第二章  バイタリアン

第028話  『英雄』と『化物』


王国歴1467年 新黒の月 15日


 アプサル王国レミウス領主アルフラム公爵の住まうレミウス城。

 広いアプサル王国の中であって、その1割にも及ぶ領土を誇るレミウス領。その力を他者に見せつけるかのように聳えるレミウス城は、豪奢と言うより荘厳と言った雰囲気を纏っている。

 白亜の宮殿と噂される王城と違い、御影石を大量に使用した城壁は灰色の光沢で見る物を圧倒させる様だ。

 北に『風の魔境』アゴラ大平原を臨む故に、この地の兵士は皆屈強であり、また多くの魔物を狩る者達、すなわち『冒険者』も他の地より大勢いる。


 そんな冒険者の集まる酒場が、今日も喧騒を冬の闇夜に振りまいている。

 扉から漏れ出る暖かな光が、月夜で青く輝く雪道にオレンジ色に線を引く。


「よう! 景気はどうだ? ナッシュ!」

「久しぶりじゃねえか、ジャルセン! とんと姿を見せねえから、おっんじまったのかと思ってたぜ」


 声を掛けた男ジャルセンが店の給仕に酒を頼みながら、声を掛けられた男ナッシュのテーブルの正面の椅子に腰を下ろす。


「まあ何とかかんとか、って所だがよ」


 ジャルセンは運ばれてきた酒を受け取り、続いて給仕に軽い料理を頼むと数枚の銅貨をテーブルに放り投げる。

 給仕がそれを集めて立ち去るのを見ながら、ジャルセンはカップに継がれた琥珀色の液体を半分ほど飲み干す。

 強い酒精が喉を通り抜ける快感に目を強く瞑り、酒臭い息を大きく吐きだしながらナッシュに顔を向ける。


「そう言やあ、バーランの野郎がくたばったらしいぜ」


 そんなジャルセンの様子を見ていたナッシュは、少し影落とした表情で顔なじみの冒険者の訃報を口にした。

 寂しい事だとは思うが、冒険者と言う職業に就いているなら、避けられない話だと思う。

 しかし、そんな冒険者と言う過酷な仕事に25年も就いていた、手練れの冒険者の訃報には、やはり驚きを隠せない。


「バーランが? あの『鉄バケツ』のバーランがかよ!?」


「鉄バケツ」のバーラン。間抜けな仇名だが、ここいらの冒険者の中ではかなりの有名所だ。

 全身を覆うフルプレートを装備した屈強の戦士であり、経験豊富なベテランでもある。そうそう簡単に死ぬようなやからでは無いはずだった。


「ああ……。何でも『大地喰いランドスウォーム』に飲み込まれたらしいぜ。パーティメンバー全員がよ……」

「前に有った時は、えらく景気の良い雇い主ができたって言って回ってたのになあ……」


 ナッシュの言葉にジャルセンは、成程と思う。

 災害級の魔物『大地喰いランドスウォーム』が相手であれば、どんな手練れの冒険者であっても無理な話だ。

 そもそも、あの規格外の化け物に対抗するには『万を超える軍隊』が必要なのだから。


「しかし、あのバーランが死んじまうとはねえ……」


 どこか懐かしそうな表情で酒を煽るナッシュに、同じくカップを傾けるジャルセンの動きがハタと止まる。


「ん? おいナッシュ酔ってんな、おめえ?」

「なんだ~? やぶからぼうに。これしきの酒で俺が酔う訳ねえじゃねえか」


 今の話はどこかがおかしい――。ジャルセンはカップの酒をチビリと舐めるとテーブルの上にカップを置く。


「いや、酔ってるよお前さんは。今、変な事言ったじゃねえか」

「あ? 変な事?」

「だって可笑しいじゃねえか?パーティメンバ全員が『大地喰いランドスウォーム』に飲まれたってんだったら、いったい誰が・・それを見てたんだよ? アレの大きさは、そん所そこらの魔物とは桁が違うんだぜ?

 それこそ100ハインの大口の丁度外側に人でも居たってのかよ? あれに出会って無事に済むなんて、それこそ酔狂でも言わねえってやつだ!」


 からかうように捲し立て、ジャルセンは知己の馬鹿さ加減を笑う。

 そう――『大地喰いランドスウォーム』は大きいのだ。あまりにも大きすぎるのだ。

 ジャルセンも実物を見たことは無いが、その爪痕は見た事が有る。

 天変地異でも起こったような、無残な爪痕は――。

 大地は裂け、そのあぎとが穿った跡は、城すら入りそうなほど巨大なものだった。

 近くにいて無事な者など存在し得ない。

 そう言ってニヤリと笑い酒を煽るジャルセンに、ナッシュは頭を掻きながら少し声を潜める。


「まあ、噂ってか、俺も信じちゃいねえんだけどよ……」


 まあ、そうだろう――こんな与太話にいちいち付き合っていたら、それこそ頭の中身を疑われる。

 興味を失ったようにジャルセンは酒の追加を給仕に頼むと、面倒そうにナッシュを一瞥する。


「何でも、あの『大地喰いランドスウォーム』に喰われたのに生きて戻った奴がいるらしいぜ?」

「ああ、悪かった。酔ってんじゃなくて俺を担ごうって魂胆なんだな?」


 どんな冗談だ、とばかりに片手をひらひらさせながら、ジャルセンは運ばれてきた肉の煮物を口に運ぶ。

 何の肉かは解らないが、スープの辛い味付けが悪く無い。


「違えって。信じらんねえだろうが、そいつは何でも、あの化け物の糞と一緒に出てきて助かったって話だ。んで、そいつを護衛してたんがバーランだって話さ」

「なんだあ、その間抜けな話は? 酔っぱらった冒険者アイツラが好きそうな法螺話じゃねえか……」


 本格的に食事にするかと、ジャルセンはメニューの書いた薄汚れた木の皮を眺める。


「まあ、おめえさんがそう言うのも分かっちゃいたがな……この話には続きがあってよぉ……。実はもう一人居るらしいんだよ、ミミズの腹から出た奴が……」


 もう既にこの話に興味を失っていたジャルセンだったが、ナッシュの言葉にメニューを傍らに置きながら向き直る。こう言った話は「その人物が1人では無い」となったら話が変わる。

 同じパーティーメンバーなら名を売る為の法螺だろうが、所属の違う者が、同じ法螺話を同時にするのには、理由があるはずだ。


「へえ。折角だから聞いてやるよ。誰なんだ? その酔狂な奴は?」


 ナッシュは一瞬周りをキョロキョロと警戒すると、顎で扉の外をしゃくって声を潜める。


「城の姫さんだって話だ……」

「………おいおい、いきなり物騒な話になってきやがったじゃねえか……。嫌だぜ? おらぁ不敬罪でしょっ引かれんのは……」

「だよなぁ……。この話はどう考えたってアルフラム公の評判を落とす類の話だもんなあ……」

「第一、あの・・姫さんだろ? あの『冷炎フリグフラム』の……」


 レミウス領を収めるアルフラム公爵の末娘ベルフラム・ディオーム・レミウス・アプサルティオーネ。

 歳は10か11くらいだったはずだが、驚く事にその年齢で第4階位の魔術を使う事ができると噂されている少女。

 この酒場にいる魔術師ソーサーラの連中の殆んどが、そこまでのレベルには未だ達する事ができないでいるのに、10やそこらの少女がそれを超えてしまっている事実。

 そして政事まつりごとなどで姿を見せる時の、領民を見る冷たい眼差しから、『冷炎フリグフラム』等と言う二つ名で呼ばれる貴族の姫君。

 そんな高貴な姫君が、ミミズの糞から生還した等と噂されれば、その権威は地に落ちてしまう。

 大方、公爵位をもつアルフラム公に嫉妬した、どこかの貴族が流した出鱈目だろう――そう結論付けるとジャルセンは、再びメニューを手に取りながらナッシュを笑う。


「大体よぉ……その話からすると、そのもう一人は姫さんの護衛か何かだろ? 『大地喰いランドスウォーム』の腹から貴族の姫君を助け出す……話だけ聞きゃあ英雄譚サーガの類だろうがよぉ……。あの『大地喰いランドスウォーム』の腹から出て来るなんてのは『英雄』じゃ無くて『化物』てんだよ!」


 そう言いながらジャルセンは追加の酒を煽る。

 ナッシュが低く笑いながら「ちげえねえ」と同意の言葉を続けた。


☠ ☠ ☠


「ぶえっくしょんっ!!」

「………汚いわねぇ……。そんな薄着だから風邪引いたんじゃない?」


 盛大にくしゃみをした九郎に、ベルフラムが眉を顰めながらハンカチを差し出す。

 体を拭いていた九郎が驚きながら振り返る。

 いつの間に部屋に入ってきたのだろうか。

 肩で切りそろえた燃えるような赤い髪。吸い込まれるような緑の瞳が、今は少し座っている。形の良い眉が片方だけあがりながらも、その小さな口元は笑いを噛み殺しているかのようにムズムズ動いている。


「俺が風邪なんかひくかよっ」


 ハンカチを受け取りながら九郎が答える。

 そもそも、九郎の体が風邪をひくとは考えられない。風邪で倒れる『不死』など聞いたことも無い。

 それに九郎の体は寒さにも直ぐに慣れる・・・

 ハンカチを受けとったには良いが、使い道も思いつかず九郎はそのままベルフラムに突き返す。

 ベルフラムは部屋のベッドに腰掛けるとぶらぶらと足を遊ばせていた。


「どうしたんだよ? そろそろ寝る時間じゃねえのか?」


 シャツのボタンを留めながら、九郎が怪訝そうにベルフラムに尋ねる。


「……そうなのだけど……まだ眠くなんないのよね……」


 所在無げに足をぶらつかせながら、ベルフラムが答えてくる。


「んな事言ってねえで、さっさと寝ろって。大体、こんな時間にお前が部屋に来てると、また俺が――」


 そう言って振り返った九郎が、額に手を当て渋面する。

 眠くないと言っていたベルフラムが、スヤスヤと寝息を立てていた。


(眠くねえって言ってたんじゃねえのかよっ! お前はのび太君かよっ!?)


 九郎はその光景に頭を抱える。

 心情的にはそのまま、ベルフラムを抱きかかえて、ベルフラムの部屋まで運んでやれば良いだけだと思うのだが、今はそういった事はご法度だ。

 悩んだ末、九郎は夜番のメイドにこっそりと声を掛けて、ベルフラムを運ぶ姿を見ててもらう。

 ベルフラムを部屋に寝かしつけて、自室に戻り、メイドに礼を言うと九郎はベッドに倒れ込んだ。


(なんで俺まだここに居んだろ……)


 その原因を考えると今でも胃が痛い。


 九郎が目覚めてから、2週間の時が経とうとしていた……。

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