第014話  白い謎の光


 アゴラ大平原の朝は早い。

 何も遮る物の無い雄大な大地を激しい閃光が一時の間、その大地を白く輝かせる。背丈の低いこの大地の植物が、この時だけは長い影を作る。

 東の地平線が白く、闇を押し上げるように塗り直して行く。暗闇が水に垂らした一滴の油の様に薄く幕をはるかの如く緩んで行く。


 九郎は鼻先にくすぐったい感覚を覚え薄目を開けた。

 ひと月以上繰り返してきた朝日と共に目覚める習慣は、たとえ昨日のようことが有ろうとも変わらない。

 いつもは肌寒い朝なのに、首筋に暖かな温もりを覚え、今日はとても目覚めが良い。首筋を覆う、ふわふわとした心地よい感触に2度寝の誘惑に駆られるが、九郎は大きく伸びをして体を起こす。

 ドサリ、と顎の殆んど削られた黒犬の死体が九郎の目の前に落ちてくる。あまり朝日の中でまじまじとは見てこなかったが、顔面を削られた黒犬の死体は寝起きに見るにはかなりキツイ。


「おうふ…………」


 九郎は心地よい目覚めを、二日酔いの面持ちに変えて立ち上がる。

 昨夜の戦闘の後をみると、男たちは何処かへ行ってしまったようだ。ローブの男の魔法の後だけが、細い煙を伸ばしている。


「女の子助けてあげねえとな!」


 そう独り頷くと九郎は小屋に向かって歩き出す。

 黒犬の肉は勿体ないけど捨てて行こう。――何、ここから一番近い村まで約半日と言っていた。それにこんなグロイ肉を持っていたら女の子が泣いてしまいそうだ。

 そんな風に考え、黒犬の死体をそのままにして小屋に向かう。


「不安で泣いてねえと良いんだがなぁ……」


 九郎は頭を掻きながらぽつりと呟くと小さな木造の小屋の扉を開く。


(ここでカッコ良く決めて、女の子のお姉さんでも紹介してくれるといいなぁ……。あ、でもあんまりカッコ良く決めすぎると、女の子が俺に恋しちゃって嫉妬しちまうかな? こんな自分のピンチに駆けつけて助けてくれたお兄さんに恋しちゃって、「お兄さんのお嫁さんになるの!」なーんて……。いや俺ロリコンじゃねえしなあ……。ここはビッシッと決めてまずは英雄ヒーローの第一歩と行くか!)


 少女は、扉が開いた瞬間に驚いて目覚めたのか、強烈な朝の光と共に入ってきた九郎に目を大きく見開いていた。

 少女は見開いた目に涙を浮かべ、顔を紅潮させている。


(あら~。やっぱカッコ良く決めすぎちったかなあ? こんな小さい娘に恋愛フラグ立てちゃってもお兄さんは何も出来ないっすよ?)


 九郎は静かに少女に近づき猿轡を外しながら優しく語りかける。


「助けにきたぜ! もう大丈夫。安心して! お家は? 俺の名前は富士 九郎。心配しないでいい。ちゃんと俺が連れてってあげぶべらっ!」

「わ、わ、わ、私を襲おうだなんて! は、は、恥を知りなさいっ! この変質者!」


 最高のキメ顔に少女の靴底をめり込ませた九郎は、意表をつかれて大きくのけ反り仰向けに倒れる。

 扉から朝の白い光が強烈に射し込んでいた。仰向けに倒れた九郎の股間で男の尊厳が、主人と同じように天を仰ぐ。

 炎に炙られた九郎の股間に、ハーフパンツ人としての尊厳は存在していなかった。


☠ ☠ ☠


「うしっ! これならどうだっ!」


 少女に蹴られ、やっと自分が全裸だと気付いた九郎は、とりあえず小屋の隅に置いてあった毛布を腰に巻くことで人としての尊厳を回復させる。

 適当に腰に巻いた毛布だったが、なにやら細かな刺繍が全体に施されており思った以上にカッコいい。身長の高い九郎には長さも丁度良く、何かインディアンかアラブの王族のコスプレのような気分になる。

 最初話しかけた時から、耳が痛くなるほど喚いていた少女は、九郎が毛布を腰に巻くとやっとおとなしくなっていた。


「安心させて襲うつもりじゃ無いでしょうね?」

「ばかやろうっ! 俺は微乳ナイチチもイケるがロリじゃねえっ! ガキんちょに欲情したりなんかしねえよっ!」


 半眼で睨む少女に荒めの口調で九郎は答える。

 カッコ良く決めたつもりが全裸だった事に、いまいち決まりが悪いのを誤魔化している部分もある。


(朝からずっと見えてた筈なんだけどなあ……。なーんで気付かなかったんだろ?)


 荒野を彷徨っている間、植物を見つける度に全裸になっていたから、肌を晒す事になれてしまったのだろうか。ふとした疑問に考えを巡らせるが、答えに至った所でどうなる物でも無い。

 それよりはと、やっと大人しくなった少女の縄を解きながら九郎は再び少女に尋ねる。


「俺の名前は富士 九郎。ああ、こっちだとクロウ・フジになんのかな? 君の名前は? 自分ちの住所は解るか?」


 迷子の子に語るように、勤めて優しく、警戒されないように笑顔を作る。

 昨今の日本なら子供に話しかけただけでも事案に成る事も有ると言うが、幸い九郎は警察や親を呼ばれたことは無い。

 九郎自身、子供が嫌いな訳ではないし、チャラけて見られる事もあるが、概ね子供にも、子供の親にも受けは良い。


 九郎は、改めて少女の傍に屈むと手を差し出しながら尋ねる。

 綺麗な赤毛を肩まで伸ばした、なかなか将来が楽しみな美少女だ。髪の色と同じ、縁取りに複雑な文様が入った赤い高そうなドレスを着ている。長いまつ毛に大きな緑色の眼。――フランス人形みたいだなと、九郎はありきたりな感想を浮かべる。


「私の名前は ベルフラム・ディオーム・レミウス・アプサルティオーネよ」


 差し出された九郎の手を払いながら立ち上がった少女は、短くそう名乗った。

 せっかく差し出した手を払われて、九郎は少し面食らったが、こんな事で腹を立てるほど狭量ではない。

 それよりも、少女が名乗った名前が長すぎて少し戸惑う。


「えらく長い名前なんだな……。じゃあベルでいいか?」

「勝手に省略しないでよ! その略称は私の極親しい人にしか許してないわ!」


 つんと澄ました表情で少女は――ベルフラムは九郎の提案を却下した。


(まあそっか。初対面の相手にあだ名呼びされんのは、変な気分に成るしな……)


 ベルフラムの言い分に納得する九郎。


「分かった。じゃあ、ベルフラム。自分の家の場所は解るか?」


 続けて聞く九郎に、ベルフラムは驚いた様子で口に手を当て首を傾げる。


「はあ? だから言ったじゃない? ベルフラム・ディオーム・レミウス・アプサルティオーネって」

「それは名前だろうがっ!」


 九郎が言い返すとベルフラムは大きな目をさらに大きく開いて驚きの表情を浮かべ、そして九郎をジロジロ見ると、なにやら一人納得した顔になる。


「ああ、あなた平民なのね。てっきりお父様が雇った冒険者かと思ってたけど……。そうよね、平民なら私の名前を知らないのもしょうがないわね。なら、わかり易いように言ってあげるわ。私の父はアルフラム・ダリオ・レミウス・アプサルティオーネよ」


 ベルフラムの返答に九郎は難しい顔で首を捻る。


(実は言葉が通じてねえのか? それにしても、えらく生意気なガキんちょだなぁ……。この世界は動植物だけでは無く、人間も攻撃的なんかねえ……。昨夜のオッサン達もそうだったもんなー)


 言葉が通じているのに、意思疎通が出来ていない。

 常識が違うという根本的な事実が、九郎の頭からはすっぽり抜け落ちている。


「うんうん、お父さんの名前言えて偉いねー。でもそうじゃなくて! 住所! お家! 住んでる所!」

「はあ? あなた何処の田舎者なの?」


 住所を聞いて田舎者と言われる理不尽さに九郎は多少憤る。


「なにおうっ!? 俺ん所は田舎じゃねえっ! 確かにスタバはねえけど、コンビニは3つもあんだぞ?」


 上京したての頃は、自分が如何に田舎に住んでいたかを思い知らされたりもしたが、最近は少しずつ発展して来ているはずだ――山に囲まれた地元を思い出しながら、九郎は腕を掲げる。

 ベルフラムは九郎の剣幕少しに戸惑いながらも、気が強いのか眉を吊り上げ頭を振る。


「訳の分からない事言って……じゃあなんで知らないのよっ!? この辺一帯の領主の名前よ? レミウス領にいながら知らないなんてありえるの?」


 再び「信じらんないっ!」と声をあげ、ベルフラムはプイとそっぽを向いてしまう。

 領主――と言う言葉に馴染みの無い九郎には、とんとベルフラムの言いたいことが分からない。

 異世界アクゼリートに転移してから今まで、独り荒野を彷徨っていただけ・・の九郎に常識なんてものは無い。


「こっちには最近来たんだよっっ! だからこの辺の地理にはさっぱり分からんねーんだよ!」

「……ああ、そう言えばあなた迷子って言ってたわね……」


 九郎の言い分にベルフラムは違った意味で納得を示していた。

 昨夜扉を開けると同時に叫んでいたセリフを思い出し、九郎は少したじろぐ。


(そう言や、あん時こいつもその場に居たわー。カッコ悪! 迷子のくせして送ってやるとか、『何言ってんのこいつ?』てなるわー……。ないわー……。―――しかし、小屋の外でのやり取りは聞かれちゃいねぇだろうな!? あのやり取りを聞かれてたら、さらにかっこ悪くなっちまう……)


 昨夜の小屋の外での自分のビビり具合に凹みながら、九郎は若干消沈しつつベルフラムに尋ねる。


「……そんで領主の娘さんはどの辺なんだよ……。こっから遠いのか?」


 九郎の問いにベルフラムは俯いて自分のドレスをキュッと掴む。


「……まだ、私が何処に連れてこられたかが分からないから……何とも言えないわ……」


 ベルフラムの不安そうな声に九郎は途端慌てふためく。


(そうだよ! 誘拐されたのに大人の俺が迷子だと知ったら不安になっちまうもんな! いかんいかん! いかんぞー九郎! 大人は何時でも冷静に! なんとかなるって思わせないと!)


 年上の矜持で、九郎は精一杯の笑顔を作り、「何でも無い、心配無い」とベルフラムを勇気づける。


「あーそりゃそうか……。ま、こっから一番近い村まで半日くらいだって言ってたし、そこまで行ってから考えりゃいいか」

「……………あなた…………迷子だったんじゃなかったかしら……?」


 さらに訝しんだベルフラムの表情に九郎は慌てて続ける。


「そうだよ! だから聞き出したんだよ! お前をさらった奴らをボコして!」


 登場時のカッコ悪さから、言うのを躊躇っていたが、このままでは大人と見て貰えない。安心感を与える為にも必要な処置だと判断して、九郎は自分を指さしアビールする。

 九郎も散々ボコられたことは黙っている。ベルフラムに不安を与えないためだ。断じて見栄を張っている訳では無い。


「……本当なの? お父様が雇った腕利きの護衛が一瞬でやられたのよ? 言っちゃなんだけど、あなたそんなに強そうには見えないわよ?」


 子供に暗に「弱そう」と言われて、九郎は面白くなさそうに言い返す。


「うっせ! 俺は不死身の英雄ヒーローなんだよっ!」

「『俺、何も見てないっすっ!! 何もしらないっす! 偶然ですっ! 偶然迷子になって!』だったかしら?」


 半分事実の九郎のセリフに、ベルフラムの口から記憶力の良さを感じさせる忘れて欲しい昨夜の九郎のセリフとジト目が返ってきた。


(やっぱ聞かれてたーーー!!)


 これまでで一番バツの悪い状況に九郎は必死で取り繕う。


「そ、そ、それは――あ、あれだ! 相手を油断させる為の演技ってやつだ! さ、作戦ってやつだ! うん!」


 九郎の必死の言い訳に疑いの眼差しを向けるベルフラムだったが、やがてフッと小さくため息を吐き、九郎を正面から見据えてくる。


「でも、私を助けてくれた事に変わりは無いわ。アプサルティオーネ家の名前に誓って、必ず礼はするわ」


 子供とは思えない礼の言い方に、九郎は面食らって照れくさそうにベルフラムの頭をポンと叩く。


「子供が、んな大人ぶった言い方すんなよ……。こういった時にはありがとうの一言で十分なんだよっ!」


 ベルフラムの頭に乗せていた手を、ワシャワシャ動かし九郎は笑う。

 一瞬呆けた顔になったベルフラムは、憮然とした表情になり九郎の手を払いのける。


「子供扱いはしなくて結構よ! 私はもう10歳よ! ちゃんと淑女(レディー)として扱ってちょうだい!」

(10歳は十二分に子供だろうがっ! 背伸びしたいお年頃ってやつかねぇ?)


 小さな子供が大人ぶる可愛らしさに、九郎は苦笑しながらベルフラムの背丈まで屈んでやると、彼女の両手を取り、あやすように軽く揺らす。


「はいはい……。ちゃんと家までエスコートしてやんよ。お嬢さん」

「だから! それが子供扱いって言うのよ!!!」


 やっと見せた子供っぽいベルフラムの表情に、九郎は笑って聞こえないふりを決め込んだ。

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