第027話  『不死』『変質者』『英雄』


王国歴1467年 新黒の月 2日


 レミウス城から馬で3日程北西に離れた位置にある、アルバトーゼの街の西に立つ大きな屋敷の一室。

 付近の屋敷に比べても一際ひときわ立派な屋敷の、その中でも一番豪奢な一室に男が寝かされていた。


 暖かそうなガウンを着た黒髪の男は、人が3人は楽に寝転べそうな程大きなベッドの上で、穏やかな顔で瞼を閉じている。

 その大きなベッドの横で男の手を握った、赤い髪の少女が微睡みながらも目を覚ます。

 少女は寂しげな表情で男の髪を撫でながら、寝ている男に語りかける。


「…………そろそろ起きてよ…………クロウ…………」


 大きな緑色の瞳から大粒の涙が溢れてくる。

 何日泣いていたのか、泣きはらした瞼は赤い。


 九郎とベルフラムが『大地喰いランドスウォーム』の穴から脱出したその日の夜中。二人は、何とかこのアルバトーゼの街に辿り着いた。

 ベルフラムは、一度休んでから進むべきだと九郎に言ったが、九郎は聞き入れてはくれなかった。

 未だ自力で歩けないベルフラムの体調を慮ってか、九郎は休む事を恐れるかのように歩き続けた。

 幸運だったのは、這い出てきた出口から、このアルバトーゼの街まで左程の距離も無かった事だろう。

 当然の事ように街の門の守衛に止められたが、赤黒く血に汚れたケープを腰に巻いただけの男と薄汚れたドレスを纏い、悪臭を漂わせた少女の組み合わせに、警戒しない方が問題だろう。

 またしても守衛室に連行される羽目になってしまったが、ベルフラムはホッとした表情で成り行きに身を任せた。


 このアルバトーゼの街は、冬の間ベルフラムが過ごす屋敷が有る街だ。

 屋敷にはベルフラムの乳母であるベミンや執事のクラインもいる。

 九郎の持っていたナイフの紋章と、ベルフラムが持っている召使の形見が身元を証明してくれるだろう。

 夜中であったこともあり、幾分長く待たされたが、守衛室の外から聞こえた声にベルフラムは喜色を浮かべる。


「姫様! ご無事でしたか!」


 寝巻にコートを羽織っただけの、慌てて出てきたのが一目でわかる格好の老人が、扉を開けて入ってくる。


「クラインっ!」


 ベルフラムにとって、父よりも長く傍に居た老人。飛びつこうと椅子から立ち上がり、そのまま床に突っ伏しそうになる。まだ歩けない体であることを忘れていた。


「ったく……危ねえなあ……」


 九郎が、転びそうになったベルフラムを片手で支えながらぼやく。


「姫様っ! 姫様つ!」


 九郎よって支えられたベルフラムに、クラインが滂沱の涙を流しながら駆け寄る。

 ベルフラムに縋ってオイオイ泣き続けるクラインに、少し困った顔をしながらベルフラムは「ただいま」と短く告げる。ベルフラムの頬にも涙が零れた。後ろで九郎の「――よかったな……ベル」と安堵した声が聞こえた。


「急ぎ医者の手配を! 神殿の術師も呼んでください! 屋敷の者は全員叩き起こすように!」


 ベルフラムを抱きかかえたクラインが守衛に指示を出す。


「クライン! クロウもいっしょに!」


 クラインがベルフラムを抱きかかえたまま外に飛び出そうと踵を返したので、ベルフラムが慌ててクラインを止める。その時だった。

 ガタンと大きな音を立てて、九郎は椅子から糸の切れた人形の様に崩れ落ちた。

 あの時のベルフラムの取り乱しようは、乳飲み子から彼女を知っているクラインさえ知らないものだった。

 半狂乱でクラインの腕から飛び出し、這い寄って泣き叫びながら九郎の名を呼び続けたベルフラムは、この街を収める領主の令嬢とは程遠いものであった。


 あれから4日――九郎は眠り続けている。

 九郎を診断した医者は、


「どこも異常は見当たりません。体も健康そのものです。私ができることはありませんな」


 とクラインに告げ、部屋を後にした。眠っているだけらしい。

 ベルフラムは止める執事の言葉を聞き入れず、九郎を自分の部屋に寝かせると片時も離れないでいる。

 40日以上行方が分からなくなっていた娘に未だ父は顔を見せてはいない――。

 城のすぐ近くにあんな災害級の魔物が出たのだ……。その対応に追われてそれ所では無いのだろう――。

 冷たい――等とはベルフラムは思わない。公爵である父にとっては自分ベルフラムは政治の道具にしか過ぎないのは解っている。

 それよりも、自分たちが一月以上、穴の中を彷徨っていたことの方が驚きだった。

 途中の記憶が朧気であるのだが、それ程長い間、闇の中に閉じ込められていたとは思いもつかない。


「クロウはずっと寝て無かったのかしら……」


 ベルフラムは九郎の髪を撫でながらポツリと呟く。

 この男はベルフラムの記憶の中ではいつも起きていた。「寝ているだけだ」と医者に言われた時も、最初はずっと起きてたからか、と納得もした。その話を医者に伝えたら医者は眉を顰めてベルフラムにこう言ったが……。


「姫様。人間はそれ程長くは起きてはいられません。最高でも5日。それ以上は発狂してしまいます。この男もしっかり寝ていたんですよ。それに体は健康そのものです。とても無理をしていたとは思えませんな」


 ベルフラムは傍らの机に置いてある皿から粥を掬いあげると、九郎の口元に運ぶ。

 流し込まれた粥が九郎の喉を動かすのを確認すると、ベルフラムは再び九郎の髪を撫でる。手に持つ匙が少し煩わしく感じるのは、長い間手づかみで食事をしていたから――だけでは無い。


(皆の前でやらかしちゃったしなあ……)


 九郎の髪を撫でながらベルフラムは顔が熱くなるのを自覚する。


 九郎が眠り続けて2日経った頃。

 ベルフラムはメイドにいつものように料理を運ぶよう言いつけていた。

 この屋敷に帰って来てからベルフラムは、いつもこの部屋で食事を摂っていた。

 片時も目を離さない。彼女の中ではそれは九郎が自分にしてくれたことを、そのまま返しているだけのつもりだった。


「クロウもお腹が空いてるわよね……」


 ふと、そう思ったベルフラムは九郎の元へと移動すると、九郎にも食事をさせた。

 九郎が自分にしてくれた様に。

 ―――口移しで―――。


「姫様! この世にはスプーンと言うものが有るのです! 高貴な身である姫様がなんとはしたないっ!」


 呆然とした表情のクラインの横で、乳母のベミンが眉を吊り上げて怒っていた。

 メイド達の好奇の目が思い出される。


「穴の中にスプーンなんて無かったんだもん……」


 誰に言い訳するでもなく言うと、ベルフラムは傍らの皿から、一匙粥を掬い口に運ぶ。

 ぬるくなった粥が喉に落ちる。九郎の枕元に涙が落ちる。


「ねえ……クロウ……。早く起きてよ……。クロウが起きてくんなきゃ……わたしご飯も美味しく感じないよ……味なんて解んないよ……」


 涙が溢れて止まらなかった。

 ――自分はこんなにも泣き虫だったのか――

 ベルフラムが泣きながら九郎の頬に触れる。

 九郎の胸に顔を埋めて嗚咽を漏らすベルフラムの頭に、その時何かが触れた。


「……お前いっつも泣いてんなあ……」


 いつもの様に優しく撫でられる感触にベルフラムは一層声を上げて泣いた。

 窓の外は夕闇の中、新年の祭りの灯りが、闇を払う様に輝いていた。


☠ ☠ ☠


「……お前いっつも泣いてんなあ……」


 胸の上でしゃくりあげているベルフラムの背中を優しく叩きながら、九郎は呟く。


「クロウが死んじゃったかと思ったんだもの……」


 九郎の胸に縋りながらベルフラムが涙声で反論する。


「死なねえよ……何度も言ってっけど、俺は不死身の英雄ヒーローなんだからよ!」


 九郎は頭を掻きながらいつもの調子で答える。


(最後の最後で心配掛けちまったな……。こんなこっちゃ、まだまだ英雄ヒーローは名乗れねえよなあ……)


 涙声で話すベルフラムによると、自分は4日間も眠り続けていたらしい。

 どの位の間寝て無かったのかは解らないが、かなりの時間起き続けていた事は間違い無いのだ。

 ベルフラムの「ただいま」のセリフと共に、九郎の緊張の糸は断ち切られてしまったのだろう。

 そんな風に考えていると、九郎の腹が物欲しそうな音を立てる。

 間近でその音を聞いたベルフラムが、驚いて涙目のまま顔をあげると笑顔を向ける。


「クロウ! お腹空いてるでしょ? 一緒に食べましょっ! あ、でもその前に着替えないとね」


 そう言うとベルフラムは呼び鈴を鳴らし、メイドに九郎の服を持ってくるよう言いつける。

 すぐさま用意された服を持って来ると、メイドは部屋を出ていく。

 男性の着替えに気を利かせたのだろう。


「所でお前は出て行かないのか?」


 九郎はガウンを脱ごうとして、傍を離れないベルフラムに半眼で尋ねる。


「どうして? ここは私の部屋よ?」


 眩い笑顔を浮かべながら、ベルフラムが首を傾げる。

 成程、この豪華な部屋はベルフラムの部屋なのか――と見渡しながら九郎は再度尋ねる。


「いや……お前、いっつも恥ずかしそうに騒ぐじゃん……」

「もう見慣れちゃったもの」


 ベルフラムの口からは衝撃的な発言が飛び出していた。11歳の少女が自分くろう息子ジュニアを見慣れたなどとは曲がり間違っても有ってはならない。九郎は慌てて否定する。


「お、おいっ! み、見慣れたって程見せちゃいねえよっ!? 2回だけだろっ! しかも不可抗力でっ! い、一瞬だけだったろ!?」


 声が震えている。こんなに焦ったのはベルフラムの「食べて」発言以来だろう。


(こ、これは忌々ゆゆしき事態ですぞ! 幼女ロリに「見慣れた」なんてセリフ、事案どころの騒ぎじゃねーよ! もう、掘りの中だよ! 情状酌量の余地すら一片の欠片もねーよ! 後ろ指さされる生活一直線だよ!)


 懇願するような、慌てふためく様子で聞き返す九郎に、ベルフラムは少しだけ顔を赤らめて答える。


「……でも……クロウずっと私の前を歩いていたんだもの……」


 ――それがどうして息子ジュニアを見慣れる事になるんだよっ! と九郎は反論しようとして、続くベルフラムの言葉に顔が引きつる。


「ずっと目の前でぶらぶら揺れてたんだもの……」


大地喰いランドスウォーム』の穴の中で、九郎はベルフラムが歩いている時はずっと、ベルフラムの少し前を歩くようにしていた。もちろん、危険からベルフラムを守れる位置にいようとした結果だ。

 しかし、九郎の身長は高い。対してベルフラムは小さい。丁度九郎の腰ほどしか無い。

 結果、腰に長さの足りない布を巻いただけの九郎の直ぐ後ろ、腰の高さにベルフラムの頭が来ることになる。

 前から見ても辛うじてしか隠せていない九郎のモノは、ベルフラムの目の前で九郎の動きと共にぶらぶらと揺れ続けていたとの事だ。


(と言う事はなんだ……。俺は年端の行かない幼女の目の前で息子ジュニアをぶらぶら見せつけながら歩いてたって事か!?)


 九郎は苦悶の表情で記憶を辿る。歩いているとき、獲物を捌く時、薪に火を点ける時、しゃがみでもしたら丸見えではないか……。九郎は記憶の全てに黒ベタの修正が入る思いがした。


(『ヘンシツシャ』の『神の力ギフト』の名に嘘偽り無しじゃねえか……。英雄を目指しちゃいるが、もし俺が英雄になれなかったら……)


 自分の置かれている状況に九郎は身震いし、青ざめる。

『不死』の『英雄』ならカッコいいだろう。女性を口説くにしても、なんら問題も無い。

 だが、『変質者』の『英雄』なら問題有りだ。だが『英雄』であれば、なんとか、そう、頑張れば好きになってくれる女性もいるかもしれない。

 しかし、『不死』の『変質者』は問題外だ。最悪だ。響きからしても恐ろしい。

局部を見せつけながら迫ってくる『不死』の『変質者』……。殴っても、斬っても、燃やしても復活しながら迫ってくる『変質者』を想像して、九郎は顔を歪める。


 青い顔で九郎が自分の想像した未来に渋面していると、ベルフラムが涙を拭いながら笑顔を向けていた。

 少し照れくさそうに、それでいて真直ぐ九郎を見詰める少女の視線に、九郎が唾を飲み込む。ここで悲鳴を上げられたら、確実に詰む。


 彼女が見て来た中で今迄で一番情けない表情を浮かべる九郎に、ベルフラムは輝くような笑顔と共に口を開く。


「起きたら一番に言おうと思ってたのに、忘れちゃってたわ! わたしを送り届けてくれて、私を守ってくれて……ありがとう、クロウ! あなたは私の英雄よ!」


 そう言って再び抱きついてくるベルフラムに、九郎は少しだけ救われたような気がしていた。

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