』と言う言葉に含まれている意味に気付いたのか、ベルフラムが顔を真っ赤にして頬を押さえていた。

 自分が言った言葉が何を意味していたのか、気が付いた様子だ。


(この年でその事・・・を知っているなんてなんともマセたガキんちょだ……)


 九郎はベルフラムの耳年増に閉口しながらも、なんとかこの微妙な空気感が薄れる事を願う。


「あ、違うの! クラインあなた邪推しすぎよ! あの時いった意味は『わたしを食べて』って意味なのっ!」


 あわあわと両手を交差させながら、ベルフラムが自分の言葉を訂正する。


 ガチャガチャガチャッ


 九郎の後ろで、お茶のお代わりを用意をしていたメイドが、それをトレイごと落とす音が聞こえる。


「ほ、ほ、ほ、ほう……。それで姫様のあの、せ、せ、接吻に繋がるのですかな?」

「何それ俺知らない!」


 そう叫んだ九郎は、次の瞬間ドンッと強い衝撃を受け、椅子から半ばずり落ちていた。

 驚く間もなく見開かれた目の前にはクラインの鬼の形相が控えていた。

 いつの間に抜いたのか、ベルフラムから見えないように肩で隠した細身の剣が九郎の首筋に宛てられている。

 ベルフラムは顔を耳まで赤くしながら九郎から顔を背けると、九郎の叫びに言い訳する。


「ああ、その、クロウずっと寝てたでしょ? それでね……私がクロウが私にしたのと同じように食べさせたの……」

「ばっ! おまっ! 何してくれちゃってんの? それでか! それでクラインさんがこんな風に勘違いしてんのか? あああ! 近いっ! 近いっすよ、クラインさん!」


 迫る鬼の形相から顔を背けながらも食折るはこの部屋に蔓延していた空気の正体に気が付く。

 クラインがこの部屋に入って来た時のなんとも言えない緊張感。

 あれ・・は彼女の家に招かれた時の、父親に面通しされた時の緊張感に良く似ていたのだ。

 どうやら九郎は、クラインにとって『ベルフラムにつく悪い虫』に見えていたのだろう。

 幼い令嬢が懐くどこの誰とも分からない馬の骨。警戒するなと言う方が無理な話だ。

 一応の命の恩人の建前があるので無下にも出来ないが、10やそこらの少女が裸も同然の姿の男の傍を片時も離れようとしないだけで気が気では無かったのだろう。


「おいベル! お前もあん時は弱気になってただけだ! 本心じゃねえよ!」


 納得いった九郎は、ベルフラムに向かって状況を説明するよう求める。

 暗い『大地喰いランドスウォーム』の穴の中で一か月以上彷徨い歩いた最中、食料も底を尽き、自らの死期を悟ったベルフラムが九郎に願い出た言葉。

 そんな極限状態のなかで紡ぎだされた言葉だ。

 無事に安全な家に戻った今、その言葉を口にすると全く違った意味になって来る。


 言葉の訂正を求めた九郎に、しかしベルフラムは怒ったように頬を膨らませた。

 ぎゅっと拳を握りしめ、捲し立てるよう抗議してくる。

 あの時の、あの思いは本当なのだと。


「だって私本気だったもん! あの時は少し怖かったし……泣いちゃったけど……痛くても我慢したもん!」


 結果話は更に悪い方へと転がって行く。


「おい! そのセリフは心意気の話だよなっ! 痛くても我慢するつもりだった・・・・・・って意味だよな? 間違ってねえよ ? 文章的になんら間違ってねえよ? けど、状況的には大間違いだよっ!」


 九郎は首筋に宛てられているクラインの剣の柄を抑えながら叫ぶ。

 脳のリミッターが外れていて、人の3倍の力を持っている九郎だが、それでもクラインの手は動いてはくれない。

 ベルフラムが口を開く度に、九郎はまるで爆撃でも落とされているような錯覚を覚え、必死に弁解するしかない。


「そ、その言い方じゃあ、まるで俺が痛くしたみてえじゃねえかっ!!」


 九郎はベルフラムを害する事など、何一つやってはいない。

 だが、覚悟の有り無しを言った筈のベルフラムのセリフは、取り様によっては、既に成された結果に聞こえてしまう。九郎は必死に訂正を促す。


「ほ、ほ、ほ、ほ、ほほう……。く、クロウ殿はよほど腕に自信があ、あ、有るようですなあぁぁ!!!」

「近いチカイ近いチカい近い!! 落ち着いて! クラインさん落ち着いて! おい、ベル! 何とか言ってくれ!」


 九郎のベルフラムへの訂正を求めたセリフは、クラインは取り違えていた。

 しかしその誤解はどうかと思う。

 女衒やAV男優でもあるまいし、何より相手は11歳の少女。下衆の勘繰りも甚だしい。


 ズブリと九郎の首筋に充てられた剣がソファーにめり込む。

 クラインの形相は、今や鬼を通り越して地獄の邪神か何かの様だ。

 涙目で抵抗している九郎にやっと気づいたのかベルフラムが慌ててクラインを止めた。


「そうね、クロウは私に痛い事なんて何もしてないわよ。落ち着きなさい、クライン」


 やっとのことでこの勘違いから生まれた喜劇から解放される――そう安堵した九郎だったが、クラインの勘違いはさらに斜め上を行った。


「そ、そ、そ、それでは姫様も、き、き、気持ち良かったとでもおっしゃるのですかなぁぁぁ?! クロウ殿の一物は余程小さいのでしょうかっっぅ?! 」

「何言っちゃってんの?! ジーさん暴走してるって! おい! 誰か止めてくれっっっ!!」


 もはや握っている剣を隠そうともせず、クラインは腕に力を込めていた。

 その腕を押さえる九郎も必死の形相だ。

 刺されても死ぬような体では無くなっているが、訳あってベルフラムの前で『不死』を明かす訳にもいかない。何より誤解で刺される等、馬鹿馬鹿しいにも程がある。


「?? え? 一物って男性器の事よね? どうして急にそんな話になるのかしら? クロウのは此の位だけど此れって小さい方なの?」


 一言口を開く度に暴発する誤解を振り撒く爆弾は、深く埋めていた筈の地雷に当たって誘爆していた。

 子供だてらに感じた疑問は直ぐに口から出るタイプなのだろう。

 しかしそれは現状を更に悪くする言葉でしか無い。

 この位だったかしら? と両手を広げたベルフラムの言葉にクラインの目がすぅっと細まった。


「ベルぅぅっっ! ナンデソレを今聞くのぉっ? クラインさん近いチカイ近いチカイ! 違う違う違う違う!」

 

 決して九郎が意図的に見せつけた訳では無いが、訳有ってベルフラムは九郎の息子ジュニアを見慣れてしまっていた。

 それも極限状態の中での話であり、目の前で悪鬼の形相の老人が思い浮かべているような事とは全く違った理由なのだが、誤解は誤解を生み続け、もう収集が付かない状態になってしまっている。


 九郎の男としての誇りプライドを守るかの如きセリフも、今のこの場では心臓への一撃にしかならなかった。

 既に涙目で両手を小さく肩の横で挙げ、降参と無抵抗を表していた九郎にクラインの憤怒の顔が迫る。


「!! ちょっとなにしてるの、クライン! クロウが怯えているわ。止めなさい!」


 今まさに、一つの命が消えようとしている状況――『不死』の九郎は死ぬことは無いのだが――にやっと気付いたベルフラムが慌ててクラインを再度止める。


「し、し、し、し、しかし姫様!!!」

「聞こえなかったの? クライン・ストレッティオ! 止めなさい!!」


 クラインの抗議を一蹴するベルフラム。

 ビクリとクラインの動きが止まる。

 九郎はそんなベルフラムを呆気に取られるように見ていた。

 今まで見てきたベルフラムの表情とは思えないほどの強い眼差し。


「し、失礼しました。少し取り乱しました……」


 そう言って剣を収めたクラインを見ながら、九郎はやっとこの喜劇から解放された思いで、ソファーからずり落ちていった。


☠ ☠ ☠


「……アルフラム公爵閣下にご相談しなければ……」



 何とか話し合いの空気に戻った九郎は、必死になってクラインに事の成り行きを説明していた。


 何故、「ベルフラムが九郎のモノ」だと言っているか―――。

 何故、「ベルフラムが九郎のモノの大きさ」を知っているのか―――。

 勿論、九郎は『不死』である事は隠していた。

 最初から『不死』であることを隠そうと考えていた訳では無かったのだが、ベルフラムにだけは隠し通さなければ成らない理由があった為だ。


 ベルフラムが極限の状態で九郎に「私を食べて」と願った言葉――。

 その言葉の重さにベルフラムは気付いていないようだったが九郎は気付いていた。


 人が人を喰らうと云う業の重さ。

 そしてその禁忌を犯させた九郎は、この事をベルフラムに気付かれる訳にはいかなかった。

「私を食べて生きて」と願ったベルフラムが何を食べて・・・・・生き延びたのか・・・・・・・は――。


 そうやって、何とか説明し終えた九郎だったが、ベルフラムは首を横に振って拒否を示す。


「どんな状況であっても、私は私の言葉をたがえる気は無いわ!

 私は私の意思で『私をクロウにあげた』の! だから私はクロウのモノよ!」


 頑なに言葉を覆さないベルフラムに、クラインは苦渋に満ちた表情でベルフラムに告げたのだった……。


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