第008話  青年は荒野に逝く

――――アゴラ大平原――――


 アクゼリート北東、ハーブス大陸北部に位置するする広大な面積を有する大地。

 短い苔の様な草と多くの岩が点在する礫砂漠である。

 気候はとても乾燥しており、雨は一年の内、春に少量降る程度。

 その為動植物は独自の進化を遂げ、乾燥地帯で生き残る為の様々な特徴を持っている。

 例えばアゴラ大平原のほぼ全域で見ることの出来るフェアリーウィード。

 この苔の様な小さな草は面白いことに根を持たない植物である。

 六つに分かれた葉の中心部分に核のような物を持ち、そこに栄養素を貯めている。そして風が吹くと舞い上がり別の所へと飛んで行ってしまうのだ。

 この事がアゴラ大平原が『風の魔境』と呼ばれる一因でもある。

 広大な大地の景色が日毎ひごと変わる。まさに天然の迷宮たる所以ゆえんだろう。


                     ――――ウォーレン・モートス著

                       ――――世界を歩く――より


☠ ☠ ☠


「まずは人――ってか街探しかねえ?」


 結局『ヘンシツシャ』の能力は分からない。

 気合を入れる為に一人呟き、適当に辺りを付けて九郎は歩き出す。

 武器も何も持っていない今の状態はかなり危険な気がしていた。

 また、自分はこの世界の事を何も知らない事にも不安を覚えた。


「ゲームなんかだと情報収集は基本だしなっ!」


 ただ九郎の声に影は余り見られない。

 なんだかんだ酷い転移の仕方だったとは思っているが、それでも新しい世界と言うのは九郎の冒険心おとこごころを刺激する。

 楽天的でなければ、チャラ男なんてやってない。


 街がどの方向にあるのかも皆目見当附かなかったが、その場で蹲っていても何も始まらない。

 立ち直りの早いのは九郎の美点の一つである。勿論適当なのは欠点の一つだ。


「早めに街、探さねえと餓死しかねねぇしな……」


 九郎は腹を押さえて一人言ちる。

 この辺りは乾燥地帯のようで食べられそうな木の実や、魚の居そうな川も見当たらない。

 田舎育ちの為に、都会のもやしっ子よりはサバイバル能力に自信があった九郎も、乾ききった大地に不安を溢す。

 獲物がいなければどうにもならない。『フロウフシ』の『神の力ギフト』が餓死まで克服するのかは不明だが、先程から訴えかけている腹の音からも、空腹感は覚えるようだ。


(飲み会のすぐ後にこっちの世界に来たはずだよなぁ……て、最初の事故か、さっきの落下で胃の中身をどっかに落っことしちまったのか?)


 短時間の間に2度も自分のグロ画像を見る羽目になった九郎は、悲惨な想像を事も無げに思い浮かべる。


(ゲームなんかだと割と転移先の近くに町があるから、何とか日が沈む前に見つかると良いんだが……)


 最初の転移の場所すらデストラップだった事は考えないようにしている。


「それとも先に水や食料の確保を優先した方がいいんかねぇ……」


 地平線の遥か彼方までが砂煙に霞む乾いた大地。

 上空に佇む二つの太陽の周りには、薄雲ひとつ浮かんでいない。

 新たな旅立ちを祝う筈の快晴に、不安を覚えると言うのも贅沢な話だ。


「うっし! 前向き前向き! 俺の新たな人生の幕開けだっ!」


 九郎は空元気を振り絞って、自身を勇気づける。

 結局この日、九郎は何も見つけることもできず、空腹に耐えながら一人岩陰で夜を明かした。


☠ ☠ ☠ 


 異世界に転移して2日目。


 乾燥地帯の夜は予想以上に冷える。

 九郎は身を竦ませながら自分の腹の音で目を覚ます。

 昨日は何も見つからず、何も食べず、何も飲まずで終了してしまった。

 流石にまた1日飲まず食わずで歩き続けるのは勘弁してもらいたい。


「この際トカゲでもカエルでも良いから食わねえと力が出ねぇ……」


 早くも食べ物の定義がおかしくなってきているが、信州の山奥で育った九郎は、そもそも食べ物の定義が広い。

 昨日と同じく適当に歩くが、昨日とは違いなるべく動く物や、食べられそうな物を探しながら進む。

 乾いた風のせいで喉の渇きも酷い。

 舌を出し、身を屈めて地面を見ながら歩く姿は、映画のゾンビとよく似ていた。


「かぁぁぁっ! なんっもねえっ!」


 真上に太陽が登る頃になっても、爬虫類はおろか虫も見つからない。

 流石に危機感を覚え始めた九郎は、苛立ちのままに腰を下ろす。

 『フロウフシ』の『神の力ギフト』のおかげか、体力的にはまだ余裕がある。

 しかし精神的な疲労はかなり溜まっていた。


「いっそのこと、その辺の草でも食ってやっかぁ?」


 九郎は足元の雑草を何気なく拾う。

 歩いていた時にも見かけていた苔のような雑草。

 驚いたことにその雑草は根が無いようだった。5弁や6弁に分かれた、小さな小さな緑の植物。緑色でなかったら花と間違えそうだ。


「腹の足しになりそうにはねえなぁ……」


 一人言ちりながら、九郎は試しにひとつを口に放り込む。

 子供の頃はその辺の雑草――イタドリやスグキをんでいたため、道草を食う事にあまり抵抗は感じていない。


「ん~? 食えなくも無いか?」


 少し苦いが中心にある種のようなものを噛むと、プシュッと弾けていくらかの水分の足しにはなりそうだ。

 九郎は足元のその植物をかき集めると、ハーフパンツのポケットに詰め込み、そのままの姿勢で大地に突っ伏す。


 手足が痺れ、声すらあげることが出来なくなっていた。

 田舎育ちなのに毒草の危険性を忘れていた。

『フロウフシ』の体のおかげで事なきを得たが、起き上がった九郎はしばらく自責の念で動けなかった。


☠ ☠ ☠


 3日目。

 昨日食べた雑草を口にしながら九郎は歩く。

 どうやらこの植物は毒があるようだ。だが、空腹と喉の渇きに耐えられなかった九郎はその後もその植物を食べながら進む。

 何度か昏倒しつつではあったが、それでも食べ続けているとその内体が慣れたのか倒れなくなっていた。


「『不死』が毒で死んだらグレアモルに文句言ってやるつもりだったが……、まあ助かった……のか?」


 どうにも独り言が多くなってきた気がする。

 そう思っていても、風の音と自分の足音しか聞こえない世界。

 寂しさを紛らわせる為にも独り言は止まらない。


「それに比べてソリストネの野郎は……」


 悪態を吐きながら九郎は自分の右手を見る。

 力を込めて見ても何も変わらない――そう思ったが、ふと最初に確認していた時とは多少違った感覚があるように感じられた。


「お?」


 少し期待を込めて、九郎は再度手に力を込める。

 指先からじわりと緑の液体が染み出して来ていた。


「んん~?」


 試しに舐めてみると少し苦い。――――がそれだけだった。


「やっぱ使えねぇっ! ソリストネの役立たずっ!」


『ヘンシツシャ』の『神の力ギフト』得た経緯いきさつは、九郎の中では無かった事になっている。

 望む力を与える――そう言って送り出した白い歯車の神に、九郎は無体な一言を吐き捨てた。


☠ ☠ ☠


 九郎が異世界の荒野を彷徨いだして5日目。

 昨日は空腹に負けて土を食べた。

 「死なないなら、平気だろ」と。

 しょっぱかった。この大地の土は多量の塩分を含んだ土壌らしく、岩塩を食べてしまったかのような喉の渇きに悶絶した。

 塩は人の生命維持に不可欠な物だが、どんなものでも摂り過ぎれば毒となる。

 それと同時に九郎はしょっぱい大地に眩暈がした。

 塩気を含む大地に植物が育つ可能性はかなり低い。

 根の無い毒草の理由も分かったが、学術的な進化に九郎は何の興味も覚えない。


「つってもマングローブとかもあんだしよぉ……塩気くらい克服してくんねえかなぁ……」


 ファンタジーな世界なのだからと、無体な気概を植物に求め、座った眼で九郎が彼方を見つめたその時、視界に何かの影が過る。


「肉っ!?」


 一瞬「幻だろうか?」と目を瞠った九郎は、目を皿のようにして彼方を見詰める。

 視界を遮るものの少ない礫砂漠に於いて、この日初めて九郎は動く生き物を見つけた。

 遠くに見えるその生き物は、黒っぽい毛色の犬のような外見。大きさは柴犬くらいだろうか。但し頭の部分が体長の半分くらいあり、足が3対――6本あるように見える。

 その姿に九郎は異世界に来たことを再確認する。

 その犬も九郎の姿を見ている様子。


(もっと近けりゃ食ってやんのに……)


 初めて見た動物だが、ここ数日草と土しか食べていない。

 これが虎やライオン程大きければ危険を感じ恐怖したのだろうが、所詮柴犬ほどの中型犬だ。素手だとしても犬一匹に負けるつもりは九郎には無かった。


「どうにかして捕まえらんねえかな?」


 そうぼやきながら九郎はそ~と身を屈める。

 しかし黒っぽい犬は九郎の動作に気付くと、踵を返して九郎から離れていった。

 力で負けるつもりが無くても、犬に足で敵う気もしない。


「ああああ!! 俺の肉っ!!!!」


 九郎は項垂れ、再び歩き出した。

 いつか食っちゃる――新たな目標を胸に抱いて。


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