第007話  先人に倣って


「…………さて…………」


 小一時間程大地に仰向けで転がって空を眺めていた九郎だったが、流石に変化の無い空を見ていても何も起こらない。雲一つない晴天が広がっている。今までの3時間ほどで色々と起こり過ぎたせいか、その場その場では冷静であろうと努めていたつもりが、やはり自分でも大いに混乱していたのだろう。


(普通、あんな変なのソリストネやグレアモルが目の前で話しかけてきたら警戒すっだろに……。自分じゃ絶対詐欺なんかにゃひっかからねぇ! 騙された奴プゲラとか思ってたけど……)


 心が弱っているふられたばかりの人間に付け込んで、恐怖感を煽り理解不能な姿で迫り、譲歩したように見せて契約を迫る。

 よくよく考えてみればまんま詐欺師の手口ではないか。

 常日頃ノリとその場の勢いで生きてきた九郎は、詐欺師にとってはカモ同然の性格ではあるのだが、残念ながら本人に自覚が毛ほども無い。


「しっかし本当に来ちまったんだよなぁ……異世界……」


 そして更に残念な事に九郎は立ち直りが頗る早い。来てしまったものは仕方が無いと、改めて周りを見渡す。

 九郎の周囲は落下の衝撃だろうか、5メートルくらいの範囲の浅いクレーターができている。


(――どうして俺は体を広げて落下したんだ……。どうせ落下するんだったら、こんな漫画みたいなクレーターができるんだったら、いっそ笑いの一つでも取れる倒れ方ヤ〇ムチャのポーズでもしておけば良かった……)


 誰にとか、なぜ笑いを取る必要がとかは考えない。そのキャラクターはそのポーズのまま死んでしまったので、縁起もあまり良くはない。

 真剣に考えるほどに、頭の中ではくだらないことで茶々入れをしようとするのは、九郎の悪癖の一つである。


「こうなった時に先人はどうやってたっけなぁ……」


 先人と言ったところで九郎の頭の中での異世界なんてものは、ゲームや小説の中の知識でしか無い。

 仕方なしに、九郎はもう一度周りを観察してみる。


 かなり殺風景な場所に落ちてきたようだった。

 短く生えた植物の広がる灰色の土の大地。空から見下ろした時には起伏に富んだように見えたのだが、いざ自分がその場所に立ってみると、結構なだらかな丘陵地帯に思える。小さな岩から身の丈を越すほどの巨大な岩まで、ポツンポツンと点在しているが、建物の類は全く見つからない。

 見たところ背丈を越すほどの木々は生えてはおらず、道らしい道も見当たらない。それどころか、落下中には見えていた山の影すら見えないのだ。

 どうにもこの場所はかなりの高地にあるのか、空気すら薄い感じがする。


(まず何処へ行けばいいのかすらわかんねえ…………)


 頭上に輝く太陽を見上げ九郎は早速途方に暮れた。


 だがその場のノリで人生を生きて来ていた九郎は、立ち直るのも早かった。


(最初っから落ち込んでも何もなんねって!)


 軽く自分の現状に眩暈を覚えたが、九郎はとりあえず問題を先送りすることにして読んだことのある小説を思い出す。

 異世界に転移した小説の主人公たちは、その持前の現代知識や道具で苦難を乗り越えていた。

 馬鹿っぽく見られても、九郎はこれでも大学生だ。

 小説の中とは言え、高校生に遅れをとるわけには行かないと、意気込む。


(俺だって現代科学の粋とも言える文明の利器の一つや二つ!)


 さっそくハーフパンツのポケットに手を突っ込み中を弄る。

 出て来たのは尻のポケットから革製の財布……と中にはレンタルビデオ店のショップカードやキャッシュカード。数枚の紙幣と小銭。

 右のポケットからは百円ライター。

 左のポケットにはこれぞ文明の利器たる携帯電話が入っていたが……落下の衝撃か最初の事故でか、バラバラに砕けた状態でポケットの中に鎮座していた。


「っつっかえねぇ! もう少し何か持ってろよ俺!」


 自分の常日頃の身軽さに悪態を吐きつつ、九郎は意地になって記憶を掘り返す。

 近年ありふれて来た異世界転移。着の身着のままの主人公もいた筈だと。


 そう言った主人公達は最初に自身に与えられた能力を確認し、その強大な能力で成り上がっていった記憶があった。

 御多分に漏れず自分も神様から力を授かっている。

 気持ちを切り替え九郎は、自分を眺めて少し弱気に眉を下げた。


「『フロウフシ』の能力は……あんま確認したくねえよなあ…………」


 先程の光景を見た限りよっぽどの事でも『死なない』のは解ったが、かと言って「いろんな死に方を試してみよう!」とは成らない。当然だが九郎は痛いのも苦しいのも嫌いである。

 復活する際の赤い粒子には興味を惹かれるが、その為にまた腕を切り離すのはやはり躊躇する。


「となるとやっぱりソリストネの『ヘンシツシャ』かぁ……」


 異世界に転移して来た時の声は確かに『ヘンシツシャ』と言っていた。落下中の九郎は何とか現実を直視するまいと『ヘンイシャ』と聞き間違えたと思おうとしたが、残念ながら耳は良い方である。


 九郎は諦めたように溜め息を一つ吐くと、胡乱気な視線で周囲を見渡す。

 人っ子一人いない荒野が広がっている。


「……………………」


 九郎は無言で立ち上がり、近くにあった大きめの岩の陰に移動する。

 そしてその影で素早く着ていたTシャツを脱ぐ。

 ハーフパンツも脱ぐ。トランクスも脱ぐ。

 もちろん、靴下と靴はそのままだ。

 そして岩陰に一度身を隠すと颯爽と飛び出し大声で叫ぶ。


「はあはあはあ! お、お、おじょうさぁぁぁぁんんんんん!」


 出来る限り気持ち悪く。


「ぼぼぼ僕を見てぇぇぇぇぇぇぇ!」


 誰もいなくてもいるかのように。


「ひぃィィぃぃはぁあぁぁっぁあああ!!!」


 裏声も使って甲高く鳴く。

 全裸に靴下と靴だけの姿。誰もいない荒野で一人、九郎は二つの太陽に向かって局部をさらけだす。


「ほれほれほれほれ!」

「ほ~らみてごらぁ~ん? ぞうさんだよ~う?」

「ふぉかぬぽぅふぉかぬぽぅ!!!」


 ひとしきりカニのような動きをしたり、腰をふって踊ってみたが何も起こらない。

 広い荒野に一陣の風が吹き、九郎の局部を振り子のように揺らして行った。

 九郎は真顔に戻って服を着直し、ズボンを履く。

 そして流れるような動作で膝から崩れ落ち――


「…………なにこれ死にたぁい…………」


 一人落ち込んだ。

 大地にしょっぱい水が地面にぽたりと吸い込まれていった。


 しばらくその状態で固まっていた九郎は、スクと立ち上がると落下地点クレーターまで戻り中心に座る。


「となるとやっぱりソリストネの『ヘンシツシャ』かぁ……」


 ――――今の行動を無かった事にして、精神の平静を保つ。


「『ヘンシツシャ』……『変質』ねぇ……」


 意味だけを考えると『モノの性質が変わる』と言う意味だが、『変質者』となると性犯罪者の意味合いが強い。なので九郎はあえて変質に拘る。想い描いた『変質者』は心の方が耐えられそうにない。


 何の性質が変わるのか? どのような性質に変わるのか? 

『ヘンシツ――者』なのだから変わると すれば自分自身なのだろうか?


 九郎は試しに手のひらを見つめて力を込める。

 じんわりと汗を掻いてくる。


「ふんっ……!!」


 手のひらから先程の復活の際に取り込んでしまった残りだろうか、砂の粒が浮き出てくる。

 よくよく考えるとこの現象も普通なら考えられない。これかと考え、九郎はさらに手のひらに力を込める。


「ふんぐっ……!!!」


 ―――――――結果、手のひらの皮が少しぶ厚くなった気がした。

 九郎は諦めてとりあえず動き出すことにした。


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