第016話  傅かれる者



 抜けるように高く澄んだ青い空。雲一つない晴天はいつもの事だが、木々が疎らでも生えている事からも、多少埃っぽい感じ緩んでいた。

 ずっと彷徨っていた場所は標高が高かったのか、南下するにつれて気温が上がって来た気がする。

 そんな事を思いながら九郎がベルフラムを肩に乗せ、道を歩き続けていると前方に巨大な建築物が目に入る。


「なんだ、ありゃ?」


 片手で影を造って目を細める九郎に、ベルフラムは呆れたように溜息を返して来る。


「あなた……街を目指してたんだから、街に決まってるでしょうが」


 肩の上から半眼で見下ろして来るベルフラムに、九郎は「へぇ」と気の抜けた返事を返す。

 その建物は九郎が思い浮かべていた街とは全然違っていた。

 遠目にでも分かる巨大な建物は、近付くにつれ更に大きな建物だと気付かされる。

 高さの点で言えば、巨大なビルには及びもつかないものなのだが、周りに高い木々が無い場所で見ると、比較対象が無い為か、圧倒されるくらいに巨大に見える。そして感じる重厚さと言うモノは、現代建築とは比べようもないくらい重い。

 大きな岩を何十、何百、何千と積み上げた高さ20メートル程の壁。

 九郎がこの世界に来て初めて目にした街は、砦のような壁に囲まれた大きな街だった。


「ど、どっから入りゃいいんだ?」

「ホントに馬鹿なの? 道を辿って行けばいいに決まってるじゃない」


 九郎の問いに、ベルフラムは今日何度目かの大きなため息を吐き出していた。


 町の門前で、裸に毛布一枚の男と、いかにも幼い少女の組み合わせに衛視が怪しみ一悶着あったが、ベルフラムが自分の名前と、父であるアルフラムの名前を衛視に告げると、衛視は青い顔をして、門の奥に引っ込んで行った。

 暫く待つと、40代くらいの身なりの良い服を着た男が馬車と共にやって来て、九郎とベルフラムを馬車に乗せ街の中心部へと連れて行く。


「――はぁ……すっげー……」


 九郎は揺られる馬車の窓から外を眺め、おのぼりさんよろしく口を開けたまま感嘆の声を漏らす。街の中は石畳で舗装され、立ち並ぶ家々は色とりどりの煉瓦を積み上げて築かれていた。

 屋根は平らな作りのようでその屋上にはカラフルな洗濯物が踊っている。この世界に来る前、ソリストネから「中世くらいの文明」と聞かされていたが、それは小説などでよく見る表現、「中世ヨーロッパ風」では無かったのだと、九郎はしみじみ感じていた。

 乾いた気候を過ごし易くする為か、どの家も天上が高く作られているようだ。

 扉の形はアーチ形が多く、明り取り用なのか、天井付近に幾つもの丸い穴が開けられている。


「はあ……クロウ。本当に田舎者なのね……。お城に着いたら顎が外れちゃうんじゃない?」

「ばっ! 別にこういうのは田舎ものとか関係ねーだろ! 知らない街に来たら珍しく見えんのはしゃーねーじゃんよ」


 ベルフラムの呆れた声に、九郎は赤面しながら言い返す。

 文化の違う世界。それは逆に現代社会の画一的な風景に慣れた九郎にとっては、全てが新鮮で刺激的に映っていた。

 つまらなさそうに街を眺めるベルフラムの服装も、よくよく観察してみると、ドレス一つとっても珍しい。単なる赤いドレスでは無く、縁取りに細かな紋様が刺繍され、知っている洋風とは少し趣が違う。白雪姫など童話のお姫様のドレスでは無く、中東の衣装を洋風にして豪華にしたとでも言えば近いのだろうか。


「ちょっと!? 淑女レディーをジロジロ見ないでよ! 恥ずかしいじゃない! 汚れてるんだから……」


 ベルフラムが九郎の視線に気付いて赤面しつつドレスを押さえていた。

 その格好で恥ずかしいのなら、俺はどうなるんだ……のど元まで出かかった言葉を飲み込み、九郎は再び外の景色に視線を戻す。

 テレビ越しですら見たことの無い、色鮮やかな街並み。海外旅行すら未経験の九郎は、ゆっくり流れていく異世界の街を、飽きることなく眺めていた。


 暫くすると、馬車は街の中心部の一際立派な建物の前で止まる。


「マジ? ここ入んの?」


 九郎はその荘厳な造りの建物にたじろいだ様子でベルフラムを見やる。

 街並みでも十分驚いていたが、それに輪をかけ、目の前の建物は驚きに満ちていた。

 色違いの煉瓦をモザイク模様に配置した巨大な建物。高さは三階建くらいだろうか。その上には丸いカーブを描いた青い屋根が乗っており、華美と言うよりも荘厳と言った雰囲気の建物に、気圧され戸惑う九郎の心情は、高級ホテルを目の前にして尻込みしている小市民と同じだ。


(はー、俺やっぱ違う世界に来たんだなー。こんなすげー建物見たことねえや……。てかこの建物に入ってくのかよ?! ドレスコードとかあんじゃねえの?!?)


 確実に場違いな格好の九郎は、毛布を巻きつけただけの自分を見下ろし苦面を相する。


「何しているのよクロウ。さっさと付いて来なさいよ!」


 弱り顔を浮かべて、腰巻代わりの毛布を摘まみあげていた九郎に、ベルフラムは眉を顰めてで手招きしていた。


「ちょ!? おい!」


 ベルフラムは怖気付いている九郎を気にせず、スタスタと開かれた扉の中に消えていく。九郎は一瞬自分の格好を見渡した後、慌てて後を追うしかなかった。



「これはこれは、姫様。御無事で何よりです」


 大きな重々しい扉をくぐると、さらに立派な内装が広がっていた。

 広い玄関ホール。高そうな調度品。毛足の長い赤い絨毯。高い天井に取り付けられたシャンデリアからは淡い光がホールを眩く照らしていた。

 待ち構えていたかのように、ホールの中ほどに立っていた男が恭しくベルフラムに頭を下げる。

 男は頭を上げた時九郎の方をチラリと目にやるが、一瞥しただけで視線をベルフラムへと向けると仰々しく両手を広げる。ベルフラムは男の労いの言葉に片手をあげ答えると、


「話は先程衛視に言ったとおりよ。ここから北に1、2日いった所に私の馬車があると思うわ。護衛と御者を弔ってあげて。あと、さっそくで悪いけど、代わりの馬車の用意と護衛の手配をお願いするわね。明日には出発できるようにしてちょうだい。それと、湯あみの用意と食事ね」


 矢継ぎ早に指示を出す。男の傅く態度を当然の様に受けとめ、なんとも偉そうな物言いだ。

 その様子を眺める九郎はと言えば、状況が飲み込めず、所在無げにキョロキョロ周囲に目を彷徨わせていた。


「畏まりました。ところでそちらの方は?」


 男は近くに控えていた者たちにあれこれと指示を出すと、再び九郎に目を向ける。

 顔は笑っているが目が笑っていない。値踏みするような視線に九郎は一歩後ずさる。


(やっぱりドレスコードとかあんじゃねーかよ! 場違い感がはんぱねー……)


 九郎は引きつった笑みを浮かべながら、男に向いて会釈を返す。

 なんとも居心地が悪い。突き刺さるような視線に九郎が冷や汗をかいていると、ベルフラムは思い出したかのように九郎を見上げ、


「――ああ、こっちはクロウ。一応私の命の恩人? になるのかしら?」


とおざなりな紹介の言葉を口にした。


「そこは嘘でもしっかり断言してくれよ! 俺の立つ瀬がねえじゃねえかっ!!」


 ――そうよね? とでも尋ねてきそうなベルフラムの言い方にさらに居心地を悪くした九郎は、半ば本気で抗議する。別に恩を着せようとは全く考えていないが、知り合いの全くいない場所に連れて来られて、「あなたは誰だったかしら?」とでも言うような紹介の仕方は流石にどうかと思う。

 しかしそんなおざなりの紹介でも、男にとっては効果があった。


「それは失礼いたしました。私はアルフラム公爵閣下よりこのピシャータの町を任されております、執政官のルッセン・フォニムと申します。姫様を助けて頂いた事、家臣団一同より心よりお礼申し上げます」

「あ、いや、当然の事をしたまでっスよー」


 打って変わって恭しく礼をするルッセンに九郎は慌てて謙遜する。

 自分より倍は年上であろうルッセンに頭を下げられ、別の意味で居心地が悪い。


「ルッセン! クロウにも湯あみの用意と食事を。食事は私と一緒で結構よ。彼は食客扱いで接して頂戴。それと適当に服を見繕ってあげて」


 そんな九郎の気持ちなど気にも留めない素振りで、ベルフラムはさっさと奥に進んで行ってしまう。


「かしこまりました。それではクロウ様、こちらへどうぞ」


 どうしたものかとおろつく九郎に、ルッセンはまた恭しく頭をさげると館の奥を手で示す。

 顔を上げた時の視線は、それほど先と変わってはいなかった。


☠ ☠ ☠


「はー食った食ったー! ごっそさん!!」


 くちくなった腹を撫でながら、九郎はそう言って満足そうにナイフとフォークを皿に置いた。

 今の九郎の格好は全裸に毛布一枚とは違い、厚めのスラックスのようなベージュ色のズボンと白いボタン付きの長袖のシャツ、革靴といった格好である。

 身体も用意されたお湯で拭いてあり、さっぱりとした気持ちだ。


 当初、部屋に案内された九郎だったが部屋の真ん中に桶がひとつ湯気をたてて置いてある状況に戸惑った。

 どうするものかとルッセンに尋ねると、どうやらこれで体を洗うらしい。

 風呂が無い事に落胆しつつも、九郎は言われたとおりに体を拭いた。

 一か月半近く風呂に入るどころか雨にも打たれていない自分は、さぞかし汚れているだろう。汚れてしまった自分を見る覚悟を決めていたのだが、意外なことに汚れは少なかった。垢まみれだと思っていたが左程汚れていなかった。


(―――体を再生しぱなしだったからか? それとも『不老』の『神のギフト』のおかげか――?)


 考えてみると、こちらの世界に来てから、髪も伸びていなければ、髭も伸びてこない。自分に授かった力に新たな疑問が浮かんできたが、困る物でもないので九郎はそれを放置している。


「しっかしベルフラム。お前本当にお姫さんだったんだなー」


 満腹感に浸りながら九郎は、食後のお茶を飲んでいるベルフラムに話しかける。


「なによ? 最初に言ったじゃない! 何だと思ってたのよ?!」

「ただのこまっしゃっくれたガキんちょかと思ってたわ」


 どうも先程から偉そうに給仕や召使に命令しているようだが、身分の差の無い日本で育った九郎にとって、ベルフラムはただの我儘な子供にしか見えていない。


「!! なんですって?」


 九郎の忌憚のない意見に眉を吊り上げるベルフラム。

 九郎は顔を赤くして怒るベルフラムを笑って躱しながら、「よいしょ」と言って椅子を引く。


「いや、悪い悪い。ま、でもこれでしっかりお礼もしてもらったし、お暇しようかね……」

「ちょ! ちょっと待ちなさいよ! あなた何処に行くつもりなの?」


 礼を言って席を立とうとした九郎に、ベルフラムが慌てた様子で身を乗り出していた。


「いや別にあてがある訳じゃねえけど……」


 尋ねられても困ると九郎が頭を掻きつつ眉を下げる。――そう、別にあてがある訳では無いのだ。

 しかし目的は有る。九郎はこの世界で10人から『真実の愛』とやらを受け取らなければならない。転移して来た時は荒野にほっぽり出されて悲観に暮れたりもしたが、やっと人のいる町まで来ることができた。長過ぎるチュートリアルが終わったのだ。


(――言葉は通じるみたいだし、先々の不安は尽きねえけど……ま、死ぬこともねえしな!)


 金も伝手も無い状態だが、野宿でも別に構うものでもない。

 2ヶ月近くの間ひたすら大地を寝床にしていたのだ。彷徨い続けていたが為に、九郎は日本にいた頃ならば考えられない程生活の基準値が下がっていた。

 今更野宿程度で怯む訳も無く、九郎が軽く言いやり適当に答えると、ベルフラムが立ち上がる。

 椅子から立ち上がったベルフラムは身長が低いせいか、頭だけがぴょこぴょこと見え隠れしていて、何やらほんわかさせられる。

 自分の目線がテーブルに遮られたベルフラムは、椅子の上に登り立ち上がると、腰に手を当て、九郎を睨みつけてきた。


「まだ礼の一つもしていないのにふざけないでちょうだい!」

「え? いや、してもらっただろう? こうして飯も食わせてもらったし、この服だって」


 心外とでも言いたげなベルフラムに、自分の着ているシャツを摘まみながら九郎は答える。

 しかし九郎の答えにベルフラムはさらに眉を吊り上げ、


「そんな物で私の命と釣り合うとでも思っているの? ちゃんとお城に帰ってから相応の礼をするわよ!」


 とても偉そうな態度で九郎に指を突き付けて来た。

 ベルフラムの言葉に九郎は渋面する。所在無く頭を掻き、視線を彷徨わす。

 別に礼が欲しくて助けた訳ではないし、それにしたって堂々と胸を張れるような活躍でも無い。

 今回はたまたま相手にグロ耐性が無かったから、驚いて逃げてくれただけだと思っている。

 それに最初は自分で助ける事を諦め、逃げようとしていた。間違ってもベルフラムを助けたと声高には言えない。


「いや十分だよ。それに別に礼が欲しくて助けたわけじゃねーしな」

「ダメよ! それじゃあ私の気が済まないもの……。それにクロウ、あなた言ったわよね? 『ちゃんと家まで送り届けてやる』って」


 いろいろ思うところがありすぎて遠慮する九郎に、ベルフラムは怒ったような表情を浮かべて九郎を睨んできていた。


(なんで俺、ガキんちょに怒られてんだ?)


 ベルフラムの剣幕に押されながら、九郎は引きつった笑みを浮かべる。

 面子か何かだろうかとベルフラムを眺めるが、彼女は焦っているようにも見える。


(俺と離れたくねぇ……って事か? ガキんちょに惚れられてもなぁ……)


 少女趣味では無い九郎は勝手な想像を浮かべて眉を下げる。

 そこまで自惚れている訳でも無いのだが、それ以外に彼女が自分に拘る理由が思い浮かばない。

 どう言っても諦めてくれなさそうなベルフラムに、九郎は観念して両手を挙げ、


「わーったよ! ちゃんと送ってやんよ! でも本当に礼はもういいぜ?」


 もう一度念押ししてから椅子に腰を下ろした。

 九郎のその様子を見て、ベルフラムは満足そうな笑みを浮かべて、再び椅子に腰かけ足をぶらぶらさせていた。


☠ ☠ ☠


(――まったく……何をムキになっているのかしら……私ったら……)


 普段であれば別にここまで固執したりはしないのに。

 ベルフラムは、再び椅子に座って、お茶のお代わりを給仕に頼んでいる九郎を覗き見る。


(それもこれも、こいつがあんな助け方をしたから――)


 朝日と共に全裸での登場はインパクトが有り過ぎて、助けられたというのに未だ素直に礼も言えていない。ベルフラムはなんだか言葉に出来ないモヤモヤした気持ちを抱えていた。


(それに――あんなに傅かれている私を見てもちっとも態度を改めないってのはどう言う心づもりなのかしら……?)


 助けられた事に感謝はしているが、それとこれとは別の問題だ。

 貴族と言う身分を明かしたのに、このクロウと言う男は全く自分を敬わない。それどころかただの子供、それも聞き分けの無い子供と接しているような態度で接してきている。

 そして傅く側のルッセンやメイドに対しては、ペコペコと頭を下げているのも気に食わない。

 自分を蔑ろにされているような気がして、何だか無性に悔しく、ベルフラムは九郎をやり込めようとしていた。それは貴族のプライドとでも言うような、理不尽な我儘だとは分かっていたのだけれど……。

 助けられた時、ベルフラムはあれ程取り乱した自分が許せなかった。

 普段のベルフラムは多少我儘だが賢い貴族の令嬢を演じ切っていた。無為に民を苦しめる事も無いし、勉学に励み研鑽を積むことに時間を割くような優等生と見られていた。食事の好き嫌い以外では我儘など言った覚えも無い。


 それが九郎と顔を合わせていると思った事を口にしてしまう。

 助けられた際に狼狽えすぎて押し込めていた素を曝け出してしまい、その後修正する機会を失ってしまっていた。

 そして、その取り乱された原因である九郎が、その後そのことを気にも留めていない素振りで自分に接して来ることも癪に障った。

 それまで平民にとって、畏れ敬われる存在であったベルフラムには、身分を明かし、傅かれている姿を見せつけて尚、自分を『ただの小さな子ども』扱いする九郎に悔しさと、憤りにも似た感情を覚えていた。


(――でも、流石にお城を見せれば平伏せざるを得ないでしょう……子供扱いしたことを後悔させてあげるわ!)


 決意を新たにするベルフラムが顔を上げると、当の九郎は暢気に3杯目のお茶のお代わりを頼んでいる。

 なんとも緊張感に欠ける顔だ。メイドの身分に頭を下げる仕草は、緩みきった弓の弦のように隙だらけだ。とても手練れの護衛を一瞬で惨殺した盗賊たちを退けたとは思えない。

 ベルフラム自身は先の襲撃が初めての戦闘経験だったが、周りには手練れの戦士たちが大勢いた。だから戦士を見る自分の目はそこらの一般人よりも肥えている自負がある。


 その目で値踏みしても、目の前の男はどう見ても実力者には見えなかった。

 戦士であれ魔術師であれ、手練れと呼ばれる者達は皆一様に独特の雰囲気を纏っている。強者としてのオーラとでも言おうか、体の内から滲み出る『凄み』のようなものがあるのだ。

 それが目の前の男、九郎からは欠片も感じる事が出来ない。曲がりなりにも領主の護衛を倒した野盗と戦い、勝利したと言っていたのにだ。


「んだよ? お前もお代わり頼んで欲しいのか?」


 実力を測られていると言うのに、九郎からはそんな暢気なセリフが出る始末だ。


「違うわよっ! なんか弱そうだなって」

「な、なにおう!? 未来の英雄に向かってなんつーことを言いやがる。このガキんちょが」


 余りに隙だらけで思わずベルフラムが本音を漏らす。そのセリフに九郎が腕まくりして怒りを表す。

 大の男が威嚇して来ていると言うのに、仕草に少しも恐怖を覚えない。

 思い出してみると守衛に止められた時には、体が竦んだ思いがしていたのに……。ベルフラムは野盗に拐かされ大人の男性に恐怖心を抱くようになっていた気がしていた。

 しかし目の前の男に対しては何の恐怖も感じない。恐ろしさから救い出してくれた人物だからか、それても別の理由からなのか。もしかして目の前の男が全く敵意を持っていないと、信用しているからなのか。


(――まだ出会って一日も経っていない者に、そんな信用ある訳無いでしょ!)


 自分の心の中に過った考えをベルフラムは心の中で否定する。

 貴族の身であれば、信頼するということがどれだけ危険なものか、教え込まれている。

 権謀術数渦巻く貴族社会で容易く人を信じる者は、すぐに足元をすくわれてしまう。

 九郎に恐れを抱かない理由を探して、ベルフラムはその理由に思い当たり少し頬を赤く染めた。

 全裸での登場はインパクトもあったが、それに加えて顔面を蹴られてひっくり返った九郎の姿は余りに滑稽過ぎて、恐怖を覚える前に嘲りや気恥ずかしさが先に立つ。


「おいっ! なんだその目! 俺はこれでも腕っぷしには自信が……あったのか?」

「知らないわよ! せめてそこは言い切りなさいよ!」 


 少女である自分にさえ侮られるような弱そうな風貌も原因だろう。九郎の啖呵に思わず力が抜けそうになりながら、ベルフラムはそう結論付ける。


「でも、もうちょっと、こう……何とかならないものかしら……」


 貧相な肉体と隙だらけの所作。このままの九郎を城に連れて帰っては、自分が危機にあったことすら疑われてしまいそうだ。

 何か良い手は無いだろうかと、しばらくの間考え込んでいたベルフラムは、はたと顔を上げて手を打ち合わせる。


「そうよ! あなたが丸腰だから弱そうに感じちゃうのよ! クロウ、あなたの得意な武器は何? 用意してあげる」

「は? 武器?」


 妙案を思いついたと言った表情のベルフラムに、九郎は怪訝そうに首を傾げていた。


「だって男が丸腰じゃみっともないじゃない。剣以外をぶらぶらさせてたんじゃ格好つかないでしょ?」

「おい……一応お前お姫さんなんだろうが……。もうちょっと言いようってのを考えろって」

「なによ? 少しでも強そうに見えるようにしてあげようってのに」


 ベルフラムの言葉に九郎は眉を顰めて口の端を歪めていた。

 流石に品が無かったかとベルフラムも少し顔を赤らめ、誤魔化すように顔を背ける。

 しかしどう言った武器を持たせれば様になるだろうか……。

 体格から考えれば槍辺りが無難な気もするが、どの道馬車で移動するから長物は邪魔になる。ならば剣かとも思うが、この屋敷には儀礼用の剣しか置いてなかったと記憶している。見た目は悪くないから、儀礼用の剣でも問題は無さそうなのだが、そうすると今度は戦闘時には役に立たない。

 そこまで考えて、ベルフラムはこの屋敷に置いてある武具が全て儀礼用な事を思い出す。

 もとから女であり魔術師のベルフラムは、武器を余り持っていない。ベルフラムの持ち物でなおかつ武器と呼べるものは、祭事に使う儀礼用のものばかりだ。


(う~……。アレは勿体ないかしら……。でも私には重すぎるし、飾っておくだけなのも無駄に感じるし……)


 同じ儀礼用の武器ならば、せめてある程度頑丈なモノが良いだろう。切れ味は余り良くないが、形だけなら様になるだろうし、作りが単純そうだから壊れにくそうだ。それに儀礼用のナイフであれば、それを持つ者が誰のものか、外部に示す事も出来る。

 ベルフラムはメイドを呼びつけ、この街に預けたままだったナイフを持ってくるよう伝える。


「おい……ベルフラム。この世界って……銃刀法とか……ねえよな?」


 九郎がまた訳の分からない事を、心配そうな顔をしながら尋ねて来ていた。

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