第005話  ファフロフキーズ



 ―――――真っ暗な闇夜の中、波に揺られる感覚――――


 そんな不安定な感覚を味わいながら、九郎は独り考えていた。


(これが転移って奴か……最初ん時もこうだったんかな? 最初は気絶してたっぽいからなぁー)


 目の前に手を掲げても指先も見えない真の闇。


(―――と、あんまりじっくり周りの確認してる場合じゃねえな……。いつ転移が終わるかも解んねえ。とりあえずソリストネからの『神の力ギフト』をとっとと決めとかねーと。望む力をくれるってんだ……。何が良いか……)


 九郎は闇の中で唸る。

 なんでも望みのままと言われると、選択肢が多すぎて逆に色々考えてしまう。

「『英雄』になれば何とかなる」と安易に考えていたが、「そも英雄とは何ぞ」と現代社会で育った九郎は頭を悩ます。


(テンプレだと強力な魔法の力? けど俺、あんま魔法使いって奴に良いイメージないんだよなぁ。なんか性にあわねって言うか……)


 九郎の中の魔法使いのイメージは『指輪物語』に出てくる魔法使いや、日曜の朝に流れている子供向けの変身ヒロインたちの印象が強い。どうにも英雄という言葉には当てはまる気がしないと、頭を振る。


(――とすると剣士? 確かに『英雄』てのはこっちのイメージだよなぁ……。ただ、『剣士』って最初に武器無いと詰みそうなんだよなー。大体弓や魔法で遠距離戦仕掛けられたらあっさりと負けそうだしよー)


 どうも考えが纏まらない。今まで『英雄』という単語のみでイメージしていて、『英雄』がどういった能力を持っていたのかをよく考えてこなかったからか、明確な英雄像が浮かんでこないのだ。


(―――ちょっと考え方を変えてみるか……。俺の目的は何も異世界で『俺Tueee』することじゃねえ。それなら女が俺に惚れる能力? こっちの方が理に適ってるんじゃね?)


 アイドルがごとく行く先々でキャーキャー言われる自分。そんな想像をして惚けた九郎は、ぶんぶんと頭を振る。


(――――いや、『神の指針クエスト』は『真実の愛を10人分集める』だ……。能力で惚れさせるのは洗脳みたいな感じがするからマズそうだな……)


 洗脳した女性を侍らす自分を想像し、九郎は大きなため息を吐き出す。


(あーーーもう! こんな考えしてっから女に浮気されて振られんだよ!! こんな後ろ向きな男じゃ『真実の愛』なんて無理に決まってる! 前向き! 前向きに考えないと!)


 そう自分に言い聞かせるが、思い出した単語に、九郎の脳裏には、最後に目にした彼女ミキの顔がチラついていた。


 声をかけた時の驚いた表情――あわてて男の腕から手を放す仕草――

 ――そして何かを言おうとして、意を決して放たれた彼女の言葉――


   ―――――変質者―――――!


 その言葉が九郎の頭の中にリフレインした瞬間。

 九郎の体は眩い光に包まれていた――。


☠ ☠ ☠


 ――――身体が落ちていく感覚――――

 闇の中で漂う夢現ゆめうつつの感覚から急遽変化した肌を撫でる鋭い風の感触に九郎は意識を呼び戻される。

 頭の中で綺麗な女性の声が響く。


『転移者の確認――。転移ナンバー072番。クロウ・フジ。確認しました』

「えっ?」


 いきなり変化した感覚に、九郎は慌てて周りを見渡す。


『転移者の『神の指針クエスト』を確認。『真実の愛を10人分受け取る』こと』


 頭の中の声が続く。しかし九郎はその声を暢気に聞いている余裕は無い。


『転移者の『神の力ギフト』を確認。『黒の綴り手』―グレアモルより能力『フロウフシ』を確認」

「え?え?」

『転移者の『神の力ギフト』を確認。『白のことわり』―ソリストネより能力『ヘンシツシャ』を確認』

「ちょっ!?!まっ!!」

『転移者の転移先を確認。『アクゼリート』世界。座標866-210。アゴラ大平原―――――――――1万6000ハイン上空にゲート開きます―――』

「お! おいっっっ!」


 突っ込みどころが満載の脳裏に響く言葉だが、九郎に突っ込む余裕が無い。

 突如無くなった足元の感覚は、股間の寒気を伴って眼下にその光景を映し出す。


『それではクロウ・フジ。新たな世界『アクゼリート』にて良い人生を!』


 そう頭の中の声が矢継ぎ早に告げると九郎は異世界転移した……。


 ――――異世界の大地のはるか上空に――――


「ちょっと待てやああぁぁぁぁぉぉぉぉあぁぁぁあぁあ゛あぁぁぁぁ!」


 九郎の叫びは大空に吸い込まれていった。


☠ ☠ ☠


「おおおおおあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………!」


 まるで自分がこの世界に来た事を、世界に喧伝するかのような産声。

 九郎の眼下に広がるのは、異世界の神々管理する地球とは全く違った理の世界『アクゼリート』。


「ぶるあらああぁぁぁぁぉぁおああああああああああああああああああ……!」


 地球と違い澄み切った、遥か遠くまで見渡せる空気。

 開発や環境汚染などみじんも感じられない、起伏に富んだ緑の大地。


「ひぃぃぃやああ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!」


 遠く空には見たことも無い大きな飛龍が山々に飛び交い、頭上には真っ青な空に浮かぶ二つの太陽。


 異世界は、『アクゼリート』は驚くほど美しい世界だった。


「おぉぉぉぉぉぉだぁぁぁぁぁすげぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえぇぇぇぇぇぇえ゛え゛え゛ぇぇぇ!!!!」


 九郎にはその美しい世界を見るだけの余裕は全くなかったが――。


(こりゅんわんなひょうあぁぁわはずでうはあぉぉぉろは無んりゃむはいかった…………)


 耳に流れてくる自分自身の悲鳴を聞きながら九郎はパニックに陥っていた。

 眼下に映る大地が恐ろしいスピードで迫っている。

 恐らくすさまじいスピードで落下しているだろうに、まだ遥か遠くに感じる大地。酸素が薄いのか上手く息ができない。


「ひぃぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああぁぁあぁっぁぁぁ!!!!!!」


 豪と体を突き抜けていく風は刺すように冷たく、目から零れた涙が氷となって九郎の上空へ舞い上がっていく。

 突如「ぱん」と耳の奥に痛みが走り、自分の口から流れていた悲鳴が消える。どうやら気圧で鼓膜が破れたようだ。


 偶然か必然か、訪れた静寂に九郎は多少の冷静さを取り戻せた気がした。


「――どういう事だ!?! 異世界に転移して最初の一歩が上空1万6000?! そんなクソゲー聞いた事もねえよっ!!!」


 未だに大地の様子が見えない事に背筋が凍る思いがする。

 浮遊感に覚える、男特有の股の寒さに、九郎は思わず股間を押さえる。


「大体空から降ってくるのは女の子だろっっ!しかももっとふわ~とした感じでっっ! 『親方っ! 空から凄いスピードで野郎がっっ!』って、俺なら助けようとは思わねぇよ! 迷うことなく落下点からとんずらするよ! って違う!! 冷静に! 冷静にな~れ!」


 自身には届かない声で叫びながら、九郎は必死に考える。

 もうすでに1分は経ったはずだが眼下の大地はまだ遠い。


「――――よし……冷静になってきた気がすっぞっ! まずは現状確認! 現状を認識し体験した近しい状況と比べて対応策を練る! これだっっ! 聞いたところによると上空16000ハイン? から落下中! 以上! そう、落下中……――――――あるかっっ! そんな経験!」


 一人考え自分につっこむ。

 そんな場合ではないと分かっていながら、打つべき手が見当たらないではどうしようも無い。


「―――いや? あるな……どこで……? ……そうだっ! 夢の中で落ちる夢を見たことがある! よしっ! これは夢だっ!! 目を閉じて3つ数えて目を開けば俺は自宅の布団で目を覚ますんだ!!! 3・2・1はいっっっっ!! ―――――夢じゃねぇっっ!?!」


 音は聞こえなくなっていても肌を刺す冷たい風も、体を撫でていく強烈な空気圧も、そして何より耳の奥の痛みが夢でないことを九郎に如実に認識させている。


「まだだっ! 考えるんだ! まず時間を! 考える時間をかせがねえと!

 スカイダイビング! テレビで見た! まず体を広げて風を受けるんだっ!」


 九郎は手足を目いっぱい広げて風を受ける。身体前面から風の抵抗を受けて胃が圧迫され、九郎は「うっ」と呻く。

 が、その甲斐あったか、フワリと体の重さが無くなるような感覚が走る。


「っよしっ!! これで少し時間が稼げる! ――――さあ、考えるんだ俺!

 現状確認よりもまず現状認識が先か!?」


 夢では無いと分かったのだから、次に自分を省みる事が大事。

 九郎は現実逃避を諦め、一旦自分を省みる。走馬灯と言うやつだ。


 彼女に浮気されたあげくに車に轢かれて死んだと思っていたが、気付けば白い部屋にいた。

 だがそこで出会った天使を称する白い歯車と半老半幼の死神に、『真実の愛を10人分受け取る』と言う『神の指針クエスト』を遂行する事と引き換えに、異世界で人生の続きをして見ないかと持ちかけられた。

 自分はそれを承諾し、『神の力ギフト』と言う力を貰って今死にかけている。


「……って、あほかぁぁぁぁぁぁぁああああああっ!!!」


 死にゲーでもあるまいし、一歩も進まずピチュンでは自分は何の為に世界を移動してきたのか。

 再び「ゴッ」と耳に飛び込んできた風の音に驚きつつも、九郎は脳をフル回転させ、事態の解決策を模索する。

 眼前の大地との距離は最初の3分の2を過ぎた頃か、地表の輪郭がハッキリと視認できるようになってきた。

 緑の大地に転々と転がる赤茶けた岩々が恐怖を伴って迫ってくる。


「―――そうだ! 『神の力ギフト』だ! 『神の力ギフト』でこの局面を乗り切らねえとっ! グレアモルの力『フロウフシ』か!? どんな能力だ? 死なない力? じゃあこのまま落ちても大丈夫なんか?」


 朧気に聞こえていたナビゲーターの言葉を思い出して、九郎は遥か下方の大地を見下ろす。


「――――いやだめだっ! 『不死』ていや、ゾンビ物の映画でも思うがあいつ等結構あっさりと行動不能になっちまう。それに落ちてみてから『やっぱダメでした(てへペロ)』なんて洒落になんねえっ!!」


『不死』の言葉に一筋の希望を見るが、いきなり命を懸けて確認するほど九郎の胆は据わっていない。


 もうそこまで大地が迫っている。距離が近くになったことで鮮明になったスピードが、九郎を急き立てる。


「じゃあソリストネの力か? てかなんだよ『ヘンシツシャ』って!? 全裸にコートでも着てコート広げて空でも飛ぶのか? 阿呆かっ! いや! きっと聞き間違いだ! 上から特例許可まで取ってきて俺に依頼した『神の指針クエスト』だ。しょっぱなからゲームオーバーなんて目も当てられん。ならやっぱりあいつの力か?」


 残された時間は後わずか。焦る気持ちは九郎の考える力を奪っていく。

 そうなると思いつくのは都合の良い現実逃避ばかりになる。


「『ヘンシツシャ』じゃなく『変異者』と聞き間違えたか?! なら俺は全能の力を以ってこの局面を乗り切れるはずっっ! 鳥だっ! 空を飛べるように『変異』するんだ! よし! イメージしろ! 集中するんだ! 心を静めて……」


 もう高さは高層ビルと同等くらいだ。

 覚悟を決めた九郎は迫る大地を睨み、全身に力を込め、最後の希望にすがって大声で叫ぶ。


「よし! いっくぜぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!! 『変異』!!

 アァァァァイ キャァぁァン フラァァァぁぁぁぁあああああああああああああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛―――ぶぺらっ!」


 ――アクゼリートの大地に――赤い花が咲いた。


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