第011話  第一異世界人


 夕日が沈む頃になると、九郎は夕食の準備をし始める。

 闇雲に荒野を彷徨っていた九郎だったが、2週間を過ぎる頃には周囲の景色が日毎に違う事に気付いていた。

 そこで九郎は朝日が昇ると同時に朝日を背にして真直ぐ進み、夕日が沈む頃には動かないように心掛けていた。これで大まかには直進している筈だと考えての事だ。

 目印になる物が無い以上、自分の影が九郎の行く末を示していた。

 荒野を彷徨い歩いてもう50日が過ぎようとしていた。


「おにく~おにく~久しぶり~のトカゲにく~」


 九郎は腰に吊るしていた群青色のトカゲを調理し始める。


「おにく~おにく~とてもおいし~トカゲにく~」


 鼻歌を歌いながら薪に火を点けた九郎は、一つ深呼吸すると右手の人差し指を薄く齧る。鋭い痛みと共に血が滲む。

 その血でトカゲの首と腹、腕などに線を描いていく。描き終わったらトカゲを裏返して赤い粒子を発生させる。粒子が収縮するとバラリとトカゲが切断された。


 初めてこのトカゲを捕まえた時、九郎はこのトカゲの鱗に、文字通り歯が立たなかった。焼いても石の様な鱗に何の変化も見られなかった。

 しかし、どうしても肉が食いたかった九郎は、「2度とするか!」と思っていた自傷に踏み切った。

 但し、またあんな激しい痛みにのた打ち回るのは御免と、「今までだったら、痛みを感じなかった自傷」を試してみた。

 浅く指の皮膚を齧った九郎に鋭い痛みが走った。今までこの程度で、あんな痛みを感じたことは無い。

 しかし、元からの痛みが蚊ほどだったからか、耐えられない痛みでもなかった。

 そうして九郎はトカゲの肉にありつくことができたのだ。


 食事を終えた九郎は早めに寝ようとたき火の近くで横になる。


「ふう~。食った食った~。トカゲもまだ2匹もあるし、サボテンもある。暫くは安泰だなっ!」


 満足そうに腹をさすると焚火に砂を掛けて炎を消す。荒野の夜の冷気にも体はすっかり慣れてしまい、焚火の暖を必要としなくなっている。朝日と共に起き出す九郎の夜は早いのだ。

 しかし今日はいつもと違っていた。

 暗闇に包まれる荒野の向こうに仄かな光が灯っていた。


 その光を目にした瞬間、九郎は食料も持たずに駆け出す。


「あぁっ!!!」


 足元の覚束ない暗闇の中、転ぶことも、傷つくことも厭わず九郎は走る。


「ああぁぁっっ!!!」


 九郎の口からは悲鳴とも嗚咽ともとれる声が漏れる。


「やったっっっ! やったっっっ!! ついに………! ついにっっ……!!!」


 何度も転びながらも、九郎は必死で走る。

 夢にまで見た光景。光を背にして歩きだし、暗闇の中で動きを止め続けていた九郎が、初めて光に向かって手を伸ばす。


 光に近付くにつれ、光の正体が判明してくる。


「やった!! やった!!! やった!!!!」


 九郎はただただ歓喜に打ち震え、その言葉を繰り返していた。

 光の正体は小さな木造の小屋から漏れる灯りだった。


(小屋! 人がいる世界の証明! 光! 人がそこに居ると言う証明!)


 涙と鼻水でぐしゃぐしゃに汚れた顔を喜びで染め、九郎は勢いのままに扉を開く。


「こんばんわっ!! ぐっいぶにんっ!! おじゃましますっっ!! すいませんっっ!! 誰かいますかっ!!」


 ノックも忘れ興奮したまま大声で叫び、人の気配に笑顔を向ける。


「ああん?!?」

「誰だてめぇ!」


 返ってきた言葉は余り友好的な言葉では無かったが、それくらいでへこたれるような九郎では無い。それよりも言葉が返ってきた方が九郎にとっては重要なのだ。

 もとより人との会話が何より好きな九郎が、一月半もの間誰ともしゃべらず孤独に耐えて来ていたのだ。多くなった独り言が九郎の寂しさの表れだった。


「突然すいませんっ!! 自分、富士 九郎って言います! 道に迷ってしまって困ってたんですっ! 町までの道を教えてもらえま……せ……ん……か……」


 言葉は問題なく伝わったようだ。一瞬不安になったが、返ってきた言葉が理解できた事に安心して、素直に助けを請おうと小屋の中を見渡し、その笑顔を凍りつかせる。


「こんな『風の魔境』で迷子たぁ面しれえ事いうじゃねぇか?」


 つるりと禿げた頭。顎全体を覆うような髭。がっしりとした体躯。腰に大きな山刀を下げて、顔には何本もの刀傷を刻んだ強面の男が顔を歪める。


「んだぁ~? てめぇ?」


 扉の傍にいた長身の、弓を持った片目の男が剣呑な目つきで九郎に詰め寄ってくる。


「エイガスの野郎! また見張りをサボりやがったな!」


 小屋の奥に座っている目の細い、抜身のナイフを持った小柄な男が九郎を睨みつけてくる。


「んーーーーー!!! んーーー!!」


 部屋の真ん中の床には、高そうなドレスを着た、縛られて猿轡を噛まされた赤毛の少女。


「~はははは……。間違えました~」


 九郎は、静かに扉を閉めた。


☠ ☠ ☠


「あっ! テメエッ、逃げんなっ!」


 閉じた扉の内側からは、当然のように怒声が飛ぶ。


「おいっ! 早く追いやがれっ!」

「衛兵の斥候だったらマズイだろうがっ!」

「あ、ちくしょうっ! あの野郎、扉を抑えてやがりますっ!」


 開けたら閉める。日本人としては当然の礼儀作法。

 扉を背にして九郎は五月蠅いほど音を鳴らす胸を押さえる。


(なんでだ!? なんでこーなんだっ!? 運が悪いってもんじゃねぇだろっ! なんであんな悪そうな野郎しかいねぇんだよ! ここは美人4姉妹でもいて、疲れ果ててボロボロになった俺を介抱してくれる展開があってもいーじゃねえかよっ!  いや、そんな贅沢な展開じゃなくても、普通に、もっと普通な展開だったら……)


 早鐘の様に脈打つ自分の心臓の音がうるさくて堪らない。

 口の中が乾き、喉に溜まる唾が飲み込めない。


「おらっ! 開けやがれてめぇ!!!」

「ぶち殺してやらぁ!!!」


 背中の扉越しには男たちの怒号。

 出会っただけで殺すなど、物騒な事この上ない。今時不良だってもう少し穏便だ。

 ドンドンと荒っぽく叩かれる扉を必死で抑えながら九郎は考える。


(50日だぞっ! 一か月以上、荒野を彷徨ってやっと見つけた家がヤクザの事務所って何の冗談だ! しかも犯罪ゆうかい現場の真っ最中って! いきなりすぎんだろっ! ゲームでもこう行ったイベントは仲間を集めてある程度強くなってからだろうがっ!)


 やっとの事で見つけた希望の光は、どうやらエンカウントのBOSSアイコンだったようだ。


よえーんだよ俺は! 柴犬程度の犬っころに負けちまうくらいに!)


 扉はガンガン蹴られているようで、その荒っぽい行動に、九郎はさらに恐怖感を募らせる。

 幸い、九郎の限界リミッターが振り切れた力に、何とか扉を抑えることはできている。


(今の俺は『不死』だ……。殺される事はねえ……。だけど勝てることとは別問題だ。最悪捕まっちまったら、俺には打つ術がねえんだよ!)


 九郎の瞼の裏に、一瞬見えた床に転がされた少女が過る。

 ――――出来る事なら助けてやりたい。


(確かに、ここで女の子を助け出せたらカッケーと思うよ? 英雄ヒーローっぽいと俺も思うよ? あの子はどう見ても幼なロリ過ぎだけど、お姉さんとかいたら、そりゃぁ立派なフラグだろうよっ!)


 一瞬見た光景に九郎の頭は沸騰した。

 九郎は子供好きを自認している。それは幼女趣味ロリコンとは別の意味で、田舎で育ったから故の大人保護者としての気持ちの表れだが。


 出来る事なら助けたい。それはまごう事なき本心だ。

 だが、どう考えても勝てるビジョンが思い浮かばない。


(スマン少女ロリ……。きっと! きっと助けを呼んで来てやるから……)


 可能性を考えるべきだと、九郎の頭が判断していた。

 弱い自分が飛び込んでも、状況が良くなるとは思えない。

 人がいたと言う事は、近くにも人が住んでいる可能性がある。

 警察にも知らせず捕まりましたでは、片手落ちも良いところだ。


「おんやぁ~。何やら五月蠅くしているかと思えば……」


 今は逃げよう――九郎がその判断をした時、前方から予想外の人の声。

 同時に扉越しにガスッと鈍い音が聞こえ頬に鋭い痛みが頬に走る。


「がっ!!」


 九郎が頬を抑えて転がる。扉には大きな刃が生えていた。


「エイガスっっ!! てめぇ、どこで油売ってやがった!!」

「やだなぁ~カシラ。便所ですよ、便所」


 小屋から、扉に刺さった大きな山刀を引き抜きながら、禿頭が鬼の形相で出てくる。そして九郎の前方の暗闇からは、土色のローブを着たやせぎすの男が姿を現す。


(状況が一向に好転しねぇぇっ!!!)


 ぞろぞろと小屋から出てくる強面の男たちを睨みながら九郎は焦る。男たちは九郎を取り囲みながら距離を詰める。


「てめぇどこのモンだ!」

「ふふふ富士 九郎です! 学生です! どどどど、どこの組にも属しておりませんっっ!!」


 リーダー格であろう、禿頭に威圧され、震える唇で九郎は答える。


「おおかた公爵家が雇った斥候スカウトじゃねぇか~?」

「ちちち違いますっ! スカウトなんてやった事無いっす!! お姉さんの引き抜きなんてしてないっすっ!!」


 小男の発言にこの世界に来て間もない九郎は見当違いの言葉をかぶせる。


かしら! どうしやす?」


 弓に矢をつがえながら、長身の男が禿頭に尋ねる。

「ぶっ殺す」と言っていたが、一瞬空いた自分の処遇。

 ――突破口はココしかない! と九郎は禿頭が答える前に必死で弁解を口にする。


「お、俺、何も見てないっすっ!! 何も知らないっす! 偶然ですっ! 偶然迷子になって!」


 そう叫んで両手を上げて害意の無いことを示す九郎。

 フッと禿頭の怒気が緩んだように思えた。

「やった!」と内心ガッツポーズを取る九郎に禿頭はしっしと手を払う。


「迷子ならしゃあねえなぁ……。ほら、行けよっ!」


 話が通じた。九郎は心の中で「Yes!」と拳を握りしめ、憐れな様子を顔に浮かべる。


「ありがとうございますっっ! そんじゃ、失礼します!」


 地面に付くほど頭を下げると、九郎は小屋に背を向け駆け出す。


(とりあえず何とか切り抜けられた! 早く助けを呼んでやんなきゃ……)


 町はまだ見つかっていないが、人攫いがそう町から離れた場所にアジトを構えるとは思えない。見てしまった以上、少女をそのままにしておく訳にはいかない。

 見逃して貰った恩など、誘拐犯に感じる訳もなく、滑稽を演じたのもそれが一番可能性が高いと思ったからだ。


(いつの間にか結構降りて・・・きちまってた見てえだな。道がわかんねえけど今は夜だ! 光さえ見つけられれば……)


 と、そう考え九郎が走り出したその時、左肩に鋭い痛みが走り、何かに引っ張られる様に九郎は地面に倒れ込んだ。


(なんだ? 何が起こった?!?)


 九郎は慌てて自分の肩を見る。左肩には、一本の矢が突き刺さっていた。


(なんでだっ?!? 見逃してくれんじゃねぇのかよ?)


 痛みは直ぐに治まり、傷も再生されたが、九郎は恐怖に足が震えて立つことが出来なかった。

 ――死ぬことは無い。死ぬことに対する恐怖では無い。

 ――殺されることは無い。殺されることに対する恐怖でも無い。

 ――自分を殺そうとしている人がいること。男達が、「九郎を殺そう」と放つ明確な殺意に九郎は恐怖していた。


「ブッハッハッ、本気で見逃してもらえると思ってた顔してやがんぜ?」

カシラも人が悪いねぇ……」

「おいおい人聞きの悪い事いってんじゃねえぞ? 俺ぁ~言ったぜ? 行けってな! 但し『あの世』だけどなぁ?」

「アジトの場所が知られたのに見逃すわきゃーねえじゃねえか」


 ゲラゲラと下品に笑いながら男たちが近づいて来る。どうやら見逃すつもりは無かったらしい。


「ビッタス! 当たってねえじゃねえか! 腕が鈍ったんじゃねぇかぁ?」

「確かに当たったと思ったんだがなぁ」

「当たったんなら動ける筈がねえじゃねえか! フェアリーウィードの毒だぜ? くらえば熊でも痺れて動けねえよっ!」


 震える足で何とか立とうとする九郎を睨み、小男が長身の男にがなる。

 会話から考えるに、矢には毒が塗られていたようだが、既に九郎が慣れていた・・・・・毒だったのだろう。


「おらっ!! 言い争ってねえでとっとと始末しちまえ! ブラックバイトにでも嗅ぎつけられたら面倒だ」


 禿頭に言われた小男は、面倒そうに九郎に向き直ると一息に距離を詰める。


(ひっ!!)


 そのスピードに九郎は驚き目を瞠る。およそ人の速さでは無く、一瞬消えたかに見えていた。

 咄嗟に顔をかばった九郎の瞳に白い線が数度煌めく。


「あ゛…………」


 ゴボリと溢れる血の味。同時にこじ開けられた視界。

 顔をかばった九郎の両の手が、手首から落ちて血が噴き出していた。

 むき出しの九郎の腹に、一本の赤い筋が一拍遅れて伸びる。

 その傷口からゾロリと内臓が零れ落ち九郎の足元を汚していく。


「痛え………」


 呻く九郎の額に強烈な衝撃。ガクンと仰け反ったその額には、いつの間にか長身の男が放ったであろう矢が生えていた。


(痛え……痛え……痛え! なんで俺がこんな目にあわなくちゃいけねえんだ! 俺が何かしたってのか?!? 殺されるような悪い事をしたってのかよ!?!)


 九郎の心の中で、先程まで動く事も封じていた恐怖を怒りが塗りつぶしていく。

 憤る九郎の傷口からは赤い粒子が漏れだしはじめる。


「……そうまでして………そうまでして俺を殺したいのかよっ! ちくしょうっ! やってやる! やってやんぞコラァ!」


 赤い粒子が治まる中、九郎は叫んで拳を炎に変質させた。

 九郎は自分を殺そうとした男達の殺意に、真っ向から立ち向かう覚悟を決める。

 頭の片隅には「死んだふり」という言葉が過るが、理不尽な暴力にさらされた九郎は、怒りを抑えられなかった。


「こんな辺境で迷子だなんておかしいと思ったがよぉ……」


 九郎の復活の様子を見ていた男たちが表情を変えた。


「『不死者アンデッド』でしたか……。『動く死体ゾンビ』には見えませんが……『走る死体リビングデッド』辺りで勘弁してほしいところですねぇ」


 ローブの男がそう呟くと、禿頭は腰の山刀を構えて大声を上げた。


「ビッタス! 『不死者アンデッド』だ! 毒は効かねえ! 火矢にしろ! ペグは牽制に専念してろ! お前えの獲物じゃ部がワリい! エイガスの魔法の時間を稼げっ!!」


 手慣れた様子で指示を出し、禿頭は自分の山刀を一振りする。


「…………さてと……。『魔死霊ワイト』じゃねえ事を祈らねえとなあ!」


 ハーブス大陸北東部、レミウス領を荒らしまわっている野盗の頭領。

『狼の牙』のガインツは、ゾリッと自分の顎鬚を撫で、心の中に湧き上がる嫌な予感を薄笑いでもみ消した。

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