第012話  達磨



(今日の俺はついてやがる……)


 ガインツは足元で猿轡を噛まされ、もごもごと唸っている獲物を見下ろしながら笑いを噛み殺していた。


 ――『狼の牙』のガインツ――


 アクゼリートの北東に位置する中原の国家、アプサル王国を荒らしまわっている悪名高き盗賊団の頭領だ。

 元は庸兵団の頭領だったが、今は盗賊団の頭領に収まっている。

 傭兵も盗賊もそこまで仕事に違いは無い。

 奪い、殺し、蹂躙する。

 荒くれ共を纏め上げ、他者を黙らす暴力と小狡い知恵さえあれば、契約に縛られる傭兵よりもよっぽど自由で享楽的な生活が送れる。


「カシラ~、どこに売るつもりですかい?」


 鼠の様な顔つきの神経質そうな小男がガインツに声を掛けてくる。

 ペグ――主に斥候を担当している盗賊シーフだ。元暗殺者アサシンだと聞いているが、常に視線を彷徨わせる癖はその時身に着いたものなのだろう。


「ガキだがそう言うんが好きな奴もいんだろ? 明日、アーデルに渡りをつけておけ。流石にアプサルで奴隷商に流す訳にもいかねえ」

せめえのが好きな奴は多いですからねぇ」

「ふんっ……ほせぇ奴が多いんだろ」


 ペグは見た目小男で弱そうでもあるが、その腕だけは一流だ。

 王侯貴族の厳重な警備を潜り抜けて来たナイフ捌きは、貴重な戦力の一つに数えられる。


「なんか今夜はやけに狼共がうるせぇ……。嫌な感じがしやがる……ってうぉっ! カシラ~? ガキが小便垂れてやがりますぜ~?」


 アジトの扉を開けて、長身の片目の男が入って直後に顔を歪めていた。


「気の強そうなガキだと思ってたが、流石にビビっちまったんだろ? 捕まった時に済ましちまってたら世話ねえのによぉ」

「単に猿轡噛まして放置してたからじゃないですかねぇ?」

「おい、エイガス! 交代だっ! 暢気に茶~飲んでんじゃねえよ!」


 長身の男に返したガインツの言葉に、土色のローブを着た若い男が気だるげに苦笑していた。

 長身で片目の男はビッタス――アプサル王国レミウス領の北端に住む、蛮族の出身で、かなりの腕前の狩人レンジャーだ。また毒草、毒虫の知識を多く持つ薬師パラミストでもある。


「ええっ!? もうそんな時間経ちましたっけ? 魔術師は魔力を回復しなきゃいけないから、休憩は多めに欲しいところなんですがねぇ……」


 ペグの夜警の交代の督促に、エイガスと呼ばれたローブの男は、さも面倒に肩を竦める。

 エイガス――面子の中で一人毛色が違う、育ちの良さそうなこのローブの男は、『狼の牙』が主に獲物にしている貴族の出身だ。別に襲った末に仲間に加わった訳でも無く、王家に謀反を企て失敗し、この辺境まで流れてきただけだ。

 ただ宮廷魔術師にも引けを取らない魔術の才能を持ち、今や『狼の牙』で一番の殺戮者とも言える魔法使いソーサーラ


 好色そうな目つきで得物を眺めていたエイガスは、やれやれといった体でゆっくり立ち上がると、ビッタスと入れ替わるように外へと出ていく。


また・・壊しちまわねえ内に売っ払っちまわねえとな……)


 ガインツはエイガスの背中を見送り、顎鬚を撫でた。


 ――『狼の牙』――

 その盗賊団の名はアプサル王国に於いてはかなり広く広まっていた。

 主な噂の中身はその残虐性に因るところが多いだろう。

 得物を見逃す事は無く、護衛諸共もろとも皆殺し。

 このアプサル王国、特にこのレミウス領では、貴族はもとより商人も旅には護衛を雇うのが通例だった。

 レミウス領は他領よりも魔物の数が多く、野盗だけを警戒していればいいと言う訳でも無い。

 そう言った護衛に主に就くのは、冒険者と呼ばれる荒くれ専門の荒くれ達だった。

 当然、地位や富を持つ者ほど、手練れの護衛を多くつける。

 その手練れの護衛をものともせず、虐殺していた為に、『狼の牙』は多くの人々に恐れられていた。


 しかしその有名さに比べて、『狼の牙』は素性その他、かなりの部分が不明とされていた。無論襲われた者全てが殺されてしまう事も一因なのだが、それ以上に彼等は盗賊団として特殊だった。


『狼の牙』のアジトは『魔境』や『遺跡』等、およそ人の入れる余地の無い場所に存在していた。これらは野盗とはまた別の脅威。魔物が多く巣食う場所であり、その中に拠点を構えているなどとは、誰もが想像しえない場所と言える。


 また『狼の牙』がたったの4人で構成された盗賊団だと言う事も、他の盗賊団と違う部分だろう。

 集団で動かなければならない盗賊団と違って彼らはとても身軽だった。また、名前が売れているからこそ、その被害がたった数人に因るものだとは思われていなかったのである。


(今日の俺はついてやがる……)


 ガインツはもう一度その言葉を口の中で噛みしめ、下卑た笑みを浮かべる。


『風の魔境』の入り口近くに作ったアジト。そこに移動する道すがら、貴族の馬車を見つけたのは幸運だったと思っている。

 馬車の外装から見て有力な貴族なのだろう、横に就けている護衛の数は6人。

 装備も立派で周囲を警戒する手際を見るに、腕も立ちそうだった。


(だが、敵じゃなかった)


 獰猛で残忍な笑みを浮かべ、ガインツは今日の戦闘を振り返る。

 ペグとビッタスの初撃で護衛の魔術士ソーサーラ治癒術士ヒーラーを仕留めた。荒事を専門としても魔術師達は貧弱だ。その身を守る為の魔力を、外へと放つのだから、仕方のないとも言えるのだが。


 浮足立った所にエイガスの魔法を叩きこめば、後はいつも通り弱った護衛をガインツがなで斬りにするだけだった。

 意外だったのは馬車の中から炎の魔法が飛んできた事くらいだろうか。だが、実戦経験が足りないのか狙いがずれていた。


(どんなお貴族様が乗ってやがんだって思ってたら……)


 ガインツは口角を吊り上げ足元を見下ろすと、ニヤリと嗤う。


 数時間ずっと儚い抵抗を続けていた獲物は、ぐったりとした様子で、羞恥に顔を赤く染め、自らの体から漏れ出た体温を感じているようだった。


 驚いたことに馬車に乗っていたのは幼い少女だった。

 エイガス程ではないにしても、飛んできた炎の魔法はなかなかの威力だっただけに、小さな身で大人顔負けの威力の炎を立ち昇らせた少女に、驚いていた。


 豪華な緋色のドレスを着た赤髪の少女。10歳にも満たないであろう幼い容姿。

 目鼻立ちはかなり整っており、好事家が高値で買いそうな予感がした。


 ――ち、近付かないでっ! 私に触れるとタダじゃおかないわよっ! ――


 手には練習用であろう小さな魔術師の杖が握られ、目に涙を溜め、震えながら威嚇する様はネコ科の子供を想像させた。


 ガインツは足元で目尻に涙を溜めて呆然としている少女を見下ろし、未来の金貨を数え始める。


「貴族で子供で魔術師か。高く売れそうだぜ」


 本当に今日の俺はついてやがる――3度目のセリフをガインツが思い浮かべたその時、扉が荒々しく開かれていた。


☠ ☠ ☠


「……そうまでして……そうまでして俺を殺したいのかよっ! ちくしょうっ! やってやる! やってやんぞコラァ!」


 九郎は震える足を抑えながら目の前の小男に殴りかかる。しかし九郎の拳はかすりもしない。

 殴りかかる度に腕や腹に幾つもの赤い線が走り、大地を九郎の血が染めていく。むせ返るような血の匂いは全てが九郎のものだ。


 九郎は『再生』の赤い粒子を纏いながら拳を奮う。

 この状態で『運命の赤い糸スレッド・オブ・フェイト』を使えば、この小男は倒せるだろう。だが九郎はそれに踏み切れない。

 九郎は、この状況下であっても恐れていた。殺意を向けられた恐怖では無く、――人を殺すこと……そして、『運命の赤い糸スレッド・オブ・フェイト』で人間を取り込むことを恐れていた。


(ちきしょうっ! この世界の人間は皆こんなに速えーのかよっ! 俺だって喧嘩の一つや二つ経験してるってのに!!)


 悔しさに唇を噛みながら拳を振るうが、掠るどころか姿さえ捕えきれない。


「エイガスっ! 後どんくらいかかるっ?!?」

「あと30の間、時間を稼いでくださいっ!!」

「分かった!! ペグ! ビッタス! 足止めしろっ!」


 禿頭の問いにローブの男が答える。


(不味いっ! 何かしてくるつもりだっ!! 動きを封じられたら手も足も出ねぇ!!)


 九郎は意を決して小男を無視すると、ローブの男に向かって駆けだす。

 しかし一歩踏み出そうとした瞬間、つんのめるようにバランスを崩し大地に突っ伏す。見ると左足の足首が綺麗に切断されていた。足元にはどこから飛んできたのか、大きな山刀が突き刺さっている。


(まだだっ!!)


 構わず進もうと前を向いた九郎の視界が、今度は真っ赤に染まる。


「が熱つう!!」


 左目が炎に包まれていた。

 水晶体を貫通し、脳まで届いたその一撃に、九郎は堪らず悲鳴をあげる。

 遠くで長身の男が新たな火矢をつがえているのが九郎の右目に映しだされる。


(もう少しっっ!!)


 それでも九郎は意地で走る。左足を『修復』し、唸り声をあげてローブの男に迫る。

 九郎があと十数歩の距離までローブの男に迫ったところで、ローブの男が声高に叫んだ。


「行きます! 離れてください!

 ――――『深淵なる赤』、ミラの眷属にして全てを焼き尽くす煉獄の炎の子よ!焼き尽くせ!

     『ウォル・フラム・フォルティス』!」


 ローブの男が何かを唱えた刹那、辺りが昼間の様に明るくなっていた。


「がああああああああああぁあああ゛!!」


 暗闇から突然湧き出した光源。その中央で身の毛もよだつ絶叫が響き渡る。

 九郎の足元から突如噴出した赤い炎の壁。それが九郎の全身を包み込みその体を焼いていた。


(くそっっ!! 息ができねえっ!!)


 焚火の炎とは比べ物にならない、高温の炎の舌が九郎を舐める。

 肌が泡立つように弾け、酸素を求めて口を開けば、炎が臓腑を焼き焦がす。

 目玉が沸騰して溶け落ち、皮膚がドロリと汗のように崩れ落ちる。

 腕の腱が引きつるように強張り、腕が強制的に折り畳まれ、祈るようなポーズで九郎は炎の吹き上がる大地に膝をついていた。


☠ ☠ ☠


「何とか間に合ったみてえだな……」


 いまだ弱まることの無い炎の壁を見ながら、ガインツは山刀を拾い緊張を解く息を漏らした。


「危なかったですねぇ……」


 エイガスも肩で息をしながら杖に寄り掛かっている。自身の最大級の魔術に魔力切れを起こす寸前の様だ。


(やはりエイガスもヤバそうな敵だと思っていた訳か……)


 ガインツは自分の山刀を見てもう一度大きく息を吐く。

 山刀はどうやったのか、刃の大部分が抉り獲られたように無くなっていた。


 当初は間抜けな斥候スカウトだと思っていたが、化物アンデッドだったとしても、そこまでガインツは驚いたリはしない。

 アンデッドはそこまで珍しい化物では無いし、その姿の悍ましさを覗けばそれほど脅威でもないからだ。

 勿論見ただけで自身の死を選択するのが最善と言われる、『魔死霊ワイト』に代表される強力なアンデッドも存在している。

 しかしそんな強力なアンデッドは殆んど御伽噺の世界の存在であり、『動く死体ゾンビ』や『動く骨スケルトン』など、雑魚が殆んどを占める。


 騒がしい事。動きが緩慢では無かった事。

 これらの様子から、ガインツは男を『走る死体リビングデッド』と判断していた。『騒霊スペクター』が憑りついたアンデッドであり、『動く死体ゾンビ』よりは強いアンデッド。


 しかしガインツのその考えは一瞬にして霧散していた。

 男の体から立ち昇る禍々しい血の色の光に、ガインツは背筋に汗を感じていた。


(ここは悪名高き『風の魔境』、アゴラ大平原だ。雑魚はアンデッドであろうと生きちゃいけねえ・・・・・・・・。あの赤い光……。あれはヤバかった……)


 終わった事だと感じながらも、ガインツは闇に湧き出す光を思い出し、顔を歪めた。


「おいペグ! ちゃんとくたばったか見て来い!」

「『死霊レイス』すら屠る煉獄の炎ですよ? いくらアンデッドがタフでも、骨すら残ることはありませんよ」


 指示を出すガインツにエイガスが疲れた声で抗議してくる。

 それもそうか……と思いながらガインツは、山刀で肩を叩いて首を鳴らし、考え過ぎかと、心に沸き立つ不安を押し込めた。


(『魔境』をねぐらにしているんだ、こういったヤバいもんにも出くわす事もあらぁな……)


 手足をバラバラにしても動くのがアンデッドだが、それを繋げる化物など聞いた事が無い。致命傷が致命傷にならないのがアンデッドの特徴だが、『治る事が無い』からこそ、不死アンデッドだと言うのに滅びがあるのだ。

 アンデッドの多くに共通している悍ましい姿は、傷が治らないと言う根本的な要因も関係していた。擦り傷一つ治る事の無いアンデッドは、ただ傷付き続ける憐れな存在でもあった。


(致命傷でも死なねえくせに治るとなりゃ、倒す手立てがねえじゃねえか)


 己の中に残る不安の正体を理解したガインツは、「ありえねえ」と呟き炎に背を向け、


「ひぎゃあああああああああああああ!!!!!」


 荒野に響き渡ったペグの悲鳴に振り返り、目に入りこんできた光景に驚愕の表情を浮かべた。


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