after21 流れる時間、変わらない私達

 いくら立冬がやって来たからと言って、気温が下がりに下がった十一月。なんとか二桁を保つ気温とは言え、風が冷たいからマフラーだけは装備しなくてはならない。特に私達三年生は、風邪なんて引いてる暇はないのだから。

 それでもまあ、去年の今頃なんて、文芸部の部室内ですらマフラーやら手袋やらしてたのだから、今年はまだマシな方だろう。

 さて。そんな寒空広がる中ではあるが、今日は久しぶりに、野球部に顔を出しに来ていた。私がじゃなくて、智樹が、なんだけど。


「智樹さん、一年にはもうちょい手加減してやってくださいよ」

「それだと練習にならないだろ。ほら次」


 グラウンドでは、智樹と樋山のバッテリーが一年生部員を相手に無双していた。大人気ないと言うか、なんと言うか。一年なんかに負けたくないのは分かるけど、逆に一年相手にそこまでムキになるのもどうなのか。


「あれ、いいの? ほっといたら誰も打てなさそうだけど」

「いいんですよ。夏目先輩レベルのピッチャーと対戦できるのは、貴重な機会ですから」

「薄情な先輩ね」

「あれでも、今日は普段よりやる気がある方なんですよ。なにせ、白雪姫が見てますからね」


 別に私は智樹の付き添いであって、一年どもには興味ないんだけど。

 一年は全員坊主頭だから顔も同じに見える。みんなじゃがいもみたいだし。今の二年はある程度顔も覚えてるけど。

 なんて話をしてる間にも、バッターボックスに立っていた一年がまた一人、三球三振に打ち取られていた。ストレートは私なんかでは目で追えないほどの速さで、もしかしたら150キロくらい出てるんじゃないかしら。


「先輩方こそ、受験勉強しなくていいんですか?」

「休日は一日三時間って決めてるのよ」


 朝昼晩と一時間ずつ。人間の集中力なんてそう長くは保たないのだから、短い時間にしっかり詰め込んだ方がいい。ほら、私って効率厨なとこあるし。


「綾子こそ、そろそろ修学旅行じゃない。楽しみじゃないの?」

「全くこれっぽっちも」

「あら。樋山と仲直りできる、良いきっかけだとは思うけど」

「別に、喧嘩してるわけじゃないです……」


 たしかに、喧嘩とは言うには争っているわけでもない。ただ、綾子が一人で空回りして、鈍感な樋山がそれに気づけず、すれ違っているだけ。

 いや、樋山もただ鈍感というわけでもないんだろうけど。智樹が話を聞いた限りでは、彼にもなにか考えがあるみたいだし。

 思わず漏れてしまいそうなため息を、かろうじて我慢する。どうにかこの子達も、うまく行くといいんだけど。


「それにしても、もう一年ですか」

「なにが?」


 あまり自分のことは話したくないのか、話題を変えるように口にしたその言葉に、首を傾げる。

 それに対して、綾子から呆れたようなため息が一つ。こっちは我慢してあげていたのに。


「お二人が付き合いだしてからですよ。修学旅行の最終日からだったら、あと数日で一年じゃないですか」

「ああ、そういうことね」

「そういうことって……まさか忘れてたんですか?」

「別にそうではないけど」


 忘れていたわけではなく、ただ特別意識していなかったというだけ。そもそも、忘れられるわけがない。あの日は、千佳ちゃんと会った日でもあるんだし。


「その様子だと、せっかくの記念日も何もせず終わりそうですね」

「なにか特別なことをする必要ってあるかしら?」


 付き合い始めて何日記念だとか、そういうのはそこらのパリピどもがやるものでしょう。私達には似合わなさすぎる。

 それに、これから先ずっと一緒にいるんだから、一々そんな記念日がどうとか言ってるとキリがないでしょう。

 だが、しかし。それはあくまで私の考えであって。


「白雪先輩はそう思っていても、夏目先輩はどうでしょうね」

「そうなのよね……」


 マウンドの上で目を輝かせながら、一年バッターの悉くを打ち取る智樹に視線を向ける。

 智樹のことだから、なにかしら用意してそうなのよね。そうなると、私だけなにも用意してないとか申し訳ないし。それ以前に、ただ智樹からなにかを享受するだけと言うのは、私のちっぽけなプライドが許さない。


「なにかプレゼントでも用意した方がいいのかしら?」

「私に聞かないでくださいよ……」


 綾子から本日二度目のため息。

 ええ、まあ、今のはちょっと聞く相手を間違えたわよね。ごめんなさい。






 午前中で野球部の練習が終われば、二人で智樹の家に帰るのは最早恒例で、こちらにも着々と私の私物が増えてきている。

 卒業まではあと数ヶ月。その前に受験があるとは言え、それからの生活に備えて、少しずつ準備は進んでいるのだ。

 テレビから流れ聞こえてくる、お昼の情報番組に耳を傾けながら、キッチンで肉を炒める。お昼ご飯はいつも簡単なものを作っているけど、それでも美味しそうに食べてくれるんだから、作り甲斐があるというもの。


「おっ、いい匂い」


 お風呂から上がった智樹がキッチンにやって来た。機嫌良さそうに鼻歌を唄いながら冷蔵庫を開ける智樹は、上半身になにも着ず、首からタオルを下げた格好でコーヒーを取り出す。

 機嫌がいいのは、今日の練習で樋山から三振を取れたからだろう。


「早く上着なさい。風邪引くわよ?」

「お風呂上がりだから火照ってるんだよ。ちょっとくらい大丈夫」

「湯冷めしても知らないから」


 細身のくせにやけに筋肉質な体を眺め、呆れたため息を一つ。室内は暖房が効いてるとは言え、寒くないのかしら。

 視線をフライパンに戻して料理を再開する。今日のお昼の献立は、野菜炒めに味噌汁と白ご飯。野菜炒めはもちろん焼肉のタレで。

 男子高校生的には、これでご飯三杯いけるとか。実際、智樹はいつも白ご飯たくさん食べてくれる。


「美味しそうだね」

「私が作ってるから当然よ。はい」

「ん」


 ひょこっと顔を覗かせて来た智樹に、菜箸で摘んだ肉を一切れ口に運んでやる。味わうように咀嚼する彼の目は細められていて、それだけで満足してくれていると分かる。


「ほら、もう出来るからさっさと服着てきなさい。その後お箸並べといて」

「了解」


 缶コーヒーを一気に飲み干して、智樹はキッチンを出て行った。素直なのはいいことだけど、なんだか忠犬みたいね。あながち間違いでもないかしら?

 出来上がった野菜炒めを皿に移していると、智樹が戻ってきてお箸をリビングのテーブルに並べてくれる。盛り付けた野菜炒めも任せて、味噌汁と白ご飯を二人分入れれば、今日のメニューが出揃った。

 決して口には出さないけど、こういう時はいつも軽く新妻気分。制服エプロンが私的にポイント高いと思うのよね。

 若奥様は高校生。なんちゃって。


「いただきます」

「いただきます」


 二人揃って手を合わせ食前の挨拶すれば、早速野菜炒めをおかずに白ご飯を食べ進める智樹。がっつくような食べ方ではなく、どこか上品な食べ方。両親のことを考えると、地味に育ちがいいのよね、この男。

 綺麗に食べてくれるのは、作った側としても、食卓を共にする上でも、とても助かるのだけど。


「そう言えば、もうすぐ一年だったね」


 五分足らずでおかわりを要求され、智樹のお茶碗に二杯目のご飯をよそっていると、唐突に言われた。

 主語が抜けているが、その言葉の意味が分からないわけもない。

 ご飯を山盛りに入れたお茶碗を智樹の前に置き、自分の席に戻る。


「早いものよね。あれからもう一年が経つなんて」

「あっという間と言うか、なんと言うか。でも、なんだか懐かしいな」


 めんどくさい二人のめんどくさい関係が明確に定義づけられ、新たな始まりを告げてから。もう一年も経過した。

 綾子に言われてもそこまでだったが、智樹から言われると、ようやく実感が湧いてくる。

 丁度去年の今日あたり、修学旅行の一週間前と言えば、智樹がまた七面倒な思考に陥って、私が骨を折って色々と考えてあげて。

 思い返してみれば、当時の私達はなにをやってるんだと呆れてしまう。


「それで? どうせあなたのことだから、なにか用意してるんでしょ?」

「そう言う君はなにも用意してないだろ」

「……綾子ね」

「小泉からも聞いたけど、別に聞かなくてもわかるよ」


 肩を竦めているその表情は、若干苦笑気味。まあ、私が智樹のことを理解出来てるんだから、その逆もまた然りよね。


「何か欲しいものでもあるの?」

「そう言うわけじゃないけど」

「相変わらず物欲がないのね」

「君からもらえるなら、なんだって嬉しいからね」


 さて困った。なにかリクエストを聞いてからプレゼントを用意しようと思ったのに、こんな答えが返ってきたのだから。まあ、半ば予想通りではあるんだけど。

 そもそも、別にプレゼントを用意しなければいけないわけじゃない。例えばその日の晩御飯を少し豪華にするとか、お風呂で背中を流してあげるとか、普段の生活ではしないことをしてあげるだけでもいいのだ。

 幸いにして、その日は日曜日なのだし。いつもはいかないようなレストランでディナーとか、そんなのでもいいかもしれない。


「色々考えてもらってるところ悪いけど、別になにもなくてもいいんだぜ?」

「でも、私だけなにか貰うって言うのも、なんだか癪じゃない」

「僕にしてみれば、土日はいつも家事をしてくれるし、今回はそのお礼みたいなもんだよ。だからいつも通り、君と一緒に過ごせるならなんだっていいさ」

「もう……」


 そんなの、私だって同じなのに。

 けれど恐らく、私以上に頑固なこの男は、私が同じことを言っても折れることはないだろう。

 ため息を吐きながらも、自然と頬が緩くなってしまう。


「しょうがないわね。じゃあその日は、存分にあなたを甘やかしてあげようかしら」

「なるほど。それはたしかに、いつも通りだ」


 私の手にかかれば、智樹にバブみを感じさせてオギャらせることなんて容易に可能なのだから。実際そうなったらドン引きするけど。

 当日の夕飯はなにを作るのか、今から考えておこう。気合い入れなきゃだものね。



 因みに、智樹からのプレゼントはエプロンだった。無駄なほど余計に気合いが入って、夕飯がやたら豪華なものになったのは、言うまでもないだろう。

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