第017話  初めての勝利


 アクゼリート世界の北東、ハーブス大陸に位置する巨大国家アプサル。

 広大な平野部と起伏に富んだ山々に囲まれたこの国は北部に風の魔境アゴラ大平原を、東部に大森林地帯を擁し言わば自然の要塞にかこまれた国家だ。

 だが、他国の侵略を防いでくれるアプラスの自然の要塞は魔物も排出する。

 そこで冒険者と言われる職業の者たちが存在する。

 冒険者は村々を襲う魔物の討伐や、都市間を移動する商人の護衛などで生計を立てる者たちだ。

 貴族や王族は個々に自分の兵士や騎士を召し抱えてはいるが、平民はそうもいかない。魔物の脅威はあれど、それだけの為に兵力をとどめておけるほどの余裕は無い。

 そこで冒険者の出番となる。

 移動の際や、魔物が村の近くに出てきた時のみ依頼をし、安全を得るのだ。

 だが、城や領地で対人を想定して訓練に明け暮れている兵士より、常日頃から魔物と戦っている冒険者の方がこと対魔物としては優秀に成って来る。

 結果、貴族なども移動時には冒険者を雇う事が多くなり、今ではこの国の主流になっていた。


☠ ☠ ☠


「はあ? あなたそんなことも知らないの?」


 アプサル王国レミウス領。

 そこに2台の馬車が進んでいた。黒塗りの外装に所々に金属の縁取りが施されている豪華な馬車だ。

 馬車の後ろには剣と麦をあしらった紋章が取り付けられていて、見るものが見ればレミウス領主家の馬車だと分かるだろう。

 その周囲には腕の立ちそうな5人の冒険者の姿が見える。その豪華な馬車の中から、今日何度目かの少女の素っ頓狂な声が響いていた。


「知らねえから聞いてんじゃねーか……」


 馬車の中で、不貞腐れた態度で外を眺めながら九郎が答える。

 白い長そでのシャツにベージュのズボン。腰に刺繍の入った毛布の様なものを巻き、片刃の厚手の短刀を差している。


 昨日の貰った服の上から毛布を巻くのは格好的にどうなのかと言いたい所だが、九郎はこの刺繍の入った毛布を手放せず、結局腰に巻いていた。

 単に九郎自身がこの毛布を気に入っていたこともあるが、九郎はこの毛布が野盗たちとの戦いの戦利品のようにも思っていた。腰の剣は、「男が丸腰だとみっともない」と言う理由からベルフラムに渡されたものだ。

 渡されたものの、九郎に剣術の経験など無く、精々高校の授業で一、二度竹刀を振った程度である。

 しかし、男心に剣と言うものはやはり魅力的に映り、渡された時に九郎は非常に喜んだ。与えられた寝室のベッドの上で振り回してはしゃいだりもした。

 そして振り回した拍子に自分の手を少し傷つけてしまい、『自傷の痛み』に悶絶することになって、現在扱いあぐねている状態である。


「よくそんなので、これまで生きてこられたわね……」


 はあ……と大きなため息を吐きながらベルフラムが九郎を眺める。

 昨日とは違い、動きやすそうな紫色のドレス。肩に緑色のケープを纏った昨日より多少大人びた格好だ。


「なんせ俺は不死身の英雄ヒーローだからなっ!」

「はいはい……」


 親指で自分を指し示し胸を張る九郎に、ベルフラムはおざなりの返事を返してくる。

「よく生きて来られた」と言われれば今の九郎には「不死だったから」としか答えようが無い。それをスマートに言っているだけなのだが……。

 繰り返される何度目かの受け答えにベルフラムはまた一つ大きなため息を吐いていた。


 早朝、ルッセンが用意した馬車に乗りピシャータの町を出た九郎とベルフラムは、同じくルッセンが用意した護衛の冒険者と共に街道を進んでいた。

 当初、窓からの景色を物珍しげに見ていた九郎だったが、ずっと変わり映えの無い景色にだんだん飽きてしまい、折角だからとベルフラムからこのアクゼリートの世界について尋ねていた。

 しかし、九郎にとっては異世界であるアクゼリートの未知の話も、この世界で生きてきたベルフラムにとっては余りに、そう、余りに常識的な話だったので、このようなやり取りが毎度行われることとなっていた。


(とりあえず分かったことは、この世界では一年が360日。一か月がちょうど30日。一月に当たるのが新黒の月、2月が終黒の月、そんで同じように2か月ごとに青、緑、白、赤、黄と色分けされてる…と)


 十二の月が30日毎に区切られているので随分わかり易い。閏月なども無いようなのでこのへんはすんなりと覚えられそうだ。聞く処によると今日は新黄の月の15日なのだという。


(そんで今いる場所はアプサルって国のレミウス領って所で……現在ピシャータの町から南下してベルフラムの家まで10日位かかる……っと)


 九郎はベルフラムから聞いたこの世界の常識を頭の中で反芻する。

 以前なら「10日もかかんのかよっ!?」と声を上げたであろう九郎も、2ヶ月近く荒野を彷徨っていたので、「結構近いんだな……」と言う感想しか浮かばない。


(えーと、長さの単位がハイン。1ハインが約1メートル。重さがワイルで1ワイルが約1キログラムと……。それより小さな単位はルハインとルワイルで大きい単位はラハインとラワイルと表す……か。言葉が通じるから大丈夫かと思ってたが、この世界で生活しなきゃなんねえから結構知っとかないと拙い事だらけだもんなぁ……)


 九郎は、半眼で自分を見つめるベルフラムから目を逸らしながら、自分の行く末に遠い目をする。生き続けるには選択肢が無かったとはいえ、異世界――地球と違った世界で生きるという事は想像していた以上に大変そうだ。再び小学生の知識から覚えなおさなければならないのだから、気が遠くなる。


 自信の無い自分の脳みその容量に小さな溜息をついて、ふと外に視線を戻すとどうやら馬車は止まっていたらしい。ベルフラムも外の様子に気付いたのか外へと視線を移している。


「どうしたの?」

「ベルフラム様、魔物のようです。」


 ベルフラムの質問に外に居た冒険者の一人、立派な全身鎧を着た壮年の男が答える。


(確か、バーランさんって言ったったっけ。しっかしすげー鎧だな。重そう……)


 九郎は出発の際に手短に紹介された男を改めて観察する。板金鎧を着た筋骨逞しい男。こんな重いものを着て良く歩けるなと、感嘆というよりは呆れを覚えてしまう。自分が着たら絶対動けなくなってしまいそうだ。

 バーランはバケツのような鉄兜の面当てを上げ、魔物の襲撃を伝えて来ていた。


「大丈夫なの?!」


 先程の強気な表情から一転、ベルフラムは不安そうな表情を浮かべてバーランに尋ねている。2日前に野盗に襲われたばかりなのだから不安に思うのも当然だろう。改めて「この世界は一般人に優しくねえなあ……」と九郎は馬車の外を注意深く探る。


「は! 問題ありません! この近辺では一番弱い魔物、『弾丸兎バレットラビット』です。御心配なく」


 闊達な口調でバーランは胸を叩く。


「ああ、あの兎ね。私も何度も見たことがあるわ」


 バーランの言葉にベルフラムも拍子抜けしたと、胸をなで下ろしていた。

 ベルフラムのほっとした声を聞いて、外を伺っていた九郎は彼女に顔を向ける。


「どんなヤツなんだ?」

「そうねぇ……ちょっと大きい兎って所かしら? 猪みたいに突っ込んで来ることぐらいしか見たことないけど……。いつも護衛の冒険者が直ぐに退治してしまうから、余り強そうでは無かったわね」


 どうやら大したことは無い魔物らしい。だが、荒野で柴犬程度の大きさの魔物に、いつもガブガブ齧られていた九郎は、余り楽観できない気がしてバーランに顔を向ける。


「まあそうですね。力の強い農夫程度でも相手に出来る魔物です。俺たちで問題なく退治できますので、しばしお待ちください」


 そう言ってバーランは、仲間の冒険者に指示を出すために馬車から離れようと踵を返す。

 弱い魔物と知って心配事も無くなったのか、ベルフラムは再び馬車の椅子に座りなおし、そしてはたと顔を上げると、九郎に顔を向けた。


「あ、ちょっと待ちなさい! クロウ! あなた戦ってみない?」

「は? 何でだよっ!?!」


 突然の提案に面食らった九郎が、窓に掛けていた肘をずり落とす。


「何でって。あなた私を助けた時に言ったわよね? 野盗を倒して助けに来たって」

「お、おう……」


 ベルフラムの言葉に九郎は歯切れの悪い返事を返す。

 結果的にベルフラムを助ける事はできたが、九郎は実力で野盗を倒せたとは思っていない。

 野盗の部下には面白いようにいたぶられ、必死に一撃ずつ返したに過ぎないし、野盗のボスに対しては、一撃すら返せたとは思っていない。

 ベルフラムを助けた時に言ったセリフも、格好をつけようとして話を膨らませたに過ぎない。


(ただ単にあの野盗のオッサンがグロ耐性が無くてビビってくれただけだしな。あと百回首飛ばされても勝てる気しなかったしよお……)


 九郎の心配を知ってか知らずか、ベルフラムは話を続ける。


「あなた力は強いようだけど、今一強そうに思えないの。攫われた時に私を護衛していた冒険者の方がずっと強そうに思えるの。それでちょっと見てみたくなったの」


 ベルフラムが首を傾げながら悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 結構酷い事を言われている。

 どうやらベルフラムは九郎が余りに常識知らずで、弱そうで、何故自分を助ける事が出来たのかが不思議なようだ。


「お、俺は今はお前の護衛って訳じゃねーじゃん」

「あら? でもあなた私を家まで送り届けてくれるんでしょ?」

「そ、そうだな……」


 抵抗する九郎に畳みかけるようにベルフラムは言葉を続ける。

 家に送り届ける約束=護衛をするでは無いと思うが、この世界ではそう言った意味になるのだろうか。つい先程常識知らずと呆れられたばかりの九郎は、上手く反論できずに言葉を濁す。


「それに、あの魔物は力の強い農夫でも倒せるって話じゃない? あの野盗を倒したあなたからしたら相手にもならないんじゃない?」


 どう? とベルフラムは小首を傾げる仕草で言う。瞳には期待と疑念に満ちた光が宿っている。

 逃げ切れないと判断した九郎は観念して項垂れ、


「し、仕方ねえなあ……」


 そう答えるしかなかった。


☠ ☠ ☠


 ――農家のおっちゃんでも倒せるなら何とかなんだろ! と九郎は荒野と同じ様に戦いの準備を始めた。

 満足そうに頷いていたベルフラムが途端目を見開いて顔を赤く染める。


「は? あなたどうしたの?」

「え?」


 九郎はシャツのボタンをはずし終わり脱ぎ捨てると、ズボンのベルトに手を掛けていたところだ。

 九郎が荒野で新しい魔物お肉、新しい植物水分に出会う度に繰り返されてきたルーチンである。

 九郎にとって衣服尊厳は大事なのである。魔物との戦いで、折角貰った衣服尊厳をダメにしてはいけない。


「だから、どうして服を脱ぐのよっ!」

「え? だから俺が戦うんだろ? あの魔物と」


 顔を赤くして両手で顔を覆うベルフラムに、何を言っているか解らないと九郎は首を傾げる。


「それと服を脱ぐのとどう関係があるのよ?!? ちょっとズボン脱がないでよ!」


 再びズボンを脱ごうとする九郎に、真っ赤な顔で九郎の腕を取るベルフラム。


(あ、子供と言えど女の子の眼の前で脱ぐのが嫌だったんかな? まったくマセたガキんちょだな……)


 九郎は必死で腕にしがみ付くベルフラムにそんな感想を抱きながら眉を寄せる。


(どっちかと言うとズボンだけでも死守してえんだがなあ……)


 九郎にとって上半身裸は、人に恥じることの無い格好の範疇に入っているが、流石に全裸は恥ずかしい。誤って失ってしまったりしたら、このさき道中、少女と下半身裸の男が馬車の中で過ごすと言う言い訳できない事案が発生する。しかし考えてみると、全裸で戦う事も恥ずかしい事では無かろうかと、人としての常識を思い出し、九郎はズボンを履いて馬車を降りる。


「わーたよ!ったく……。んじゃちょっと行って来らぁ」


 ぶっきら棒に片手を上げて、半裸で腕を回す。

 戦闘を終えて帰ってきた時、全裸で腕が股間に来ないよう頑張るしか無さそうだ。


(でっかい兎ねえ……。犬っころより強えとは思わねえが……俺にあんまし攻撃手段がねえのが問題なんだよなあ……。結局これ位しかねえか。指齧っての『運命の赤い糸スレッド・オブ・フェイト』は痛えからあんまし使いたくねえし……)


 乾いた大地に土煙をあげて接近してくる兎の魔物。どうみても強そうには見えない。しかし柴犬程度の魔物に成す術も無くやられていた九郎にとって、油断が出来る相手でも無い。

 九郎を警戒してか兎の魔物は、九郎の目の前十メートル程の距離でブレーキをかけ、長い耳を立てて辺りの様子を伺っている。

 灰色の毛並みの一メートル位の大きさの兎だ。よくあるファンタジー世界の兎の魔物のように、角があったり牙が生えていたりはしていない。このくらいの大きさの兎なら、元いた世界にもいた気がする。

 兎は他の冒険者が遠巻きで見ているのを慎重そうに観察しているようだったが、進路を遮られている事に苛立ったのか。突如一匹が九郎の方に駆け出しきた。

 猪の様に頭を低く突進してくる兎。兎がこれほど好戦的なのはこの世界の仕様なのだろうか。動物も植物も……人間さえも攻撃的なのだから当然かと、九郎は溜息を吐き出し、両手を炎に変質させる。


「薪の火つけ位しか役に立ったことねえけど……いくぜ! 俺の第二の必殺技! 『焼け木杭チャード・パイル』!」


 兎の魔物――『弾丸兎バレットラビット』が跳躍した。一メートルを超える兎の跳躍はなかなか迫力がある。内心少し怖気づきながらも、九郎は声と共に右手を突き出す。

 ガギンと重い音が九郎の腕に響く。

 突進してくる兎の眉間と九郎の拳。骨と骨が打ち合わされた鈍い音。九郎の拳を眉間にめり込ませた兎は勢いよく炎を燃え上がらせながら大地にドサリと落ちる。

 その光景に九郎が驚き両手を見る。怒った炭の様に両手が赤く輝いている。

 九郎はこれまで、この『両手を炎に変質させての攻撃』に左程の攻撃力も期待していなかった。

 単に夜襲われることの多かった九郎が灯り代わりに使っていた事と、せっかく発現した『ヘンシツシャ』の能力だからと使っていたに過ぎない。

 実際この攻撃はトカゲはおろか、犬にすら効果があるようには思えなかった。それが一撃で兎の体を燃え上がらせた。


(なんだ? 結構火力が上がってる気がすんな! こいつら火に弱えーのか?)


 大抵の動物は炎に弱い――そんな常識など、この世界に来て2ヶ月近くたった今の九郎の頭からは吹っ飛んでいる。

 今まで一撃で魔物を仕留められた事など経験していない。九郎は目の前に燻っている兎を見て興奮する。動物を虐待する趣味は無いが、相手は愛くるしい目をしているが、れっきとした『魔物』。こちらに敵意を向けて襲い掛かって来た獲物だ。

 これまでやられにやられて来た事の鬱憤もあり、九郎は自分でも戦える相手の出現に凶悪な笑顔で拳を打ち鳴らす。


「焼肉にして食ってやんよ!」


 サバイバル生活が長かった所為で、九郎の目には動くモノは全て食べ物に見えてしまっていた。動かないのも勿論食べ物に見えている。

 食わせてもらっているばかりでは申し訳ない。ベルフラムに引き連れられて旅をしているが、食客の意識は九郎には無い。いつも食べ物を分け与えられている気がしていて、少し申し訳が無かったところだ。

 今晩のおかずに一品加える。

 九郎は目の前で警戒を露わにしている兎に向かって言い放った。

 仲間が一撃でやられたと言うのに、『弾丸兎バレットラビット』は臆することなく敵意の視線を向けている。突っ込んで来るから『弾丸兎バレットラビット』と名付けられたのかと思っていたが、『鉄砲玉』みたいな性格から名付けられた可能性もありそうだ。場違いな感想を思い浮かべながら、九郎は続けて突進してくる兎に向き直り再び両手を構える。


「ま、お前ら相手にゃこれで十分だ! 行くぜっぐふぅ!!」


 続いて兎を捉えたと思った瞬間九郎は横からの別の兎の突進に吹っ飛ばされていた。

 息が吐き出される感覚を味わったが、ダメージは受けてないようで『再生の赤い粒子』も溢れてこない。


(ダメージは無い! 大丈夫だ!)


 身体を立て直しながら九郎は兎に躍り掛かる。


「って、あ、くそっ! 躱すなっ! 待ちやがれっ! げふうっ!!」

「なろっ! やるじゃねえかっ!」

「ぐっ! まだまだあっ!!!」


 一時間ほどの攻防であったが九郎はやがて最後の一匹に拳を振り下ろす。


「だっしゃああああああ!!」


 両手を天に掲げて咆哮を上げる。初めてまともに魔物を倒せたことに、九郎は高揚した気分で馬車へと戻る。


「どうだ? ベルフラム! 見たかよっ!!」

「え、ええ…………」


 格好よかっただろ? とでも言うように顔をキメる九郎に対し、ベルフラムは何故か引きつった笑みを見せた。

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