第018話 油虫と指チュパ
「違ったのかしら……?」
薄暗い馬車の中でベルフラムが独り呟く。
一日目の旅を終え、野営することと成った冒険者達は、現在食事も済ませ、夜間の哨戒の順番でも決めている頃だろう。
もちろん護衛対象であるベルフラムは除かれている。
馬車の中には、連れてきた召使が用意した即席のベッドが中の大半を占めるように置かれている。
貴族の令嬢であるベルフラムが、平民と同じ様に地面を寝床に夜を過ごすことなどありえない。
いくらこの国での移動に冒険者を使うことが主流だったとしても、貴族と平民が同じなどと思っている者はいない。そこには明確な隔たりがあって然るべきだ。それが支配する者と支配される者の違いだとベルフラムは思っていた。
「『来訪者』だと思ったんだけど……」
ベルフラムは馬車の窓から大地に寝っ転がる一人の青年を見る。
青年は大地を寝床にすることに何の痛痒も感じていないらしく、早々と眠りについていた。
―――『来訪者』―――
この世界に時折現れる未知の世界からやってきた者達。
黒い髪、黒い瞳を持ち掘りの薄い顔立ち。皆一様に常識や通説を知らず、身分や地位を理解していない。
だが彼らはすべからく、とんでもない価値の異世界の魔法具を持ち、農業、工業、天文学に関する進んだ知識を持ち、そして神と見まごうばかりの力を持っているとされていた。
『来訪者』を手なずけた国家、貴族、商人は繁栄し、敵対した者たちは完部無きまで叩き潰された。
「……私がどうかしていたのかもね……」
ベルフラムは青年を一瞥すると、窓から離れて、ベッドに腰掛ける。
野盗にさらわれ、奴隷に売られようとしていた時にさっそうと現れた青年――クロウ。
公爵である父が雇った、凄腕の冒険者を鎧袖一触で倒してしまった野盗共。その想像もつかない実力を持った野盗を倒して助けに来たと言っていたが……。
嘘だったのだろう――ベルフラムは寝床に入りながら考える。
(あの時は少し気が動転していたに違いないわ……。野盗に脅されて少しだけ弱気になっていたのよ。良く見ればクロウは黒髪に黒い瞳だけども、掘りが薄いって言うほど薄くも無いし、未知の魔法具どころか服さえ着ていなかったわ……。身分にも無頓着かと思ったけれど、ルッセンに対しては、それなりに敬語だった所を見ると、本当に私の事をどこか商家の娘とでも思っていたのかも知れない……)
ベルフラムは毛布を被りながら目を瞑る。
(常識知らずではあるけれど、それも、あのような場所に居た事を考えると何処か、辺境の蛮族出身なんでしょう。決定的だったのは今日の戦闘だわ。あの程度の魔物にあんなにてこずるなんて……。私の魔法でも、もう少しマシに戦えるわよ)
もうすぐ十一歳と言う若い年齢ながら、ベルフラムは魔法の腕に自信があった。
それは先の野盗達に木端微塵に打ち砕かれた自信ではあったが、それでも農夫でも倒せるような弱い魔物相手であれば、一瞬で打ち倒せるだけの腕は持っているつもりだった。
(おおかた、野盗共の件も嘘でしょうね……。逃げ回っている内に戻って来て運よく野盗共を撒いたに違いないわ……)
伝え聞くところによると『来訪者』は常識知らずではあるが、皆それなりに文明的な振る舞いをすると云う。
九郎の様に大地に直に寝っ転がる事も、川の水を煮沸せずに飲むことも忌避していたとの記録もある。
「あせっていたのかなぁ……」
城に戻ればベルフラムは11歳の誕生日と共に社交界デビューとなる。
そうなれば、自分の様な女の身なら早々と婚約者を決められてしまい、政治の道具として知らない貴族の下へと嫁がされてしまう。
ベルフラムはまだ結婚なんてしたくはなかった。知らない貴族の下に嫁いで、残りの人生を後宮に押し込められ過ごすなど、まっぴら御免だった。
そうならない為には、社交界の中で一際存在感を出さなければならない。
父親であるアルフラムに「単なる政治の道具として使うには惜しい」と思われなければならない。
権謀渦巻く貴族たちの中で輝くために、『来訪者』を取り込めれば……。
「まあ、他の手を考えるしか無いわね……」
ベルフラムはポツリと呟くと、毛布の中に潜り込んだ。
☠ ☠ ☠
「おいしくない!」
朝日が爽やかな淡い光を広げる中、ベルフラムの大声が響き渡っていた。
朝食を取っていた九郎はまたかとベルフラムの方を見やる。
一人だけ白いテーブルを使い、優雅に食事を摂っているベルフラムの怒鳴り声。よく毎日懲りない者だと呆れてしまうが、同時に眉も顰めてしまう。
旅は順調に進んでいた。
もうピシャータの町を出てから5日。
後5日もすればベルフラムの家があるレミウスの街に着く予定だ。
初日の夜は、文句を言うでもなく食事を摂っていたベルフラムだが、2日目以降、彼女は様々な事に我儘を言うようになっていた。
(やれ味が薄いだの、これは嫌いだの……やっぱり我儘なガキんちょじゃねえか……)
九郎は呆れ顔でベルフラムを眺める。
今も召使いに子犬の如くキャンキャンと吠えている。
(後ろの馬車に何が乗っているのかと思えばベッドと召使いだもんなあ……。貴族ってのは基本的に我儘なんかねえ……)
九郎は自分の分の朝飯をかっ込むと立ち上がる。
今日の朝飯はジャガイモのスープと黒パン。そこまで旨いとは言わないが、食べると痺れが走る犬肉や、辛さと苦みがある雑草よりも何倍もマシである。
この世界に来てから食べられる事自体が稀であった九郎にしてみれば、贅沢の極みとも思える。
「おう糞餓鬼! 我儘ばっか言ってんじゃねーぞ」
呆れた様子で九郎が、ベルフラムを叱る。
「五月蠅いわね!! 私はこんな物を食べ物とは呼ばないのよ!!」
ベルフラムが九郎を睨む。
「なんだ、全然食ってねえじゃねえか。肉もこんなに残ってるし……。好き嫌いしてっと大きくなれねえぞ?」
九郎はまだ殆んど手を付けられていないベルフラムの皿を見る。
先程自分が食べていたスープより、よっぽど豪華な朝飯だ。
「子供扱いしないでよ! 私は肉はあまり好きじゃないのよ! しかもこんな硬いお肉は大っ嫌い!!! 私は甘いものが食べたいのよ!!!」
そう言って皿を手で払いのけると、ベルフラムは立ち上がって苛立った様子でに馬車へ消えていく。
地面にこぼされた料理に、九郎は顔をしかめてため息を吐く。
「そう云う態度が子供だってのに……。もったいねえ……」
3秒ルール――と呟きながら九郎は地面に落ちた皿を拾い上げ、ついでに肉を一かけら口に放りこむ。
(しっかし甘い物ねえ……。こんな旅の途中にあんのかねえ? そう言えば、あのピシャータの街でも砂糖とか見かけなかったな……。貴重なんかね?)
九郎は皿を片付けながら取り留めも無く考える。
腹に溜まるなら土でも。喉を潤すなら毒でも食んできた九郎であれば、食べ物であるなら何でも喜んで平らげるだろう。
しかし大きな街だったピシャータでも砂糖の類は見かけなかった。地球でもサトウキビが栽培されるまでは甘味は貴重だった記憶がある。この世界に於いての産業がどれ程進んでいるのかまだ知らないが、蜂蜜すら見かけなかったのだから甘味はかなり貴重な物なのかもしれない。
(サボテンでもありゃあ取って来てやっても良いけど、大分南下したみたいで、全然見かけねえんだよなあ……。あれは美味かったのによう)
ピシャータの街を出てからと言うよりも、街道に出てからあの攻撃的な植物は、とんと見かけない。
皿の片付け、たき火の残り火を消しながら九郎がサボテンの果肉の味を思い出していると、ジワリと手のひらが緩く汗ばむ感覚を覚えた。
(ん???)
不思議に思い指先を見ると、今にも零れ落ちそうな水分が指先から漏れ出していた。
『フロウフシ』の体になってから、九郎は精神的な事以外で汗を掻いた記憶が無い。少し興味を覚え、舐めてみる。何でも取りあえず口に含んでしまうのも、今迄の辛い生活があっての事だ。
(おっ!!!)
舌の上に広がる極上の桃の甘さを更に煮詰めたような、濃い甘味。なのに爽やかな酸味の後口がしつこさを感じさせない。まごう事なき、あの赤紫色のサボテンの果肉の味がした。
九郎は滴り落ちる水分を舐め取りながらも不思議がる。
(どういうこった? 俺の腹の中に入ったものが出せるんだったら、この先飢える心配なくね?)
九郎は考えながら、街で食べた料理を思い出す。一度腹に収まったものを再び出すという事に少し思うところはあったが、飢えのキツさを知っているだけに、贅沢など言ってはいられない。
この先の自分の旅の生命線になるかもと、期待を込めて手のひらに力を込めてみる。
しかし、手のひらにも指先にも何の変化も現れない。
(違うのか? 良く考えてみると此れまでこの現象って、俺が食べた者ってより俺の『修復』の時にでる赤い粒子が
九郎は荒野で食べていた毒草を思い出しながら手のひらに集中する。
緑色の滴が指先に小さな玉を作る。
舐めてみると舌に広がる苦みと辛み。最初に食べたあの根の無い草の毒の味だ。
これは九郎がこの世界に来てから初めて『ヘンシツシャ』の力として発現したと考えていた。
毒そのものは荒野で何の役にも立たなかったので、最初以降使った事は無かったのだが。
(俺はこの雑草(毒)を『
けれども、この染み出した毒は九郎の体から減る感覚が無い。
先程の甘い滴は減る感覚があった。
(この体から減っていく感覚を考えるに、やっぱ口から入って消化したもの自体には変質できねえか……。毒自体は体が慣れた事によって『ヘンシツシャ』の『
そう考えると、この甘い滴は、それ程残量があるとは考え難い。
あのサボテンの攻撃は、基本的に外へ対しての攻撃だったから、『修復』の赤い粒子もそれほど削り取ってはいないだろう。
大事に楽しもう……。そんな風に考えて九郎は馬車に乗り込んだ。
☠ ☠ ☠
「もー!! 退屈! おなか減った! お菓子が食べたい!」
馬車の中でベルフラムが騒いでいた。
初日以降ベッドが入ったままで、ベッドの上で駄々を捏ねているベルフラムを九郎はちらりと目を向け、また外を眺める。
「ルッセンも信じらんない! 少しは気を使って甘い物を用意しておくのが家来ってもんでしょうが!」
馬車の中の大半を占拠しているベッドのせいで、九郎のスペースはかなり狭い。
(初日は大人しかったのに、急に変わりやがったなあ……。あれでも猫を被ってたってんのかね?)
九郎は取り合わず、外を眺めて親指からサボテンの
(はー旨え……。やっぱ甘みは人に余裕を与えるね。ガキんちょの我儘なんて聞き流すのが一番! しっかし、自分の汗を舐めてるようで、気分的には飲尿健康法みたいだな……)
少し嫌な想像をしてしまい、九郎は親指を口から放す。
ふと視線を感じて外から中へと視線を戻すと、ベルフラムと目が会った。
ベルフラムが、ニヤリと笑って九郎に詰め寄ってくる。ベッドの上で膝立ちで詰め寄る仕草は本当に猫のようだ。
九郎が片眉をあげて訝しんでいると、ベルフラムは眼を細めて意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「ふふーん。クロウってば、私の事さんざん子供扱いするのに親指しゃぶってるなんて、どっちが子供なんだか」
「ああ、これはたまたまだ。癖ってわけじゃねえぞ?」
そう言う風に見えたのだろうか。そんなに深く咥えていた訳でも無いが――と九郎が軽く返答する。
しかし、腹が減って気が立っていたのか、ベルフラムはさらに詰め寄って九郎をからかってくる。
「本当~? ママのおっぱいが恋しくなったんじゃないの~?」
「あ? んなわけねえじゃん」
ニマニマと笑って九郎の顔を覗き込み、さらに追撃してくるベルフラム。
おっぱいは恋しいがそれは断じて
母も少し恋しいが母のおっぱいは求めていない。
流石に少なからずイラッとした九郎が語気を荒げる。
「ママー僕まだ子供なの~。なーんてクロウの方がよっぽど子供じゃないのよ」
さらに追い打ちしてくるベルフラムに、九郎が耐えかねてベルフラムの両頬をむんずと掴む。
「なろっ! そんなこと言うのはこの口かっ!」
「ちょっと! なにすんのよっ?!?」
そのまま両の親指をベルフラムの口角に突っ込むとこねくり回すように動かし引っ張る。
「大人に対してんな事言うガキんちょはこうしてやる!」
「ひょっと! ひゃにひゅんのひょ!」
「うりうり! 思い知ったかっ!」
「ひょっと! みゃってって! ひゃめ……」
1分程ベルフラムの両頬で遊んでから、九郎は両手を離し、ペンッとベルフラムの額を押す。
「まあ、あんまり大人をからかうもんじゃねえぞ?」
子供相手にむきになるのも大人げない。大人げない事をしておきながらも、九郎はフンと鼻を鳴らす。
頬を抑え、涙目で蹲っていたベルフラムは怒ったような、驚いた様な、それが合わさったような、微妙な表情で九郎を睨んでいたが、
「ちょっと!」
再び九郎に詰め寄って来た。
「まだ何か言うのかよ?」
胸元を掴みかからんばかりの勢いのベルフラムに、九郎の方が少したじろぐ。
(なんとも負けず嫌いなガキんちょだな……。まだこりねえのかよ……)
九郎がため息交じりにそんなことを考え、自分の頬を抑えているベルフラムを眺める。
しかしベルフラムからは、九郎の予想外のセリフが飛び出す。
「ちょっと手を出しなさいよ……」
「は?」
「いいから出しなさいよ!!」
ベルフラムは「何言っているんだ?」と言いたげな表情の九郎の右手をひしっ! 掴むとやおら九郎の親指に舌を這わせた。
「な?!?」
余りに予想外なベルフラムの行動に、九郎は思考停止し固まってしまう。
固まった九郎を無視して、ベルフラムは九郎の親指を舐め顔を輝かせると、今度は指に吸い付いてきた。
ベルフラムは我を忘れたように、九郎の指を舐めはじめていた。
「んっ……」
幼い容姿の少女の口から、出てはいけない類の吐息が零れ出る。
(おいおい!! この絵面はマズい!! 俺にその気が全く無くてもマズい!! 事案だ! 即、事案案件になる!)
一心不乱に九郎の指を舐めるベルフラムに、九郎の顔は青ざめる。ベルフラムの、息継ぎの為の短い呼吸と、チュパチュパと九郎の指に吸い付く音だけが馬車の中に響いている。
「あむ……。ん……」
(おいこら! この音もマジい! 全然やましい事じゃなくても、即アウトだ! BPO案件だ!)
暫くの間、九郎の指を舐めていたベルフラムは味がしなくなったのか上目使いで九郎を見てくる。一心不乱に舐めていたせいか、顔が紅潮していて息も荒い。
「もう出せないの?」
(そんな表情(かお)で変な事言うんじゃねえ!!)
九郎は慌てて、硬直していた手をベルフラムから引き抜くと荒い口調で答える。
「残り少ねえんだよっ!」
その言葉に名残惜しそうな表情で無意識に自分の指を咥えたベルフラムだったが、はっと気付いた顔で九郎に詰め寄る。
「って言うか、なんでそんな甘い汁が出るのよっ?!?」
「今更言うなっ! てか、汁とか言うもんじゃありませんっ! なんつーか、あれだ! 蜜蟻みたいな体質なんだよ」
どう説明したものか自分でも分からず、九郎はとっさに取り繕う。
――最初九郎の頭に浮かんだのは、蟻がアブラムシから甘い分泌液を貰う光景だったが、さすがにそう答えるのは憚られた。――たしかアブラムシは、甘い分泌液を尻から出してた……。これ以上その想像はだめだ。想像しただけで後ろに手が回りそうだ。
「ふーん……。あなたの部族って変わってるのね……」
「お、おう……。まあな……」
何でそこで部族とかの話になるか、さっぱり意味不明だったが、この馬車内の空気に耐えられなかった九郎は、これ以上この話を続けない為に適当な返事でお茶を濁す。
その日を境にベルフラムの我儘は聞こえなくなった。
「クロウ! 出発するわよ! 早く馬車に来なさいっ!」
「あらあら……。姫様は食客殿をお気に召したようですわね。狭い馬車の中で何か起きなければ良いのですが……」
召使いたちの訝しんだ噂話を耳に捕え、九郎は苦み走った顔で馬車に向かう。
何も後ろめたい事をしている訳では無いのに、心が重い。
ベルフラムはあれから何度も九郎に蜜を強請って来るようになっていた。
大人びた態度であっても、ベルフラムもまだ少女であり、この世界では貴重であろう甘味の虜になっていた。
我儘を言わないとの言いつけを守れば、少しくらいならと答えた九郎であったが、今は後悔の念の方が強い。
年端もいかない少女が、猥らなチュパ音を立てながら狭い密室で男の指を
見咎められたらどう言い訳しても通じない気がしてならない。
(
女性を虜にする使命を帯びながら、女児に懐かれる自分を鑑みて九郎は溜息を吐いた。
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