第020話 奈落の底
暗闇の中、土砂の落ちて来る音だけが続いている。
押し流されたのか、地割れに飲み込まれた時間から大分経ったのか、次第にさらさらと砂の落ちる音に変わったことを確認して九郎は馬車から這い出ようとベルフラムに声を掛ける。
いくら頑丈そうな造りの馬車でも、屋根はへしゃげ、室内が変形している。あの長い時間落ちていた感覚から考えても、かなりの高さから落ちたのだろう。
「ベルフラム、出れそうか?」
九郎の腕の中でベルフラムがスンと鼻を鳴らす。
「暗くて何にも見えないわよ。もうあまり落ちて来る音は聞こえないけど……」
耳をそばだてると、確かにガラガラと大きなモノが落ちて来る音は聞こえない。
だが、ズズズズと大地の揺れる振動は未だ止んでいない。
「先に出てくれ! 俺が動くと馬車が崩れそうだ! 手探りでも窓かどこか開いてないか?」
「ちょっと待ってよ……。もう! お気に入りのドレスが泥々になっちゃうじゃない……」
九郎の言葉にベルフラムがごそごそと動く。幸い、馬車の中は、ベッドが馬車内の大半を占領していたおかげで動くことは問題なさそうだ。
「クロウ! こっちから出れそうだわっ!」
そう遠くない距離からベルフラムの声。
「よしっ! 先に外に出て声で誘導してくれ」
そうベルフラムに伝えると、九郎は背中に力を加える。そこまで重い物が乗っているようには思えないが、どんな拍子に崩れるかも解らない。暗闇の中でベルフラムが手探りで動く音だけが耳に響く。真の闇の中では時間の感覚も希薄になるのか、ベルフラムの気色ばんだ声が聞えて来た時、かなりの時間が経っているかに思えていた。
「出れたわっ! 本当に真っ暗ね……。聞こえる?」
「少し離れてくれ! 一気に外に出る!」
九郎はベルフラムの声がする方に意識を集中すると、まず自分の体の感覚を確認する。
落ちている最中は『不死』の『修復』の力は使っていないので周囲から血の匂いが充満している。
『再生』の力は体力を持って行かれる感覚があるし、自分の『死んだ肉の一部』を見ることになるので、『修復』の方が便利なのだが、九郎はその方法は取らなかった。取れなかったと言った方が正しいかもしれない。
(間違ってベルフラムに俺の肉片が着いちまったら、ベルフラムごと削り取っちまうもんな……)
確かめなくても馬車の中は血まみれのスプラッタハウスだろう。人間の体も、強烈な衝撃を受けると水面のように飛沫を上げるとは思わなかった。内側に来る衝撃は全て体の前面で留めていたが、背中から飛び出るものに関しては気を回す余裕が無かった。飛び散った肉片や脳みそがきっとそこらじゅうに散らばっているだろう。ベルフラムが血の匂いに気付かなかったのが幸いだ。恐怖と泣いていたせいで、そこまで気が回らなかったのだろう。
むせ返るような自分の血の匂いに渋面しながら、九郎は馬車の梁からそっと背中を放すと一気に外へと這い出す。
暗闇から暗闇に移動するのは、言いように無い不安感が伴ったが、どうやら広い場所へは出れた様だ。
先程充満していた血の匂いから解放され、九郎はコキと腰を鳴らす。
「ベルフラム! 俺も出たぞ! 何処にいる?」
なまじ広い場所へと出たせいか、声が反共して距離感が働かない。暗闇の中、目を凝らしてみるがこの場所も光が入って来ないのか、伸ばした自分の手さえ見えない。
「ちょっと待ってろ! 何か火がつく物探して来る!」
「ちょっと待って! 私がなんとかするからじっとしてて!」
割合、近くにいたのか、ベルフラムの声が直ぐ傍から聞こえてきていた。
(なんとかするったって、ガキんちょに何が出来んだよ……)
九郎が思いながら木切れを探そうと地面にしゃがみ込んだ時、ベルフラムが歌うように短い言葉を口にする。
「――『深淵なる赤』、ミラの眷属にして闇を払う炎の子らよ。照らして!
『フラム・ルーチェム』!」
暗闇に響いたベルフラムの声に呼応するように、闇の中に小さな
オレンジ色の光が2メートルほど浮き上がると、周囲は夕方位の明るさになる。
「……すっげえなお前……。なんだコレ……。ただのこまっしゃくれた、ませたガキんちょじゃ無かったんだな……」
「どう? 驚いたでしょ? って言うか子供扱いしないでって言ってるでしょ! ませても無いわよ! 何、変な言葉追加してんのよっ! って……きゃあああっ! クロウ! 顔が真っ赤よ!? どうしたのよっ!? 怪我したの!?」
得意そうに小さな胸を張っていたベルフラムが、九郎のセリフに異議を唱えようと近づいて来て、突如慌てた。
九郎の白いシャツは黒く見えるほど血に染まっており、顔もペンキを被ったかのように真っ赤になっていた。
自分の姿が、ベルフラムを慌てさせるだけの参事だと気付いた九郎は、慌ててシャツを脱ぎ顔を拭う。
「大丈夫だって! 言ったろ? 俺は不死身の
「だまりなさいっ! ちょっと後ろ向きなさいよっ!」
九郎の言葉に取り合わず、ベルフラムは九郎の背中に回って目を走らせる。
そこには傷一つ無い九郎の背中しかない。
「だから言ったろ? かすり傷でも、血が結構出る事なんて良くある事だろ?」
九郎は肩を竦めながら立ち上がると辺りを見渡す。
大きな空間が九郎の目の前に広がっている。地割れに飲まれた筈なのに、上を見上げても暗い天井が見えるだけで星も見えない。
「とりあえず、急いで他の人たちを探そう」
「そ、そうね……」
九郎はベルフラムにそう言って周囲を探索し始める。ベルフラムも我に返ったように辺りを見回す。魔法の光はベルフラムに付き添うように、ふわふわとベルフラムの上空を漂っている。
「だれかー! 無事ですかー?!? 誰かいませんか―!!!」
呼びかけながら御者台の方に近づき、そこに見えたモノに九郎は思わず息を飲む。
御者台は大きな木に潰され、瓦礫と土の間から動かない人の足だけが覗いていた。同じく、馬車に繋がれていた馬も首を潰され死んでいる。
この世界に来て初めて目にした自分以外の人の死体。足だけであり九郎のように凄惨なモノでは無いにも関わらず、言いようのない恐怖が襲って来る。
近づこうとするベルフラムを手で制し、九郎は馬車の後ろへと歩を進める。
何処かから土が崩れる音が聞こえて九郎は眼を彷徨わす。
ガラッ
視線の先に土から生えた銀色の人の手の様なものが覗いていた。
「ベルフラムっ!!」
九郎は短く叫ぶと走り出し、銀色の手を握る。
ベルフラムも気付いたのか九郎の後に続いて走り寄る。
「生きてるぞ!」
弱く握り返してきた手に、九郎は喜びの声を上げた。夢中で周囲の土をどける。ベルフラムも先程、泥にまみれるのを嫌がっていたとは思えない様子で土を掘りかえしている。
しばらく掘り進めると銀色の兜が目に入る。
「もう少しだ! がんばってくれ!!」
九郎は銀色の肩が見えるまで土を掘ると、一気に引っ張り上げる。着れば動けなくなりそうだ――そう思っていた重そうな鎧も、大岩を持ち上げられるようになった今の九郎の力であれば、引き抜ける。
銀色の鎧を着た男が、安堵したように兜を脱ぎ、土で汚れた顔を九郎に向けた。
「助かった……。礼を言う……」
「バーランさんも無事でよかったっス」
☠ ☠ ☠
「どのくらい落ちたんでしょうね……」
焚火の炎を見ながら九郎がポツリと呟く。
バーランを救出した九郎はその後、すぐさま他の者たちの探索を始めた。
そして九郎は岩に潰された4人の冒険者の遺体と、馬車の中で首をあらぬ方向に曲げたまま動かないベルフラムの召使を見つける事となった。
――俺は……この鎧で生きながらえたのだな……。
バーランの絞り出したような言葉が耳にまだ残っていた。
ベルフラムの出した魔法の光は未だ周囲を照らし続けていたが、言いようの無い寒気に、九郎は集めた木々を焚火にくべていく。
ベルフラムも何も言わずじっと炎を見つめている。
手には形見なのだろうか、召使が付けていた簡素な首飾りが握られていた。
「どうだろうな……。『
バーランが上を見ながら答える。手にはベルフラムと同じく、4人の冒険者の形見が握られていた。
確かに彼が言う通り、周囲を探索してた時に、やけに天井の高い場所が存在していた。そこから砂や土がばらばらと振って来ていた事を考えると、その可能性が高そうだ。
「さっきの
バーランは立ち上がると、砂が降って来ていた方向と逆へと歩き出す。
九郎も慌ててベルフラムの手を引き後に続く。
ベルフラムは何か言いたげではあったが、何も言わず九郎の手を握ると歩き出した。
(まあ不安だろうなぁ……。もう少しで家って時にいきなり穴の中じゃ、俺がこんくらいの時だったら、ぜってー泣き喚いてただろうなあ……)
九郎は空いた手でベルフラムの頭を撫でると前へ進む。
穴から入って来たであろう土砂はなだらかな丘を作っているようだ。丘の上に、逆さになった木が、斜めに土砂に突き刺さっていた。洞窟の広さは、かなり有るようで魔法の照らす光の範囲でも壁らしきものが見当たらない。
ズズズズと低い音が洞窟内を揺らしている。
(早く脱出しねえと崩れちまうんじゃね?)
九郎が、天井を見上げながらそう思った時、先を歩いていたバーランから声がかかる。
「おい、来てくれ! こりゃあ……地底湖か?」
魔法の灯りが照らす中、静かに佇む湖が九郎の目に飛び込んできた。
目の前には悠々と大量の水が広がっている。
「おい! あそこに穴があるぞ!」
バーランが指し示した先、湖の水面からおよそ4メートルくらいの所に大きな横穴が見えていた。
横穴が見えた場所は水際から30メートルほど先、今までは見えなかった壁は、天井と同じくとっかかりが無いようだ。
(そういや、ここは鍾乳洞みたいなツララがねえな。)
九郎は、高校の修学旅行で行った、山口の秋芳洞を思い出して、再び湖を見る。
何も無い、壁が見えるだけの大きな湖。石筍も何も見当たらない。
魔法の光のせいか、オレンジに見える水面が地響きで少し波打っている。
「湖を渡らないと先に行けそうも無いな……。命を救ってくれた鎧だがここでお別れか……」
バーランがそう言って鎧の留め具を外しにかかる。
「ちょっと! こっち見ないでよっ!!」
「んなセリフはもうちょっと大人になってから言いやがれ……」
ドレスの肩に手を掛けたまま、真っ赤な顔をして怒りを表すベルフラムに、九郎はボヤキながら顔を背けて腰のベルトに手を掛ける。
ふと足元を見ると水面が直ぐ傍まで来ていた。
(あれ? こんなに近くまで来ちまってたか?)
九郎が首を傾げたその時、水が靴に触れた。
途端、ジュッと言う音と共に九郎の靴が煙を上げる。
立ち込める嫌な臭い。横でバーランが張り裂けんばかりの声で叫ぶ。
「酸だ!!!」
九郎は慌てて水際から離れて、ドレスの肩ひもに四苦八苦していたベルフラムを強引に脇に抱えるて走りだす。
ベルフラムの抗議の声も聞こえない。嫌な予感がひしひしと込み上げて来ていた。
地面は緩く波打つように振動している。
ずっと続いている地響きが、地割れの余波だと思っていたが――。
九郎の頭に過った別の可能性をバーランも思い浮かべていたようだ。
「……そったれっ……クソッ……! くそっ!」
まるで呪詛のようにバーランがしきりに悪態を呟いていた。
九郎は自分の予感がさらに強くなった思いがして走りながらバーランに尋ねる。
「あ、あのっ……この洞窟って……」
バーランは九郎の問いに、眼を剥いた。人はどうしようもない状況に放り込まれた時、笑うしか無くなるというのは、こういう表情をするからだろうか。目を見開き九郎を見ながら九郎を見ていない濁った瞳。震えて引きつった口元は、歪な形に引き上げられ笑みに似た形を作る。
「洞窟? 洞窟だったらさぞかし良かったろうな! 俺は冒険者になって、もう25年だ! どんな洞窟だって! お前らみたいな足手まといがいたって! なんとか連れて帰れる腕を持ってるさ! だが今回ばかりは無理だ! こうなっちゃお終いだ! ここに来た時点で詰んじまったんだ!」
口から泡を飛ばしながらバーランが叫ぶ。ベルフラムがその言葉に目を見開いて、血の気を失なったかのように青褪めた。
「この………この『
バーランの絶望を確信した叫び声は、九郎の耳の中にも長く残って反響していた。
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