第015話  この道を往けば


「これだよ! これこそ! 俺の探し求めていたもの! 『道』だよ!」


 野盗の小屋アジトを出て数時間後、視界を阻んでいた大きな岩を超え、目に映った景色に九郎は興奮を隠せぬ様子で歓喜の声を上げた。


 岩陰を抜けると、先程まで歩いていた乾いた大地と違い、青い葉を付けた木々が九郎を出迎えてくれた。気候が突然変わった訳でも無いのに、目に優しい色に九郎は喜悦を浮かべる。

 森――そう評するにはあまりに少ない緑だったが、今迄緑と言えば毒草と危険な毛糸玉しか目にしてこなかった九郎にしてみれば、点在する樹木を見るだけでテンションが上がる。

 そしてその九郎の上がったテンションを更に上空へと押し上げたのが、大地に伸びる同じ土であるのに、僅かに色の違った部分だった。


「こんな舗装もされていない道で喜ぶなんて……あなた、本当にどんな田舎から出てきたのよ?」


 九郎の後に続いて岩陰から顔を出したベルフラムが、呆れた様子で、汗ばんだ額に掛かった明るい赤毛を掻き揚げ、髪色に近い緋色のドレスの砂を払う。


「ああ……。変化しない道がこんなにもありがたい物だなんて……」


 ベルフラムの嫌味を気にも止めず、九郎は街道とも呼べない細い道に、五体倒置して大地に頬ずりしていた。

 裸に毛布を一枚、腰に巻いただけの姿で道に頬ずりしている九郎の姿は、どう見ても行き倒れか、野党に襲われた後にしか見えないだろう。


(――本当に大丈夫なのかしら……?)


 ベルフラムは小さくため息を吐き、道中何度目かの疑問を浮かべた。


 ―――ベルフラム・ディオーム・レミウス・アプサルティオーネ―――


 燃えるような赤い色の髪と森の様な深い緑の瞳の少女。

 アプサル王国、レミウス領領主、アルフラム・ダリオ・レミウス・アプサルティオーネ公爵の5番目の娘として生まれた彼女は、11歳の自身の誕生日を近くに控え、別荘地から父のいる城に戻る道中だった。

 アプサル王国の中でも特に広い領地を持つレミウス家は、王国内の貴族の中で1、2を争う有力貴族だ。それ故に、避暑地とする別荘がある街から城のある街まで馬車で2週間近くかかってしまう。

 父に雇われ送られて来たであろう国内有数の冒険者を護衛に、独り城に戻る最中に事件は起こった。野盗に襲われたのだ。

 護衛が油断していたとは思えない。ベルフラムから見ても護衛の冒険者は、城に常駐している騎士と同等以上に強そうだったし、道中の警戒の仕方も、いつものベルフラムの護衛よりとても洗練されているように見えた。

 お父様ったら。いったいこの護衛に幾ら積んだのかしら? 護衛の力量にそんなことを考えていたベルフラムの呆れの思いと裏腹に、一瞬の間に倒された護衛を見てベルフラムはパニックに陥りながら、魔法を唱えた。

 ベルフラムには魔術師ソーサーラとしての才能があった。

 父アルフラムは娘のベルフラムが魔法を覚えることにあまりいい顔をしなかったが、ベルフラムは魔法にすこぶる興味を持ち、日々研鑽を積んでいた。

 しかし、その魔法も明後日の場所に発動してしまい、ベルフラムはあえなく野盗に捕まってしまう。

 昨晩、野盗に捕まり後ろ手に縛られ、猿轡までされて床に物の様に転がされたベルフラムは、恐怖と羞恥に震える思いでいた。

 野盗達はベルフラムを素早く国外の奴隷商に売りつける算段をしていおり、気絶から目を覚ましたベルフラムに、気付いている様子だったが情報を隠す素振りも見せない。それどころかベルフラムに話を聞かせて、これから待ち受ける運命に絶望する様を楽もうとするかのようだった。

 このまま国外に売られて、変態共の慰み者になるのか――と悔しさに涙が溢れるのを、ベルフラムは懸命に堪えていた。


 その時急に男が叫びながら扉を開け飛び込んで来た。

 最初、ベルフラムは助けが来たものと歓喜した。領主である父が予定の町に到着しないベルフラムを心配し、衛視か冒険者に依頼して助けに来たのではないか――と。

 今になって考えてみると、ベルフラムが野盗に襲われたのが夕方頃とするとあまりに早く、都合の良い考えだったと思う。それに父アルフラムは、自分に対して金は懸けるが愛情は懸けない。あまりに気が動転して心が弱っていたのだろう。

 

 男はベルフラムの期待に背き、すぐさま扉を閉めると逃げようと試みたようだった。

 だが男は外の見張りに捕まってしまったようで、小屋の外で情けない男の命乞いが聞こえた時、ベルフラムは――ああ、私もここまでの様ね……と淡い期待を打ち砕かれ涙が滲んだ。しかし、男を始末しに行ったであろう野盗達は、その夜とうとう帰ってこなかった。


 そして朝日の射し込む扉を開け、入ってきた男にベルフラムはさらに混乱した。

 ―――全裸だった。

 昨日は確かに擦り切れたボロボロのズボンを履いていた筈の男は、自分が全裸であるということに気にも留めず、ベルフラムの傍に屈みこう言った。

 ―――助けにきたよ! もう大丈夫。安心して!―――

 ベルフラムはこの時、助かったのかという安堵の気持ち、なぜこの男が再び助けに来たのかと言う疑問の念、そして生まれて初めて見る男の局部に、これまでの人生の中で一番混乱し、抑えていた涙を堪えきれず取り乱してしまった。


 そして現在――ベルフラムを助けた男、九郎は大地に全身でもって頬ずりしている。


 ベルフラムは九郎を気にしないよう意識し、周りの景色を確認する。毎年通っている道だ。詳しくは思い出せずとも多少は覚えている。

 野盗に襲われ拐わかされたのが昨日の夕方頃。連れ去られる時は気絶していてアジトからの距離、方角は解らないが、そう遠くまで道を外れたとは考えにくい。


(――――と考えるとこの道はあの町への道かしら……?)


 遠くの山に見覚えが無いか、考えていると、九郎が大地との抱擁を終えてベルフラムの傍に寄って来る。


「なんだよぉ? ノリがわりーぞ。さては、疲れちまったのかぁ?」


 そう言うなり、九郎はベルフラムを両手で抱え上げる。


「――――!?! ちょっと! 何すんのよ! 離しなさいってばっ!」


 結婚を約束していない男女が触れて良いのは手だけだ。

 その言葉が出る前に、ベルフラムの腋に九郎の手が入れられ、視界が突然高くなる。


「ふはっはー 遠慮すんなよー! 軽い! 軽いぞー!」

「―――重いなんて言ったらぶっとばすわよっ!! て、そうじゃなくて!!」


 一瞬にして九郎の肩に担がれてしまったベルフラムは、視界の高さ以上に羞恥に困惑していた。一晩経ったとは言え、野盗達に長時間拘束され続けた結果の屈辱は、匂いとなって残っている。


「どうだー? 良い眺めだろー? なんたって『道』だからな! 自分の行く先が見える! 最高じゃねえか!」


 その匂いの元の直ぐ傍に顔があると言うのに、九郎は全くそれに触れず、目の前を指し示して上機嫌だ。

 暴れるベルフラムを意にも介さず支え、今にも踊り出しそうな九郎。

 ベルフラムは振り落とされないよう仕方なく九郎の頭を抱きかかえ、「本人も全裸だったからどこかの蛮族で、匂いなど気にしないのかも」と羞恥心を慰める。


「そう言う問題じゃないわよっ! 淑女レディーに気安く触るもんじゃ無いのよっ!! ――――でも、クロウ、あなた見かけより力有るのね……。そんな貧相な体つきなのに……」


 それでも羞恥に声を荒げたベルフラムだったが、自分があまりにも簡単に抱え上げられた事に驚き、率直な感想を口にする。

 九郎の体は、ベルフラムの知る戦士の体には程遠く、学者か魔術師のような身体付きだった。


「ひ、貧相ってどうゆうことだよっ!? これは細マッチョってんだ!!」


 男のプライドが傷ついたのか、九郎は大いに抗議してくる。


 ――実際、日本であれば、九郎の身体つきは決して貧相に見える訳では無い。どちらかと言うと筋肉質に見えるだろう。だが、このアクゼリートの世界に措いては、九郎の身体つきは戦士としては細かった。


「でも魔術師ソーサーラには見えないのよねえ……」


 ベルフラムは九郎の肩から、九郎の身体を見下ろして独り言ちる。

 戦士にしては貧相な体。学者や魔術師ソーサーラにしては知性が感じられない。

 肩の上のベルフラムに失礼な事を想われているとは露と知らない九郎は、子供のようにはしゃぎ、前方を指さし大声をあげる。

 その指の先には、細く小さな川がもう真上に差し掛かろうとする太陽の光を反射して、キラキラと輝いていた。


「おい!! ベルフラム! あそこに見えるのは、か、川じゃねえか!?」

「……そうね……。それがどうかしたのかしら?」


 ――川がどうしたと言うのか。気にも留めない様子のベルフラムに「信じられない」とでも言うように、目を見開いて九郎が続ける。


「ばっ! ばっ、ばっかじゃねえの? 川だぞ? 川! 水が流れてんだぞ!?」

「――当たり前じゃない……。あなた頭大丈夫?」


 ベルフラムの辛辣な言葉は九郎に届いていないようだ。九郎はポカンと口を開け、感激に打ち震えているかに見える。


(――本当に何を言っているのかしら?)


 ベルフラムは呆れた顔で九郎を覗き込む。


「お前こそ大丈夫か!? 水だぞ? 水! 毒じゃねえんだぞ?!? ひゃほおおおおおおおおう!!!」

「――だからそれがどうし……て! ちょっとっ! ま、待って! て、止まって! ちょっと! ねえって! きゃあぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 九郎は、ベルフラムを担いだまま、放たれた弓矢の如く、全速力で川に向かって走り出していた。藪も木々も意に介さず、一直線に駆け出した九郎の肩で、ベルフラムは悲鳴を上げて九郎の頭を抱え込む。見知らぬ男に自ら体を寄せる羞恥心すら感じる暇も無い。


 このまま川へと突っ込むかに思えたが、九郎はそこまで見境無しでは無かったのがベルフラムにとっては幸運だった。

 ベルフラムを川縁の木陰に降ろし、まるで牛馬のように川に顔を突っ込んで水を飲む九郎の姿を、疲れた表情を浮かべて眺めながら、彼女は今日何度目かのため息を吐き出し同じ思いを浮かべる。


(――本当に大丈夫なのかしら……?)

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